第18話 切り札はこの時のために
※ ※ ※
「チェンジ――五枚だ」
その宣言とともに、匡は手に寄せていたカードの全てを、差し出した。
「な、ん、ぁ」
思わず、五十嵐は言葉にならない動揺を漏らしてしまう。
何を考えているのか。
緊張が緩んだその瞬間に食らった不意打ちに、五十嵐は言葉をなくす。
その所業に、さすがの共犯者も驚きを隠せない様子だった。
――なにせ、今匡が捨てたのは、ストレートフラッシュになるかもしれない手である。
それをあっさりと全部捨て去って、新たに五枚、ハンドがそろう確約もないカードを手に入れることに、いったいどんな意味があるというのだろうか。
「ん? どうしたディーラー。早く五枚よこせよ」
「は、はい」
匡の催促に、硬直していたディーラーが動く。
細工をする余裕もないのだろう。カードシューから一枚ずつ、五枚を匡のもとに送る。
裏向きのカード五枚。
当たり前のように、匡はそれを確認しようとしない。
「――さて」
不敵な匡は、腕を組んで椅子に深く腰掛ける。
足を組み、挑発するような視線を五十嵐へと向けた彼は、こう言った。
「これでこの五枚は、誰にもわかんねーわけだ」
ニヤニヤと笑う姿は、どこか狂気じみて見える。
「さあこの五枚。はたして、四千万賭けるに値するハンドだろうか? いやいや、さすがにそんなわけないか? きひひ、まったくよぉ、面白いとは思わねェか?」
「お、面白い?」
「そうだよ。面白いだろ?」
手を大きく上にあげて、匡は後ろにいる連れの女性に顔を向ける。
「ギャンブルってのは本来こういうもんだ。心理戦はただの付随要素。必要なのは、自分の運をどこまで信じられるか。――なあ? 違うかルシフルさんよ」
「そ、そんなものは、ポーカーではない!」
極度の疲れが苛立ちに還元され、五十嵐は匡にくってかかった。
「ポーカーの本質とは読み合いだ! 断じて運に身を任せるようなものではない。一か八かの賭けなど、ポーカープレイヤーへの冒涜だ!」
「なら、そのポーカープレイヤーとしての矜持を賭けてみろよ。大層自信があるんだろ? その――『フルハウス』に」
「な――に」
匡の急所を突くような言葉に戦慄が走る。
今、この男は何と言った?
五十嵐はショックで言葉をなくす。
なぜ――どうしてこの男は、自分のハンドがわかるのだ。
まさか通しか、と慌てて五十嵐は後ろを振り返る。しかし、後ろから見られるような初歩的なへまをやらかすほど、五十嵐は素人ではない。
では、どうやって匡は五十嵐の手を知ったのか。
得体のしれない怯えが生まれつつある五十嵐をしり目に、匡はまったく気にした風もなく堂々と言う。
「さあ、ベットインターバルだぜ。そのハンド、あんたはいくらの値を付ける?」
両手を広げ、まるですべてを受け入れるとでもいうようなポーズをとった。
「まさか四千万程度で済ませる気はねェよな? なにせ、おれのハンドは正真正銘、運否天賦な代物だ。賭けてみろよ、あんたのポーカ―プレイヤーとしてのプライド。そんで、おれを降ろして見ろ! 運じゃあ勝負にならないって思わせてみやがれ!」
「こ、んの。調子に乗るなよ下衆が!」
カッと頭に血が上った五十嵐は、その勢いに任せてテーブルのチップをすべてレイズした。
「レイズ、三千八百万!」
アンティ含めて、合計で七千九百万の勝負。
匡のテーブルに置いてあるチップは、残り二千万ほどなので、単純に考えて足りない賭け金になった。
「どうだい。これでもまだ威勢よく言っていられるかな?」
大きく出たことによって気分が晴れた五十嵐は、余裕を取り戻すようにそう言った。
しかし――
「青天井ルール。ここで使わせてもらうぜ」
匡は、テーブルに自身のIDカードを乗せる。
「今、テーブルに残っているチップ二千百万と、それに加えてこいつ。このカードの中に、三千万の残高がある」
すぐさまディーラーが確認をしたが、すぐにそれを認めた。
