2.「ここは無難に2番ですね」

 佐伯さんとふたりで出かけたはずが、なぜか途中で妹のゆーみに捕まり――昼食をとろうと辿り着いた先は地下街のファーストフード店だった。


 もちろん、ゆーみオススメの美味しいランチの店がここだったわけではない。


「まさか五千円のコース料理の店につれて行かれるとは思いませんでしたよ」


 僕の妹はいつからそんなにセレブになったんだ? うちは由緒ある庶民の家だったはずだ。


「ひとりでぜんぶ払おうと思うから無理なのであって、割り勘なら入れたのではないかと」

「僕は妹と割り勘するつもりはありません」


 入った店で妹の分まで払えなくて何が兄か。


 食事だけで終わりなら清水の舞台から飛び降りるつもりで三人分払っても別にかまわないのだが、この後にも予定はあるのだ。それを考えた上で全員分の食事代をもとうと思えばどうしてもランクダウンせざるを得ず、そうしたらゆーみはファーストフードでいいと言い出したのだ。何もここまで手軽にしなくてもいいと思うのだが。


 そんなわけで僕らは今、テーブル席でハンバーガを食べていた。


 佐伯さんとゆ-みは女の子らしく小さめのハンバーガのセットを。僕は中程度の大きさのセットに、もうひとつバーガーを追加してある。それでも食事の進行は僕のほうが早そうだった。


