第4話 いらっしゃいませ、どちら様?


 ウンディーネはモトコさんを送り届けるのが仕事、最後のご奉公と言っていた。

 初めて見たが、モトコさんを背負うと物凄いスピードで駆けて行った。

 最近速い物を見ていないので、どの程度のスピードなのか解らないけれど、間違いなく早馬の倍以上だったと思う。

 ひょっとしたら、明日の朝には戻ってくるんじゃなかろうか?


 そんなわけで、今夜はこの場所で始めて一人で過ごす事になった。


 僅か一ヶ月程度しか共に過ごしていないのだが、なんだか懐かしいような寂しいような気分だ。

 元の世界でも、俺は一人だった。

 幼い頃、両親を事故でいっぺんに失った俺は、母方の祖父母に育てられた。

 そして中3の時に祖父が他界、高3の時に祖母が後を追い、それ以来の天涯孤独の身の上だ。

 祖父の遺言も有って、どうしても大学に行きたかった俺は、高校を卒業した後1年間は働いて金を貯め、そして大学に入った。

 それからもバイトと学業を両立させよと必死だったな……。

 上手くは行かなかったけど。


 こっちに来て、最初の一週間はあっちの事が気になって仕方なかった。

 あれから出淵君達はどうしたんだろう。

 俺が急に居なくなって、さぞ心配かけたに違いない。

 

 そんな事を思い出しながら、一風呂浴びて、ベッドへ潜り込んだ。

 そしてこれからの事を考える。

 

 モトコさんの記憶や診療所など、全てを引き継いだおかげで、この村で医者をやって生活する分には困ることは無いだろう。

 しかし、問題はウンディーネとの今後の接し方だ。

 人間同士なら、同じ釜の飯を食い生活を共にしていれば家族同然になれると思う。

 だが彼女は既に人間では無いし、なにより飯なんか食わない。


 よくわからんが、胸のキャニスターに内包された魂が、その動力源らしい。

 この先何百年も、老いる事無く活動できる肉体。

 これまで何人の主に仕え、そして見送ってきたのだろう。

 いずれ俺も、その中の一人になるのだろう。


 テーブルの上に置いたランプの灯りを眺め、襲ってくる眠気に抗うこと無く目を閉じようとした時だ。


 ガチャ……ギイ、バタン……


 一連の、扉を開け、また締める音。

 誰かが侵入してきた。

 随分早いがウンディーネが戻ってきたのか?

 それにしては早過ぎる。

 モトコさんが忘れ物でも取りに来た……いや、それは無い。

 もう何も必要ないからと、着の身着のままで出て行ったのだ、今更忘れ物など無いはず。


 そうなると、不法侵入……ドロボウか?

 それはマズイ。

 ここには今俺一人だ、ウンディーネは居ないし、俺ははっきり言ってケンカは弱い。

 複数で来られたら、ボコボコにされる自信がある。

 でも相手が一人なら……いや、無理だ。

 この村の住人は、体格的には俺に劣っている。

 平均身長は男でも160センチ程度だ、栄養事情が悪すぎるせいだろう。

 しかし体力は凄い。

 俺には到底持てない荷物など、軽々と運んでしまうし足腰も強い。

 いや無理無理、俺には勝てる要素が無い。


 ここは狸寝入りを決め込んで、様子を窺おう。

 貴重品……といっても薬くらいだし、ラベルは漢字だから読めないだろうし、無くなってもまた作れば……。


「……モトコさ~ん……こんばんは……寝ちゃってますか? ウンディーネ~……

 あれ? 居ないのかな……」


 侵入者の声がした。

 聞き覚えのない声だが、間違いなく女! しかも若い女の声だ。

 声を殺して囁いているが、内容から察するにモトコさんの知り合いらしい。

 て事は客だ、生憎と尋ね人は居ません。

 こっちとしても、今更出て行きにくいので、帰って貰えるとありがたいんだけど。


「……あ、お風呂まだあったかい。いただきまーす」


 なんだ、どうやら入浴する気らしい。

 なんと図々しい。

 覗きたい衝動に駆られるも、冷静に考えればモトコさんにとって仲の良い関係の人だろう。

 ここはやはり失礼が有ってはいけないのだ。

 それにこの深夜だ、きっとこのまま宿泊する気に違いない。

 

 少し作戦を考えてみた。

 まず今夜はこのまま寝てやり過ごす。

 明日の朝、素知らぬ顔で「やや、貴女は誰ですか? 申し遅れました、私は宇都宮モトコ先生よりこの診療所を任されました不破と申します」

 ……と、こんな感じで自己紹介し、相互理解を深めるのだ。


 我ながら見事な作戦を考えついたところで、本格的に眠くなってきた。

 風呂からは、未だに人が出てくる様子もない……ずいぶんな長風呂だ。

 もういいや、作戦通りに事を運ぶとして、眠ってしまおう……明日も診療が有るんだし。


 そう思い、完全に微睡んだその時、至近距離で扉の開く音がした!