この青天井ルールは、事前にチップに変換されていないものでも、そのゲーム中に賭けることができる。ここまで隠し通してきた三千万をここで使ってきたのだ。
「レイズ、三千万、ってことだ」
これで勝負は九千二百万の勝負になった。
五十嵐の方は一千三百万賭け金が足りないことになる。
まさかそんな手段で対抗してくると思わなかった五十嵐は、怒りで完全に我を忘れてしまう。この男は踏みつぶさなければいけないと、はっきりと意識した。
テーブルに用意した金額は一億程度だったが、これは所詮他人の金だ。彼のポケットマネーまで使うのは痛いが、それでも一億までならなんとかなる。
「ディーラー。こっちもレイズだ。この中から、五千万!」
その言葉とともに、五十嵐は胸ポケットから自身のIDカードを取り出す。ずっと隣に寄り添っていた女がやめておけという顔をしたが、そんなものは関係なかった。
そしてとうとう、賭け金が一億を超えた。
一億二千九百万。
奥の単位に突入した以上、負けるわけにはいかない。ここまでくれば、もはや金の圧力がものをいう。
それに、いかに青天井ルールを指定していようと、近江匡が用意している隠し資金は、もうこれで打ち止めのはずだ。
オールインのルールがない以上、ここで降りるしかないはず――
そう思ったところで、匡がいきなりとんでもないことを言い出した。
「なあ。榎本」
突然、彼は背後にいる女性のうち、仮面をかぶっている女性に声をかけたのだ。
「なんや? 匡君」
「おれの勝ちに賭けてみねぇか? 報酬は三割増し。あと――お前にも、あの情報、売ってやる」
あろうことか彼は、ギャラリー(といっても、仲間内ではあるが)に、金を貸せと要求してきたのだ。
一億が絡む勝負。
匡は少なくとも三千二百万用意しなければコールできない。
つまりそれだけの金額を貸せと、第三者に要求しているのだ。
無茶もいいところだ。ましてや、匡のハンドはブタの可能性が濃厚な裏向き五枚だ。そんな勝負に、誰が乗るというのか――
「かはは! まったく匡君は人が悪いなぁ」
軽快に笑いながら、彼女は懐からIDカードを取り出す。
「ええよ。乗ったる。使ぃ」
カードを匡に渡してから、榎本は非常に面白おかしそうに言った。
「一億ある。全部使ってええよ」
そのセリフに、周囲がどれだけ湧いたかは想像に難くないだろう。
あまりのことに、五十嵐の受けるショックの容量は、いい加減キャパシティオーバーだった。もはや自分が何をしているかもわからなくなる。
かろうじて、五十嵐は絞り出すように言った。
「お、おい。そこの女」
「ふぅん? どないしたんや?
「お前、何をしているのか分かっているのか?」
「よーわかっとるよ。要は、数分後に、一億に三千万の色がついて返ってくるっちゅーことやろ?」
「なッ!?」
開いた口がふさがらないというのはこのことだろうか。
硬直している五十嵐に、榎本は笑いをこらえるような声で告げる。
「この近江匡がやるって言っとるんや。それはな、勝つっちゅーことやで? だったら、賭けんともったいないやろ」
その信頼関係は、はたしてどれほど強固なものなのか。
額に汗が浮かぶのを感じる。
そんな風に、五十嵐が勝負に危機感を覚えだした所だった。
「失礼するぞ。勝負の所、悪いが。近江よ」
そんな風に。
見知らぬ男が、ギャラリーを押しのけながら、匡の方によってきた。
ビクリと。
五十嵐の目からも分かるくらいに、匡が緊張したのが分かった。
また新たな協力者かと、五十嵐は剣呑とした目を向けて尋ねる。
「……誰だい。その人は」
五十嵐は匡に尋ねたつもりだったのだが、それに答えたのは乱入してきた男だった。
いかつい顔つきからの三白眼は、全てを威圧するかのようだった。
「てめぇに答える義理はないな。てめぇなんざに興味はない。俺はちと、この糞ガキに用があるだけだ」
「困るな。今、勝負の最中なんだ。部外者は少し下がってもらわないと」
「なら安心しろ。十分に当事者だ。なにせ、勝手に情報を売られそうなんだからな」
