第11話 理想の世界で

 平和だ。何はともあれ、平和だ。

 世界中が平和というわけではない。ニュースを見れば、どこそこの国が戦争をしているとか、貿易摩擦がどうだとか、難しい理由を抱えた国々の争いは絶えない。それでも、身近にそういったいさかいが起きていない分には、遠い向こうのゴタゴタモエンターテインメントの一環になりうる。

 太古のコロッセオが、まさにそれと言えるだろう。奴隷たちが戦い、観衆はそれを高見で見物して、時に人同士、時に獣相手の命がけの戦いを楽しんだ。今でこそ、賭け事にもルールができ、「戦争の勝ち負けを賭けてはならない」という不文律のルールがあるが、それがなければ、人は他人の生き死にを傍から楽しむ残虐性を持つ。

 今になって思う。なぜ、その残虐性を取り除くことを、自分は願わなかったのか。自分自身、他人の争いごとを楽しんでいる側面があるではないか。それが時に、自分への嫌悪感として襲ってくる。


 あのロゥロもなかなかの食わせ物だと、春の日差しが差し込むベッドの中で考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「お嬢様、朝食のお時間です。」

「ん。ありがとう、カノール。今行く。」

リリィの願いは叶い、家族一同、皆が生きている世界が出来上がった。根無し草は、自分には耐えられない。それは一連の事件でよく理解したことだった。

 パジャマを脱ぎ、サッとシャワーを浴びて、普段着に着替える。髪を軽くすいて、身だしなみを整えて食堂へ。

「おはよう、リリィ。」

「おはようございます。お父様、お母様。」

両親が微笑みをたたえてリリィを迎える。リリィが食卓に着いたところで、朝食が始まった。バゲットと、スクランブルエッグにソーセージ、旬の野菜のサラダ。慌てることなく、ゆっくりと食事を楽しむ。

「リリィ。お前には、感謝しなければならんな。」

突然、父親が話を切り出した。

「…?何をですか、お父様?」

口の中のスクランブルエッグを飲み込んで、リリィが尋ねる。

「お前のおかげで、我が一族を縛っていた、『グリジッドの呪い』から解放されることができた。実にめでたいことだ。」

あー…。とリリィは心中でつぶやいた。

 あの後、「呪殺剣グリジッド」はロゥロが「適切に処分する」と言って預かりになった。リリィにかかっていた呪いはその時に失われ、一度「死んでしまった」家族も、その時点で呪いから解放されている。そう、家族は皆、「カダス・ングラネク」の手にかかって、自分たちが死んだことを知っているのだ。

「私は…。そんな大層なことはしていません…。」

リリィの控えめな返答に、

「あのリュウ君だろう。私にも見破れなんだが、なかなかの食わせ物だったな。」

そう言って父親は笑い出す。母も、他の家族も、吹き出すのを堪えられない様子だった。カノールまで、楽しそうに顔をゆがめている。

 カダス・ングラネクとして、リュウが行っていたもう1つのこと。それがクリエット家の「グリジッドの呪い」からの解放だった。やり方としては非常に乱暴だが、一連の事件で、クリエット家は呪いから解放され、他家にしても、「グリジッド」に怯える心配がなくなった。このことまで織り込んで、あの男は行動していた。確かに、よっぽどの食わせ物だ。

「まぁ、そんな背景もあるんだ。いい加減、許してやったらどうだ。恋人だろう、曲がりなりにも。」

「う…。むー…。」

リリィとしては、あまりにも不快な思いをさせられた男。確かに恋仲にもなったが、まだ許すとなると、納得いかない部分もある。あの男のおかげで、一時は人類の敵にまで堕ちた身なのだ。今では白昼堂々と歩けるようにもなったが、この拭い去れない過去をどう清算してくれるのか。リリィはとても渋い顔をする。


 この世界は、リリィたちが元居た世界の、並行世界に当たる。リリィと、カダスによって殺された家族、そして只人に戻ったリュウが移り住み、他の人々や魔物たちはロゥロが元世界をほぼコピーして創った。違うのは、魔王メアが出現しておらず、魔物の狂化事件や、リリィの堕天などが起こっていないことになっていること。その真相を知ったときは、

