vsヨシモト

@miura

第1話

 一男は誰に言えばいいのかわからなかった。

 しかし、誰かに言わなければ大変なことになってしまうと思った。

「ちょっと、掃除機かけるから」

 妻の典子は、掃除機の先で一男をつついた。


 いつもの散歩コースを歩いていると、前から女子高生の団体がやってきた。

 一男は忘れかけていた光景を思い出した。

 その日一男は、いつもの環状線に乗っていた。

 大阪城公園駅を過ぎ、京橋駅に着いた電車は、大量の乗客を吐き出した。

「この人痴漢です」

 横で誰かが手を挙げたのかと思ったら、自分の手だった。

 同じサラリーマン風の男性に腕をつかまれ、人混みの中を駅長室に連れていかれ、声の主と対面した。

 制服を着ていなければ、一度だけ行ったことのあるキャバクラというところにいた女の子達と似ているなあと一男が思ったその女の子は「このおっさんが触ってん」と言葉を吐いた。

 「ほんまに私やってませんて」と何度も言ったが聞き入れてもらえず、結局、警察には通報しないという換わりに、自宅と会社に連絡がゆき、妻からは、二年前に急性白血病でこの世を十五歳の若さで去った千代美に顔向けできないと電話口で泣かれ、上司の松村取締役からは、一カ月の自宅謹慎と、5パーセントの給与カットを言い渡された。

 更に悪いことには、腕をつかまれたサラリーマン風の男が、芸能人のプライベートなどをすっぱ抜く写真週刊誌「ピント」の編集長だった。

 謹慎生活が始まって二週間後“三友商事 営業部長 女子高生にわいせつ行為”という文字が「ピント」の表紙で踊った。

 一カ月の謹慎期間が三カ月になり、5パーセントの給与カットが10パーセントになり、ほぼ決まりになっていた取締役への昇格がおじゃんとなった。

 一度だけ松村取締役に電話をいれると「クビにならかっただけ良かったじゃないか」と言われ、一方的に電話を切られた。


 家に着くと、典子はポテトチップスを摘みながらワイドショーを見ていた。

「またそんなん見てんのか」

 典子は何も言わなかった。

「どれ見たって、おんなじニュースをおんなじような顔ぶれでやってるだけやろ」

「あんたまだ素人やわ。

 それぞれ微妙な違いがあんねん」

「そんなもんあるか。

 おんなじ様な顔したアナウンサーがふったネタを、ヨシモトの芸人がああでもないこうでもない言うて口から泡飛ばしてるだけやないか。

 こいつかって、なんて言うんやったっけ?」

「キンタ」

「何とか言う落語家の息子やろ」

「最近人気あんねんで」

「人気あんのか知らんけど、大した芸もないくせに、親の七光、それだけやないか。

 それにこの横の、こいつ」

「ジャンク」

「ジャンクかパンクか知らんけど、他の局でおんなじ様なこと言うとったぞ」

「それだけひっぱりだこで人気があるって言うことやんか」

 典子が尻を掻きながら言った。

「どこ点けても、ヨシモトヨシモト。人気なんか関係あらへん。みんな持ち回りでやってるだけや」

「しゃあないやん、大阪はヨシモトが仕切ってんねんから。

 なんぼ実力があっても、ショウチクやったらスターになんのん大変やからなあ」

「せやけど、こいつらかってスター気取りでテレビに出てるけど、向こう行ったら全然テレビでは見かけへんかったぞ」

 向こうとは、東京だった。

 一男は五年前、三年だけ東京で単身赴任をしていた。

 深夜放送でヨシモトの芸人を見かけるのは希で、土曜日のお昼から、ヨシモト新喜劇はやっていなかった。

 懐かしいなあと思って、三年ぶりに帰ってきた大阪で貪るようにしてチャンネルをひねったが、たった二日でお腹が一杯になってしまったことを思い出す。

「こんなんやから大阪はあかんねん。

 いつまでたっても、やくざ、たこやき、ヨシモトやねんから」

「わかったわかった。もう、うんちくはええから、で、あんた暇やろ。ちょっと、キャベツ買うてきて。半玉でええから」

「今日、晩ご飯なんやねん?」

「お好み焼き」


 一男が発砲酒の缶ビールを飲みながら「鳥谷一発打ったれーっ」とテレビに向かって吠えていると、典子が、顔じゅうにキュウリのスライスを貼り付けて洗面台から出てきた。

「な、なんやねんそれは?」

「お肌に良いねんて。

 今日テレビでやっててん」

「そしたら今頃大阪じゅうのおばちゃんがキュウリのスライスを顔に貼り付けて家ん中をうろうろと歩いてんのか?」

「そうや、あんたのタイガースといっしょや」

「アホかっ、それとこれとは違うんや」

「そういうのへ理屈って言うねんで。

 あっ、そうやっ、ちょっと変えるで」

 典子はテーブルの上のリモコンを取り、チャンネルを変えた。

「こらっ、なにするんや!」

「ええやんか、どうせ打てへんねから」

 一男は乱暴に典子からリモコンを奪い取るとチャンネルを戻した。

「ほらな」

 鳥谷はバットを地面に叩き付けていた。

「ええやん、明日も明後日も試合あんねんから」

 体を震わせて固まっている一男から、典子は再びリモコンを奪い取った。

「早よ風呂入りや。毎日毎日だらけた生活しとったら、復帰するときに体ついていけへんようになんで」

「アホかっ。

 こんな状態で風呂なんか入ってられるかっ」

 一男は立ち上がると、台所へ行き、長い間冷蔵庫で眠っていた冷酒の小瓶を取り出し、テーブルに戻った。

 テレビの画面には、毎年高額納税者番付けに名前を連ねるヨシモトの芸人が口から泡を飛ばして大声を張り上げていた。

「こんなしょうもない番組見るなよ」

「何言うてんの。毎週視聴率トップやねんで」

 高額納税者は、ゲストの自称“タレント”の束にお題を出し、出てきた回答について突っ込みを入れ、突っ込まれた自称“タレント”は嬉しそうな顔をして笑っている。

「どうせ、最後に、みんなで視聴者に向かって大口開けてラーメンかなんか食べて終わるんやろ。ああ美味しいって間抜けずらさげて。

 一体、こいつらになんの芸があるんや。こんな奴が毎年何千万、何億いう金稼いでる思たらまじめに働くのアホらしなってくるわ」

 典子は何も言わずチャンネルを変えた。

 画面にはヨシモトの若手漫才師が映っていた。

「これもおんなじ様な番組なんやろ。

 プロデューサーも視聴率稼がなあかんのか知らんけど、一つ流行ったらおんなじような番組ばっかり作ってアホちゃうか。自分は視聴率が悪くてもこれで行きますって言う信念がないんかなあ、焼肉の食道園みたいに」

 しかし、さっきの番組とは少し趣向が違った。

 五人ずつくらいの若い男女が一台のバンに乗り外国を旅する。そのうち、彼らの中にいろんな愛が芽生える。一人の男を好きになる二人の女、ふられた女を好きになる別の男、そんな映像を延々と流し、またしても、スタジオにいる、自称“タレント”の束がくだらないコメントをする。

