第5話 師匠


 それからすぐ、仕度と言っても厚手のコートを羽織っただけ。

 すぐに出発したい……のだが、どうすりゃいいんだ?

 ウンディーネの背中におんぶされりゃ良いのだろうか、人目を気にする時間じゃないが、絵面的にカッコ悪い。

 戸惑っていると、いきなりウンディーネの小脇に抱えられてしまった。


「え! ちょっ、ウンディーネさん?」

「舌を噛まないよう!」


 そこからはまるでジェットコースターの様だ。

 空気抵抗を抑えるため、彼女はあり得ない程の前傾姿勢になり、俺の頭も地面すれすれを疾走している。

 確かにこれをハルナに味あわせれば、悲鳴を上げるどころじゃ無かっただろう。

 事実、ウンディーネの右脇が開いているのだから、二人運ぶくらいは彼女にとって造作もない事だ。

 この責め苦に30分間耐え続けた。

 俺の体温も、限界まで下がったかもしれない。

 だが運べといったのは自分自身だし、文句など言えるはずもない。


「間もなくです、跳躍します、3・2・1――」


 抵抗など許されるはずもなく、遺言する暇も与えず彼女はジャンプした。

 物凄い勢いで離れて行く大地、そして視界に映り始める木樹。

 気を失うことが出来たなら、きっと幸せだったと思う。

 

 やがて一本の細い山道が見えた……っと思ったら、それがカメラのズームみたいにズンズンと近づいて来る。

 着地の瞬間、腹部に軽い衝撃を覚えた。

 胃の内容物が逆流しそうだったがなんとか耐えた。

 

「到着いたしました、これよりハルナ様をお迎えに参ります」


 そう言って、俺は地面にドサッと下ろされた。

 主と言いつつ何たる仕打ち……。

 命令は聞くし、敬意は払っても、尊敬はしていないのだろう。


「わ……わかった。

 それで……モトコさんはドコに居るんだ? まさかもう死んでたりしないよな?」

「夜明けとともに『抜魂の儀』が行われます、それまではご存命のはずです」


 そう言って彼女が指差した先には、白い塔のような建造物が在った。

 地上高は50メートルくらいあるのだろうか、見た感じから、石でできたアンテナの様に思える。

 その目元に近づくと、周囲は石段になっていて、塔の根本の部分……そこだけ丸くえぐられた様な窪みの中に、モトコさんは居た。

 

