第7話 人嫌いの勇者
リリィは森の中で獣道を歩いていた。街道に出れば、森を進むよりずっと安全に移動できる。「境界の木」を越えて魔物が現れるようになったと言っても、街道は開けている分、見通しがよくて、奇襲される心配が少ない。それに、定期便の馬車を拾って、歩くよりずっと早く街から街へ移動できる。
それをしないのは、旅費をケチっているとか、そういう阿漕な理由からではなかった。むしろ、一族が全滅したおかげで、遺産は一生で使い切れないほど遺されている。その気になれば、馬車で快適に移動し、街の一等地の宿の、最高級のスイートルームに泊まりながら、快適な旅を楽しむことだってできた。
そうしなかったのは、旅のさなかで、「人間に嫌気がさしたから」だった。
どの街を訪れても、人々の口から出るのは、「あの魔物を殺してほしい」、「この地域の魔物の討伐に参加してほしい」といった依頼ばかり。魔物たちが温厚だったあの頃を忘れてしまった、憎しみに燃えた目。リュウに言われた言葉を思い出す。「甘えた世界は終わったんだ」。それでもリリィは、人間も魔物も信じたかった。また元の生活ができるように。仇討ちももちろんだが、それもリリィが目指していたものの1つでもあった。
しかし、他ならぬ人間が、その理想を打ち砕いた。リリィの目の前で。それ以来、リリィは森を進み、人里に出るのを嫌うようになった。森を進めば、人間にはまず会わない。魔物が襲ってくることはしょっちゅうだが、狂わされているといっても、生き物だ。加減を間違えなければ、気絶させるだけで済ませられる。人として人間を討つことは許されないが、魔物相手ならこのくらいで事足りる。総じて、森の中の方が、リリィには居心地がよかった。問題は食事だが、かつて魔物の友達と森でよく遊んだこともある。食べられる木の実やキノコなどの知識は、その遊びの中で身についていた。それに、いざとなれば、少しばかり街道に出て、「境界の木」を当てにすればいいこと。皮肉なことに、すべて魔物の友達から学んだことだった。
こうして森の中を歩んできたリリィだが、時には人恋しくなることもある。狂った魔物たちとの戦いに疲れたある晩、たまたまとある小さな町に出くわした。
衣服は枝葉ですり切れ、埃でボロボロ、おまけにろくに水浴びもできずに汗臭い。そんな身なりでもかまわず、場末の酒場に足を運んだ。旅人ともなれば、そんな身なりの者を見慣れているためか、酒場のマスターは顔色を変えることもなく、「いらっしゃい」と出迎えてくれた。リリィはカウンターの一席に座ると、持っていた金貨数枚を出し、
「お酒。強めのヤツ。」
と注文する。マスターは気前よく酒と肴を振る舞ってくれた。
店の中は喧噪で満ちている。そんな賑わいを見せる店内で、一言も発せず、黙々と飲んだくれていると、
「噂の勇者様にしちゃぁ、ひでぇ身なりだなぁ。」
と1人の男性客が絡んできた。がっしりとした体躯。着ている服は、リリィに負けじと劣らずぼろが目立つ。山を生業としているであろうことが見て取れた。
「いやぁ、勇者様として日頃戦っている身なら、こうもなるかぁ?」
「・・・うるさいわね・・・。」
「そう邪険にしてくださんな、勇者様よぉ。そんなに酔いつぶれてると、威厳も感じねぇぜ。」
「私をやろうっての・・・?高くつくわよ・・・。」
鬱陶しくなって、脅しをかける。男は「おお怖えぇ」と大仰に振る舞ってから、
「邪険にしてくださんなって。何があったか知らねぇが、勇者様ってのは、もっとピンと張ってなきゃいけねぇよ。」
「私は勇者なんかじゃない。なにも知らないなら放っておいて。」
「そういう若者の悩みを聞くのも、年長者の仕事ってヤツさぁ。マスター、この嬢ちゃんに、お冷や。」
「ケンカ売ってんの?アンタをヒンヤリ凍らせてあげようか?」
頭にきて、声を張り上げる。
