第十七話
惚れた弱みか断り切れず(何故俺はこんなのに惚れてしまったのか)、結局、俺は戸篠の机の中へそっとメモを忍ばせた。
春鳥は四限からまたしても姿を消したので、第二運動場へは俺一人で向かっている。チャイムから五分なんて制限をつけたせいで、こちらも急がなければならない。
小走りで第二運動場へ辿り着くと、グラウンドはがらんとしており、猫一匹見当たらなかった。戸篠はまだ到着していないようだ。俺の方が先に教室を出たのだから当然だが。
……しかし、グラウンドがいやに湿っているのが気になるな。歩く度に地面に足跡が付く。今日は朝から照りっぱなしで雨は降っていなかったはずだ。
「百枝くん、百枝くん」
額から流れる汗を拭いつつ頭を悩ませていると声がかかる。
フェンスの裏側で春鳥が膝を抱えていた。
「春鳥。お前そろそろきちんと授業を受けろよ。卒業できなくなったらどうするんだ」
「教員に話はつけているよ」
また脅迫したのか。
「……それより、戸篠さんはまだ来ないのかな。約束の時間まであと一分もない」
「時間制限が厳しいんだよ。俺も大変だった」
「百枝くんは運動不足だからね」
最近は腕立て伏せやらスクワットやらなんかもしてんだけどな。
「そうだ。そういえば百枝くん。今日はサトリだったよね。戸篠さんの心は読んでみたのかな?」
「ん……あぁ、考えもしなかった」
朝の妖解の時に知った、本日の妖怪はサトリ。
サトリの能力は、相手の心を読むことと、腕を猿の手に変化させることだ。
初めはなんの妖怪かわからず、頭の中に響いてきた謎の言葉をそのまま「シュークリーム食べたい……?」と呟いたら、普段の数倍の勢いで妖解パンチされた。春鳥の脳内が伝わってきていたのだ。
珍しい表情の春鳥が見られて嬉しかったのだが――その時に心の中で誓ったのだ。サトリの能力は封印する、と。
大体、他人の頭の中を覗き見るなんて能力、悪事以外に使い道がないように思える。今回のだって戸篠を脅迫しようってんだから、悪事に違いないだろう。
「まったく。まぁ、心を読むとはいっても、深層心理まで理解できるような大層な物ではないようだからね。読めるのは一時的な思考程度だろう」
「あれ、そうなの?」
まぁ、確かに大した検証はしてないからな。春鳥の言う通りなのかもしれない。
むしろ深層心理まで理解できるって強力すぎるだろう。そこまでいくと悪事以外の使い道も見えてくる。
「しかし、それならそれで、相手へ強制的に特定の事柄について考えさせれば良い。ようは、一時的にでも知りたい情報を引きずり出せば良いわけだね」
「昨日の件を問い糾している最中に能力を使えってことか」
それで戸篠の秘密が知れる。そりゃあ可能ではあるだろう。
「……いや待て待て。俺がサトリの能力を使う前提になってるような気がするが、俺はやらねえぜ。一方的に心を読むだなんて戸篠に悪いだろ。道徳的になしじゃないか」
「……朝は私を陵辱したくせに」
「言葉を選んでください」
「じゃあ蹂躙かなあ?」
「だから、あれは不可抗力だっつってんだろ。つうかシュークリーム食いたいってだけだぜ。甘いもん食いたくなるくらい普通だろ。なに恥ずかしがってんの」
「はー? シュークリーム? 私そんなの食べたくないんだけど? 朝はブラックコーヒーとトーストって決めてるんだけど?」
「……シュークリーム食いたがってたのを知られるのが嫌だってのはわかった。どういう拘りだよそれ」
「あ、あの……」
ん? 会話の中で耳慣れない声が聞こえ、振り返る。
側頭部で結んだリボンが印象的だ。黒い長髪が風に揺れている。
戸篠咲都美が、振るえる手でスカートを握りしめ立っていた。
「や、約束の場所は、ここで合ってます……か……?」
「…………」
振り絞るような戸篠の言葉に、春鳥は沈黙で応じる。
はいはい、そうだったね、お前。
「ああ、合ってる。呼び出して悪かった」
