第6話 勇者誕生、永訣の日
魔物たちは、本来理性を持った大人しい種族だった。互いに縄張りをハッキリしておけば危害は加えないし、縄張りに入る場合でも、代価を差し出せば、許可をもらえたりもした。中には積極的に人里に出てきて働いたり、愛玩動物として可愛がられるような魔物もいて、そういう友人を持つ人も多かった。リリィもご多分に漏れず、魔物の友人を多くもっていた。
そんな魔物たちが、ある日突然、凶暴化した。
まるで理性を失った彼らは、「境界の木」も意に介さず、森に囲まれた山村を四方から襲い、いくつもの村を壊滅させた。ペットとして飼われていた魔物は、飼い主ののど笛を食い破って殺した。武器を持つ魔物は、それを手に無防備な人々を無差別に殺戮した。世界中で、まるで地獄絵図が展開された。
そして、その「元凶」が、混乱する世界に現れた。すべての人の目の前に、虚像として姿を現した。人骨をかたどった不気味な鎧を纏い、生気のない顔をしている。虚像であっても、その身体から立ちこめる瘴気の禍々しさは、見る人々を絶望させるほどの恐怖に陥れた。
『5000年ぶりだな、人間たちよ。我を忘れたとは言わせんぞ。我が名はメア。メア・ヘルヘイム。世界を終わりに導く王である。手始めに、我が眷属の殺戮ショーは楽しんでいただけたかな?もちろんこれで終わりではないぞ。やがてはすべての人間たちをこの大地より駆逐しよう。もはや無駄である。消滅を受け入れよ。そして我が眷属が、この世界を支配するのだ。』
魔王メアの復活。5000年前からの予言。そして魔物たちの暴走。世界を震撼させるには十分だった。紛争のすべてがそれで終わるわけではなかったが、1つになろう、という動きが活発化したのは事実だった。
世界は魔王を倒すもの、勇者の誕生を望んだ。これは合理的な理由で、各国の軍隊が動かずに、勇者をバックアップすることで、ミリタリーバランスをいたずらに崩すことを避けるという、なんとも勝手な思惑があった。
そんな理由もあり、古来よりの「託宣」で、勇者が選ばれることとなった。託宣の地、ミュドル大陸中部のカーナ神殿。そこで「託宣の儀」が行われた。
神官が祝詞を読み、聖火が炊かれ、巫女が肌もあらわに踊り狂う。熱気は徐々に高まってゆき、巫女はトランス状態に近づいてゆく。
その様子を、水晶球を通してリリィたちも見守っていた。ウィリンズ魔法学校の関係者には、確信があった。このタイミングで現れた、異世界からの少年。彼こそが勇者に選ばれるに違いない、と。そしてついに、そのときが訪れた。
踊り狂っていた巫女が、突如バタリと倒れる。
「おお、神が降臨なされた。お示しください。魔王メアを、今度こそ打ち倒す、勇者の名を。」
巫女は喘いでいるようだったが、しばらくして、
「・・・メア・ヘルヘイム・・・。・・・しぶとき魔王よ・・・。・・・あれを打ち倒すは・・・。」
巫女がトランス状態で言葉を紡ぎ始める。皆が固唾をのんで見守る。
「・・・桃源郷に住まうもの・・・。・・・栄光と呪いの名をその身に刻み込まれたもの・・・。・・・グリジッド・・・。・・・リリィ・グリジッド・クリエット・・・。・・・その娘こそ、勇者に相応しき素質を持つもの・・・。」
巫女は勇者の名を告げると、気を失った。
「「えーーー!?」」
ウィリンズ魔法学校では驚愕の声が響き渡った。
「リュウじゃないのかよ!?」
「ちょ、ちょっと待って。私!?なんで私!?」
「知らないよ!ていうか、じゃあなんでリュウがこんなタイミングで召喚されたんだよ!?」
「俺にはちんぷんかんぷんなんだが?」
この世界に現れたとき、催眠療法で聞いた、あの意味深な言葉は何だったのか。先生方も含めて、学校中が上を下への大騒ぎとなった。
「と、とにかく皆さん、落ち着きましょう。深呼吸して。」
先生が周りをなだめて、その場の動揺は落ち着いてきた。
「・・・しかし、なぜリリィさんなんでしょうね?」
