とにもかくにも売り子デビュー2
「それは…確かにそうですけど。本当に申し訳なく思っているようでしたよ。細かいくずは箒を使っていましたけれど、形の残っているかけらは自らの手で集めていましたし、ごめんなさいって謝りながら廃棄していましたから」
「ふうん…」
そういう風に話すフリッツはすっかりメイリーアらに肩入れしているようだった。
アーシュが出て行ったあとのことをきちんと耳に入れてくる。店で働くようになって、喧嘩も多いけれど彼女はアーシュが今まで知っている貴族の令嬢とは少し違っていた。変に気取ったところがないし、庶民とは話なんてしませんという居丈高な態度もなくきちんと目を見て話をするのだ。フリッツとも変に壁を作らず教えてくれたことにはきちんと礼を述べているのをアーシュは目撃している。
なんていうか調子が狂うのだ。もっと高飛車な典型的なお嬢様だったらこっちもやりやすかったのに、これだとアーシュの方が一方的にいじめているみたいではないか。
しばしの沈黙の後、ようやくアーシュは本題を口にした。何度も口に出そうとして迷って、言葉を探して、結局ついて出た言葉は短いものだった。
「あいつ…、その…。大丈夫だったのか」
「えっと?」
「だから、あいつだよ!天板熱くなかったのか」
なんで自分がこんなこと、とつい語気を荒げた。
「ああ、そのことですか。大丈夫でしたよ。ちゃんと冷めてましたし、念のため着替える時に確認してもらいましたけれど、なんともなかったそうです」
「あ、そうかよ」
「あとから気にするくらいなら最初から心配しておけばよかったんですよ」
「うっせ」
にこにこと楽しそうな弟子の態度にアーシュは悪態をついた。
「すぐに根を上げて来なくなると思っていましたけど、まあ頑張るじゃないですか彼女」
僕は嫌いじゃないですよ彼女のこと、そう言ってフリッツは本格的な閉店作業をするために売り場の方へ戻って言った。
残されたアーシュはそのまま黙って座ったままであった。
確かにどれだけ怒っても泣いて次から出勤しないなんてことはなくアーシュとも対等すぎるくらいに口をきいていた。もともと菓子好きなのか店の商品名を覚えることだけは早かったし、味や材料を客に聞かれるときだけははきはきと答えていたりもした。
根を上げずにきちんと通ってくる姿勢は評価しなくもないけれど。
アーシュの注意にも一応きちんと耳を傾けているし、言ったことはまっとうしようとする心意気も感じられる。
それでも自分だけに対する不遜な態度といい、口応えといい、仕事も満足にできないくせにという思いは止められないのだ。自分から言い出した癖に何をやっているんだ、泣き顔の一つでも見れたら満足するのか。アーシュは顔をゆがめてくしゃりと自身の前髪をかき上げた。
「ああー、今日も失敗ばかりだったわ」
晩餐の後、談笑もそこそこに自室へと戻ったメイリーアは部屋付きの侍女たちを早々に下がらせて盛大に寝台に飛び込んだ。
アーシュの経営する菓子店、『空色』で働き始めてからの最近のメイリーアの習慣だった。身も心もくたくたなのだ。主たる原因は自分自身なのが悔しいところではあるが。
「姫様、お行儀が悪いです」
ルイーシャにとっては歓迎できるはずもない新習慣なので、毎回寝台に飛び込むごとに小言がついてくる。
「だぁって…」
ごろんと横になって天井を見上げる。天井を通り越して脳裏には今日の出来事が走馬灯のように蘇った。今日も失敗をした。その前も、その前だって。一日だって平和に仕事を終えた日はなかった。
思いがけず『空色』で働くことになったメイリーアは当初高をくくっていた。確かに売り子は未経験だったけれど、王都の菓子店に何度も通っている身なのだ。売り子がどういった仕事をしているのかは分かっているつもだったし、自分だってうまくやれると思っていた。
意気揚々と出勤して華麗に仕事をこなしてアーシュの鼻を明かしてやるつもりだったのだ。ほうら、わたしだってこれくらいできるのよ、と。
しかし現実というのはかくにも世知辛いもので、メイリーアを待っていたのは当初の予定とは正反対の日々であった。
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