第7話 キャニスター
それから暫くして、ウンディーネが戻ってきた。
彼女は俺の前まで来ると、足元に横たわるミノタウロスの死骸と俺を交互に見比べ……ているんだと思う……で、暫く黙った後、ようやく言葉を発した。
「お待たせいたしました、これよりお二人を村までお連れいたします。
ですが、その前に質問がございます、よろしいでしょうか?」
「ああ、良いけど? てか大体わかる、こいつの事だろう?」
足元のミノタウロスを指差して、俺は言った。
彼女も黙って頷いている。
なので、さっきの話を包み隠さず伝えると、また暫く考えこんだ。
その隙を突くかのように、ハルナは俺の脇をすり抜けて、ウンディーネの後ろに隠れた。
「あ、あんた、いったいどうなってるわけ!?」
「……あ? 何の話だ?」
「とぼけないで! ミノタウロスを素手で仕留める人間なんて聞いたことないわ!」
さっぱりわけが分からない。
こんなイノシシより弱いやつ、俺でなくとも倒せるだろうに。
「主様、彼女の言うことは真実でしょうか?
因みに、このミノタウロスは、中級の個体です。通常であれば、剣士・弓兵・槍兵を1個小隊とし、2個小隊で討伐するのがセオリーです。
手慣れた狩人でも、最低5人は必要とします。
弓矢で威嚇し槍でダメージを与え、剣でとどめを刺すのが通常の戦術です」
え……? そうなのか?
でも、間違いなくこいつは俺より弱かった、それは事実だ。
「主様、失礼致します!」
そう言うと、ウンディーネは俺の手をとって――痛ででででで! あ痛ああああ!!!
「失礼いたしました、現在通常通りに戻っている様子です」
し、失礼ってレベルじゃねーぞ!?
マジで右腕が粉砕骨折するかと思った!
それに何だ、通常どおりってどういうことだ?
「主様、兆候が現れるまで秘匿するよう前マスターからの命令でした。
しかし、昨夜よりその兆候が顕著に現れております。
これ以上秘匿する事は、逆に今後の不利益をもたらす恐れが高いので、この場を借りて述べさせていただきます」
抑揚のない彼女の言葉に少し緊張した。
そして、俺は襟を正し……いや、この服は正す襟なんか無いんだが、ともかく聞く態度を取ると、やはり淡々と彼女は話を始めた。
「主様、貴方の身体を修復するため、元マスターは秘蔵の魔極水を用いました。
その事はご存知と思います。
それで、その後どうやって身体が元通りになったのかご存知でしょうか?」
俺は首を左右に振る。
だって俺が目覚めた時は、身体はすっかり元通りだったんだ、知っているわけがない。
するとウンディーネはハルナの剣をするりと抜いて、自分の左腕を肘から切り落とした!
「ちょっと! 何してるのウンディーネ!」
慌てるハルナ、俺も驚いたが、その後更に驚いた!!
彼女は切り落とした腕を拾い上げ、裏表逆に傷口をくっつけた。
流れているのは血ではなく、オレンジ色の魔極水の体液だ。
しかしその量はほんの僅か、しかもよく見ると、液体ではなくジェル状だ。
傷口を合わせると、すぐに右手を離す。
当然落ちると思われた左腕は、瞬間接着剤のCMみたいに落ちてこない。
そして突然ぐるりと裏表の向きを変え、正しい位置に戻ったと思ったら、一瞬のうちに傷が消えて元の状態にもどってしまった。
「これよりも時間はかかりましたが、主様もこのように再生なさいました」
それを聞き、背筋がぞっとした。
俺は目覚めた後、そのことについて全く考えたことがなかった。
むしろ、実は脅かされただけで、大した怪我じゃなかったのだと思い込んでいたのだ。
「そ、それで……結局のところ、魔極水って何なんだ? 俺の中にもかなり流れているんだろ? それってヤバイ物なのか?」
ウンディーネは黙って首を横に振った。
これはヤバイものじゃ無いって意味で良いんだよな?
そして彼女はさらなる行動に出た。
「ちょ!! 待て、ウンディーネ! それは流石に――」
彼女は身につけたチューブトップをいきなり引きずり下ろし、巨大な胸を露わにする。
そして有ろうことか、今度は胸の中央に短剣を突き立てたのだ!
その光景を間近で見たハルナは失神してしまった、俺もどうして良いかわからず狼狽えるが、ウンディーネは動じる風でもなく、胸の傷に手を突っ込んで何かを取り出した!
