3.「君か、僕か」

「じゃあ、そろそろ部室に行くわ。つき合わせて悪かったわね」

「いいえ、かまいませんよ。どうせついでですからね。いい暇つぶしになりました」


 そんな僕の返事に宝龍さんは、言葉ではなく笑顔で応えた。


 が、踏み出しかけた彼女の足が、ふと止まる。


「恭嗣、噂をすれば影が差すというやつかしら? 彼女がお迎えよ」

「ん? ああ」


 教室の入り口を見て、すぐに理解した。そこにおそるおそる中を覗き込んでいる女の子がひとり。不思議な色合いをした髪の、とびきりの美少女。


 佐伯貴理華。

 宝龍さんが書いた小説のではなく、それとは似ても似つかない現実の佐伯さんだ。




 ……。




「どうしたの? 毎日見てる顔でしょ。今さら見惚れてるの?」

「……え? あ、いや、そんなんじゃありませんよ」


 僕は慌てて取り繕い、軽く片手を上げて佐伯さんに応えてやった。すると彼女は安心したように、そして、嬉しそうに笑顔を見せる。


「じゃあね、恭嗣。また明日」


 そう言うと宝龍さんはひと足先に教室を出て行った。


 僕も机の横に置いていた鞄を拾い上げ、ドアのほうへ向かう。間、佐伯さんと宝龍さんは、二言三言、言葉を交わし、最後に宝龍さんが佐伯さんの肩を叩いて離れていった。佐伯さんは丁寧にお辞儀。


 遅れて僕も出ていく。


 と、


「ご、ごめんなさい。委員会が長引いちゃって……」


 僕が何か言うよりも先に、佐伯さんが発音した。




 ……。

 ああ、まただ。




「……」

「あの、怒ってます? 待たせちゃったから」


 彼女は申し訳なさそうに聞いてくる。本当、宝龍さんが書いた小説に出てくる佐伯さんとはまったく別人だな。


「あ、いや、気にしないでください。それに待っている間、特に暇だったわけでもありませんから。……帰りましょうか」

「はいっ」


 弾むような返事が返ってきた。


 ふたりで歩き出す。

 だが、それは並んでいるというよりは、佐伯さんが僕よりも一歩遅れて斜め後ろをついてきているような構図だった。


 放課後とは言え、終礼終了から一時間ちょっともたっていれば、廊下に生徒の姿はほとんどない。たまにうちのクラスみたいに何人か残っていたりもするが、すでに戸締りもされて人の気配のしない教室のほうが多い。


 慣れ親しんだ放課後の風景だ。




 ……。

 慣れ親しんだ……?




 ふいに後ろに引っ張られる感覚が僕をはっとさせた。

 立ち止まって振り返ってみれば、カッターシャツの裾を佐伯さんが指でつまんでいた。


「……歩くの、速いです」


 ややうつむき加減の顔には不貞腐れたような表情。


「すみません。ちょっと考えごとをしていたもので」

「考えごと?」


 今度は心配そうに見上げてくる。瞬きとともに長い睫毛が揺れた。


「ええ、ちょっと……」




 ……。

 あれ? 今、僕は何を考えていたんだっけ……?




「まぁ、たいしたことじゃありませんよ。もう大丈夫です。ちゃんとゆっくり歩きますから」


 気の回らない自分を反省し、歩幅も小さく歩き出す。が、さっきほどではないものの、まだ引っ張られる感じがあった。佐伯さんが指を離していないのだ。


「えっと、佐伯さん?」

「も、もうちょっと握っていたいかなって……」


 彼女は照れて赤くなった顔をうつむかせたまま、小さくつぶやいた。


「……」


 僕は天井を仰ぎ見る。まさかこの年になって電車ごっこをする羽目になるとはな。まぁ、人目がないのが救いか。


 とは言え、これも続いたのは昇降口までで、靴を履き替えるときには手を離さざるを得ない。佐伯さんは拗ねた子どものように、渋々自分の下駄箱のほうへ向かった。


 それぞれ学校指定の靴に履き替える。

 そうしてから昇降口を出ると、佐伯さんは親に置いていかれそうになった子どものように、僕のところに駆け寄ってきた。


 校門を出て、いつもの道を行く。


 交わされるのは他愛もない日常会話。


「もうすぐ期末考査ですが、まぁ、頭のいい君ならきっと余裕でしょうね」

「そんなことないですよ。わたしだってテスト前は必死だし、テストなんてなければいいと思ってます」


 むう、と佐伯さんは頬を膨らます。


「やっぱり君も勉強はしますか。それが終わればようやく夏休み。休み中、海かプールでも行きますか?」

「ぇ?」


 小さな驚きの声を発し、彼女の足が止まる。


 しかし、それも一瞬のことで、すぐにわたわたと駆けて、ひらいた距離を詰めた。


「えっと、その、そういうこともあるかなと思って用意はしてるんですけど……、あまり派手なのとか大胆なのは、期待しないでほしい、かな……」


 佐伯さんの声が、恥ずかしそうに尻すぼみに消えていく。


「あ、いや、僕もそういう気持ちで誘ったんじゃなくて、ただ単に夏ならプールか海だろう程度の単純な……」


 そんな反応をされるとは予想外で、今度はこっちが焦る番だった。


 僕たちの間にぎこちない沈黙が生まれた。

 無言のまま歩を進める。


 ふと――、




 予想外?

 僕は今、何をもって予想外だと思った……?




 気がつけば交差点まできていた。

 ちょうど信号が青だったので横断歩道を渡る。そのまま歩き続けたところで、僕はついに足を止めた。


「どうかしたんですか?」


 佐伯さんも遅れて立ち止まり、振り返った。


 街路樹の立ち並ぶ広い歩道で、僕らは向かい合う。


 普段から交通量の少ない車道に車の影はないが、それを別にしても今は奇妙な静けさがあった。


「ちょっとした疑問です」

「疑問?」

「ええ。これはどちらの夢なのだろう、と」


 静謐の中で僕は問う。風が通り抜けていった。




「君か、僕か」




 僕が追い詰めてしまった佐伯さんの夢なのか、

 佐伯さんがもう少しおしとやかであってくれたら、などと莫迦なことを思った僕の夢なのか。


 それとも今までが夢で、これこそが現実なのか。



「まぁ、おかげで何度も思ったはずのことを思い出しましたよ。佐伯さんの個性キャラクタにはよく呆れたりしましたが、その度に僕は結論していたはずなんです。……それでも彼女は今のままがいいと」

「……」

「……」

「……さよならね」


 夢の終わりは唐突にやってきた。


 意識が現実に引き戻される。


 そんな夢と現実の境界線上で僕は見た。ついさっきまで佐伯さんだった女の子が、初めて見るようなどこかで逢ったような、大人にも少女にも見える女性へと変貌するのを。彼女は真っ黒な、所謂ゴシックロリータの衣装を身にまとっていて、僕に妖しく艶やかに微笑むのだった。


「……」


 なんとも、まぁ、夢というのはいつもいつもよくわからないものを見せてくれる。





                  §§§



 目が覚めたとき、僕は保健室のベッドの上にいた――。

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