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 後生大切に抱えておくはずだった過去は、あっさりと消え去ってしまった。


 この先長々と続くであろうことを予期されていた我々の未来は、ある日唐突に、誰も予想していなかった形で消え去ってしまったのである。


「――――や、何度考えても酷い話だ。損得勘定でいけばぶっちぎりで赤。

 こちとら慈善団体じゃないんだからさ。もうちょっとこう、何かねえの? いや、あるべきでしょう」


 時刻は午前九時。天気は快晴。

 埃の舞う図書室には気持ちのいい日差しがさしこんでいる。

 平穏の光は年季の入った書物特有のにおいと調和していて、今この場は最高に心地のいい空間となっていた。


 パラリとページを捲る音。

 文字を眺めているためか、それとも単に眠いのか。

 細く目を伏せた悪魔が、のんびりとこちらのぼやきに応じる。


「人生だいたいそんなものさ。歩いてれば突然お金が降ってくることもあるし、代わりにナイフが飛んでくることもあるでしょ」

「いやねえよ」

「要は偶然ってことだよ。万物は偶然。だからこそ、ボクらに求められるのは『そこでどうするか』ってことなんだと思うんだよね」


 本だな一つを隔てて向こう側。

 窓に一番近いところで、エリオはのんびりとくつろいでいる。


 あまり広くはない図書室だった。本棚は夥しい数の蔵書で埋め尽くされており、さらには床にまでなだれ込んできている。無造作に積み上げられ乱立している本のタワーは凶器に近くて、地震でもあれば間違いなく俺たち二人とも生き埋めである。


 まぁ、死にはしないだろうが。


「不運を嘆くも良し。逆境に立ち向かうも良し。起こってしまった物事は偶然だけれども、そこにプラスの気持ちで臨むのか、マイナスの気概で立ち去るのかはボクらの手の内――つまり選択の余地のある領域の話だってこと」

「おいまず前提がおかしい。お前が連れてきたんだから必然だ。必然のマイナスイベントだぜこれ」

「あ、バレた? ごめんごめん」


 ぺろりと舌を出し、薄っぺらい謝罪の言葉が出てきやがる。


 もっともらしいことを言って煙に巻こうとするその論理展開はまさに詐欺師の手口である。顔が可愛くなかったら殴ってるところだったぞお前。


「前から言っているけれど、ボクも分からないんだってば。

 可哀そうだとも思うし、助けてあげたいとも思うよ。ボク、イツキのこと好きだし」


 言って、大げさに肩を竦める子ども魔術師の影。

 その低年齢を利用した仕草にイラッとする。


「あ、また怒ってる。イツキのそういうとこ、ボク嫌いだなあ。ほら笑顔笑顔」

「……そうやって人をおちょくんのやめろ。性格悪いぞお前」


 おどける様にしてこちらに笑顔を向けてくる子供に、咎めるような口調で忠告を下す。


 何が嫌いって、こういうところが嫌いなのだ。愛くるしい外見を利用しつくす精神。悪魔みたいな内面のくせして、一丁前にガキの特権を振りかざす性格の悪さは正直いただけない。


「イツキが面白い反応するからいけないんだよ。ほら、ヒツジを前にオオカミが止まれるわけないでしょう? つまりはヒツジであることが悪いんだよ」

「おまえ最悪。暴論すぎていじめっ子の鏡にしてやりたい。……いい加減にしないと本気で怒るからな」

「……ふふ、イツキのそういうとこ、ボク好きだよ。

 まぁからかいすぎたね。うん、大丈夫、安心していいよ。絶対に君は帰してあげる。だから安心して頑張ってくれたまえ」


 そう言うと、生意気なガキはピタリと口を閉じた。

 本棚の向こう側からは本を捲る音しか聞こえてこない。


 仕方なく、こちらも手元の分厚い本を読み解く作業へと戻る――――。


 ■


 荒唐無稽な話を信じるのならば、ここは地球ではないらしい。

 付け加えると、夢幻ゆめまぼろしたぐいなんじゃないかと思っている。


 数日ほど前に、俺はこの世界に拉致された。

 事前通達も前触れもナシ。気が付くとワケの分からないところに飛ばされていて度肝を抜かれた。アレだ。物語とかだと宇宙人は空から変な光で人類をさらっていくらしいが、現実はもっと恐ろしいということだ。