「主様、これがキャニスターです」
直径10センチほどの、輝く金属のベルト状の輪っか。
それを2本交差させたような中に、5センチ程の球体が閉じ込めてある不思議な物体だった。
ベルトから、数本のコードの様なものが繋がっていて、それが彼女の体内に通じている。
中の球体も、金属のようだが材質は不明。
ただ、見た感じ、ウンディーネの仮面と同じものの様な気がする。
「わ、わかったからその……仕舞ってくれ、はっきり言って心臓に悪いから」
そう言うと、彼女は胸の中にキャニスターを仕舞い込んだ。
先程と同じように、傷は一瞬で塞がり跡形も無い。
あまりにびっくりしたもんだから、その両脇の肉塊を観察する余裕すら無かった。
「主様は、このキャニスターを使う条件をご存知ですか?」
もちろん知るわけがない、てかそれと分かってての質問だろう。
そして彼女はキャニスターについて、手短に説明してくれた。
このキャニスターが、今世界中で124個……ヘストンとやらが新作を作ったらしいから、125個か。
しかしそれは確認されている数であって、実際はもっと多いかもしれないし、減っているかもしれないそうだ。
問題は、これが誰にでも扱える物では無いと言うところだ。
キャニスターを扱うには、元々は魔王の許可が必要だった。
それは最初の一個と劣化版の24個を魔王が制作したからであるのだが、その許可の方法だ。
魔王がOKと言えば動くものではなく、魔王の許しというのは……魔極水を体内に取り込む事らしい。
この世界の物語に有るそうだが、魔王は12人の部下に、己の「血」とキャニスターを与え、世界を統治するよう命じた。
12人の王は、その配下の領主達に、己の血とキャニスターを与え、それぞれの領地を治めるよう命じた……ってことはつまり?
「はい、魔極水。その原料は、数種類の薬品と魔王もしくは貴族の血液です。
その純度が高ければ高いほど、取り込んだ量が多ければ多いほど、肉体や精神に変化を及ぼします。
主様の体内には、高純度の魔極水を500ccほど注入してあります。
これは通常の5倍の量になります」
「ちょっとまてー!! 何でそんなもんモトコさんが持ってたんだ!?」
「その件について回答いたします。あれは、わたくしの身体に用いるための、言わば補充用でした。
その全てを主様の再生に使用致しました」
「なんだってー!? おま、確かそれって劇薬に等しいとか言ってなかったか!?
そんなもん使ったって、それって人体実験じゃ無いのか!!?」
「否定はいたしません、主様の生存確率は、0.2%以下でした。
しかし、あのまま放置していれば、100%死亡でした、故に元マスターは問うたはずです。『助けてほしいか?』と」
覚えてます、死んでたらしいけど……魂に直接語りかけてたらしいけど。
「そして元マスターは、主様を試しました。
悲惨な現状に絶望しないか、己を保っていられるか……を」
それも覚えてる、てか、あの時は死に方に納得できなかっただけだったからな、そんな深い所まで考えてなんかいないさ。
「この38日間の経過で、主様は魔極水を完全に支配下に置いた……と思っておりました。
しかし、昨晩から危険な兆候が現れておりますので、僭越ながら警告いたします」
「危険な……兆候だって……?」
そう、今納得行った。
昨夜のハルナに対するサディスティックな欲望と、さっきのミノタウロスに対する無慈悲な残虐性……どちらも俺には覚えの無い感情だ。
そしてこの力……今にして思えば、この大きさの生物の骨なんてそりゃあ硬いもんだ。
それを枯れ枝みたいに素手でへし折るなんて、以前の俺になら全く不可能な所業だ。
これは貴族の血が混じったせいなのか?
「主様、恐れる事は有りません。気を強くお持ちください、貴方様なら大丈夫なはずです、前マスターの見込んだお方ですから」
その言葉に、俺は落ち着きを取り戻した。
そう、俺は俺だ、この先どうなるのかは分からないけど、どこに居ても俺は不破圭一郎以外の何物でも無いのだ。
「悪かった、ウンディーネ……これからも宜しく頼むよ、それにハルナ……?」
まだ気を失っていた、なんだよ……今のうちにパンツ脱がそうかと思ったが、後でウンディーネに告げ口されちゃたまらないからやめておこう。
それにこいつには、まだまだ聞きたいことも有る。
そう、おれと同じ世界から来た仲間たちについてだ……。
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