第十四話

 第二運動場を出ると、第一運動場を横切り校外へ、自宅とは反対方向、座生山道へと足を伸ばした。本日の妖怪調査がまだだったからだ。

 本日は一目坊という名の妖怪で、大した特徴はなく、額から赤いレーザーが走るくらいのものである。『一目坊』なんて名前なのに目玉が二つのままなのが腑に落ちない。トイレの鏡で額からレーザーの跳ぶ自分の姿を確認すると、大層気持ちが悪かった。

 レーザーの先を木に向けたり地面に向けたり、唸りながら全身に力を込めてみたり、あらかた能力の検証を終えると春鳥へ調査結果をメール。レーザー光を特定の物質に当て続けると光を蓄積できるのに気付いたことだけが功績だった。

 山道を離れ、自転車で夜道を走り、窓に明かりの灯った民家を眺めながら帰宅。

 一日の疲れを癒やすため二階の自室へ戻った俺を待ち受けていたのは、妹のジャンピングサイドキックである。

「ふぐっ!」

 妹の体重をかけた攻撃に俺の体は吹っ飛ばされて、背後のドアノブに脇腹を抉られる。

 初めはそう大したことはないかと思ったが、みるみる痛みが広がってきた。痛い痛いものすっごい痛い。春鳥に札を貼られた際の痛みにも届くレベルだ。いやさすがにあれ程じゃあないが。

 妹が小学生だから良かったものの、こいつの体格がもう少し良かったら病院に運ばれてたんじゃないの俺。打撃が肋骨を外れたのも幸運だった。

「あはははは! おせえ!」

 忍び装束を着込んだ妹は高らかに笑いこけている。

 心底理解できない。

 兄を攻撃して笑うとはなんて妹だよ。

「お前をぶん殴りたい衝動に駆られているんだが、その前に確認したいことがある。妹よ。何故にお前は俺の部屋の中で待ち伏せていたの? そして俺を蹴り飛ばしたの? 『おせえ』ってなんなの?」