「神とか言いながらやっつけすぎだろ」

と天を仰いで突っ込みを入れた。やはり神はアバウトだ。そうでなきゃ、人類全体を聖人君子のように作ることもできたろう。そうすれば、世界から争いというものも遠ざかりそうなものだが。


 朝食が済んだ後、出かけるためにサンドイッチを作る。

 パンにバターを塗り、下ごしらえした山菜を挟んで、包んで重しを乗せてなじませる。しばらく置いて、半分に切ったら完成。バスケットに入れて、昼食の準備はOK。

 向かう先は、美しい城だった。白い壁にはツタ植物が若々しい葉を茂らせ、緑のコントラストを添える。庭には清らかな川が流れ、その流れに沿って色とりどりの花が咲き乱れている。芝生はきれいに刈り取られ、よく整備が行き届いていることが感じられる。「大聖城」と呼ばれるその城には、限られた人しか入ることを許されない。

 かつて、「魔王島」と呼ばれた島の、「魔王城」と呼ばれた城跡。そこに代わってそびえているのが、「大聖城」だった。そこに「主」と、数人の召使が暮らしている。その「主」というのが、何を隠そうリュウだった。ずいぶんと大それた名前の城だが、これといって聖人君子が暮らしているわけではない。しかし、リュウは一度は神の位にまで昇華した人物である。並々の人ならぬ知恵を持つ彼は、一部の熱狂的な支持を受けており、ちょっとしたカルト教団めいた団体をこしらえていた。そんなわけで、カルト教団の聖地となった「大聖城」は、おいそれと近寄ることができなくなったのだ。リュウ本人曰く、「有難迷惑」らしいが、お布施を定期的に貢いでくれているので、何不自由なく暮らしている。

 今日も教団の門番が、城の周囲を固めている。門番はリリィを見止めると、

「いらっしゃいませ、リリィ様。リュウ様がお待ちです。」

と言って、門扉を開けてくれる。

 勝手知ったる他人の家。リリィはリュウとの挨拶もなしに、庭へと向かう。天気がいいときは、こうして手の行き届いた美しい庭で食事を楽しむ。家の庭も十分きれいなのだが、やはり外出すると気分もよくなるものだ。

 とはいえ、腕時計を見ると、昼食までにはまだ少し時間がある。庭の片隅にあるベンチにバスケットを置いて、庭を散策する。桜は八分咲きくらいか。きれいな薄紅色の花弁を樹一杯に咲き乱らせ、厳かな美を演出している。どこの木からか、鳥たちのさえずりが聞こえ、川のせせらぎと合わせて、耳に心地よい自然の音楽を奏でる。

