第十九話
古段が戸篠をメッセンジャーとして選んだのは、きっと偶然だったんだろう。
戸篠が王地のことが好きだなんて気付けないだろうし、まして、戸篠が砂かけ婆だなんてわかるはずがない。戸篠を選ぶ必然性もない。
たまたま放課後に教室で小説を読んでいたから。周りにめぼしい人間がいなかったから。そんな理由で、古段は戸篠の体に砂の文字を書いた。
戸篠曰く、風に運ばれるように窓から教室の中へ砂の粒が侵入してくるのを見たらしい。おそらく砂かけ婆の力に近いものなのだろう。
その間、真っ赤な蛇であるアカマタの能力は、古段の体を赤く染めていた。
古段が自分で手渡さず、わざわざ戸篠を利用した理由はわからない。けれど、王地へ手紙を渡した理由なら想像がつく。
ラブレターか、果たし状か。
初めに王地が提示した二択だ。あいつの推理は見当違いではなかった。
手紙はラブレターでなく、果たし状だったのだ。
古段はきっと王地を恨んでいた。何があったのかまで考えを巡らせることはできないが、ともかく古段は、王地を陥れたかった。
戸篠から、例の待ち合わせ場所で起こった砂嵐は古段の砂文字を払いのけるためだったのだと聞いた。
つまり、俺や王地が砂掛け婆を目撃したあの場に、古段はいたのである。
砂掛け婆がいなければ、古段は王地をどうするつもりだったのだろう。戸篠が砂掛け婆の姿で待ち合わせを阻止しなければ、何が起こっていたのだろう。
古段が何を企んでいるか。
――問い詰めてやりたいが、役者が足りない。
午後の授業を終えて、俺たちの他に教室からクラスメイトはいなくなり、いまだ古段は現れないままだ。古段との連絡手段を持たない俺には会話を試みることすらできない。
「あ、あの、私は、どうすれば……」
ふいに戸篠が口を開く。
こちらとしては俺と春鳥だけで古段の相手をするつもりだった。戸篠に声をかけたわけではない。彼女がこの場に残っているのは、ひとえに彼女の意志によるものだ。
――とはいえ。
「戸篠は、帰った方が良いんじゃないか。ここからは戸篠に関係のない話だろう。古段が女を操るっていうんなら、なおさら危険だぜ。俺一人で相手をした方が良い」
「そうそう、君がいたところで役に立つとも思えないしね。さっさと帰りなよ。――はい百枝くん、通訳」
しないって。
……つうか、本当はお前が残るのも避けたいところなんだけどな。
「まぁともかく戸篠、お前はいない方が良いだろうよ」
「そ、そういうわけには……」
「いくだろ。流されるだけ流されてみすみす危険に飛び込むのは馬鹿のやることだぜ」
俺が言うと、春鳥が「おや」と不思議そうな声を出す。
「それは百枝くんの言える台詞なのかい?」
まったくですな。
「で、でもっ! 私、砂かけ婆ですから……っ!」
唐突に戸篠が声を荒げる。
「ですから?」
「ですから、砂が舞ってたら全部遠ざけてやります……っ! 十分に、お役に立てると思います……っ!」
「春鳥はともかく、俺は役に立たないから帰れっつってるわけじゃないんだが」
「知ってます! で、でも、大丈夫です……私だって、王地くんの力になりたい……」
「…………」
これは、俺がどうこう言っても止まる気はねえだろうな。
まぁ、戸篠の行動に俺が口を出す権利はない。強く説得するつもりもないのだが。
「仕方ねえな」
そう言って俺は、戸篠との会話を終わらせた。春鳥がぼそりと「本当に流されやすいなあ百枝くんは」と呟く。うるせえな。
時刻は午後六時。グラウンドや体育館で部活動に勤しんでいた連中もそろそろ家へ帰る時間だ。
古段の居場所はわからないが、あいつの行動なら見当がついている。
古段は今も、王地を探しているはずだ。
何故なら、昼休み、俺と戸篠が会話をした第二運動場、あの場にも古段はいたのだから。
「そういえばさっき、アカマタいたよね。そこの茂みの辺りに。……あぁ、妖怪じゃなくて、蛇の方だけどね」
春鳥がその言葉を放ったのは放課後のことである。早く言えよ。
――ともかく、古段は俺たちに正体を知られたことに気付いてしまった。邪魔者が現れたことを知ったのだ。
となれば、古段のやることは一つ。
邪魔をされる前に、王地を潰す。
そうなると、自然とこちらのやることも決まってくる。
