第19話 ポーカーフェイスは誠実な嘘
※ ※ ※
勝ち金・一億二千四百万。
そこから、榎本から借りた一億の利子として三千万を引くため、九千四百万。
さらに、三つの金融業者から借りた八千万の利子として、五百万ずつを引くため、残り七千九百万。
また、この勝負のきっかけであった臼井姉の負け金もここで返すことになり、その分を引く。
最終的に手元に残ったのが、七千百八十万。
いくらか目減りしても、まったく減ったように思えないだけの金額がそこにあった。
「やべぇ。勝ち過ぎた」
思わずそんなことをぼやいてしまうくらいに、圧倒的な勝利だった。
五十嵐のフォールド宣言の直後は、大変な騒ぎとなってしまった。
おそらくポーカーエリアで行われていたどの勝負よりも白熱した勝負だったのだろう。拍手と喝采が自然とわき起こり、興奮はしばらくやまなかった。
逃げるように去っていった五十嵐をきかっけに、匡もすぐにチップを換金してIDカードに入れると、そそくさとその場から離れたのだった。
部屋に戻る途中。
匡は森口に対して言った。
「ありがとうございました。おかげで、助かりました」
そんな、素直な礼に対し、森口は額に青筋を立てて答える。
「ありがとう、とは。また随分と、余裕ぶってるな。近江」
「はは。まあ、ここは素直に出たほうが良いかと思いまして」
そんな飄々とした匡の態度に、森口は苛立ちを押さえるようにしながら、そっと息を吐いた。
「それで。俺を良いように使ってくれやがったんだ。それ相応のもんは、用意しているんだろうな」
「はい。浪川組のあの人に伝えたのは、本当っすよ」
そう言いながら、彼はポケットから一枚のチップを取り出す。
どこかのテーブルの10万円チップ。しかし、重さは通常のプラスチックのチップとは比べ物にならないほど、重たい。
その円形の物を、丁寧に森口へと差し出した。
「くすねてきたものですけど、その重さで、だいたいの意味は分かるかと」
「……なるほど。これでやり取りしているって考えか。しかし、これじゃあ資産隠しをするには、相当の枚数を集めないとダメだぞ」
「問題はそれなんすよね。予想としては、カジノゲームの備品辺りが怪しいと思ってます。具体的には、羽柴組の息がかかってるテーブルとか。その辺を調べるのは、森口さんの方が早いと思います」
匡の言葉に、ふむ、と森口は真剣に考えこむ。
「ま、確かにそのとおりだな。俺達が行き詰まっていたのは確かだ。きっかけを掴んだだけでも、十分としよう」
その言葉に、匡が内心ほっとしたところに。
森口は、浴びせるように声をかける。
「だが、これで終わりだと思うなよ?」
「…………」
「タダ働きの分はこれで許してやるが、肝心な分が残ってる。俺をダシにして金を作った件。さすがに、この程度で許してもらおうなんざ、思ってないよな?」
威圧感のある声に、思わず身体がこわばる。
全身が殺気立った森口は、今にもその暴力を匡にぶつけんばかりの気迫を感じた。
(あー。本気やばいな、これ)
そう、匡は心のなかでごちる。
まあ、良いように使ったのは確かなので、何をされても仕方がないとは思っているが――一発二発殴られるだけで済めば御の字。最悪、指くらいは覚悟すべきか――などと、そんなふうに覚悟を決めた。
その時だった。
「そ、その。すみません!」
一緒に歩いていた真樹が、森口に向けて頭を下げた。
「私が悪いんです! 私が、バカなことしちゃったから、その借金を返すために、近江さんは無理をしたんです。だから、近江さんは悪くないんで、その……」
突然の言葉に、匡どころか森口すらも、あっけにとられる。
「ま、真樹ちゃん。ちょっと、何言ってんのさ」
「だって、近江さん責められてるみたいだから……。元をといえば、私のせいなのに。それなのに」
「違う。これはそうじゃなくって」
どう弁解すればいいか分からず、匡は言いよどむ。森口と対話するときですら、虚勢は崩さなかった彼は、今、身近な女性に対して、オロオロと情けない姿を見せていた。
そんな二人の姿を見て、森口が一言。
「そこの女」
「は、はい!」
「前に会ったことがあるな。一年くらい前、近江に頼まれて、お前らを助けたことがあった」
「あ……あの時の」
それは、一年前。
匡と真樹が巻き込まれた、失せ物探しの果てに海外マフィアと追いかけっこをした時の話だ。
まさかその話を持ち出してくるとは思わず、匡はぎょっとした顔で森口を見る。
そんな匡に構わず、彼は言う。
「その時もお前は言ったな。『近江さんは悪く無い』と。『悪いのは、自分だ』と」
「えと。そう、でしたか……」
動揺しているのか、それとも覚えていないのか。真樹は曖昧に頷く。