そう言って。
男――森口敏和は、すきあらば食らいつかんばかりの威圧感を持って、匡に対して声をかけた。
「なあ、近江よ。先ほど、そこの占い師に売るっつった情報。何のことだか、教えてくれねぇか?」
※ ※ ※
「……想像通りのもの、ですよ。森口さん」
森口の言葉に、匡は微動だにせず答えた。
この勝負に参加している人間の内、森口敏和を知っている人間は多くない。
ヤミ金などの裏世界ならまだしも、上流階級の人間が関わるような人種ではない。しかし、中には知っている人間もいる。
例えば、羽柴組に雇われてイカサマをやっている人間などだ。
五十嵐征治は、匡の言葉によって、その男のことを思い出した。
伝聞ぐらいにしか知らないが、確か、羽柴組が目の敵にしているという男である。色々と破天荒な話も聞くが、そんな男が、どうしてこの場にあらわれるのか。
動揺する五十嵐に、匡が一言声をかける。
「悪いな。少しだけ交渉をさせてくれ」
「交渉……とは、どういう意味だい」
「アンタに勝つためのさ」
ニィ、と。
不格好ながらも、笑ってみせた匡は、意識して余裕を見せながら、森口に向き直る。
「待ってましたよ。森口さん」
「ほう。良い度胸をしているな。この俺を、待っていただと?」
「はい、あなたなら、きっとすぐに来てくれると思っていました」
匡の額に汗が浮かんでいる。
ポーカー勝負の際の疲労感ではない。明らかに、目の前の男に対して、全力で心理戦を挑もうとしているのが、誰の目からも分かった。
匡の言葉に、森口は目を細める。
強面の彼がやると、今にも人を殺しそうな目になった。今この瞬間に、彼の手が出ていないのが不思議なくらいである。
そんな森口は、匡を静かに見下ろしながら、淡々と言う。
「俺が確認したいのは一つだ。てめぇは、カネを借りるために俺をダシにしやがったな。そのことについて、弁解はあるのか、確認したい」
言い訳があるなら聞いてやるぞと。
そう言いながらも、その目は全く許す気が見えない。
そんな、いつ殺されても文句が言えないくらいに、空気が張り詰めたところで。
匡は、さらに一歩、地雷原へと足を踏み入れる。
「弁解は――ありません」
「そうか。なら――」
「代わりに、交渉をしましょう。森口さん」
手が出そうになった森口を遮るようにして、匡は言った。
「交渉……だと?」
「前に言いましたよね。例の名前。『我が身可愛さには使えない』『ここは使い所ではない』って」
そんな、二人にしかわからないことを言い合って。
「使い所は、『ここ』です」
匡は。
深く息を吸って、覚悟を込めて言った。
「森口敏和の弱み――売られたくなかったら、この勝負に賭けてください」
死んだ。
誰もが、そう思った。
そんな中、匡と森口だけは、互いに見つめ合ったまま、硬直したように動かなかった。
「前にも、話したことがあるとは思うが」
やがて。
静かに、言葉だけで人を押しつぶすように、森口は問いかけた。
「暴力ってのはな。意味が無い場面では、使う必要が無い」
「はい」
「ただ相手を痛めつけるだけじゃあ、意味なんてもんはまったくない。そんな労力は割くだけ無駄だ。暴力ってのは、ただそれがあると言うだけで、意味を持つものである必要がある」
そんな風に言って、森口は拳を握ってみせた。
「俺は前に言ったよな。お前の命に、保証は無いと」
「大丈夫ですよ。現在、おれの命がないと、困るのはあなたです」
「その根拠は?」
「話を聞いたでしょ? 浪川組の若い人に。それが全てです」
「……そうか」
ふぅ、と。
あろうことか、そこで森口は、息を吐いた。
それによって、場全体に張り詰めていた空気が、一気に弛緩するのを感じた。
「勝負というのは、この状況か」
テーブルの状況を見ながら、森口はぼやく。
「なるほど。それで、近江。お前は俺に、いくら賭けさせたい?」
その言葉に、ギャラリーに動揺が走った。
それは五十嵐も同じだった。なぜ、いきなりこんなことになっている?