セロズがまだ腑に落ちない様子で訪ねる。
「あの託宣は本物とみて間違いないでしょう。他の大陸の巫女がリリィさんを詳しく知っているはずがありません。」
「では、本当に神が憑依したと。そして勇者としてリリィを選んだ。」
「で、でも、どうして私?成績ならもっと優秀な人もいっぱいいるのに。」
リリィも困惑している。
「・・・選ばれた以上は仕方ないでしょう。とりあえず、準備が整うまでは、我々はリリィさんを凶暴化した魔物たちなどから守らなければ。」
「準備って何ですか?旅支度以外に何か?」
「リュウ君は知らなくて当然ですね。勇者に選ばれた者には、『聖杖』が贈られてくるんです。神の力のひとしずくを蓄える、と言い伝えられています。その力、あらゆる魔性を封じる、とか。」
「へー。でも、ミュドル大陸ってオリクとはずいぶん遠いですよね。どれくらい待つんですか?」
「だいたい1ヶ月くらいですかね。その間に、リリィさんは覚悟を決めてくださいね。」
「・・・。わかりました。」
緊張した面持ちのリリィに、先生は柔らかにほほえみ、
「大丈夫です。神があなたを選んだんです。きっと魔王を倒せます。」
と後押しをしてくれた。
託宣から一週間ほど経った頃。リリィは学校の応接室を借りて、リュウと話をしたいと申しだした。
「で、話って?」
小綺麗に整った応接室のソファに座り、2人が対面する。リュウは相変わらず緩い気持ちで、相反してリリィは緊張した面持ちで。
「・・・うん・・・。・・・キミに、供連れになってほしいの。」
リリィはそう切り出した。
「お供について魔王討伐に手を貸せって言うことか。」
リュウは面白そうな表情になる。
「そう気楽な旅じゃないんだよ。今度は街道を通ったって、安全じゃない。前にキミが言ったとおり、『境界の木』を無視して攻撃してくる。こっちを・・・攻撃してくる。」
「迷いがあるのはリリィの方だね。友達の魔物が攻撃してくるのが怖いんだろ?」
「・・・。うん・・・。」
「で、そんなときは俺にその魔物を殺してほしいんだ。」
「そんなんじゃない!」
リュウの指摘に、リリィは反発した。
「・・・殺してほしくなんて・・・ないよ・・・!」
リリィは表情を暗くし、目には小さな涙粒が浮かぶ。
「そう。ゴメンね。でもさ、もうやらなきゃやられる世界だよ。生ぬるいことしてたら、こっちが殺されるか、死に損ないの魔物が他の人間を殺す。もう話してわかる相手じゃないんだから。」
「わかってる・・・。わかってるけど・・・!」
「『彼らは魔王に操られているだけ』ってきれい事を言って回る?『魔王を倒せばみんな元通りになる』って甘い考え持ってる?たとえ魔王を倒しても、魔物たちが正気に戻っても、肝心の人間の方が、もう彼らを信じないよ。いつかまた、暴れ出すかもしれない。その恐怖と不信感は、そうそう拭いきれるもんじゃない。」
リュウから「現実」を突きつけられる。心のどこかでわかっていたこと。ただ、認めたくなかった。「人間はそんなに狭量じゃない」と言い返したくても、その根拠がない。実際、各国の軍隊は、もう近隣の魔物の駆逐に動き始めている。
「甘えた世界は終わったんだ。リリィ。」
「・・・。」
こんなに容赦のないリュウは初めてだった。いつも締まりない顔で、飄々としている。そんなリュウが、こんなに厳しい言葉をかけてくるとは。
「・・・せめて・・・、もうちょっとさ・・・、いつもみたいに・・・、優しくさ・・・。」
リリィは半泣きで、懇願するかのように言葉を紡ぐ。が、
「先生も『覚悟しろ』って言ったろ。俺はキミに死んでほしくない。だから、これだけは厳しく言っておかなきゃいけない。キミはこれから『殺し合いの世界』に飛び込むんだから。」
「・・・。」
リュウの本気の度合いが伝わってくる。それも、恋とかそんなものではない、もっと現実じみた、命のやり取りをする、残酷な本気。
