第二章 さとすなまたぼう
第十一話
この世に生を受けてかれこれ17年。
恋というものについて思い巡らせてみた結果、どうやら春鳥に対するこれが俺にとっての初恋のようだった。
……恋。恋だと。
言葉にしてみるとひどく陳腐なものに思える。
春鳥のギラギラした瞳に圧倒された。
俺の中にはてんで存在しない、果てしないエネルギーに魅了された。
そして、何度もこの身を助けられ、感謝の念が次第に変容していった。
つまり、俺は春鳥奈散という人間が好きなのだ。
考えてみたところ、どうもこの感情は友情とも違う気がする。
となれば、残るのは「恋」と名のつくものだろう。
私は春鳥奈散に恋をしています。
それは認めなければならない。
――しかしこの道は進んでよいものなのか否か。
無論、整備された道ではない。
ゆうて、春鳥だぞ。
自他が認める人間嫌い、春鳥奈散。なんてったって、学校で会話を交わす相手は俺と担任の狐里だけだ。
こう書けばどうも俺が春鳥にとって特別な人間なんじゃないかと勘違いしてしまいそうになるが、実際は単なる契約相手、恋愛関係に至る道は固く閉ざされている。
だからこの道を進むというのなら、まずは切り開く必要がある。
しかしそうしようにも、俺は大きな問題を抱えている。
――ヘタレているのだ、俺は。
告白ですか? はいマジ無理です。そんな勇気はないのですから。
そりゃ俺だって恋は成就させたい。伊本と浅木のカップルほどではないにせよ、春鳥といちゃつきたいもんだと思う。
けれどまー、そんな勇気はないのですから。
まずは春鳥に想いを気取られないように、少しずつ精神力を養っていくしか、覚悟を決めていくしか手はないだろう。逃げの一手である。
我ながら情けないが、これがロンリーダークナイトのロンリーダークナイトたる所以である。アイデンティティなのだから仕方がない。
それに俺の体は妖怪百面相。こんな体で春鳥で付き合うことには後ろめたさもある。
……いや、これは単なる逃げ口上。言い訳にしているだけだ。妖怪大好き春鳥奈散が、そんなことを気にするはずがないのだから。
ああしかし、しかし俺は春鳥に。
なんて、ずぶずぶと悩みの沼に沈んでいく。
こんなみっともない姿、誰に見せられるというのか。恋する相手に想いを伝える世の男共は、女共は、どれだけ肝が据わっているのだろうか。
前置きが長くなった。
目の前にある、一つのラブレター。
つまり俺は、このラブレターに関する話を聞いて、思ったのである。
――こいつすげえな。尊敬するぜ。
「さて、ここまで情報を開示したのだ。百枝通よ。我に付き合ってもらうぞ」
「気色の悪いこと言ってんじゃねえ。つうか王地、俺はもうお前の頼みを聞く気はないって言っただろ」
市立図書館。哲学・宗教エリア。
俺の脇で王地が、ハートのシールが貼られたラブレターを手に佇んでいる。
あぁ、もちろんラブレターの宛名は俺じゃない。
こいつ、王地定春である。
市立図書館の勉強机で優雅に読書を楽しんでいた俺を、今日も自分の都合でさくさく中段させてくれる、邪魔者ナンバー3の王地定春、この男なのである。死んでしまえ。
他人のプライベートを覗く趣味はないので、直接、文面にまで目を通してはいない。けれど、どうやらこれが自分宛のラブレターらしいというのは、王地が自ら話したところだ。そこを疑うほど俺も人間腐ってはいない。
しかし、これがラブレターだとしてさほど興味はないし、俺に他人の色恋沙汰などに付き合う義理もない。当たり前だ。
というわけで俺は王地の申し出を拒否したのだが、当然の如く、こいつはまったく怯まない。沈黙を返すのみだ。
「ちっ」
思わず舌打ちをしてしまう。