 理由も過程もすっぱ抜かれて辿りついた世界は、目を覆いたくなるような異世界だった。

 なにせ魔法なんてものがある。

 これは比喩でもなんでもない。いや、比喩や虚言の類ならばどれほど良かったことかと思わずにはいられないのだが――――うん、益体のない仮定はやめよう。

 とにかく存在するものは存在する。実際に目で見たし、この身で味わったからにはもう信じるしかないのだ。悲しいことに。


 魔法を使うには魔力が必要らしく、当然ながら地球に魔力なんて物質は存在していない。

 つまるところ、ここはもう地球とは縁もゆかりもない異界なのであった。ぐすん。


 魔法が存在するなんて時点でもう頭はパンクしていたが、まだまだ詰め込まなければならない情報が山ほどある。


 まず世界観。剣と魔法で実にファンタスティックだ。

 魔物なんて存在がワイワイやってるせいで、現代において何ら必要性のなかった戦闘技能がここでは非常に重視されている。なんと義務教育の必須科目にもなっているらしい。血気盛んだ。


 それと種族。二足歩行動物の種類が豊富すぎる。

 類人猿が王座に君臨していた我らが母星と違って、この世界では知的生命体がとても多い。

 それは黒人と白人などという些末な差異ではない。種族が違うというからには、身体の器官からして別物なのだ。パッと見た限り人間に似ているのだが、やけに耳がイヌイヌしかったり、尻尾が生えていたり、四頭身しかなかったり、中には全身毛皮なんてのまでいる。端的に言えばケモノ度が高いのだ。

 そんな種族だけで既に十数種類と存在しており、そこに更にこの世界特有の動物植物が追加されるというのだからたまったものではない。もう見るモノ全てが新発見だ。ダーウィンが見ればビックリしてショック死するだろう。もう死んでるが。


 あとは文明。こっちは地球よりも遅れている……ようでいて、妙に卓越した部分もあったりするという、まさに闇鍋のごときごった煮具合。

 どんなものかと言われると、鉄筋コンクリートの建物や電気機器は存在していないけど、空飛ぶ馬車や万能の秘薬なんてものがゴロゴロ溢れてる感じ。公共的な利便性の代わりに、一芸特化に全力を注いだ珍妙さが見どころ。

 科学の代わりに魔術が発達した結果だよ、なんてことをエリオは言っているがまったくその通りだと思う。こんなに便利なもんがあるなら科学なんていらんわ。


 ……他にも違いなんて腐るほど転がっているのだろうが、生憎列挙れっきょできるほど俺はまだ詳しくはない。

 なにせこの異空間へ来てからまだ数日。人生それなりに生きてきたつもりだけれど、物理法則からして違う場所へと放り出されてしまったのだ。生まれたばかりの赤子に等しい。


 いやむしろ、無駄な地球知識なんてものを持ってしまっているだけに、ちょっと目眩がしてきているというのが非情な現状でありまして。


 ■


「ダメだ。ワケ分かんねえ」


 本と果敢に格闘すること数時間、ついに投げ出した。

 むしろよくぞここまで頑張ったと褒めてほしい。なにせ敵は読ませる気が皆無の難読書。読者として俺はやれるだけのことをやったのだ。

 両腕を広げ、ゴロリと床に寝転がる。


「うわ、地べたで寝るのは感心しないなあ。ここあんまり掃除してないんだからね? あと本は大事に扱ってほしいな。ここにあるヤツって結構高価らしいから」


 本棚の向こうに見える、んーっと背筋を伸ばす影。

 読書に飽きたのか、息抜きがしたいのか。エリオは椅子から立ち上がるとこちらへと歩いてくる。


「それで? 何が知りたかったの?