「馬鹿にしてはいませんよ。酒に酔ったときは、間に水を挟むと悪酔いしにくいんです。親切を邪険にしてはいけません。お嬢さんこそ、頭を冷やす必要がありますね。」
マスターもそう言って、本当に氷水を差し出す。
「・・・。」
憮然としながらも、一気に水をあおる。心持ち、酔いが晴れた気がする。あながち、心遣いというのも嘘ではないようだと思えた。
「な?ちょいとばかり落ち着いたろ。あとはお話だ。酒場ってのは、いろんな鬱憤を晴らす場所だ。黙ってねぇで、そのちっこい胸の中に溜まってるもん、吐き出してみろや。それを聞いてやるのが、年長者の仕事よ。な?」
「・・・。肴に小話でもほしいってのが本音でしょ。」
「それもある。」
男はガッハハハと豪快に笑いながら、堂々と肯定した。どこか、リュウを彷彿とさせる。
「いいわ。お礼に、肴にならない話をしてあげる。」
リリィが意地悪げに言うと、
「どうかな?俺ぁ大抵のことは笑って聞けるぜ。」
男はまた豪快に笑う。その様子を見て「フン」と鼻息を鳴らしたあと、リリィは語り始めた。人嫌いになる、その理由となった事件を。
リリィは最初から、人里を避けていたわけではなかった。オリクを船で渡り、カーゼン大陸に降り立ったあとも、しばらくは普通に街道を行き、若干嫌々ながらも、人々の恨み節を聞きながら街から街へ、移動していた。だが、魔物の討伐依頼は、断固として断っていた。「魔物たち自身は悪くない」。それがリリィの譲れない一線だった。
そんな旅路の、ある日のことだった。街道を行く途中、リシリア王国の正規軍の遠征に出くわした。怪訝に思ったのは、その軍団が、大量の土砂を運搬していたことだった。向こうもリリィを見つけたのか、歩みを止めて、軍団長らしき人物が話しかけてきた。
「おお、こんなところで勇者殿に出会うとは。これは重畳というもの。是非とも、我々の作戦にご同道願いたい。」
「作戦?魔物の討伐なら、お断りします。」
リリィがいつも通り拒否する。軍団長はこの言葉を聞くと、意外そうな顔をし、
「これは異な事を。人を護るために戦うことが、勇者殿の使命でしょう。それが人間の敵、魔物どもを懲らしめようという作戦に参加されないとは。」
「それより、なんですか、あの大量の土砂は?」
いらだちながら、リリィが尋ねる。
「お分かりのはずですがね。埋めてしまうのですよ。『闇の泉』を。」
軍団長は平然と答える。やはりか。リリィはギリと歯を軋ませる。
魔物たちは、交配によって産まれるわけではない。「闇の泉」という、黒々とした「淵」から産まれる。魔物たちの間でも神聖な瞬間であり、人間は絶対不可侵の聖域だった。そこを埋め立ててしまっては、魔物たちは新たな世代を生めなくなってしまう。
させるわけにはいかない。リリィは森の中、軍団の進む先へと駆け込んだ。
「おお、なんだかんだ言って、やる気になられましたか!皆、勇者殿に続け!」
軍団長はなにを勘違いしたか、進軍の号令をかける。かまわず、リリィは獣道を分け入り、森の奥へと駆け進む。「闇の泉」は魔物にとっても神聖な場所で、普通なら人間はその場所すらわからないはず。それなのにこの軍団は「闇の泉」を目指している。ということは、この軍団はどういうわけか、「闇の泉」の場所を特定しているのだ。
途中、何度も魔物の襲撃を受けた。リリィは加減して、気絶させるだけで済ませようとしたが、その魔物たちを、兵士たちは容赦なくとどめを刺していく。「やめろ」と言う間もなく、血のにおいに誘われて、さらに魔物が集まる。取り囲まれた軍団は、阿鼻叫喚の様相を呈してきた。あちらこちらで兵士と魔物がぶつかり合い、激しい戦闘が繰り広げられる。それでも軍団は、少しずつ前進し、「闇の泉」を目指していく。
「お願い・・・。みんな、正気に戻って・・・!」
