第二十話

 屋上からこちらを見下ろす古段は、何が楽しいのか、にやにやと口元に笑みを浮かべている。かすかに顔が赤いが、なるほど、あれがアカマタである証拠なのか。

 ふと横を見れば、そんな古段とは対照的に、戸篠は眉間に皺を寄せて唇を噛みしめていた。

 古段の飄々とした態度が許せないのだろう。生来、俺や戸篠のような人間は古段の性格を受け付けるようにできていない。

 王地はといえば、感情が抜け落ちたかのように、ただ黙って古段を見上げていた。当事者なのだからもう少し古段との交渉を試みてほしいとも思うが。

「つうかさ! おい百枝よおーお」

「んだよ」

「んだよじゃねーよお前のその腕なんだよ。新人類? 何サピエンスだよ。か弱き乙女一同(笑)に対してサピエンスはなくねー? 卑怯くせえったらねえやなあ? ババアも砂かけてくっしさあ? なあ?」

 思わずため息が漏れる。

 ……本当に、普段と何にも変わらないな、こいつは。

 のんびりしていたら向こうのペースに飲み込まれそうだ。

「もう全部終わったんだから、さっさと下りてこいよ古段。そこまで上るのはこっちも面倒なんだよ」

 俺が言うと古段はくつくつと笑う。

「お? なになに? あー、ひょっとして勘違い系? 俺が観念しちゃった的な? んなわけねえしょやー? まだまだ元気いっぱいだっつうの」

 ほんっと、こいつの話し方は人を苛々させやがるな。

「じゃあ何で姿を見せたんだよ、お前」

「そりゃあれだよ。このまま逃げることもできっけどさ。それじゃつまんねっしょ? この俺の目的ってもんをこう、語り尽くしてやろうってスタンスなわけ」

 戸篠の方から歯ぎしりが聞こえてきたような気がする。

「気持ちはわかる。わかるが抑えろ。ともかく俺に任せてくれ」

 そう戸篠に声をかけて、古段に向き直る。

 どういう心持ちにせよ、目的を答えてくれるというなら、話は早い。

「じゃあ訊くが、古段。お前、どうして王地を襲ったんだよ。外から見てもお前らけっこう仲良さそうだったぜ。この前だって妹捜してもらったばっかだろうが。なんの恨みがあって恩を仇で返すような真似をすんだよ」

「ん? 恨み? ひゃっはっは! うんうん恨みねうん恨み。そりゃあるさ。あのさ、うちのクラスって今、俺と王地のツートップじゃん? あとはその取り巻きじゃんすか。でもさ、二人いる? ねえトップ二人いります? ね、2年D組は古段志貴弥の天下にしたいわけ。俺と王地の二人体勢とか嫌なわけね。したらまぁこれ邪魔だよね、王地は」

「――それで?」

「俺がさー、こう、ちょちょーい、と痛めつけてやったらさ、王地は入院するじゃん? 一週間くらいこう、入院するじゃん? したらその間、クラスの中心は俺一人じゃん? みんなロンリー古段体制に馴染むじゃん? はいこれよ」

「……はあ?」

 ただ、優越感に浸るのに邪魔だから。

「お前、そんなことのために? 学校中の女を操ったのか?」

 なんなんだ、こいつは。深い理由なんてありもしない。

 力を手に入れたから、便利に使ってみよう。

 自分の欲望を叶えるために。他人を攻撃して。

 そんだけなのかよ。

 ……俺が妖怪百面相に四苦八苦してるのが、馬鹿みたいじゃないか。

「おうさ! やー、しかし失敗失敗。失敗だよなー。妖怪って俺だけじゃなかったとはやられたわ。いや俺もこれが妖怪だって気付くのにはけっこうお時間かかったわけだけどもねドゥフフ。でさあ、そっちのババアは置いといて、百枝のそれはホントなに? 逆にアウストラロピテクス?」