森口の問いに、匡は答える。
「値段は森口さんに任せます。ただ、相手がレイズしてきたら、それを上回る額、融資してもらいたいです。その際の利息は三割増し。どうですか?」
「ふむ。今の状況、お前のほうがレイズ額は多いな。つまり、そこの男がコールではなく、レイズをしてきたら、俺が叩き落とせばいいんだな?」
「そういうことです」
「いいだろう。もし負けたら、お前を担保に補償もしてやる」
そう言いながら、森口は匡のすぐ隣について、五十嵐に向けて言う。
「そういうことだ。悪いな、そこの兄ちゃん。あんたがいくらまで賭けられるかわからんが、せいぜい手加減してくれや」
事実上、これ以上のレイズを封じる言葉を、森口は言い放った。
そうして、森口敏和は、近江匡の味方についた。
あまりにもな展開に、思わず五十嵐は声を荒げる。
「そ、そんなの、認められ」
「なら、榎本の時に言うんだったな。五十嵐」
そんな風に。
五十嵐の本名を呼びながら、匡は言った。
「残念ながら、榎本のカードの金額はチップに変換されてる。一度認めた以上、ギャラリーからの融資もありだろう。なんなら、お前も持ってきていいぜ?」
「好き勝手に言いやがって。姑息なことを」
そう。
匡のやっていることは、いわばその場しのぎにしか過ぎない。
なぜなら、如何にレイズ額を増やそうと、ハンドの強さは変わらないからだ。
どんなに金額を釣り上げようと、一度勝負を初めてしまえば、最終的にはハンドの強さがモノを言う。
フルハウスと、ランダムに配られた五枚のカード。
どちらが強いかなど、明白――
(ちょっと、待て)
そこで、ようやく。
五十嵐は、問題の本質に立ち返った。
(青天井ルールや、ギャラリーからの融資で忘れていたが……)
このドタバタで忘れかけていたが、確か、匡は。
――そのフルハウスに。と。
奴は言った。
自分の手を、把握していながら、こんなだいそれた真似を、しているのだ。
※ ※ ※
匡は、五十嵐のハンドを『フルハウス』だと断言してきている。
その上で勝負にきているのなら、フルハウスに勝てるだけの算段があるのか。あるいはただのブラフで、金の圧力で五十嵐を降ろそうとしているのかということだ。
ぐらぐらと。
五十嵐の中で、価値観が崩れそうになっていた。
ここに来てようやく、五十嵐は自身のハンドと向き合うことになる。
自身のハンドはフルハウス。
はっきり言って、まともに戦って負けるわけのないハンドである。
フルハウスに勝てるのは三種。
クワッズ、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュの三つだけだ。
そしてそれが適当に配られた五枚のなかでそろう確率は、限りなく低い。
ここで五十嵐が勝負に出れば、まず間違いなく勝てるのだ。
榎本という女から借りた一億によって、匡の賭け金は一億九千二百万だが、差額の七千万さえレイズできれば、その金は拾ったも同然のギャンブルだ。痛い金額ではあるが、そのくらいなら持っていないわけではない。
しかし、この男の余裕はなんだ。
内容も分からないハンドに、ここまでの金額を賭けることが本当にできるのか? それだけではない。他人すらも巻き込んで、大勝負ができるものか?
――そこで、五十嵐の脳裏に、三つの映像がフラッシュバックした。
まさか。
一つ目は、裏向きの状態で匡がそろえたワンペア。
二つ目は、匡がフォルドして誤って晒したトリップス。あのとき、匡に送られたのはツーペアだったはずなのに。
そして三つ目は――この勝負をセッティングしたとき。
牧野真樹のフルハウスを回収し、その五枚を全てジョーカーに変えて見せた、あの手品じみた行動。
「あ、うぅ」
まさか、まさか、まさか。
すり替えたのか?
