Chapter 1:Part 03 八神統哉の新しい事情

 さて、朝っぱらからの一騒動が落ち着いた後、特にやる事もなかったので、統哉は昼まで休ませてもらう事にした。昨夜の疲れが残っていた事と、朝っぱらからエグいアニメを見てしまったせいだ。もっとも、原因の七割は後者だったりするが。

 急遽居候になった例の少女には一応、適当に寛いでいるように言っておいた。彼女は「わかった。何かあればすぐに呼んでくれ」と言ってリビングに留まった。

 そして時刻は正午になった。

「…………腹が空いたな」

 空腹感で目が覚めた統哉は昼食を作るため、簡単に着替えを済ませて一階に下りた。するとそこには――


「お、ぐらふたぬーん」


 そこには相変わらずシャツ一枚という刺激的な姿でソファーに寝転がり、麦茶を片手に持ち、コミック誌を読みふける堕天使ルシフェル――ルーシー・ヴェルトールの姿があった。そのだらしのない姿は、統哉が思わず自分の目を疑ってしまうほど違和感がなかった。彼女は外国生まれの日本育ちだと言っても違和感がない気すらした。しかしなぜ親指と小指でコミック誌を挟み、艶めかしい動作でページをめくるのだろうか。どうにも統哉にはそこが理解できなかった。あれでは指に相当な負荷がかかるのではないだろうか。

 ソファーの周囲にはスナック菓子やジュースの空き缶やペットボトルが散乱していた。こいつ、本当に堕天使なんだろうか。統哉の目にはグータラなダメ人間にしか見えなかった。

 そして、シャツの胸元からはふくよかな谷間が覗いており、なかなか発育がいい事がわかる。思わず見とれてしまっていた統哉は慌てて視線を逸らした。

「……お前、適当に寛いでいてくれとは言ったが、それはいくらなんでも寛ぎすぎじゃないか?」

 統哉が呆れながらツッコむ。それにルーシーはコミック誌から目を離し、統哉に顔を向けた。相変わらずコミック誌は親指と小指で挟むという奇妙な持ち方をしていたが。

「何かおかしいか? 仲間から日本のホームステイ先ではこうやるのがマナーだって聞いたのだが?」

「誰だそんな間違ったマナーを教えた奴は」

「誰って、ベルフェゴールだが?」

「おいベルフェゴール。もし会う事があったらその時は歯ぁ食い縛らせた上でそんなマナーを修正してやる。ルーシー、それはぐうたらな奴のマナーだ」

「なんだ、ならば何の問題もないな。それに言っただろう? 契約により私はここを仮住まいとさせてもらった。実家に帰ってきたようなもんだよ。どうぞ気を使わずに我が家だと思って気楽にしてくれ」

「いやそれ主人の台詞だから……ああもう、そうじゃなかった、これから俺は昼飯を作るんだが、お前はどうす……」

「――待て、統哉」

 急にルーシーが統哉の言葉を遮った。その表情は真剣そのものだ。

「ど、どうしたんだよ?」

「侵入者だ」

「なんだって!? 一体どこに……」


 きゅ~。


「……アハ~。そっか、侵入者は腹の中の方か」

 堕天使の腹から、可愛いらしい腹の虫の声が聞こえた。

「……おいコラ、脅かしやがって。で、さっきの質問の答えは聞くまでもなかったようだな。それにしても、堕天使でも腹が減るものなのか?」

 その問いに、ルーシーは頷いた。

「いやさ、さっきも言ったが、今の私は天使ではなく、人間の姿をした器に魂と魔力を移した存在だ。それに昨日の戦いで消費した、たたでさえ少ない魔力が今やすっからかんの状態だ。さらに付け加えると、昨夜私は付きっきりで君の様子を見ていたため、ほとんど飲まず食わずの状態で、食事はさっきのトーストだけだ。そしてこれは食事さえ摂る事ができれば回復できるに違いない。つまり単刀直入に言うと腹が減った飯を食わせろ」

 単刀直入を通り越して最早傲慢である。流石ルシフェル。七つの大罪の一つ、「傲慢」の称号は伊達ではない。とはいえ、自分も腹が空いている事には変わりない。統哉は溜息を一つついた。

「……わかったよ。少し待っててくれるか?」

「あいよー」

 気の抜けた返事をし、ルーシーはコミック誌へと目を戻した。

 キッチンへ足を運び、食材を確かめてみると、ちょうどパスタとトマトの水煮缶、合挽き肉があったので昼食はスパゲッティミートソースに決定した。二人分を手早く作って食卓に運ぶ。

 あとは昨夜の夕食で余ったご飯を皿に軽くよそい、レンジでチン。後はフォークと箸、飲み物に紅茶を用意して、はい、これで昼食完成。

 両親が亡くなってから、一人暮らしを余儀なくされた統哉は必死に独学で料理をはじめとした家事を勉強した。そのおかげで今では自分で言うのもなんだが、納得がいくレベルの料理を作れるようになってしまった。