 俺も段々と面倒になってきた。思わず舌打ちなんてしてしまう。

「サトリだよ。今日はな」

「ぶえーっ! ばーか、聞いてたっつうの知ってるっつうの。マジウケるわ」

 その言葉を古段が放った瞬間だった。

 グラウンドの方から轟々と霧のようなものが迫ってきた。

 いやあれは霧じゃない、砂だ。

 グラウンド中の砂を戸篠が持ち上げたんだ。

 戸篠の歯ぎしりは止まっていた。真剣な眼差しで屋上の古段を睨んでいる。

 途端に古段が眼を広げる。

「うぇいうぇい! ありゃまずいだろって! ……ま、しかし目的もお話ししましたし、すたこら俺は逃げるとすっかねー」

 古段がのそりと立ち上がる。

 まずいな。屋上の扉を閉めてしまえば砂は校舎には侵入できない。いつの間にか窓も施錠されているようだし。このままでは居場所を見失ってしまう。

「――王地、古段が校舎から出られないように出口を塞ぐぞ」

「ふん。未だ話の流れが掴めてはいないが、それはそうだな。我もああまで言われては気分が悪い」

 あの調子では、古段は絶対に改心などしていない。古段がこれからどうするつもりなのかは知らないが、そのうちまた同じことを繰り返すに決まっている。

 そうしたらどうなる。俺の生活は安寧からは程遠いものになるだろうし、櫛佳は悲しむ。春鳥にだって危険が迫るだろう。

 ならば、ここで捕まえて改心させなくてどうする。

「もう逃げ場はねえぜ古段っ!」

「うっは、そういう台詞マジで言っちゃうんだ。百枝、漫画のキャラみたーい」

 ぎゃはぎゃはと古段は笑う。

「…………」

 しかし、俺にはわかった。

 古段のその笑顔が、次の瞬間には止むことを。

「て、あん?」

 古段の背後に、春鳥が立っていた。

 真顔に戻った古段とは対称的に、春鳥はにこりと笑う。

 そして――、

「えいや」

「は?」

 目の前で起きた出来事に、思わず口から間抜けな声が漏れる。


 春鳥が古段を屋上から突き落とした。


「はぁあああああっ!? なになになになああああっ!」

「なにやってんだお前!?」

 古段の体が宙に舞った。

 バランスを失い落下が始まったところで古段は屋上の縁を掴もうともがいたようだが、それも徒労に終わる。

「アカマタは蛇だから、上手くすれば助かるんじゃないかなあー?」

 瞬く間に古段は地面へと迫っていき、春鳥がのんびりとした声を発する頃にはすでに衝突直前だ。

 そこでようやく古段のシルエットが変化を始め、そして墜落。

「……ちょ、え?」

 死んだ?

「百枝くん。早くしないと逃げるよ」

 屋上から声がかかる。いやいやそれどころじゃねえだろお前。

「あ……あの……あの人……何してるんです……か……?」

 ホントだよマジで。

 慌てて古段の落下地点へと駆けると、そこには顔を真っ赤に染めた古段が倒れていた。瞬間的に蛇へと変わっていたのだろう。腰を痛めたのか腸骨の辺りに手を当てているが、大きな怪我はないようだ。

「はぁー……まったく」

 ひとまず春鳥が人殺しにならなかったことに安堵する。

 頭の切り替えだ。

 春鳥のやり方は無茶苦茶だが、目的は果たせた。

 古段を逃がさないよう、俺はその体へと近付く。

「おい古段」

 呼びかけると、古段が首をこちらへと動かした。

 すると何故だか、俺の顔を見て表情を固くする。

 さらには、

「読むなっ!」

 そう叫んだ。

 ……読むな? 近付くな、ではなくてか。

 先程までの態度が嘘のように、古段は怯えた表情で俺の顔を睨んでいる。すでに顔面の赤さも消え失せ、蒼白だ。

 死の恐怖で精神が弱ったのか?