 ……ってあぁ、朝から何読んでるかと思ったら、歴史書なんて呼んでたんだ、イツキ。そりゃ頭も痛くなるさ」


 読んでいた本を拾い上げ、くすくす笑うエリオ。

 綺麗な白い細指でページを捲りながら、楽しそうに本を眺める。

 それを寝転がった状態より、逆さまになって仰ぎ見る。


 エリオ=ミッドカイン。俺の異文化で出来た初めての知人であり、目下この世界での唯一の友人だ。

 ちなみに魔術師なんてのをやっている。


 年齢はだいたい一三歳から十五歳ぐらい。流れるような長い黒髪と、男の願望を叶えたような美貌を備えている。だが血迷うことなかれ。こいつは男だ。完膚なきまでに男だ。実際に確かめた俺が言うんだから間違いない。


 華奢な体躯を包む、混じりけのない長い黒のローブ。

 濡れた烏のごとき純の黒髪と相まって、まるで御伽噺の魔法使いのよう。

 なのに感じるのは、陰気というより気品だ。

 完成された工芸品。鑑賞されるための美しさ。質素なはずの単色の布は、中身を映えさせるための魅力と成り得る。


 そんな、もうこれ以上ないってくらい美人のくせして、エリオは男なのである。

 くそう。さらば俺の一目ぼれ。


「一番信じられそうな本を選んだんだよ。古けりゃ古いほど情報は確実だし、厚けりゃ厚いほど詳細な知識が得られるだろ」


 いや、完全に裏目に出たけども。こんだけ表紙がカビ臭くて、んでもって分厚いとなればめちゃくちゃ重要な本かと思ったんだ。結果はまぁ、エリオから少し聞いた話と大差のないただの歴史書だったというヲチなわけですが。


「だいたいアレだ。お前の説明がふにゃふにゃなのが悪い。異世界初心者なんだから、もうちょっと詳しく解説とかできねえの?」

「だーかーら、ボクは専門家でもガイドでもないって言ったでしょ? イツキのパートナーであり、友人であり、協力者だよ。

 それに、言われたことをそのまま鵜吞みにするほどイツキ、人を信用してないでしょ?」


 エリオは試すような流し目でこちらを見ている。うーん、全くもってその通り。一方向からの情報を頭から信じれるほどこちとら日和ヒヨってはいない。外国に行った日本人がスリを警戒するように、異世界に来たばかりの俺は疑心暗鬼状態なのである。


「そんなイツキにとってみれば、知りたいことは自分で調べるのが最高効率だと思うよ。

 ……まあ? イツキがボクのこと信用してくれるっていうのであれば、なんでも教えてあげるんだけど」


 ぺろりと舌を舐める仕草。その妖しさは毒婦のよう。

 相手が男だということすら間違えてしまいそうなほど様になっているのでホントやめてほしい。コレが男だということすら間違えちまいそうだ。悪魔だと分かっているのに心を許してしまうという矛盾。ホント、はやく直しておかないと。


 だが、エリオにこちらを騙そうという気がないのは、ここ数日でなんとなくだが感じ取っている。コイツはコイツなりに、俺の力になりたがっているようだ。

 ただ、そのコイツなりってのが大問題のため、絶対に最後まで信用してはいけない。多分だが、そんな予感がしてならない。


 要は、用法容量を気にして使うべきクスリだということだ。


「……とりあえずさ。魔法について教えてくんない? 色々読んでたんだけど、ここだけは誰もが知ってること前提なのか詳しく書かれてないんだよ。ほら、魔法なら実践可能だし、お前得意だろ?」

「ん、んん……まぁいっか。魔導については知らなきゃいけないのは事実だし。それで? 何から知りたい?」

「魔法と魔術が別物だってところから。おかしくないか? 違わないだろ、これ」

「む、イツキってば喧嘩売ってるでしょ。昨日そこら辺のことは説明してあげたのになぁ……。

 いい? 魔術はを変えるものなの。ちょっと特別なだけの道具に過ぎない。手段自体は魔の力を帯びているけれど、結果として起こせるのは自然法則に則った、至極当たり前のものでしかないんだ。

 対して、魔法はを変える――――方法だけじゃなくて、結果として現れるものすらこの世のものではないんだよ。

 前者は過程が奇跡なだけであって、後者は結果すらも奇跡になる」


 奇跡に迫るものが魔術で、起こすものが魔法。

 だから魔法の方が魔術なんかよりずっと凄いんだよ、と語るエリオ。


 こいつはこんなガキのくせして、そこそこ偉い魔法使い――――訂正、魔術師さんらしく、どうやら魔法論議については一家言お持ちのご様子。魔術専門の小姑のようだ。


「……手段と結果が別のモノったって、魔術ですら何もないところから炎だの水だのを出せるんだろ? それが奇跡じゃなくて何なんだよ。熱量や原子はどっから来てんだって話になるじゃないか」

