第3話 お世話になりました。
宇都宮モトコさん。
彼女はやはり、婆さんだった。
とはいえ、年齢は65歳になったばかりで、実に
一昨年亡くなった俺の婆ちゃんよりずっと若いし、何より彼女はこの村で唯一の医者だ。
村人の尊敬を一身に集める人格者でも有り、教育者でも有るようだ。
そして彼女から聞いた、この世界の情報に俺は驚愕した。
「この世界はね、平行世界って所らしい。
基本的には私達の地球……つまり元居た世界と同じものだ。
圭一郎、あんたこの村を見てどう思う?」
俺は素直に答えた。
この村、いやここだけじゃ無いのだろうが、正直言うとまるで映画やドラマで見た時代劇のようだ。
村人の衣服は麻や木綿の見窄らしいもので、身体も皆一様に薄汚い。
言葉は日本語だが、ほとんどが文盲で読み書きが出来ないそうだ。
道は舗装されてないし、車は荷車や馬車しか見たこと無い。
もちろん電気も無い。
正直、一刻も早く元の世界に戻りたいのが本音だ。
「この世界はね、歴史が狂ったのさ。
本来ならここだって西暦20XX年なんだ。
でもね、今から7、800年前に魔王が現れてね、色々な王朝を滅ぼして世界を統一してしまった。
本来の歴史とずれたせいで、新しい世界として成立してしまったんだ。
だけど、たまぁに元の流れに戻ろうとする力が働くのか知らないが、あっちの世界と交差する事がある。
その時に、私やあんたみたいに互いの世界に行き来する人間が現れるんだ」
「てことは、俺やモトコさんみたいに他にも『漂流者』が居るんですか?」
「ああそうさ、近いうち会うことになるだろうね」
「それと、俺の……この能力って、やっぱりその……」
「魔法さ」
そう、俺は蘇った後気づいた事がある。
約束通り、モトコさんの手伝いとして医者見習いをしているのだが、医学生でも無い俺が手伝える事などほとんど無いと思っていた。
そんな俺に、いきなり患者を診させられたのだが、不思議と診断出来てしまっていた。
医者と言ってもここでやれるのは、病気の診断と薬の処方。
とはいえ、全く知識のなかった俺の頭には、その対処法が網羅されていたのだ。
おかげで僅か1周間ほどで、俺は村人から「若先生」とか「「ケイ先生」などと呼ばれる程になっていた。
モトコさんが言うには、蘇生の時に使った「魔極水」なる秘薬のせいだそうだ。
これはどんな病気や怪我でも直せる万能薬で、最後に残った一瓶を俺のために全て使ったらしい。
そしてこの薬の凄いところは「記憶や能力のコピー」を行う事が出来るところだ。
俺に魔極水を使うとき、モトコさんはそれに自分の血液を混ぜた。
俺の身体は失った血液の分、その魔極水を吸収し、更にモトコさんの血液も取り込むことで、彼女の記憶と繋がる事になったらしい。
つまり、意識せずとも彼女から医術に関する知識が俺の脳に流れ込み、元から知っていたかのように医者として十分な能力を持つに至っているのだ。
ぶっちゃけ、これを製品化出来て元の世界に持ち帰ることが出来たなら、巨万の富を得ること間違いなしだ。
モトコさんはこの世界に来て、既に40年以上になるらしい。
あまりプライベートな記憶まで探る事は無いが、この医術自体同じような方法で誰かから受け継いだものらしく、その誰かも他の誰かからって感じで、脈々と受け継がれているようだ。
まるで一子相伝の暗殺拳みたいだな。
そしてこのウンディーネ、彼女もまた、モトコさんの先輩……みたいな人から受け継いだモノらしい。
しかし料理や裁縫なども、そつなくこなしてくれる。
実にありがたい存在だ。
彼女は普段、黒いチューブトップと赤いタイトスカートを身に着けている。
普通ならかなりセクシーな格好だが、いかんせんパチンコ球のような仮面はそれを台無しにしている。
そしてこのウンディーネも、俺が相続することになった。
「次期主様、薬草の採集を終えました。直ちに精製にとりかかりますが、先に優先する命令はございますか?」
「あ……いや、風邪薬が少なくなったんで、そっちから頼める……かな?」
「かしこまりました、直ちにとりかかります」
この村の人口は500人ほどだ。
近隣の集落からすれば、かなり多い方らしい。
この世界、生活様式が500年以上停止している。
強制的な支配は、人々から向上心や好奇心を奪い、古代からのままの様相だ。