「も、モトコさん!!」


 眠っているかのように目を閉じて、設えた椅子に座った彼女。

 俺は駆け寄って、必死声をかけて揺り起こそうとした。


「うるさいねえ、全く……よくウンディーネが喋ったね。

 夜明けまで誰にも知らせないように言ったのに、それとも他の誰かに聞いたのかい?」


 ウンディーネの時間制限はそういうことか。

 彼女は眠そうに、気怠そうに目を開け言葉を発したが、すでに今朝の元気は感じられなかった。


「モトコさん、取り敢えず帰りましょう。あ、あの後ハルナってやつも来て、帰ってくるの待ってますよ、モトコさんに話があるって――」


 差し伸べた俺の手を、彼女は払いのけた。

 そこに明確な覚悟が有ることを感じ、俺はそれ以上何も言えなくなる。


「今私が戻ったらね、代わりに村人10人が死ななきゃならないんだ。

 そして一日遅れるごとに一人ずつ、ここで魂を抜かれなきゃならない……それがこの国の掟なんだよ」


 そう、ハルナから聞かされた。

 この国は、生きていくのは自由だ……税金もほとんど無いし、どんな仕事でも好きにやって構わない。

 しかし、人殺しと国を出ることだけはご法度だ。

 その理由、それは国民の全てが王や貴族の「贄」だからだ。

 怪我や病、不慮の事故で死ぬのならともかく、人は勝手に死ぬことすら許されない。

 死ぬときは、この祭壇で魂を抜かれて死ななければならない。

 この国で、いや……この世界全体での決まり事なのだ。


 人は65歳になったら、例外なくここに座り死を待つことになる。

 その魂は、国王や領主のキャニスターに送られて、彼らの命を繋ぐ糧となる。

 人間は、彼らにとってエサでしかないのだ。


「ククク……ヘストンの奴、あいつは私の魂を奪うのが何より楽しみなのさ。

 何故だと思う? 圭一郎」


 そんな事わからない、それにどう答えれば良いのやら……俺はただ困惑した。


「あいつは私の魂で、新しいキャニスターを作るつもりなのさ。

 私は異世界の人間だ、あいつもそれは承知している。

 そして私は大魔法使いと呼ばれた男の孫弟子にあたるんだ……と言っても会った事なんか無いよ。

 あんたに私の記憶を譲ったように、私の師匠から譲られた物なんだ。

 そしてね……フフ……ハハハ! 私の最後の力の全てをウンディーネに託してある、あんたが後で受け取っておくれ」


 モトコさんは、急に楽しそうに笑い出した。

 それに何だ、キャニスターって領主とかでも作れるのか? やはり材料として、人の魂が必要になるのか。


「くく、あははは! もう私の魂なんて、何の役にも立たない搾りかすさ! あいつの悔しがる顔が見れないのだけが心残りだよ!」


 今度はそれこそ豪快に笑い出した。

 その様子を見て、俺も可笑しくなる。

 もう、この人を引き止めることはしない……する必要は無い。

 この、俺の大切な師匠は、今人生で最も満足している時なのだ。


 上着のポケットに何か入っているのに気が付いた。


 身に覚えがないのだが、取り出してみるとそれは、ヒップフラスコだった。

 昔映画で見たことがある、ウイスキーなんかを小分けにして持ち歩くための小型のボトルだ。

 栓を開けて匂いを嗅ぐと……おお、間違いなくウイスキーが入っていた。


「モトコさん! 俺との約束を果たしてください」


 俺は笑顔で彼女にそれを差し出した。


「おほ、ウンディーネの奴かい……全く、あの子は変なところで人間臭くていけないねえ。

 でも可愛い奴さ、圭一郎……大事にしてやっておくれ、頼んだよ。

 ああ、それからハルナ……あの娘今頃戻って来たのかい、最初はあの子を弟子にするつもりだったんだがね、どうしても元の世界に戻りたいらしい。

 とにかく戻る方法を探すんだ、って言って飛び出してしまってね……元気だったかい?」

「あ、え、ええ……早速一悶着有りましたけど……」


 そう気まずそうに答えると、何か察したのか彼女はそれ以上何も聞かず、ウンディーネが差し入れてくれたウイスキーを一気にあおり、残りを俺に差し出した。

 俺も答えるように、その残りを飲み干した。

 これで、次に会った時飲もうと言った約束はギリギリ果たされた……別れの盃になっちまったけど……。


「圭一郎……」

「はい……師匠」

「お前に会えて、本当に良かった。

 そして、よくお聞き……今日から1年以内に旅に出るんだ」


 その言葉には驚いた。

 診療所や、村の人達の勉強とかはどうすりゃ良いんだ?

 しかしそれについては、モトコさんは事細かに説明してくれた。


「良いかい、その間に村の優秀な者数名に薬の製法と簡単な診察を教えこむんだ。

 勉強の方もそう。

 そして、一日も早く村を出な。

 それからシンを信用するな、あの子は私には領主以上に恩義が有るけどあんたに対してはそうじゃない、意味はわかるね?

 強いキャニスターを作るには、より多くの知識を得た魂が最適なんだ。

 私は何世代にも渡るこの世界の知識と、高校まで向こうで過ごしたこの世界に無い知識が有った。

 だからヘストン……ここの領主はずっと私を狙っていた、それがあんたに移ったと知れば、躍起になって探しに来るだろう。

 私の魂をすぐに召し上げなかったのは『容れ物』自体を作るために最近までかかったからさ、それが完成した以上行動は早いだろう」


 そうか、モトコさんをキャニスターの材料にする気だったのだから、今度のターゲットは俺になったのか。

 はた迷惑な話だが、命を救われた以上仕方がない事だ。

 それにそのヘストンとか言う奴に、俺も無性に腹が立ってきた。

 そいつだけじゃない、この世界を牛耳る貴族ども全員にだ!


「さて、そろそろだ……圭一郎、私から離れな」


 そういってモトコさんは、俺の後ろに目配せをする。

 見ると太陽が登って来るところだ……もうお別れの時間か。


「モトコさーん!!」


 道の向こうから、ウンディーネが猛スピードで走ってくる。

 その背中にもう一つの顔、背中におんぶされたハルナのようだ。

 それにしても、俺を運んだ時とずいぶん扱いが違うじゃねーか!


 だがなんとか間に合った、ハルナもやはりモトコさんを連れだそうとしたが、諭されて俺と同じく納得するしか無くなり、それでもやはり泣いていた。


「あんたはもう少し落ち着いて行動しな、もういい加減子供じゃ無いんだし。

 それにね、お願いがある……この圭一郎を手助けしてやっておくれ」


 ハルナは泣きながら、ただ頷いていた。

 ウンディーネはといえば、俺達から10メートルほど離れたところで控えている。

 

「さて、二人共ウンディーネの所まで離れな。

 さもないと、巻き込まれて魂を抜かれるかもしれない……それから圭一郎、本当に有難う。

 正直に言うとね、寂しかったんだよ……誰にも看取られずに死ぬなんて」


 モトコさんの目から、一筋の涙がこぼれた。

 きっと、これが彼女の本音だったのだろう、それにまだ65歳なんて、今時若いほうだ! まだまだ生きてやりたいことだって有ったはずだ。


「さようなら、師匠……」

「ああ……本当に幸せだ、息子と娘に看取られるなんて……」


 その言葉に、俺まで涙が溢れて止まらなくなった!

 天涯孤独だったモトコさん、彼女の最後の言葉だ……。


 日が完全に登った直後、塔全体が振動し唸り始める。

 同時に座ったモトコさんの身体が、白い光に包まれた。

 時間にして、ほんの数十秒だったと思う……光が消え、塔が元の静寂さを取り戻した時、そこには眠るように安らかな、俺達の「母」の亡骸だけが残っていた。

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