誰へともない叫び。そんなものは誰の耳にも届かず、血で血を洗う殺し合いが展開される。このままでは魔力が保たない。リリィは戦闘をやめて、魔物たちの間隙を縫うように走り抜ける。果たしてそこには、大きな黒い「淵」があった。「闇の泉」だ。すでに軍団の先頭は到達しており、埋め立ての準備を始めている。止めなければ。しかしどうやって・・・?そうしている間にも、重装の大盾を持った兵士が守りながら、作業班が土砂を流し込もうとしている。
「やめて!」
リリィは必死になって叫んだ。その叫びが届いたか、兵士たちが動きを止める。
「勇者殿、どちらに『やめろ』と言うのですか?」
小隊長らしき人物が問いかける。
「両方だよ。魔物たちにもこれ以上人殺しをしてほしくないし、キミたちにも、『泉』を埋めるなんてやめてほしい。お願い!」
リリィは必死で懇願する。が、
「人間を護るべき勇者殿の言うこととは思えませんね。魔物はもはや狂戦士です。躊躇なく人間を殺す。そのようなものたちを放っておけますか?」
小隊長は軍団長と同じ言葉を発する。
「彼らは魔王に操られているだけだよ。私が魔王を倒せば、彼らは正気に戻る。そのときに、『泉』がなかったら、彼らは子孫を残せない。みんなはそれでいいの!?」
「いいも悪いもないでしょう。アナタが魔王を倒すのはいつになるのです?それまで、我々に魔物におびえ続けろと?我々も国と街を護る義務があります。脅威を放っておくわけにはいかないのですよ。作業を再開せよ!」
食ってかかるリリィに、小隊長は冷淡な言葉を放つ。彼らも知っている。一族と友人たちを皆殺しにされた、力なき勇者リリィ。そんなものに頼って、国を魔物に蹂躙されたくない、というのが本音だろう。返す言葉も見当たらず、
「・・・くっ!」
リリィはやむを得ないと、作業班に攻撃しようとするが、そのとたんに、他の兵士に羽交い締めに押さえつけられた。
「どうです。ご自身の力のなさを、身にしみてわかったでしょう。邪魔をしないことです。」
小隊長はどこまでも冷ややかだった。彼だけではなく、その場の隊員全員が、リリィを冷たい目で見る。
「やめて・・・。やめて・・・!」
哀願するリリィの頭を地面に押しつけ、埋め立ての作業は続く。大量の土砂が、次々と到着する。その様子に、リリィの絶望感が増していく。
そのとき、現場がざわつく。「闇の泉」から、新しい魔物が産まれようとしていた。
「作業急げ!」
隊長の号令が走る。
「やめて!」
リリィの懇願むなしく、新たな魔物は、その場で槍に一突きされ、殺されてしまう。
さらに魔物たちの攻撃をはねのけて、
「土砂を投入せよ!」
号令の元、土砂が次々に投入される。
「や"め"てぇ"ーーー!」
野草を食み、泥を飲みながら吠えた、リリィの最後の願いは、流れ込む土砂の音にかき消された。
「そのあとで、軍の行動を妨害したカドで3ヶ月収監されたわ。裁判にもかけられて、判決は国外への永久追放よ。」
リリィは再び酒をあおる。その話を、男は意外なことに、まじまじと聞いていた。
「みんな、みーんな、魔物たちと仲良くしていたんだってこと、忘れたんだね。」
「それで、人間が嫌いになって、わざわざ森の中を進むようになった、と。人に会わないため、だけじゃぁないな。」
「勘がいいわね。ご名答。先に『闇の泉』を見つけて、保護するのも目的よ。人間が入れないように、結界を張るの。さっきの話では、斥候が偶然見つけたって話だったし。」
言いながら、リリィはまた金貨を取り出し、酒を注文する。
「なぁるほどな。確かに、肴にならねぇ話だわ。いやぁ参った参った。」
言いながら、男も酒を注文する。
「まぁなんだ。どっちも、間違っちゃいねぇよ。」
酒を一口しながら、男は言う。
「魔物を殺すのも、正しいって言うの?」
リリィがまた食ってかかる。