人々の一日は、その日の糧を得るためだけに費やされている。
極稀に、突出した人材が現れたりしようものなら、その噂は瞬く間に王都まで知れ渡り、召し出され、二度と帰ってこなくなる。
そこで重用されているのか、それとも処刑されているのかは定かではない。
ともかくこの世界では、魔王政府の徹底した「愚民化政策」によって人々の生活が千年前とほとんど変わっていないのだ。
そんな中、モトコさんのような医者という立場は神にも等しい存在だ。
簡単な風邪ですら、ここでは命を奪う恐ろしい病だ。
怪我は大抵自分で治す。
しかし四肢を失う程の大怪我は、本人の運次第……そう考えると、俺は相当幸運だったと言えよう。
医者の居る村は、ここ以外は無いと言っても過言ではない。
殆どの医者は、王都やその付近の「町」に行かないと会うことすら無いらしい。
しかも治療費など、とても一般の農民が払える額じゃ無いそうだ。
このモトコさんの診療所では、謝礼は食料だ。
町ならともかく村の中では貨幣経済は成り立っておらず、物々交換が主流。
農家なら米や作物を、猟師なら鳥や兎、大物だと猪とか、湖が近いから魚も手に入る事が有るが……大抵は鯉や鮒だ。
海の魚が食べたい。
驚いたのはミノタウロス、俺を襲った奴だ。
目覚めて最初の食卓に供されたのが、そいつの肉を使ったシチューだった。
はっきり言って、非常に美味かった。
牛肉に比べると獣臭くて硬かったが、二日間煮こまれたせいかウンディーネの腕がいいのか。
因みにほとんどを、村の皆に分け与えたそうだ。
しかし同じ世界なのに、何故そんなゲームでしかお目にかかった事がない生物が居るのか不思議だったのだが、モトコさんの記憶から得た知識で納得がいった。
原因は魔王だ。
正しくは、その眷属とされる世界中に散らばった「王」の一人に、合成の魔法を使う男が居るらしい。
その男が統治する国では何度も反乱が起きた。
討伐してしまうのは簡単だが、自国民をそう安々と殺すわけにもいかない。
なにせ国同士の戦争はご法度だ。
自国民が少なくなったからと、他国を攻めて国民を奪い合う事は出来ない。
そして考えついたのが、国内に強力な敵を作り、国民の怒りとそのエネルギーをそちらに向けさせるために作られたのが、いわゆる魔物と呼ばれる生物だ。
様々な生物を合成し、時には人間をベースにしたりして、幾つかの成功例を生み出した。
ミノタウロスはその最たる例で、やはり牛と熊と猿を合成した生物だ。
成功例と言うのは、生物として成立した生き物。
つまり、同種属で繁殖する事が出来るってやつだ。
しかしミノタウロスはまだマシな方らしい。
かなり知恵が廻り、道具を扱う事も出来るのだが、基本的に社会性が無く群れで行動する事は無い。
武器や罠などの準備を整えれば、数人でも狩ることが出来る。
問題なのは、人間をベースに作った亜人種達、ゴブリンやオーガ、オークといった魔物たちは、元が人間なだけに社会性が有り、こいつら集団になると始末に終えないらしい。
そして、製作者が最も拘った部分……こいつらの遺伝子は、本能的に人間を憎むよう作られているそうだ。
王の目論見は見事に成功し、国民達は反乱どころじゃなくなった。
彼らの武力は反乱のためではなく、自衛のために使わざるを得なくなり、世代を経るごとに国や王に対する不満など消えて行ったのだ。
むしろ、村や町単位で手に負えなくなった魔物を王自ら討伐することも有り、かの王は英雄的尊敬さえも手に入れたらしい。
幸いこの国に居るのは、たまにミノタウロスが出るくらいだそうだ。
これは何百年か前に、たまたま海を渡って流れ着いた奴が居着いた程度の事らしい。
それもこの村にいる限り、ウンディーネさえ居ればそれほどの脅威ではないのだ。
この女性形ゾンビ応用式キリングマシーン兼家政婦さん、その製法はモトコさんにもよく解らないが、性能は凄まじい。
人間をベースと言いつつも、筋力や耐久性は人間などはるかに凌駕する。
秘密は彼女に流れる体液に有る。
俺を治療……いや、生き返らせた魔極水、その高純度のものが血液の代わりに流れているそうだ。
ただこれは医療に使えるものじゃなく、劇薬に等しい。
しかしその性能たるや、常識を超えるものだ。
先ず筋肉。
彼女の意志で調節することで、パワーショベル並の力を発揮する事ができるし、身体の表面を鋼鉄の鎧のように硬化する事も可能だ。