王地を呼び出し、事実を伝え、守ること。
古段は無数の軍勢を生み出せる。いくら王地でも、一人では古段には敵わない。
だから王地には教室へ戻るよう伝えた。まずは合流しなければならない。もちろん古段からの連絡は無視するよう言い添えてある。
とはいえ、王地も愛しの女性を捜索している真っ最中だ。理由を用意してやらなければ現れはしない。そこは俺も理解している。
轟音と共に、教室の扉が開く。
「百枝通……っ! この我が、駆けつけてやったぞ。さあ、あの女性に会わせろ」
「ああ、来たな王地」
婆さんの素性がわかった。教えてやるから教室へ来い。そう言ったのだ。
「来たな、ではない。我も忙しいのだ。虚言であれば、この王地定春、容赦はせんぞ」
「わかってるさ。長い話になるが、まずはじめに、そのことを伝えるのは俺の口からじゃない」
ひとまずは婆さんの話は伏せておくつもりだったが、戸篠がここまで残るっていうんなら、少しは見返りがなくちゃな。
突然現れた王地の姿を見て硬直している戸篠の背後へ。その背中を押す。
「わ、わ……っ」
古段の問題の前に、まずはこっちだ。
全てを隠したまま終わったんじゃ、あまりにも戸篠が報われない。
「む。戸篠咲都美……貴様が、我に説明を? 何故だ」
「は、わ……え、えと、そのです、ね……?」
まるでアカマタになったかのように赤く顔を染める戸篠。これも未来の俺の姿なのかもしれない。頑張ってほしい。
――俺たちが残るのは野暮だろう。眠そうな目で二人を眺める春鳥の腕を掴み、教室の外へと出た。
「ちょっとちょっと百枝くん、突然どうしたんだい。なんで教室を出るんだ」
「流れわかってなかったのかよお前……」
こいつにデリカシーって言葉の意味を叩き込んでやりたいぜ。
なんて思っていると、
「うおおおっ!」
目の前に、顔。
「え、な、うわ、愛宕?」
教室を出たところに現れたその特徴的な伊達眼鏡は、紛うこと無く愛宕だ。
愛宕が、教室の外に待ち構えていた。
今日は図書館での待ち伏せではないんだな。珍しく歴史研究部の活動に打ち込んでいたのだろうか。
ここで愛宕に見つかるのは厄介だ。愛宕からの逃走劇を繰り広げているような場合じゃない。どうしたものか……まずは王地と戸篠の邪魔をしないように遠ざけるところからかな。
「百枝くん。考え事に耽るのも良いけどね」
春鳥に腕をぐいと引かれる。かなり勢いが強く、危うく俺はバランスを崩してその場に倒れ込んでしまいそうになった。
文句を言ってやろうかと顔を上げると、そこには腕。
――愛宕の腕が、教室の扉に突き刺さっていた。
その口角からはかすかに涎が垂れ、目はどこか虚ろだ。
「忘れていたのかい。アカマタは、女を操る能力。彼女への命令は『王地定春とその仲間を襲え』ってところかな」
「初っ端からフルスロットルだな古段っ!」
再び振り下ろされた愛宕の腕を、猿の手で受け止める。
「ちょ、ちょちょちょ、おいどういうことだよ」
筋力はこっちの方が上なはずなのに、その腕をはねのける事ができない。
向こうも筋力が上がってる……?
「人間というのは、常に力へリミットをかけるよう脳が制御しているからね。アカマタの命令でそのリミットを外してしまえば、火事場の馬鹿力を存分に振るえる」
理由を検討する暇があるんなら、その隙に王地たちを逃してくれても良いだろうが。
仕方ないので、自分で教室の中へ呼びかける。
「王地! 戸篠! 話を中断してとにかく教室から出ろ! 古段が仕掛けてきたぜ!」
俺の言葉に呆ける王地に対して、戸篠の行動は素早かった。教室を飛び出して、そのまま女子トイレへと駆け込む。
逃げたわけではなさそうだが、王地を一人教室へ残して何をするつもりだ。
「古段だと? なんの話だ百枝通。先程の文面にもあったが、古段を無視しろというのは一体」
そしてなんでお前はそんなに冷静なんだよ。こっちは愛宕の腕を押し止めている真っ最中だぜ。状況が見てわかんねえのかこいつは。
「順を追って説明する時間がないから結論だけ言うけどな! あの手紙を出したのは古段だよ! あれは、古段のお前に対する果たし状だ!」
「ふむ、なるほど。しかし、そのことと愛宕まるが貴様を襲っていることに関係はないのではないか?」
めんどくせえええっ!
