第13話 貴族ロイ・アダムス

 同じ頃、アカギ山の街道では、1人の貴族と数人の兵士が現場検証に訪れていた。

 彼の名はロイ・アダムス……貴族としては下級騎士の生まれでは有るが、己の才覚で中級の調査兵長まで上り詰めた苦労人でも有る。

 齢30になる彼は、女性のような風貌と長い髪を持った美丈夫で、この度は領主の命により「不慮の事故」で落命したと伝えられるミハイル・グレゴリー・ヘストン上級騎士の遺体回収と調査に赴いていた。


「ジゴロウ兵隊長、ここですか……ミハイル殿が『不幸にも』命を落とした場所は」


「は、はい……仰せの通りでございます、ロイ様……」


 ジゴロウ兵隊長は、己の芝居ベタにうんざりしつつ、それでも取り繕おうと必死になっていた。

 あれから圭一郎達と別れ、報告のため王都に向かったまでは良かった。

 しかし彼も知らなかったのだが、ここで死んだミハイル上級騎士は領主ヘストン公爵の曾孫にあたる人物だったのだ。

 そのため彼はいわれのない責任を問われ、処刑される寸前だった。

 それをすんでの所で救ってくれたのが、このロイ兵士長だ。

 

――「事の真偽を確かめなければなりますまい、それにミハイル殿の亡骸をそのままにするのはあまりに不憫、この者を断ずる前に、私めに同行させる事をお許し願いたい」――


 その申し出を許され、己の命運をかけてロイ兵士長とこの場所に戻って来たのだった。

 だが、生来の実直な性格が災いし、この若く賢い騎士に嘘を見破られるのは時間の問題だ。

 彼は後悔していた。

 あの時、あのまま圭一郎に付き従っていれば、あるいは共に貴族に対して反旗を掲げ戦っていれば……同じ死ぬにしても、もう少し満足して死ねたのではないかと。


「ロイ兵士長! 見つかりました、ミハイル様のご遺体です!」


 ロイ兵士長は、掘り起こされた遺体を前に、眉一つ動かす事無く観察を続ける。

 それを見守る事しか出来ない、ジゴロウは生きた心地がしなかった。

 ヘストン領……いや、王国一の切れ者と名高い若き兵士長。

 その彼が、ミハイルの胸の傷を見て事故死だと思う筈もない。

 彼は己の全身に、酷く汗が噴き出しているのを感じていた。


「ジゴロウさん、知っていますか?」

「は、な、何をでしょうか!?」


 緊張して上ずった返事しか出来ないジゴロウに、ロイは優しげな眼差しで語りかけた。


「この方……ミハイル殿は、結構な魔極水を持っている人でした。

 いえいえ、もちろんキャニスターを使えるほどではありません、あくまで一般的な話ですよ。

 彼はその……半端で使い道の無い魔力を、己の力……つまり膂力に用いてましてね……いやはや、武術に関してはですね、そりゃもう並ぶ者無しと言われておりまして……この私も何度も……もう嫌というほど稽古を付けられ打ち据えられたものでした。

 いやね、だから『ざまあみろ』などとは思ってませんよ? 決して……。

 まあ、私は魔極水を頂ける立場ではありませんから……ああ、別に僻んじゃいませんよ? 独り言です独り言」


 ジゴロウは弱り果てていた。

 この男はあまりに饒舌で、時折その言葉の端々に鋭い指摘が隠されている事が有る。

 自分の様な単純で学のない者は、いつ引っ掛けられるか分からない。

 しかし、段々とこの男ロイ・アダムスの言葉に熱がこもり始めているのを感じて息を呑んだ。


「この胸の……おそらく落盤の際に、剣が刺さったこの傷口。

 これがもし……もしですよ……ああ、これは独り言だから気にしないで……。

 これが敵から、それも武器を奪われて尚かつ、一撃で穿たれた傷だと仮定して……どうでしょう? 

 魔極水で強化された騎士とその鎧、貫けるものでしょうか?

 それに彼の従者、クレスト中級騎士ご自慢のスピアも防ぎ、抵抗も許さず首をはねる……なんて事が可能でしょうか? 

 それがもし、もしね、もしも1人の人物が成した事だとしたらどうでしょう?

