とにもかくにも売り子デビュー8
「なんだよ」
「おまえ、俺の心臓を砕く気かぁぁ!目の前で女の子が失神するだぞぉぉ!おれは、おれはただただ女友達がほしいだけなのにぃぃぃ!」
わぁっとレオンがまくし立ててきた。
なるほど、姿の見えないルイーシャはどこかで横になっているのか。それは悪いことをした。
「それは…その…」
「てめぇ、俺が悩んでんの知ってるよな?知っててメイリーアちゃんとルイーシャちゃんをけしかけただろ」
レオンが至近距離で詰め寄ってきた。もちろんメイリーアには聞こえていないようで椅子から立ち上がってきて申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさい。その…ルイーシャが気を失ってしまったものだから。彼女が目を覚ますまで休ませてもらっていたの」
「ちゃっかりおやつまで食べてか?」
「ううう、それは…ごめんなさい。私が『空色』のお菓子を食べたことないって言ったら絶対に食べるべきだってレオンが言うものだから、つい。あっ、でもちゃんとお会計はするわよ」
いたずらが見つかった子供のようにメイリーアがアーシュのことを見上げた。いつものように反抗的ではなく珍しく素直な謝罪だった。さすがに勤務最中に油を売っていて悪く思っているようだった。
「おい、俺との話の最中だろう」
レオンがアーシュの襟をぐいと掴んだ。
確かに普段から可愛いもの談義をしたいのに肝心の女性に逃げられる、目を合わせてくれない、目の前で失神される、泣かれるとめそめそしているのを知っているだけあって、アーシュは目の前の男が割と本気で傷ついているのを感じとった。
「悪かったレオン…お前の気持ちまで考えてなかった」
アーシュは素直に謝った。
「ルイーシャちゃんのおびえる瞳が脳裏にこびりついた、この俺の繊細な心をおまえちゃんとわかってんのかぁぁぁ」
そうまくし立ててレオンは床に膝をついた。嘆き方がいちいち面倒くさい男なのだ。声も大きいのでうるさい。
アーシュはうんざりとして耳を塞いだ。
「レオンさん泣かないでください」
「そうですよ!レオンさんのかっこいい伝説俺大好きです」
「そうそう、レオンさんが昔山奥で熊相手に素手で打ち勝った話大好きです」
別のテーブルにいた常連客らがなぐさめに入った。常連客もレオンに違わず物騒な成りをしているが、全員気のいいやつであることをアーシュは知っている。レオンと常連客を巻き込んでの深夜のカード大会は恒例行事である。もはやカフェの様相はないけれど。
「熊…」
メイリーアがぼそりと呟いた。無理もない。お嬢様にはさすがにこの状況と会話の内容についていけないだろう。
「てめぇら!メイリーアちゃんの前でナニ人の黒歴史あばいてんだ?ごらぁぁぁぁぁ」
素早く立ち直ったレオンはどかどかと大股で店内を移動して今しがた彼が言うところの黒歴史を暴露した男を締め上げた。締め上げられた男は早々に気絶をする寸前である。慌てて周りの男どもが仲裁に入っているのを横目に、アーシュは一息ついてメイリーアの隣に移動した。彼の別の一面を目の当たりにしてあっけにとられているようではあるが怯えている風ではなかった。
妙なところで肝の据わった娘だな、とアーシュは内心感心した。
「おい、おまえは大丈夫だったのか」
アーシュは小声で声を掛けた。
メイリーアはアーシュの声に反応して彼の方を見上げた。
「ええ。最初はちょっとびっくりして固まっちゃったけれど。ルイーシャが倒れてしまったあとはそれどころじゃなかったわ。彼女の主人としてわたしまで倒れるわけにはいかないもの。これしきのことで動揺するわたしじゃあないのよ」
最後は胸を張って答えたメイリーアである。
「で、そのちっこい方はどこにいるんだ」
「ええと、お店の中だと落ち着かないからレオンに運んでもらって今は別室で休んでいるわ。そろそろ起きるころかしら?」
「もう少し心配してやれよ。お嬢様の暴走にもつきあってくれる侍女なんだろ」
「失礼ね。…暴走なんてしていないわよ」
アーシュの言葉に文句が帰って来たものの多少の自覚はあるのか、その声はいくぶん控えめだった。
「ちゃっかりおやつまで食べて」
「だって…お腹すいたのよ。それに…前から食べてみたいと思っていたのよ。あなたがつくったお菓子。お店に置いてあるものだってどれも美味しそうだし…。我慢するの大変だったのよ」
メイリーアは膨れながら答えた。
一方のアーシュも思いもかけない賛辞の言葉に頬が火照るのを自覚した。不意打ちでこんなことを言われるとは完全に予想外だった。てっきり貴族のお嬢様たるメイリーアは下町の菓子屋の作るものなんて歯牙にもかけないと思っていたのだ。
「そう…か。」
美味しそう、と言われると悪い気はしない。自然頬が緩むのを感じて、慌ててアーシュはごほんと咳払いをした。
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