「やぁ。ようこそリリィ。相変わらず、この庭が好きだね。」

しばらくして、リュウが現れた。家主なのだから当然だ。

「そうね。アンタの評価はしないけど、庭は100点満点だわ。」

「…まだ根に持ってる。」

「まぁね。私がそんな寛容な人物だと思った?」

「…。とりあえず、来てくれてありがとう。」

言葉とは裏腹に、表情は暗くなっている。リリィはやれやれとため息をつくと、

「ほれ、サンドイッチ作ってきたから。辛気臭い顔しないの。今日はピクニックにはいい日なんだから。」

と言って、ベンチの上のバスケットを指さす。

「寛容なところあるじゃん。」

「1人より2人の方が楽しいからね。」

こうして、2人の昼食が始まった。


「…。リリィ、今は幸せ?」

突如、リュウが質問してきた。

「…いきなり何?」

サンドイッチを頬張りながら、リリィが尋ね返す。

「俺はキミを幸せにすると約束しただろ。だから、気になってね。」

「律儀なところあるね、アンタも。そうだね…。少なくとも、不幸ではない、かな。」

リリィは率直な意見を返す。不幸ではない。だが、平凡な日常に、若干の飽きが来ていることも事実だ。

「正直、たまにだけど、ちょっと新しい刺激がほしいってときもある。」

「そうか…。人を幸せにするっていうのは、難しいな。」

リュウがため息をつく。

「そもそも、幸せの定義って、曖昧だからね。誰かを幸せにしたつもりでも、他の人ではそうでないこともあるし。」

「確かにそうだな。」

「でも、アンタの言ってた、『神は人を幸せにしない』っていうのは、わかってきた気がする。この世界も、不幸にあふれているのは事実だから。」

「その中で、俺たちは比較的に幸福を味わってる、か。」

「うん。…私が願わなかったから悪いのかな。戦争なんていらないって、そう願っておけば、この世界はもっと幸せになったかも。」

リリィが表情に影を落とす。

「そうでもないさ。」

それを、リュウが否定する。

「世界から一時的に戦争をなくしても、いずれは紛争というものは起きるのさ。」

「なんでそう言い切れるかな。また妙なうんちくでも語るわけ?」

リリィが皮肉る。

「まぁ、妙なうんちくかは、聞いてみてから判断してくれ。」

「ふ~ん。じゃあ聞かせてよ。そもさん!」

「せっぱ!」

互いに指を突き出しあって、笑いあう。それからリュウは語り始めた。

「神が人間を完成させなかったから、戦争はなくならない。とか、神が世界を作ることを急ぎすぎたから、世界が不完全なんだ。なんて、よく聞くよね。それは間違いだ。人間は人間で完成している。

 人間は常に神とともにあった。原始宗教では自然現象や巨木、巨岩などの神秘に神を見出していた。神は人間を幸せにしないというのは、これに関係している。自然、すなわち神は、時に荒ぶり、災害を起こす。洪水、地震、津波、火災…。それらは確かに人を不幸にした。

 だから人間は、それに対峙するために、群れを作り、社会を作った。自然を鎮め、互いに協力して生き残るために。でも、人間は様々な発明を行い、発展するごとに社会を複雑にしていった。さらに、生存範囲を広げるごとに、その土地に合わせた宗教観が生まれ、『神』に対する解釈も変わっていった。やがてそれらを統率する聖人や神官などが生まれると、彼らは彼らの神の名のもとに戦争を許容する。」

「以前言ってた、解釈の歪曲ってヤツ?」

リリィの質問に、

「それもある。だがもっと切実な問題も内包している。ライオンとハイエナが獲物を奪い合うのを、映像で見たことがあるだろう。極論だけど、それに近い。大きくなった社会を維持するためには、限られた食料や資源が必要になる。それを確保するために、人間は交流をするんだけど、同時に、取引に満足できなければ、実力行使という手段をとらなければならないこともある。その正当な理由として、人間は神を利用する。」

「それって、侵略を正当化するってことだよね。神はそれを許容するの?」

「是非もなし、かな。神はただ、人間の行いを見ているだけ。利用されようとも、それもまた人間だと見守り続ける。」

「脱線するけど、そんなことに気付くのが、『涅槃』ってやつなの?」

リリィが首をかしげる。リュウは微笑むと、

「人間は十人十色だ。『涅槃ニルヴァーナ』と一言で言っても、到達点は人それぞれだ。俺と逆の結論に至ったとしても、その理屈を咀嚼して、自身の神の価値観に到達すれば、それも『涅槃』なのさ。結論は1つではないよ。」

「…ふーん…。」

リリィは納得できない顔をする。

「理解できなくても大丈夫さ。キミは神に触れた。いずれ自身の『涅槃』に到達できる。」

「…ふーん…。」

「人間は食って寝るだけでは満足できない生き物になってしまった。だから、交易もするし、戦争もする。それで完成した生き物なんだよ。これ以上は進化のしようもないほどに。」

「進化ねぇ…。でも、進化を止めた生き物は、絶滅の道を行くしかないって、聞いたことあるけど。リュウの話だと、人間は絶滅する運命なの?」

リリィの問いかけに、リュウは「いいところを突く」と前置きして、

「人間が絶滅することは、まずないと思うよ。」

と言い切った。

「なんで?進化のしようもないんでしょ。」

「確かに、人間は進化の1つの完成形だ。これ以上は大きく構造を変えることはないだろうね。でも、人間には『第2の遺伝子』が備わっている。それが途切れない限り、人間は絶滅しない。」