「いいよ、リリィ。キミのお供について行こう。リリィが魔物を殺せないなら、俺が殺す。キミは魔王を倒すことだけを考えればいい。それでいいだろう。」
「・・・。」
涙がこぼれる。これはリュウの優しさなんだ。リリィの手が汚れるのを最低限にして、汚名はすべてリュウが背負う。リュウは覚悟ができているんだ。恋人のために、手を汚す覚悟。おそらく、こんな場を設けなくても、彼は着いてきたんだろう。覚悟ができない自分のために。
「・・・ありがとう・・・。」
「それが恋人ってもんだろ。涙拭いて、元気出して、ね。」
「・・・うん・・・。」
涙を拭い、精一杯の笑顔を見せる。
「あ、そうだ。1つ、条件つけていいかな。」
リュウの顔がシュルリと緩み、いつものにへら顔になる。
「うん、なんでも言ってみて。」
リリィも笑顔を取り戻し、リュウの条件とやらを尋ねてみる。
「街のホテルで泊まるときとか、一緒の部屋で泊まってほしいブゲッ」
ゴツンッ
手元にあった花瓶を投げつける。
「なぁーにスケベ心出してんのよ色ボケ!さっきまでバシッと決めてたくせに!変態!」
しかし、リュウはゆらりと立ち直ると、さらにイヤーな笑顔になって、
「あれぇ~?俺は『一緒の部屋で泊まって』って言っただけだよ~。別にツインルームで別々のベッドで寝てもいいんだよ~。リリィの方こそ、どんなこと想像してたのかな~?」
メコッ
テーブルに置いてあったシャコ貝の灰皿を投げつける。この男、懲りないということに関しては天才的というか、執着的だ。
「アンタは懲りるってことを知らないのか!人を挑発するのも大概にしなさい!」
「アハハハ!ようやくいつものリリィに戻った。笑って笑って。ね。」
「・・・っ!」
そのとき、ハッとさせられた。リュウは、本気で自分を想っている。だから、戦う覚悟もさせたいし、笑顔にもなってもらいたい。気づいたとき、不思議と元気がわいてきた。ああ、恋人ってこういうのなんだ。
「ありがとう、リュウ。私、やるよ。」
「うん、よろしく。」
こうして取り決められた供連れは、しかしすぐに破綻することになる。
託宣から1ヶ月経ち、ついに「聖杖」がリリィの元に届けられた。校内の大講堂にて、その授与の式典が執り行われた。
「かけまくもかしこき、大御神ロゥロの力のひとしずく宿りし聖なる杖。邪なるものを封じ滅す大いなる力。勇者と選ばれし者リリィ・グリジッド・クリエットに託す。必ずや魔王メアを滅することを願い奉る。」
カーナ神殿からやって来た使者は、うやうやしく「聖杖」をリリィに譲り渡した。
「大神より選ばれし勇者として、しかと神の力のひとしずく、受け取りました。必ずや魔王めを討伐してご覧に入れましょう。」
リリィはそう返して「聖杖」を受け取った。このときをもって、リリィは正式に「勇者」と公認された。
「では、早速魔王討伐の旅に・・・ん・・・?」
そのときだった。リュウが「何か」を察した。それは教師たちや成績優秀な者たちも同じようで、
「殺気・・・?」
並々ならぬ殺気。それも、1つや2つではない。突如、バンッと大講堂の扉が開かれ、
「た・・・大変です!魔物です!魔物の大群が、本校に押し寄せてきています!」
守衛が飛び込んで報告してきた。
「今になってですか!?いけません、勇者様を守るのです!」
教師たちが即座に臨戦態勢に入る。
「我々も!」
セロズ他、生徒たちも、それに続く。リリィは
「わ、私も!」
と飛び出そうとしたところを、リュウに遮られた。
「キミは退がっていて。そう決めたろう。」
「そんな・・・」
「俺の勘が言っている。ヤバい。いざとなったら逃げろ。」
リュウはこれまでにない、険しい顔つきだった。
「戦えない者も逃げなさい!ここは戦場になります!」
大講堂はパニックに陥った。その中を、戦意のある者たちがかき分けて外に出て、陣を敷く。すべては、勇者リリィを守るために。ただ、1人、
(みんなを救うはずの私が守られるの・・・?)