「落ち着けや、嬢ちゃん。軍っていうのは、国民を護るのが使命だ。魔物が狂乱化している今、民を護るために、魔物を減らそうっていうのは、間違った選択じゃぁない。
だけどな、確かに魔物は魔王によって狂わされているだけで、お前さんが魔王を倒しちまえば、あいつらも正気に戻るってのも、間違っちゃいねぇと思うぜ。」
「でも、誰も私が魔王を倒せるとか、思ってないんでしょ。」
リリィは酒を口にしながら皮肉を言う。
「肝心の勇者様自身が、自分に自信を持ってないじゃぁねぇですか。まぁ、噂は俺も聞いてますがね。」
「フン。」
「へそを曲げてくれますな。希望を持ってるヤツだって、いることはいるんですぜ。」
「どこによ。」
「こことか。」
「はぁ?」
突然の答えに、リリィは眉根を寄せる。
「なぁマスター。俺たちだって、まったく希望を持ってないってわけじゃぁないよなぁ。」
男の問いかけに、
「ええそうですね。私もまた、荒くれた魔物たちの力比べを見たいものです。もっとも、調度品が壊されるのは、勘弁願いたいですがね。」
マスターはにこやかに笑い、男の意見に同意する。
「・・・。」
リリィは言葉をなくす。久しぶりに、魔物への希望を聞いた。それだけで、心が洗われる気がした。
「まぁ、だけどなぁ、勇者様。」
男が言葉を続ける。
「被害者の気持ちってのも、考えてやってくれませんかねぇ?」
「・・・そんなの、言われなくても、わかってるよ。」
男の水を差す発言に、また恨み節を聞かされるのかと、辟易してしまう。
「聞きたくない話かもしれねぇが、さっきの話の礼に、聞いてくれや。」
「・・・フン。」
憮然として酒を飲みながら、男の話に耳を傾ける。途端に酒が不味くなる気がした。
「見ての通り、俺ぁ山師でね。以前は山の中の魔物たちと協力して、山菜やらキノコやら、鉱物やらと見つけては、人里に降りて売買したもんでさぁ。
だがこの仕事ってのは、魔物の凶暴化する前から危険な仕事でね。崖で滑落したりとか、天候の急変とかで、命を落とすことが多々あったもんでさぁ。おかげで、山師仲間の訃報ってヤツにも、いつの間にか鈍感になっちまった。
魔物が凶暴化したって、それがちょっと風向きが悪くなったってぇだけで、俺たちは済むんですがね。街で暮らす、『一般人』にはそうもいかない事情ってぇもんがある。一般人には、魔物を殺すことなんてできねぇ。襲いかかったって、返り討ちでミンチになるのがオチでさぁ。
魔物に立ち向かえるのは、訓練を積んだ、一部の人間だけでさぁ。全身武装した兵士や、魔導師とかねぇ。だから、一般人は、そういう連中に、恨み節をぶつける他に、できることはないんでさぁ。神に選ばれた『勇者』ともなれば、寄せられるそういう期待感ってのも、持たれて仕方ないんじゃないですかねぇ。
まぁ、一言で言っちまえば、勇者ってのは、人間の復讐の代執行者って、言い換えられるんじゃないですかねぇ。」
男が一区切り語り終えると、リリィは少し考える様子で酒を口にする。酔った頭で、ろくなことを考えられることはないのだが。
「ありがとう。おかげで酒が不味くなったわ。」
リリィはそう言い返す。復讐の代執行者。いかにも不愉快な言葉だ。
「お愛想様で。まぁなんだ。これも言っちまえば、神様から勝手に押しつけられた役職だ。そんな『勇者』ってぇ肩書きが嫌いなら、捨てちまっても、だぁれも文句を言える立場になんぞ、いないだろうさなぁ。」
「・・・。勇者を、捨てる・・・か・・・。」
それもいいかも、と思えた。こんな不愉快な役職を、神様なんてわけのわからない存在から押しつけられた。だったら、いっそのこと、そんなものは捨ててしまってもいいのだろう。
「魔王を倒すのは勇者だってのも、世界の国同士が、ミリタリーバランスを崩したくないからってぇ、勝手な理由で押しつけたもんだ。世界中のエゴを、たった1人のちっこい嬢ちゃんに押しつけて、自分らは上から目線だ。そんなの、俺だってイヤにならぁ。」
