第二話

 俺――百枝通も、つい一ヶ月前までは、真面目で人見知りなだけが特徴な、一介の高校生にすぎなかった。

 今年の四月に我らが二年D組へ転校してきた春鳥奈散。

 彼女と親好を深めたのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。後悔をするつもりはないが、少なくとも、俺がこの体になった切っ掛けは春鳥との出会いだ。

 妖怪愛好家を自称する春鳥の口車に乗った俺は、二度、大きなヘマをこいた。

 一つ目は、俺のばあさんが妖怪収集を趣味としているのを、ぺらぺらと春鳥に話してしまったことだ。

 そのおかげで春鳥は、ばあさんの埋めた妖怪壺を開封しようと言い出した。

 二つ目は、妖怪壺に封じられた妖怪を全てこの身に受けてしまったことだ。

 どうしようもない状況ではあったけど、そもそも、そんな状況に至るまでの過程で春鳥の行動を止めておくべきだったんだろう。

 俺もテンションが上がっていたせいで、妖怪壺の場所を教えたりと、最後には自ら進んで意気揚々と春鳥に協力してしまっていた。

 今思い返してみると恥ずかしい限りだ。何やってんの俺。おかげで妖怪百面相だぞ。

 しかし、さすが春鳥は妖怪に詳しかった。

 無数の妖怪を身に受けた瞬間、海坊主へ変化してしまった俺が助かったのは、春鳥がいたおかげだ。

『すべての妖怪は現象』を持論とする春鳥は、すぐさま俺の体を調べ上げ(変な意味はない)変化を探った。

 無数の妖怪を一人の人間の体に宿らせるなんて尋常じゃない、というか普通死ぬ、と。俺が死んでいないのはおかしい、と。そうやってぶつぶつと呟きながら。

 疑問符が春鳥の頭の中を占めているようで、彼女は好奇心の塊と化していた。

 対して俺は、己の命が助かったことに関して、ただただ仏への感謝の念を胸に抱くのみだった。

 春鳥が推測したところによると、どうやら俺は知らず知らずの内に、ばあさんから妖怪吸収の英才教育を受けていたらしい。

 おそらくは、子供の頃に祖母の家で好んで飲んでいたジュースには、妖怪の絞りカスのようなものが入れられていたのだろう、日常的に服用することによって毒への免疫が出来るのと同じ理屈だと、春鳥談。

 今思い返してみれば「ふぇっふぇっふぇ。通は本当にオレンジジュースが好きだねえ。この分ならもう試してみてもええかもしれんねえ」とかなんとか言っていたような気がしなくもない。自分の孫を実験道具にしていたのだ、うちのばあさんは。

 ……まぁ、ばあさん自身が今は妖怪になってしまっているのだ。実践に至っているわけだから、一度くらい俺の体で実験していてもおかしくはない。

 話を戻そう。

 ともかく、春鳥は無数の妖怪を宿した俺の体について二つのシステムを発見した。

 それが、妖解と転換だ。

 妖解とは、妖怪変化という現象を解き、まともな人間の状態へ戻すことを指す。

 方法は簡単だ。俺の痛覚へ大きな刺激を与えるだけ。俺の全神経を妖怪から痛みへと逸らしてやれば、自然と妖怪も引っ込んでいくという理屈らしい。適当にできてんなあ、妖怪。

 方法は何でも良いんだが、そのために手っ取り早いアイテムがあった。

 それが、春鳥の管理するお札だ。

 妖怪壺を封印した木箱には無数のお札が貼られていた。その一つ一つが壺の中の妖怪に対応していたのだ。塗り壁であれば、塗り壁用の制御札。それを俺に貼ってやれば、妖怪変化中である俺の体は悲鳴を上げる。道理だ。

 ちなみに、一度妖解してしまえば、あとは妖怪変化をわりと自在に操ることができる。だから今、俺が壁になろうと願えば、おそらくそれは叶う。

 転換とは、妖怪変化を切り替えることを指す。

 例えば、今の俺は塗り壁という妖怪変化に憑かれている状態だ。だから俺は壁になれるわけだが、逆に言えば、塗り壁以外の妖怪変化を使うことは絶対にできない。塗り壁は塗り壁でしかないのだ。