しかし、いつ、どこですり替えるというのだ。
だって、匡はカードの絵柄を見ないどころか、触れてすらいないのだ。
テーブルに置かれた五枚のカードは、ディーラーが配った時のまま、裏向きにおいてある。
その位置は少しもずれていない。
すり替えるチャンスなどない。
そもそも、すり替えるためのカードはどこから持ってくるのだ?
形式上、この勝負を始める前に、スタッフの手によって匡も五十嵐も身体チェックを受けている。カードを隠し持つなんて真似はできるわけがない。
そこまで考えたところで、五十嵐の脳裏に一つの疑惑が浮かぶ。
――まさか。
まさか、まさか、まさか――
ディーラーが裏切ったのではないか。
五十嵐は、ディーラーのカードを配る際のすり替えによって、都合のいいカードを手に入れている。
では、匡の方もそうなのではないか?
そんなわけがないと頭の中では思っても、その疑惑を完全に打ち消すには、ディーラーとのコミュニケーションが足りなかった。
そもそも、二人の関係はただ用意されただけという関係である。その間に、装置として役割はあっても、人間的な信頼関係があるわけではない。
どくりどくりと心音が高鳴る。
疑惑は一度覚えてしまえば振り払えない。ここで五十嵐がフルハウスで勝てると思ってコールすれば、その瞬間ロイヤルストレートフラッシュが襲ってくるかもしれない。そう、それこそ、数時間前に五十嵐が牧野真樹に行ったことの再現が、行われるかもしれないのだ。
実際、それくらいの確信がなければ、榎本や森口と言った外野が、更に融資しようなどと考えるだろうか?
裏向きの五枚のカード。
常識的に考えれば、ノーハンド。
そんな手に、一億クラスの掛け金をのせる――フィクションなら盛り上がるだろう。しかし、現実でそこまでして、平然とした顔でいられるだろうか?
自分は――
自分には、ムリだ。
そう、五十嵐は心中で呟いてしまった。
勝負を見つめなおす。
すでに勝負は一億九千二百万にまでなっている。
二億がすぐそこに見えるだけの勝負を、はたしてこんな疑惑を抱えたまま受けることができるのか?
しかし――五十嵐はすでに、一億二千四百万も賭けているのだ。
ここまで賭け金を吊り上げてしまったら、負けるわけにはいかないというのが本音だ。何より、一億はヤクザの金だ。返せないわけではないが、この勝負はヤクザを胴元にしてセッティングされたものだ。負けて帰ったとなれば、五十嵐のこの船での立ち位置は、終わったも同然だ。
ようやく賭け金のことにまで頭が回り、恐怖が五十嵐を支配し始めた。
疑惑と恐怖の両方が、じわりじわりと五十嵐を攻め立てる。嫌だ。早く終わりたい。こんな勝負をするつもりはなかったのだ。五十嵐がやるべき役割は、相手と自分のハンドの強弱が分かった上で、相手をいかに堕落させるかというものだったはずだ。それなのに、なぜ自分がリスクを背負っているのか。そんなものは、借金まみれの負債者の役割ではないか――
「は、ぁ。は、ぁ」
目の前がちかちかと点滅している。
一億九千二百万。
コールできる金額だ。そして勝てばいい。勝ちさえすれば、問題なくこの勝負を終えることができる。それどころか、大きな利益だ。この船での自分の名も随分売れるだろう。そうしたら、これまで以上に、潤うはずだ。だから、さあ、言ってしまえ。コールと。コールだ、コール、コール、コール!
「なああんた」
血走った目で最後の一言を必死でつむごうとしている五十嵐に向けて、匡はなんの気負いもないような口調で、一言。
「そこにいる共犯者の女が、やめろって顔してるぜ?」
「は、――あ」
誇張なく、心臓が止まったかと思った。
呆然とした表情の五十嵐を、いたずらっ子のような厭らしい目をした匡が見ている。
その眼はすべてを見透かしたようで、心の裏側を丸裸にされている感覚に陥る。
もはや――すべてが、目の前の相手にはばれているのだ。
それを察した瞬間、五十嵐の中で多くのものがガラガラと崩れ落ち、そして――心が折れた。
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