第十話
翌日は一時間遅刻しての登校となった。
担任の孤里は「別に一日中家で寝ててもあたしは気にせんぞ」なんていう教師にあるまじき言葉を口にしていたが、二年になって段々と落ちこぼれつつある自分としては、そうも言っていられない。やたら成績の優秀な春鳥は普通に休みやがったけど。
二限目のベルと共に教室に入り、わけのわからない数式の羅列を右から左へ受け流すと、いつの間にやら休み時間だ。
奇妙なこともあるもので、古段が俺へ話しかけてきた。
「ちぇーっす! ちぇすちぇす! いやー、マジ助かったわー百枝。ありがとな。お前もしかしてそれで疲れて遅刻とか? うわ、ぱね。ぱねっす先輩! つうか何これ、やべ、お前と喋るの五年ぶりとかじゃない……? 同じクラスなのに……?」
弁髪のように背中へ垂らした特徴的な三つ編みを揺らし、けたけたと古段が笑う。
……そうか、そういえば、王地だけじゃなくこいつとも同小だったな。六年の時に同じクラスだった。こいつくらい印象的な奴だと、交友関係に乏しい俺でもさすがに記憶に残っている。
まぁそれはともかく、
「いや、なんのことか全然わからねえんだけど」
「またまた、百枝ってもしかして謙遜系男子? あれでしょ、うちの妹、櫛佳ちゃん捜してきてくれたんしょ」
確かに見つけるだけ見つけはしたが、そのあと俺は何の連絡もした覚えはないぞ。
と、言おうとして、ふと気付く。まさか春鳥が?
「……なあ古段、それ、誰から聞いたんだ?」
「いやさ、お前お前。百枝から直に聞いたんだってん。メール送ったっしょ?」
「……どんな文面だっけか。ちょっと覚えてないから見せてくれよ」
「ほいさ」
古段がスマホを操作し、画面を俺へ向ける。
『君の妹は座生山の頂上で友達とアイスを食べていたよ。さっさと迎えに行ってはどうかな。 by百枝通』
なりきりが雑……っ!
送信元のアドレスを見ずともわかる。間違いなく春鳥だ。
「やー、しかしマジ助かったわー。俺もこれで櫛佳ちゃん超溺愛してるんで。ちゃすちゃす! 今度飯でもおごるぜ百枝。マジ富橋で」
富橋とは、我が市に隣接する、我が市より少しだけ都会な町。
古段がクラスの連中を仕切ってカラオケやら映画やらを楽しみに出かけてる町だ。
「あ、でも、誘うっつってもあれだよなー。もしかしてお前を誘う場合あいつも付いてくることになんのかなー。いや付き合ってるわけじゃないっぽいし良いんかな? ん? そこんとこどーなん?」
「あいつ?」
「わかっしょー、今の流れ。春鳥だよ春鳥。お前、よくあんなわけわかんねえ奴と喋れんね。マジ理解不能」
「確かに春鳥は変わってるけど、『よく喋れる』ってのはどういう意味だよ」
「え? いやだってあいつ、転校してきてから一言も他人と会話してねーじゃん。一匹狼っつうかなんつうか。こええよ。つうか春鳥と喋ってるのなんかお前か孤里ちゃんくらいじゃね? 孤里ちゃんだって担任だから仕方なくだろうしさ。いやー、わけわかんねーですわー。あんなん放っといてとりあえず富橋行こうぜ?」
……確かに、あいつは他人には興味を持っていないよな。
俺とは普通に会話をするから慣れちゃってはいたけど、俺以外に対してはまともに口をきいていない。古段へもメールで、しかも俺の名を騙って用件を済ます辺り、真性の人間嫌いな風ではある。自分でもそう言ってるしな。
だけど、だからって。なあ、そんな言葉を耳にしたら、俺だって一言返したくもなるだろうが。
「おい古段」
「え? なになに突然改まって」
「お前が春鳥に下してる評価は、まともだ。間違ってねえ。あいつは自分の興味の範疇でしか、契約の範疇でしか、覚悟の範疇でしか絶対に動かない。だから他人との付き合いなんか全然しやしない。俺とは、範疇内にいるから付き合ってるだけだよ」
「お、おう、イエス。よくわかんねえけど」
「……しかしな、俺は、こっちは、こっちとしてはな、これでも好きで春鳥と付き合ってるんだよ。春鳥を放っておくだとか、は? それこそわけわかんねー。俺が春鳥との付き合いをやめるタイミングなんて、お前が決めるもんじゃ! ねえだろうが!」
古段に人差し指を突きつけてまくしたてると、後方から王地の「ブラボーソウル。友情ブラボー」という言葉が響いた。
我に帰れば、次第に声が大きくなっていたことに気付く。予期せず、意図せずクラスの注目を集めてしまって、堪らなくなり、俺は教室を飛び出した。
――どうして声を荒げてしまうのか。
――どうして春鳥から離れられないのか。
――どうしてあのぎらついた瞳を忘れられないのか。
友情じゃねえよ。
簡単だ。つまり俺は。
春鳥に惹かれているのだ。
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