「なんやねんこの番組は?」

 一男は声を荒げた。

「これからが面白いとこやねん」

 典子は、キュウリのスライスを顔から剥がしながら言った。

「あの今泣いてる女の子おるやろ。あの子のことを、多分、その坊主頭の子は好きなはずなんよ」

 一男は言葉を失った。

「これも結構視聴率ええねんで」

「おまえな、ヤラセって言うのは、これ多分ヤラセやなあってみんなうすうす気づきながら見るからええねん。こんな堂々ヤラセなんか見せて何がおもろいんや」

「そんな真剣に怒らんでええやんか。

 気楽に見たらええねん、こんな番組」

「大体、人を好きになったり嫌いになったりすることを他人に見せるって言う感覚が俺にはようわからんわ。

 作るほうも作るほうやし、出てくる奴も出てくる奴やし、見て笑ってる奴も笑ってる奴やし」

「案外ヤラセちゃうかもしれんで」

「それやったらもっと気色悪いわ。

 人前でうんこしてんのと一緒やないか」

 一男は典子からリモコンを奪い取ると、画面をNHKに変えた。

「ちょっと何すんのよ」

「もう、しょうもないもん見るなっ。

 こんなん見てるから日本人はあかんようになったんや。知性の欠片もない人間ばっかり増えていって」

「電車の中で女子高生のおしり触る人に言われとうないわ」

「なにっ!!」

 気がつくと、一男は、典子に手を上げていた。

 もちろん初めてのことだった。


  2

 千代美の三回忌にも典子は帰ってこなかった。

 実家へ電話を入れようと思ったが、あの事件以来、京都大学を出て有名商社へ勤めているという肩書きを崇め奉っていた親類、親戚一同は、大潮の干潮が如く一男の周りから引いていった。

 テレビを点け、テーブルの上の昨日の夕刊を拡げると、習慣になった寝起きの缶ビールのプルトップを引っ張った。

 寝起きの胃が驚いて大きなげっぷを返してきた時、開いた新聞の“高額納税者ランキング”に目が止まった。

 隣のページに目を移すと、“関西地区 芸能人ベストテン”の文字が踊り、一番下に『ジャンク』の名前が堂々と活字になっていた。

「あいつ、四千万も稼いでんのか」

 一男が唸ると「ありがとうございます」と間違いなくジャンクの声がした。

 はっ、と一男が顔を上げると、テレビの画面に、カレーパンを手にして嬉しそうに笑うジャンクが立っており「今日のいち押しパンは、堺市、褒美堂さんの、焼き立てカレーパンでーす」と口から泡を飛ばしていた。

「あほかっ」

 一男はリモコンをげんこつで叩き、ジャンクを目の前から消した。

「ほんまにやっとられんなあ」

 新聞のページを一枚捲り、缶ビールを傾けようと何気なく視線を落とすと、週刊誌の広告が載っていた。

“テレビなんかいらないキャンペーン 第三弾”

 一男は缶ビールをテーブルの上に置くと、震える手でその広告をちぎった。

「週刊文衆・・・出版社はどこや・・・」

 一男はちぎった広告をまじまじと見た。

「集談社?・・・どっかで聞いたことあるなあ・・・」

 一〇四で聞くと、市街局番は〇三だった。

 財布を開くと、一万円札が一枚しか入っていなかった。

 結婚してから、お金のことはすべて妻に任せていた。

 極端な話、会社からいくら給料をもらっているかも知らなかったし、毎月家のローンをどれだけ返しているのか、貯金がどれだけあって、それがどこの銀行に預けてあるのか何も知らなかった。

 コードレスの電話機を手にして典子の実家の電話番号を押した。

 一回目の呼び出し音を聞くと、一男は電話を切った。

 すぐに会社の番号を押し、出てきた秘書の女の子に「松村取締役お願いします」と言って『エリーゼのために』を聞いていると松村取締役が出てきた。

「色々考えたんですど、辞めさせて頂こうと思いまして」

〈ちょっと待てよ、そんな急に言われたって〉

「取締役にもお力添え頂いて会社に残して頂いたのは大変感謝はしておるんですけど」と嫌みを言って、「あんなやってもいない恥ずかしい事件で世間に騒がれて、どの面さげてまた会社に出ていくんだと自分で考えましたものですから。退職金は給料が振り込まれる口座ではなくて、交通費とか経費を精算したときに振り込まれる、取締役もよくご存じのあのへそくり用の第二口座のほうへ振り込んでください。あと何か処理するものがあれば全部郵送で送ってください」と結んで、一男は一方的に電話を切った。

 カラカラになった喉を、残っていたビールで潤すと、もう一度コードレスの電話機を握り、さっき一〇四で聞いた番号を押した。

〈ありがとうございます。集談社でございます〉

「あのう、大阪の山田と申しますけど、週刊文衆の編集長にお繋ぎ頂きたいんですけど」〈どのようなご用件でしょうか?〉

「新聞に載っている広告を拝見したんですけど、その中に“テレビなんかいらないキャンペーン”て言うのがあったんですけど、その件でちょっと・・」

〈ご拝読頂き有り難うございます。

 誠に申し訳ごさいませんが、直接お話頂くことはご遠慮頂いておりますので、お手数ですが、お客様のご意見を伺います専用の窓口がございますので、そちらのほうにお掛け願えませんでしょうか。番号がフリーダイヤルの0120の・・〉

「直接話がしたいんよ。そんな悠長なこと言うてる場合やないんや」

〈ですから、申し上げました通り・・〉

「わかってるよ、おたくの言うことはようわかる。せやけど、そんなことしてたらえらいことになるんや。早う繋いでくれ・・・」


              3

「また、お会いできるなんて夢にも思いませんでしたよ」

 どこかで聞いたことのある出版社だなあと思ったのは間違いではなかった。

「その後は・・」

「おかげさまで会社を辞めました」

 透明な硝子のテーブルにおいた名刺には

『週刊ピント』編集長

   室井 満男 と書かれていた。

 膝上20センチのミニスカートをはいたウェイトレスが注文を取りに来て「冷コ」と言いかけた一男は、慌てて「アイスコーヒー」と訂正した。

「いい店でしょ。

 コーヒー一杯千円するんですけど、どうせまずくて高いコーヒーを飲むんなら少しでも楽しいほうがいいと思って。こっちじゃ結構流行ってるんですよ」

 一カ月前に一男の腕をつかんだ掌で、室井は店の中を紹介した。

「今日はお忙しいところ申し訳ないです」

 一男は軽く頭を下げた。

「いや、関西弁で喋る山田さんていう人がどうしても換わってほしいって言われるんですけどってうちの女の子が言うもんでね、関西弁で、山田、山田ねえ・・て考えてたらあの時のことを思い出しましてね、まさかとは思ったんですけど」