「いや、何もないわけじゃないよ? そこに魔力の素である魔素がある。

 イツキのいた世界では化学って呼ばれてる学問があったんでしょ? こっちでは錬金術の分野に含まれるヤツだ。アレの定義では、世の中全ての物質のモトは、原子の構成要素である素粒子ってことになってるらしいけど――――そこが違うんだよ。

 この世界じゃあ魔素が最少単位だ。あ、いや、素粒子自体もあるにはあるんだから、魔素は物質界のワイルドカードとでも言えばいいのかな。

 魔素というものを、魔術という鋳型いがたに流し込む。そうすることで不定形だった魔素が形を得て、結果、発火や発水といった現象を起こすんだよ。その型を入れ替えることで起こる現象は入れ替わり、また魔素の種類によっても現象ごとに差が出たりする――――魔術ってのは大体こんな仕組みさ」


 なるほど。だからワイルドカード。

 魔素ってのはつまるところ、変換方式を変えてやれば万物になり替わることの出来る万能物質ということだ。

 強引に化学で解釈するのなら、魔術では核融合が行われていると考えればいい。魔力というものを魔術フィルターを通すことで、酸素原子や水素原子に作り変えている。


「――――なんだよ、それなら魔術で全部事足りるんじゃないか。

 起こしたい現象によって、こう、ゲームのカートリッジみたく魔術ってのを組み変えていけばなんでも作り出せるんだろ?」

「うーん……まぁ確かにイツキが言った意味では、この世に魔術で不可能なことはないよ。やりたいと思ったことのおおよそは魔術で実現可能だ。なにせ手間と時間さえかければどんなものでも手に入れられるのが魔術だからね。

 ただそれでも、魔術と魔法は全くの別物だ。魔術は物理法則を飛び越えることはできるけど、既存の現象以上にはなれないんだから」


 ……想像がしづらいためか、頭痛がする。

 そもそもホウキで空飛んだりするのが普通なんてのがおかしい。俺にとっては魔術も魔法も、どっちも超常のものとしか思えない。元々のところからして、現代科学によって鍛えられた脳みそには毒でしかないのだ。


「要は、魔術はありふれてるけど、魔法は稀少レアってことだな」

「むう……簡単にまとめるのはよくないと思う。

 ま、今は簡単にさわりだけ理解してくれてればそれでいいさ。どうせ後でイツキにも魔術には触れてもらうしね。何しろこれが出来なきゃ生き残れないもん、この世界」

「え、何、俺も魔法使いになれんの?」

「魔法使いじゃなくて魔術師、ね。

 と言うより、もうイツキだって魔術使ったことあるんだよ? 覚えてない?」

「少なくとも今の俺は魔法なんて使えねえからな」

「……そ。まぁ安心してよ。ちゃんと教えてあげるから」


 これはまた明日にでも話せばいいか、とエリオは持っていた本を近くのタワーの上に積んだ。タワーは身長が伸びて重心がズレたため、ぐらりぐらりと揺れはじめる。真下に寝転がってる俺、ピンチ。


「――――それにしても、イツキは飲みこみは早いのに妙なところで頑固だよね」


 と、エリオが試すように問いを投げかける。


「常識がどうのとか、これはこうあるべきだ、とかさ。わざわざ無駄な知識重い荷物を大切に抱えてるみたいだ。そんなに元の世界に未練があるの?」

「当たり前だろ。俺の人生はあっちの世界が主体だ。こっちじゃ生後間もなさすぎて、愛着なんて湧くわけがないじゃないか。

 だいたい、今まで積み重ねてきた過去に未練がない方がおかしいだろ」


 人間ってヤツは過去の集合体だ。

 人格、性格、意識、記憶。過去とは人体の構成要素の最大派閥。お先真っ暗や現状どん詰まりなんて未来のない言葉はあるけれど、過去を失うなんて話はない。墓場まで健気に着いてきてくれる一生涯のパートナーだ。

 人間はあらゆる過去の経験を糧に今日を生きている。故に、過去を振り返るのをやめた瞬間、人は人ではなくなる。刹那的で今を生きるのは獣の役目で、未来を見据えそれに従事するのは機械のお株に過ぎない。


