月下秋乃の赦免 其ノ弐


 かくして日嗣の急な登校、そして急な下校によりいつもと比べてほんの少しにぎやかになった本日の学校生活は結局、変わりえしない文芸部部室でめくくられることとなる。


 茶色い木造の戸がレールから外れてしまわないよう丁寧に開けると、中には伸元のぶちかがいた。いつもの指定席に真剣しんけんそうな顔付きで腰掛け、机に片肘をつきながら文庫本を読んでいる。わたしが戸を開けた音を聞いて、ゆっくりとこちらを振り向いた。すると途端とたんと、雲が晴れたような笑顔になる。


「やあ、秋乃。もう少し秋乃が来るの遅かったら暇で暇で気が狂ってだところだよ」


 文庫本をしまいながら軽い口調で調子良くそう言ってくる。


「そうか。ならわたしに感謝しなよ。そいえばその本初めて見るね。新しく買ったの」


「いや、部長に進められて。面白いよ。次、秋乃あきのも読むかい」


 伸元は清々しい笑顔でそう言うと黒色のブックカバーがかぶせられた小説を机の中心に置いた。


 わたし達もまともな活動はしていなくとも一応は文芸部だ。みんな読書が好きだった。こうして気に入った小説を進め合うこともある。


「いいえ結構です」


 わたしは直ぐにそう返す。どうしてと伸元が残念そうな声で聞いてきた。


「どうしてって、部長に進められたってことはどうせサスペンスかミステリーでしょ」


「おっ、流石さすが鋭いね。サスペンスだよ」


「ほらやっぱり。わたしがそういうの読まないの知ってるくせに」


 わたしはサスペンスとか、そういった薄暗い内容の話は人一倍苦手だった。


「そう毛嫌いせず、たまには読んでみればいいのに。これ、部長が進めてきただけあって本当に面白いよ」


「ううん、そう言われても趣味じゃなくて」


 そう言うわたしの口調は、苦しさにあふれていたと思う。実際、伸元がこれだけ進めるなら読んでみたい気もしていた。


「やっぱり殺人とか暴力描写とかが苦手なの」


「暴力描写が苦手なわけじゃないよ。その証拠にマンガや映画のアクションシーンは大丈夫。ただ、暴力を振られた話が苦手なんだよ。あと悲しい話もね」


 だって父のことを思い出してしまうから。内心そうつぶやく。

ああ、父はこんなところでもわたしを縛り付けるのか。再び父に殺意を抱く。今日はやけに学校で父の事を考える。真っ黒で薄汚うすよごれた殺意をわたしは昨晩から何度思い起こしてきたことだろう。


「ごめん。秋乃がそんなに怒るとは思わなかったよ。だから恐い顔しないで」


 伸元がそう急に謝ってきた。そんなにわたしは恐い顔をしていたのか。


「え、怒ってないよ。大丈夫」


「なら良かった。秋乃、誰かを今直ぐにでも殺してやりたいって顔してたからさ」


「え‥‥‥そう」


「いや、冗談。そんな驚いた顔しないでよ」


 そう言って伸元は笑い声をあけだ。わたしもそれに被せるようにして笑う。だけど、乾いた笑い声しか出なかった。


「そいえば部長今日も遅いね」


 そうやって直ぐに話題を切り替える。昨日のあの公園からわたしはまるで犯罪者のようだ。自らの殺意に怯えてしまっている。マグマのように身体の内側から際限さいげん無くあふれてくるこの殺意の扱い方を、わたしはまるで分かっていなかった。


「ああ、部長なら今日は来ないよ。行きたい場所があるって直ぐに帰った。だから今日は二人っきりだよ」


「そう、それはそれで別にいいけど」


 そうはいったものの二人っきりの空間というのはどこか異質なものだった。それから数分間、一言も話さない時間が続いた。お互い、ただ持ち寄った小説を読み進めるだけだった。


 伸元は時々何か言いたげにわたしの方に顔を向けるが、わたしと目が合うと急に視線をとらしてサスペンス小説に戻ってしまう。わたしもわたしで何か話そうとは思うものの、部屋を包み込んでいる静寂に思わずたじろいてしまう。手元のSF小説には一切集中出来てなかった。


 どうして二人っきりだとこれ程までに身構えてしまうのだろうか。鳴り響く心音の中でわたしは自分に問いかける。


 これまでに二人っきりになった事は何度もあった。昨日だってそうだ。だがそれは、全て後に部長がやってくるという状況の中でだった。完全に伸元と二人っきりという状況はこれが初めてではないだろうか。


 そう考えあぐねていると、静寂せいじゃくねた伸元が急に顔を上げ語り出す。


「そいえば、秋乃は遊園地とか好きか」


「そりゃあ好きだよ。それに嫌いな人は少ないでしょう」


 それこそ学校と対極に位置するだろう。昼休みに日嗣が言っていたことを思い出してそんな構図が頭に浮かんだ。


「そうだよね。それで、遊園地といえは有名なデートスポットだ。秋乃は誰か男と行ったことある」


「見て分かると思うけど、もちろん無いよ」


 そう言うと伸元は笑顔になった。


「よしそうか。じゃあ、どうして遊園地がデートに向いてるか知ってるかい」


「そんなの知らないよ」


「これは昨日テレビでやってた話なんだが、遊園地にあるお化け屋敷やジェットコースターといった、絶叫系のアトラクションに乗って不安を感じた人は、誰かと一緒にいたいという気持ちが強くなる。その結果、お互いの親密度が上がるらしい」


「へえ、そうなんだ。知らなかった。それでさ伸元、さっきからずっとそれが言いたかったの」


 わたしが思わずそうたずねる。


「いや、そういう訳じゃない」


「じゃあ、何が言いたいの」


 語気を強めてそう尋ねると、伸元はばつの悪そうな顔になる。すると、一度自分に舌打ちをして、何かを決心したようにわたしに向き直る。


「ええと、何が言いたいかと言うとだなあ秋乃、日曜日一緒に遊園地に行かないか」


 いきなり、そんなことを言ってきた。


「え、ちょっと待ってよ。どうしてデートスポットの豆知識の話からいきなり遊園地に行く話になるのよ」


「いやあ、これといった誘い方が思いつかなくて、つい」


 思わず溜息ためいきが出てしまいそうだった。伸元とは四月に文芸部の見学で知り合って早五ヶ月。かなり気の合う友達だと思っていた。その友達にまさか遊園地に誘われるとは。どうやら日嗣の言っていた青春と言う言葉はどうにもこうにも莫迦ばかに出来ないらしい。


「だいたいどうしてそうなったの。遊園地なんて高校生が気軽に行く所じゃないでしょう」


「在り来たりな話だよ。母さんが知り合いから貰ってきたらしい。その人は独身なのにくじ引きで遊園地のペアチケットが当たってしまって、一人で行く気にもならないからってウチに」


「ああ、そう他にもそのテレビでやってた豆知識があってさ。海水浴に行って電気クラゲに刺されるとさ‥‥‥」


「それはもう知ってる」


 どうやらその豆知識番組は人気らしい。

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