「あたし兄貴をずっと待ってたんだなー。なのにもう九時じゃんかー。蹴るよねー」

「いや蹴らねえよ、どういう思考回路からその結論に至ったんだよふざけんなよお前。そして勝手に部屋へ入んな潰すぞ」

「やってみろ!」

 妹がそう言うので、ならばと俺は頭頂部にげんこつを落とした。避ける素振りを全く見せない辺り清々しさを感じる。

 ――と、そこで、室内に妹以外に人の気配があるのに気付いた。

 首を回せば、俺のベッドの上に腰掛ける二人。

「通お兄様、ごきげんうるわしゅう」

「…………」

 ゴスロリと狐面だった。

 随分前から居座ってるようで、床にはペットボトルやポテチの袋が散乱している。食い過ぎだろ。誰が片付けると思ってんだ。帰れよ。

「おいこら兄貴、挨拶がまだだぞ」

「……ああ、久しぶり」

 妹に言われて、とりあえず言葉を返す。

 つい一週間前に座生山頂で姿を視界に入れてはいる。こちらから一方的にではあるが久しぶりというわけでもない。

 よくよく考えてみれば、直接出くわしてもいないのに俺から古段へ発見メールが飛んだのは不思議に思われてんだろうな。

 ――と、思い出したらまた腹が立ってきた。こいつら、狂言誘拐してやがったんだった。神島へ飛ばされたせいでごたごたしていて、結局、妹にすら説教をかましていない。

「おい、お前らが俺の部屋にいる理由についてはさておき、この前のことで話がある」

 三人揃ってんだから良い機会だろう。ここは一つ、今後の生活のためにも社会のルールってもんをこいつらに教えておかねえと。

 しかし俺がそこまで言ったところで、妹は見るからに不機嫌そうになって、

「話があんのはこっちだっつってんだろー。兄貴はちょっと黙ってろよ」

 とか返してきた。

 言ってねえよ。なんだよ話って。

「……まさか、それで俺の部屋で待ってたのか? 三人揃って俺に話があって?」

「あはははは!」

「会話をしようぜ!」

 苛立ちを露わにしていたかと思えば、次の瞬間には笑い出す。ホントうちの妹は、情緒不安定にも程がある。話が全然進まねえ。

「あの……」

「ん?」

 小声で呼びかけられる。

「わたくしから、よろしいでしょうか?」

 声の主はゴスロリである。

 俺と妹のやり取りを見かねて助け船を出してくれたのだろう。ありがたい。

「あぁ、この馬鹿と話してたんじゃ明日の朝まで経っても用件は伝わらねえだろう。よろしく頼むよ」

 ゴスロリは俺の言葉に頷いて、

「実はわたくしたち、通お兄様へくーちゃんの相談に乗ってもらおうと思ってやって来たんですの」

「くーちゃん?」

 俺が訊くと、ゴスロリはそっと右手で狐面の方を示した。

 あぁ、なるほど。古段櫛佳。下の名前の一文字目をとって『くーちゃん』ね。

「相談って、どうしてわざわざ俺のところに?」

「兄貴さー、乗りかかった船って言葉知ってんだろー?」

 口を挟んでくんじゃねえよ、馬鹿。

「……お前こそ言葉の意味わかって言ってんのか」

「死ね!」

 俺が妹の放った正拳突きをかわすと、再びゴスロリが口を開いた。

「先日、わたくしたちが通お兄様へ送ったメールについて覚えてらっしゃいますか?」

 俺は頷く。あんだけひどい目に遭ったんだ。忘れるはずがない。

「実は、あれはくーちゃんの悩みを解決するためなんですの。近頃くーちゃんの表情が暗いのに気付いたわたくしといっくは、人里離れた座生山頂で悩みの原因を聞いていたんですのよ」

「くーちゃんの気分転換も兼ねてんぞ!」

 お悩み相談についてはまぁ良いとしよう。気分転換も。小学校さぼったのだって、ギリギリで大目にみてやっても良い。

「……しかしお前ら、あのメールの内容はなんだよ。あのいたずらは確実に必要なかっただろうが」

「いえいえ、あれはくーちゃんのご家族――古段志貴弥様の反応をうかがうために必要でしたのよ」

 古段の反応をうかがうため?

「そりゃあれか、妹のために、きちんと犯人の要求を飲んでくれるかってことか?」

「その通りです。さすがお兄様、ご聡明でらっしゃいます」

 ……実際はそんな狂言はいらなかったんだけどな。こいつらは知らないだろうが、家に帰らない妹を古段は必死に捜し回ってたわけだから。

「あぁ、不可解でしょうから補足いたしましょう。くーちゃんは携帯電話を持っていません。ですからお兄様ごしに伝言を頼んだのです」

 まぁ、妹やこいつの名前を書き連ねたのはついでだったんだろうな。でないと、犯人がうちの妹のスマホを使ってる理由がわからなくなるから。

「なるほど、経緯はわかった。だけど、それと、俺のところに来た理由となんの関係があるんだよ。古段の件についてはきっちり屋上までやって来てくれたんだからもう済んだだろう。小学校で何かあったんなら、俺じゃなくて慈に任せとけば良い」