「ほんま無理言いまして申し訳ないです」

「あの時は、たまたま大阪で会議があって、何か前に立っている女の子の様子がおかしいなあと思ってたんですよ。そしたらね・・・。 こう見えても結構正義感強いんですよ」

 室井はサングラスの向こうでははあと笑った。

「で、今日、わざわざ大阪からお見えになったのは?」

「ええ、実は」と一男が言いかけたとき、ウェイトレスがアイスコーヒーを持ってきた。

 どうぞ、と室井が手を差し出しながら「まさかあの時のことを逆恨みして、テーブルの下からナイフがヌーッと出てきたりして」とふざけて言った。

 室井の声の大きさに周りの客の何人かが反応した。

「いえいえ、そんなんやないんですわ。

 あの、週刊文衆って雑誌ありますよねえ」

「私が編集長やってるんです」

「そうなんですか?」

「うちも、御多分にもれず、あまり業績が良くないですから、人がどんどん減らされて、給料は全然上がんないのに仕事ばっかり増えていって、『ピント』と兼任してやっているんです。それがどうかしましたか?」

「その中で、“テレビなんかいらないキャンペーン”ていうのをされていますよね」

「ええ。

 うちも結構まともなことやってるでしょ。『ピント』だけじゃないんですよ」

「あれはいつからやってるんですか?」

「そうだなあ、今回が第三弾だから、確か二年くらい前からかなあ。但し、第二弾が終わってから」と言って、室井は店の中を見渡した。

「ある団体から圧力がかかったんだよ」

 室井はもう一度店の中を見渡した。

「圧力って?」

「そういうことをやってもらっては困るという団体があって、そこから執拗な嫌がらせを受けたんだ。

 いいとこまでいってたんだぜ。

 一度、東京体育館てのがあって、昔よくプロレスの試合なんかやっていた所なんだけど、そこに三千人くらい集まって決起集会を開いて、国を巻き込んだ、大々的なキャンペーンをやろうって。

 けど、その圧力には勝てなくって・・・」

「どこの団体やったんですか?」

「さあ、俺もその時はまだ編集長やってなかったから詳しくはわかんないけど、岬、前の編集長なんだけど、そいつの奥さんが言うにはかなり大変だったみたいだよ」

「奥さんが?」

「殺されたんだよ、岬は」

「えっ?」

「直接的じゃないけど、間接的にな。

 気が狂って自宅のマンションから飛び降りたんだ。

 十二階から飛び降りるとな、人間ってわかんなくなるんだ。何か、何だかわかんないんだけど、とにかく何か潰れた物がそこにあるな、そんな感じなんだよ」

「警察とかは?」

「ただの自殺だって」

 室井はサングラスを取った。

「さっき言ったけど、俺、結構、正義感強いから。

 で、おたくは?」

「ずっと家におるようになって、嫌でもテレビを見る機会が増えたんですわ。まあ、前からも思っとったんですけど、あんまりにも目に余る酷さだったんで、こら、はよなんとかせなあかんと思いまして」

「みんなやっぱり思ってんだ。

 そらそうだよな。

 何の芸も持たない、プライバシー以外何も売るものがない奴らが、芸能人、俺が言ってるのは芸NO人だけど、、えらそうな顔してテレビに出て、ヨシモトの芸人にいじくられるか、大口開けて“いやーっ、この焼肉最高っすねぇ”て飯食ってるだけで、俺達の何十倍っていう金稼いでんだからな」

「ほんまその通りですわ。

 こっちはそれほどやないと思いますけど、向こうはもうヨシモト一色で。金太郎飴ちゃいますけど、どこのチャンネル回してもヨシモトヨシモトで」

「こっちも同じようなもんだよ。

 一種の町内会って言うか、“今月ちょっと仕事が少ないんだよな”って誰かが言えば“じゃあ、こっちの仕事回してやるよ”って言って、何で今頃こんなやつがっていうとっくに旬の過ぎたタレントとか、そこまで二人で稼いでどうすんだよっていうくらい元アイドルの嫁さんとかが出てきたりするんだよ。

 一見華やかな世界に見えるけど、実はすごく閉鎖的な世界なんだよ。

 新しいものは受け付けない、言ってみれば今のこの国の縮図みたいなもんだけどな。

 だから、若くて才能のあるやつらはみんな海外へ出ていくんだよ。しまいにこの国には、腰の曲がった芸NO人しかいなくなっちゃうぞ」

「大阪にもほんまに面白い芸人も何人かはいるんですよ。ああこれやったら充分カネ取れるなっていうのがね。

 せやけど、滅多にテレビに映れへんから全くと言っていいほど評価されてないんですわ。

 こんなこと言うたら女子供に怒られるかも知しりませんけど、テレビの視聴率が良いいうたって、所詮、子供と女性が良いって言うてるだけのもんでしょ。大体、夜の八時九時に家に帰ってる親父なんかいないですもんね。まあ、その辺は私らも反省せなあかんとこですけど、どっちにしろ本当の評価じゃないんですよ。

 それを勘違いして、ああ俺はやっぱりすごいんだっ、て見てるほうも見られてるほうもみんな思ってしまうんでしょうね。だから、この国からはほんまもんの文化が育たないんでしょうね」