「わたしも自分で出すから、さっきのお店でもよかったのに」


 と、横から佐伯さん。


「君も同じです。こんなときくらい僕がもちますよ」

「普段は? 毎日の食費も兄さんが出してるの?」


 今度はまたゆーみだ。


「いいえ。買いもののときはその場の雰囲気でどちらかが。きっちり計算しているわけではありませんが、それほど偏ってもいないと思いますよ」


 と、そこまで話したとき、佐伯さんが唖然とした顔でこちらを見ているのに気がついた。


「どうかしましたか?」

「う、ううん。なんでもない」


 彼女は両の掌をばたばたと振り、それから、ぎぎぎぎ……、と、錆びた機械のような動きでゆーみへと向き直った。


「……兄さん、わりと抜けてるから」


 何も聞かれていないのに、ゆーみが答える。


 えらく失礼なことを言われているな。まぁ、自分でも時々うっかりしていると自覚することはあるが。かと言って、今そんなことを言われるほどのことをしただろうか。


 程なく僕はあらかた食べ終わってしまった。残っているのはドリンクだけだ。

 何となくまだもの足りない思いがあって、ゆーみのトレイの上にあるフライドポテトに手を伸ばした。


 瞬間――、


 かり


 と小さな音。


 見ればゆーみが僕の手を噛んでいた。


「……」

「……」

「……ゆーみ」


 僕が名を呼ぶと、彼女は光の薄い黒目だけを動かしてこちらを見た。


「離してください」


 そして、獲物を噛んだままでうなずき、ようやく口を離した。


「間違えた」

「君はトレイに乗っているポテトを食べるとき、顔のほうを近づけるんですか」


 間違えたというわりには、なかなか口を離してくれなかったな。あ、小指の下あたりに小さな歯型がついている。


 ゆーみは、今度は僕の手ではなくハンバーガにかぶりついた。


「兄さんの手のほうが美味しい」


 そんなわけあるか。


「あ、そうなんだ」

「佐伯さんも、僕の手を見るのはやめてください」


 肉食動物に囲まれている気分だな。これが噂の肉食系というやつだろうか。





「じゃあ、私はこれで」


 店を出るとゆーみが平坦な声で言った。


「もう帰るんですか?」

「うん。邪魔したら悪いから」


 と、そこで一旦切り、


「もとから兄さんにおごらせて、一食分浮かせるのが目的だったから」

「君は兄を何だと思ってるんですか……」


 しかし、呆れる僕を無視し、妹は佐伯さんのほうへ顔を向けた。


「後はよろしく」

「わかった」

「それから、ここの15番出口から出るとホテル街。日曜の夜はどの部屋も一律料金のサービスやってるところもあるから、探してみるのもいいかも」

「ゆーみっ」


 何を言い出すんだ。というか、なぜそんな情報を知っている? 兄として不安になるな。


「それもわかった」

「君も本気にしないように」


 なんだろうな、このふたり。一緒にいるととてつもなくハードだ。


 と、ため息を吐いていると、またゆーみがこちらを見ているのに気がついた。


「何ですか?」

「兄さんはもっと家に帰ってくるべき」


 その口調はどことなく拗ねているようにも聞こえた。


「わかりました。夏休みに入れば一度帰りますよ」

「……」


 ゆーみは疑いの目でじっと僕を見る。


 それからすっと一歩近寄ってきた。僕を見ていた視線は伏せられ、まるで彼女の黒髪が差し出されているような構図。そこでようやくゆーみが何を求めているかに思い至った。


「ちゃんと帰りますから」


 僕はその頭を撫でてやった。


 ゆーみはそれで満足したのか、さっきの巻き戻しみたいに一歩下がり、顔を上げた。


「……帰る」


 その声はやっぱり平坦だった。


「気をつけて帰ってください」

「じゃあね」


 僕の横で佐伯さんも小さく胸の前で手を振る。


 ゆーみはこくりとうなずいてから踵を返し、駅の改札口方面へ歩いていった。僕と佐伯さんはその背中を見送る。


「いいなぁ。わたしも撫でてほしいなぁ」

「嫌ですよ。そんなことしたら君、妙なことになるでしょう」

「うん。弓月くんに髪さわってもらったら気持ちよくなる」


 そのストレートなもの言いは何とかならないものか。


「そんなことより、これからどこか行きたいところはありますか?」

「んー? そうだなぁ……」


 佐伯さんはあたりを見回す。


 このへんは地下街でも駅の改札に近いところで、周りにはコンビニやブックストア、今まで僕らが入っていたファーストフード店などしかない。


「15番出口ってあっちかな?」

「だぶんそうだと思いますが、行きませんよ」

「残念」


 まったく。ゆーみがよけいなことを言うから。


「ね、弓月くんはないの? 行きたいところとか、オススメのスポットとか」

「そうですね……」


 今度は僕が考え込む。


 行きたい場所というのは特にないのだが、やりたいことは決まっている。だけど困ったことに、そのためにどこへ行けばいいかがわからないのだ。


「君、何かほしいものはありますか?」


 結局、僕は降参し、佐伯さんに尋ねた。


「ん?」

「誕生日ですよ。まだ少し先ですけど。ほしいものがあれば買いますよ」


 こういうのはこっそり用意して、当日に渡すのがいいのだろうが、何を買えばいいのかどうにも思い浮かばない。


「ほんと? いいの? じゃあね……」


 と、彼女はしばし思案顔。


「安くてもいいから指輪がいいな。それでついでに将来のダンナ様になることを約束してくれたら言うことなし」

「そのへんの洋菓子屋でケーキでも買って帰りますか。君がぜんぶ食べていいですよ」

「十六の乙女の夢を無視するなっ」


 直後、僕は佐伯さんから体当たりを喰らった。





 その後、駅周辺のデパートを三件渡り歩いて、ようやく佐伯さんお気に入りのブランドの店舗を見つけ、そこの小物のコーナーで小さなペンダントを買った。


「こんなものでよかったんですか?」


 とは言っても、値段は四捨五入すれば1万円だ。それでも男の僕としては、あんなシンプルなデザインのものが、どうしてこんな値段になるのか理解できない。ブランド名による付加価値だろうか。