 いや、そうじゃない。だとしたら、先程の台詞はなんだ。「読むな」とはどういう意味だ。

 …………。

 まぁ、それはそれだ。今はひとまず、古段を拘束しておかないとな。

「来るなっつってんだろうがてめえっ!」

 古段が再び叫ぶ。

 だからといってその言葉に従ってはいられない。

「いや行くに決まってんだろ。ここまできてそりゃ通らないぜ」

 一歩足を進める。

 ――と、肩に何者かの手が触れた。

「ま、待ってください」

 戸篠だ。

 いつの間にか、砂掛け婆から女子高生へと戻っている。

「む。な、何だ今のは。と、戸篠咲都美? 貴様、今……っ?」

 王地は戸篠の変化を目撃したのだろう。憧れの老婆の正体を知ってしまって、声が上ずっている。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」

 戸篠は王地の戸惑いに謝罪すると、言葉を続ける。

「でも、私、わかりました……全部……」

 ぼそりと、自信なさげに戸篠は言う。

「おーい、どうしたんだい。早く捕まえなよ」

 上から届く春鳥の声は無視し、戸篠に問いかけた。

「わかったって、何がだよ戸篠。もう話は全部解決してんだろ」

「手紙の目的、全部、です……。百枝君も、きっとわかるはずです、同じなんです……っ」

「おーい、百枝くーん。何を喋っているんだい。早く早く。ふん縛って洗いざらい吐かせようよー」

 ――同じ、同じ? 何が? いや、誰が、なのか? 

 だとしたらこの場合、対象は古段に限られる。古段が誰かと同じ? 誰と? 春鳥と? 王地と? 俺と? あるいは、戸篠と?

 戸篠がわかって、俺もわかる、だとしたら、俺と戸篠の共通項は?

 ――――。

 いや、言った。言ったじゃないか。俺が言ったんだ。

『……こう見えて、その、俺も恋をしているから、何となく戸篠の気持ちはわかる』

 つまり答えは。

「そういうことなのかよ」

 古段が悔しそうに、あるいは恥ずかしそうに口を結ぶ。

 王地、戸篠、古段。

 先程とは違う。

 今は、役者がみな揃っている。

「春鳥。これで終わりだ。俺たちはもう帰ろう。さすがに今日は疲れた」

 邪魔者は、消えなくちゃな。

「ええっ!? いやいや百枝くんっ? ここまできてどういうことだよ。彼らはどうするんだ。意味がわからない、意味がわからないよ。ちょっと私も下へおりるからそこで待っていたまえ」

 春鳥が屋上から見えなくなる。階段を駆け下りているのだろう。ならばこちらも校舎に入れば二階辺りで合流できるか。

 ――そう、よくよく考えてみればおかしかった。

 どうして俺たちの前へ姿を現したのか。すでに古段の負けは決まっていた。わざわざ傷を広げる必要はあるまい。あそこであのまま逃走していれば、もしかしたら明日から変わらない生活を送れたかもしれないじゃないか。

 どうして古段は目的を語ったのか。あんなつまらない動機を語ったところで、王地の敵意が増すだけだろうに。

 古段も馬鹿じゃない。あれで、実のところテストの成績は良い。

 王地を陥れるため?

 いや、そうじゃない。

 あの怯えた表情は、確実に俺へ向けられていた。

 古段の襲いたかった相手は、王地じゃない。

 俺だ。俺を襲いたかったんだ。

 理由は一つ。

 今日の俺は、サトリだから。

 昼休みに俺と戸篠の会話を盗み聞き、それを知ったから。

 自分の心を、読まれたくなかったからだ。

 ――王地は言った。この手紙は、恋文か、果たし状か。

 俺は勘違いをしていた。

 てっきり、古段は王地に果たし状を送ったんだと思い込んでしまった。

 とてもそうは見えないから。そうやって普段の態度で判断してしまった。

 しかし、違った。

 俺と同じだ。戸篠と同じだ。

 古段も勇気を持てなかったんだ。

 告白する勇気を持てなかった。

 そりゃそうだ。恋だってする。

 

 古段も一人の、女子高生なんだから。

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