「何それ。『第2の遺伝子』?聞いたこともないんだけど。」

「普段は意識しないからね。でもこの『第2の遺伝子』は、人間にとって、非常に重要だ。これが他の獣と人間とを隔絶させる、絶対的な力と言っていい。」

そんなに重要で大きなものとは、「第2の遺伝子」とは?リリィには想像もできない。

「では、その人間にとって重要な『第2の遺伝子』とは何か。まぁ、リリィの顔にしっかりわからないって書いてあるし。答えを言ってしまおう。それは『知識』さ。」

「知識って、勉強して身につけるあれ?」

意表を突いた答え。リリィはまた混乱してきた。

「そう、それ。知識は人間特有の遺伝子さ。だってそうだろう。もし知識が引き継がれず、進化もしなかったら、いまだに人間は石と棒きれで生活している。」

「んー…。そうかな。」

「わかりやすい例として…。そうだな、氷河期を考えてみようか。この大地がほとんど凍結してしまった時代。他の動物たちは、分厚い毛皮で体を覆ったり、小さくなって表面積を減らすなどの身体的な変化、つまり進化をしてこの時代に対応した。結局、氷河期の終わりとともに、それらのほとんどは死に絶えてしまった。氷河が残っている、北極点や南極点を残してね。

 人間は違った。身体的な変化はほとんどしなかった。他の動物の毛皮を着る、火を起こして暖をとる。こういった知識を受け継いだからこそ、それが可能となった。そして、暑いときには服を脱ぎ、寒いときには厚着する。こういう知識がしっかり伝わったから、人間はごく少ない変化で多くの環境に適応し、世界中にはびこるようになった。」

「フム…。」

なるほど、そういう例だと納得しやすい。リュウはさらに続ける。

「さらに、知識は進化する。こうすればもっといい。より効率的になる。誰かが発明したものを、どんどん広めていき、進化した知識を、後世に伝えていく。それがさらに進化して、さらに後々まで。長い首のキリンが生き残るように、必要ない知識は捨てられ、必要な知識は伝播する。もっとも、当時は必要なかったのが、後世になって必要になるケースも稀にあるけど。

 知識を取捨選択し、何を受け継がせるかを決めるのは、その時生きている人間の特権だ。途絶えた知識を再度取得することは、時に非常に困難だ。だけど、人間はこうやって知識の取捨選択と伝播を繰り返して、身体的にではなく、頭の中を進化させてきた。」

「なーる。つまり知識っていうのは、進化して伝わる獲得形質ってわけか。」

リリィのまとめに、

「そういう解釈で間違いないよ。人間は問題が起これば、それに対処するために知識を振り絞る。そうやって困難に立ち向かったからこそ、今があり、未来がある。」

「そうやって、知識を積み重ねていく限り、人間は進化するから、絶滅しないってわけね。なるほどー。さすが元神様だね。」

リリィがおだてると、

「少しは見直してくれたかな。」

リュウが胸を張る。が、

「惚れ直しはしないけどね。」

容赦なくその鼻っ柱をへし折る。

「うう…。ぐすん…。」

からかいがいがあるなー。まだしばらく遊んでやろう。リリィはそう心に刻んだ。

「ま…まぁとりあえず、だ。」

「ん?まだ続くの?」

立ち直るリュウに、リリィはサンドイッチを頬張りながら聞く。

「まぁもうちょっと。

 知識は進化しながら受け継がれていくんだけど、これが同時に社会の複雑化を招く結果になってもいるんだ。文字の発明、貨幣の発明、道具の発明、それらの進化と伝播。どれも社会を豊かにするには必要不可欠だけど、同時に、混乱や動乱の原因になる。口での約束が、文章に書き起こした契約になり、物々交換だったのが、貨幣を通した取引になり。弊害として、契約違反、貨幣の価値による価格の変動、金や物の盗難など、社会悪を生み、これを裁くための法律も必要になる。法律も群れによって違ったりするから、群れ同士でいざこざになる。

