「カッコ悪くてもいいじゃない」と彼女は言った(後編)

 佐伯さんと約束した通りウォータースライダーへ行くと、丁度そこでほかのみんなと一緒になり、はからずも再集合となった。


「あら、恭嗣たちもきたのね」


 と、宝龍さん。ハイレベルなプロポーションを黒のビキニが際立たせている。


「僕としては、もう少しプールサイドでゆっくりしていたかったんですけどね」

「まるで年寄りね」

「……自覚はしてますよ」


 宝龍さんにまで言われるとは思わなかったが。


 僕らは、列がゆっくり進むに従い、その流れに乗ってスタート台への階段を上っていく。


「ところで恭嗣、私を見て未だにひと言もないわね」


 僕よりいくつか上の段に立つ彼女は、少し怒ったような表情で見下ろしてくる。こちらからは見上げるかたちになっているので、なかなかの迫力だ。いろんな意味で。


 つまり褒めろというわけだ。

 しかし、完全無欠の宝龍美ゆきを褒め出したらきりがないと思うのだが。


「そうは言いますが、僕だけですか、ひと言もないのは」


 僕が思わずそう言い返すと、彼女は何か気づいたように男連中の顔を見回した。


 そして、ため息混じりに、


「ダメね、うちの男たちは」

「……」


 皆、少なからずぐさっときた。


「矢神君だけだわ、褒めてくれたの」


 何だと!?


 みんながいっせいに矢神を見る。


「い、いや、僕は見たままを……」


 気弱なクラスメイトは、周囲の視線を一身に浴び、しどろもどろになりながらようやくそれだけを答えた。


「やるな、矢神」

「……」


 滝沢の言葉に、ついには無言。


「時に浜中君、さっきから僕のほうをちらちら見てますが、どうかしましたか?」

「……あんたが僕の真後ろに並んでると、嫌な予感がするんだよ」

「そうですか? 気のせいでしょう」


 話しているうちに、僕らはスタート台の上まできた。

 順にチューブ状の滑り台を滑っていく。


「いいか、それ以上近づくなよっ」


 自分の番が回ってきた浜中君は、滑り台に足をかけるようにして座りながら、上半身だけを僕のほうに向けて、しきりにそう連呼する。信用がないな。


 当然、僕は――、


「心配しなくても押したりはしません……よっ、と」


 蹴落とした。


 期待には応えないと。


「☆×■◎※△ーーー!!!」


 尾を引くようにして遠ざかっていく浜中君の絶叫。


 ぐずぐずしているからだ。まぁ、滑る体勢はほとんどできていたから、問題はないだろう。





 それからもしばらく遊び回っていたが、さすがに疲れてきて、このあたりで一度みんなで休憩しようとう流れになった。


 空いていたパラソル付きの丸テーブルに陣取る。4脚あるイスには僕と滝沢、浜中君が座っている。佐伯さんと桜井さんはふたりで飲みものを買いにいった。


「矢神と宝龍さんは?」

「もう一度ウォータースライダーに行ってるよ。言い出したのは宝龍美ゆきで、つき合わされてるのが矢神だな」

「タフですね」


 と言ったものの、果たしてタフなのはどちらだろう。言い出した宝龍さんか、それにつき合う矢神か。


 向こうから佐伯さんと桜井さんが戻ってくるのが見えた。

 ふたりが買いにいったのは七人分の飲みもの。それぞれお店で借りたのであろうトレイに、大きな紙のカップを乗せている。


 何の話をしているのか、笑いながら歩いていた。実は佐伯さんのああいう友達同士でする屈託のない笑顔というのは、僕はあまり目にする機会がなく、それを見ているとやはり彼女はとびきりの美少女なんだなと改めて思う。


「自分の彼女は誰よりもかわいいと思っている顔だな」

「……」


 いえ、僕の友人は誰よりも嫌なやつだと思っている顔です。隣で浜中君が、ふん、と投げやりに鼻を鳴らした。


 そのときだった。

 佐伯さんと桜井さんに、大学生くらいの男ふたりが声をかけてきた。ナンパか? 僕たち三人はこちらから、無言でじっと成り行きを見守る。


 彼女たちは言葉ではっきりと断ったようで、男たちの脇を抜けた。まだついてくる男ふたり。佐伯さんたちは顔を合わせないようにして、無視。それでも懸命に話しかけながら追いかけてくる。しつこいやつらだ。ジュースの数を見ればグループできていることくらいわかるだろうに。