 だがエリオはくすりと笑って、


「いや、ボクが言ってるのは中身そっちじゃなくて、付録のほうだよ。

 何も君という人格を作り上げた過去の思い出だとか、上手に生きていく上での信条を取っ払えとは言わないさ。それはそれで大切なものだし、異世界で生きていくための指標にするには丁度いい縛りになるからね。

 ただ――知識はいらないよね。なにせ環境が変わったんだもん。モラルだとかルールだとか、そういったもの全部が一斉にひっくり返った。それなのに未練がましく過去の制度にしがみ付くなんて、女々しいとしか言いようがない。郷愁や懐古はとめやしないけどさ、この先ひょっとすると一〇年近くはこっちにいるかもしれないんだ」


 さっさとそんな余分なものは棄てちゃいなよ、なんて平気で言う。


 冗談じゃない。捨てても拾えるものではあるが、その間無防備に晒した内面は取り返しのつかない被害をこうむるのだ。人間性を失ったが最後、自分は元の世界に帰る意味を失ってしまう。変化する常識への即時適応なんて大事おおごと、そんな気軽に言わないでほしい。


「……ま、イツキはそこら自覚してるみたいだし、これ以上何も言わないけどさ」


 クソガキは何がおかしいのかケラケラと笑っていやがる。

 この、これ以上何も言わないって言葉は実に高度な煽り文句だ。以上って単語の定義を分かっていないところとか特に秀逸だと思っている。


 ■


「さて、と。そろそろ出よっか」


 午前中の収穫は中々のものだった。

 エリオの魔法談義はともかくとして、やはり記録媒体を読めたのは悪くない。本は最高だなやっぱ。

 というよりも、こっちの世界に来てからというもの、口頭と実演で説明する輩の多いこと多いこと。こちらの都合通りに手助けしてくれるモノに初めて出会えて俺はおおよそ満足である。


 さて、読書でも人のおなかは減るものだ。

 時間も丁度いいし、エリオの前でおなかが鳴るのはちょいと恥ずかしいので昼食をとることにする。


 図書室の扉を後ろ手に閉める。

 廊下にはやわらかい絨毯が敷かれており、外の快晴具合がよく分かる明るさで満たされていた。

 大きな屋敷の二階端より移動を開始。スッカラカンになった胃袋を携えて、エリオと一緒に食堂のある一階を目指す。


「そういえば、聞いてなかったけどイツキってば食べ物のアレルギーとか、好き嫌いとかある?」

「んー、特にないな。アレルギーは持ってないし、料理に文句付ける気はないよ。量は多いぐらい出てくるし、飾りつけとかも綺麗だし、それに」


 それになにより、味なんてどうでもいいし。

 食事ってのは栄養を摂取するための行為で、快楽を得るための行為ではない。メシなんて食えるだけで充分なのに、上を求めるのはいささか傲慢が過ぎる。作らずとも出てくるだけで最高なんだから、文句を言うつもりは一切ない。


「そっか、良かった。イツキの好みが何か分からないから、今まで手当たり次第に出してたんだよね。お口に合ってたのなら嬉しいな」

「え、何。お前が今まで作ってたの? あの異世界版満漢全席みたいなフルコース」

「いや、料理したのはヒスイで、ボクは企画担当」


 なんと。まさかあの無礼メイドがコックだったとは。今年で一番のビックリだ。

 いやしかし、料理できたんだなアイツ……従者としての自覚が足りなさすぎると思っていたが、どうやら性能自体は優秀らしい。もしかすると奉仕の精神を削って家事能力に充ててるのかもしれない。


「満足してるならお礼ちゃんと言っておくんだよ? ヒスイの料理はこの世で一番おいしいんだから。ちゃんと有りがたがって食べてよね」

「イヤだ。絶対にイヤだ。アイツにだけは言いたくない」

「あ、またそんなこと言って」

「別にありがとうのいえない若者だとか、礼儀知らずだとかじゃないからな。俺は料理がどんだけ不味くても文句一つ言わない人間だから、上手くつくったとしてもお礼を言わないんだ。平等主義者なんだ。……あ、そうだ。お前がくれたお金あったじゃん? あれで毎日外食することにしよう」


 けいざいのためだ。金は天下のまわりものなのであるなら使わねばならないのだ。


 それに外食にすれば、ヒスイも料理なんてしなくて済む。手間もかからないし時間も空くしで一石二鳥。むしろ俺がお礼を言われるべきなんじゃないだろうか?


