Chapter 1

Chapter 1:Part 01 部屋と堕天使と事情説明

「……う……ん……?」

 統哉が目を覚ますと、見慣れた白色の天井がぼやけて映る。

「……あれは、夢……だったのか……?」

 目覚めたばかりで全くといっていいほど働かない頭と体をなんとか動かし、ゆっくりと辺りを見渡す。ベッド脇の目覚まし時計に目をやると、午前七時を回ったところだった。

 さらにじっくりと周囲を見渡す。日頃から整理を怠らない机。机の上には大学に入学する前に買ったノートパソコン。そして自分が使っているベッド。総じて言えば、やや殺風景なところ以外は特徴のない、至って普通な自分の家の、自分の部屋だ。

 何もかもが見慣れた風景。しかし、何かがおかしい、よく分からないが、間違っていると統哉の脳が訴える。

 その違和感が一体何なのか、執拗に手招きしてくる二度寝の誘惑に統哉が抗いながら考える事、約十分。

「…………ん?」

 ようやく目が覚め始めた統哉は現状の違和感に気付いた。同時に、もやがかかっていた意識が本格的に覚醒してきた。

「……どうして、俺は生きているんだ……?」

 そう、本来ならば自分は昨夜の時点で死んでいるはずなのだ。




「……よし、まずは落ち着いて状況を整理してみよう」

 頬を数回叩き、半ば強引に意識を覚醒させた統哉は昨日の出来事を思い出してみる事にした。

「確か……裏山に流れ星が落ちて、なんだかそこにどうしても行かなければいけないような気がしたから裏山に向かって、そうしたら化け物と出くわして、そいつらに殺されかけたところを変な女の子に助けてもらって……それから……あれ?」

 何故か、そこから先が思い出せない。もうほとんど思い出しているはずなのに、どうしても最後のピースが見つからない。

「……ぐああ……っ!?」

 無理に思い出そうとすると、激しい頭痛が統哉を襲った。まるで体が思い出したくないと叫んでいるように。

「お、おおおお……っ!?」

 しばらく耐えると、波が引くように痛みが治まっていく。しかし、再び思い出そうとすると、再び頭痛が襲ってくる。

「……くっ……これは、考えない方が良いのか……?」

 体がここまで拒絶するという事は何か深い理由があるのだろう。統哉はそう判断してこの件はもう考えないようにしようと頭を切り替えた時――


「やあおはよう、目が覚めたか。気分はどうだい?」


 探す事を放棄したばかりである最後のピースは、ワイシャツ一枚という格好に、トーストをかじりながら現れた。

「……大丈夫だ、問題ない」

 そう言いながら顔を上げた統哉が固まる。わずかな間があり――

「……いや、皿ぐらい使えよ行儀悪い。皿なんて洗えば済む話だし」

 統哉がツッコむ。それから、しばらくの沈黙があった。

 統哉の頭の中でカチリ、と音を立てて最後のピースがはまる。そして――


「…………って、違う違う、ちが――――――うっ!!」


 朝一番、統哉は絶叫したのだった。




「……やれやれ、朝から大声を出さないでくれ……。私の耳がぐわんぐわんと悲鳴を上げているぞ……」

 少女が耳を押さえながら抗議する。ついでに大声に驚いたのか、触覚めいたアホ毛がぴーんと立っている。

「あ……悪い! ……じゃなくて、どうして俺は家にいて、どうしてお前が俺の家にいるんだよ!?」

 その問いに、わずかに残っていたトーストを飲み込んだ少女はむう、と頬を膨らませた。立っていたアホ毛も元通りに、途中でカーブしたいつも通りの角度に戻っていく。

「あのな、あの後気を失ってしまった君をわざわざ家まで運んで、何があってもいいように一晩中付きっきりで様子を見ていたのは私だぞ? 少しくらい感謝してくれてもいいんじゃないか? あ、それと勝手で申し訳ないが、寝間着代わりのシャツとタオルケット、借りたぞ」

