最終話 ロゥロの独り言
やれやれ。あの男には本当に一杯も二杯も食わされたよ。あの男ってのは、もちろんリュウのことね。
何がって?アイツ、元々神になる気なんて、さらさらなかったんだ。「神の愛は人を幸せにしない」っていうのが、アイツの到達した答えだったからね。私もそんなこと、全然知らなかったんだよ。リリィと一緒に、庭で聞くまではね。
「人の愛こそ人を幸せにする」か。確かに一理あるけど、まるで「バラの花」のたとえに似てるね。一言断っておくけど、私は人間を愛しているし、みんなに幸せになってほしいと願っているよ。
要するに、「神の啓示」というのが、そもそも誰の言葉なのかっていう話だ。聖書や経典の中では、聖人が神の言葉を聞いたとか、そんな風に書いてるよね。彼らに共通するのは、厳しい苦行をしていたこと。自らをあえて極限状態に持って行ったことだね。その極限状態の中で、一種のトランス状態となり、神と通じて啓示を授かった。
肝は、そのトランス状態だ。その瞬間、人は何も考えられない。だから、その状態で得られた言葉は、神からの言葉だ、というのが通説なんだけど。
もし、トランス状態でも、ものを考えられるとしたらどうだろう。「走馬灯」ってやつは知ってるね。危機に直面した瞬間、すべてがスローに感じて、これまでの思い出が駆け巡るってやつ。前述の通り、「神の啓示」を受けた聖人たちは、極限状態、言うなれば、生死の境目に陥った状態だ。そんな状態で、人間は何も考えられない状態になるのか、それとも、思考が目まぐるしく回転して、走馬灯を見るのか。実際に経験しないと分からないけど、そんな経験、したくないよねぇ。
とりあえず、生死の境目において、走馬灯を見るということは、思考が回転しているということだ。聖人がトランス状態の中で、走馬灯が走り、過去の経験則から「神の啓示」をひらめいたとしても、おかしくはないだろう。実際、聖書や経典を読めばわかるけど、それらで教えていることは、聖人や著者の実体験をモデルケースにしていることが多い。まぁ、中には聖人を神格化しすぎて、トンデモ逸話を書いちゃってる場合もあるけどね。
とにかく、人間は見えないもの、観測できないものは「存在しないもの」として扱う性質があるから、「神」っていう存在も、疑心暗鬼になっても仕方あるまい。だから、「神の啓示」も、不確かな「神」ではなく、「人間自身」の言葉だって思うのも、無理はない。でも、覚えておいてほしい。「神」はキミたちの身近にある。千変万化にして森羅万象に宿るものだからね。無神論者を気取ったって、大切な何か、どんなに卑下されたって手放せない「それ」がある限り、それこそがキミの「神」だ。
「神」を見失った人間は怖い。自分自身こそ絶対者だと思い込んで行動するからね。人間1人の力は小さい。どんな偉人も、周りに支えがあったからこそ、偉業を成し遂げた。自分を絶対者だと過信すると、その周りの支えすらも、自分1人の手柄だと誤認して、「偉大なる自分」のために、無茶苦茶をやる。ほら、覚えがあるんじゃないかい?チラッと脳裏をかすめた人間がいるだろう。過去にも現在にもね。そんな彼らが、どんな蛮行を働いたかは、歴史の授業で習うだろう。
「神」は人間にとって重要なんだ。たとえその愛が人を救わなくとも、「神」を認識することで、人は謙虚になれる。自分よりも尊い存在を見出すことは、人生の原点であり、それなくしてまっとうに良い人生を送ることはできないだろう。
人格を形成するうえでも、「神」ほど重要なものはない。「もったいない」っていう言葉は知っているだろう。でも、それを子供にどう説明する?そこで、神は千変万化にして、森羅万象に宿る、だ。あらゆるものに「神」が宿っている。親兄弟よりも、先生よりも、どんなものより偉くて尊い「神」が宿っている。それをお粗末に扱うことが、いかに罪深いことか。それをわかりやすくかみ砕いて説明してやればいい。それが「もったいない」っていう言葉だからね。
さて、抹香臭い話はちょっと置いておこうか。
アイツが探し求めていたのは、神になる方法じゃなくて、人に戻る方法だった。人を救えない高位の存在になるより、俗世にとどまって人を救いたかったんだ。ある意味では、クモの糸1本で罪人を助けてやろうとした仏よりも、慈愛に満ちた人間だった。
ただ、その時に一番ネックだったのが、「神」の自分だったんだよ。神は死ぬこと能わず。人間の信仰心を糧にしている限り、「神」の自分は絶対に消えない。いかにして、一番邪魔なこの存在を消すかが、アイツの目下の課題だった。
