3.「喜んでもらえて何よりです」

 七月七日。

 七夕。


 それ以外にも何か特別な日だったようにも思うが、面倒なので思い出さないことにする。やるべきことは前倒しでやってあるのだし。


 それはおいておくとして。


 七月に入ってはじまった期末考査も、残すところ今日と明日の2日となった。


「弓月くん、七夕は何かお願いする?」


 学校に向かいながら、佐伯さんはそんなことを聞いてくる。テスト期間中だというのに余裕だな。尤も、テストを話題にしようとしても、学年が違うから話が合わないのだが。


「いえ、特に何も」

「ロマンがないなぁ」


 呆れられてしまった。


 別段リアリストでもないつもりだが、高校生になってまで「星に願いを」もないだろう。


「まぁ、年に一度のことですからね。せっかくなので『かわいい女の子と出会えますように』とでもお願いしておきましょうか」

「それはそれでムカつくんですけどー」


 彼女は歩きながら僕を睨んでくる。


「そういう君は何かあるんですか?」

「あったけど変更。『どこかの誰かさんがわたしの魅力に気がつきますように』って書くのが先みたいっ」


 そう言うと佐伯さんはローファーを踏み鳴らし、乱暴な足取りで先に行ってしまった。僕も歩調を速め、後を追いかける。


 次に並んだのは、横断歩道の手前でだった。


 ちょうど信号が青だったので、佐伯さんと肩を並べて渡る。ここからは学園都市の駅と学校を結ぶ道。周りには水の森の生徒ばかりなので、迂闊な話はできなくなる。最近では弓月恭嗣と佐伯貴理華の仲がいいという話も浸透してきてしまったので、そういう意味でも注意が必要だ。


 人に聞かれても支障のない会話をしつつ学校に着き、昇降口でそれぞれの下駄箱に別れた。僕は取り出した上靴を床に落とし、足を突っ込む。


 そして、革靴を拾い上げようと屈んだときだった。


「弓月さーんっ」


 そんな声とともに誰かが背中にのしかかってきた。この声は佐伯さんのクラスメイト、桜井さんだろう。


「こっそりキリカと仲よくなってたなんて、許せなーい」

「別にこそこそしていたつもりはないですけどね。……それより降りてください」


 靴を拾おうと腰を曲げた状態のところに、背中に覆いかぶさるようにして乗られているので、起きるに起きられない。別におかまいなしに起き上がってもいいのだが、落ちたりしないか心配だ。あと、背中にやわらかい感触があって非常に困る。案外こういうのは指摘しにくいものだ。


