4.「少し目が覚めた気がします」

「大丈夫か?」


 そう聞いてきたのは、テーブルの向かいに座る滝沢。


 翌日の、これまた昼休みのことだった。


 僕ははっと我に返り、ここが学食だったことを思い出す。今は昼食の最中。食べているのは僕も滝沢もカレーだった。直後、学食内の喧騒が、オーディオのボリュームを上げたみたいにして耳に流れ込んできた。


「は?」


 そして、問いかけの意味がわからず、間の抜けた返事を返す。


「ぼうっとしてるぞ」

「ああ、すいません」


 今までの自分の姿を振り返ってみれば、スプーンを持った右手は動きが止まっていて、左手で頬杖をついていたようだ。……行儀が悪いな。


「佐伯君とのことか?」

「……」


 隠しても無駄、なのだろうな。このところ僕と佐伯さんの関係がおかしいことは、とっくに気がついているだろうし。


「まぁ、そうなりますね」

「相談があれば言えよ」

「ありがとうございます。でも、多忙な生徒会副会長の手を煩わせるつもりはありませんよ。自分で何とかしてみせます」


 これでも粘り強さと我慢強さは持ち合わせているつもりだ。部活をやっていた中学のときも、試合では球を拾って拾って拾いまくって好機を待ったものだ。


「だといいんだがな」


 滝沢は苦笑気味に鼻で笑う。


「気づいてるか、弓月。最近ずっと昼は俺と同じものばかり食べてるぞ」

「……」


 確かにそんな気がするな。「滝沢、なに食べます?」「じゃあ、僕もそれで」がお決まりの台詞。自分で考えるのを放棄しているのか、栄養さえ摂取すればメニューは何でもいいと思っているのか。……やれやれ。どちらにしても投げやりだな。僕は自分自身に呆れてため息を吐き、食事を再開した。


 そうしてカレーを平らげ、本日の二度目のエネルギィ補給が間もなく終わろうとしたとき、少し離れたところでひと足先に立ち上がったグループがあった。男女混成のグループ。僕がそこに目を向けたのは、その中に浜中君がいたからだ。彼がそこにいることはここに座ったときから気がついていたし、なぜか時々こちらを睨んでいるのも見えていた。


 浜中君は立ち上がると、本来自分でするはずの食器類の返却を友達に任せたのだろう、仲間から離れてひとりこちらに向かってきた。


 ひとまず知らぬ振りをして横目で様子を窺っていたが、特にひねりもなく僕のもとにやってきて、バン、と叩きつけるようにして掌をテーブルに置いた。


「相変わらず寝ぼけた顔をしてますね」


 中性的な顔を嫌悪に歪ませて、嫌味満点に言い放つ。


「ずいぶんな挨拶ですね、君は」

「話があるんだけど」


 こちらの抗議は聞かず、さらに言葉を重ねた。


「いいですよ。ここじゃないほうがよさそうですね。……滝沢。すみませんが、これをお願いします」

「了解だ」


 僕は自分の目の前にあるトレイを滝沢のほうに押しやり、立ち上がった。浜中君が先に歩くかたちで、学食の出入り口へと向かう。


「浜中君、何か飲みますか。奢りますよ」


 その出入り口のすぐ脇にある自販機コーナーの前を通りかかったとき、僕は声をかけた。


 彼は振り返り、面倒くさそうな顔で少し考えた後、


「……いちばん大きくて高いやつ」

「お茶みたいですよ? いいんですか?」

「……いい。別に飲みたいわけじゃないし」


 僕は硬貨の投入口に百四十円を放り込み、そのペットボトルのお茶を買った。浜中君に渡す。続けて僕も購入。缶のホットミルクティだ。


「コーヒーじゃないのかよ。好きなんだろ?」

「好きですよ」

「学祭でもわりと評判だったし、僕も飲みにいった。まあまあ、美味しかった」


 彼は不貞腐れたようにそう言ってくれた。なんだ、きたのなら呼んでくれたらよかったのに。そのときには僕がギャルソンとして喜んで接客してあげたのだがな。


「普段から外では飲まないというのもあるのですが、今は家でも飲んでません。しばらくコーヒー断ちです」


 僕がそうつけ足すと、不意に彼は小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「なにそれ、願掛けのつもりかよ。格好悪ぃったらねーよな」


 そう吐き捨て、ひとり先に学食を出ていってしまった。いつにもまして口が悪い今日の彼は、何やらずいぶんと怒っているようだ。……何に? もちろん、僕にだろう。不甲斐ない僕に、か?