リリィ自身は納得しきれない思いを抱えていた。
やがて、土埃を巻き上げて、おびただしい数の魔物たちが迫ってきた。広い校庭を埋め尽くす、尋常ではない数だった。
「迎撃!魔法放て!」
指揮官となった教師たちの指示の元、陣を構成する学生たちが、各々の魔力の限りを尽くし、魔法を放つ。魔物たちは1匹、また1匹と倒れていくが、それをかまわず突進してくる。
「数が多い!」
「守り切れるのかよ!?」
さすがの優等生たちも、思った以上の大群を相手に、魔力が保ちきれず、押し寄せる魔物たちに恐怖する。教師たちも率先して魔物たちを屠っていくが、牽制も効かずに突撃してくる魔物たちに苦戦を強いられた。
そしてついに、防御陣の最前線が破られる。それを期に、次々と陣が破られ、乱戦状態に突入する。狂乱状態の魔物たちは、その膂力をもって、力なき生徒や教師たちを肉塊に変えていく。
「リュウ、『クロック・ダウン』は使えないのか!?」
悲鳴混じりの声でハセルが問いかける。
「あいにく、あの魔法は『結界魔法』の類いでね!使いたけりゃ、あの惨状の中に飛び出さにゃならん!」
リュウの返答に、
「いざって時に使えないな!」
セロズも悪態をつく。そんなやりとりがありながらも、彼らの陣はよく支えていた。その中から、
「『フリーズウォール』!」
氷の壁が辺りに高々とせり上がる。使ったのは、
「リリィ!?退がっていろと言ったろう!」
リリィがリュウの支える陣に入り込んできたのだ。
「私は勇者!みんなを救うのが私の任務だよ!守られるだけなんて矛盾してる!」
「わからないのか!こことは別に、ヤバい気配がしているのを!」
「そんなの気にしてられないよ!守らなきゃ、みんなを!」
「死にたいのか!」
「添い遂げるんでしょ!」
「分からず屋め!」
2人のやりとりに、
「痴話喧嘩は後にしろ!この状況を打開してから好きなだけやんな!」
ハセルが口を挟んだ。普段のノリの軽さからは信じられないほど険しい声。彼も本気なのだ。現に、魔物たちは次々に防御陣を突破してくる。リリィの築き上げた氷の壁も、あるものは砕き、あるものはよじ登り、迂回し、破ってくる。
「くそっ!なんでこんなに殺せるんだよ!」
セロズの悪態も止まらない。彼とて、元々友好的だった魔物を殺すことにためらいを感じる。一方で、凶暴化した魔物たちは、情け容赦なく人間を殺してくる。そして、リュウたちの陣取る防衛線まで、あと少しまで接近してくる。
「ちぃっ!『魔鏡アリス』!『アリス・イン・ザ・ミラー』!」
リュウが持っている鏡を光らせると、彼らを守る陣にリフレクトフィールドが形成される。魔物の1匹が突破して、そのリフレクトフィールドに石鎚を振るう。フィールドはびくともせず、石鎚を反射して、魔物の頭に食い込ませた。当然、その魔物は絶命する。
「便利なフィールドだな。もっと早く展開できなかったのか?」
ハセルの質問に、
「この『魔鏡アリス』は魔力をかなり消耗するんだ。それに広域に展開すれば、反射力も弱くなる上、消耗も激しくなる。魔導大会で出し惜しみしていたのも、余計な魔力を消耗したくなかったからだ。・・・ふぅ・・・。」
リュウの息が荒くなってくる。魔力を消耗してきたんだろう。このフィールドも長くは保たない。手詰まりだった。どうする?思案している時間もほとんどない。
次の瞬間、
「切り裂け。『魔剣バルザイ』。」
その声が聞こえたと同時に、激しい魔力の突風が吹き荒れた。さしもの「魔鏡アリス」のリフレクトフィールドも、ミシミシと音を立てる。攻撃を反射しきれない。同時に、辺りの魔物たちも吹き飛ばされてミンチへと変えられてしまう。
「・・・味方・・・?」
セロズの恐る恐るといった希望に、