俺たちが待ち伏せてたんだから場所を間違えているはずがないだろうとも思うが、まぁ戸篠も緊張してるんだろう。
「えーっと、話ってのは――」
「あ、あの――」
発声が被った。
どうぞどうぞ、と彼女に先を譲る。
「あの……昨日のこと……百枝君と、春鳥さん、見てたんですか……? 全部、王地君に話すって……ホントです……か?」
戸篠はぶるぶると震えながら言葉を続ける。
春鳥が脅したから無茶苦茶怯えてるじゃねえかよ。
「いや、あれは戸篠を呼び出すための口実だ。春鳥が俺の名前を使って勝手に書いただけ。脅迫するつもりなんて無かった。悪い」
それで戸篠の顔がみるみる明るくなる。わかりやすい奴だ。表情を柔らかくして、スカートを握る手を離した。
「百枝くん。私たちには秘密を全て明かすように命じてくれるかな」
春鳥の言葉に、戸篠がびくりと震える。彼女の黒髪は腰まで届こうかというほど長いので、その動きを眺めていれば小さな挙動でもすぐに気付く。
うまく緊張をほぐしたかと思ったのに。
戸篠に聞こえる声で話すなら直接言えよお前。
「……あー、聞こえてたかと思うが、春鳥から、秘密は全て話すように、とのことだ。付け加えておくと、お前が砂掛け婆だってのは、こっちもわかってる」
「え。え。砂掛け婆。妖怪ってこと…………知ってるんです、か? 怖いとか、そういうのは……」
「ないね。私は妖怪が好きだ。むしろ大歓迎だよ。――と、伝えてくれるかな、百枝くん?」
だから直接言えっつうの。今ほとんど普通に返事してたじゃねえか。俺はもう言い直さないからな。
「――戸篠。妖怪について変に説明する必要もない。世の中に妖怪が実在するってことも、俺たちは知ってる。俺も戸篠と同類だからな」
「え。え」
戸篠が動揺しているが、構わず言葉を続ける。
「ともかく、聞きたいのは。王地に手紙を渡した理由。呼び出した王地を、砂かけ婆の姿で待ち伏せてた理由。あとは、砂嵐を起こした理由、だな」
戸篠が唇を固く噛みしめ、顔を伏せる。黒髪が揺れる度に戸篠の震えが伝わってきて、心が痛くなってきた。
「いや、あの、そんな緊張しなくても。さっきも言ったけど、脅してるわけじゃないぜ」
「……じゃ、じゃあ、脅してるわけじゃないなら……嫌、です……教えません……」
おっとお……。
おどおどしてても、意思は強いんだな、戸篠。
――ただ、俺の隣にはその百倍は意志の強い奴が立っているのだ。
春鳥は表情を生き生きとさせて口を開く。
「いやあ、それは通らないなあ。全て教えてくれなくちゃね。そっちがその気なら私にも考えがあるよ。先程の文面を思い出して欲しい。百枝くんはああ言ったけど、私は本気だよ。口が滑らないとは限らない。君が何も言わないなら、私は王地くんに全てを話してしまうよ。――と、伝えてくれるかな百枝くん」
「ひどすぎるぞお前」
……ホント、俺はどうしてこんなのに惚れてしまったんだろうか。
「そ、そ、そん、なの」
ざわり。と、全身の毛が逆立つような感覚に囚われた。
視線を春鳥から戸篠へと戻すと、黒髪が重力を無視して宙に揺らめいている。
髪の色は徐々に黒から白へ。頬には皺が浮かび上がり、いつの間にやら服装も制服から着物へと変貌している。その様子は、まさしく妖怪変化だ。
一通りの変化を追えると、戸篠は両手を広げ、呟く。
「だったら。私、も……っ」
その言葉で察した。昨日の砂嵐をやる気か。
すぐさま俺も両手を猿に変化させる。これで何が出来るとも思えないけど、人間のままでいるよりは筋力が上がることは早朝に確かめた。何かの足しにはなるかもしれない。
しかし、戸篠の砂かけ婆がどれ程の能力を持っているのかはわからない。あんな砂嵐まで起こしてしまうんだから、少なくとも猿の手如きで敵うとは思っていない。
周囲の地面がぼこりと持ち上がる。