……まぁ、一言で折れるような奴じゃない。いつかは諦めることを期待して、しばらく会話を続けるしかない。
他人に聞かせるような話でもないから一旦周囲を見渡してみたが、どうも視界に入る限りでは人影はないようだ。哲学・宗教エリアに用のある人間などそうはいないのだろう。神聖なる読書のため静かな場所を求める俺くらいなものだ。
あらためて俺は王地へ言葉をぶつける。
「大体、どうして俺なんだ。ほら、あれ、古段にでも頼めば良いだろうが。いつも一緒にいるんだから」
「奴も我の貴重な友人ではあるが、如何せん、古段は口が軽い」
まぁ、口を閉じたらころりと死んでしまいそうな奴だしな。そりゃ、他人の恋愛話なんて隠しておけるはずないか。
「しかし、その点、百枝通よ。貴様は今回の相談に最適だ」
「あん? 俺が相談に最適って、どういう意味だ?」
……恥ずかしながら、俺に目立った長所などないはずだが。
「まず第一に、貴様にはほとんど友人がいない」
「おいなんてことを言うんだよ」
「事実だ」
事実だからこそ言ってはいけないことだろ!
「友人が少ないということは、秘密を話す相手がいないということだ。問題なし。そして第二に、古段の妹の件で、我は貴様を見直した。百枝通よ、貴様は予想外に出来る男だな」
「だから、俺は何もしてねえって」
「メールを送っただろう。古段に」
――あぁ、春鳥の送ったあれか。
何故に別人のメールだとばれていないのか不思議なものだが……春鳥の意志を尊重するならば、ここは俺が手柄をもらっておいた方が良いだろう。
「まぁ、確かに送ったが、逆に言うならそんだけかしてねえぜ」
「いや、十分だ。我らも必死だったのだ。町中をかけずり回った。しかし見つからなかった。そんな中、貴様は、一時間足らずで事件を解決に導いたのだぞ。貴様は出来る。我が保証してやる」
「お前に保証されたからってなあ」
「我だけではない。古段も、我の友人たちも保証できる。貴様は出来る。出来る男なのだ」
「……褒められても何も出ねえぞ」
俺が言うと、王地は眉間に皺を寄せる。
「ひねり出せ、貴様ならやれる。我に付き合うのだ」
えー、全然折れてくれないんだけどこいつ。
まぁともかく、少し話を整理しておこう。
王地が俺の元へ頼み事をしてきた経緯について。
――始まりはもちろん、王地がラブレターを入手したことからだ。
今日の放課後、突然に。クラスメイトの戸篠咲都美からラブレターを手渡されたのである。
この戸篠がラブレターの差出人であれば話は簡単なのだが、物事はそう甘くはない。戸篠は王地の机のそばに落ちていたそのラブレターを拾っただけであった。
では、誰からのラブレターなのか。
王地曰く、ラブレターに書かれていた差出人の名前は『あなたの親しき人物』とのこと。なんの情報にもなっていない。
……はっきり言って、王地はモテる。憎いことに。わけがわからないけど。モテる。教室で女子に囲まれる姿なんかは日に何度も目にするところだ。
だから、これが誰からのものだろうと不思議ではない。差出人を探るのは至難の業かと思われた。
が、そうではなかった。
ラブレターには『本日、夜の八時に第二運動場で待つ』と書かれていた。
夜の八時に、第二運動場で、差出人が待ち受けている。
それで何もかもがわかるのだ。
だとしたら何が問題なんだと詰め寄ると、王地は答えた。
「我は生まれてこの方、恋文というものを受け取った記憶がない。しかし、果たし状であれば月に一度は突きつけられている。となれば、これに関しても、我を騙して夜の校庭へおびき出そうという魂胆なのではないか。むしろ可能性はそちらの方が高い」