 具体例を挙げると、高校時代の家庭科の調理実習において、何の気なしに有り合わせの食材を用いてハイレベルなランチをこしらえてしまった事から同級生や家庭科教師を仰天させてしまった経緯を持つ。

 今日もいい感じに昼食ができた事に満足気に頷いた後、統哉はリビングでコミック誌を読んでいるであろう堕天使に声をかけた。

「できたぞー」

「私、参上!」

 瞳を輝かせて、ルシフェルは生体時間加速クロックアップでも使ったかのような超スピードで食卓に着席した。

「ん~、いい匂いだ。これ食ってもいいかな?」

 目を輝かせながらパスタの乗った皿を持ち上げて尋ねるルーシー。

「こぼれるこぼれる。念のために言っておくけど激辛じゃないぞ?」

「大丈夫大丈夫。私は辛い食べ物も嫌いじゃない、嫌いじゃないよ。大事な事だから二回言ったぞ」

「それは何より。それじゃあ、いただきます」

「いただきますっ!」

 目の前の堕天使はご丁寧に両手を合わせた後、フォークを手にし、手早くスパゲッティを巻き取ると口に放り込んだ。

 しばらく咀嚼していると、ルーシーの動きがぴたりと止まった。もしかして、口に合わなかったのだろうか。不安になった統哉が声をかけようとしたその時、ルーシーがパスタを飲み込んだのが見えた。そして――


「……ンまあぁ~いっ!!」


「うわっ!?」

 いきなり勢い良く立ち上がって叫んだルーシーに統哉は驚き、危うく椅子ごとひっくり返りそうになった。

「さっぱりとしたトマトソースに挽き肉のジューシー部分が絡みつく旨さだ! トマトが挽き肉を、挽き肉がトマトを引き立てる! ハーモニーっていうのか、味の調和っていうのか! うおぉ、味に目醒めたーっ!」

 両拳を握りしめ、一気に上へと突き上げるルーシー。

「あぁ、ここまで美味い料理を食べたのはいつ以来の事か……料理好きで七つの大罪の一つ、『暴食』を司るベルゼブブの作った『ベルゼアディナー』や、その部下で『地獄の料理長』の称号を持つニスロクお手製の『ダンテの神曲☆地獄ドッコイパフェ生命の樹の実添え』と同じくらい……いや、それ以上に美味い! 何故だ!?」

「知らねえよ。それに大げさだな。それに何だよその妙ちきりん極まりない料理名は」

「『ベルゼアディナー』は、見た目は定食屋の一番安い定食よりも素朴なのに、とにかく全てがいけてないフルコースディナー……もとい定食だ。味はとてもいいんだがな。で、『ダンテの神曲☆地獄ドッコイパフェ生命の樹の実添え』は、かつて地獄を旅した詩人であるダンテに敬意を表してニスロクが考え出したドデカいパフェでな、プリンやババロアなど、全九層からなるパフェに生命の樹の実を添えた至高の一品だ。そうそう、生命の樹の実はナツメヤシに味が似てたぞ」

 予想してはいたが、その斜め上を往くカオスぶりだった。

「……聞いた俺が馬鹿だった。でも、それだけすごい奴らと俺の簡単料理が肩を並べられるとは思えないが」

「いや、本当に美味いよ、これ。そんな若さでかつ、あるだけの材料で、ここまでの料理を作れるとは驚きだ。本当に、涙ぐましい努力を積み重ねてきたんだろうな。まったく、料理男子はモテるぞ? 今話題の、朝のニュース番組でやってる料理コーナーでオリーブオイルをドバドバぶっかける仕事に就く権利をあげてもいいくらいだ」

「謹んで辞退する。儲けにならないだろ」

「まあ、お喋りはこの辺にして食べよう食べよう」

 とにかく彼女は食べる事に夢中だった。

 フォークと箸をやけに手慣れた手つきで取っ替え引っ替えしながら、子供のように料理を口いっぱいに頬張り、満足気な表情を浮かべている。

 特に箸の扱いは統哉の目から見ても、日本人以上に美しいものだった。まるで、生まれた時から礼儀作法を徹底的に叩き込まれた大和撫子のようだった。




 それから二人は特にする事もなかったため、家の中で適当にグータラと時間を潰した。

 時間は過ぎて夕方、時刻は五時過ぎ。統哉はなんとなくテレビをつけて地元ローカルテレビの局にチャンネルを合わせた。すると――

『陽月島の住宅街近郊にあるこの山の頂上に、突如、巨大なクレーターが出現しました!』

 大声でまくし立てる若い男性リポーターの姿が映し出された。そして、その背後には昨夜統哉とルーシーが出会ったクレーターが映し出されていた。

『クレーターを見に来た近隣の住人からは、宇宙人が地球にやってきたのではないかという声や、何者かが一晩でやってくれた大掛かりな悪戯ではないかという声が上がっています! また、昨夜は不審な物音が聞こえたり、不審人物の目撃情報もない事から、この事態の奇妙さに拍車をかけています! この事態の究明に警察や専門の学者が調査に――』