戸篠が頭を揺らす。俺は右手を構え、すぐに逃げ出せるよう左手で春鳥の腕を掴んだ。
――が、それ以上、何も変化がない。
「……っ? な、え……っ?」
戸篠が戸惑いの表情を見せる。
そのまま戸篠は気張り続けているようだが、やはり砂は宙に持ち上がらない。
「能力が発動しない……?」
俺が言うと、隣から春鳥の含み笑いが聞こえてきた。
「百枝くん。どうして私が四限をサボっていたと思う? そして、どうして地面が濡れていると思う? ヒント、砂かけ婆は砂を利用する。砂が水に濡れると、どうなる?」
……ああ、なるほど。そこまで言われれば、さすがに理解できる。
「お前、ホースか何かで、グラウンドへ水をばらまいたんだな。砂は、水に濡れると固まるから。砂かけ婆の能力は封じられる」
「大正解! さすがだろう! ナイス軍師! 春鳥奈散!」
軍師というか、卑怯なだけな気もするけど。
――そういうことならもう危険はない。
俺は妖解し、猿から人間の腕へと戻す。
春鳥の腕を握りしめたままだったことにも気付いたので、そちらも慌てて離した。
「うっ……うぅ……うううううぅ……っ」
と、同じく婆さんから女子高生へと戻った戸篠は、涙まじりに嗚咽をもらし始めてしまっていた。マジ泣きである。クラスメイトのこんな姿、そうそう見るもんではない。
……ガチでへこむなあ。
「百枝くん、今だ! サトリの力を使う時!」
「いやお前ホントちょっと黙っててくれない?」
戸篠の気持ちは、痛いほどわかる。
動機だって、薄々勘付いてはいるんだ。つい先日までの俺にはわからなかったかもしれないが、今の俺なら、心の底から理解できる。
俺は戸篠へと一歩近づき、慎重に言葉を選ぶ。
「なあ戸篠。俺たちは絶対に秘密を漏らさない。ここだけの話にする。このままじゃ収まりがつかないんだよ。王地も昨日の戸篠の姿を見てんだぜ。今も婆さんの姿を探し求めてる。放っておけねえだろ。嘘を話すにしろ真実を話すにしろ、王地になにかしら説明をしてやらなきゃいけない」
戸篠は鼻をすすり上げ黙っている。
埒が明かねえ。
「……よし、じゃあこうしようぜ。俺もお前に、一つ、いや二つ、秘密を教える。秘密の交換をしようじゃないか」
「いやいや待ちたまえ百枝くん」
春鳥の制止を無視して俺は続ける。
「一つ、俺は妖怪百面相だ。戸篠は砂掛け婆一つだけだが、俺の場合、数え切れないほどたくさんの妖怪に憑かれてる。毎日、妖怪が入れ替わるんだよ」
「入れ替わる……?」
「詳しい説明は後だ。しかし、お前も見ただろ。俺の腕が猿に変わるのを。今日は俺、サトリって妖怪に変化できんだよ」
戸篠は口元へ右手をやり、視線を横に向ける。考えを巡らせてるんだろう。
「二つ目」
俺はそんな戸篠へとさらに近づき、耳元へ囁く。戸篠は少し身を引いたけれど、こちらの言葉を伝えるのには十分な距離だ。
「……こう見えて、その、俺も恋をしているから、何となく戸篠の気持ちはわかる」
「こ、恋……?」
「俺の相手はあれだ」
春鳥に気取られぬよう、小さく親指で背後を示す。
戸篠は俺の親指へ視線をやり、続いて春鳥へ。俺の顔へと戻す。
「……あー、これ、伝わってる?」
「…………」
しばらく戸篠は黙って俺の顔を眺めていたが、突然に、くすりと笑った。
「大変です、ね」
どうやら、戸篠の緊張は解けたらしい。
離してくれる気になったのだろう。
「理解してくれて嬉しい。そういう意味じゃ、王地の方が数段マシだろ」
「はい、かもしれません」
俺の言葉に頷いたことで、戸篠は本心をばらしてしまったようなものだ。
すなわち。
「……私の恋の相手は、王地くん、です」
そうして戸篠はぽつぽつと語り始めた。
春鳥にも聞こえる声量で。
王地へ手紙を渡すことになった―-いや、なってしまった、その経緯を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます