第十二話

 毎度恒例になってしまった愛宕による駐輪場での待ち伏せをやり過ごすと、三人で連れ添って、学校への坂道を上った。

 第二運動場は、本校舎からは大分離れた位置にある。正門から入ったのでは遠回りになる。

 裏門から第一運動場へ。グラウンドを抜けた先にひっそりと続く砂利道を行くと、やがてフェンスに囲まれた第二運動場が見えてくる。点々と設置されたライトに光はない。

 時刻は、手紙で約束された八時ジャスト。図書館を出発した時点では余裕があったはずなのだが、予想以上に愛宕の相手に手間取ってしまった。ホントあいつマジで。

 我が校の部活動は、顧問の教師によって七時には全て強制的に締められる(と、春鳥に聞いた)。第二運動場に残る影があるとすれば、それは王地を待つ相手に違いない。

 先程から鈴虫の鳴き声がうるさいのは、夏が近いのだろう。その証拠に、夜の八時とはいえ、ライトの光がなくともさほど暗闇は深くない。

 しかし、ここが待ち合わせ場所として適しているかと問われれば、答えはノーだろう。相手の顔を眺めるのには十分な明るさじゃないし、砂利道の脇に鎮座する怪しげな雑木林からは、いまにも妖怪が飛び出てきそうだ。

 ――対面の相手から表情が気取られにくい場所だからこそ選んだのだという考えもあるにはあるが。

「王地。待ち合わせ場所は本当に第二運動場で合ってるんだよな」

「うむ。安心しろ百枝通。障害物も何もないのだから、情報が確かならばそう労せずとも相手は見つかる。呼び出した側が約束時刻に遅れるはずもないだろう。仮に誰もいなければ、即刻帰れば良いのだ」

 なるほど道理だ。

 とはいえ、運動場は存外広い。

 着いてはみたものの、すぐには人影は見つからない。

「百枝くん、あれじゃないかな」

「お前ホント目が良いな。どれだよ」

「あれあれ」

 春鳥が指さす先に目をこらしてみれば――確かにいた。

 第二運動場の奥の奥。さらにフェンスを越えた辺りだ。ぼんやりとしていて初めはよくわからなかったが、少し近付いていてみて気付いた。

 江戸紫の着物を着た女の姿が、そこにあった。

 春鳥がすぐさま忍び足でフェンスまで辿り着き、その裏に身を隠す。俺と王地も春鳥に倣って彼女の後ろに並んだ。

 平成の世に着物なんて珍しい。うちの高校に着物を普段着にする奴なんていたのか。それとも、告白だからって気合いを入れてきたのか? だとしたらいささかずれている感は否めない。

 などと考えていると、おもむろに王地が低く唸り出した。

「ん、んん? ……あれは」

「どうした王地」

「むぅ――」

 王地は唸り続けるだけで返事をしやしない。ここまで付いてきてやった俺に誠意を見せろよ。

「おやおや。さすがの私も、少しだけ驚いてしまったかな」

 いつの間にやら双眼鏡を取り出している春鳥も、女の姿をレンズで捉えて頷いている。

 だからなんなんだよ、視力0.1の俺にもわかるように教えてくれ。

 黙ってみていれば二人ともじっと女を眺めているばかりなので、

「何に驚いているのかはわからないが、ともかく王地、行ってこいよ。あれは喧嘩と告白の二択でいったら、どう考えても告白だろうが。俺と春鳥はここで帰るから」

「百枝くん。君にこの双眼鏡を貸してあげよう」

 王地の背中を押す俺に言葉を返したのは春鳥だった。

 首へ双眼鏡の紐を通される。

 春鳥の使った双眼鏡……とか多少どぎまぎしながらも、ぶら下がったそれを持ち上げて両目へあてる。

 映ったのは、ふと振り返った女の顔。

 ……ぉお、なるほど。そりゃあ驚くよな。


 着物の女は、70は過ぎているだろう婆さんだった。


 目尻や頬には深い皺が刻まれ、髪の毛も白く染まっている。そんな婆さんが、憂いを帯びた表情で夜の運動場に佇んでいた。

「あの婆さんが王地を待つ相手? ……いや、さすがに王地とは無関係か」

「どうだろうね。夜も更けてきた頃合いだし、こんな寂れた場所に立ち尽くす趣味があのお婆さんにあるとは、私には思えないな。どうやらぼけているわけでもなさそうだしね」

 確かに、表情はしっかりとしてるな。視線も鋭い。どこか遠くを見つめるように目を細くし、固く口をつぐんでいる。

「むう……どうするか」

 王地はらしくもなく、先程から唸り声を発している。

 まぁ、確かに躊躇う気持ちはわかる。あの婆さんの目的が何であれ、俺だってあまり関わり合いにはなりたくない。

「いや、しかしここでずっと眺めてるわけにもいかねえだろ。王地、良いからとりあえず行ってこいよ」

 俺が再び王地の背中を押した、その瞬間だった。

 ぶわっと。

 婆さんを囲うように、粉塵が舞い上がった。

 それも並大抵の量じゃない。季節外れの竜巻が起こったかのように、婆さんの姿は砂の海に消える。

 不思議なことに、風は吹いていない。

 足下の茂みはぴくりともしていない。

 それなのに、砂は宙を舞っていた。

「……不可解だね」

 ぽつりと春鳥が呟く。俺にもそれはわかる。

 時間としては一分も経過していないだろう、やがて砂が全て地に落ちる。

 婆さんは依然としてその場に立ち尽くしていた。

 一体何が起こっているのか頭がついていかないが、婆さんがただ者ではないということは確かである。

 あの婆さんは何者なのか。何故、この場にいるのか。砂を舞わせたのは、彼女なのか。

「可憐だ……」

 ――――――。

 んん? なに今の台詞。

 左から聞こえたその声。

 右に立つのは春鳥だ。

 左に立つのは、ただ一人。

 その男、王地定春。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る