「いや・・・。周りを見ろ。」
リュウの台詞に、辺りを見渡すと、他の防御陣も凄惨な有様をさらしている。生きているのは、「魔鏡アリス」に守られたリリィ、リュウ、ハセル、セロズ。そして。目の前にいる、禍々しい黒い鎧を身にまとった人物。金色のマスクで顔を覆っている。雰囲気からして、味方とは言い切れない気配をにおわせていた。
「・・・2撃目は耐えられそうにないな・・・。」
リュウがポツリとつぶやく。
「ほう・・・。オリク最強の魔導師が、ずいぶんと弱気だな・・・。」
黒い鎧の男が話しかけてくる。その声はくぐもっていて、少し聞きづらい。
「ど・・・どちら様・・・?」
ハセルが恐る恐る尋ねる。
「小物に名乗る名などない。」
一蹴されてしまった。
「・・・が、身の上くらいは教えてやろう。我は魔王メア・ヘルヘイム様が僕。彼の方の命により、勇者リリィの命、頂戴に見参した。」
魔王メアの僕。やはり味方ではない。しかし、
「仲間の魔物まで殺してしまうなんて。ずいぶんと乱暴だな。お咎めはないのかい?」
リュウが精一杯皮肉る。
「仲間?魔物は手駒だ。我々の崇高な使命のためのな。」
「魔物のための世界を作るのに、それが手駒・・・?矛盾してない?」
「人間が国を広げるのに、人間を手駒に使うのと同じだ。それに、減った分はまた増やせばよい。」
リリィの質問に律儀に答える。なかなか実直なところがある。
「それに・・・。今私に必要なのは、戦力より『怨念』なのでな。死ぬのは多い方がよい。」
「怨念・・・だと・・・?」
「そう。我が剣『バルザイ』は、怨念を食らうほど切れ味が増す。ちょうど・・・、ここには『いい場所』もあるようだしな・・・。」
「・・・まさか・・・。『毒蛇の洞穴』・・・?」
あそこは怨念のたまり場だ。この男が求めるのに、これ以上「好ましい」場所はない。
「場所の名前などどうでもよい。さあ、『魔剣バルザイ』よ、ここに渦巻く怨念を食らいつくし、この餓鬼どもを切り潰せ・・・!」
男が剣を高々と掲げる。剣が怪しく輝き、周囲の遺体から怨念が立ち上り、剣へと吸収されていく。さらに、やはり学生寮の方角からおびただしい怨念が吹き上がって剣に吸収される。剣はますます輝きを増し、そのおぞましい瘴気をほとばしらせる。
その間に、リュウは「仙力湯」を飲み干して魔力を回復した。そして、
「『アリス・イン・ザ・ミラー』!」
「『魔剣バルザイ』・・・!」
激しい魔力の奔流と、強固な盾との激突。「魔剣バルザイ」の放った魔力は、大講堂を粉砕し、他の校舎まで破壊して、逃げた学生たちまで押し潰した。ビシビシと、リフレクトフィールドが悲鳴を上げる。
「くうぅぅぅ・・・っ!」
リュウは必死で耐え、リフレクトフィールドを維持しようとするが、魔力の差は歴然としていた。ついにリフレクトフィールドはバリバリと砕け散り、
「うあぁぁぁっ!」
「ひあぁぁぁっ!」
「ぐおぁぁぁっ!」
「きゃぁぁぁっ!」
最後の4人が吹き飛ばされる。その中で、リリィは確かに見た。ハセルとセロズの五体が、怨念の奔流の中で砕け散っていく様子を。リュウが、わずかに残ったリフレクトフィールドで、かろうじてリリィを守っていたところを。
『魔剣バルザイ』の魔力の放出が収まる。倒れ伏すリュウ。リリィは呆然としていた。
「・・・さすがオリク最強。よく我が剣を受け止めたものよ。だが・・・。これまでのようだな。」
「そ・・・の・・・よう・・・だ・・・な・・・。」
リュウは息も絶え絶えと言った様子だった。
「冥土の土産だ。そこの役立たずの勇者に代わり、我が名を冥府に轟かすがいい。我が名はカダス。カダス・ングナレクである。」
「リリィを・・・バカに・・・するな・・・。この女は・・・。」