 では、俺の中にいる他の妖怪はどこにいったのか。どうすれば他の妖怪の力を使うことができるのか。

 そう、転換である。

 転換をすれば、別の妖怪へと変化し、再び妖解前の状態から始まる。

 次に転換をすれば俺は河童になるかもしれないし、山姥になるかもしれない。何になるかはわからないけど、妖解のため、また壮絶な痛みを味わわなければならないことに変わりはない。

 河童になった場合、妖解を行って、再び転換するまで、やはり河童という妖怪変化はいつでも使用が可能になる。そして河童以外の妖怪変化は絶対に使えない。で、一度転換して山姥になれば、河童の妖怪変化は使えなくなる。

 転換の方法、こちらも簡単だ。

『意識を失う』。これだけ。

 それで変化中の妖怪は俺の意識と共に再び眠りについていく。

 つまり、日々の中で確実に訪れる眠りは、確実に俺を別の妖怪へ転換させるのだ。

 朝起きたら、妖怪になっている。

 毎朝もう本当に大変なわけだ。

 いつか俺の妖怪変化を家族に知られてしまう時が来るのではないか。というかもう時間の問題なんじゃないかとすら思っている。そろそろ事を穏便に済ます方法を検討し始めるべきなのではないだろうか。

 ――まぁ、今のところ、秘密を共有しているのは春鳥だけだが。

「……くん」

 ん? これはその、女子にしては低い、春鳥の声。学校で話しかけてくるとは珍しい。

「百枝くん。起きなよ」

 起きろ? 起きろって?

 あぁ、確かに目の前が暗い。真っ暗だ。俺は目蓋を閉じているらしい。

「ほら、いい加減に」

「春鳥、なんだ」

 言葉を遮り返事をする。

 重い目蓋を持ち上げると、春鳥の顔がそこにあった。

「なんだじゃないよ、まったくさあ」

 苛々とした声。うん?

 辺りに目をやり、無人の机と椅子が並んでいるのを確認する。

 ここは教室か。

 どの机の脇にも鞄がかかっている様子はないから、どうやら教室に残っているのは俺と春鳥だけのようだ。

「百枝くんも良い度胸をしているよね。普段からあれだけ警戒しておきながら、これなんだからさ」

「……なんの話だよ?」

「百枝くんは転換の条件を覚えているのかな」

 転換の条件。意識を失う。

 教室の様子をみるに、今は放課後。

 俺は授業中に眠ってしまっていたようである。

 つまり、

「お、ぉおおー……」

 みれば、俺の手足がなくなっていた。

 いや、制服は消えていないから直接は目で見て確かめられはしない。

 けれど、制服の一部がだぼついているため、その中身が消えていることはわかる。

 この状態でよくクラスメイトに気付かれなかったな。一目でも見れば異常が知れるだろうに。

 あぁ、いや、最後部の席だから、少なくとも授業中に気付かれることはないのか。

 ……放課後にしたって、話しかけてくるような友達もいないし。

 助かったなー、いやー、助かった助かった。

「顔には影響がないようだね。ちょっと失礼」

 ずいと近付く春鳥の顔。

「お、おい何すんだよ」

 抵抗の声を上げている間にも、春鳥は俺のネクタイをしゅるりとはぎ取り、シャツのボタンを外していく。慌てて体を隠そうにも、そうするための両腕がない。

 中から現れたのは、

「……布?」

「なるほど。これは一反木綿だ。鹿児島県肝属郡高山町にて主に発生。一反ほどの布がひらひら宙を飛び、夜になると人を襲う。方法については、首に巻き付く、顔を覆うなど様々な伝承がある。近年でも目撃証言の多い珍しい妖怪。だね。私個人の見解としては、近年の目撃は全て単なる布を誤認しただけだと思うよ。知名度の高い妖怪だからね。それらしきモノを見れば、連想もしやすい」