そんな彼女に、森口は言う。
「例えそれが真実だとして、だ。原因がどこにあれ、近江が俺を利用しようとしたことに変わりはない。どんな理由があっても、行動には対価が伴う」
「……はい」
「だから、お前のその向こう見ずな擁護にも、いずれ対価が求められるかもしれないことを、よく覚えておくことだ」
そう言って、森口は真樹に背を向けた。
あっけにとられた表情の匡と真樹を尻目に、森口は続けた。
「近江。これから返済に行くんだろう。その場に、俺もついていく」
「え!? いや、それは」
「なんだ。不満か?」
「いえ……でも、いいんすか?」
「ふん。その方が、手っ取り早く誤解も解けるだろう。勝手に俺の情報を漏らそうとしたら、どうなるかの見せしめだ」
森口は無理やり匡の肩を掴むと、そのまま引きずるようにして連れて行った。
「あ、ちょっと待ってくださいって。真樹ちゃん、榎本! 先に部屋に帰っててくれ。すぐに戻るから!」
そうして、二人は連れ立って、借金の返済へと向かった。
※ ※ ※
「はあ、疲れた。死ぬかと思った」
戻ってきた匡は、精気を全て吸い取られたかのような有様だった。
ベッドに倒れこんだ匡の様子は、昨日のブラックジャックのあとと同じくらい疲弊している。
さすがに、簡単な勝負ではなかったということだろう。
その上、森口と共に借金の返済に行っていたのだ。その道中を思うと、苦労がしのばれる。
「だから言うたんやって。面白半分で森口さん困らすなって」
ぐったりとしている匡を見ながら、榎本がそんな辛辣な言葉を送った。
「まあ、これくらいで済んでよかったと思うとき。うちはてっきり、それこそ指詰めくらいはされるもんやと思う取ったからな」
「あー。確かに、ギリギリのところでそれは思ったなぁ……。っていうか、次になんかヘマやったら、それくらいされそうで怖い」
きひひ、と。虚勢をはるように、匡は笑ってみせた。
匡と真樹の部屋。
彼が帰ってくるまで、榎本と真樹は、先に戻って待っていた。
ようやく落ち着いてきたのか、匡は上半身を起こすと、榎本に礼を言った。
「サンキューな、榎本。危ない橋渡ってくれて」
「ええって。うちは楽して儲けさせてもろうたし」
すでに金の受け渡しは終了しており、榎本は自身のIDカードをひらひらとさせながら言う。
「ま、オープンするところまでいかんでよかったな。まあ勝算はあったみたいやけど、結果が現れたらごねられかねんかったしな」
「そうだな。五十嵐がうまいこと折れたから、勝てたってところだ」
「くふふ。まったく、匡君は恐ろしい人やで」
そんじゃあ、と榎本は出口に向かいながら言った。
「さっさと臼井さん安心させたるわ。気が気じゃなくて怖いやろうしな」
「あ。ちょっと待ってくれ榎本」
去ろうとする榎本を匡が止める。
「あとで時間取って話したいんだが、いつぐらいがいい?」
「そうやな。うちもそれを考えとった。この後、零時くらいでどや?」
「わかった。じゃあ最初のバーで」
「おっけー」
そう言って、榎本はまるで何かを避けるように帰っていった。
そして、残された匡と真樹。
「あ、あの。近江さん」
「あー。真樹ちゃんもサンキューな。森口さんに割ってはいってくれて。あれのおかげで森口さん、毒気を抜かれたみたいだから、助かったわ。でも、あんな危ない真似は二度とするんじゃないぞ。あの人、ほんと怖いから」
そう、ごまかすかのようにひらひらと手を降ってみせる。
その態度を見て、真樹はムッとする。ここまで大人しく黙っていたが、さすがに我慢の限界だった。
「誤魔化さないでくださいよ。いろいろ、腑に落ちなすぎて限界なんです。種明かしを希望します」
「種明かし、ねぇ……」
匡は腕組みをすると、何やら悩むようなしぐさをする。
「うん、良いよ。質問には答えよう」
にやりと笑って、匡はベッドに深く座り込んだ。
※ ※ ※
「そもそも、真樹ちゃんは何を聞きたいの?」
「全部……ですけど。そうですね」
説明の順番を求められているのだと分かった真樹は、一番の疑問点を口にした。
「最後のあの五枚。近江さんは中身わかっていたんですか?」
あれだけの大勝負、しかも後半は意図的にレートを釣り上げていった。そんなものを、ノーハンドで平然とした顔をできるわけがない。
かといって、触れる様子もなかったのだから、すり替えられていたとは思えない。
しかし、そんな真樹の予想に反して、匡はあっさりと言った。
「分かるわけないじゃん。あの五枚は純粋に、ランダムに配られたものだよ」
「え。でも、さっき榎本さんは勝算があるって……」
勝てる自信があったからあんなに堂々としていたわけじゃないのか?