「ダメです。キリカとつき合ってるのか白状するまで降りません。どうなんですか?」

「さて、どうなんでしょうね……」


 曖昧に答えを返す。


 その返答では納得いかないのか、桜井さんは「うー」と不満げにうなり声をこぼした。それはいいから早く降りてほしいものだ。


 と思っていたら、そこにようやく助けが現れた。


「おー京ー」


 この地の底から聞こえてくるような声は佐伯さんだ。


 雰囲気から察するに、ずんずんとこちらに歩み寄ってきて、桜井さんに飛びかかった模様。横へ滑り落ちるようにして、僕の背から重みが消えた。


 上体を起こすと、佐伯さんが桜井さんのちょっと癖っ毛の茶髪を抱え込むようにヘッドロックしていた。


「お京はっ、どうしてっ、いつもっ、弓月くんにっ!」

「きゃー。ちょ、キリカッ。やめ……」

「許さーん」


 結局、そのままの状態で、ふたりして走って廊下の先に消えてしまった。元気だな、というか、運動能力高いな。


 僕は革靴を下駄箱に片づけ、校舎の廊下部分に踏み入った。


「ところで、そこで見つからないように気配を消して通り過ぎようとしているのは浜中君ではありませんか?」

「うぐっ」


 僕が声をかけると、彼はびくっと体を跳ねさせた。


 少し背の低い中性的な容姿の男子生徒は、これまた佐伯さんのクラスメイトの浜中君だった。


「な、なんだよ。何か用かよ……」

「ただの朝の挨拶ですよ。それにしても『うぐっ』とは愉快な返事ですね」

「……ふん」


 浜中君は鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。


「何か怯えてるみたいに見えますが、どうかしたんですか?」

「う、うるさいな。誰のせいだよ」

「あれ、もしかして僕のせいですか? ……ああ」


 と、今思い出した振りをする。


 先日の学生食堂の前での一件だ。少々看過できない態度があったものだから、こちらも少しキレさせてもらったのだった。


「あれは、ほら、あのとき直前に君と二面性の話をしていたでしょう? だから、僕もその実践をしてみたんですよ」

「なぁんだ、そうだったんですか」


 あっはっはっ、と笑う浜中君。


 せっかくなので僕も一緒に笑ってやった。


「って、それじゃ別に演技でも何でもなくて、ただのマジギレじゃんかよ!」


 さすがにすぐに気づいたらしい。うっすら涙目だ。


「……もうやだ、この先パイ」


 そうして彼は疲れたようにがっくり項垂れ、重い足取りで去っていった。面白い子だ。


 と、まぁ、そんな七夕の朝の風景だった。





 本日のテストは二科目。


 どの程度できたかとか自信とかはさておき。

 ふたつの試験が終わり、テスト期間中で特に連絡事項のない終礼を終えても、時間は十時四十五分。


 僕は教室を見回し、雀さんを捜した。


 皆それぞれに教室を出ていく中、彼女だけはまだ帰る支度をしている最中だった。真面目なのだ。普通の生徒が終礼で先生の話を聞きながら帰り支度をしているのに対し、雀さんは手を止めて手帳まで用意して聞いている。だからいつも周りより遅くなってしまう。


「雀さん」

「……なに?」


 彼女に近づき声をかけると、なぜか低い声の返事とともに睨まれてしまった。


「僕、雀さんを怒らせるようなことしましたかね?」

「してないわよ、私には。でも、宝龍さんを振ったでしょ」

「まだというか、またというか、その件で責められるわけですね」


 僕はため息を吐いた。


 どうやら宝龍さんが雀さんに言ったらしいのだ、『恭嗣に振られた』と。雀さんは何かと気にかけてくれていた――というか、単に自分の希望を押しつけていただけのようにも思うが。なので、ことの結末を報せておくのは当然なのだろう。しかし、何かいろいろと語弊があるような気がしてならない。