骨格も同様に、自在に強化する事が可能で、俺を襲ったミノタウロスは、背後から彼女の右腕に心臓を貫かれて絶命した。
その後手刀で首を叩き落としたらしい。
彼女の胸に燦然と鎮座する二つの双球も、一瞬で鉄アレイのように変わるので、セクハラするときは注意が必要だ。
迂闊に頭をぶつけようものなら、脳挫傷は免れないだろう。
顔に張り付いている銀色の仮面。
これはどんな素材でどんな構造なのか、皆目検討もつかないが、彼女の視覚・嗅覚・味覚・聴覚を全て肩代わりしているスグレモノだ。
更に、赤外線センサーやレーダーのような機能も備えていて、遠くに居る物や隠れている生き物まで感知できる。
主人であるモトコさんや引き継ぐ予定の俺と、思念をリンクさせることが出来るらしく、遠くにいても会話ができるそうだ。
もっとも、俺はなんだか寂しいので、できるだけ普通に会話している。
しかし、問いかけに答えるだけなので、やっぱり寂しいが。
「さて、圭一郎。あんたもそこそこ慣れてきたようだし、そろそろもう一つの仕事を頼みたいんだけど」
「あ、ハイ、わかりました……で、何すれば良いんですか?」
モトコさんの仕事は医者だけじゃない。
基本的に診療所の仕事自体は午前中で終わる。
これは、訪ねてくる患者のほとんどが隠居した年寄りで、若い者は早朝から仕事に出て、昼過ぎに帰ってくる。
仕事を終えた若者や、子供たちを集めて「学校」らしきものをやっているのだ。
しかしこれは、実際危険なことだ。
この国では、愚民化政策をとっている。
つまり、庶民に学力を付けさせたくないのが国の方針だ。
モトコさんは領主に掛けあって、村人に文字を教えるところまでは許可を取り付けたそうだが、実際は違う。
単純だが、算数や理科も教えている。
算数と言っても単純な計算が殆どだが、ここで勉強することで九九を覚える事が出来る。
村人にも、今後どこで働くことになっても九九の存在を公言するなと念押ししてあるらしいのだが、人の口に戸は建てられない。
九九の何がいけないのかと云うと、計算が早く出来ると脳が活性化し、より順序だった思考が出来るようになる。
更に理科……といっても、簡単な小学校低学年レベルの知識だが、それを覚えることで好奇心が芽生え、更に様々な事を考えるようになる。
実際、この村出身の者は優秀な人材が多いということで、中央の街や王都でも重宝されている。
しかし、あまりに頭が良すぎると、危ない事も多くなるのだ。
俺の居た世界でも、全ての知識人を粛清して徹底した愚民化政策を行った国家の指導者も居た。
実に自国民の3分の1を処刑してまでだ。
この世界なら、そういうことが容易に起こり得るのだ。
そこで、この村では人を騙す方法も教えている。
詐欺師を育てるのではなく、自分の才能を隠して生きる処世術みたいなものだ。
モトコさんが俺を後継者に選んだ所以はここにある。
一般的な義務教育を終えた人間ならば、この村の人間を教える事が簡単にできるからだ。
それと、おれの存在は領主に知られてはいない。
定期的に各村を廻り、人口や作付けやらを調べて報告する「役人」的な人間はいるのだが、そいつはこの村の出身で、モトコさんの教え子であり、更に大きな恩が有るらしい。
なのでその役人が漏らさない限り、俺がこの村に居ることは知られないそうだ。
もし、俺の存在が領主に知れたら……あまり考えたくはないな。
「皆待たせたね。
それじゃあ今日も授業を始めるよ、その前に……皆も知っているだろうけど、私の弟子の圭一郎だ。
今日から彼も、皆の勉強を見てくれるからね」
そうやって連れてこられたのは診療所の裏にある東屋だ。
雨よけの屋根があるだけの場所で、青空学級は行われていた。
生徒は村の若者……といっても、下は5・6歳の子供から上は俺と大差ない程の青年で、総勢30人位だろう。
今日は文字の授業だった。
それもひらがなだ。
生徒たちに教科書などはもちろん無い。
有るのは小汚い紙を束ねたノートと鉛筆だ。
診療所でも、この鉛筆を使っているし、消しゴムも有る。
もちろん現代日本のような、書きやすい消しやすいシロモノとは雲泥の差だが、紙と鉛筆や消しゴムなどは、一般人にも手に入れることが出来るようだ。
流石に元々日本だけあって、言葉も日本語なら文字も日本語だ。