「まあ、勝つ手段がないわけじゃなかったよ。ただ、それは本当に最後の手段で、出来ることならマネーゲームでフォールドさせたかった。なんとか成功した形だな」
きひひ、と笑いながら、匡は種明かしを始めた。
「ま、種も何も、単にすり替えるだけの話だよ。ただ、触れるチャンスは一回だけ。カードをオープンするときだけは、必ずカードに触るんだから、その時しかすり替えるチャンスはない」
配られたままでまったく触られていないカードを、いったんまとめるふりをして全部すり替える、ということなのだろうが――まあ、五枚全部を自然な仕草でジョーカーに換えることのできる男だ。やろうと思えばできるだろう。
しかし。
「すり替えるって簡単に言いますけど、そのカードはどこから持ってくるんですか?」
匡は身体チェックを受けているのである。袖口のような隠しやすい場所は、入念にチェックされているはずである。
その疑問も、あっさりと答えられる。
「榎本からもらった」
「……は?」
「だから、榎本からだよ。ほら、榎本から追加のレイズをする時、IDカードを受け取っただろ。その時に、2を四枚、クワッズができるようにもらったんだ。ま、結局使わなかったけどな」
「な、な……」
なんて大胆な。
言葉をなくしている真樹に、さらに続けて種明かしを続ける。
「ちなみに、何戦目だっけな。フォールドしてわざとハンドを見せたことがあっただろ?」
匡が言っているのは、二十四戦目で、エースのトリップスを晒した時の話だ。
「あの時も、事前に榎本から、ジュースをもらいがてら、エースを一枚もらってたんだ。結局、すり替えを行ったのはあの一回だけってことだな。他のゲームは、ちゃんと素面で勝負してたよ」
「そんな。あんなに誰にも分からないようにすり替えられるのに、一回しかイカサマしなかったんですか」
「そりゃね。だって、何回もやるとばれるリスクは高くなる。イカサマってのはね、ここぞってところでやるから意味があるんだよ。真樹ちゃん」
実際、匡の行ったすり替えによるAのトリップスは、五十嵐の不信感を仰ぐのに貴重な役割を果たしていた。
匡にはそれができるのだと、最大限にアピールすることが、重要だった。
「あとは、保険という意味じゃ、森口さんにも一役買ってもらってたんだ」
「あ、あのヤクザの人に、ですか?」
「そう。森口さんには、あれ以上のレイズを封じる役割と、もう一つ、勝負の後始末をしてもらう目的があった」
もし。
仮に、あのゲームがショーダウンまで進んでしまった場合の話だ。
「さっきは、軽々しくすり替えるなんて言ったけど、さすがの俺も、四枚もすり替えるのは骨が折れるし、そもそも、すり替えを疑われる可能性もある。そんな時に、あの人に余剰分のカードを隠してもらったり、証言人になってもらおうって思ってたんだ」
すり替え用に2のクワッズを選んだのは、2というランクがポーカーにおいて最も最低値なので、イカサマではまず使われないだろうという考えからであるが――当たり前だが、もしデックを確認されれば、そこに2のカードは複数枚あるわけだ。
なので、もし確認が起きてしまったら、匡の立場は一気に悪くなる。
だからこそ、そこからは別の勝負をする必要がある。
「森口さんには、むしろ率先してデックの確認をしてもらおうと思ってたんだ。おれが、『ディーラーになんか任せておけない!』とでも言ってな。そのために、森口さんにはわざと、険悪な雰囲気で乱入してきてもらうよう、相談してた」
「あれ、演技だったんですか?」
「いや、半分くらいは本気だったと思う」
少しだけ顔をひきつらせてから、匡は言う。
「そもそも、浪川組の人に伝言を頼んだ形だったから。脅すみたいな感じで呼び出したから、あの時のあの人、めっちゃキレてたし……。ただ、だからこそあの場での交渉は、本物だったと思われたはずだ」
そこで森口の交渉に失敗すれば、その時点で全てはお破産だ。
だからこそ、あそこが一番のギャンブルだったといえる。
森口に提示した条件――彼が探している、プラチナの流通ルートへの取っ掛かりとなる情報。それと、彼の弱みとなる情報。
