――#11
1.「それは本気で言ってるんですか?」
チャイムが鳴って授業が終わる。
先生が教室の出入り口に体を向けると同時に、僕は携帯電話を開いた。……メールの受信なし。
今まで授業だったから、当然、音声通話の着信もなし。
僕はため息を吐く。
あれから一週間ほどが経ち、暦は十月。制服は冬服へと変わって、学園祭の余韻もとうに消え去った。生徒の気持ちは次にくる中間考査へと向いているようだが、一方の僕はというとまるで何もかもが停滞してしまったみたいだった。
「最近よくケータイを見てるわね。どうかしたの?」
端末を閉じて見上げてみれば、そこに宝龍さんが立っていた。
「……ちょっと、ね」
わざわざ人に言うようなことでもない。
「少し廊下に出ない?」
「……」
廊下は人に聞かれたくない話をするのにはうってつけの場所だ。人が多くて騒がしいので、よほど大きな声で話さない限り周りに聞かれる心配はないし、近くで耳を欹てているやつがいればすぐにわかる。
つまり宝龍さんは僕に話があるということか。
「いいですよ」
僕は席を立ち、ふたりで廊下へと出た。
まだ休み時間がはじまったばかりで行き来する生徒の姿はそれほどでもないが、どの教室からも喧騒が聞こえてくる。授業を延長するような空気の読めない先生はいなかったようだ。
僕らは廊下の窓にもたれるようにして立った。
「単刀直入に聞くけど、あの子とのこと、今どうなってるの?」
宝龍さんは遠慮は無用とばかりに、ずばり斬り込んできた。
「学園祭のあの日からあなたたち、様子がおかしいわよ。一緒にいるところも見なくなったし、恭嗣もずいぶんと口数が減ったように感じる」
「……」
そうだった。宝龍さんもあの場面――佐伯さんと見知らぬ男性生徒が一緒にいたところを見たのだったな。そして、彼女は僕と佐伯さんが一緒に暮らしていることを知っている数少ない人物でもある。
「実はね、佐伯さんが出ていってしまったんですよ」
「……どういうこと?」
宝龍さんはその意味を理解しようと僕の言葉を咀嚼していたようだったが、結局飲み込み切れず、聞き返してきた。
「どうもこうも、そのままの意味ですよ。しばらく実家から通うと言って、学園祭のあの日に出ていきました」
奥さんに逃げられた男みたいだな。思わず自嘲的な笑いがもれる。
宝龍さんは瞬きを数回。
「いったい何があったの?」
「さぁ? 僕にも何がなんだか。それを聞きたいと思って連絡をとっているのですが、目下のところ返事待ちの状態です」
僕だって何があったか、どういう事情があるのか知りたいと思っている。だから、こちらから連絡をとろうとしているのだが、今のところ電話もメールも応答はない。初期に一度だけ彼女のほうから電話がかかってきたことがあったが、着信メロディが一瞬鳴っただけですぐに切れてしまった。今は懐かしいワン切りのようだ。すぐに折り返しかけてみたのだが、やはり出てはくれなかった。以後も定期的にコンタクトを試みているが、結果はこの有様。おかげ様でファントムバイブレーションシンドロームにまでかかりつつある。
佐伯さんの自宅にかけてみるという手も考えたのだが、残念ながらまだ電話番号は聞いていなかった。後は彼女のお父さん――トオル氏だが(こちらは本人からおしえてもらっていた)、今のところ小父さんまで巻き込むつもりはなく、最終に近い手段として残している。
「ま、そろそろ次の手を打つつもりですよ」
それにしても、佐伯さんの声を聞かなくなって久しい気がするな。
明けて翌日の昼休み、僕は佐伯さんの教室を訪ねてみることにした。
学校に行けばすぐ上の階に彼女はいる。それをわかりつつ今まで携帯電話というツールにこだわっていたのは、話しにくい事情もこれなら話してもらえるかと思ったからだ。
上階へと続く階段を上がる。
考えてみれば、前と変わらず同じ学校で過ごしているにも拘わらず、めっきり佐伯さんと会わなくなった。意図的に避けられているのか、それとも広い校内で特定の人間と会う確率自体そもそもこんなものだったのか。
