緑青日嗣は猛毒である 其ノ参
「さて、日も暮れて来たし、時間も時間だ。今日はもう解散しようか」
そう気をとりなおして言う部長は、部屋の中に充満している自ら語った噂話が作りあげた
部室の隅から隅まで響くパンという破裂音とその後に訪れる静寂によって空気がリセットされる。それと同時にわたしの中の残虐極まった思考は霧散してしまった。
すると三人が、三者三様の荷物を持ち席を立つ。わたしは地味な茶色の
すると早くも戸の一歩手前にいた部長が立ち止まって、一つ大事なことを忘れていたとでもいうかのように突如として振り返る。あまりに急だったからすぐ後ろを歩いていた
「あっ、ごめんよ。だけど言っておかなきゃならないことがあって。近頃夜になると通り魔が出るらしいから気をつけてってね。まあ、君たちなら深夜まで出歩くことも無いだろうし大丈夫だと思うけど一応、君たちの部長として言っておかないとってね。」
そう
その後を伸元が続く。戸の前で振り返ると、わたしに向かって「じゃあな」と一言。それに対してわたしも「うん、じゃあね」と素っ気なく返す。わたしの返事を聞くと伸元は足早に去っていった。
わたし達は住んでいる街が皆違うため、帰るのは基本バラバラだ。そのため、三人で学校終わりに遊びに行ったりすることは滅多にない。
伸元は校門からバスに乗る。部長は電車通学だ。わたしの家は比較的近くにあるため、このまま歩いて帰る。
校門に出ると、ちょうど伸元の乗ったバスが出発するところだった。伸元は、時間的にかなり危なかったようだ。バスの一番後ろ、誰もいない五人席に一人腰掛ける伸元の姿が見えた。手を振ろうかとも考えたが、わたしに気づく気配がなかったので止めた。
バスが出発すると、バスで遮られていた夕焼けが舞台のスポットライトのように、わたしの真正面から直撃した。反射的に腕を目の前にかざす。全体の半分以上を地平線に沈めてしまっているにも関わらず太陽は依然、忌々しい熱気と光を放っている。
* * * * * * * * *
わたしの家は、監獄だった。
黒色の重たそうで、実はそれほど重くない張りぼてのような扉を開けて玄関に立つとわたしは機械的に感情を
ただいま、という言葉をわたしはこの家で長らく発したことは無い。理由は、言ったところで返事が戻ってくるはず無いから。そして何よりアイツを起こしてしまう危険性があるから。もしそうしてしまった場合、わたしは自分の愚かさを呪った上でさらにその代償までも身をもって体感しなければならなくなる。
さっぱりとして綺麗な玄関には、わたしが脱いだばかりの靴と滅多に履かれないアイツの黒い革靴しかない。
母はいつものように仕事で夜遅くまで帰ってこない。そして問題のアイツは、どうせまだ寝ているのだろう。案の定、閉じきってないリビングの扉の隙間からは耳障りないびきが聞こえてくる。おそらく昨日の明け方に泥酔した状態で帰ってきて、そのままリビングのソファーで就寝したのだろう。いつもの事だ。
酔って帰ってソファーで睡眠。それがわたしが最も忌み嫌う生物、わたしの父親の生態だった。
だが父親とはいっても血は繋がっていない。あくまで戸籍上の、義務的な繋がりがあるだけ。それが
わたしはそれ程、父を嫌悪していた。
父を起こさないように、細心の注意を払いながら廊下を進んでいく。大切なのはつま先から踵までをゆっくりと、床板に足を
階段を登り、二階の自室に無事到着して胸を撫で下ろす。
これがわたしの生活だ。父を怖れ、遭遇しないことをただ願いながら自室に向かう。こんな生活になってからわたしは普通を忘れてしまった。普通の女の子に与えられる自由は、わたしにはもう存在しなかった。
骨張った肩に持ち手が食い込んでしまっている鞄を降ろすと、セーラー服姿のままであることを気にもとめず、朝起きたときと全く同じ形状であるベッドに横になった。
ここはこの家唯一の安息地帯。この部屋には母も父も、どういう訳か入って来なかった。それは思春期の娘へ向けるほんの僅かに残った気遣いからか。
少しだけ休みたい。そう思った。学校から帰ったらいつもそう思うが今日は
彼女は両親を殺された。そう無表情な部長が告げる。
同時に
両親を眼前で殺されたのだとしたら少女は、どうしてあのような笑みを浮かべられるのか。だとしたらあの笑みは偽物なのか。
むしろあの目、あの瞳は笑っていたのか。
そしてなぜ彼女は今更学校へ現れたのか。
それらが重なり合い、一つの疑問が寝ぼけたわたしの脳味噌に構築される。
そう自問したところで、わたしの意識は完全に夢へと紛れた。
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