「うわっ、ランプ点けっぱって危ないじゃん。

 電球ならともかくヘタしたら火事になっちゃうよ。

 モトコさんらしくないなあ……あたしが来たから良いようなものを……」


 何かぶつぶつ言う声が、はっきりと聞こえる……って!? 

 さっきの女だ、よりにもよって、この部屋に入って来やがった!!

 ヤバイ、俺のほうが不審者みたいでなんかヤバイ。


 なんだかガシガシと衣擦れのような音がする、タオルで髪だか身体だかを拭いている様子。

 その音が近づいてきて、俺の横たわる稲藁を詰め込んだマットが少し沈んだ。

 とうとう俺の横たわるベッドに腰掛けた。

 俺といえば、薄い毛布を頭から被り、窓際の端っこで丸まっている。

 失敗だ、こんなことなら堂々とど真ん中に居るべきだった。

 

「さ~て、久しぶりだなあこのベッド……」


 俺の頭が少しだけ乗っかった枕をぶんどられると、バサッとそこに崩れ落ちる音。

 そして、いよいよ俺の身体を包んだ毛布を引き寄せる。

 もう今さらここに居ることなど宣言出来るはずもない。


 毛布を引剥がそうとする手が止まった。

 

 ほんの一瞬だが、俺も時間が止まったように感じた。

 本当に止まったのなら、もっと止まって欲しいと願わずにはいられない。

 彼女が俺のドコを見ていたのかは知らない。

 なにせ部屋は真っ暗だ。

 だが毛布を被って暗闇に目を慣らしていた俺は、目の前に横たわる白く美しい裸体に釘付けなった。

 いや、正直に言おう。

 俺の眼前、10数センチの距離にある、女性を象徴する二つの肉塊……。

 それは今まで目にしたどんな……いや、実際生で見たのは初めてだったが、そのお……乳房の完璧な美しさに見惚れてしまった。

 俺は元来、ウンディーネの様な巨乳は、嫌いでは無いがそこまで魅力は感じない。

 ユキちゃんの慎まし過ぎるモノも論外だ。

 そこへ行くと、いま目の前に有るモノはかなりのドストライク!!

 

 凝視していたのは一秒に満たなかったかもしれない。

 気が付くと、女性の華奢な拳が俺の顔にめり込んでいた。


「あああああ!! あんた誰!? なんでここに!?? 痴漢! 変態!! 強姦魔!」


 狼狽しつつ、一方的に罵る言葉。

 その声を聞いた時、俺の中で何かが弾け飛ぶ!


「きゃああああ! やめて! 助けて、ウンディーネエエエ!!」


 俺の中から弾け飛んだものは、理性とか平常心とか道徳心とか呼ばれるものだろう。

 今の俺は、一匹の獣にすぎない!

 全力でこの女を抑えこみ、たぎる欲望の捌け口にする事しか頭に無かった!


 彼女の腕は、か細く非力だ。

 俺は勝利できる。

 敵を蹂躙するのは勝者の当然の権利なのだ!!


「――主様、ただいま戻りました」


 部屋の扉が開き、聞こえてきた冷静かつ沈着な声。

 それは一瞬のうちに、俺の意識を元のチキンな俺に引き戻してくれた。


「え……? アレ? ウンディーネ……?? 俺は今何を??」


 女の子の両手を掴み上げたまま、俺は硬直した。

 目の前には涙で顔をぐしゃぐしゃにした、一人の少女の姿が有る……誰?


「わたくしの主観ですが、主様は現在ハルナ様に対しての生殖行動を行おうしていると判断します。

 状況的にハルナ様の同意を得ているとは思えません。

 今後の友好的関係を築くには、あまり推奨できる行動では無いと判断します」


 ですよね~……。

 でも俺にも理解不能なんだ、さっきの俺はおかしかった。

 本来の俺なら、非力な女の子を無理やり犯そうなんて考えない、今思い出しても反吐が出そうだ。

 しかし、さっきの感覚……あれは麻薬のように心地よかった。

 欲望に身を任せる事が、これほどの快感だと思わなかった……しかし冷静になった今は、とても納得できる事じゃ無い。


「お願い……もう離して……いうこと聞くから」


 あれ? 