「不誠実な態度を取り続けるよりはましでしょう?」

「それはそうだけど……」


 何よりも誠実さを尊ぶ彼女は、しぶしぶうなずく。


「じゃあ、宝龍さんはどうするのよ? 弓月君くらいしか釣り合いそうな人いないじゃない」

「滝沢なんてどうですか?」


 彼なら学力優秀だし、宝龍美ゆきに比肩し得る容姿をしている。美男美女のカップルのでき上がりだ。


「ダ、ダメよ、滝沢さんはっ」


 が、しかし、僕の提案は間髪容れず却下された。


「滝沢さんはクラス委員で忙しいし、それに、ほら、本人にその気がないとっ」


 僕の意思をまったく聞かず、宝龍さんとくっつけようとしていた人の台詞とは思えない。


「そ、それより私に何か用なの?」


 話を逸らすようにして雀さんは話題を変えた。


「ああ、そうでした。もしよかったら僕と一緒にケーキでも食べに行きませんか?」

「……」


 目が点になる雀さん。

 それからおもむろに、深々とため息を吐いて脱力した。


「弓月君はもう少し誠実な人だと思ってたのだけど。期待した私が間違ってたみたい」


 そして、疲れたような足取りで去っていく。


 彼女が教室を出ていくあたりになってようやく、今のは言葉の選択を誤ったなと思った。


「なぁに、もうかわいい彼女から乗り換えるの?」


 雀さんと入れ違いに現れたのは宝龍さんだった。


「ナツコはやめておきなさい。あの子の性格じゃ恭嗣の息が詰まるわ。乗り換えるなら私にしておきなさい」

「違いますって」


 よくも、まぁ、そんなことを自信満々に言えるものだ。


「それで、何を話してたの?」


 彼女は問う。こうなったら白状するしかないだろう。


「実は今日、佐伯さんの誕生日なんですよ。なのでケーキでも買って帰ろうかと思っているのですが、さすがに男ひとりでは行きにくいので……」

「それなら最初から私に言いなさい」


 呆れた様子の宝龍さん。


 確かにそうなのだが、どうやら僕は彼女を振ったらしいので、その手の頼みごとはしにくかったのだ。


「いいわ。つき合ってあげる」

「そうですか。助かります」


 選ぶときに一緒にいてくれるだけでいいです、と言おうとしたのだが、


「気にしなくていいわよ。その代わりケーキセット奢ってもらうから」

「……ま、そんなことだろうと思ってましたよ」





 本当に学園都市の駅前の喫茶店で宝龍さんにケーキセットを奢らされ、家に帰ってきたのは十二時ジャスト。


「ただいま」


 と、リビングに這入る。


「あ、弓月くん、おかえりー」


 昼食の準備をしていたらしく、その声はキッチンの側から聞こえてきた。


 現れた佐伯さんは、デニム地のショートパンツにタンクトップという、すでに夏の出でたち。頭にはヘアバンドが巻かれていて、髪が少々パンクだ。


「君、前のホックくらい止めたらどうですか?」


 体にフィットしたショートパンツの前のホックが外されていて、どきっとする。実際、何やら白い布地が見えていて、目に毒だ。


「ああ、これ? これだったら見られても大丈夫」

「そういう種類のものですか?」


 世の中、開放的なファッションのための、見せたり見られたりを前提にしたものもあるらしい。きっとその類のものなのだろう。


「今日はちゃんと大人っぽいのだから、見られても恥ずかしくありませんっ」

「……」


 ぜんぜん大丈夫じゃなかった。


 なぜかぐっと拳を握り締めている佐伯さん。いつも思うが、何をもって恥ずかしいとするかは人それぞれのようだ。


「それより、遅かったね」

「ちょっと寄り道をしていたもので」


 僕がそう言うと、佐伯さんは「ん?」と首をかしげた。


 しばし考え、


「……宝龍さん?」

「なんでわかるんですかっ」

「あ、や、ちょっとカマかけてみただけなんだけどね」


 見事に大当たりだったせいか、彼女は苦笑する。


「宝龍さんにはこれを買うのにつき合ってもらっていただけです」


 僕は紙製の白い小さな箱を示した。中にはショートケーキがふたつと保冷剤が入っている。


「これは後で食べるとして、先にお昼にしましょう」

「うん。今日はスパゲッティのミートソースだよ」





 まだまだ期末考査中なので、食後は勉強。ケーキはそれが一段落した三時過ぎに食べることになった。


 僕がキッチンでコーヒーを入れ、間、佐伯さんはリビングでケーキを皿に移す。深いグラスふたつにアイスコーヒーを入れてリビングに帰ってくると、ケーキを用意し終えた佐伯さんが待ち切れない様子で座っていた。


 ケーキはシンプルなショートケーキ。上にイチゴとキウィが乗っていて、小さな三角形のチョコも刺さっている。


 いただきます、と、それぞれフォークを突き刺し、切ったケーキを口に運ぶ。


「おお、美味しい」

「喜んでもらえて何よりです」


 宝龍さんにケーキセットを奢らされた甲斐があったというものだ。


 素朴な味を堪能しながら食べていると、佐伯さんがじっと僕の手元を見ているのに気がついた。


「弓月くんの、美味しそう」

「同じものですが?」


 あっちも食べたいこっちも食べたいとなっても困るので、同じものをふたつ買ってきたのだ。


「ひと口ちょーだい。あーん……」


 口を開いて身を乗り出してくる佐伯さん。


「君、さてはこれがやりたいだけですね」

「いいの。……あーん」


 再度、口を開ける。


 やれやれ、面倒な子だ。僕は仕方なくケーキをフォークで切り取り、彼女の口に運ぶ。


 ふと、


「雛にエサをあげている親鳥の気分ですね」

「……美味しいと一部で絶賛の弓月くんの手、本当にかじるぞ」


 半眼ジト目で睨む佐伯さん。


 改めて彼女にケーキを食べさせてやった。


「うん。美味しいし、恋人っぽい」

「……それは何よりです」


 大満足の佐伯さんに対し、なんとなく投げやりな気持ちの僕だった。


「そう言えば、まだ言ってませんでしたね」

「なに?」

「誕生日おめでとうございます」

「うん。ありがとう」


 彼女は嬉しそうに笑った。


 考えてみれば、しばらくは同い年なんだな。

 まぁ、だから何だというわけでもなく、たいした意味はないのだが――ふと、そう思っただけ。

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