第4話 ジャックポットの魔力

 そもそもこんな船にノーリスクで乗れるわけもなく、真樹の知らないところで、匡は一定以上のリスクをおかしていた。


 もちろんそのことは真樹も理解していたつもりだったのだが、ほとんどの手続きを匡がしてくれていた関係上、具体的な形として意識することが少なかったのだ。宿泊部屋の件にしてもそうだが、このクルーズに持ち込むお金を、どうやって用意してきたのかを、真樹は知らずにここまでついてきていた。


 五百万。

 それが、匡が用意した費用だった。


「乗船費用で百万溶けたから、現在俺たちが使えるのは四百万だな。あと、個人的な資金もいくらかあるけど、まあ雀の涙だ」


 匡は言いながら、身分証代わりのIDカードをちらつかせる。

「船に乗るときに、一部を電子マネーに変えてある。基本この船の中では、マネーはカードで管理な。そこから、必要な分をチップに変えて、カジノでは利用する。――ちょっと、真樹ちゃんのカード貸して」


 真樹のIDカードを一度回収した後、匡は室内に備えられている機材を使って何やら作業をはじめる。そして、再度真樹にカードを渡してきた。


「とりあえず百万。お小遣いだ」

「ひ、百万、ですか」

「ああ。これくらいあれば、まあペースを考えれば二日は遊べるよ」


 渡されたカードの表面には、確かに数字が印字されている。中央の色が変わる境目に並んでいたゼロが六桁に増え、その頭に1がある。どうやら、納金されている金額が表示される形式らしい。これはキャッシュカードのような扱いになるのだろう。


「そんで、ここからが本題なんだが」

 匡は真剣な表情で言った。


「船に出資している奴らなんかは、当然ながら一等客室やらVIPルームにいる。カジノに関しても、VIP連中専用は、一般客が利用できるエリアとは分かれているくらいだ」

「それじゃあ、上の方には別のカジノがあるってことですか?」


 サングローリー号の場合、スィートルームなどはほとんどが六階建てのうち五階以上に備えられている。四階と三階の一部には基本的に娯楽施設やレストランがあり、三階の残りと二階が共通ルーム。一階が水底となっている。

 真樹たちがいるのが一階の部屋だ。

 そして、五階以上の部屋には、特別に賭場が立っているのだそうだ。


「とりあえず五階にあるカジノに入るには、五百万以上の資金が最低ラインらしい」

「ご、五百万って」

「ああ。ギリギリ足りなかった」


 悔しそうに言う匡だったが、真樹の驚きはそっちではない。

 乗船料金が一人頭五十万だとか言われていた時点で桁が違うと思っていたが、もう百万単位の話が当たり前であることに、目まいさえも覚え始めていた。


「……というか、どうやってカジノ費用の四百万は集めたんですか」

「あん? そんなもん、借金に決まってるだろ」


 平然と。

 何言ってんだお前、とでも言うように、匡は言い放った。


「ちょ、何やってんですか近江さん!? 四百万って! 借金を取り消すために借金してどうするんですか!?」


 驚愕のあまり思わず叫んでしまう。

 匡のことだから何らかの考えはあるのだろう、というのはわかるのだが、それでも言わずにはいられない真樹だった。あまりにも金額が大きすぎるのが理由である。


 四百万。


 取り消さなければいけない那留の借金よりも大きくなっているではないか。

 想像するだけで気が遠くなる。興奮しすぎて貧血を起こしそうになっている真樹に、しかし匡は、あくまで冷静に指摘する。


「勘違いしているぞ、真樹ちゃん」

「……勘違いって、何がですか?」


「借りた金は四百万じゃない。五百万だ」


「そこはあんまり関係ないですよっ!!」



 要するに。乗船費用を差し引いて、残った費用だけでは、カジノ費用に足りなかったというだけの話だ。


「ちなみにトイチだから、このクルージングくらいじゃあ利子はつかねぇぞ」

「トイ……い、いえ。それも大変ですけど、でも今はあまり関係ないです!」

「あ、そっか。ちなみに連帯保証人として、一応真樹ちゃんの名前借りてるけど、それも関係ないから安心してね」

「それも関係な……って、えええええッ!?」


 三度目の絶叫。


 寝耳に水もいいところで、あまりの驚きに真樹は目を大きく見開き、口をパクパクと喘ぐように動かすことしかできない。


「ちょ、ちょちょちょ、連帯保証人って。ちょ!?」

「どんだけ『ちょ』って言っても、お金は貯まらないぞ」

「貯まるもんですか!」


 あまりの衝撃に気が遠くなってきたのを無理やり引き留めて、真樹は頭痛をこらえるように頭を抱えながら一つ一つ整理していく。つまり――自分は今、下手をすれば五百万の借金を背負っているのと同じ状況というわけで。