 俺としたことが、まださっきの女の子の腕を握ったままだった。

 慌てて開放すると、その腕にはくっきりと痣が残っている。

 

「す、すまん! どうかしてたんだ、俺は――!?」


 手を離し、ほんの一瞬隙を見せただけなのに、どこに隠し持っていたのか知らないが、俺の喉元に刃が迫っている!?

 甘かった……。

 そう死を覚悟したものの、その刃は俺の喉元に届くことは無かった。


「警告します! ハルナ様、この方は本日をもって、正式にわたくしのあるじとなられたお方です。

 これ以上の狼藉を強行する場合、速やかに貴女の生命活動を停止させていただきます」


 刃はウンディーネの手のひらで停まっていた。

 一瞬のうちに手のひらを硬化させ、刃渡り30センチはありそうな短剣の切っ先を受け止めていたのだ。

 この子もそうだが、更に物凄い早技だった。


「ちょっ!? どういうこと、ウンディーネ! 

 納得できるわけ無いでしょ!

 それにあなたの主人はモトコさんでしょ? モトコさんはどこにいるの!?」


 そう、俺も肝心な事を思い出した。

 ウンディーネが戻ってくるのが早すぎだ!

 まだ夜も開けてないんだぞ、どこにほっぽり出して来たんだ?


「その件について、回答を保留します」


 ウンディーネは答えないと言う。

 こいつもなんだかおかしい、いつもならちょっと時間はかかっても返答するはずなのに。

 それに「保留」って?


「ちょっと待ってくれ、取り敢えず落ち着いて話がしたい。

 あんた……ハルナって言ったっけ?

 灯りを点けようと思うんだが、出来れば何か羽織ってくれ。

 俺はそのままでも構わんが?」


 むしろそのままで……と言いたいところは飲み込んだ。

 彼女、ハルナはしぶしぶ従って、上着を着た後ベッドから毛布を引き寄せて身体を包む。

 無言で俺を睨んでいるようだが仕方ない、俺はウンディーネに頼んでランプに火を灯してもらった。

 この家で、着火は彼女の仕事だ。

 ロウソクでも台所のカマドでも、彼女が指を近づけるだけで火が灯る。

 原理はわからないが、これがいわゆる魔法の一つらしい。

 

 この世界に「魔女」や「魔道士」とかいった類の人が存在するのか。

 それは居る、そう、目の前に。

 

 この世界で魔法……つまり、科学的ではない現象のことだ。

 それを可能にしているのが、ウンディーネに内蔵されているキャニスターだ。

 燃料は魂とか言っているが、そのへんはよくわからん。

 そしてこのキャニスターは、世界中に125個存在しているらしい。

 オリジナルが一個、言わずと知れた魔王の持ち物で、最強にして最古の物だそうだ。

 それを解析して作られた劣化版が、24個。

 そのうち12個は各地の王が所持している。

 そして残り12個のうちの一つが彼女の体内に有り、11個の所在は分からない。


 残りの100個は劣化版のコピー……更に質が落ちるもので、殆どはあちこちの領主が持っているそうだが、これにも所在の分からない物が有るそうだ。


 全てに共通した機能としては「ことわり」を捻じ曲げる。

 火の気のない場所に炎を発生させたり、暖かい真夏に雪を降らせたり。

 元の世界なら、それを科学や技術で行っていたのだが……つまりエアコンやヒーターなんかだな。

 この世界にそんなモノは無い。

 真冬に暖をとることなら暖炉や焚き火で事足りるが、真夏を快適に過ごすことは、キャニスターを持った貴族にしか味わえないのだ。

 まあ、そんな小市民的目的で使っている貴族が居るかどうかは別問題。

 

 その最たる機能は、命を奪い、与える事が出来るって事だ。

 

