第三話
愛知県渥美郡の中心に位置する我が砂原市は、太平洋と三河湾に挟まれた潮の香る町、であると共に、三河湾に沿って延々と続く山々の並ぶ、まぁ簡単に言ってしまえば、日本のどこにでも存在する至極平凡な田舎である。
夜になるとどこからともなく聞こえてくる蛙の鳴き声(夏は特に活発)が、一切ケレン味のない田舎感を引き立ててくれる。
俺たち高校生にとってのメインスポットといえば、高校近くのジャスコと潰れかけのカラオケ店だ。買い物すら満足にできやしない。ゲームセンターや映画館なんてあるはずがない。
そういえば小耳に挟んだところによると、どうやら我がクラスメイト連中は毎週のようにどんぶらこっこ半時間も私鉄に揺られ、隣町まで出かけているようだ。
なんでも一年の頃から、みんなでボーリングやらゲーセンやらで遊び倒そうってな目的で、中心になって動いてる奴がいるらしい。大学のサークルのような感覚なんだろう。
その活動が始まったのは一年前で、俺が活動の存在を知ったのはつい半月前、高校二年の初夏である。
随分ブランクがあるが、それはひとえに俺の交友関係が異常に狭いからだ。まぁ、俺は友達が少ないのを気にしていないので、とりたてて問題ではない。問題ではない。
閑話休題。
さて、そんな我が市だけれど、もちろん長所もある。
俺が小学生の頃に突如として増設された、市の巨大図書館。これだ。
蔵書数50万冊。敷地面積は、俺の通っていた中学校をも超える。
CDや漫画も寄贈されており、視聴覚室だってある。さらに館内に設置された無数の自由スペースには、PCがずらりと並んでいる。都会の図書館と比べてもきっと引けを取らないだろう。田舎だってやる時はやる。
試験前には毎度、給湯室の設置された共有スペースが中学生と高校生で溢れかえる。教科書を眺めながらカップラーメンだっていただける。
砂原市の図書館は、試験前のホットスポットとして、我が校の生徒から深く愛されているのである。
しかし、俺からみれば、活用を試験前に限るなんて愚の骨頂。これでもかと無駄に蓄えられた数々の蔵書を生かさないでなんとするのだ。
紙面から顔を上げ、首を回す。一階にも、少し視線を上げれば二階にも、一面に本棚が広がっており、そのどれもが背表紙で埋め尽くされている。
生粋の文系男子であり、渥美のロンリーダークナイトを(心の中で)名乗る俺にとって、この図書館は天国だ。
ここで読めない本はない。万が一、データベースに記録がなければ、注文後すぐに購入してくれる。
天国すぎるほど天国。至れり尽くせり。まるで神様にでもなったかのような気分にさせてくれる場所だ。
前置きが長くなった。
だというのに、最近はそんな俺の神様気分を阻害する奴らがいるのだ。これだけ説明すれば、それがどれだけ俺にとって苦痛かわかってもらえるだろう。
一人目は春鳥奈散(そもそもあいつとの出会いがこの図書館だった)。
二人目は置いておこう。
最悪なことに、ここにきて三人目が現れたのである。
「ほう。こんな所で出くわすとは、奇遇だな百枝通。読書中か? ……いや、そんな些細な事象はどうでも良い。問題は、ここで我が百枝通と出会ったという事実。きっと神が囁いているのだ。そう、百枝通の力を借りろと、神がこの王地定春に囁いているのだ! さあ百枝通よ。我の助けとなることを許可するぞ」
「館内で叫ぶなよ、うるせえな」
王地定春。
農家の生まれの癖して、偉そうにどこまでも王族ぶる男。
万に一つ、こいつが王の器だとして、残念ながら世は平成、ここは日本だ。
小学生の時分にこの男と出会ったことで、俺の人生の二割はドブへ捨てる羽目になっているだろう。あの頃に下手に仲良くしたのが良くなかった。おかげで、四年以上経った今でも、顔を合わせば話しかけられる間柄だ。
話が長く、尊大で、声がでかい。
味方は多いが、敵も多い。
性格に似合わない長髪に太い眉、体も人並み外れて大きく、暑苦しいことこの上ない。
なにより迷惑なのは、こいつはことあるごとに面倒を運んでくるのだ。
そして、自分一人で解決するならまだしも、必ず周囲を巻き込む。