「滝沢、ちょっといってきます」


 僕は腰を浮かした。


 と、そのとき、男たちがそれぞれ佐伯さんと桜井さんの腕を掴んだ。トレイとジュースが散らばる。


「滝沢っ」


 言うまでもなく滝沢はすでに立ち上がっていた。


「僕も行くっ」

「危ないから君はここにいなさい」


 ついてこようとした浜中君を制しつつ、僕たちは駆け出した。


「すみません。彼女たちから手を離してもらえませんか」


 自然、語調は強くなる。


 僕が佐伯さんを、滝沢が桜井さんを庇うようにして立った。間に割って入って気づいたが、男たちの呼気に酒の匂いが混じっている。ここではビールも売っているのか? それとも自分たちで持ち込んだのか? にしても、酒の勢いでナンパとは。


「あぁ? なに、お前ら? 邪魔してんじゃねぇよっ」


 次の瞬間、顔に衝撃があった。


「弓月くんっ!?」


 佐伯さんの悲鳴。


 体が地面を転がり――ようやくそこで、自分が殴られたことに気がついた。口の中に血の味が広がる。まさかいきなりキレられるとは思わなかった。これだから酔っぱらいは。


 どうやら滝沢の前にいた相手も手を出してきたようだが、僕と違って彼は繰り出された拳を辛くも防いだらしい。


 さて、どうする? まずは佐伯さんたちを遠ざけるのが最優先か。そう考えながら立ち上がろうとしたとき――まるで僕を飛び越えるようにして、そこに誰かが飛び込んできた。


 矢神だった。


 後の出来事は一瞬。


 ひとり目を問答無用で腹に一撃入れて沈め、殴りかかってきたもうひとりの拳を避けて、その顎にアッパーカットのように掌底を叩き込んだ。ふたりとも倒れ――それで終わり。あっという間だった。


 ひとりは胎児のような格好で腹を抱えながら息も絶え絶えに喘ぎ、もうひとりは顎を押さえて痛みに転げ回っている。一方の矢神は、演武を終えた達人のように深く息を吐いていた。


「……」


 僕は呆気に取られ、滝沢は感心したように口笛を鳴らした。


 相変わらず鬼神の如き強さだな。





 結局、そのまま再度盛り上がるような雰囲気にはならず、水を差されるかたちでお開きとなってしまった。


 別れる間際まで、桜井さんは泣きそうな顔で何度も僕に謝っていた。今日のイベントの発起人も彼女なら、ナンパされたのも彼女なので、僕が怪我をしたのは自分が原因だと思い込んでいるようだ。


 僕は気にしないでくださいとしか言いようがなく(実際、彼女が悪いわけでもないのだから)、後は宝龍さんに任せて別れた。


 そして今、僕と佐伯さんは、ふたりで電車に揺られていた。車内はそれなりに混んでいて、当分は開かない側のドアに並んでもたれている。


「大丈夫?」


 佐伯さんが心配そうに聞いてくる。


「大丈夫ですよ、体はね」


 いきなり一発殴られたが、顔が軽く腫れ、口の中を少々切った程度だ。


「体は?」

「体は」


 僕は問い返してきた佐伯さんのその言葉をリピートする。


「でも、精神的に、ね。ちょっとヘコんでいます」


 なんというか――、


「恰好の悪いところを見せたなぁと。威勢よく出てきたわりには、逆にやられてしまいましたから。恰好のつかないことこの上ない」


 僕は少し顎を上げて天井を仰ぎ、そこにため息を吐きかけた。


「別にいいんじゃないかな。カッコ悪くても」


 佐伯さんも僕と同じようにして、斜め上に目を向ける。


「そうですか?」

「うん。それに、カッコイイ人がいいんだったら、きっと弓月くん以外の人を選んでると思うし?」

「……」


 彼女は僕に追い討ちをかけたいのだろうか。いや、まぁ、自分が恰好いいと思ったことは一度もないのだが。


「それでもわたしは信じられるけどなぁ。弓月くんはわたしのピンチに、絶対駆けつけてきてくれるって。今日でわかった」


 彼女は笑顔で続ける。


「それでね、自分がボロボロになっても、わたしだけは無事で、こう聞いてくるの。大丈夫でしたかって」

「……」


 ひどいストーリィだな。


「買いかぶりすぎですよ。いいんですか、そんなふうに僕を信じて。僕だって我が身かわいさに、佐伯さんを見捨てることだってあるかもしれませんよ」

「大丈夫。弓月くんはそんなことできないから。だって、そんなことしたらわたし、弓月くんのこと嫌いになるもの」


 そう言って顔を覗き込んでくる彼女は、目だけで「どう?」と聞いてきていたが、僕は視線を返すことができなかった。


「……」


 ため息をもうひとつ。


 あぁ、確かに。

 そういうことなら、僕にそんなことできるはずがないな。

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