 なるほど、床にはタオルケットが丁寧にたたんで置いてある。

「そ、そうだったのか? あ、ありがとな」

 少女が自分を家まで運んでくれた上に一晩中介抱していてくれた事を知り、統哉は慌てて少女に礼を言った。

 しかし、ドレス越しからではわからなかったが、ワイシャツ一枚だけだと、少女は華奢な体のわりに出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる、なかなかのスタイルだった。

 これはこれで、青年の目に毒だった。




「よし、改めて状況を整理してみよう」

「よっしゃ」

 統哉が言うと、少女も頷いた。

「確か……裏山で化け物と出くわして、そいつらに殺されかけたところをお前に助けてもらって……それから……」

「その化け物――天使から私を庇ってくれて、死にかけた」

「……ああ、だんだん思い出してきた。そして……」

「君は私と契約を結び、君は生き永らえる事ができた」

「……そうだ。あの時……」

 統哉の脳裏に昨夜の出来事がフラッシュバックする。

 そうだ。自分はこの少女と契約を交わし、力を与えてもらった事で、生き永らえる事ができたのだ。

 そして、自分に宿った人智を越えた力。その力で自分は窮地を脱し、今こうして自分の部屋にいる。

 統哉は納得したように頷いた。

「状況整理はこのくらいか……いや、そういえば、まだはっきりしていない事があったな」

 統哉は少女を見つめた。

「……『悪魔で天使』だっていうお前は一体、何者だ?」

 統哉が重要な疑問を少女にぶつけた。

「ああ、そういえばまだ、お互いに自己紹介をしていないな」

 そう言って、少女は咳払いを一つすると、

「私の名前は、元・天界の真天使、ルシフェル。あ、真天使っていうのは、熾天使よりも上の階級な。その魂の目覚めは凄まじく、戦わなければ生き残れない疾走する本能が今、その力と共に展開し、時を越えて参上した私は日頃から鍛える事を忘れず、天の道を往き総てを司り、運命の鎖を解き放ち、全てを破壊し全てを繋ぐ堕天使だ! ちなみに好きな漢字は『もえ』だ! 異論は認めない!」

「キャッチコピー長いなおい!? というか、色々とどこかで聞いた事があるぞそのキャッチコピー! つか最後の好きな漢字とか今は重要な事じゃないだろ!」

「ははっ、まあいいじゃないか。何はともあれ、よろしくな」

 統哉のツッコミにも動じず、ルシフェルと名乗った少女は芝居がかった動作にウィンクを添え、アイドルがファンと握手をするかのように、手を差し出す。

 統哉もノリから少女の手を握ろうとした時、統哉はある事に気付き、手を止めた。

「……って、ちょっと待ってくれ! ルシフェル!? 堕天使!? マジかよ!?」

「ああ、本当だ。マジもマジ、大マジなんだ」

 目の前の少女はあっさりと頷いた。




 ルシフェル。神によって最初に創造された天使とされる。

 一説によると魔王サタンと同一視される存在であり、キリスト教における「七つの大罪」の一つ、「傲慢」を司る者。かつて神と肩を並べるほどの力を持ち、そして、神に反逆し、堕天使となった過去を持つ存在。

 そんなどこの世界でも有名で、最強と呼ばれている者が目の前にいる。ぱっと見、とても堕天使には見えない、普通(?)の少女だ。

 強いて言うなら、日本人とは明らかに違う顔立ちに腰まで届く長い銀髪(プラス昆虫の触角のようなアホ毛)と、金色の双眸が自分とは決定的に違う点だ。それでも外国人と言われればそうとしか見えないが。