教室の前でそのクラスの生徒らしき一年生をつかまえ、佐伯さんを呼んでもらった。
待っている間、浜中君が教室から出てきたが、僕を見るなりふんと鼻を鳴らすだけで、さっさと行ってしまった。この前の学園祭のときもそうだったが、なぜだかこのところ取りつく島もないくらい怒っているようだ。
浜中君の後、程なくして佐伯さんが姿を現した。
重い足取りで出てきた彼女は、ややうつむきかげん。
「佐伯さん」
僕が呼ぶとびくりと体を跳ねさせ、それからおそるおそる顔を上げた。
こちらを見て弱々しく笑みを見せる――が、しかし、それはむりに笑おうとして失敗したような、どこか不自然なものだった。今まで避けてきたけど、ついに会ってしまったといったところだろうか。
僕の前に立ち、視線を足もとに落とす佐伯さん。
「こんにちは。久しぶりですね」
「う、うん……」
彼女を見ればもう少し気持ちが乱れるかと思ったが、意外とそうでもなかった自分に少し驚いた。
「少し話せますか?」
「……うん。じゃあ、あっちで……」
そう言われて場所を移した先は、さらに上へ続く階段の踊り場だった。この上には立ち入り禁止の屋上しかないため、あまり生徒は寄りつかない。
僕らはそこで、昼休みの喧騒をどこか遠くのものに聞きながら、再び向き合った。
改めて佐伯さんを見る。
不思議な明暗のついたブラウンの髪をした、とびきりの美少女。しかし、彼女からは、本来不可欠だったはずの笑顔と元気が消えていた。そして何より、僕の知る佐伯さんはこんなふうに顔を伏せたりはしていなかったはずだ。
「そろそろ話してくれませんか」
僕は静かに口を開く。
「どうして出ていったんですか? 何か事情があるんですよね?」
学園祭で見たものには触れなかった。あの男が誰だか聞きたい気持ちはもちろんある。だが、それを突きつければ、彼女を追い詰めてしまいそうな気がしてならなかった。
「それは……」
口ごもる佐伯さん。
それでも話してくれない彼女を見て、僕の心の中で自虐的な感情が鎌首をもたげる。
「男として情けないことを言うようですが――僕のことが嫌いになりましたか?」
「違うのっ。そんなんじゃない!」
佐伯さんは顔を上げ、切羽詰った様子で訴えるように僕を見つめてくる。
だが、それもわずかのことで、やがて項垂れるように目を伏せた。
「だったらどうしてなんですか」
「それは……言えない。言いたくない……」
「……」
「……」
ふたり黙り込む。
僕は深いため息を吐いた。そこにあるのは諦めか、それともここまで言ってダメなら仕方がないという納得か。
「そうですか。わかりました」
確かに事情はあるのだろう。それも言いにくい種類のものが。それがわかっただけでも十分か。
そう思い、佐伯さんに背を向けようとしたそのときだった。
「あ、あの……」
初めて彼女から切り出してきた。
「あの、ね――しばらく、話しかけないでほしいの……」
彼女がうつむいたまま発した言葉は、その発音の勢いとは裏腹に僕の心臓を強く、まるで直接叩いたかのように、打った――。
一瞬息が詰まる。
呼吸を再開しても、浅い息を繰り返しているみたいに息苦しかった。
「そ――」
ようやく発した言葉はまともな声にならず、僕は一度つばを飲み込む。
再試行。
「それは本気で言ってるんですか?」
「……」
佐伯さんは下を向き、黙って唇を噛む。まるで発してしまった言葉を後悔するかのように。
でも。
それでも否定も肯定もしない。
「ご、ごめんね……」
そして、ついには駆け出し、僕の横を抜けていった。
僕は慌てて振り返り、彼女をつかまえようとしたが――しかし、伸ばした手は佐伯貴理華という少女に触れることすらできなかった。すり抜けていく。
階段を見下ろせば、駆け下りた彼女が廊下に消えていくところだった。
呆然と立ち尽くす。
やがて、崩れそうになる体を支えるように――踊り場の壁を拳の底で殴りつける。
「くそ、なんでだよ……」
僕の口から久々に、実に僕らしい乱暴な言葉がもれた……。
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