そこに、私が声をかけたってわけさ。「私の世界の危機を救ってほしい」ってね。アイツにとっては願ったりかなったりだったろうさ。そして、私にも明かさずに、自分の計画を実行に移した。私は私で、いい人材を手に入れたと、ぬか喜びする結果になったがね。
「魔性」の自分を処分することはもちろんのこと。いったん「人間」の自分を処分して、改めて「神」の自分を「人間」に降格させる。それらの手順を踏むために、私の計画を踏み台にした。
まずは「人間」のリュウを、リリィとコンタクトさせ、親密になる。私の計画では、「魔性」のリュウはメアの餌食に消えていたはずなんだけど、あの男の計画では、「カダス・ングラネク」としてメアの腹心に就き、恭順のふりをして、時間稼ぎをしていた。さらにリリィにカダスへの恨みを持たせるべく、彼女の家族や友人たちを殺しつくした。その時に、「人間」の自分も自作自演で処分した。
リリィの旅には、予想以上の時間がかかった。だからカダスは緊急手段として、メアを拘束し、呪いを発動できないようにした。
ようやくリリィが到着したところで、当てつけにメアを殺し、カダスも殺させた。そして遺言で「神の庭」へといざない、「神」の自分と接触。最後に、私の力を使って別世界を作り、自らも人間へと降格して、リリィとともに別世界で暮らす。
回りくどいうえに滅茶苦茶な計画だけど、あの男はそれを完遂した。私の世界も無事で、そればかりかリリィの家から「グリジッドの呪い」まで取り除いて見せた。
有言実行の悪い例というか、「神」のリュウは確かに、リリィを幸せにはしなかった。そして「人間」となり、今度こそリリィを幸せにした。
まったく…。こうも運命を上手くもてあそんだヤツは前代未聞だよ。私の知ってる限りではね。今にして思えば、3つの「格」を後生大事にしていた時点で、他の神と違うことを考えていたのを見抜くべきだったかもね。
まぁ、一応すべてが丸く収まった。文句をとやかく言えるもんじゃないね。正直、私の計画以上にすべてがきれいに解決されている。そこはちょっと悔しいけどね。
さて、また少々抹香臭い話をして、締めと行こうか。
キミたちは、「世界の広さ」、「世界の狭さ」を経験したことはあるかな?少なからず、あると思うんだけど。
「自己の認識する世界」は小さい。そのちっぽけな「世界」は、マスメディアなどの様々な情報で広げることができる。でも、マスメディアが取り上げることが、「世界のすべて」ではない。「認識している世界」の外には、まだまだ世界が広がっている。世界はもっと広いんだ。
今回の「物語」だってそう。世界の運命を語っている物語だけど、その実、キミたちが認識しているのは、「リリィ・クリエットの見た世界」でしかない。この世界にも、もっと多くの人々が住んでおり、それぞれの人の認識する世界がある。この世界を、ちっぽけに捉えない方がいい。リリィの歩んできた道程の外にも、世界はどんどん広がっているんだから。
私が何を言いたいのかわかるかい?
「キミたちが認識している世界」の外から、新しい何かが加わった時、それがキミたちの運命を、大なり小なりとも変えてしまう。「外世界からの異物」によって、キミたちの世界、キミたちの運命は変わっていくんだ。
もうわかったろう。「運命の変化」なんて、結構当たり前に起きているんだ。「キミたちの世界」の外側からやってくる「異物」によってね。あらゆる人や物事が、自分の運命を変えることを運命づけられた「ディスティニー・パラドックス」となり得るし、何を隠そう、キミ自身も、誰かの運命を変えることを運命づけられた「ディスティニー・パラドックス」になる。誰かと関わること。それ自体が「ディスティニー・パラドックス」の本質。
だからさ。
恐れないで。運命が変わることも、運命を変えることも。
キミたちには力がある。誰かの運命を変えてしまう、そんな力が。その力で、キミたちは出会ってきたいろいろな人の運命を変えてしまっているんだ。良い方向にも、時には悪い方向にも。
自分自身の力を認識してほしい。キミたちは誰だって、他人の運命を、良い方向へ変えられる力を持っている。
だから、もっと多くの人と関わってほしい。そして彼らの運命を導いてほしい。それだけで、「世界」はもっと面白くなる。
キミたちの「運命を変える瞬間」を、「神」は楽しみに眺めているよ。
では、この物語も、ここで閉幕としよう。キミたちの運命に、幸あらんことを。
終
ディスティニー・パラドックス 時化滝 鞘 @TEA-WHY
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