「近江さん。一応聞いておきますけれど」


 深呼吸を一つした後、意識して落ち着こうと努力しながら、真樹は尋ねる。


「どうして私に一言話してくれなかったんですか?」

「話したら、素直について来たか?」

「来るわけないでしょこんな危ない話……」


 曖昧な危機感と具体的な危機感では、話が随分違う。

 半ば殺意を覚えそうになった真樹であるが、しかし匡の方は悪びれた様子もなく、「きひひ」と笑いながら言う。


「ま、連帯保証人なんて言葉が出たら、身構えるのは当たり前だろうけどな」


 余裕ぶった態度は、明確な理由から来るものだ。うろたえている真樹をしり目に、匡は落ち着いた様子で諭すように言う。


「けど、さっきも言った通り、言葉以外はあんまり関係ないから、そんな気にしないでいいぜ。あくまで真樹ちゃんは、『名前を貸しただけ』だから」

「そりゃあ、近江さんがお金返せば問題ないかもしれないですけど」

「違う違う」


 真樹のふてくされたような言葉に、匡はかぶりを振る。


「ほんとに、金の問題がかかるのはおれだけなんだよ。金借りたの、おれの知り合いの金融業者だから、そのあたりは安心してもらっていい。なんなら、安曇さんにでも相談すれば、それで解決だ」


 建前上、名前を借りただけだ――と。

 どこまで本当なのかわからない、怪しい話をするのだった。


「なんか、詐欺の常套手段な気がする」

「おいおい、詐欺だなんてそんな、ひどいこと言うなよ。――本気で詐欺るなら、もっとうまくやるっての」


 前半は冗談半分のような言い方だったが、後半の、真実味こもった声でぼそりとつぶやかれた言葉を、真樹は聞かなかったことにした。


 ベッドの上で「あー」と叫びながら、真樹は思いっきり寝転がる。騙された感が強すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。匡のことは信頼しているし、信用したいのだけれど、本当にこのままでいいのかという、ちょっとした不信感が芽生えた瞬間でもある。


 もっとも。

 どれだけ不信感を抱こうと、真樹が匡を拒絶することはないのだが。


「っていうか、それならなんでわざわざ、私の名前を使ったんですか?」

 あてつけのような気持ちで、真樹は匡に問いかける。

「名前を貸すだけだったら、他の誰でもいいじゃないですか。それこそ、安曇さんだったら、私みたいな安月給の小娘なんかより、よっぽど社会的な信用があると思うんですけど」


 それに、隠していたくせに、今更なんでもないことのように話すし。

 一番真樹が気に食わないのは、その点だった。はじめから話していて欲しかったという、いじけたような感情が胸の内にわだかまっている。表面上は拒絶したとしても、なんだかんだで自分は匡の言うことならば従うという自負がある。だからこそ、事前に相談もされなかったというのが、気に食わなかった。


 寝転がったままジト目で匡の方を見る。それに対して、匡はベッドの上で壁に背をあずけている。いつも通りの、余裕に満ちている泰然とした様子が、今は癇に障る。


 匡はすぐには真樹の問いに答えず、話をそらすように言った。


「真樹ちゃんは、さっきのバイキングで、ほかの客を見ていてどう思った?」

「? どうって、どういう意味です」

「客の割合だよ。二人組――それも、男女の組が、意外と多いと思わなかったか?」

「そりゃあ、旅行なんですから当たり前……って、え?」


 普通の旅行、なんかじゃない。

 これは、ギャンブルを行うためのクルージングなのだ。

 いかに建前を繕おうとも、そのためだけに用意されたものであるという前提は覆らない。匡によると安いクルージングとして参加している人もいるらしいが、それも少数だろう。


「ちなみにいうと、このクルージング、当たり前だが基本的に紹介制だ。航海スケジュールの中じゃ、気軽に参加できるものじゃない。ま、百万や二百万をポンと出せる奴らは別として、決して、安月給の奴らが参加するもんじゃあないんだ」