「文化・・・。

 いい言葉だよね、山田さん。

 ほんまもん・・・。

 たまんないよね」

 と言って、ははあと笑った室井の携帯が鳴った。

「あっそう、じゃあ、すぐに戻るよ」

 携帯を切った室井は山田に手を合わせた。

「ごめん、急用が入っちゃって」

「いえいえ結構ですよ、お忙しそうですから。また出直してきます」

「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。

 今日はお泊まり?」

「ええ。

 久しぶりに来たんで、東京見物でもして帰ろうかなと思いまして」

「じゃあ、夜ゆっくりと食事でもしながら、この続きを話しましょうよ。

 ホテルは?」

「ええ、もう取ってあります」

「チェックインは?」

「まだです」

「じゃあ、ちょうどいいよ。

 そこさあ、キャンセルして、西新宿に、パーク・ハイアットっていうホテルがあるんだけど、そこで俺の名前、集談社の室井の紹介だって言えば半額で泊まれるから。

そこのロビーに六時っていうことで。あそこに入っている中華がまたうまいんだよ」

「わかりました」

「あとこれ、タクシーチケット。

 ここからだと二十分も掛かんないから」

 すいません、と言って一男はチケットを受け取った。

「六時まで少し時間があるけど、歌舞伎町でも行ってくれば。

 こっちの女の子の質は大阪よりは絶対に上だから」

「いえいえ、そんな元気はないですから、部屋でゆっくり大好きなテレビでも見ときますわ」

「ははあ、そりゃいいや。

 じゃあ、申し訳ないけど、俺行くんで」

 どうも有り難うございました、と言って頭を下げた一男に室井は振り返って聞いた。

「山田さんさぁ、あの時は本当に、触ったの?」


              4

 室井は待ち合わせの時間に二十分遅れてやってきた。

「どうでした歌舞伎町は?」

「いえいえ、缶ビール一本飲んだらええ気持ちになってもうて」

 エレベーターはあっと言う間に二人を階上に運んだ。

「何でも好きなもの注文してくださいね」

 五目炒飯が二千円するのを見て、お任せします、と言って一男はメニューを閉じた。

「食べ物は大阪がうまいですけど、ここのは本当にうまいですから」

 確かに、次から次へと出てくる中華料理は、何を食べても美味しかった。

 二人で紹興酒の750ミリリットルのボトルをあけ、デザートの杏仁豆腐が出てきたとき、室井はやっと、昼間のミニスカートの喫茶店で話していた続きを口にした。

「山田さんさぁ、あんた、どこまで覚悟はできてる?」

「やるだけのことはやろうと思ってますけど」

「家族は?」

「嫁さんが・・」

「働らいてんの?」

「いえ」

「子供は?」

「娘がいましたけど、二年前に亡くなりました」

「あっそう。

 女の子か、岬んとこと一緒だな。

 可愛かった?」

「ええ」

「そうか・・・。

 ちょっとじゃあ東京の夜に繰り出そうとしましょうか。

 せっかく来てもらったんだから、少しは楽しんで帰ってもらわなきゃねえ」


「イラッシャイマセ」

 室井に連れられ店に入ると、暗がりからいきなり十人くらいの背の高い白人女性の集団が現れた。

 みな、ファッション雑誌からそのまま抜け出てきたモデルみたいで、一男は上から見下ろされていることもあって、紹興酒で酔っていたにもかかわらず、少し緊張した。

 室井は常連らしく、「ムロイサン」とファッションモデルのようなその女の子達みんなから天使のような笑顔を振りまかれていた。

「大阪にはないでしょ?」

 室井は煙草に火を点けながら言った。

「ええ」

 一男は、まだ、地に足が着かなかった。

「俺もさあ、ピンサロだとかさ、キャバレーだとかさあ、最近じゃあキャバクラなんかも嫌と言うほど行ったけど、なんて言うかいい加減飽きちゃったって言うか、キャバクラなんかも確かに若くて綺麗な子も多いんだけど、まあ店の教育が悪いのか、本人の前頭葉が溶けてなくなっちゃったのか知れないけど、お客を喜ばせようという気が全く感じられないんだよな。

 中には俺達より稼いでる子もいるのにさ、高い金払って遊びに来ている俺達が気を使って場を盛り上げようとしてさ、それおまえ達の仕事だろって言いたいんだけど、言っちゃうと場が白けちゃうから言わないけど、何か疲れちゃって。

 確かにあの子達も本当はちゃんとした会社で働きたいんだろうけど、今みんな結婚しないから、どこの会社だって、お局さんだとか、たとえ結婚して子供ができたって、景気が悪いから、退職せずに、子供生んでから復帰しちゃったりするから、入っていくスペースがないんだよな。

 山田さんもご存じだと思うけど、今、日本の会社で若い女の子がお茶を出してくれる会社なんか一社もないからね。

 でも、たとえアルバイトでも、金をもらっている以上はプロ意識を持ってやってもらわないとこまるんだけどね」

 一男は室井の雄弁さに感心して聞き入っていた。

「その点、ここの女の子はさ、純情って言うかさ、けなげって言うかさ。

 けなげ・・・いい言葉だよね、文化・・・についでいい言葉だよね」

「ロシアとかあのへんの女の子ですよね?」

「そう。

 あと、ルーマニアだとかモルドバだとか・・・」

「モルドバ?」

「ルーマニアとウクライナの間にある米粒みたいに小さな国なんだ。

 みんな、ソビエト連邦が崩壊するまでは、ほとんどの子が本物のモデルで、そこそこにいい暮らしをしてたみたいだけど、崩壊後は食べていくだけでも大変みたいで、それで日本に出稼ぎにやってくるんだ。

 ただし、彼女達はちゃんとした何か、プライドって言うんじゃないし宗教って言うもんでもないんだけど、とにかく何かを持っているんだ。だから、体は売らない。この店も基本的にはお触りはNOだ。

 初めてこの店に来たとき、俺に付いたナターシャという女の子が言ったんだ。『ニホンジンノジョセイ ケッコンノマエ オトコトネル シンジラレナイ』って。

 貞操・・・いい言葉だよ。“文化”にも “けなげ”にも負けないくらいいい言葉だよ。

 日本の女性が失ってしまったものをこの子達は持っているんだ」

 喋りすぎて喉が渇いたのか、室井が、テーブルの上のミネラルウォーターの瓶を口に加えたとき「コンバンワ」と言って、二人の女の子が現れた。

「ナナ デス」

 握手した手は少し力を入れるとズルっと皮が剥けてしまいそうなくらい柔らかかった。

 室井の横には、百九十センチはありそうな、体にピッタリと貼り付いた黄色いTシャツの下からへそを覗かせている女の子が腰を下ろした。

 室井は何の躊躇もなくその子の頬にキスをし、肩に回した腕を伸ばして、胸を揉んだ。

 一男は室井の言う“お触り”の意味がわからなかった。

 ナナの作った水割りで乾杯すると、室井の横の女の子は「ウタ、ウタ」とマイクを持つふりをして、室井の手を引っ張ると強引に小さなステージのほうに行ってしまった。

 ナナは透き通るような白い手で、ワイングラスに入ったチョコレートの透明の包みをむき、一男の口の中に落とした。

「オイシイデスカ?」

「おいしい」

「ウタワ?」

「NO」

 どこの国とどこの国の人が話しているのかわからない会話だった。

 室井が歌をうたい終わって戻ってきたとき「シメイ」とナナは一男に聞いた。

「か、ず、お」

 ナナは、?という顔をした。

「か、ず、お。

 ワカリマスカ?」

「違うよ」

 室井がおしぼりで熱唱の汗を拭きながら一男の顔を見た。

「氏名じゃなくて、指名。

 この子達にいくらか入るシステムになってるんだよ」

 はっはっはっ、一男は久しぶりに声を上げて笑った。

 二人の女の子は、わけがわからず、ぽかんと言う顔をしていた。

「OK、OK 」と、室井が換わりにナナに笑顔を送った。

「山田さん、さすが大阪の人だよな、ボケがうまいねえ」

「いえいえ、ほんまにわからんかったんですわ」


 二曲目の歌をうたい終え、テーブルに戻ってきた室井がウェイターの男を呼び、何か二言三言耳元で告げると、ウェイターは二人の女の子の肩を叩き、何語かわからない言葉を掛けた。