その二つを前にして、彼が匡の思うように動いてくれるか。
かなり分のある賭けだとは思っていた。しかし、失敗したら全てがなくなる、そんなギャンブル。
「そんで、森口さんに確認役を買って出てもらうわけだけど、その時に、さり気なく相手のハンドと同じカードを、確認デックの中に混ぜてもらうって魂胆だったんだ」
お互いのハンドと同じカードが、デックの中に入っているという異常事態。
すぐにお互い身体チェックが始まるだろうが、その時には匡がすり替えたカードは、森口の手にある。
ならば、誰が一番怪しいかといえば、それはディーラーになる。
「まあ要するにあの場で、奴らのゲームをイカサマにしてしまおうってのが魂胆だったんだ。そうすりゃ、その場のゲームはともかく、少なくとも前のゲーム、真樹ちゃんや臼井さんの負け分くらいは踏み倒せるからね」
ついでに言うと、その時点で匡は一千二百万ほど勝っているので、八千万の利子分も、少し足りないくらいで、返せないことはない金額だった。
そもそも、匡は榎本に五百万ほどテキサスホールデムでの貸しがあるので、最悪それで賄ってもらうつもりだった。
一番いいのは勝負に勝つことだが、イカサマを暴いてしまえば、このいざこざにはケリがつく。
そんな心づもりで挑んでいたのだが、まさか一番いい勝ちパターンにはいってしまったのだ。
「さて。あとわかんないことはなんかある?」
「それは。いろいろありますけれど」
言いよどんだ真樹に対して、匡は率先して言う。
「五十嵐の最後のハンドを当てた件についてだったら、あれは単にカマかけただけだよ。あの時のおれのハンドがストレートフラッシュになりそうなハンドだったから、成立させるとしてもフラッシュかストレートだと判断したんだ。それに勝てるハンドを、適当にあげていくつもりだったんだが、うまいこと一発で当たったなぁ」
「あ、あの。それも確かに不思議でしたけど、それよりも……」
「じゃあ、イカサマの真相?」
まるで真樹の心を読んだかのような匡の質問に、真樹はこくりとうなずいた。
五十嵐の心を折るとどめとなった言葉。
「『そこにいる共犯者の女が、やめろって顔してるぜ』」
その時の言葉を一言一句、正確に言い直してから、匡は言った。
「これこそがこの勝負の一番の種明かしだな。つっても、別に難しいわけじゃないんだよ。あいつらのイカサマ、ディーラーと五十嵐の二人組じゃなくて、三人組のチームだったってだけの話だ」
匡が言うにはこう言うことだ。
五十嵐のそばにずっといた美女こそが、三人目の共犯者なのだ。
役割としては、カードを配るディーラー。支持を出す女。そして勝負をする五十嵐。この三人に役割が分かれる。
ここで重要なのは、勝負をする当人である五十嵐が、サインを出したりサインを見るために不自然な行動をとらずに済むという点だ。
勝負とは関係ない、言ってしまえばオプションの様な状態の女は、多少変な行動をとっても誰も気にしない。
たまに甘えるように五十嵐に体を摺り寄せ、その時にサインを送れば不自然はない。サインの種類はなんだっていい。触れる手の位置、キスの要求、甘い言葉。それこそ、些細なスキンシップの全てが、情報となる。
この三位一体の形式は、まどろっこしいように見えるが、実に理にかなったチームなのだ。
何より、イカサマそのものが疑惑から確信になりづらいという点がある。
リスクが三人に分散されているため、確かな証拠が見つけづらいのだ。
しかし、だからこそ穴がある。
「おれがたった一度だけすり替えを行ったのは、要するに直接つながっていないディーラーと五十嵐の間に疑心を挟むためなんだ」
その時点ではほぼ確信があったが、実際にトリップスを晒した際、ディーラーの顔に動揺が走ったのを見て、匡は読みが正しかったことを悟ったのだ。
「ディーラーとしては、身に覚えのないトリップスが出てきて焦っただろうな。けど、それに文句を言うわけにはいかない。文句を言えば、その時点でイカサマしていますって言っているようなもんだからな」