確か8世紀ごろには平仮名は有った、問題は漢字の方だがここではあまり一般的でないらしい。
正直、現代漢字に慣れ親しんだ俺としては、例題などが非常に読みにくくて困る。
「あのお、ケイ先生! ちょっと良いですか?」
声をかけてきたのは最近知り合った女の子で、ユキちゃんという農家の娘だ。
年の頃は15・6歳ってところだろう。
長い髪を三つ編みのおさげにして可愛らしい娘だ。
因みにこの子が俺の、最初の患者でもあった。
風邪をこじらせて、肺炎になるとこだったんだよな。
「どうした、ユキちゃん」
「すみません、この字はなんと読むのですか?」
「これは『う』だよ」
「……ありがとうございます」
会話終了。
すると隣に座っていた10歳位の少年が言った。
「ユキ姉、50音全部書けるって言ってたじゃんか!」
え? そうなの。
彼女を見ると、目があった。
そして真っ赤な顔で俯いてしまった。
「ああ、ユキ姉、ケイ先生に惚れてんだろう~!」
「せ、セイタ!! 何言ってるの!?」
ユキちゃんは反論しつつ、更に真っ赤な顔で涙目になっている。
俺はその視線に困惑しつつ、この和やかな雰囲気に居心地の良さを感じていた。
そんな生活を一ヶ月ほど続け、もう村で俺を知らない者など居なくなり、俺も村人の顔と名前を全て覚えた頃……事件が起きた。
「先生! モトコ先生、いらっしゃいますか!?」
診療所に駆け込んできたのは、この村の官吏、件のモトコさんの教え子だ。
「どうしたね、シン。こんなに朝早くから」
「大変です! 領主様からこれが……」
官吏のシンさんが、震える手に持ったのは赤い封筒だった。
モトコさんはそれを受け取ると、不愉快そうに封蝋を剥がして中を確認した。
出てきた便箋も真っ赤で、書かれている文字はアルファベットの行書体だ。
久しぶりに見る平仮名以外の文字だったが、そんなこと喜んでいる自体じゃなそうだ。
モトコさんは取り出した便箋を、さっと流し読みしたかと思うとクシャっと丸めてウンディーネに手渡した。
「焚付に使っておくれ」
「かしこまりました」
ウンディーネはそそくさと台所に向かい、朝食の準備を始める。
言われたとおり、赤い紙くずに火を着けていた。
モトコさんは、シンさんを呼ぶと何か耳元で囁いている。
俺に聞かせたくないのだろうか、思考を除くのはやめておいた。
シンさんは俯いたまま、一礼して診療所を後にする。
それを見送っていると、モトコさんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「圭一郎! ぼんやりしてないで仕事の準備しな、それと後で話がある」
怒鳴るのはいつものことだが、今日は少し様子が違う。
取り敢えずウンディーネの用意してくれた朝食を平らげると、俺は仕事の準備に取り掛かった。
その日の診療は、俺ではなくモトコさんが行った。
来るのはいつもの年寄りばかりだが、この日のモトコさんは口数が多く、一人ひとりにかける時間が長かった。
その日の昼食を終え、午後の青空教室を始めようという矢先、二人で話があるとモトコさんに呼ばれた。
なんだか神妙な面持ちだが、すぐいつもの表情に戻って話し始める。
「圭一郎。急で申し訳ないが、私は王都に行くことになったの。
そんなわけで、予定より少し早いが後を頼んだよ」
これには流石に面食らった。
今日届いたのは、王都からの招聘状らしい。
それほど彼女は有名人なのだろうか。
「……そんなんじゃないよ、この国では人は皆65歳になったら呼ばれるのさ」
「へ~、それって年金とか支給されて隠居暮らしできるってことですか?」
「ははは、まあそんなところだ。
本当にギリギリのタイミングであんたが来てくれて助かった、本当に有難う」
「俺の方こそ、命の恩人ですから……それに毎日楽しかったですし」
「あはは、今度会った時は一杯やろうじゃないか」
「はい、喜んで!」
モトコさんは、終始笑顔だった。
この話自体、彼女の弟子になると決めた時からそれとなく聞かされていた事なので、俺も引き止めたり泣きついたりは出来ない。
そうして彼女は最後の授業をした後、ウンディーネを連れて診療所を出て行ったのだ。
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