「酔っ払ってしまう前に俺の考えてることを言っとくよ」

 二人の女の子は立ち上がり、サヨナラ、と言って手を振り、店の奥に消えていった。

「俺はさあ、山田さん」

「はい」

「政権を取ろうと思っている」

 一男は持っていたグラスを落としそうになった。

「冗談じゃないんだ」

「は、はい」

「もし、キャンペーンをはってたまたまうまくいって世の中がそういう風潮になっても、時間が経てばまたもとの木阿弥に戻るような気がするんだ。

 だから、法律で縛ってしまうんだ。

 そのためには政権を取らなきゃいけない」

 そうですか、と一男は気の抜けた返事をした。

「まず、デモをやる」

「どうやって呼びかけるんですか?」

「ネットに流す」

「週刊文衆は?」

「今、一番宣伝効果があるのはネットだ。

 俺は正直、あまりネットってのは好きじゃないんだ。顔が見えないから気持ち悪い」

「私もそうです。

 今時、家にパソコンがありません。

 会社におるときはしょうがないから使うてましたけど、会話のなくなったオフィスが気持ち悪うて」

「この世の中からテレビを無くすためにはしょうがない。

 もしうまくいって、政権が取れたときは、付き合いかたをまた考える」

「デモはいつやるんですか?」

「愛は地球を救う」

「二十四時間テレビですか?」

「さすが大阪人、頭の回転が早いよねえ」

「どうしてなんですか?」

「特に理由はないんだけど、なんて言うかなあ、テレビの一大イベントに敢えてテレビを無くそうというデモをぶつけたいなと思ってね」

「向こうはどう動きますかねえ?」

「おそらく、見て見ぬ振りだろう。

 NHKくらいは取材に来るだろう。あと海外のメディアとかはね。

 まあ、それは別にいいんだ。デモの様子は次の日にネットで流すように手はすでに打ってある。

 逆にあまり騒がれないほうがいいだろう。

 デモへの呼びかけも三日前からしか流さない。あまり日にちがあると、それだけ妨害を受ける可能性も高くなるしな。今日もここへ来る前に早速電話があったよ。

『えらい頑張ってはんなあ』って」

「ヨシモトですか?」

「まあ、そんなとこだよ」

「岬さんの時も?」

「テレビがなくなって最も影響を被るところって言えば絞られてくるからな。

 いずれにしても、そんなすんなり事が運ぶとは思っていない。とにかく、どれだけデモに人を呼べるかだ。それにつきると思う。まだ、三カ月あるから、誌上でのキャンペーンは徹底的に行なう。社の全面的協力も取り付けてある。俺達と同じ考えの人間が絶対にいるはずだから、気持ちをこっちに向けさせておいて、それを行動に移す力にいかに変えるかだ」

「もしうまくいかへんかったときは?」

「すぐに手を引く。

 やり直しは効かないと思う。

 うまくいった場合も一年でカタをつける。

 時間を掛けすぎると人の気持ちってのは冷めてしまう。特に日本人はその傾向が強い」

「と言うことは、八月の衆議院解散をにらんで・・」

「あんたやっぱり頭いいなあ。さすが日本を代表する商社の営業部長をやってただけのことはあるよ」

「与党と野党が激しいやり合っている隙をついて・・・」

「そう。

 消費税十五パーセントなんか絶対に通るわけないよ。と言って野党がそれに換わる代案を出せるわけないし、税収が足りないって言うのはみんなわかってて、与党は本当は宗教法人から取りたいんだろうけど、あの党がいるから間違っても口には出せない。

 そうなると、また与党と野党の間で足の引っ張り合いが起こるだけだ。

 久しぶりに国政に興味を持った国民は、またいつもの泥仕合を目の前で見せつけられる。

 そこへ、本当にこの国の将来を憂い、本当にこの国をよくしたいといった信念、信念・・・いい言葉だよなあ、その信念を持った俺達が突然白馬に乗って現れる。

 ポマードで髪を後ろになでつけ、何かを企んでいるように目をギラつかせている国会議員ではなく、そこらへんのどこにでもいそうな只のおっさんが、希望に目を輝かせているんだ。

 国民は、何かすごい清爽な、ピュアなものを見た気持ちになる。毎日ステーキばっかり並んでいたテーブルにいきなりお茶漬けが出てくるんだ。食いつかないはずはないよ」

「せやけど、いきなり衆議院の過半数取るゆうたら・・・」

「ネット会社からは資金の提供はいくらでも惜しまないと言ってもらっている。しかし、まだ、俺達のことを支持してくれる人の頭数が足りない。年収五億の人間も五百万の人間も投票できるのは一票だけだからな。

 だから、企業、それもこれまでテレビ局に莫大な広告料を支払ってきたいわゆる、大企業、の支持を取り付ける必要がある。

 その為には、テレビがなくなったときに被るデメリットを上回るメリットを提示してあげなければいけない。

 しかし、それはだいたいできているんで、また、いつか説明するよ」

「あとは反対派ですよね?」

「テレビ局、芸能プロダクション、あなたの大好きなヨシモトも含めた芸能人、こんなところでしょ。大した頭数じゃないですよ。只恐いのは、実力行使だけだよ」

「実力行使ですか・・・」

 グラスの中の氷がカランと鳴った。

「あと問題なのは、テレビがなくなることへの国民みんなの不安感だ。

 なんだかんだ言ったって、テレビは完全に俺達の生活の一部になってしまっている。

どんなに貧しい家でもテレビの無い家などこの国にはないだろう。それが明日から見れなくなりますっていったら・・・」

「私も東京で単身赴任してたとき、来て間なしの時、なかなかテレビを買いに行く時間がなくて、一週間だけテレビ無しで暮らしたんですけど、とにかく部屋におっても手持ちぶさたで、何か落ちつかへんかったん覚えてますわ」

「これまで選挙に行ったことのない奴までが、テレビがなくなるのだけは御免だって投票所へ行かれると厳しいものがあるんだよな。

 あと、ワイドショーとサスペンスドラマを生き甲斐にしている主婦層の抵抗もかなりきついだろう」

「バラエティー番組が見られへんようになる子供らも騒ぐんちゃいます?」

「ああ。

 だけど、あいつらには選挙権がないから。」


 タクシーから見る東京の空は白みかけていた。

 女の子をテーブルに呼び戻してから、室井は七曲歌い、ブランデーのボトルが空になり、一男はずっとナナの手を握り締めていた。

「山田さんよ」

 眠っていた室井が体を起こした。

「いいだろ、東京って」

「そうですよね。

 なんか時間の密度がむちゃくちゃ濃いですよね」

「これからもっと濃くなるよ」

 室井は煙草に火を点けると窓を少しだけ開け、運転手に、この曲好きだから、と言って昭和三十年代の歌謡曲のボリュームを上げさせた。

「俺は本当に真剣だから」

「わかってます」

「岬が死んだとき、娘さんが、まだ中学生だったよ、セーラー服を着てた。

 俺、あれくらいの年頃の女の子って持ったことないんだけど、ちょうど思春期で反抗期の頃だろ。極端な話、自分のおやじが死んだって、案外冷めてんだろうなって思ってたんだ。それがさ、式の間もずっと目を腫らして泣いていてさ、出棺の時になったら、棺にしがみついて泣き崩れちゃって。