「……でも、それだったら、普通に勝っちゃえばよかったんじゃないですか? なんでわざわざ負けて、わざとらしくカードをさらしたりなんか」
そんな、最もな真樹の疑問に、匡は笑いながら答える。
「簡単に言うけどね、これ結構リスキーなんだよ。もしあそこでハンドを晒した場合、追加した♣Aが五十嵐の手の中にでもあったら、その時点でイカサマがばれるからね」
カードのすり替えで一番の問題は、カードのダブリが露見することだ。
そのリスクを考えると、イカサマをしてまでハンドの勝負で勝つのは、あまり割りに合っているとは言いがたい。
「だから、文句のつけようがないように負け試合で見せたんだ。それに、ショーダウンでハンドの強さを晒すのに比べたら、フォールドでカードを回収する一瞬で見える絵柄なんて、パッと見で完全に把握できるわけないからな」
「確かに、私も見間違えかなって思ったくらいです」
「ただ、イカサマやってる当事者からすると、印象に残るもんだよ。おれが欲しかったのはちょっとした疑惑だけだから、それで十分だったんだ。まさか、フォールドした人間がすり替えしたなんて、誰も思わないからな」
一つ一つは、決定的なものなど無く、確実なものもない、ただの要素でしか無い。
しかし、そうやって着実にフラグを重ねて、決定打をいくつも作った上で、匡は勝利を手にしたのだった。
そこまでの種明かしをされて、真樹は思った。
(やっぱり、近江さんはすごい)
この人は天才だ、とずっと思っていた。
その気持ちはまったく疑う余地のないくらいに完璧なものだ。
この男は、本来なら自分なんかがそばにいていいような人間ではない。もっと大きな舞台でその実力を発揮するべき人間だ。
感動にも似た感覚に支配されている真樹をしり目に、匡は疲れた声でぼやく。
「んー。しっかし、ここまで勝ってしまうともう借金とかどうでもよくなってきたな。っていうか、うちの会社の資本金超えてんだぜ、この金額。我がことながら信じらんねェよ」
信じられないのは外野である真樹の方だ、と思ったが、口には出さなかった。
そんなわけで。
ギャンブルクルーズ三日目。おそらく一番の大勝負は、こうして幕を閉じたのだった。
■ ■ ■
榎本友乃恵が部屋に戻ると、置き手紙が置いてあった。
臼井美樹の署名入りで、金貸しからの迎えがあったから戻ると言った内容が書いてあった。どうやら、弟が軟禁されているそうだ。
せっかくポーカー勝負での負債はなくなったというのに、それに喜ぶこともできず、他の負債の返済に向かったのだ。あの姉弟の借金がいくらあるのか、榎本は余り考えたくなかった。
良かった機嫌を悪くさせながら、榎本は隣の部屋へと移動する。
そこは、サングローリー号において、龍光寺紗彩が自室として使っている部屋である。
時刻は九時をまわっていた。
龍光寺紗彩は、不在だった。
しばらく、榎本はそこで部屋の主を待った。やがて、龍光寺紗彩が帰宅する。
開口一番に、榎本は詰問するような口調で問いかける。
「こんな時間にどこに行っとったんや、サーヤちゃん」
「ちょっとした散歩です。別におかしなことはしていないので、ご安心ください」
「ふぅん」
部屋で待ち構えていた榎本は、紗彩の姿をためつすがめつ眺めた。
関係性の糸――現在の紗彩から伸びる人間関係を、掌握しようとする。
そんな榎本に、紗彩の方から声をかけてきた。
「占い師さん。あなたは、あの人――近江匡さんと、知り合いなのですよね?」
「うん? まあそうやで」
まさか向こうから聞いてくるとは思わず、榎本は面食らう。
「高校のころからの知人でな、かれこれ十年来の付き合いってところや」
「彼に興味がある」
その声は紗彩の声とは違う、男性的な声色だった。意図的に変えられたその声色に、榎本は眉をひそめる。
それに構わず、彼女――いや、『彼』は、淡々と告げる。
「しかし、まだ本命かは分からない。もう少し様子を見たいと思うが、占い師。あなたとしてはどう思う?」
「うちがどうこう思ったところで、無意味やと思うが――なんや? 珍しいなぁ、あんはんが獲物と決めたものを置いたままにするなんて」
