Prologue:Part 03 契約

「悪魔で、天使だって……? それ、本当だったんだ……」

 統哉はまだ状況が飲み込めていないという顔で呟いた。

「おいおい、君は私をなんだと思っていたんだ?」

 少女が肩を竦め、呆れた顔で尋ねてくる。

「いや、俺はてっきり、脳内設定を全面に出した電波な宇宙人だと……もしくはその、なんて言うか……中二病? ああもう、なんか俺、全然普通じゃない事言ってるな」

 もっとも、空から物体の中から少女が現れた時点で普通じゃなかったが。もしこれがドッキリだと言われても、先ほどの出来事は手が込みすぎているし、あまりにも現実離れしすぎている。ファンタジーやメルヘンじゃあないんだから。

「……電波な宇宙人? 中二病……?」

 その言葉を聞き、少女が固まる。その姿を見て、統哉は地雷を踏んでしまったかと痛烈に後悔した。

「……ぷっ、くくっ……」

 と、思いきや次の瞬間、少女は我慢できないとばかりに、体を折り曲げて、そして勢いよく背中を目一杯反らせて笑いだした。背を反らせすぎて、立ち姿がもはやブリッジのようになっているが。

「……く……くくっ……あはははは! 電波な宇宙人? 中二病? そうか! そうきたか! そりゃあいい表現だ、ぐっときたぞ、まったく! 電波な奴とか、中二病だというのは大当たりだよ! 自分でもそうだとはっきり自覚はしていたが、面と向かって、しかも予想の斜め上を行く表現で言われたのは初めてだ! あははは! まったく、面白い人間だな、君は!」

 少女はイナバウアーの姿勢で、作り笑いなんかではなく、本心から笑っていた。端から見ると、奇人変人にしか見えなかったが。

「はは……いや、すまない。久々に心の底から笑わせてもらったよ。君、笑いのセンスがあるな――おっと、いつまで腰を抜かしているんだ? ほら、手を貸すよ」

 イナバウアー状態から直立姿勢に戻った少女は、顔に微笑みを浮かべながら、統哉にそっと手を差し伸べる。統哉は少しの間躊躇っていたが、差し伸べられた手を掴んだ。その手は白くてすべすべとした手触りで、少しひんやりとしていた。

「あ、その……ありがとな」

「ふふ、どういたしまし……て……?」

 統哉の手を取って立ち上がらせ、手を離した少女が突然、目眩にでも襲われたかのようにふらついたと思いきや、その場に膝をついた。

「――おい、どうしたんだよ!? 大丈夫か!?」

 統哉は慌てて少女の側へ駆け寄る。

「……はは、しまった。長い間、力を使っていなかったのに、思いっ切り、ただでさえ少ない力を使ったせいで制御を誤ったみたいだ……めっちゃ疲れた……」

 肩で辛そうに息をし、自嘲気味に笑いながら少女が呟く。

「おい、しっかりし、ろ……!?」

 その時、統哉の目に少女の背後から、少女の飛び蹴りをまともに受け、倒れたはずの<大天使>が忍び寄り、手にした剣をその背に突き立てようとしているのが見えた。


「――やめろぉぉおおっ!」


 無意識の内に、統哉の体は動いていた。彼はとっさに少女と<大天使>の間に割って入りつつ、少女を横に突き飛ばした。

 直後、強烈な衝撃が統哉の胸を貫く。

 一瞬、時間が止まったような気がした。だが次の瞬間、言葉にできないほどの激痛が全身を駆け抜ける。

「…………っ!」

 統哉は声を上げる事さえ許されなかった。

 声の代わりに出たのは咳だった。咳き込むと同時に、口から血が吐き出される。口の中に、強烈な鉄の味が広がる。

(……ああ、刺されたな、こりゃ)

 頭の隅で、他人事のように思う。位置からするとどうやら、心臓を貫かれたらしい。

 なんとか視線を下に移すと、自分の胸から血に染まった剣が生えているのが見えた。まるで奇怪なオブジェだな、と統哉は思った。

 ふと気付くと、霞みつつある視界の端で、少女が驚愕の表情をしているのが見えた。

(……よかった……間に合ったか……)

 安堵した直後、剣が引き抜かれた。そして、統哉の体がドサッという音と共に地面に倒れる。

(……ああ、でもこれで俺の二十年ちょっとの人生もこれで終わりか……)