 おれ何度も言うけど正義感が強いだろ。だから、その時、絶対に岬の意志を受け継いで成し遂げてやろうって思ったんだ」

 はあ、と酒くさい息を吐き出した室井は、目を瞑ると、腕を組み、起こしていた体をもう一度シートに沈め、口を開いた。

「娘さんは?」

「白血病でした」

「悲しかった?」

「未だに、夢を見ているみたいで」

 室井は目だけを開けた。

「無理強いはしないから、大阪にかえってよく奥さんと相談して、本当に一緒にやってくれるんだったらまた電話くれよ」

「はい」

「俺が総理大臣になったらブレーンになってくれよ。あんた頭いいから」

「ありがとうございます」

「これは夢じゃないからな」

 室井は、ははあと笑うともう一度目を瞑った。

 一男は窓の外に目をやった。

「そうだ、あと一つだけ」

 室井は口だけを開いた。

「なんですか?」

 高層ビルの間を飛ぶカラスを見ながら一男は聞いた。

「俺さあ、実は、チョンガーなんだ」


              5

 気象庁が梅雨入り宣言をしてから一週間続いた晴天の日の午後、一男は一通の簡易書留を受け取った。

「ごくろうさん」

 額に汗する郵便局員に労をねぎらった一男は、部屋に戻ると、扇風機の生暖かい風を受けながら、差出人の名前を見た。

“藤原典子”

 一瞬誰かと思ったが、すぐに、妻の、“典子”だとわかった。

 消印は実家の京都になっていた。

 ハサミで封を切ると、中から、銀行のキャッシュカードと便箋と、トレーシングペーパーのような薄い紙が出てきた。

“元気でやってますか。

 千代美の三回忌にも行けなくてごめんなさい。

 私は今実家の近くにアパートを借りて、生まれて初めての一人暮しを始めたばかりです。

 これまであんたに食べさせてもらってきたことを感謝しています。近くのスーパーでレジのパートを始めたけど、一万円稼ぐのがどんなに大変かようわかりました。

 今回の件は、あんたに初めて手を上げられたからじゃなくて、ずっと前、千代美が亡くなった頃から考えてました。

 毎日、家でごろごろして、しょうもないテレビ見て笑ってるしか能が無いって思われるのが嫌でした”

「そんなことないって」

 一男はため息と一緒に漏らした。

“お金無くて苦労したと思うけど、このカードの中に全部入っています。家のローンとか光熱費が全部ここから落ちるので、残高はまめに見てください。一人暮しするのにいろいろと掛かったんでなんぼか下ろさせてもらいました。慰謝料やと思ってください”

「慰謝料!?」

 一男は薄い紙を拡げた。

“名前書いてはんこ押して区役所へ持っていってください。面倒くさかったら、書留に書いてある住所へ送り返してください。こっちで処理します”

 一男は便箋を投げ捨てると受話器を手にとった。

 しかし、呼び出し音がずっと鳴り続けるだけだった。


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 ジャンクは、もう少しまともな待ち合わせ場所はなかったのかと社長の峰を恨んだ。

「あれ、ジャンクやんけ」

「ほんまや。案外背え低いやんけ」

 目の前を通り過ぎる通行人が次々とこんな言葉を吐いていった。

 しまいにはキャバレー『サン』の呼び込みのにいちゃんまでが「おい、サインくれよ」と背中をつついてきた。

「ちょっと待ち合わせしてるから」と訳の分からない言い訳をしたとき、すぐ横を走る千日前通りからクラクションの嵐が聞こえてきた。

 見ると、違法駐車と客待ちしているタクシーでつぶれてしまっている二車線のさらに外側の三車線目にベンツが止まり、後続の車が渋滞を起こしていた。

 ドアが開き、草色のダブルのスーツを着た男が降りてきた。

 峰社長だった。

「すまんすまん」

 声の大きさとスーツの色に通り過ぎる人はみな峰を見た。

「場所ようわかったのう」

「社長、千日前のキャバレー『サン』の前での待ち合わせだけはやめてくださいよ。僕やからわかったものの他の人やったらわかりませんよ。それに、一応僕も売れっ子なんですから、今度からはもう少し人通りの少ない、例えばホテルのロビーとかにして下さいよ」

「アホか、大阪の芸人は庶民に可愛がってもらってなんぼやないかい。キー坊見てみい、あの歳なってもみんなに可愛がってもらえるいうのは庶民を大事にするからやないか」

「まあ、そうですけど・・・」

「そんなことより、鯨食べよ、鯨」

 説教は垂れるけど、ネチャネチャ言わないこういった社長のさっぱりしたところがジャンクは好きだった。

 人混みを少し歩き、辻を一つ右に折れると、そのビルはあった。

「“徳家”言うてな、鯨の専門店なんや。

 ここのはりはり鍋が最高なんや」

「はりはり鍋って?」

「行ったらわかるわ」

 暖簾をくぐると、カウンター、テーブル、座敷、の全ての席が客で埋め尽くされていた。

“予約席”と書かれたプラスチックのプレートがおかれた、店の一番奥にある個室のテーブル席に通されると、峰社長は案内してくれた着物姿の店員に「はりはり二人前と生二つや、すぐ持ってきて」と言った。