 慈というのは妹の名前だ。これで『いつく』と読む。ゴスロリの話から推測するに、どうやら友人たちからは『いっく』と呼称されている様子だ。

 妹は馬鹿なりに顔が広い。本人から聞くところによると、全学年全クラス全員と顔見知りだとか(俺とはえらい違いだ)。

 ……いやまぁさすがにそれは嘘だろうが、ともかく協力してくれる人間はいくらでもいる。だから小学校で起こった問題なら妹が方々へ手を回せば何とか解決できるはずだ。

「いえ、志貴弥様の件は解決しておりません。くーちゃんの悩みは緩和されましたけれど、それでも根本的な解決には――」

「ん、なんだよ、志貴弥から家族への愛が感じられない、とか、そういう話じゃなかったのか?」

「……ええと、一から経緯を説明する必要がありますね」

 そう言ってゴスロリがさらに言葉を続けようとすると、狐面(古段櫛佳だ)が彼女の目前へ右手を広げた。

「くーちゃん?」

「…………あっちゃん、ありがと…………ここからはぼくがしゃべる」

 少し驚いた。狐面――櫛佳が声を発するところを見るのは初めてだ。

 以前うちへ遊びに来た時だって、会釈くらいしか反応を示さなかったような気がする。

 櫛佳は長い前髪を右手で払い、こちらへ目を向けた。

 けれど、それで限界なのか、すぐさまささっと狐面を顔に被せ、

「……しきやの様子が……最近おかしい」

 そう呟いた。

 古段がおかしい、か。

「妹の前で言うのもなんだが、あいつは常におかしいぞ。テンション高すぎるというか」

「そうだけど……」

 普通に認められるとそれはそれで古段に同情してしまう。古段、妹にもおかしいと思われてるよお前。

「最近は……夜中になると……どこかにでかける……帰ってくると……顔が赤い……」

「ん、でかけるって、毎晩か?」

「そう……」

 ――夜中に外へ出かけていく。

 悪い遊びに走り始めたか古段。

 顔が赤いってのは、おそらくは酒でも飲んでるんだろう、まったく。毎晩毎晩となるとアル中になるレベルなんじゃねえのか。

 ふいに制服の袖を引かれる。首を回すと、妹が俺を睨んでいた。

 ――まぁ、視線の意味くらいは勘付ける。そっか、そりゃあそうだよな。

 櫛佳だって、古段のことが心配なんだ。でなければ悩みになんか発展しない。古段が非行の道を歩んでいないか心配でいてもたってもいられなくなって、俺のところになんか相談に来たんだろう。

 酌んでやるか。余計な推測はナシだ。

「よし、大体の話は理解できた。整理しよう。つまり、お前らは、俺に古段の学校での様子を探ってきて欲しいってことだな。クラスメイトの俺じゃないとそれはできないことだから」

「違うなー。夜中に出てった標的の後をつけろって言ってんだなー」

 夜中に出かけていく古段の後をつける……。

「はあっ!? そこまで俺がやんの!? 我が妹ながら図々しいにも程があんだろ!」

 なんて冗談口調で返してみたものの、三人の目はどうやら本気だ。勘弁してくれよ。

「……マジ?」

「マジじゃないことなんかない」

 格好良く言うなよ。お前大抵マジじゃねえだろ。

 ……はぁー、ホント、こいつらは。

「まぁ、そっちは王地に話をしてみるよ」

 さすがにそこまで俺が面倒見たくはない。

 王地も王地で婆さん問題で忙しいだろうが、話くらい聞いてもらえるだろう。そうすれば一人くらい協力者は現れる。

 ふいに顔を上げてみると、櫛佳とゴスロリが不安そうな表情でこちらを見ている。

 あー、俺がやる気なさそうに見えるから?

 いや実際その通りなんだから仕方ないんだが、

「安心しろよ。お前らの頼みは全部聞いてやるし、王地が動けば古段の問題はそのうちに解決するぜ」

「でしたら、よろしいのでしょうけれど」

「……おねがい……します」

 櫛佳がそう言って頭を下げる。

 そこまでさせるのは申し訳ないな。そもそも悪いのは古段だっつうのに。

「とにかく、そういうことで明日から始めるからさ。今日は二人とも帰れよ。もう九時過ぎてるぜ。親御さん心配してんだろ」

 そう言って、ゴスロリと櫛佳の背中を押す。

「あっ。片付けがまだ」

 あぁ、部屋の中、食い散らかしたお菓子のゴミでぐちゃぐちゃだしな。そこを気に病む程度の常識は身に付けてんのか。

「お菓子とジュースのことなら後始末はこっちでやっとくから。今日は帰っとけよ。ほら、慈、もう夜も遅いし送ってけ」

「あいあいさー」

 妹は敬礼で応える。

 この忍び装束はこれでテコンドーの達人だ。師範の下で高校生を相手にして互角に立ち回っていると聞く。小学生の護衛くらい十分務まるだろう(こいつも小学生だが)。

 ゴスロリと櫛佳は扉が閉まる瞬間まで申し訳なさげに俺の方へ視線を送っていた。

 うちの妹もああいう殊勝な態度を見習って欲しい。

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