「うん。夏になると薄着になって、首もとが寂しくなるから。こういうのがひとつほしかったんだ」

「そういうものですか」


 僕としては懐に優しくて何よりだが。店舗内に並ぶブラウスやスカートを指さされたらどうしようかとひやひやしたものだ。なにせ文字通り桁が違うのだから。


「それに、世の中、何をもらったかより誰にもらったかが重要なプレゼントってのがあるの」


 まぁ、喜んでもらえているならよしとしよう。


 そのフロアのエスカレータまできたときだった。くるりと佐伯さんが僕のほうへと振り返る。


「ね、つけてよ」


 ケースに入れてきれいに包装までされたそれを、両手で僕に差し出してきた。


「今ですか?」

「そう」


 うなずき、自ら包装を外しはじめる。


 包装紙とケースはひとまずエスカレータ横のベンチに置き、ペンダントを僕に手渡した。そうしてから佐伯さんは背を向け、あいた両手で髪をかき上げた。かたちのよい耳や、普段は隠れているほっそりとした首筋が妙に艶めかしくて、僕はどきりとした。


「耳が美味しそうだからって、ここじゃダメだからね」

「なにを莫迦なことを」


 いいところをついてくる。僕は内心の動揺を隠しながら、佐伯さんの首にペンダントをかけた。


「似合う?」


 彼女は髪を整え、こちらに向き直った。


「それじゃ見えませんよ」


 ペンダントヘッドが服の中に隠れているので、見えるはずもない。辛うじて何かアクセサリィをつけていることはわかるが。


「あ、そっか。じゃあ、これなら……」

「見せなくていいです」


 シャツに指を引っかけて胸元を広げ、中を見せるようにして前屈みになろうとするから、僕は掌で額を叩いてやった。


 時計を見れば、もう三時を回っていた。ここにくるまでに思った以上に時間を消費していたらしい。


「この後は? 弓月くん、何か考えてる?」

「いちおうは」


 そして、わりと自信を持ってエスコートできる場所でもある。


「ひとつは、ここを出たビジネス街にあるカフェ。コーヒーが美味しいです。日曜だからすいてるでしょうね。もうひとつは、近くのビルの最上階に展望ラウンジがあるんです」

「あ、はいはーい。展望ラウンジ? そこがいいでーす」


 佐伯さんは即断即決だった。


 展望ラウンジは、僕自身行ったことがないので、味のほうは保証できないが、まぁ、そこは景色が補ってくれることだろう。





 僕と佐伯さんはその展望ラウンジでティーブレイクをしてから、そのまま屋上の空中庭園へと上がった。


 改めて景色を眺める。

 高いところから見下しても、周りは高層ビルと、その合間を縫うようにして走る道路ばかり。典型的な都会の駅周辺の景観だ。もっと遅い時間なら夜景として楽しめたのだろうが。


「やー、遊んだ遊んだ」


 隣にいた佐伯さんが両手を上げて体を伸ばす。


「もう終わったような言い方ですね」

「だって、家に帰るのにけっこう時間がかかるじゃない?」


 確かに。電車に揺られるだけで、合わせて一時間近く。それに乗り換えと前後の徒歩の時間も加えれば、帰る頃には暗くなっているだろう。


「じゃあ、次は弓月くんが決める番。三択です。1番、夕飯もこのまま外食。2番、君の手料理が食べたい。3番、むしろ君が――」

「ここは無難に2番ですね」

「人の話は最後まで聞きましょうって学校でおそわらなかった?」


 佐伯さんは僕を睨む。


「聞く必要のある話はちゃんと聞きますよ」


 人の話を遮って自分が喋ろうとするのは、日本人の会話によく見られる特徴なのだそうだ。僕も典型的な日本人だということにしておこう。


「ていうか、弓月くんとしては2番が無難なんだ」

「まぁ、ね。今日のお返しに腕を振るってほしい、というところですよ」

「そこまで言うんなら仕方ないなぁ。いつも弓月くんのためにがんばってるけど、今日はもっと特別」


 言ってから、僕らは自然に笑顔で見つめ合った。


 そうして、


「帰ろっか」

「そうですね」


 人工物ばかりの街の景色に背を向けた。


 佐伯さんが僕の腕に自分の腕をからませてくる。


「何ですか、これ」

「家に帰るまでがデートです」

「そんなの初めて聞きましたよ」


 僕はその腕を振りほどかず、そのまま歩き出した。

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