そう。自分は世界からエゴを押しつけられているんだ。そう思うと、ますます「勇者」という肩書きがイヤになる。
「まぁ、それでも、魔物が絶滅しちまう前に、魔王を倒したいってなれば、勇者としてやるしかないんだろうなぁ。イヤだってもな。」
「・・・。そうかぁ・・・。」
天を仰ぐ。酒場を照らすランプは明るい。しかし、リリィの心の内は暗澹としていた。
「で、どうする?勇者を捨てるかい?それとも、勇者であり続けるかい?」
「・・・。ずいぶんと意地悪な質問だね。」
「その渋面で、こっちはうまい酒が飲めるって寸法よ。」
男はガハハと笑う。男ってヤツは。自分はこんな男にしか縁がないのか。
「そう若い者をいじめるのはよしなさいよ、お客さん。それは年長者の仕事ではないでしょう。」
マスターに釘を刺されても、
「違げぇねぇ。」
と言って、男はさらに笑う。ふと、自分も笑顔になることに気づく。
「ああ、それだな。」
男は突然リリィを指さす。
「突然なに?」
リリィが訝しむと、
「酒場ってのは、笑うところでもあるんだ。笑いがなきゃぁ、人生半分は損してるってもんよ。嬢ちゃんも、森の中を進み続けて、笑いがないのに疲れたから、ここに来たんだろう?偶然でも、笑いがある場所ってのを、人間は求めるもんなのさ。」
「・・・そういうものなの・・・?」
「じゃぁなかったら、なんで宿に入る前に酒場に来たんだい?みすぼらしい格好でさぁ。身支度整えるより、まずは笑いが欲しかったんだろぅ?」
男に指摘されて、改めて自分の格好に気がつく。ひどいものだ。一昔前の自分なら、小洒落たレストランに、身支度をしっかり整えてから行ったものだろう。
「荒んでたんだなぁ。さっきの話を聞いたところじゃ、わからねぇ話じゃねぇけどよ。」
「そうね・・・。改めて気づかされたわ。」
リリィはため息をつく。
「でも私は、昔には戻れない。アンタみたいな人もいるってことはわかったけど、やっぱり、人間の大勢は魔物を憎んでる。私は、そんな人間が嫌い。護る価値もわからない。」
「じゃぁ、ここを出たら、また森の中かい?快適なベッドが恋しくないかい?」
「アンタみたいなのが隣に寝てるのはもっとイヤ。」
リリィの即答に、男は爆笑する。
「そりゃ確かに釣り合わねぇなぁ。安心しなって。俺も嬢ちゃんみたいなちんちくりんは対象外だからよ。」
ゴスッ
鉄拳が炸裂する。
「誰がちんちくりんだコラァ!」
男は殴られた頬をさすりながら、
「女ってのはみんなこうかねぇ?抱かれるのはイヤだとか言いながら、ちょいとばかり対象外って言っただけでコレだぜ。マスター。」
「お客さんは女の扱いを勉強する必要がありますね。」
そう言ってマスターは冷えたタオルを差し出す。男はタオルで頬を冷やしながら、
「マスターもひでぇ。」
とぼやく。
「で、だ。嬢ちゃん。あえてさっきの質問に戻るけどよ。どうするんだい?勇者を捨てるのか、勇者であり続けるのか。」
「また渋面を肴に飲むつもり?」
リリィのいらだち顔に、男は真面目顔で向き合い、
「今度は真面目な質問だ。嬢ちゃんはどうしたい?重要なのはそこだ。さっき『人間を護る価値もわからない』って言ったよな。勇者を捨てるには十分な理由だ。だが、魔王を倒したいって目標もあるんだろ?魔物たちを正気に戻すために。魔王を倒せば、大衆は嬢ちゃんを『勇者』として扱うぜ。そのとき、嬢ちゃんはそれを享受する、と言うかできるかい?」
「む・・・。」
リリィは黙り込む。どうも、締まらない顔がいきなり引き締まると、対応に困る。それに、本当にどうしたらいいかもわからない。正直、自分は魔王を倒したいかもわからなくなっている。カダスを討ちたいのは確かだ。だが、リリィにとっては魔王の方がオマケ。優先順位が逆になってしまっている。