 統哉は夜空を仰ぐ。満月がぼやけてよく見えない。いよいよ視界が怪しくなってきたらしい。身体から力が抜けていく。

(……父さん、母さん。俺もこれからそっちへ向かう事になりそうです……)

 統哉は目を閉じた。今までの人生が走馬灯となって蘇ってくる。




 統哉の家族は両親と統哉の、三人家族だった。

 生まれた時から、この陽月島で優しい両親の愛情を一身に受け、育ってきた。

 両親は共働きで、数日もの間家を空ける事も昔からちょくちょくあったが、休みの日には遊んでもらったり、温かい団欒の時間を過ごす事もできた。

 どこにでもある、いたって普通な家庭の風景だったが、統哉にとって両親と過ごす日常は、かけがえのない、大切なものだった。


 ――――六年前に、両親を失うまでは。


 両親は死んだ。出張で出かけた先での自動車事故だったという。

 だが、正確な死因はわからなかった。ただ、警察からは詳しい原因は不明で、現場の状況からそう判断せざるを得なかった、という説明しかされなかった。当時の統哉には受け入れる事のできない事実だった。確かめようにも、遺体の確認すらできなかった。あまりにも遺体の状態が酷く、統哉の事を考慮しての措置だったらしい。免許証などの所持品や、DNA鑑定から、両親だと判断できたそうだ。

 それからというもの、統哉は独りで生きていく事になった。幸い、生前に両親が残していてくれていた遺産のおかげで、生きていく事に困る事はなかった。

 だが、それだけだった。

 両親を失った後の統哉は、自分の人生の目的や意味など考えず、ただ、毎日をがむしゃらに生きていく事だけに執着した。

 中学を出て、高校に進学した。そして、大学にまで進んだ。成績はいい方だったが、友人はいても親友と呼べる者は作らず、クラブ活動等にも参加しなかったが。

 だが結局、自分は生きる事さえもできなかった。たった今自分が助けた少女も、あのままではすぐに殺されてしまうだろう。ほんの数秒だけ、寿命を延ばしただけに過ぎなかったのかもしれない。

 そして、あの時も自分に力があれば、未来を変える事ができたかもしれない。だから、あの時から力が欲しいと強く、ひたむきに願った。

 そう、願ったのに。やはり自分は弱い人間だった。どうしようもないその事実が、統哉をさらに打ちのめす。

 ここまで自分の無力さを痛感した事はなかった。それが死の間際になって、圧倒的なまでの質量を持って重くのしかかってくる。

(また、俺は誰かを失うのか……? しかも、自分の目の前で、自分の命も……)

 闇へと沈みゆく意識の中で、統哉は声にならない叫び声を上げていた。

(――嫌だ! こんな所で、俺は死にたくない……! 生きたい……! 力が欲しい……何にも負けないくらいの力があれば……!)

 統哉がそう強く願った時だった。


(……生きたいか……?)


 その声に、統哉はハッとした。


(……君は……力が欲しいか……?)


 突如、統哉の頭にあの少女の声が響いた。言葉は耳を通してではなく、頭に直接伝わってくる。それは奇妙な感覚だった。

 統哉が驚いて目を開き、周囲を見回すと、世界から一切の色が失われていた。

 白一色の世界。その中に統哉がただ一人、色を持って立ち、存在していた。

 周囲の風景をはじめ、<大天使>は剣を構えた姿勢のまま色を失い、動かない。まるで、この時間と色のない世界の一部として組み込まれてしまったかのようだ。

 ふと気付いて、統哉は慌てて剣で貫かれた箇所に手をやる。服には血が滲んでおり、心臓に致命傷を負っているはずなのに、今は全く痛みを感じない。

(……君は、生きたいか? 力が、欲しいか……?)