まるで災害。地震・雷・火事・王地だ。語呂も良い。
「助けというのは他でもない、古段の妹がな、どうやら行方不明らしいのだ」
俺の了承も得ないまま、王地は話を続ける。マジやめろよな。
……えーっと、古段、古段。
あー、確か、さっきの『大学のサークルのような感覚でクラスの中心になって動いてる奴』がそんな名前だった気がするな。
王地と一緒に行動してるのをよく見るが、下の名前はなんだったか。クラスメイトの名前すら定かでない俺だ。
「今朝から、小学校へ登校もせずに、未だ自宅に帰っていないとのことだ。古段の妹はわずか十一歳。最悪、何らかの事件に巻き込まれている可能性もあると、我は考えている」
「ふぅん、そりゃ心配だな」
どうせ友達とさぼって遊んでるだけだろ。俺には関係のない話だ。
「では、頼んだぞ百枝通よ」
「…………。いや待て待て待てっ!」
すでにこの場を立ち去ろうとしていた王地の足を止める。
「どうした、百枝通。今は一分一秒も惜しい状況だと何故わからない。そうまでして我の足を止める理由が貴様にあるというのか」
「突然話しかけてきて、好き放題言いやがって。良いか、古段の妹のことなんて、俺は何一つ知らないんだ。捜しようがねえだろ。つうかそもそもな、俺は引き受けるなんて一言も言ってねえ。見ての通り、俺はいま神聖なる読書の最中なんだよ」
「ほう。失念していた。では、これを授けよう」
王地が胸ポケットから折りたたまれた一枚の紙切れを取り出す。紙には、狐面を側頭部に提げて笑う、小生意気な小学生の顔があった。どこかで見覚えのある顔だが、いやそれはともかく、
「だからな、俺は捜すなんて一言も」
「まだ駄々をこねるか。ならば仕方なし。我の一生のお願いをここで発動しよう。しかと聴け。これは一生のお願いである。今後一切、貴様に対して、我は一生のお願いを行使しない。だから、古段の妹を捜すのだ、百枝通」
「出たぜ。一生のお願い。お前それ月一くらいの頻度で言ってんだろ。教室の隅に座ってても聞こえてくるぞ」
「月一ではない。週一だ。では、百枝通にグッドなラックがあらんことを」
せめて嘘をついてほしい、週一で死ぬのかよお前。
と、文句を言う頃にもう王地の姿はない。
あぁあああまったく。
腹の奥から湧き出る呪詛の言葉を黙殺し、親指で押さえていたページに栞を挟んで立ち上がる。
……くそ、あの狐面の小学生、どこで見たのか思い出しちまった。
ここで小説を読み続けることのできない、流されやすい自分の性格がうらめしい。ロンリーダークナイトの名が泣くぜ。
小説の貸出受付はすでに済ませてあったな。本を鞄へ放り込み、そのまま俺は図書館出口のゲートを抜けてホールへと出る。
まずは確認だ、これで解決すれば何の問題もない。古段の妹は見つかる。王地は家に帰る。俺は読書を再開できる。みんな幸せ。
スマホを取りだし、目的の相手を電話帳から見つけて通話。
1、2、3、4、5、6………と、10回目のコールで諦める。
電話は、繋がらない。誰も幸せにならない展開だ。
あぁ、行くしかない。行くしかないのか。
……ここで行かないと、後で何故か俺が責められるんだろうな。王地にも古段にも、母にも妹にも。想像しただけで面倒だ。世知辛い世の中である。
「仕方ない。行くか」
そうと決まればとっとと済ませて、今日中に一冊は小説を読み終えたいものだ。
スマホをポケットへ。
駐輪場に近い裏口へと向かい、自動扉が開いた瞬間だった。
「百枝くん」
ふいに名前を呼ばれる。
「まさか協力するつもりなのか?」
声のする方へ目を向ける。
本館から駐輪場へと続く屋根の下で、春鳥が俺を待ち伏せていた。
柱へ背中を預け、じろりと眉を持ち上げて俺を睨む。
……協力ってお前。
「聞いてたのか。というかそもそも、近くにいたのか」
大抵の放課後は妖怪の調査などといってどこかへ消えて行く春鳥だったが、まさかこんな近くで調べ物をしていたとは。確かに我が図書館は膨大な蔵書を備えてはいるが――。
「いや、そういうわけではないんだけどね」
ん? 図書館にいたわけではない? それなら、何故に俺と王地の会話の内容を知ってるんだ?