 争いの種は様々だけど、突き詰めると『神』や『知識』からの派生物が火種になることは多い。つまり、人間と争いは、神と同じく、切り離せないものなんだ。」

「ふぅん…。人間が発展する限り、戦争も切り離せないのか…。」

「そして人間は、生存本能から、発展を止めることもできない。発展、つまり進化を止めることは、絶滅への道だから。」

「生存のために知識を進化させていって、それが原因で戦争が起こる。矛盾してるね。」

リュウは笑いながら、

「人間は矛盾にまみれている。だから面白いのさ。何が正しくて、何が間違っているのか。考えるほどに答えが出ない。俺が神を辞めた理由、わかった?」

リリィはほくそ笑んで、

「キミってば、趣味悪いんじゃない?人間観察したいなら、神様の方が都合がいいはずなのに。」

と返すが、

「実体験しないと、わかったことにはならないよ。もっと人間を知りたい。そのためには、自分も人間なのが都合がいいのさ。」

リュウは満面の笑みで返した。

 2人とも、すでにサンドイッチは食べ終わっていた。

「ありがとう。美味しかったよ、サンドイッチ。」

「それはどうもお粗末様。キミのうんちくを聞くのも、それなりに楽しくはあるんだけどね。」

「ん?」

「たまにはもうちょっと口説いてみなさいよ。昔みたいに軽い口でさ。」

リリィは不満そうに言う。リュウはたまらず笑い出す。

「何がおかしいのさ。」

リリィが口をとがらせる。

「リリィは結局、俺のこと好きなの?嫌いなの?」

リュウからの問いかけに、

「…嫌いなら、この世界にキミを連れてきたりしないよ。」

「そっか。じゃあ、俺にもまだ脈はあるわけだ。」

「言っとくけど、憎さ百倍、だからね。」

リリィは三白眼を向ける。

「なら、今夜はウチでディナーでもいかがかな?」

リリィの頬に手を添えながら、リュウが誘う。

「で、そのあとは?」

「いきなり抱擁なんて気が早いことはしないさ。まずは会話を楽しめればいい。」

「ふーん。」

リリィがそっけない返事を返すと、

「なに?そのあとイケナイことまで考えてた?ムッツリリリィ」

メリィッ!

ボディブローが炸裂する。

「な…、ナイスなパンチ…だ…。食後には…キツ…。」

「そうやって悶えてなさい。…人を茶化す癖は治らないんだから。」

リリィがむくれると、

「そ…それは、ちょっと、違うよ。」

「あら、回復早いのね。何が違うって?」

「ふぅ…。夫は妻の尻に敷かれるものさ。だったら、結婚前、付き合っている頃から尻に敷かれていれば、結ばれた時も、ほとんど関係が変わらずに済むだろ。」

キリっとした表情で、全然格好良くない理屈をのたまう。

「…。やっぱバカだわ、アンタ。」

目頭を押さえる。たまにこの男がわからなくなることがあるが、たぶんこの理屈を堂々と言える謎の自信が、一番わからない。

「バカっていう方がバカなんだぞ、リリィ。つまり、今俺はリリィのこともバカって言ったから、俺もお前もバカなんだ。ワーイバーカバーカ」

ドゴォッ!

ローキックをぶちかます。これまでの人生で、一番癪に障るフレーズだった。やはりこの男、人を怒らせることに関しては無類の才能を持っている。なんと無駄な才能か。

「ふ…ぬぅぅぅ…。」

蹴られた脚を押さえて悶えるリュウ。

「アンタ、ドM?」

侮蔑の目でリュウを見る。

「ベッドの上での方が…、わかると思うよ…。」

「キミ、そういうのは急がないってさっき言ってたよね。」

「リリィが望むのならいつでも。」

ニッコリ。満面の笑みを浮かべるリュウ。セクハラではないか、これ?

「しかし…、魔導士なのに、魔法より先に手足が先に出るっていうのはどうなのかねぇ。」

「お望みとあらば、サンマのようにこんがり焼いてあげるけど?」

「ノーサンキュー。」

リリィの殺気立った視線に、ひきつった笑顔で答えるリュウ。

「…ん?」

そのとき、何か既視感を感じた。

「昔もやったな。こんなやり取り。完全に一致じゃないけどさ。」

「…あぁ。」

思い出した。魔王メアを倒すための旅立ちの前に、散々からかわれたっけ。

「これでようやく、昔の関係に戻れたかな。」

「…謀った…?」

思い出す。この男は食わせ物だったということを。

「謀るというほど謀っちゃいないさ。戻ってみたかっただけだよ。」

「…。」

また一杯食わされた。だが、不思議とイヤな感じはしない。むしろ、懐かしい。

「で、ディナーはどうする?」

リュウの問いかけに、

「…うん。いただいていく。」

少しだけ、許してもいいかな。そんな気分になっていた。


 それから数年後、リリィはリュウと籍を入れることになった。ここから先は、誰しもが想像のつく範疇なので、書き記すこともないだろう。ただ、2人は2人なりに幸福な人生を送った、とだけ、記しておけばいいことだ。どのような幸せだったのかは…、それこそ、読者の想像のままに。

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