「古段は! 愛宕と協力してんの! 俺を歴史研究部に連れて行きたい愛宕とな!」
「ふん。まぁ、納得した」
ようやく王地は重い腰を動かし、俺と愛宕の隣を通り過ぎていく。
愛宕はその間にも空いた左腕をこちらへ伸ばしてきている。俺はとっさに人間の方の手でそれを掴んだが、まったく動きは止まらない。さすが、火事場の馬鹿力。
「? どうした、百枝通よ。さっさと行くぞ」
「ええええ、お前の両目ホントに機能してんの」
――と、そこでぶわっと廊下に砂嵐が舞った。
これがアカマタの仕業ならゲームオーバーもんだが、しかしそうではない。
女子トイレの前に、砂掛け婆が立っていた。
……なるほど、女子トイレに駆け込んだのは、砂掛け婆へ変わる姿を王地に見られないためか。頼りになるぜ、戸篠。
愛宕が砂嵐に目を奪われ、腕の力を緩める。
俺はとっさにその隙を狙って愛宕を振り払い駆け出した。憧れの砂掛け婆と対面して落涙する王地の元へ。いやお前こんな大変な状況で何泣いてんだ。
そういえば春鳥はどこに行ったんだ――と周りを見渡してみるが、さすが、彼女の姿はどこにもない。大方、またどこかで戦術を企ててるんだろう。
愛宕の方を振り返ると、あちらはまだ砂に囚われていた。視界を奪われ、俺たちの居場所が掴めていない。
小声で王地たちへ囁く。
「今のうちに逃げるぞ」
戸篠は頷き、王地はそんな戸篠(砂掛け婆)に目を奪われている。もう知らん。返事がなくても、王地は戸篠が移動すれば勝手に付いてくるだろ。俺は階段を駆け下りた。
一階まで下りると、ちょうど職員室から出てきた担任の孤里と鉢合わせた。
「あぁ先生……」
と、声をかけたところで気付いた。目が虚ろだ。
さらに廊下の奥からは、続々とジャージを着た女生徒が現れる。一、二、三、四………全部で八人。もちろんみんな目が虚ろ。古段に操られている。
「勘弁してくれよ……」
「む。連中、みな生気が宿っていないが、どうしたのだろうな。風邪でも流行っているのだろうか」
「あれ全部、古段の手下だから。逃げるぜ」
「ふん。古段も偉くなったものだ。……ところで麗しい君、名をなんという」
王地が戸篠の手をとる。戸篠が照れて顔を背ける。いい加減にして欲しい。
孤里がゆるりとこちらへ足を進めてきた。やべ。ひとまず時間稼ぎをしようと猿の手を伸ばすと、戸篠が叫ぶ。
「窓を開けてっ!」
窓?
――あぁ、なるほどな。
猿の手で孤里を押しのけつつ、施錠されていたグラウンド側の窓を全て開放する。
瞬間、廊下から侵入した砂嵐がまたしても吹き荒れた。孤里と女生徒集団を襲い、視界を奪っている。さすがだ。
――しかし、この様子だと学校中の女が支配されてそうだな。というより、校内には女しか残されていないだろう。男の方は女を操ればどうとでも校内から排除できる。校内は、完全に古段の支配下に置かれていると見た方が良い。強引すぎるだろ、古段。
急ぎ下駄箱へ。
スリッパから靴へ履き替えている余裕はない。足取りの遅い王地を蹴り飛ばしつつ、校外へ駆け出す。
――が。
「うぉおっ!?」
校舎の角を曲がり、正門が見えたところで、わっと四方から現れた女生徒たちに王地が押し倒されてしまった。
「王地!」
猿の手で女生徒の一人(よく見ればクラスメイトだ)を引きはがすが、その女生徒が今度は俺へ向かってきてしまった。
火事場の馬鹿力相手では、猿の手でも一対一が限界だ。一人を相手にしている間にも、残りの連中が王地へ襲いかかっている。
戸篠は砂嵐で女生徒たちの顔を覆っているが、今更視界を奪ったところで何の意味もない。王地の体はもう、集団の下にある。
「む、ぐ」
王地の呻き声が聞こえてくる。パニックになっているのか戸篠は必死に砂を舞わせているが、効果はない。
グラウンドの向こうからはさらに数人の女生徒が駆けてきた。
帰りがけの剣道部員だろう、ご丁寧に竹刀を握りしめている。凶器付きである。
ただでさえ勝ち目がないというのに、さらに戦力を投下され、武器まで持ち出されてしまったらもう終わりだ。
まずいまずいまずいまずい。