「女は・・・?」
「俺が・・・心底・・・惚れた・・・女だ・・・!」
カダスはフン、と鼻で笑うと、
「愛が世界を救うか・・・?ならば見せてもらおうか。多くの『聖人』たちが歩んだ過ちを、その女が繰り返すところをな。」
その言葉を合図に、カダスの剣が振り下ろされる。剣はリュウの首元を貫き、リュウは絶命した。
その様子を見たリリィは、未だ呆然としていた。目の前に恋人の死体。目に焼き付いた、友人が砕ける様子。辺りに広がる、瓦礫と死体の山。受け入れられない現実。それが眼前に広がり、心が拒絶する。これは悪い夢だと。目の前に立つのは、敵の男ただ1人。かなわない。死ぬ。それもきっと夢だ。目が覚めれば、きっと・・・。
「・・・殺す気も失せるな、哀れな勇者殿。」
「・・・。」
へたり込むリリィを見下し、カダスは哀れみの言葉を投げかける。
「ただ殺すのも命令だが・・・。これでは面白くないな。」
カダスは何かを思案しているようで、
「おおそうだ。面白い余興を思いついた。きっと貴女も愉しんでくれるだろう。」
楽しげに、何かを思いついた様子。
「・・・余興・・・?」
「そうだ。勇者殿。貴女に生き地獄を味わっていただく。きっと貴女は闘志をみなぎらせてくれるだろう。でなければ、歯ごたえがなくてかみつく気も失せる。」
「・・・生き地獄・・・。」
これ以上の地獄があるのか。こんな「夢」よりも。
「では、取り急ぎ用ができたので、失礼させてもらおう。」
そう言い残し、カダスは「ワープ」の呪文を唱えて消えてしまった。
「・・・リュウ・・・。夢・・・だよね・・・?」
リリィは死体に語りかけた。言葉は返ってこなかった。
夢ではないことを実感したのは、火葬された恋人の骨を納めたときだった。ウィリンズ魔法学園は全壊し、生き残っているのはリリィのみ。勇者を守るために戦った「英雄」たちを賛美し、遺族を慰める声とともに、聞こえてきたのは無力な「勇者」への失望だった。遺族の中には、「なぜ息子、娘を救えなかったのか」と詰め寄るものも少なくなく、リリィはただ謝罪するしかなかった。
葬儀が終わり、普段は足を運ばなかった男子寮へと入る。誰もいない、静かな寮内を進む。目指したのは、恋人の部屋。そこがリリィの安息の場所になっていた。変えられていないベッドのシーツに顔を埋める。確かに感じた、愛しい人の匂い。だがそれも、日が経つにつれて、少しずつ薄れていく。それが、彼からの別れを告げられているようで、悲しくなる。
「・・・イヤだよ・・・。リュウ・・・。逝かないでよ・・・。側にいてよ・・・。」
泣いてシーツを汚しても、もう愛した人は帰ってこない。
「う・・・、うあぁぁぁ・・・」
それでも、泣かずにはいられない。無力だった。何もできなかった。未熟なのはわかっていた。でも、ここまで圧倒的だとは思わなかった。認識が甘かった。悔やんでも悔やみきれない。
さんざん泣いたあと、こみ上げてきたのは、
「・・・カダス・・・。あいつ・・・、あいつ・・・っ!」
愛する人を目の前で殺した、あの男の名。その男への憎しみ。
「殺してやる・・・!絶対に・・・!」
復讐。「勇者」としてではなく、「女」として、カダスへの仇討ちを、その胸に誓った。そんなとき、リリィをさらに苦しめる出来事が起こっていた。
リリィは馬車に揺られながら、手に握っている手紙の内容を、嘘だと信じたかった。しかし、いつもは軽口を叩いてくるなじみの御者が、黙して何も語らない。そして、
「・・・着きました。お嬢様・・・。」
「・・・え・・・?」
馬車は、燃え尽きた廃墟の前で止まった。
「クリエット様の屋敷『跡』です。みんな燃え尽きちまってます。」
目の前の廃墟が、自分の屋敷・・・?