「ちょっと、待ってください」


 整理してみる。

 これまでの匡が言ってきたことと、自分が見たクルーズ内の様子。ここまでまったく考えてこなかったツケを払うように、真樹はしっかりと自分で考えてみる。


 時すでに遅しと言えるかもしれないが、それでも、いつまでも匡に頼っていてはだめだという義務感に、今更ながら押されるように。


「ここでの一般客ってのは、その、百万や二百万を、気軽に出せる人のことなんですよね」


 そして、そういう層は、確かに服装なんかも違って見えた。

 問題は、そんな金を持っていない層のことだ。

 このクルージングは、借金を返すために参加している人も多いというのだから、つまり。


「二人組っていうのは、要するに、片方が連帯保証人……ってこと、ですか」

「そ。あいつらは借金して船に乗ってるんだよ」


 元となった借金の上に、さらに借金をかぶせて、という意味。

 それはなんとなく想像していたが、ことここに来て、リアルな問題として真樹の前に横たわってきた。つまり、保険となる連帯保証人を用意することで、初めてこのクルーズに参加できているような人もいる、ということだ。


「って、そんなことしたら、いくらなんでも問題になるんじゃ」

「逆だよ逆。問題にならないために、そんな連帯保証人なんて用意してんの」


 匡の目に昏い色がともる。

 物事をつまらなそうに見るその視線は、まるで目に映るものを無価値であるように思わせる。


「連帯保証人って制度は、金融業者が回収し損ねないための制度でもあるけど、逆に言えば、債務者が逃げないためのストッパーでもあるんだよ。そういう『保険』があることで、債務者は逃げることができない。債務者と保証人の間が、近ければ近いほど、な」

「つまり――その、要するに」


 ぐるぐると回る頭の中に直接手を突っ込みたい気分だった。考えがまとまらない。気持ちだけが先走りして、内容を伴った言葉が出てこない。

 そんな真樹を前に、匡は彼女の気持ちを代弁するように言った。


「おれが真樹ちゃんを連帯保証人に指定したのは、そゆこと。出来るだけ、近い状況を作りたかったんだよ。違和感のないように、このクルーズに参加できるように」


 だから、安心しろと。

 だから、関係ないと。


 匡の言葉が、耳から入ってそのまま抜けていくような気がした。


「だからまあ、もしおれが返済に失敗して失踪しても、真樹ちゃんは騙されただけって状態だから、返済義務はないよ。そういう風に書類作りしてきたから」

「そう……ですか」


 はじめから分かり切っていたことではある。

 真樹は、匡に守られている。

 危険な立場にありながら、まったくその舞台に立っていない。立つことすら、許されていない。


 匡から頼まれたなんて、何の意味もないことだ。頼まれごとをされたと舞い上がっていたのがバカみたいだ。


 自分はまったく、彼から頼りになんてされていない。


 そんなことは分かっていたし、自分も、頼られるほどのことをしていないことも、自覚していた。けれど――ちょっとだけ、悔しかった。


 リスクを背負ったと焦ったのがバカみたいで、真樹は、それまでとは別の不機嫌さを腹の底に押さえつけるのだった。


「それじゃあ」

 別のことを考えようと思い、真樹は、自分が知っている範囲での疑問を吐く。


「行方不明になった二人も、誰か、連帯保証人を連れていたんでしょうか」

「いや。それはないと思う」

 あっさりと匡は首を横に振った。


「さすがにそれで行方不明になっていたら、相方が騒ぐだろう。それがないってことは、問題の二人は、パートナーを用意できなかったってことだ。連帯保証人ってのは、金融業者だけじゃなく、債務者にとっても『保険』になるんだよ」


 相方と一緒に乗るというのは、身を守る最低条件ということだ。

 それを考えると、自分がいるだけでも、匡は多少なりとも身を守られているということにつながるかもしれない。いや、匡ならばその程度の危険、自力で乗り越えられると思うけれども――それでも、少しでも役に立てているという事実が、真樹の心を多少なりとも軽くするのだった。


「さて。日付も変わったな」

 部屋の電子時計が二十四時を表示している。

 カジノの開始が九時過ぎで、それからもう三時間は経過している。そろそろ、賭場も盛り上がり始めているころだろう。


 これから出かける準備をしながら、匡は真樹に語りかける。

「初日だから、みんな軽く慣らす程度だと思うが、ここで真樹ちゃんに重要な役目がある」

「重要? なんですか」


 気のない風に返事をするが、内心ドキドキだった。


 匡の言う、重要な役目。


 内心の期待を悟られないよう、必死に興味のない風を装い、匡の言葉を待つ。

 腕時計をつけ、ジャケットを羽織り、いつもと印象の違う姿をしながら、匡は真樹に対して、茶目っ気たっぷりにこう言った。



「真樹ちゃんには、朝までに、頑張って百万スってきてもらう」



※ ※ ※



 本来、クルーズ客船に備えられているカジノルームというのは、せいぜい定員が百人くらいの小さな物らしいが、このサングローリー号は、一見大ホールと見間違えるような広さを遊戯施設としてとっている。