「高そうな店ですよね」

 個室に入る前に見渡した店内は“出勤”前の“同伴”の客が大半で、家族連れの客など一組もいなかった。

「ようさん稼いでんのにセコイこと言うな」

 生ビールで乾杯すると、はりはり鍋が運ばれてきた。

「これですか?」

「そうや」

「なんではりはり言うんですか?」

「この山盛りの水菜あるやろ、これをはりはりって言うんや。

 俺ら子供の時は家でよう食ってんけどな。まさか、こんな高価なものになるとは思わんかったわ」

 山盛りの水菜の陰に、かたくり粉をまぶした鯨の赤身が、カレーライスに添えられた福神漬けのようにそっと身を寄せていた。

「今何本レギュラー持ってんねん」

 峰社長は、キャラメルのような小さな餅を脇によけると、皿に入っている水菜と鯨の赤身を、煮立っている鍋の中に一気に放り込んだ。

「四本です」

「えらい売れてるやんか」

「社長のおかげですわ」

「全国ネットは?」

「いえ、まだないんです」

「やりたいか?」

「ええ、そら・・・」

 その時、失礼します、と言って和服姿の女将と思しき女性が入ってきた。

「社長、いつもすんません」

 女将は軽く一礼すると、峰社長にグラスを渡し、ビールを注いだ。

「女将、こいつ誰か知ってるか?」

「さあ、テレビかなんかでお顔は拝見したことあるような気はするんですけど・・・」

「はっはっはっ」

 峰社長は下品に笑った。「ほら見てみぃ、何が売れっ子じゃ。ここの女将に顔覚えてもらってないうちはまだ半人前じゃ」

 女将は申し訳なさそうな顔をジャンクに向けながら、二人の鉢に、たっぷりの水菜とわずかな鯨の赤肉を盛った。

「女将な、こいつ、ジャンク言うんや。

 うちのホープでな、煙草のホープちゃうで、期待のホープやで。もうじき全国ネットばんばん出だすからまた応援したって」

「そうですか。

 せやけど、ジャンクさんて、粋な名前ですなあ」

「当たり前やがな。

 名前ぐらい粋な名前付けとかな、何の粋な芸も持ってへんねんから、なあ」

 峰社長は、ジャンクを見ながら、また、はっはっはっと下品に笑った。

「あっ、そや、女将。

 肉二人前追加と、あと、竜田揚げとベーコン、それと、熱燗二本持ってきて」

 強烈な峰社長の話題転換に、ジャンクは呆れるしかなかった。


 仕上げの細うどんを啜っているジャンクの前で、峰社長は、手酌で酒を呑みながら、爪楊枝で歯の間をつついていた。

「いやあ、最後までうまかったですわ」

 ジャンクは、長い間残ったままだったグラスの底のビールをあおった。

「おまえ、走んの速いんか?」

 峰社長は唐突にジャンクに聞いた。

「まあ、人並みですけど。

 一応、小学校の時はずっとリレーの代表でしたけど」

「長距離は?」

「今まで、そんな長い距離は走ったことないですけど、まあ、人並みにはいけると思います」

「百キロは?」

「百キロ!?」

「そうや」

「まあ、歩いてもええんやったらなんとかいけると思いますけど」

「まあ、歩いたほうが、感動は呼べるけどな・・」

「感動って?」

「い、いや、なんもない」

 峰社長は空になったお銚子をテーブルの上に寝かせた。

「おまえ、ビッグになりたいか?」

「そら、・・・もちろん」

「東京へ行く気はあるか?」

「行きたいです」

 ジャンクは峰社長の目をじっと見た。

「よっしゃ、決まりや」

「はい?」

「おまえ、走れ」

「今ですか?」

「あほか。

 毎年やっとるやろ、黄色いTシャツ着て、愛は地球をなんとかや言うて」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなん、いきなり言われても・・・」

「いきなりもくそもあるか。

 おまえ、さっき、走れる言うたやないか」

「それは、売り言葉に買い言葉で・・・」

「ビッグになりたいんやろ?」

「そ、それはまあそうですけど・・・」

「まだ二カ月以上あんねんから、これから始めたって間に合うよ。

 おまえ、家、尼崎やったよな」

「ええ」

「それやったら、今、ここから、家まで走って帰れ。ええトレーニングになるぞ」

 ジャンクは、飲むものが何もなかったので鉢に残っていた出汁をからからの喉に流し込んだ。

「これをきっかけに東京進出といこや。

 あっ、俺、これから別の打ち合わせあるから、先に帰らしてもらうわ。ごっちょうさん」

 言うと、峰社長は腰を上げた。

「ちょっと待ってくださいよ、今日は社長の・・・」

「セコイこと言うな。

 ビッグになったら、こんな店毎晩でも来れんがな、ほなな」

 伝票を手に震えるジャンクを残して、峰社長は帰っていった。


            6

 キャッシュカードで下ろせる金額の最高額が、一回の操作で五十万円までとは知らなかった。

 後ろで並んでいる人達の咳払いが全て自分に向けられたものだということは、一男にはよくわかっていた。

 退職金が振り込まれた口座からカードで五十万円を二十回下ろし、家から持ってきた使い古しの紙袋に詰め込み、それを、妻が送ってきたカードに全て入れ終えたとき、一男のTシャツのわきの下には黒い染みができていた。

 銀行を出て、文房具屋で便箋と封筒を買うと、一男はすごく喉が渇いていることに気がついた。

 一膳めし屋の暖簾をくぐり、ビールを注文して、ショーケースの中から、冷や奴とじゃこおろしをとって席に戻ると、店員がビールと、そのビール会社の名前がローマ字で書かれた傷だらけのコップを持ってきた。

 当たり前になった昼間のビールで喉を潤しながら、店の一番奥に置かれた十四インチのテレビを見ると、ニュースキャスターが、国会の会期延長を伝えていた。

 じゃこおろしに醤油を掛けながら、テーブルの下の網棚から、週刊誌を手に取ると“週刊文衆”だった。

“テレビなんかいらないキャンペーン第四弾”は、週刊誌の中ほどにあり、ページ数は四ページだった。

 会社の配慮か、室井、の名前はどこにもなかった。

 内容は、“本当にテレビは必要なのか?”の問いかけに始まり、続いて、主にバラエティー番組だが、“どうしようもない”という表現の番組のそれぞれの出演者、その番組での彼らのギャラ、並びに、昨年の推定年収が一覧に書かれており、あと、その番組の全てのスポンサー名と、テレビ局に支払われている広告料のトータル金額が書かれていた。

 そして、そんな番組を見たことがない人のために、簡単な番組の内容と、いかにその番組が“どうしようもない”かを詳細に述べ、人に見せる芸など何もないのに、芸能人だと言ってのさばっているこんな“芸NO人”の莫大な収入を払っているのがスポンサー企業で働いている父親である、ということを、家でポテトチップスを食べながら、こんな番組を見て大口を開けて笑っている妻と子供たちは一体わかっているのだろうか?と書かれ、最後に“国民に娯楽を与えるという一大使命をとっくの昔に終えたテレビに、今、存在意義など残っているのか、国民全体が考えなければいけない時期にきている”と結ばれていた。

 二本目のビールを店員に頼み、雑に折られたスポーツ新聞を拡げ、テレビ欄や芸能欄を見たが、“週刊文衆 訴えられる”といった文字などどこにも見当たらず、マスコミ各社の完全無視の姿勢は変わっていなかった。


 ほろ酔い気分で家に着くと、一男は、冷蔵庫の中から、一本だけ残っていた缶ビールを取り出し、冷蔵庫の中を空っぽにすると、コードを抜いた。

 テレビをつけると、ジャンクが、頭にタオルを巻き、白のTシャツを汗で透かせて、どこかの河原を走っていた。

「またっ、しょうもない番組やりおって」

 つけたばかりのテレビを切ると、一男は買ってきた便箋を開いた。

 考えてみれば、人に手紙を書くのは生まれて初めてだった。

“元気でやってるか?

 おまえを殴ったことはほんまに悪いと思ってる。

 千代美の為にも、もう一回、よりを戻して・・・”

 一男は便箋を丸めると、ビールの入った缶を傾け、もう一度ペンを握った。

“元気か?

 俺は、いろいろと考えた結果、会社を辞めた。

 これまで、働いてこれたのもおまえのおかげやと思ってる。

 退職金の、おまえの取り分いうたらおかしいけど、入れといたから。わずかやけど生活の足しにしてくれ。但し、慰謝料と違うから、それだけは間違えんといてくれ。あの紙はしばらく預かっとくんで、もう一回、よう考えてくれ。

 明日から東京に行くんで、なんかあったら下に書いてあるホテルに連絡くれ。たぶん、一年くらいは行くことになると思うんで”

 一男は便箋を丸めようと思ったが、パーク・ハイアットの領収書に書かれてある電話番号を便箋の一番下の行に書くと、折って、封筒の中に入れた。

 一男は永年使い古し、かなりくたびれた旅行鞄を取り出してくると、下着とポロシャツ、そして綿パンを入れ、Yシャツとネクタイを入れようと思ったが、やめて、Tシャツと短パンを入れた。