 ああ、良いんですよ独り言ですから……ははは」


 ジゴロウは先程から不思議な空気を感じていた。

 それを今はっきりと確信した、この若く美しい騎士は、明らかに高揚しているのだ。

 貴族とはいえ平民同然の家柄であり、上級騎士達からは蔑まれ駒のように扱われる日々。

 何百年も変わることの無い営みに、全てを諦め委ねるしかこの世界に生きる道は無い。

 それを打ち破る可能性を、ほんの僅かでも見つけ出したと思っていた自分と、きっと同じ物が見えているのかもしれない。

 もちろん、その全てが偽りかもしれない。

 その可能性は拭えないが、ジゴロウの心には、熱いものが込上げようとしているのだった。


「ジゴロウさん、その……目撃者の方は、どちらの方角へ?」

「はっ、もっと北西の……カイ村の先の方だと思われます」

 

 ここでは嘘は吐いていない。

 カイ村の男を取り返しに来た圭一郎が連れていたのは有名な自動人形オートマタウンディーネだ。

 だとすれば、辺境の医師ウツノミヤモトコの弟子に違いない。

 そもそもカイ村の男を召出したのは、ウツノミヤモトコの魂が消失したための代わりだと聞いている。

 だとすれば、圭一郎の向かう先は北西に在るスワ村に違いない。


「……ふふふふ……そうだ、シナノへ向かいましょう。そうしましょう!」

「は? ロイ様、何故シナノへ? 恐れながら、あの街は小領主ダフニル様の、その……御役目で向かうには――」


 彼の副官である下級騎士ガストンは、相も変わらず突拍子も無い上司の言葉に狼狽した。


「うふふ、良いのですよ。我々はただ、容疑者の足跡を辿って行くうちに、たまたまシナノに入るだけです……領主様の命令には逆らっていませんし、捜索範囲がどこまでとは上申していません、違いますか?」


 ガストンの顔に、諦めの表情が見て取れた。

 彼はこの変わり者の上司に振り回され続けて尚、全幅の信頼を寄せている。

 この上司に対しては、反対意見など時間の無駄であり、彼の考えが無駄だった事も一度も無い事は承知していた。

 何より、このロイほど共に居て退屈しない男も居ないのだ。

 反対する理由など微塵もない。


「さあて、善は急げと言いますし……ところでジゴロウさん、あなたはどうします?」

「はあ……しかしお急ぎのご様子です、徒歩のわしがご一緒では……」

「ガストン! ジゴロウさんに馬……いえ、その荷馬車が良いでしょう。

 ミハイル殿達のご遺体? ああ……帰りに回収しましょう、その辺に埋めておいてください。

 え? ミノタウロスが掘り起こしたら? 鎧までは食べませんから。

 それとジゴロウさん、一度村へ戻ってあなたの部下も乗せてきてくださいませんか?

 食料も人数分、長旅になるので私達の分もお願いします。

 さあ、皆さん急いで下さい」


 ジゴロウはまた困り果てていた。

 いきなり荷馬車などあてがわれても、扱いなど心得ていない。

 足の遅い牛車ならいざしらず、平時は村で野良仕事を生業としている彼にとって、馬は身分の高い者や、伝令係の官吏ぐらいしか縁のない物だ。


「どうしました、ジゴロウさん……と、これは失礼! いえね、別にあなたに恥をかかせたかったわけじゃ無いんですよ?

 しかしこれでは先へ進めませんね、仕方ない――」


 ロイは不自然に馴れ馴れしく、ジゴロウの隣に座り込み手綱を握った。


「ろ、ロイ様、そんな畏れ多い……」

「構いませんよ、どうせ待っているのも暇ですからね。

 ところで……ああ、ただの独り言です。

 魔極水をその身に持つ貴族……皆『魔族』と呼びますが……普通の人間とは違い多くの力と権力を持ち、長命で己の快楽追求のみに生きている尊き方々……。

 彼らに仕えていると、時折思いますねえ……何が楽しいんだか……と。

 ああ、もちろん独り言ですからね」


 ジゴロウは気が付いた。

 この男は自分と同じ事を期待しているのだと。

 あまりにも荒唐無稽で危険な考えだ、現実的に起こるはずもない……少なくともあの時まではそう思っていた。

 この世界では、貴族……いや魔族を斃せ得るのは更に上位の魔族のみ、それが普遍の常識でもあった。

 それ故下は従い上に逆らわない、これも何百年も続いる常識で、下克上など戦国の英雄譚などの書物は遺っていない。

 それをジゴロウは村に伝わる口伝で知っていた。

 この国の創世神話や源平合戦など、弱いものが力を集めて強大な敵を打ち倒す。

 少年の頃、ヨシツネやスサノオなどの英雄に憧れたものだった。

 そして感じていた、不破圭一郎こそ英雄の再来ではないのかと。


「……で、ですね。そんな魔族に立ち向かう事の出来る人間が、もし居たとして……その人が世の中を変えるために立ち上がったとしたら……」

「ロイ様ならどうなさいますか? 貴族というお立場は?」


 ジゴロウの言葉に、苦笑しつつ、ロイの目には「待ってました」と言わんばかりの光が灯っている、それはジゴロウの心にも火を灯した。


「ジゴロウさん、いけませんねえ……独り言に受け答えなんてマナーがなってませんよ?」

「申し訳ございません、ついわしまで独り言を……」

「それで良いのです、これはあくまで私達の独り言なんですから。

 さあ、急ぎましょう、先ずは職務を全うする事が先決です!」

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