「じょ・・・冗談でしょ。ジョークなら、もっと笑えないと・・・。」
「こっちだって、気の利いたジョークで済ませられるんなら、そうしてますぜ。」
「・・・嘘・・・。嘘だ・・・。」
手紙にはこう記されていた。「クリエット家、壊滅す。」と。
「なんで・・・。お父様・・・、お母様・・・、カノール・・・。」
ガクリと膝が落ちる。
「見た人の話じゃぁ、『黒い鎧の男がやった』とか・・・。」
「黒い鎧の男・・・。・・・カダス・・・。」
「生き地獄を味わってもらう。」カダスはそう言っていた。そういうことか。家族まで皆殺しにするか。そこまでやるのか。あの男は。またしても、誰も助けることができなかった。
失意の中、近くの町で宿を求めた。家が焼かれたことは周知されており、宿屋の主人は優しく一室を貸し出してくれた。しばらくその部屋で、心を落ち着ける必要があった。しかし。
リリィの元には、連日ひっきりなしに手紙がやってくる。そのどれもが、「どこそこの親戚、縁戚が黒い鎧の男に滅ぼされた」というものだった。余命幾ばくもない年寄りから、産まれて間もない乳飲み子まで、「グリジッド」のミドルネームを持つすべての一族が抹殺されたというもので・・・。リリィはすべての手紙を、最後まで読めなかった。
本当に、独りになってしまった。もはや、この世界にリリィの家はない。根無し草になってしまった。生き地獄。まさにそれだった。1人、宿の一室でうなだれる。不思議と涙は出なかった。リュウを失ったときに出し尽くしたか。それとも、あまりにも絶望が強かったのか・・・。絶望の手紙の海の中、生気を失った顔で、呆然と、うなだれるしかなかった。
「・・・あの・・・お嬢様・・・。」
そこに、気まずい様子で、宿の主人が訪ねてきた。
「武器屋から、お呼び出しが・・・。」
「・・・武器屋・・・?」
なんだろうか。少なくとも、今のリリィには、戦う意思はまったくない。いっそのこと、死なせてほしいとさえ思っているほどだ。こんな勇者など、誰にも認められないだろう。武器を取らない勇者など、誰にも・・・。
それでも、「せめて受け取るだけでも」という宿の主人に説得され、おぼつかない足取りで武器屋に向かった。
「お待ちしておりました。お嬢様・・・。」
リリィのあまりにも生気を失った顔に、武器屋の主人も後ずさった。
「・・・なに・・・?」
「は・・・はい・・・。実はこれを、大旦那様から依頼されておりまして・・・。」
そう言って、主人は店の奥から、布で覆った何かを運んできた。覆いを取り除くと、そこにあったのは、鎧だった。青紫色を基調として、金縁で飾られた、簡素ながら美しい軽装鎧だった。
「・・・お父様から・・・?」
「はい。見た目こそ軽装ですが、プレートの内側に、国内でも指折りの魔導師に作らせた、守護の符札が封じられていまして。防御力は重装鎧に引けを取りません。」
うつろな意識の中で、説明を聞く。しかしまったく耳に入らない。
「・・・こんな・・・モノだけ・・・」
「・・・は・・・?」
「こんなモノだけ・・・残ったって・・・。」
改めて、涙がこぼれてきた。愛する人も、友人も、血縁すら失って、残ったのは、こんな鎧ひとつ。力なく、崩れ落ちる。たまらなくなって、
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」
声にならない声で、絶叫を響かせた。その声は周辺にビリビリと伝わり、近くにいた人々を震え上がらせるほどだった。
その後のことは、よく覚えていない。ただ、宿屋に戻り、三日三晩、泣き続けていた。食事も取らず、泣きわめく姿は、彼女を「無力な勇者」という印象を、世間に与えるのに十分だった。
いつの間にか、眠っていた。夢を見た。
リリィの目の前に、たくさんの人々が立っていた。見知った顔も大勢いた。父、母、リュウ、ハセル、セロズ・・・。死んだ家族、恋人、友人たちが、リリィを見つめていた。
(みんな・・・)
近寄って抱きしめたくなる。が、いくら歩み寄っても、距離を縮めることができない。
(なんで・・・)
夢の中でも、泣きそうになる。すると、リュウが微笑んだ。見たことのない、慈愛に満ちた笑顔。その手には、いつの間にか、剣が握られていた。
(・・・?)