――と、そこで唐突に、びしゃっと顔面に水がかかった。
「ぶ、わ、ぷ……っ」
勢いが強く、口の中にまで侵入してくる冷水に前も見えない。
「おや、すまない百枝くん」
春鳥の声。
水飛沫が弾けるのを感じる。
ようやく視界が良好になると、対峙していた相手が地に伏していた。
見れば、春鳥が左手にモップ、右手には、どこかから伸ばしてきた鶯色の蛇のようなホースを抱えている。
蛇の頭から飛び出す水流は、地に伏した女生徒へ向けられていた。
「百枝くんも手伝ってくれないかな」
言われて気付く。
いつの間にか、辺りには何本ものホースが転がっていた。それら全てから水が迸り、アスファルトが黒く湿っていく。
すぐさま俺もその内の一つを拾い、王地を襲っていた連中へと水流を放つ。
不思議なことに、女生徒たちはしばらく水に撃たれるとばたばた倒れていった。
「……なんで?」
「自明だよね。砂で命令を書かれたんなら、その砂文字を洗い流してやれば命令は解除される」
春鳥の言葉を聞いて、戸篠も参戦。ホースを拾い、向かってくる剣道部員に水流をぶつける。
王地は全身に擦り傷を作り、よろよろと立ち上がった。
ふいにその背後へ、孤里の姿が迫る。
騒ぎ声を聞いて校舎の中から出てきたんだろう。目つきを見ると、未だ古段に操られているようだ。まるでゾンビである。
王地は孤里の存在に気付いていない。
「おい王地、後ろから来るぞ!」
「おっと危ない」
俺が叫んだ直後、春鳥ののんきな声が響く。
春鳥はホースを一度地面へ放り、左手に握りしめていたモップで今まさに王地へ襲いかかろうという孤里の体を勢いよく突いた。
自身が駆けるのとは反対方向に力が加わり、孤里の体はくの字に曲がる。そしてそのまま足をもたつかせて転倒してしまった。……あれ大丈夫なのか。
俺はなおも起き上がろうとする担任教師の体へ水流を向けつつ、心の中で「ごめんなさい先生」と謝る。後遺症のないことを祈る。
「ふん。怪我人はそこで座って見ていれば良いさ。邪魔をするなよ。――と、彼に伝えてくれるかな、百枝くん」
「そろそろてんどんが過ぎるだろ春鳥」
まぁ、その言葉には同意だが。
「そういうわけだから、王地。お前はじっとしてろよ。この調子でいけばじきに終わる」
「む、ん」
唸る王地を背に、次々と現れる女生徒を水流で撃退していく。
十、二十、三十を数えたところで現れた愛宕を最後に、新たな影は見えなくなった。
辺りには倒れた幾人もの女生徒。グラウンドからも校舎の中からも、一切の物音が聞こえない。
「これで打ち止めみたいだな」
あぁ、疲れた。文系男子には辛い戦いだったぜ。
集中力が途切れ耳をすませば、ひぐらしの鳴き声が聞こえていた。じきに太陽も沈む。
「割とあっけなかったね。戦法が意外性に欠けているよ。面白くない」
「面白さ求めてないから」
俺と春鳥がそんな会話をするなか、王地は口を閉じ、ぼうっとこちらへ視線を向けている。まぁ、こんだけ無茶苦茶な展開が続けば、さすがの王地も頭の回転が追いつかないか。
戸篠の方はといえば、ちらちらと辺りに視線を送っており、どうやら老婆から女子高生へと戻るタイミングを見計らっているようである。
張り詰めた空気が散開し、その場に座り込む。
が、もちろんこれで終わりなどではない。操られた女生徒たちは、前座でしかない。まだラスボスが残っている。
静寂が訪れたのも束の間、
「やーやー、ちぇすちぇす! ホントやりたい放題やってくれちゃってまー、ありえねえよマジでお前らマジで」
――古段の声だ。
しかし四方を見渡しても、どこにいるのか姿は見えない。
「ちょいちょい百枝ここだってん。こーこー。上よ上。うしゃしゃい空を見上げてご覧なさいってなもんでこれ」
「空?」
言われた通り、空を見上げる。何もなし。
少し角度を下へ。
「いえーっっっす!」
片手を上げて挨拶をする。
古段は長い長い三つ編みを垂らし、校舎の屋上であぐらをかいていた。
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