 学食から廊下に出たところで浜中君は足を止め、窓側の壁にもたれた。ここで話をするようだ。学食前の廊下は、その場所柄、多くの生徒が行き来しているが、男ふたりの立ち話を気にするものなどほとんどいない。


 僕はミルクティのプルタブをあけながら、ちょっとした世間話のつもりで投げかける、


「佐伯さん、どうしてます?」


 昨日の屋上の一件以降、どんな様子なのか気になっていた。


「知るかよ、そんなの」


 だが、返ってきた彼の答えがこれだった。


「その足で教室まで行ってみたらいいだろ。すぐにわかるから」

「……」


 浜中君の言うことももっともなのだが、そう簡単にいかないのが現実だ。行ってみることは容易い。だが、またあんな姿を見せられると思うと、どうしても足は遠のく。


 僕はやりきれない思いでミルクティの缶を呷った。


「勝手なことを言いました。……それで、話とは?」

「その佐伯さんのことだよ」


 その話は終わったものだと思っていたので、改めて彼の口からその名前が飛び出し、僕はどきっとした。


「とられたらしいじゃん。学祭のときの、桑島とかいう先輩にさ。何やってんだよ、情けない」

「知ってたんですか、あの先輩のことを」

「入学してすぐに調べてた。敵になりそうなやつがいたら、とりあえず調べることにしてるんだよ」


 相変わらず愉快な生き方をしているようで何よりだ。


「にしても、とられたというのは……」

「いつまで寝ぼけてんだよ。学祭からこっち、佐伯さんがどうしてたかおしえてやろうか? 最初のころはよく昼休みになるとあっちのクラスに行ってたし、今も時々放課後、向こうから迎えにきたときなんかは一緒に帰ってくよ。朝も一緒のことが多いみたいだしな」


 浜中君は一気にまくし立てる。


 朝のは昨日、僕も目撃したな。


「それから一度だけ、日曜はドコソコで待ち合わせ、なんて言ってるのも聞いたよ」

「……」


 なんとも、まぁ……だな。


「……なぁ」


 と、訴えるように彼は発音する。


「あんた、何やってんだよ。願掛けして待つなんて眠たいことやってる場合かよ。自分の彼女なんだろ。ちゃんと捕まえとけよ。取られたら取り返しにいけよ。情けない」

「……」


『何やってんだよ』『情けない』は、どちらも本日二度目。ずっと言いたかったんだろうな。もしかしたら学園祭のあの日から。


「あんたにできることは溺れてるやつを叩くことだけか?」


 僕は何ごとかと浜中君を見る。


「だってそうだろ。佐伯さんに相手にされなかった僕には喜々としてとどめを刺しにきたくせに、強そうなやつには向かっていかないってんなら、そう言われても仕方ないんじゃないのかよ」

「……」


 ずいぶんと勝手なことを言ってくれる。


 とは言え、確かにそうだ。球を撃ち返して耐えているだけではいつまでたっても勝てない。勝つためにはどこかで前に出ないと。


 僕はじっと浜中君の顔を見た。


「んだよ」


 彼は不機嫌そうに睨み返してくる。


「少し目が覚めた気がします」

「『少し』で、しかも『気がする』かよっ。あんた、どんだけ眠たいやつなんだ! だいたい顔がまだ寝てんだよ!」

「ほっといてください。こういう顔なんですよ」


 人にはこういうとき、生まれつきだと言うことに決めている。


「でも、まぁ、ありがとうございます」

「礼を言われるようことをやった覚えはねーよ。……い、言っとくけどな、僕はあんたや佐伯さんのために言ってやってんじゃないぞ。自然消滅みたいな中途半端だと面白くないから言ったんだからな。わかったらとっとと惨敗してこいよ。そしたら指さして笑ってやるから」


 そう言い放つと浜中君は、どすどすと歩調も荒く遠ざかっていく。

 なんとも、面白い子だ。


 と、思っていたら不意にまたこちらを振り返って、指を突きつけてくる。


「それと、二度と僕の前に腑抜けたツラを見せるな! いいな!」

「……」


 いや、本当に、面白い子だ。

 僕は浜中君の背中が小さくなっていくのを見ながら、ミルクティを喉に流し込んだ。


 さて、そろそろ腹を括るか。





 学校が終わり、帰宅する。


 出迎える人もいない家に上がり、照明の点いていないリビングに這入ったところで、ちょうど携帯電話が鳴った。


 ポケットから端末を取り出し、サブディスプレィを見て――目に飛び込んできた『佐伯』の文字にぎょっとする。だが、よく見てみればそれは『佐伯トオル』、佐伯さんのお父さんだった。


 考えてみれば小父さんも、今の状況を解決するためにはいずれ連絡を取ってみないといけない人物のひとりではあるな。


 僕は座イスに制鞄を放り出し、照明を点けながら反対の手で電話に出た。


「もしもし」

『どうなっているんだね、いったい!?』


 それが小父さんの第一声だった。

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