 船の後部寄りに、三階と四階をぶち抜くような形で作られた二層構造のアミューズメント施設。三階は主にスロットなどのメダルゲームがメインで、にぎやかな音と電光に満ちている。

 その三階の中央から左右へ環状に伸びる階段を上ると、四階にはカジノの基本的なゲームが提供されている。

 端にはドリンクサービスとしてカクテルバーが複数用意されており、軽食をとることが可能なのだそうだ。


 百万負けて来いと、言われた。


 要するに、ギャンブルで負けて来いと言われたのだ。

 それも、できるだけ派手に。わかりやすい形でと、言われた。


 もともと賭け事が好きではない真樹からすれば、こんな大金を無駄にすることを考えると足がすくむ気がした。

 手元にあるIDカードには、残高として百万の表示がされている。無機質なデジタル数字はその金額の重みを感じさせないがゆえに、恐ろしい。


「ま、ペース配分考えずにやってりゃ、百万なんてすぐに溶けるよ。ちなみに、負けやすいのはスロットだけど、いかんせん一度の賭け金が少ないのが問題だ。やっぱり大負けするには四階の方だが……そうだな。真面目にやって負けるなら、やっぱポーカーか。ポーカーのルール知ってる?」

「い、一応」

「なら、最初にスロットをしばらくやった後で、ポーカーに挑戦、って流れでやってくれ。スロットで勝ちそうになったらポーカーに移るってことで」

「え、ちょっと、近江さん!?」

「そんじゃ、おれはおれで、やることあるから」


 そう言って、匡はさっさと四階へと昇っていく。

 あとに残された真樹はというと、パチスロの台のあるエリアで、耳が痛くなるような騒音にさらされながら、呆然と立ち尽くすしかない。

 結局、何故負けなければいけないのかも知らされていない。


「なんだって言うんだろ」


 釈然としないまま、真樹は身近にある騒音に目を向ける。

 スロットの台が無数に並んでいる中で、すでに何人もの客が台に座って遊んでいた。まだ始まって三時間くらいだろうに、熱中して台にかじりついている者もいる。そんな人の姿を見ると、どうしても自分の父の姿を思い出すのだった。


 父は、面白いように負けていた。

 自分も、アレの真似をすればいいだけの話なのだろう。


「まあ、勝つのは難しくても、負けるのなら」


 そうつぶやきながら、真樹は適当なスロットの台に座った。


 台をはじめに観察する。

 どうやって遊ぶのかよくわからないというのが理由だったが、見た目はゲームセンターにあるメダルスロットと変わらない気がする。

 クラシックスロットと呼ばれる、リールが三本の、日本人が見慣れた形のスロット形態。

 ゲーセンにあるものはアニメのキャラなどが使われたものが多いが、ここはいろいろなマークが並んでいるという点が、違うと言えば違うか。


 台の右わきに、カードを挿入する穴があった。そこにIDカードを差し込んでみると、下の方にあるランプが三つ点滅した。

 それぞれのランプの横には、『1000・3000・5000』という表示がある。単純に考えて、千円、三千円、五千円ということだろう。


 ちなみに、このクルーズ内のカジノでは、基本通貨は日本円だった。そこが外国のカジノと違うところであり、限りなくグレーゾーンであるゆえんでもあるのだが、面倒なドル計算をしなくていいという点で、楽だな、と単純に真樹は思っていた。


 自分は負けなければいけないのだから、かける金額は高い方がいいだろう。そう思い、真樹は気軽に五千のランプをタッチする。


 画面の上部に『50』という表示が現れる。それを見て、もう一度五千のランプをタッチしてみた。『50』が『100』に増える。どうやらコインの枚数を現しているらしい。ワンコイン百円ということだが、このレートが高いのか低いのかは判断に困った。


 一度IDカードを排出するボタンを押すと、IDカードが手元に戻ってくる。カードに印字されている数字が『990000』になっている。これで一万円を台に投入したことになるのだろう。


