4.「彼女とのことをどう思っていますか?」
さて、ここで少しばかり蛇足なエピソードに触れるとしよう。
ある日の放課後、僕にはひとつの約束があった。
終礼が終わった後、入口付近の席に座る
出入り口から中を見渡せば、当然のように生徒の姿はまばら。営業していないわけではないし、利用もないではないのだが、だからと言って時間の経過とともに生徒が増えてくるということもないだろう。学食の役目は昼休みで終わったようなものだ。
その少ない生徒の中に、僕の待ち合わせの相手はいた。
ノンフレームの眼鏡が似合いすぎて、嫌味なほど知的な――
向こうも僕の姿を見つけ、軽く手を上げて合図を寄越してきた。僕は会釈で応えてから、まずはそばにある自販機コーナーに体を向けた.
最初に買ったのは微糖のコーヒー。過去に二度、桑島先輩と缶コーヒーを飲み交わしたが、そのどちらも彼は同じ銘柄のを飲んでいた。たぶんこれが好きなのだろう。
次に自分のためにミルクティを購入。
最後に少し考えてから、カフェオレを買った。
「よう」
桑島先輩の座るテーブルへ行くと、彼は不敵な笑みで僕を迎えてくれた。
「お呼びたてしてすみません」
「別にそれはいいが……どうしたんだ、今日は」
「まぁ、ちょっとお礼をと思いまして」
別名、よけいなお節介とも言うが。
僕は桑島先輩の斜め前に座りながら、まずは缶コーヒーを差し出した。自分の前にはミルクティを置き、カフェオレはいったん脇によける。
「悪いな。……なんだ、お前は紅茶か」
「外ではコーヒーよりこっちなんです」
「言っとけよ」
桑島先輩は苦笑した。
二度もそんな機会があるとは思っていなかったし、そもそも奢ってもらう立場で自分お好みを言うほど僕は図太くできていない。
僕は先輩がプルタブを引き開け、ひと口飲むのを待ってから切り出した。
「さっそくですが――先輩はうちのクラスの山南さんをご存知ですよね?」
「……」
彼は特に動じた様子もなく、実に落ち着いたものだった。
「それは質問じゃなくて単なる確認なんだろうな。どうせもう調べてあるんだろう?」
「簡単には」
幸い、僕には佐伯トオル氏というコネがあったので。
『F.E.トレーディング』。
その歴史を紐解けば、桑島先輩と山南さん、それぞれの祖父が二人で興した貿易会社だとわかる。当時はまだもっと古臭い社名で、今の『F.E.トレーディング』に名を変えたのはわりと最近のことだ。
数年前、その創設者にして初代社長の桑島氏が他界したとき、次は当然山南氏が会社を背負って立つのだと思われた。だが、後を継いで若社長となったのは桑島氏の息子、先輩のお父さんだった。
その交代劇において特にひと悶着あったわけではなく、山南氏はむしろ老い先短い自分が社長になってもすぐに引退することになるだろうし、度々トップが代わってその都度バタバタするくらいなら、自分は永遠のナンバー2でいいと身を引いたのだ。
それだけの関係を築き上げた桑島家と山南家。
ゆえに――ふたりの祖父がまだ健在のとき、それぞれの孫を結婚させようと約束したのは、当時としては案外普通のことだったのかもしれない。……親が勝手に決めた女性とは、山南さんのことだったわけだ。
「そのことについて先輩自身はどう考えているのかと思いまして」
「お前には関係ない話だ」
突き放すようにして言い、コーヒーを煽る桑島先輩。もちろん、僕だって他所様の家庭の事情に首を突っ込んでいるという自覚はある。
僕はそこで一度、学食の出入り口に目をやり――、
「でも、彼女には関係があります」
そう告げた。
その言葉にはっとして周りを見る桑島先輩は、すぐに彼女――頭につけた大判のリボンが特徴的な山南さんの姿を認めた。
「こ、こんにちは、聖さん……」
「……」
挨拶をする山南さんに、しかし、桑島先輩は無言をもって応えた。
「座ってください。よかったらこれも」
僕は山南さんに桑島先輩の正面の席を勧め、ついでにさっき買ったカフェオレも差し出した。彼女はそれをすぐに飲もうとはせず、缶を両手で包むようにして持っただけだった。
「改めてお聞きしますが、先輩は彼女とのことをどう思っていますか?」
「弓月」
と、桑島先輩は僕を見た。