よく見ると、父親の方も、杖を持っている。そして2人は、その剣と杖を、リリィに差し出す。
剣と杖には、刻印がされていた。剣には「正しき怒りは正しき力となる」、杖には「最も恐れられるは正道を行くもの」と印字されていた。
(私に・・・戦えって言うの・・・?)
2人はなにも語らず、剣と杖を差し出したまま、微動だにしない。
(私・・・戦えないよ・・・!いっそみんなのところに逝かせてよ・・・!)
誰もが黙して語らない。
(私は・・・勇者なんかじゃ・・・ない・・・。)
死者たちは剣と杖を引っ込めることはしない。皆、優しい笑顔を崩すこともしない。
(独りぼっちで、戦って、どうしろって言うの!?リュウとは違う。私にはみんなの記憶がある。リュウほど前向きになんてなれないよ。世界のためになんて・・・戦えないよ・・・。)
どんなにわめいても、2人は2つの武器を差し出したまま、微動だにしない。
(どうして・・・。こんなことに・・・。)
そのときちらつく、黒い鎧の男。
(・・・カダス・・・)
カダスは笑っていた。表情こそ、金のマスクで見えないものの、あの男の笑いがどこからともなく聞こえてくる。
(生き地獄・・・。あの男・・・!)
こみ上げてくる怒り、憎しみ。改めて、リュウの持つ剣を見やる。「正しき怒りは正しき力となる」。
(私の怒りは・・・、正しいって言うの・・・?)
リュウは微笑みで返す。その剣を、リリィは手に取ってみた。剣は「力」の象徴。父の差し出す杖を見やる。杖は「秩序」の象徴。この2つを手に取ったとき、そのとき、リリィの「勇者」としての運命が動き出す。
(・・・。わかったよ・・・。メアはともかく、カダスは殺す。それでいいんだね。)
リュウが破顔した。声は聞こえないが、いつもの何もかもが楽しそうな笑顔。父を見てみると、父も笑っていた。皆が笑っていた。リリィの旅立ちを、祝福するように。
(みんな・・・。ゴメンね・・・。ありがとう・・・。)
父の杖を取る。「最も恐れられるは正道を行くもの」。その意味はまだわからない。だが、このときをもって、「勇者」リリィ・クリエットは本当に始まる。自分が正しいかはわからない。ただ、みんなの仇を取るため。メア・ヘルヘイムではなく、カダス・ングラネクを倒すために。
久しぶりに空腹を覚えて、目を覚ます。気づけば3日間もまともな食事をしていない。フラフラと宿の食堂に入る。
「おはようございます、お嬢様。お食事も取らないかと、心配しておりましたよ。」
そう言って、シェフは消化のいい粥を出してくれた。空腹のリリィにはありがたい。
「・・・ありがとう。いただきます。」
食堂には他にも数組の客がいて、リリィにどこか蔑みの目を向けていた。そんな目を気にすることなく、数日ぶりの食事を完食する。
「ごちそうさま。・・・そろそろ、出発するから。」
「おお、そうですか。行ってらっしゃいませ。」
そう言う宿の主人も、期待のまなざしなど、持ってはいなかった。
部屋に戻り、散らばった手紙の数々を処分する。家族の遺品となった、青紫の鎧を身につけ、旅荷物をまとめ、リリィはこれまでの宿代を支払って、仇討ちの旅へと出発するのだった。
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