「むう……イツキとヒスイってほんと仲悪いよね。予想と大違い。似た者同士仲良く手をつなぐかと思ってたのに。なんでここまで険悪なんだろう……。もしかして前世で猿か犬だったりする?」


 それは多分、ヒスイの方に問題があるから。

 なにせ初対面からお持てなしする気ゼロだったからなあのアマ。出会い頭から喧嘩腰の従者なんて聞いたことねえもん。

 あと、こっちの世界に呼びだされるまでは今と同じくホモサピエンスやっていたので、犬猿の仲ってのはあながち間違いではない。ヒスイも飼い主に尻尾振る犬みたいなもんだし。


 しかし言われてみれば腑に落ちる。ヒスイが料理担当ってのは至極当然の帰結だ。


 訊いたところによると、この屋敷に住んでいる人間は今現在四人だけらしい。

 屋敷は二階建ての高級洋館みたいなものでかなり広く、これだけの人数で住むには持て余し気味ではあるけれど、エリオにはこれ以上居住者を増やす気はない様子。


 その数少ないメンツをざっと見回せばおのずと結論は出る。なにしろエリオは見るからに柄じゃないし、俺も食への関心が薄い。そして残る一人は台所に立たせてはいけないキラーマシーンときた。味覚障害は殺人スキル足り得る。よって消去法にてヒスイしか適任者はいないのだ。


「イツキの言う通りたまになら外食するのもアリだなあ……うん、今日のお昼は外に食べにいこっか。

 それでイツキは昼食の後どうするの? 午後の予定とかってある? また図書室に引きこもるのならヒスイに紅茶の準備とかさせるけど」

「いや、本はまた明日にする。今日はもう活字から離れたい。

 外に食べに行くんなら、その足でちょっとそこら辺ぶらつこうと思うんだが」

「お、いいね。観光賛成! そういえばまだまともに街の方を紹介してなかったもんね。

 となると、やっぱりガイドさんが欲しいな。あと護衛も要るかな?」


 使い魔に頼んでおくね、とエリオは言って、いきなり横にあった窓を数回叩いた。


「?」


 文脈と行動が途切れたように感じる。

 窓には別段変化はなく、ただ外にいた鳥が数羽、驚いて飛んで行っただけだ。


「何ノックしてんだ? そこはドアじゃないぞ?」

「失礼な。今のは魔術を使ったんだよ。

 丁度いいところに鳥がいたから、人を呼ぶお使いに行ってもらったの」

「――――」


 おそろしいことが聞こえた気がする。

 なんか今、鳥を操るとか言いませんでした?


「別段不思議なことじゃないよ。小型の鳥とか犬ぐらいなら、二、三のお使いぐらい当たり前。動物は魔力を操れないし、知能とかだって低いからね」

「低級パシリを即時生成できんのか……魔術ってすごいな。人間も操れんの?」

「可能かどうかって意味なら可能だよ。

 ただかかりやすさには個人差があるし、抵抗もされるから難しい。有象無象の動物と違って人間は知能が高いからね。よほど魔術に長けた人じゃないと、意のままに動かしたりすることは出来ないかな。

 でも、そうだね――――ボクぐらいの魔術師ともなれば、この世界にきたばかりの無知な人間なら、あるいは――――」


 流し目でチラリ。妖しげな瞳が無垢な羊をロックオン。ぶるぶる。震えが止まらない。ヘビに睨まれたカエルってきっとこんな感じ。


「ははは、冗談だってば。それにイツキは魔力量が多いから、人並み以上にそういう魔術は効きにくいよ。ケタ違いの魔力を操ろうとしたらこっちがパンクさせられちゃう。だからイツキがそうなる可能性は限りなく低いんだ、安心していいよ」

「ゼロじゃないって時点で充分怖い。ったく……なんでこの世界って非人道的な部分だけ発達してんだ。おちおち外にも出られねえじゃねーか」

「だから意のままに操るのなんて、それこそ魔法使いにでもならないとできないんだって。

 ――――あ、でもイツキなら出来るかもしれないね。

 なにしろイツキは勇者様だ。名実共に、何だってやれるんだからさ」

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