3.「彼女に手を上げることは僕が許さない」

 そして、その日の昼休みのこと。

 僕の携帯電話にメールが届いた。一瞬佐伯さんからかと思い期待したが、差出人は宝龍さん。


『今屋上』


 普段からデコレーションのない簡潔な文章でメールを送ってくる彼女だが、これはさすがにそういうレベルを超えている。


「どうした?」


 学食帰りで隣を歩いていた滝沢が、首を傾げる僕を見て問うてくる。


「宝龍さんから呼び出し、だと思います」


 自信はないが。


「ちょっと行ってきます」

「そうか」


 もう教室が見えるところまできていたが、僕は体の向きを変え、遠ざかる運動へと切り替えた。特に急ぐわけでもなく、今までと同じ調子で歩く。速さは変わらず、速度のみの変化。


 階段で三階へ上がったところで、一旦足を止めた。


 この廊下を行けば佐伯さんのいる教室がある。彼女は今まで通りそこで一日の多くを過ごしているはずであり、今この瞬間もそこにいるかもしれない。


 行けば会ってくれるだろうか。


 会ってはくれるだろうが、一緒にいたころとは決定的に違う態度を見せられるのだろう。そんな姿を見るくらいなら、会いになんていかないほうがいい。今はそう思ってしまう。


 相変わらず近くにいるのに、ずいぶんと遠い関係になってしまったものだな……。


 僕は再び歩を進め、さらに上へと上がる。

 踊り場を過ぎたあたりから一気に埃っぽくなっていく階段を上がり、その先にある鉄扉のノブを掴み――回す。かくして屋上へと続く扉は開かれ、つまりそれはこの向こうに宝龍さんがいることを示していた。


 思えばここにくるのは久しぶりで、それと同時に、久しぶりにここでひとりになりたい気分でもあった。宝龍さんが何か話があるのなら、それが終わったらしばらくここに残ってみるのもいいかもしれない。


 そんなことを思いながら屋上へと踏み入る。


 宝龍さんはグラウンドとは反対になる左手のフェンスにもたれていた。学園都市の街並みを眺めるのではなく、体をこちらに向けていたあたり、どうやら僕を待っていたらしい。


 そこで人の気配を感じた。


 僕のすぐ隣。

 そこに目をやり、はっとする。


「佐伯さん……」

「弓月くん……」


 彼女が、いた。


 階段部屋の外壁にでももたれていたのか、僕が現れて驚いているようだった。


「きたわね」


 そこにつかつかと歩み寄ってくる宝龍さん。


 佐伯さんは弾かれるようにして彼女へと体を向けた。


「あなたが弓月くんを呼んだのね!?」

「ええ。言っておくけど、ひとりになりたいと言ったあなたにこの場所は提供したけど、恭嗣を呼ばないとは言ってないわ」


 しれっと言ってのける宝龍さんを、佐伯さんが睨みつける。


 なるほど。状況は把握した。悪いがこれは佐伯さんが迂闊だったと言える。たぶん宝龍さんなら干渉せず放っておいてくれると踏んだのだろうが、しかし、宝龍美ゆきは彼女が思っているほど中立ではないのだ。


 そして、佐伯さんの目を盗むようにして送ってきたのが、先のメールだったというわけだ。


「聞きたいことがあるそうよ、恭嗣が」

「……」


 場のセッティングだけしておいて、人に振るのか。


 佐伯さんはゆっくりとこちらへ向き直り、僕の顔をちらりと見た。すぐに逃げるように顔を伏せてしまったのは、今朝の件を思い出したからだろうか。――お互いの姿を認めておきながら、黙ってすれ違った今朝のことを。