 しかし、統哉は実際に見て、経験してしまったのだ。目の前の少女が人智を超えた力を振るう様を。そして自分もまた、人智を超えた力を振るった事を。

 あれは紛れもない現実だ。いくら否定しようが、事実が絶対に覆る事はない。統哉は過去の経験から身をもってそれを学んでいた。

 しばしの沈黙の後、統哉は自分を納得させるように数度頷き、口を開いた。

「――――わかった。お前がそのルシフェルだという事は信じるよ」

 ルシフェルはぽかんと口を開けた。統哉の言葉が意外だとでも言いたげな表情だ。

「……君、私が言った事をあっさりと信じるのか? 普通、でたらめだとか、こいつ、電波系かとか思わないのか?」

「ああ。あそこまで、自分の常識を超えた体験をしたら信じるしかないよ。つーか、あの時も俺、電波系どころか中ニ病って言っただろ」

 統哉の言葉に、ルシフェルは苦笑する。

「ふふ、そうだったな。ふむ、君はなかなか現実を受け入れやすいんだな。君のような人間に会ったのは初めてだよ。てっきり私は、『ウゾダドンドコドーン!』って否定するかと思っていたが」

 ルシフェルが感心したように頷く。

「……何語だよ、それ。でも、ちょっと待ってくれよ」

「ん? どうした?」

「ルシフェルっていうのは、簡単に言うと、レベルが四桁で、体力が七~八桁はあるような凄い奴だろ。そんな大物がどうしてこんな所にいるんだよ?」

「例えが凄まじいが、まあだいたい合ってる。で、そんな私がどうしてここにいるのか……」

 その問いにルシフェルは目を伏せ、大きな溜息をついた。

「それについては深い理由があるんだ」

「……お前さえ良ければ、話してくれないか?」

 ルシフェルは頷き、静かに語り始めた。

「私はある探し物のために、別の世界からこの世界までやってきた」

「別の世界……だって? 確かに、あんな空から落ちてきた物体の中から出てきた時点で普通じゃないし、俺は最初、てっきり宇宙人かと思っちまったよ」

「まあ、そう思われてしまうのは仕方がないな。そうそう、探し物とは、私が堕天し、『神』と争った後に失われたものなんだ」

「神と争ったって、やっぱり堕天に絡んだ事か?」

「ああ」

ここで、統哉に疑問が生じた。

「……じゃあ、なんでお前は堕天して、神様とやらに戦いを挑んだんだ? やっぱり神様と仲が悪かったからなのか?」

「……それは……」

 統哉はふと思いついた疑問を尋ねてみただけなのだが、ルシフェルにとってはそれが痛い所だったらしく、苦い顔をして統哉から目を逸らした。

「いや、言いたくないならいいんだ」

 これは聞かない方が良いと判断した統哉はそれ以上の追及をやめた。

「……すまない。それについては話すと長くなるし、今はちょっと話したくないんだ。でもそれについては追々話していくよ」

「わかった。次の質問、いいか?」

「ああ」

「その、『探し物』って一体何なんだ?」

 少女は咳払いを一つして、語り始めた。

「私はかつて、数多の同志と共に『神』に戦を挑み、そして敗れた。――もっとも、私もあいつに致命傷を与えてやったが。まあとにかく、『神』は最後の悪あがきとばかりに私の力を十もの欠片に分けた封印した……そのせいで今の私はレベル1も同然なんだよ」

「レベル1だって!? あれだけの天使達を蹴散らすほど強かったのに!?」

「まあ、それはあれだ。私とあいつらの経験の差ってやつさ。それにヒーローの初登場というのは派手に決めるのが鉄則だろ?」

「何の話だ」

「まあ気にするな。とにかく『神』は、私の力を十個もの欠片――<欠片セフィラ>に分かち、守護天使という強力な天使に分け与えた。守護天使の強化と、私の持つ力を二度と行使できないように。そして、私は封印された。今日に至るまでな」

「なるほどな。じゃあ、その封印された力の欠片――<欠片>というのが、お前の探し物というわけか」

 ルシフェルは頷いた。

「ああ。前の世界でも私は世界中のありとあらゆる場所をくまなく、あらゆる手を尽くして探したが全く見つからなかった。それもそのはずだ。何せ、『神』は私がいた世界とは一つ軸がずれた別世界――すなわちこの世界に<欠片>をばら撒いていたのだからな」

