とにもかくにも売り子デビュー3
見たことがあるのと実際に自分がやってみるのとでは大違い、ということをメイリーアは勤務初日に嫌というほど味わった。箒を持ってみれば辺りに埃をまき散らすだけだったしはたきを渡されてもそれが一体何に使うものなのか分からなかった。
『空色』は小さな店で焼き菓子はカウンターのガラスケースの中におさまっていて、客から注文を受けると売り子がそれらを袋に入れていく。聞き洩らしたり数を間違えたりすることも多々あり、そのたびにアーシュに叱られた。
暇なときはぼぉっとしてないで自分で仕事を見つけて動け、と言われたので覚えたての掃除というものをしてみたら商品に埃が飛び散るだろうとはたきを取り上げられたこともあった。
そんな風に毎回何かしらやらかしてアーシュとフリッツに大きなため息ばかりつかれてしまい、今日こそはを意気込んで出勤したのだ。
それなのに―
よりにもよって職人が一生懸命に作った品物を台無しにしてしまうだなんて。まだ箒で掃くことに一生懸命になりすぎて馬車にひかれそうになったほうがましかもしれない。
空色がある路地は細いので馬車なんて通れそうもないのだけれど。
つくため息は自己嫌悪のそれだ。どうしてうまくできないんだろう、何度も思った。
「あーあ、私売り子に向いていないのかしら」
「姫様はこれまでこの国の第三王女殿下です。売り子に向いていないと落ち込む必要なんてありません」
「そんなことないわよ。第三王女なんて肩書き『空色』じゃなんの役にも立たないもの」
「ですからそれが不要なことなんです」
ルイーシャの苦言にもメイリーアはどこ吹く風だ。今はそれよりも『空色』での失敗のことの方が最重要事項だった。この際王女に必要ないとかあるとかは関係なのだ。
「あーあ、掃除の練習でもしたほうがいいのかしら」
メイリーアは呟いた。頭の中は完全にできる売り子になるためにはどうしたらよいか、そのことでいっぱいだった。
王女であるメイリーアが掃除の練習など始めたらそれこそ王宮中が大騒ぎになるだろう。
「今度誰かに掃除のコツでも習おうかしら」
ルイーシャはどうしたら主人の暴走を止められるのか困惑顔である。
と、その時扉が控えめに叩かれた。ルイーシャが慌てて扉の方へ向かう間もなく開かれて一人の女性が部屋の中へと入ってきた。
「あらあ、メイリーアったら」
お行儀の悪いところを姉に目撃されてしまった。メイリーアはあわてて居住まいを正した。
「お姉さま」
「アデル・メーア様」
メイリーアとルイーシャが同時に口を開いた。
そこには麗しの金色の姫君アデル・メーアが微笑んで佇んでいた。
「最近忙しそうね」
そう言ってにこりと笑う姉にメイリーアはうっと言葉を詰まらせた。
相変わらずこの姉の笑みは妙な迫力があるのだ。こういうのを大人の色気というのだろうか。だったら自分はまだまだ敵わないな、と思うメイリーアだった。
「それは…その…、そうかしら?」
とりあえずメイリーアはしらばっくれることにした。
「ふふ、この前の脱走騒ぎからまだ一週間もたっていないのじゃないかしら」
楽しそうなアデル・メーアの言葉に寝台に腰をかけたままのメイリーアは身じろぎをした。メイリーアの良き理解者でもある姉は彼女の脱走癖については何も言わない。しょうがないわね、と言いつつも放任してくれているのだ。そういう意味ではアデル・メーアは良き理解者でもあり、協力者でもあった。
「お兄様はまだ怒っている?そういえば最近姿を見ないけれど」
「ああレイスね。彼は今頃まだ執務室に缶詰じゃないかしら。もうそろそろ年の瀬に向けて仕事が山積みなのに相変わらずあなたのことばかり追いかけまわすんだもの。手を回してやったの。大臣たちにもよぉく言っておいたししばらくはおとなしく政務に励むでしょう」
アデル・メーアからみれば一歳下の弟であり、メイリーアにとっては兄にあたるのがレイスハルトでれっきとしたこの国の王太子なのだが、姉妹間の認識として共通しているのはちょっと困った弟(兄)だ。
「ちょぉっとお茶の時間忘れちゃっただけなのに、あんなにも大挙として親衛隊のみなさんを送り込むんだもん。つかまったら絶対に一週間は外出禁止よ?逃げたくもなるわ」
先日の追いかけごっこを思い返してメイリーアはげんなりとした。
「一週間で済めばいいけれどね」
「やめてよ…」
まぜっかえした姉にメイリーアは本気で嫌な顔をした。あの妹溺愛の兄なら平気でメイリーアを自室に軟禁くらいやりかねない。一昨年メイリーアにとってすぐ上の姉であるシュゼットが北にある隣国にさっさと嫁いでから余計に妹バカがひどくなったのだ。姉シュゼットへ向かっていた愛までこちらにきてしまいいい迷惑をしているのだ。
「あの子も色々と心配しているのよ。あと、政務で疲れているんだからたまにはちゃんとお茶の時間くらい付き合ってあげなさい」
「…はあい」
メイリーアはかわいらしく返事をしてぺろりと舌を少しだけ出した。
そんな妹姫のほほえましい様子を見つめながらアデル・メーアはさらりと切り出す。
「おてんば姫は王都にお友達でもできたのかしら。本当に最近良くお出かけよね」
「えっと…、何言いだすのよ。お姉さまったら」
「ふふふ。元気がいいのは良いことよ。無くなったお母様もあなたのことを気に掛けていたもの。けれど…あまりみんなに心配させちゃだめよ」
にっこり微笑んで、メイリーアの頭を軽く撫でてからアデル・メーアは部屋を後にした。
もしかして全部ばれてるのではないだろうか。この城でおそらく一番のつわものである姉の行動力の底知れなさを想像してみて、けれどやっぱり考えるのは怖くなってメイリーアは寝台に入る準備を始めた。
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