「ノリノリで解説してるところ悪いんだが、誰かに見られる前に妖解してもらえると助かる」

「ほう。最近になってわかったんだけど、百枝くんMだよね」

 言いながらも、手足の動かせない俺に代わり、春鳥は制服を裾からまくり、すねの部分(実際にはただの布だからすねはない)を露出させる。

「いやお前なにしてんのおおおってぇえっ!」

 お札を足の甲に乗せ、それで思い切りすねを蹴り抜かれた。

 体重もない布だから、勢いにやられて椅子から振り落ちてしまいそうになる。が、痛みが重すぎて助けを求める声も出せない。

「よろしい、耐えながら会話を続けよう。今朝の妖怪を覚えているかな? そう、塗り壁だ。授業中の居眠りによって百枝くんは一反木綿へ転換してしまったわけだけれど、もちろん、すでに塗り壁の効果はまとめてあるんだよね。それが聞きたくて待ってたというのもあるんだからさ。早く教えてくれないかな」

「……ちょ……と……待ってくれ……あまりにも……いたくて」

「自業自得だよ。まったく、自覚というものがなさすぎるよね! 今回は運が良かっただけだよ。妖怪によっては、転換した瞬間にこの教室が滅茶苦茶になってもおかしくはない。それこそ、だいだらぼっち辺りだった日には、教室どころかこの校舎全部が破壊されるかもしれないよ。知ってるかな、だいだらぼっち。つまるところ、伝説の巨人だ」

 ようやく呼吸を取り戻し、ふと頭に浮かんだ言葉を口にしてみる。

「俺を心配してんの?」

 春鳥の表情が変わる。

「心配っ!? 私が君をっ!? むかーっ! むかっとするなあそれ! 状況が理解できていないらしいね!」

「いや理解してるつもりなんだけど」

 春鳥は荒げた息を整え、続きを口にする。

「……私は自分の身を心配してるだけだよ。百枝くんは妖怪というものを甘く見てるんじゃないか。本当は百枝くんが自宅で寝起きしているのだって、ご家族を危険に晒しているんだよ。体が巨大化してしまったらどうなるか、わかるよね。そのくらい想像できるだろう? ねえ、繰り返すけれど、だいだらぼっちはやばいよ」

 ――――――――。

 確かに、よくよく考えてみれば、巨大化なんてすれば妹や両親を踏みつぶしてしまう可能性だってある。

 家や家具を破壊する程度の迷惑であれば今の生活を続けていても良いかと考えていたが、さすがに家族を殺してしまうというのであれば……家を出る必要が、あるのかもしれないな。

「ふふん、百枝くん。家出を考えているね?」

「おまえエスパーかよ」

「そこはサトリと言って欲しかったところ。いや、サトリではないけどね? 百枝くんは言葉に出さない代わりに顔へ出すから。私でなくともすぐにわかるんじゃないかな」

 んなことはないと思うけどな。春鳥が単に鋭いだけだ。

「……まぁ、家を出ることについては、まだ考えなくても良いよ。さっきのは君への忠告の意味を込めた冗談だ。ブラックジョーク。おそらく巨大化なんてすることになれば、部屋に自分の体が収まらなくなった時点で痛みを覚えて妖解が発生する」

「そんなに上手くいくのか?」

「仮に上手くいかなかった場合でも、私がなんとかするよ」

 不満げな表情をやめ、にやりと春鳥が笑う。

 ――私がなんとかする。

 短い付き合いだけれど、春鳥がそう言って不可能だったことはない。

 確かに、その言葉を聞けたなら安心ではあるか。

 ……ただ、春鳥に任せっきりで良いものなのか。

 こんな俺にもプライドというものがある。自己解決できる問題はなるべくなら自分で解決したいのだ。

「おっと、話が脱線してしまった」

 春鳥が人差し指で自分の側頭部をつつく。思考を切り替える時の癖だ。

「つまり、私が言いたかったのはね、百枝くん。君は少し自己犠牲の精神が強すぎるということだよ」

「自己犠牲、か」

 いつか俺が自分の身を滅ぼしかねないんじゃないかって?

「なんか、やっぱり心配してるみたいに聞こえるな、それ」

 春鳥は再び仏頂面へと戻った。

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