「仕方がない。ここ最近はあまりにもハズレが多すぎた。見かけ倒しばかりだ。だからこそ、慎重に判断したい」
神妙な様子で言う『彼』に対して、榎本は鼻を鳴らしながら聞く。
「実力者ってだけで言うんやったら、あの五十嵐征治の方は、あんはん的にはどうなんや? 確かにイカサマは使っとったが、プレイング自体は十分プロフェッショナルな男やったと思うで」
「ああ。彼も狙ってはいた。しかし、技術は素晴らしいが天運を持っているとは思えない。勝負をするなら負ける前にするべきだったな。一度負けてしまった凡夫など、試し撃ちか撒き餌程度にしか使えない」
「ふぅん?」
含みのある『彼』の言い方にかすかな違和感を覚えたものの、すぐに切り替えて榎本は続ける。
「せやったら、今の本命は匡君っちゅーことか?」
「否定はしない。ほかにも候補はいるが、今一番気になるのは彼だ。だが、彼にも天運があるとは思えない」
「まあ。それはそうやろな」
十年来の付き合いである榎本からすれば、『彼』の言葉は、今更語るほどもない話だった。
「匡君は、幸運値という観点だけで見れば、凡人と変わらんよ。むしろ、普通の人間よりも、運は悪い方や。せやけど――それを感じさせんほどに、彼は器用や」
近江匡を超人たら占めている点があるとすれば、それは圧倒的な学習能力であるといえる。
学生のころですら、出来ないことに直面しても、本気を出せば数日足らずで基礎を習得するような男だった。そうやって、かつて万能を誇った怪人すらも、圧倒してみせたのだ。
運が悪いなどという状況も、彼にとってはぬるいゲームをハードモードでプレイしているようなものでしかない。
基礎能力の高さと、学習能力の高さを併せ持った彼は、はっきり言って単純な才能など問題でないくらいに、『強い』。
「長い付き合いのうちやから言うけど、彼を『負け』させるのは難しいで。並みの才能じゃあ、匡君はあっさりと凌駕する。圧倒的な、ほかの追随を許さない『天才』でもなければ、彼に勝つんは無理や」
「随分と評価が高いんだな。あなたにしては、珍しい」
そんな感想を漏らしながら、『彼』は手に持っていたコインを指ではじく。
手で受け止めて、表示されたのは『裏』だった。
もう一度投げる。
裏。
もう一度。
裏。
もう一度。
――裏。
延々とで続ける『裏』を受け止めながら、『彼』は言った。
「だが、『技術』ではどうしようもないところが、ギャンブルだ」
「ああ。そうやな。あんはんには、それがある」
だからこそ、この勝負は分からない。
圧倒的な技術が勝つか。
圧倒的な天運が勝つか。
「近江匡やったら、あんはん――龍光寺比澄を倒せるんやないかと、うちは思う」
その榎本の言葉に、龍光寺比澄と呼ばれた『彼』――龍光寺紗彩の形を借りたその存在は、静かに目を伏せた。
「勝つか負けるかわからないから勝負する価値がある。まだそこまで、私は近江匡を評価しきれていない」
技術的に優れた人間など、これまで何度も見てきた。しかし、『彼』に迫るほどの天運を持っている人間はいなかった。
もし。
近江匡が、『彼』の天運を凌駕するほどの『技術』を持っているというのなら。
「勝負を設定してくれるのか? 占い師」
「そのつもりや。今日この後で、匡君と会う。その時に、あんはんの話をする予定や」
「なら、試させてもらおう」
そう言って、『彼』は裏に引っ込んだ。
代わりに、龍光寺紗彩は顔をあげて、榎本友乃恵に挑むように言う。
「兄さんは負けません。絶対に」
「…………」
「たとえどんなにすごい人が相手でも、兄さんは、必ず勝ちます。負けるなんて、あり得ない。手先が器用なだけの人間なんて、問題になりません」
力強く言うその姿に、榎本は憐憫交じりの目を向ける。
兄の強さにとらわれている少女。
言うだけ言って、榎本の前から踵を返して部屋を出て行った紗彩の後姿を、榎本は気遣わしげな瞳で見続けた。
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