とにもかくにも売り子デビュー7

 しかし、今はいつもとは微妙に違った空気が流れていた。フリッツは店主であり師匠でもあるアーシュが次第にイライラしていくのを肌で感じていた。

 これでも長い付き合いなのだ。アーシュの機嫌の良し悪しを判別することなど朝飯前だ。

 それにフリッツ自身もメイリーアとルイーシャの二人については気にかけていた。何しろ行き先が行き先なのだ。『私の花園』などと一見かわいらしい名前をしているがその実店を経営しているのは元傭兵上がりの屈強な大男、レオンという男である。昔は数カ国の内紛地帯を渡り歩く凄腕の傭兵だった彼が目をつぶされ傭兵稼業を終うとなった時、余生は大好きな可愛いものとお菓子に囲まれて過ごしたいと一念発起をして第二の人生を歩むべく開いた店なのだ。見た目を裏切る乙女の趣味だが、強面が災いして今のところ店の内装とは裏腹に常連客は男のみである悲しいカフェなのであった。

「おそいですねぇ」

「なんか言ったか」

 フリッツの言葉に何かを感じ取ったのか、アーシュが言葉を返してきた。やはり彼自身気になっているようである。

 その時。入口のベルがカランと鳴った。二人して注視するも入ってきたのは客だった。手際良く接客をして客を帰すとまた店内に静寂が訪れた。

「心配するくらいなら最初っからお使いなんて頼まなきゃいいんですよ」

「うるっせぇな!自分の落とし前は自分でつけるのが筋ってもんだろ」

 アーシュが語気を荒げた。こういうとき彼は多少なりともバツが悪いと思っているのだ。意趣返しのつもりなのだろうが良心は痛んでいるのだ。だったら最初から一緒に行くとかすればいいのに、とフリッツは内心でつぶやいた。

 どうにも悪役になりきれていないのがこの間から見て取れる。

「それは分かっていますよ。けれどね…気の毒ですよ。貴族のお嬢さんにアレは毒です」

「おい、それはレオンにひどいぞ」

「得意先兼飲み友達をかばいたい気持ちはわかりますけど、普段から紳士などしか接する機会のない令嬢にあれは衝撃度満載といいますか、未知との遭遇といいますか」

「フォローになってないぞ、それ」

 さすがにレオンが気の毒になりアーシュはつっこみを入れた。

「大丈夫ですかね…。彼も悪い人間ではないですが、あの店男性客ばかりですし。若いお嬢さん方二人でよもや取り囲まれている…なんてことに……」

 はぁ、とフリッツは少し大げさにため息をついて見せた。

 開店当初こそかわいらしい外観の店構えに騙されて女性客も店を訪れていたが全員店主の顔と格好を見て卒倒するか泣き叫び出す者が続出して今では男性客しか寄りつかないカフェなのだ。たまに旅行客など一見の客が知らずにはいることはあるが、たいていは先述の通りの結果となる。

「だぁぁ、もう!分かったよ」

 観念したかのようにアーシュは店を飛び出した。

 どうせ気になって仕事も手につかないくせに、最初から素直に一緒に行くかさっさと迎えに行けばよかったのだ。

 まったく、素直じゃない師匠を持つと弟子も大変なのである。

 フリッツ自身も失敗続きではあるがきちんと店に出勤する二人には好感を持ち始めていた。できればこれ以上師匠の心象が悪くなってほしくはなかった。



「おいっ。うちのもんが来ているだろう」

 早足で外を駆け抜け『私の花園』に到着したアーシュはいささか乱暴に店の扉を開けはなった。

 いつも思うが外観と客層が合っていないカフェである。店の常連はきゃっきゃしたお菓子大好きな女性客ではなく、レオンを慕う舎弟のような柄の悪さを押しだしたような男ばかりであった。

「えぇぇっ!メイリーアちゃんてば『小鳥屋』に行ったことがあるのか?いいなぁ。俺も一度は行ってみたいんだけど勇気がでなくて」

「でもでも、毎月数日間限定で提供されるケーキセットはまだ食べたことがないのよ」

「だったら今度一緒に行こうよ。女の子が一緒だったら俺でも入店拒否されない気がする」

「いいわね。ルイーシャも一緒に行ったらそのほかにいくつかケーキ頼めるし、何種類もちょっとずつ食べるのってあこがれていたの!」

 店の奥から聞こえてきたのはきゃっきゃと楽しそうにケーキ談義をするレオンとメイリーアの声であった。しかも彼女の前には空の皿とカップが置かれていた。

「おーい、レオンの旦那。『空色』の旦那が見えてますぜ」

 お菓子談義に花が咲きすぎて仕事を忘れている店主に客の一人が声をかけた。禿げているのか剃っているのか判別のつかないつるりとした頭が特徴的なこの店の常連客の一人である。食べているのはアーシュ特製のケーキだ。

「ああ、悪いな気付かなくて」

 そう言いながらレオンは立ち上がってアーシュの方へ歩いてきた。

「で、どうしたんだ」

「どうしたもこうしたも…」

「あら、アーシュじゃない。どうしたの?」

メイリーアも店の奥のテーブル席で小首をかしげている。

 その表情からは怯えなどは感じとれず、いたって平然としているようである。

「おまえらの帰りが遅いから、迎えに来たんだろうっ!何サボッてやがる」

 人の気も知らずに呑気なものだ、と思えばつい憎まれ口が口から出てしまう。

「そうだった、お前に言いたいことがあるんだった」

 急に声を低くしたレオンがアーシュに二の句を継がせず割って入ってきた。

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