 ルシフェルは自虐的な笑みを浮かべた。

「……おかげでそれに気付くまでの間、私は数百年という時を生きてきた。しかし、それは決して無駄ではなかった。辛い事もたくさんあったが、同じくらい楽しい事もあった、充実した時だったよ」

 どこか遠い目をしながら、ルシフェルは語る。その金色の目に一瞬、哀しげな影がよぎった事に統哉は気付かなかった。

「……もう一つ、いいか?」

「ん? なんだい?」

「天使や悪魔には羽根が生えているものじゃないのか? でも、お前には羽根が生えていないまいたいだけどさ。それに、確か天使っていうのはいわゆる幽霊みたいな存在で、見たり触れたりする事はできないって何かの本で読んだ事があるけど、どうしてお前の姿を見たり、お互いに触れたりする事ができるんだ?」

 その言葉にルシフェルは感心したように頷いた。

「ほう、なかなか鋭いところを突いてくる。私達天使は地上で活動する事も多々あった。メッセンジャーや、武力介入といった任務でな。その時は、精神体では地上の物や人物に介入できないから、私達は状況に応じて仮初めの肉体を作る技が与えられている」

「肉体を作る……だって!?」

「ああ。その方法は……」

「あー待て待て。それ以上説明されたら知恵熱で頭がオーバーヒートしそうだから勘弁してくれ」

 説明しようとしたルシフェルを統哉が慌てて制した。

「なんだ、つまらない。せっかく私の蘊蓄うんちくフォルダが火を噴くところだったのに。まあとにかく、その肉体は魔力、知識、戦闘能力、その他諸々のキャパシティに耐えられる、自分の姿をした魂の器なんだ」

「なるほど。でも……」

 統哉がそこで言い淀む。

「でも?」

「俺はてっきり、ルシフェルって男だと思ってたよ」

「まあ、天使に性別はないしな。それに、女の姿の方が取っつきやすいだろうし、何より男達が面白いように言う事を聞いてくれるしな」

「身も蓋もないな」

「まあな。ところが封印されて力がなくなったために、私の体はこんなにちんまくなってしまった。まるで高校生探偵が小学生探偵にまで縮んでしまったかのようにな。おまけに自慢でチャームポイントの一つである背中にあった三対の翼は影も形もない。まったく、してやられたって思ったよ。その時の私の受けたショックの大きさといったら……まさか封印による弱体化に合わせて体までそれに合わせたサイズになるなんて完全に予想外の出来事だったよ。だから今君が見ている私の姿は仮の姿という事になるな」

「それじゃあ、お前の本来の姿って……?」

「そうだな、簡単に言うと背が高くてスタイル抜群、魔力や身体能力も全力全開、背中にゃ三対の大きな翼を生やしたスペシャル仕様のルシフェルとでも言っておこうか。多分、私の本来の姿を見た者は、その凄さに見とれ、絶句死してもおかしくはないな」

「……お前、自分で言ってて恥ずかしくはないのか? お前の本来の姿ってのが想像つかないんだが。そもそもなんだよ絶句死って」

「うるさいな……で、他に質問はないか? 答えられる事ならばこのルシフェルさんが何でも答えるぞ?」

「……とりあえず、一つ確認させてくれ。今のお前は、自分が答えられる範囲であれば何でも答えるんだな?」

「そうとも。私はルシフェルだからな……ん?」

 ルシフェルが何かに気付いたかのような声を漏らす。と、次の瞬間、二本のアホ毛がぴーんと直立した。その様子に統哉が思わずたじろいだその時――

「――しまった! 大変だ!」

 突然ルシフェルが血相を変え、部屋を飛び出していく。

「おい! どうしたんだ!?」

 統哉もまだ思うように動かない体を無理矢理動かし、その後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る