「フゥ・・・。正直に言っちゃうか・・・。その方が楽になれるかもしれないし。」
リリィは肩の力を抜く。この男相手に片意地張っても、意味がないとようやく気づいた。
「ようやく、本心を吐く気になってくれたかい。さ、言いたいように言っちまいな。」
男は、それこそ肴になるとばかりに、新しい酒を注文する。
「・・・私は、人間の存亡とかに、興味はない。」
男のグラスを持つ手が止まる。
「私が討ちたいのは、魔王の腹心、カダスという男。そいつさえ討てれば、あとは魔王の計画が成功しようとしまいと、どうでもいい。私はもう根無し草。好きな人も死んで、護りたい人もいない。勇者としては失格だよ。ただの復讐者。復讐が済んだあとの世界なんて、どうなったって構いはしない。むしろ、人間がいなくなれば、魔物たちを狂乱状態から解き放つ手間だって、逆に省ける。だから、人間が生きるか死ぬかなんて、どうでもいいの。」
「・・・。そうかい・・・。」
男はグラスを傾ける。しばらくの沈黙。そして、
「自分自身も、死んでもいいってことか・・・。」
男のつぶやきに、
「そうよ。」
リリィは平然と返す。
「確かに・・・、勇者としては、失格かもな。」
「『かも』ではないでしょ。」
「あぁ・・・。『魔王を討つ気のない勇者』なんて、勇者じゃぁないな。」
男は先ほどとは打って変わって、含み笑いを漏らす。
「どうしたの?さっきみたいにゲラゲラ笑ってみなさいよ。」
リリィの皮肉に、
「いや・・・。なんとなく、わかるぜ。」
「・・・?」
「俺もなぁ・・・。とある山師仲間が死んじまったときになぁ・・・。そいつとは、マブダチだったんだが・・・。付き合いも長くてな・・・。飲むときもいつも一緒だったんだが・・・。そいつがいなくなっちまったときなぁ・・・。ひでぇ喪失感でなぁ・・・。『俺もいっそのこと』って思ったことはあったぜ・・・。
そうだったなぁ・・・。嬢ちゃんは根無し草。護りたい人もいない。オマケに人嫌いになっちまってる。人を護る理由がないんじゃぁ、そりゃぁみんな死んじまってもいいとか、思っちまうかもなぁ・・・。」
「・・・。おじさんはどう乗り越えたの・・・?その喪失感を。」
「たぶん、嬢ちゃんと同じさぁ・・・。ひたすら泣いて、飲んで、また泣いて、なぁ・・・。」
「・・・。」
「だが・・・。それでも、乗り越えられない時ってのも、あるんだなぁ。たまぁに、ちらつくんだよ。そいつの影がなぁ。そんなときは、どうしてもむなしくてなぁ。鈍感な俺だってこうなんだから、嬢ちゃんには、そうそう乗り越えられんかもなぁ。」
「・・・。」
男は残っていた酒をあおり、追加を注文する
「・・・飲み過ぎでは・・・?」
マスターが忠告するが、
「こんなときだ。飲ませてくれや。」
男の言葉に、マスターは黙って酒を出す。
「だがなぁ、忘れないでくれや、嬢ちゃん。少ねぇかもしれねぇけど、アンタに、希望を持ってるヤツも、いるってことを。なぁ。」
男はやんわりと微笑んで、リリィを見やる。
「・・・ありがと。約束はできないけど、やれるだけやってみる。」
リリィはそう言って、金貨をもう1枚取り出した。それを男の目の前に置くと、
「いい話ができたわ。コレはお礼よ。」
自分の分の代金を支払い、酒場を出る。久々に満たされた。
少ないけれど、再び魔物との調和を求める者もいる。それを知っただけでも、久しぶりに人里に出た意味はあった。だが、それだけでリリィの人嫌いは治ったわけではない。それに、また「闇の泉」を探して、保護する目的もある。まだ酔いが残る中、リリィは着の身着のまま、再び街を抜けて、森へと分け入っていった。
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