「とにかく、良いかな百枝くん。少し教えて欲しいんだけどね。君に彼への協力を申し出ているような時間と余裕があるのかな。てっきり私は、君は自分の問題で手一杯になっているのかと思っていたよ。というか、そうなるべきだよね。百枝くんは一生を妖怪百面相として過ごすつもりなのかな? それで良いのかい? それに、私のための妖怪調査にも取り組まなければならないだろ?」
「自分の時間くらい、自由に使って良いはずじゃないのか」
「その余裕があるのかって問うているんだけどね」
「少しくらいはあるだろ。俺だって本意じゃないけど、読書の時間を削るだけだ。一時間程度で終わる」
「ふうん。だとしても、君の妖怪変化に関わりのある話であれば、私は看過できない」
「いや、関係はないだろ」
「あるさ。なぜなら百枝くん。君はきっと、たかが迷子捜しのために、周囲を、自分の体を危険に晒してまで妖怪の力を使うから」
春鳥はそのぎらぎらした瞳で、俺の顔を真っ直ぐと見据えてくる。
……迷子捜しのために、つまりは善行のために、妖怪の力を使う、か。
なるほどな、春鳥よ。お前は、俺がそんなお人好しだと思ってるわけか。
悪いが俺はそんな聖人君子じゃない。確かに妖怪の力は使おうと思っていたが、それも手早く用事を済ませて家に帰りたいからだ。自分の都合でしかない。
「いや――」
言いかけて言葉を切る。
しかし、そんな俺の本音を春鳥に見せて何になる? 春鳥は俺にどういう印象を持つ? 春鳥は俺の大切な契約主だ。相棒だ。相棒の心象を無理に悪くする必要などはないだろう。
だから俺の返答は、
「お前サトリかよ。確かに、妖怪の力があれば迷子を見つけられるとは思ってたよ」
「よろしい。今度はきちんとサトリを例えに持ち出せた」
春鳥は少し嬉しそうな表情を見せる。
「……しかし、きっと後悔することになるだろうね。闇雲に妖怪の力を使えばトラブルに巻き込まれるに決まってる。教室であれだけ忠告したばかりだというのに、まったく」
春鳥は一度俯くと再び顔を上げ、
「私がこれだけ苦言を呈しても、百枝くんは行くのかな」
俺だって無茶をするつもりは毛頭ないんだけどな。
けれど、こちらにも意地がある。一度決めたことを撤回するのは好きじゃないし、なにより春鳥はここで折れた俺に対してどういう印象を――、あぁ、まぁそれは良いや。ともかく俺は言葉を返す。
「一反木綿が周囲に迷惑をかけることなんてない。ちょっと手伝うだけだ。お前の心配は杞憂だよ。だから俺は行く」
俺の言葉を聞いた春鳥は、ふ、と短くため息を漏らした。
そして、とんとんと側頭部を指でつつきながら、
「百枝くんならそう返す可能性が高いとは、思っていたよ。やはり自己犠牲の精神が強すぎるな。……まぁ、こうしてここで君を止めているのは、実のところ、妖怪変化のサポートをしなければならない私が面倒なだけなんだけどね? ただ、君がそのつもりなら、一つ言っておくことがあるかな」
「なんだよ」
「さっき駐輪場で愛宕さんを見かけたよ。百枝くんの自転車は捨ておいた方が賢明だろうね」
「ぐげ」
愛宕まる。愛宕が姓、まるが名前。
先程置いておいた、俺の読書生活の邪魔をする人間、その二人目だ。
この春に我が校へ新設された部として歴史研究部というのがある。愛宕はそこの部長だ。そして、俺は部員の一人なのである。
だから部室へ来いだのなんだのと日頃から因縁をつけてくる理由はあるのだが、そもそも俺は愛宕に『部員は四人いないと設立できないのよ。ただの数合わせだから』と頼まれて入った身だ。そんな俺に部活動を強要するのは、少し道理から外れているんじゃないかと思う。歴史研究なんて大したことはやらないんだから、三人いれば十分だろうに。
駐輪場にいたってことは、きっと今日も俺を待ち伏せてるんだろう。よくやるぜ、ホントに。
仕方ない、愛宕の相手をするのは骨が折れる。春鳥の言う通り、自転車は放置して、田園の方まで歩いて行くか。
「百枝くん百枝くん。そこで私に良い考えがあるよ」
春鳥がにやりと笑い、人差し指を立てる。
「え、なに、散々文句言っといてすげえいきいきと協力すんだな春鳥」
「むかーっ! 断じて違うよ! あのね、私にはね、百枝くんが一反木綿を使うというなら、それを観察する義務と権利があるんだよ。だから協力する他ないし、付いていく。自明だよね、うん自明だよ」
「ああそう」
何をムキになってんだ、こいつは。
「だらららららだんっ! これを見るんだ百枝くん」
謎のドラムロールと共に春鳥が制服のポケットから取り出したのは、鍵? なんの鍵だこれは。というかテンション高いな春鳥。
「愛宕さんの自転車の鍵をパクってきたよ。百枝くんの足にはこれを使おう」
鍵? 愛宕の自転車の鍵を? ん? パクった?
「はっ!? 盗んだのかお前! つうか考えも何ももう計画実行してんだろうが!」
「君もご存じの通り、砂原市図書館の駐輪場は――」
「聞けよ!」
俺の突っ込みを意に介さず、春鳥は言葉を続ける。
「駐輪場は、二カ所ある。東と西に、二カ所ね。愛宕さんの待ち伏せは西側。けれど、愛宕さんの自転車は東側だ。顔を合わせることはない」
「だから待てって。え、何で盗んだの? 犯罪だろ。何してんのお前。愛宕の親父、駐在警官だって知ってた? 捕まるぜ?」
「大丈夫。愛宕さんの鞄には、代わりに百枝くんの自転車の鍵を入れておいた。きっと怒られないよ」
「いつの間に俺のチャリの鍵を盗ったんだよ!」
それじゃ俺がやったみたいになるだろうが!
ああくそ、どうせそれでまた俺が愛宕にぶっ飛ばされるんだ。
どうしてこう、俺の周りの連中は常識がないんだよ。馬鹿じゃないのか。また学内新聞の一面に載るぞ。
「さあ行こう」
春鳥が東の駐輪場へと歩き出す。仕方なしに俺はその後を追う。
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