 台の手前にあるボタンが、ベットするコイン、つまり賭けるコインの枚数を示していた。種類は、1枚、2枚、3枚の、三種類。

 単純に枚数を早く削れるようにと思って、三枚、つまりマックスベットを選択。



 スロットが回り始める。



 真樹の知っているスロットは、回した後に自分の手でその回転を止めるものだった。実際、日本国内にあるスロットの大半がそういったシステムだが、カジノにあるスロットはそうではない。

 実際のカジノにあるものは、掛け金を選択してリールを回した段階で、出る絵柄は決まっているのだった。プレイヤーにできることは、掛け金を設定し、回転を開始するだけ。完全に運を試されるゲームなのだ。


 数秒で回転が止まる。


 案の定、三つのリールは、まったく別の絵柄を表示している。


 ためらうことなく、真樹はそのままもう一度、マックスベットを選択する。

 スロットが回る。

 ぐるぐる、ぐるぐる。

 真樹はただ、出た目を観測することしかできない。


 単調な作業だが、それ故に負けているという感覚はなかった。もとより、負けろと言われているのだから問題はないが、投入した一万円は、次々に溶けていく。


 しかし、ギャンブルというのは、勝ちたいときには勝てないものだが、負けたいときに限って負けられないものでもある。無欲というのはいわば幸運を呼ぶ青い鳥であり、それにつられて女神は気まぐれを起こす。


 投入したコインの残り枚数が十枚を切った時だった。


「ん?」

 これまで順調に進んでいたスロットが、ここにきてマークをそろえた。

 じっと、真樹はラインを見つめる。

 中央のラインにマークがそろっていた。その三つのマークは、まるで特別な意味なんてないかのように真樹の瞳に映る。



 左から、7、7、7。



 7が、三つ?


「んん?」

 これはもしや、と思ったのもつかの間だった。



 トゥートゥートゥンッ!



 いきなり台が派手な電飾で光り出し、それとともに軽快な音を鳴らし始めた。


「な、え? 何っ!? ええッ?」

 音とともに、コインの枚数のカウンタがどんどん上がっていく。残り十枚だったのが、百枚に、二百枚に、三百枚に――そして、やがて千枚を超える。


 台の上部にある画面には、派手な文字で『JACKPOT!』と表示されている。音は鳴りやまない。コイン表示のカウンタが上がるたびに、軽快な音が鳴り響く。もはや壊れてしまったようなものだ。何が何だかわからずに、おろおろと真樹は視線を漂わせる。


 そこに、大きな声で祝福がかけられた。


「おめでとうございますッ!」


 いつの間にか、すぐそばに店員が来ていた。カジノの制服を着たボーイは、台の前に座っている真樹のそばに近寄ると、さっとその手を取り、盛大に掲げあげる



「本クルーズ最初のジャックポットが出ました! 幸運を引き当てたのは、この麗しい女性です! みなさん、盛大な拍手を!」

「え、その。あの……」


 戸惑う真樹を尻目に、周りはどんどん盛り上がっていく。

 気が付けば、周りには人だかりができていた。

 店員の声に導かれた者もいれば、軽快な音に連れられて来た者もいる。人だかりはさらに人の興味を引き、カジノ開帳からわずか三時間で出た大当たりに、多くの人間が集まってきていた。


 降って湧いたような目の前の出来事におろおろしながら、真樹は周りを見渡しながら、ついついすがるような気持ちで匡の姿を探す。


 離れた位置に、呆れたような顔が見えたような気がした。



※ ※ ※



「なんで初日にジャックポットなんか出せるんだよ」


 心底から呆れ返ったという声で、匡は開口一番にそう言った。

 二人は客室に戻ってきていた。

 盛り上がってしまったカジノに居続けるだけの精神力がなかった真樹は早々に部屋に戻り、そのあとを匡が追いかけてきたという形である。


「少しくらいは勝つかなとは思っていたけど、まさかジャックポット出すとは思わなかった。無欲って怖いな」

「その、ジャックポットって?」

「スロットの大当たりのことだよ。普通こんな簡単に出るもんじゃねぇよ。まあ、台選びがよかったんだろうが」


 結局、コインは五千枚にまで膨らんだ。


 千枚を超えるとコインの排出ができないらしく、そのあと店員に連れられ、現金を用意された。その金額、五十万である。


 すぐにその金は、匡の用意している通帳に納金し、現在、真樹の手元にあるのは、スロットに入れた一万円を引いた、九十九万円である。


「ちっ。失敗したな。ビギナーズラックのことを甘く見てた。このレベルのビギナーズラックがあるんなら、もう少し待ってプログレッシブマシーンでもやらせりゃよかったな。そしたらあとの四日、遊んで過ごせたのに」