 僕の前で佐伯さんが、まるで悪いことをして叱られている子どものように、じっと下を向いている。


「……」

「……」


 確かに聞きたいことはあった。だが、そんな彼女を見ていると、何から聞いていいのか言葉が出てこない。


「そう。じゃあ、私から聞くことにするわ」


 僕が切り出せないと見るや、すぐに宝龍さんが口をはさんできた。


「桑島君のことよ」


 瞬間、佐伯さんが小さく体を跳ねさせた。触れられたくない話題だったということか。


「あなたと桑島君はどういう関係?」

「……別に、何でもありません」


 佐伯さんはか細い声で答える。


「彼は『F.E.トレーディング』の社長の息子で、あなたのお父様もそこに勤めてる。そうよね?」

「どうしてそれを……」

「桑島君のほうはわりと知られた事実よ。あなたのほうは恭嗣だから知ることができた、というところね」


 宝龍さんはさらに斬り込んでいく。


「最近あなたがよく桑島君と一緒にいるのは、それと関係があるの?」

「関係……なくはないけど、わたしが聖さんと会ってるのは、わたしの意志でやってることです」


 聖さん、ね。


 それはいいとして――僕は彼女の言葉に少なからず衝撃を受けた。


「待ってください」


 思わず割って入る。


 佐伯さんが自ら進んでやってることだって? いったいどういうことだ。わけがわからなくなって、僕はここにきてようやく佐伯さんに言葉を投げかけた。


「僕は親同士で何らかの約束が交わされたのだと思ったのですが、そうじゃないんですか?」


 その問いに対して佐伯さんは首肯する。親同士が勝手に何かを決めたわけではないらしい。


「じゃあ、何なんですか?」

「それは、言いたくない……」


 前もそんなことを言われたな。このところ話してくれないことばかりだ。


「埒があかないわ」


 宝龍さんが苛立たしげな調子で言い放つ。


「親に強制されたわけではないけど、自分の意志でやってるその理由も言いたくない。……話にならないわね」

「……」


 それでも佐伯さんの口からは何の言葉も出てこない。


「いいかげんにしなさい。わかってるの? あなたのそういう態度が恭嗣を苦しめてるのよ」


 一方、彼女を責める口調はさらに増していく。……ここまで声を荒らげるのは宝龍美ゆきにしては珍しいことだ。


 佐伯さんは一度耐えるようにぐっと唇を噛み、そして、ついに感情を吐き出した。

 まるで堰を切ったように。


「わかってる! わかってるけど、それでも言いたくないことだってあるの! 口にしたくないことだってあるの!」

「! このっ」


 宝龍さんが手を振り上げる。


 しかし、僕は咄嗟にその手首を掴んで、次に行うであろう動作を阻止した。


「恭嗣! かばうの、この子を!」

「当たり前でしょう。どんな理由があろうと、彼女に手を上げることは僕が許さない」


 直後、僕の後ろで息を飲むような音が聞こえたと思ったら、佐伯さんが駆け出していた。鉄扉を開けて、階段部屋の中へと消えていく。


「佐伯さん!」


 呼び止める――が、しかし、彼女が立ち止まることはなく、重い音を立てて閉まった鉄扉が僕たちの間を隔てた。


「……恭嗣」


 サビだらけのそれを呆然と見つめていると、宝龍さんが僕の名を呼んだ。


「痛いわ。離して」

「あ、ああ、すいません」


 未だ彼女の手首を掴んだままだったことを思い出し、すぐに手を離した。


「もしかしたらさっきの恭嗣の行動が、今のあの子にはいちばん堪えたかもしれないわね」

「……」


 そんなつもりはなかったのだがな。


 とは言え、僕は見ていた。重い鉄扉を開けるために彼女が足を止めたとき、そこで見えた横顔は……泣いていた?


 僕のせいだろうか。


 ため息をひとつ。

 せっかくこうしてまた話す機会を得たというのに、結局、何もわからなかった。わからないことだらけだ。


 ただ、感じたことはある。


 彼女は追い詰められている。ふらりとこんなところにやってきてしまうほど追い詰められ、わからなくなっている。


 果たして、そんなふうにしたのは誰なのだろう。

 小父さんか、僕や桑島先輩か。


「……」


 ――それとも、彼女自身、か……。

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