「……………………」

 ぷつん。

 統哉は無言でテレビを消した。そしてルーシーに向き直る。

「アハ~」

 そのクレーターを作り出した元凶は目の前で笑っている。殴りたい、この笑顔。

「……で? どうするんだよ、あれ? 申し開きがあるなら聞くぞ?」

「……成り行き任せ?」

 にへらとした、どこかしまらない笑顔で返された。

「おい」

「だって仕方がないだろう。事前に『何月何日の何時何分何秒にここに落っこちますんで誰も近づかないで下さい』って予告する事なんて、いくら私でも無理があるってものだ。むしろ、謎のクレーターとして扱ってもらった方がこっちも気が楽だし、ちょっとした名所になるかもしれないだろ?」

「じゃあ、あそこにあった見晴らし台はどうするんだ? 誰が? どうやって修理するんだ? その金はどうする?」

「……う~ん、市税? それに昨今の土木業者はすごいのだろう? 『業者が一晩でやってくれました』みたいな感じの超スピードで修理してくれるに違いないさ」

「……お前って奴は……」

 統哉は呆れ果て、溜息を一つつくしかできなかった。

 その時、テレビの時計が五時半を示した。

「お、そうだ。日曜五時半にはあれを見ておかないと、気になって夜も眠れない」

 そう言ってルーシーはチャンネルを変えた。切り替わった画面には、色とりどりの着物を着た落語家達が積み重なった座布団に座っている姿が映っている。

 それは提示されたお題に対して落語家達が様々な答えを返していくもので、いい答えには座布団をあげ、悪いとふんだくる老舗の演芸バラエティ番組だった。付け加えると、司会者の悪口を言ったら全部没収、逆に誉めちぎったら増し増しでくれるという、実にわかりやすい構図も有名である。

 今日も早速、黄色い着物を着た落語家がギャグを言おうとした矢先、司会者に先に答えを言われてうなだれる姿が映し出された。

「ぶははは! 相変わらず黄色い人のギャグは先読みしやすい! 流石、『落語界の黄の節制イエローテンパランス』と呼ばれるだけの事はある!」

「呼ばれてねーよ!」

「そして、紫の人の腹黒さもいい! 流石、『落語界の隠者の紫ハーミットパープル』と……」

「呼ばれてない。そして司会者は『落語界の法皇の緑ハイエロファントグリーン』なんて呼ばれてないからな」

「……人のボケを先読みするなんて……そんな事言う人、嫌いです!」

「言ってろ」

 頬を膨らませるルーシーを軽くあしらいながら、やっぱりこいつ、外国生まれの日本育ちな、中二病女なのではないだろうかと、つくづく統哉はそう思った。

 そして、どうして自分はこいつのボケに対して即座にツッコまなければならないのだろう。ある種の使命感に似たものに突き動かされているようだと、頭の隅で感じていた。




 そしてさらに時間は過ぎ、時刻は夜十時過ぎ。

 あれからあり合わせのもので夕食を作り、ルーシーに三ツ星をもらい、その後はグダグダとテレビを見たりコミックを読んだりして過ごしていた。

 だが、その間にもルーシーはボケをかましまくるので、統哉はその都度ツッコまざるを得なかった。とにかくルーシーはちょっと目を離した隙にボケまくるので一時の油断もできなかった。まるで一つの罠を解除して安心していたら、すぐ目の前で二、三個の罠を設置しているのを目撃してしまうような、そんな感じだった。

 無視しようと思えばできたが、なぜか統哉の本能的な何かがそれを許さなかった。おかげで、二度寝によって回復した体力と気力が一気に下がってしまった。

(……あー、くそっ。すげえ疲れた……。なんであいつは事ある毎にボケるんだ? それに対してツッコむ俺も俺だけどさ。こうなったらせめてシャワーを浴びてさっぱりして、寝よう! うん、それがいい! よし、そうと決まれば早速……)

 統哉が気持ちを切り替えて、風呂場に向かおうとした矢先――

「統哉、ちょっち出かけないか?」

 彼の淡い期待は堕天使によって打ち砕かれた。

「……こんな時間に? どこへ? 今からシャワー浴びて寝るぞって時にか?」

 突拍子もない提案をしてきたルーシーに、統哉は不機嫌さを全面に押し出した訝しげな顔を向ける。そんな彼にルーシーは――


「訓練だ」


 まるで近所のコンビニへの買い物に誘うかのような気軽さに笑顔を添えて、そう宣言した。

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