 すごく悔しそうな顔でぼやく匡が、聞き慣れない単語を口にした。


「ぷろぐれっしぶましーん?」

「あー。賭け金が積立式のスロットのことだよ」

 ひらがなで疑問を口にした真樹に、匡が丁寧に教えてくれる。


「要は、負けた奴のコインを全部溜めてて、大当たりが出たら全部排出するっていう台だ」


 一般的に、カジノのスロットで億万長者になったりするエピソードは、この形式のスロットで大当たりを引いた場合である。

 同じ種類の台すべてがつながっており、そこに投入されたコインのすべてが、大当たりの際の賞金として積み立てられるのだ。


「このカジノで言うと、二百台くらいのマシーンをつないだのがある。今の積み立てが百万単位だったから、挑戦するならそっちの方がよかったかもしれん」


「で、でも、勝ったには勝ったんですし、いいじゃないですか」

「勝ちっつっても、こんな小勝ちじゃな」


 五十万を小勝ちと言い切ってしまう匡だった。


 しかし、彼らが最終的にどうにかしなければいけない金額である三百万(実態はもっと膨れ上がっているが)、さらにはこのクルーズのためにこさえた借金の五百万のことを思うと、彼の言葉も的外れではない。


 時刻は午前二時だった。


 夜が深まってきたころで、言ってしまえば一番盛り上がる時間帯とも言える。真樹が大当たりを出したおかげか、彼女が去った後のカジノルームでは、初日では考えられない盛り上がりを見せているのだった。


「今日はもう無理だから、仕方ねぇし明日またやるか」

「や、やるって。また負けるようとするんですか……?」


 ちょっとだけ抵抗を覚えながらそう言ってみる。

 せっかく勝ったのに、それをまたスらなければいけないということに、抵抗があった。降って湧いた話とはいえ、一度勝ってしまったものだから、真樹の中にちょっとした欲が生まれているのだった。

 そんな真樹を見透かすかのように、匡は冷静な目で彼女を観察し、ふっと苦笑を漏らす。


「いや。そうだな。作戦変更だ」

 くつくつと笑いながら、匡は言う。


「どうやら真樹ちゃんは最高にツいてるらしいからな。なら、その幸運に乗っかろうじゃねぇか。さっき言ってたプログレッシブマシーンにありったけ突っ込んでみようぜ。うまくやりゃあ、成瀬の分まで勝てる」

「そ、それじゃあ!」


 ぱあ、と。真樹の表情に喜びが浮かぶ。


「おう」

 ニヤリ、と。

 怪しい笑みが匡の表情に浮かべられる。


「この際だ。全力で勝ちに行け、真樹ちゃん」



※ ※ ※



 夜が明けて、朝食後の午前九時。


 カジノの目玉の一つであるプログレッシブマシーン。レートはワンコイン五百円という、この船の四階にあるスロットの最高レートであり、それ故に、非常にギャンブルとして盛り上がる台でもあった。


 昨夜の盛り上がりによって、現在の積み立ては最高九百万に上っていた。


 そんなスロットに、昨夜、女神の微笑みを受けた女性が、付き添いの男性を連れて座っていた。

 もちろん周囲には野次馬が集まる。

 少しでも幸運にあずかろうとでも思っているのか、はたまた幸運の女性がミラクルを起こすのを期待しているのか。

 野次馬に囲まれた中で、男性が声援を飛ばす。


「ほら、そこだ真樹ちゃん! 次もマックスベットだ!」

「ああ、惜しい! あと一個! 畜生なんでそろわねぇんだ!」

「やれ! 行ける! 気合いを入れたら勝てる! 頑張れ真樹ちゃん!」

「スロットは気合いだ! 念だ! 信じるんだ、自分は勝てるって信じろ!」

「ここで止めたら負けだぞ! まだチャンスはある! 最後まであきらめんな!」




 真樹は嬉しかった。

 匡から声援を受けて勝負をするというシチュエーションが、真樹にとっては嬉しくて仕方がなかった。


 だから――調子に乗った。


「はいぃ! 頑張りますよぉ! 真樹、行きます!」






 結果。





 七十万負けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る