 貴族たちが長命なのは、全てこれに由来する。

 生者の魂を奪い、それを自分の寿命に繋げて長生き出来ると言う事だ。


 そして、このウンディーネのように、命なき肉体に命を与える事も可能にする。

 まあ、俺は欲しいとは思わない。

 他人の命を貰ってまで、長生きしたいとは思わないし、手に入れる機会も無いだろう。


「主様、お茶をお持ちしました」


 おっと、どうでも良い事考えている間に、ウンディーネはお茶まで用意してくれた。

 そうだった、さっきの答えを聞かなくては。

 それに、俺に対して敵意むき出しの彼女、ハルナに関しても色々聞かなくては……そして謝らなくちゃ。


「じゃあ落ち着いたところで、改めまして――」

「あたしは落ち着いてなんか無い!! この強姦魔!」


 いや、それは未遂……いやいや、ここは心を込めて謝罪するべきだろう。


「ハルナ様、貴女は我が主様に対してお怒りのご様子。

 しかし、ここは既に主様の所有する屋敷です。

 無断で侵入し、先に狼藉を働いたのは貴女の方と聞き及んでいます。

 それで有れば、主様を糾弾するのは筋違いでしょう。

 もし主様がお望みと有れば、貴女の生命活動を停止させる事も、もしくは先程の生殖行動を補助する事も可能なのですよ。

 しかし、その命令を下さないと言うことは、貴女に対して充分謝罪した事と同じと思われますが、いかがですか?」


 ウンディーネの口調は相変わらず回りくどくて冷酷だ。

 しかしこの一言は、ハルナにとっても効いたようだ。

 まだ納得はしていないようだが、大人しくなってくれた。


「いや、さっきの件は、本当にすまなかった。

 改めて謝罪する。

 話を進めさせてもらうが、俺の名は不破圭一郎。

 一月ほど前にこの世界に迷い込んだ漂流者ってやつだ、あんたの名を聞いてもいいか?」


「篠崎榛名……あたしは4年前にこの世界に来たわ。

 モトコさんは、その時助けてくれた恩人よ……そう! モトコさんはどうしたの?

 あんたがモトコさんの後継者って、どういうこと??」


 最初は仏頂面だったハルナだが、肝心なことを思い出して急に立ち上がった。

 話の流れは出来上がった。

 俺は先程保留した件を、ウンディーネに問いただした。


「……その件につきましては、後6時間後にお話いたします」


 なんだその時間制限?

 しかしウンディーネは頑として喋らない。

 モトコさんからの、最後の命令なのだそうだ……これでは埒があかない。


「じゃあウンディーネ、質問を変える。モトコさんとはどこで別れたんだ?」


 話を簡単な誘導尋問に切り替えてみた。

 もちろんそんな事に引っかかるわけは無いだろう、嘘ついてる小学生じゃあるまいし。


「元マスターとは、西方の『献魂の祭壇』で別れました」


 おおい! 引っ掛かりやがった。

 なんかこの方法、今後も使えそうだ。

 しかし献魂の祭壇って何ぞ?


「ちょ……まさか、嘘でしょ? モトコさんは献魂の祭壇に……ってことは、もう65歳になってたの!?」


 どうやらハルナは知っているらしい。

 ウンディーネが言わないのだから、彼女に聞いてみよう。


「なあ、ハルナ……さん。その『けんこんのさいだん』っつーのは何なんだ?

 モトコさんは年金もらえるとか言って出て行ったんだが?」


 すると彼女は……暗くて表情はよく解らないが、明らかに怒りのこもった言葉で言った。


「あんたバカぁ!? この世界のこと本当に知らないの!? 献魂の祭壇は、領主のキャニスターと繋がってる場所よ! 魂を捧げるの、抜き取られるの! 死んじゃうの!! 

 死にに行ったのよ! モトコさんは!!」


 その言葉に背筋が凍りついた。

 

「そ、そうなのか! ウンディーネ!?」

「……その回答は、保留します。解除まで5時間50分――」


 認めてるんじゃねえよ!!

 そういう事か、モトコさんが後継者探しを急いでいた事も、何一つ持たずに出て行ったのも、今朝の招聘状ってやつが領主の命令書って事か!!


「ウンディーネ! ここからその献魂の祭壇までどのくらいかかる!?」

「徒歩で16時間、早馬で3時間、わたしくしの脚で45分――」

「俺を連れて30分で行けるか!?」

「……可能です」


 なら答えは決まった!

 間に合うのかどうかわからんが、このままお別れなんて嫌だ!


「あ、あたしも行く!」


 気を取り直したのか、ハルナが同行を申し出た。

 しかしウンディーネの回答は、思わしくない。


「警告、到着時間が15分遅れます」

「定員オーバーって事か、悪いがここで待っていてくれ」


 俺はハルナにそう告げた。

 今は一分一秒でも惜しい事は、彼女も理解してくれているようだ。

 悔しそうな顔で、黙って頷いた。

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