第六話
「誰だい? その三人は?」
気付けば、背後から春鳥がスマホの画面を覗き込んでいた。
「ちけえよ馬鹿。……俺の妹と、古段の妹、それに、確か同じクラスの女子の名だ」
「関係性が見えないな」
「見え見えだっつうの。なんつうか、つまり、よくある仲良し三人組だよ」
側頭部に狐面を下げた小学生、古段櫛佳。あれは、俺の妹の友人なのである。古段の妹だったとは知らなかったが。
そう、いつだったか、我が家へ妹が連れて来たのを一度だけ見たことがあった。狐面が印象的だったからよく覚えている。
「どうするつもりなのかな?」
「……王地に連絡を入れる。古段の電話番号を知らないからな」
「それで?」
「俺も高校に戻る。古段を呼び出せとはあるが、俺も行っちゃ駄目だとは書いてない」
そのくらい許容範囲のはずだ。古段一人を呼び出したいのなら、そもそも俺ごしにメールなど投げてはこないだろう。
とはいっても、こちとら田舎の高校生だ。身代金を要求されても大した金額は出てこねえぜ。何を考えてんだよこの犯人は。
「はは、馬鹿だなあ、百枝くん」
……馬鹿?
「おいこら、妹を誘拐されてんだぞこっちは。いくら春鳥でもんな台詞は――」
「そんなに正直にやることはないだろう、という話だよ。ほら、かっかしないで。ねえ百枝くん、想像してみなよ。犯人が古段くん? を屋上へ呼び出したとして、あっちも屋上へ素直に現れると思うかい?」
「……ねえだろうな。人質がいるとはいえ、高校を古段の仲間に囲まれたら逃げられなくなる。どこか遠くから眺めて、どうにかして身代金を別の場所へ運ばせるはず……」
「そこまで想像できてるんじゃないか。なら、さらに先へいってみよう。――遠くから眺めるとして、うちの高校は坂の上にあるんだよ。それより高台にある場所なんて、この市にはそうそうないだろう?」
「――座生山頂?」
「そう、展望台だね」
「……なるほどな」
結局、やることは変わらないってことか。
「あぁ、けど真正面からいっては危険だよ」
「わかってる。一反木綿を使うさ」
「ふむ。それなら、急いだ方が良いだろうね。早速、一反木綿になって上空へ昇ろう。展望台の、そのまた上にね」
春鳥が人差し指を立てる。
「ただし、気を付けたまえよ、この辺りは強風の地域として知られている」
「知ってるよ、そのくらい。生まれ育った土地だからな」
砂原市は、強風の地だ。
風速は平均8メートル毎秒を超え、ひどい日には台風並の風速が記録される。座生山頂には巨大な風力発電機も設置されているほどである。
「しかしまぁ、何とかなるさ。それで躊躇している場合でもない」
「――自己犠牲は程々に、と何度も言っているんだけどね。他人の身より自分の身だろう、まったく」
納得のいかなそうな春鳥を横目に、俺は王地に送るメールを打ち込む。あくまで手短に。送信。
「やろうか」
「ああ」
春鳥へ言葉を返し、一反木綿を行使するため脳内で深く念じる。
俺は一反木綿。一反木綿だ。
目を瞑り、全身の神経を逆立たせる。
――瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
いや、違う。違うな。見れば、ズボンと共に、俺の足は、体の重みによってぺしゃんこに潰れている。俺の足は布に変わったんだ。
「百枝くん。宙へ浮けるかな?」
「一反木綿に変わったのは足だけだからな、まだ辛いだろう」
再び目を閉じて、念じる。祈る。すると、今度は上半身が崩れた。
「おぉー! 百枝くん。すごい。すごいよ。ヒトガタみたいになってる。ほらこれどうぞ」 春鳥が鏡を差し出す。そこに映っているのは、なるほど、確かに。昔ドラマで観た、陰陽師の使うヒトガタそっくりだった。人の形にざっくり切り抜いた紙切れ。
なんて感想を抱いている間にも春鳥に服を脱がされる。見た目はただの布だから、恥じらいも何もない。服の下も全部ヒトガタだった。
「自分の体だけど、なんか気持ち悪いな」
「ふむ。視力良好。聴力良好。言葉も発せると。顔のパーツは全て失われているのに、不思議だね。これぞ妖怪だ! いやあ、面白い。面白いなあ。本当にヒトガタだよ。立体感がないね。それに、足の部分が本来の形を留めてない。私の持っている資料ではこんな例はなかったね。足の形をしたままか、もしくは端へ近付くに従って徐々に細くなっていくような。あ、百枝くん、嗅覚は残っているのかな? 香水しゅっ!」
春鳥がどこからともなく取り出したスプレーを俺めがけて拭きかける、
「くさっ! おい! なんかしょんべんの臭いだけど!」
「嗅覚もあると。もちろん触覚もあるだろうし、完璧だ。……あ、これ、アンモニア香水。百枝くんが妖怪へ変じた時の嗅覚確認用に購入したものだよ。大きい方じゃないだけマシだよね」
悪魔かよ……。
「ささ、じゃあ浮いてみようか。ほら、アリも百枝くんの体を這ってるし」
どうもぞわぞわすると思ったら言われた通りアリが肩の辺りから顔の方へ登ってきている。
急ぎ力を込める。大した努力はいらなかった。すぐに視点が地面から遠ざかる。どうやら宙へ浮けたようだ。アリも体から落ちていく。
「お見事。耳の辺りへスマホを取り付けておくよ。私と連絡を取る必要はあるだろうからね。それとこれ、双眼鏡だ。上空へ登ったところで、地上の人間から気取られないほどの高さにいたら、反対もまた然り。百枝くんから地上の人間の顔なんて見えないだろう」
「……あぁ、確かに」
「本当に馬鹿だな、百枝くんは。なにも考えてなかったのかい」
背後へ回った春鳥は、俺のスマホを操作すると、それを紐でぐるぐると耳の辺りへくくりつける。
『聞こえるかな』
スマホから春鳥の声が聞こえる。見れば、春鳥は自分のスマホを口元へ近づけていた。
「ああ、問題ない。聞こえるよ」
今度は双眼鏡をくくりつけられる。けっこう重いな。いかんせん布だからか、力を入れていないと首の辺りが重みで折れ曲がってしまいそうだ。
『百枝くん。さっきからくさいよ。布は臭いが染みつくから気を付けた方が良いだろうね』
「それはお前のせいだろうが!」
……緊張感のない会話だ。
俺の不安をほぐすためにわざと言ってるんだとしたらありがたいものだが、春鳥に限ってそれはないだろう。
木々の枝にひっかけられないよう気を付けながら、俺はおそるおそる上空へ体を持ち上げていった。
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