「生憎だが、それについてはルナちゃんに散々言ってある。はっきりと。俺は親たちが決めたものを押しつけられる気はない。そんなのはまっぴらごめんだ。……お前にも言っただろう」
確かにそれと似たような台詞を、先日教室前の廊下でも聞いた。思えばあれはそばにいた山南さんに投げかけた言葉だったのだろう。
僕の隣で山南さんがしゅんと項垂れた。
「それならそれで家族にそう伝えて、その上で家の思惑のからまない関係を彼女と築けばいいはずです。事実、先輩は佐伯さんとはそうしようとしています。なぜ山南さんにだけ……」
どうしてそこまで冷たく突き放すのか。それが不思議でならなかった。
「キリちゃんは強い。親の思惑に惑わされないだけの意志がある」
そのあたりは僕も同意見だ。
尤も、先日の件では見事に失敗しているが、それでもよけいな要素――主に僕、がからまなければうまくやれていたのではないかと思う。
「それに比べて――本人を前にしてこう言うのも何だが、ルナちゃんは弱い。親抜きの関係だ何だと言っても、最後にはきっと家庭の事情に引きずられる。だったら、そんなものは最初からないほうがいい」
きっぱりと言い切った先輩は乱暴にコーヒーを煽った。
なるほど。そもそも僕が桑島先輩と山南さんの間に何かあるのではないかと思ったのも、先輩の彼女に対する態度が妙に冷たく見えたからなのだが……そういう理由だったのか。先日は「女の子のほうはそれじゃかわいそうだ」と言っていた。確かにそうだ。いずれ山南さんが親の思惑に引きずられるという先輩の予想はきっと正しいだろうし、「そんなものは最初からないほうがいい」というのも一理ある。
もしかしたら佐伯さんが桑島先輩に協力したのも、彼のこの主張を聞いたからかもしれない。まぁ、そのあたりは彼女に聞いてみないとわからないことだが。
問題は山南さんがそれで納得するか、だ。
さて、ここから次をどう切り出したものか――と、僕が思案していたときだった。
「わ、わたしはっ」
山南さんが顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「わたしは聖さんが思っているほど弱くないです。……こ、こんなですけど……」
勢いがよかったのは最初だけ。発音は尻すぼみになり、彼女は両手で握ったコーヒーの缶に再び視線を落とした。
そして、そのまま。
「そ、それにわたしはずっと、聖さんのことが好きでした。親につれられて、初めて会ったときから……」
その告白は桑島先輩にとって寝耳に水だったらしく、目を丸くして山南さんを無言で見つめていた。
少しして、今度は僕を見る。
「……弓月、知ってたのか?」
「何となく」
そんな気はしていた。
隣では山南さんが顔を赤くし、それを隠すようにさらに顔を伏せてしまっている。
「さて、どうしますか、先輩。男としては彼女の気持ちに何らかのかたちで応えなくてはいけないと思いますが?」
「わかってるよ。それに――ここで振ったりできるかよ」
桑島先輩は諦めたようにそう言い、その向かいでは山南さんが弾かれたように顔を上げ、明るい表情を浮かべていた。
その視線に居心地の悪いものを感じたのか、先輩は再び僕を見た。
「恨むからな」
「どうぞご勝手に」
山南さんにとってはよい決着となったのだ。先輩に恨まれるくらいどうってことはない。
そして、夜、我が家のリビング。
「聖さんもさ――」
夕食後のお茶を飲みながら、僕の話を聞いた佐伯さんは何かを思いついたようだった。
「その山南さんって人のこと、最初から好きだったんじゃないかな」
「ん?」
僕はしばし彼女の言葉の意味を考え、
「ああ」
納得した。
言われてみたら確かにそうかもしれない。桑島先輩は「男なんて単純な生きものだから、かわいいというだけで女の子を好きになれる」とも言っていた。あれは自分のことだったのだろう。
だとしたら。
何が恨むだ。そんな筋合いなどないではないか。
「それにしてもあのふたり、けっこうつき合いは長いんですね」
「そうなの?」
「みたいですよ」
幼馴染というやつだろうか。
何せあの後に聞いた会話が「お兄ちゃん」「その呼び方はもうやめてくれ」だったのだから。
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