正直それは勘繰りすぎだとは思ったが、まぁ王地は昔から喧嘩が絶えなかった。確かにありえなくはないだろう。他人の推理にケチを付けるつもりもない。
――で、だ。果たし状だとしたら一人で行くのはいささか危険だし、本当にラブレターだったんだとしたら大勢で待ち伏せるのは相手に対して失礼だ、という理屈となった。
それで王地は、あくまでも一人だけ、第二運動場へ向かう同行者を求めていたのだ。
白羽の矢が立ったのは俺、百枝通である。迷惑な話だ。
「ともかく、前回のは気まぐれなんだよ。善意でやったわけじゃない。あいつらを見つけたのだって、ただの偶然だ。とっとと他をあたってくれ」
「む。しかし――」
「大体、そんなもん自分で何とかしろっての。他人に頼りきりなんて情けなくねえのかよ。ほら、本読んでんだから、俺」
言って、俺は文庫本の背を王地に向ける。
今日の一冊は『風の又三郎』だ。先日の一件でふとタイトルが頭に浮かび、久しぶりに読み返したい気分になった。
「告白だろうと喧嘩だろうと、一人で何とかなんだろ。大丈夫。お前ならできる。王地定春にグッドなラックがあらんことを」
「むう」
この間の意趣返しをしてやると、王地は低く唸った。良い気味だ。
よしよし、と椅子に深く座り直して文庫本のページをめくる。
が、頭上からは再び声が降ってきた。
「やや、待ちたまえ、百枝くん。黙って聞いていれば君らしくもない。そのくらいの頼み、受けてやれば良いじゃないか」
反射的に顔を上げる。
「……あ」
「その小説は手紙の相手を待ちながら読めばよろしい。さあいざ行かん、第二運動場へ」
椅子へ右足をかけ、冒険家か何かのように斜め上空へ指を突きつけるその姿は、まさに春鳥奈散。
どうしてこのタイミングで現れるんだ。こっちはまだ気持ちの整理ができていない。もう少し待って欲しいんだけども。
……なんて文句を吐けるはずもなく。
「どうかしたかな、百枝くん」
不思議そうに首を傾げる春鳥に、言葉を返す。
「ていうか、お前、余計な騒動に関わるなって前に言ってただろ。話が真逆じゃねえか。なんで今回に限ってやたらと推してくんだよ」
「気まぐれに決まってるよ。あれも気まぐれ。今回のも、気まぐれ。百枝くんと同じ」
ふふんと鼻高々に、何故に得意げ(かわいい)。
「――ふむ。突然の乱入に我も少々驚いたが」
しばし沈黙していた王地が再び口を開く。
「では春鳥奈散よ、貴様が我に同行するか。いやなに、闘いになった場合に参戦しろとは言わん。相手が一人か二人なら見ているだけで良い。三人以上いた場合にも、我が敵を引きつけている間に古段たちへ連絡を入れるだけだ。大した仕事ではない。どうだ、春鳥奈散よ」
王地に話しかけられた春鳥は片眉を持ち上げ、言葉を返さぬまま僅かに後退し、ちらちらとこちらへ視線を送ってきた。
「春鳥、どうし――」
と、言いかけたところで思い出した。
あぁ、そっか。こいつ、俺以外の人間と会話できないんだった。
極度の人見知り、そして人間嫌い、春鳥奈散である。
春鳥へ訝しげな視線を送る王地。こちらへ目線で助けを求める春鳥。そしてそれを受けて沈黙する俺。
…………。
この場をおさめる方法は、一つしかなさそうだった。
「……王地。仕方ねえから行ってやる。棚に本を戻してくるから待ってろ。先に行くんじゃねえぞ」
「おお、そうか。恩に着るぞ、百枝通」
「どうせ折れる気なんてなかった癖に、よく言うぜ」
ほっと胸をなで下ろした様子の春鳥を横目に、椅子から立ち上がる。
ああ、結局こうなるのか。
俺の心の安寧は何処へ。
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