 再び、頭の中に声が響いた。

「力……? 力ってなんなんだ……?」

 無意識の内に統哉は問い返していた。

「君の願いを叶えることのできる、絶対なる力だ」

 今度は耳にはっきりと聞こえる声で、あの少女の声がした。

 見ると、少女が長い銀髪をなびかせながらこちらにゆっくりと近付いてくるではないか。

「願い……だって?」

「君の心の叫び、私にしかと伝わった。君はその心の奥底に、生きたいという強い思いがある。そして、力が――それも、何にも負けない絶対なる力が欲しいという思いがあるだろう?」

 少女の指摘に、統哉は目を見開く。

「……どうして、それを……」

「何故君は、そこまで生きたいと願う? 力を求める? 何が君を突き動かしている?」

「……俺は……」

 統哉は苦痛に耐えるかのような表情で、言葉を絞り出した。

「……俺はまだ十分に生きちゃいない。人生の目標だとか生きる意味だとか、そんな事なんてあの時から、とっくのとうになくなったと思ってた! でも違ったんだ! 俺は十分に生きていないから死ぬのが怖いんだ! それに、まだ俺は生きる意味を見つけちゃいない! そのために、俺は力が欲しい……! 何にも負けないような、強い力が……!」

 統哉の拳がぐっと固く握られる。それも、血が出るほどの強さで。そして、何よりも今自分が望んでいる事が言葉となって、はっきりと自分の心に存在していた。

 そして彼は、その願いを口にする。


「――だから俺は、生きたい! こんな所で、死にたくないんだ!」


 少女は金色の瞳で統哉をまっすぐ見据え、しばらく考え込んでいたが、やがて満足そうに頷いた。

「……なるほどな。君のそのまっすぐな願い、確かに聞き届けた。ならば私は、君に選択の機会を与えよう」

「選択の、機会……?」

 統哉の問いに、少女は頷く。

「君が拒否するなら、話は終わりだ。君と私はこのまま死ぬ。だが、力を望むならば、私と契約を結べばいい」

「契約?」

「そう、契約だ。君ならば、私と契約を交わすに相応しい。私と契約する事によって、絶対なる力を――君の願いを叶えるための力を君に与えよう。ただし――」

 少女が言葉を一旦切る。

「その対価として、君の魂が必要だ……それでも、君には私と契約を交わす覚悟があるというのか? もっとも、選択するのは君自身だ。私には選択肢を用意する事しかできない」

 統哉はしばらく俯いていたが、やがて少女をまっすぐ見据え、宣言した。

「……ああ。俺はまだ、ここで死ぬわけにはいかない! ここまでタンカ切ったんだ、俺はどうなったって構わない! 天使や悪魔に魂を売ったっていい……結ぶぞ、その契約!」

 統哉の答えを聞き、少女がニッコリと笑う。その表情に、統哉は思わず惹きこまれてしまっていた。

「……君なら、そう答えると思っていた。いいだろう。今ここに、契約は交わされた」

 少女が白い手をすっと伸ばす。その掌に眩い光が宿った。

「――さあ、受け取るがいい、人の子よ。我が力を!」

 少女の掌から生まれた光が矢となり、統哉に向かって放たれた。

 頭では、この先に足を踏み入れればもう後戻りできないとわかっているのに、自分の中に潜む何かが受け入れろと囁く。

 次の瞬間、光の矢が統哉の胸を貫いた。

 衝撃も、痛みもない。そう思った次の瞬間、自分の中に流れ込んでくる、圧倒的な力の感覚。絞り出される叫びにならない叫び。

 細胞の一つ一つで異変が起こり、身体が何か別の物に作り替えられるような感覚が襲ってくる。そして、自分の内なる力が爆発的に高まっていき、身体を突き破らんばかりの勢いで外に溢れ出そうとしているのがはっきりとわかる。

 無意識の内に、統哉は笑っていた。地の底から沸き立ってくるかのような響きを持った、大いなる力を得た事による、純粋な喜びからくる笑いだった。

 胸の奥が炎のように熱い。胸に手を当ててみると、いつの間にか手の中に淡い輝きを放つ、宝石のように輝く物体が握られている。

 それは、蒼く、静かに燃え立つ炎がそのまま凍りついたかのような形だった。

「さあ、呼ぶがいい。君の<|神器(ディバイン)>の名を――!」

 統哉の耳に、ただ少女の声が静かに響く。

 身体がわななく。胸の奥が熱い。魂がその名を叫んでいる。

 空を仰ぎ――


「――――ルシフェリオンッ!」


 統哉は魂の奥底から咆哮した。物体の放つ輝きが急激に強くなり、強烈な光が溢れ出す。その強さに統哉は思わず目を伏せた。

 光が収まった時、統哉の手の中にあった光り輝く物体は一対の剣へと形を変えていた。


 そして、世界が急速に色を取り戻した。

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