 玄関に持っていき、明日履いていく靴をだそうと下駄箱を開けると、千代美のサンダルが目に入った。

 一男は鞄を上から押さえつけると、ゆっくりとへこんだので、居間へ駆けていった。

 仏壇に手を合わし、笑っている千代美に、がんばってくるわ、というと、位牌を手にし、また玄関へと戻った。


             7

「すごい反響だよ。

 アクセスの件数が一万件を超えている。

 ほとんどが、俺達の考えに同調するというやつだ」

「反感とか中傷の内容のものは?」

「数件だよ」

 室井は通りがかったウェイターにハーパーの水割りを注文した。

「それもほとんどが関西弁だよ」

「じゃあ、ヨシモト・・ですか?」

「そうとは限らないよ。

 それに、そういったのは、まだまだこれからが本番だよ」

「私も、一応、妻は実家のほうへ帰しました」

「そうか。

 俺も、マンションはそのままにして、今日からここで暮らすよ」

「そうなんですか。

 じゃあ、毎晩このバーでミーティングできますよね」

「ちょっと待ってよ、山田さん」

 室井は笑いながらジャイアントコーンを口に放り込んだ。

「俺もさあ、綺麗な女とこんな店で毎晩飲めたらそらうれしいよ」

 最上階にあるバーは、全面ガラス張りで、手を伸ばせば東京の夜景がすくい取れそうだった。

「だけど、いい歳こいたおっさん二人が毎晩顔つき合わせてたら、店の人間に首根っ子つかまれて放り出されちゃうよ」

 はっはっはっ、二人で声を合わせて笑うと、客の大半を占める外国人が二人を不思議そうな目で見た。

「で、場所はどこなんですか?」

「東京ドームだ」

「えっ!?

 よう取れましたね」

「向こうも商売だからな。

 集談社だ、て言うと、係の奴は一瞬怪訝な顔をしたけど、組合のソフトボールで使いますって言うと、ありがとうございましたって」

 一男は、アーリー・タイムスのロックをダブルで注文した。

「時間は、マラソンのゴールの時間に合わせた。

 夕方の五時から八時だ」

「今年は誰が走るんですかね?」

「山田さんの大好きな、ヨシモトの若手の、ジャンクって言う奴だ」

「ああ、それでか・・・」

 ウェイターが持ってきた、アーリー・タイムスのロックを一男は喉に流した。

「で、本題に入るけど、だいたい俺達の行動指針なるものがまとまったんだ」

「そうなんですか」

「まず、テレビの代わりの広告媒体の件だけど、これは全てネットで行なう。

 ネット会社とは大体話がついていて、これまで企業がテレビ局に払っていた広告料の半分以下になるはずだ。

 一時的にネット会社に金が集中するけど、あいつらは今のマスコミのトップの人間よりはよっぽど頭がいいからうまく富の分配はしてくれると思う。

 企業側はおそらく不安がるだろう。

 本当にテレビがなくなってネットで広告を流すことによって、宣伝効果は落ちないかって。

 正直、俺は落ちると思う。

 だけど、考えてみてくれ。

 地方都市のお年寄りに、トヨタから今度新しい車が出ます、と言う情報は必要か?

 逆に、都会の若者に、今度ヤンマーから新しい田植え機がでますって知らせる必要があるか?

 過疎地の高齢者の人が、来週からハッピーセットのおもちゃがアンパンマンから妖怪ウォッチに変わるって聞いてどうする?

 本当は、十人だけに見てもらえばいい宣伝を百人が見ることになり、九十人分の余計な広告料をこれまでずっと企業は払い続けてきたんだ。

 本当に情報がほしい人間は、自分で金を払ってでも見つけてくるよ」

「なるほど・・」

「で、浮いた広告費は、設備投資に回せば景気も少しは良くなるだろうし、一部は販価に反映させてもいい。

 化粧品なんかみてみろ、あんなの販価の八割以上が広告費だって言うから、かなりやすくなるぞ。

 そしたら、世間のおばちゃん達も、サスペンスドラマとワイドショーが見れなくなるけど、化粧品がそんなに安くなるんならってこっちを見てくれるはずだ」

「あの人らは、物の値段に一番敏感な人種ですからね。

 せやけど、テレビ局とかヨシモトが黙って指くわえてますかね。

 一部、ネットに動画を配信し始めているテレビ局もありますからね」

「わかってるよ。

 だから、電波と同じように、インターネット法でも作って、国の一元管理下に置くよ。

 国がというか俺が認めたものしか配信できないようにする。今、ネットも無法状態だからちょうどいい機会だと思うよ。

「ケーブルテレビとかはどうします?」

「それは俺も迷ったんだ。

 ニュースだけとか、スポーツ番組だけを流すものならいいかなとも思ったんだが、中にはろくな考えをしない輩が必ずいると思うから、それもやめにした」

「せやけど、パソコンのない人とか、パソコンよう操作でけへん年寄りなんかはかわいそうちゃいます?」

「NHKを残す。

 それも、無償にしてだ。

 ただし、流す番組は、ニュース、天気予報、あと、“NHKスペシャル”あれはいい番組だ、残りは今教育テレビで流している番組を持ってくる。

 バラエティーだとかスポーツ番組とか、朝の連ドラ、大河ドラマは流さない。

 まあ、年末の紅白歌合戦くらいはやってもいいかなと思う。もちろん、歌手の皆さんはNOギャラだ」

「相撲はどうするんですか?

 お年寄りには結構好きな人が多いですよ」

「別にどっちでもいいと思ってる」

「どっちでもって?」

 言うと、一男は、通りがかったウェイターにアーリー・タイムスのお代わりを注文した。

「俺は、テレビを無くすことによって、スポーツにしろ、演芸にしろ、本当にいいものを生で見に行ってほしい、それが、あんたの言ったいい文化、いい言葉だよな、そのいい文化を作るきっかけになると思っている。

 プロ野球もおそらく人気球団なんかは一試合一億円と言われている放映料が入ってこなくなるから、俺達の考えには反対だろう。逆にテレビ中継のあまりない、特にパ・リーグなんかは大歓迎だと思うんだよ。

 テレビで見れなくなるから、どうしてもみたければ球場へ足を運ぶしかない。結果、観客動員数は飛躍的に増えると思うんだ。

 Jリーグも息を吹き帰すかもしれない。

 バレーボールやラグビー、あとマラソンなんかも試合数をもっと増やせば、プロ化できると思うよ。結構隠れファンが多いから」

「お笑いも同じことですよね」

「そうだ。

 笑いたければ劇場へ行けばいいんだ。

 そうすれば金をとって見せるわけだから、ろくに芸のできない奴は自然と淘汰されていく。

 俳優だ女優だとえらそうに言っている奴も同じだ。

 ろくに演技のできない奴は、映画にも出れない、舞台にも立てない、あとは静かに消えていくだけだ」

「そうなると、この世の中から、“タレント”というしょうもない人種はいなくなる」

「そういうことだ。

 それに、外へ見に行くとなると、電車に乗れば飯も食う、応援していたチームが勝てば祝杯だってあげる」

「よって、金が回って、景気も良くなると」

「その通り」

「でも、年寄りの中には足が悪いとか体調が悪いとかいうて、なかなか外へでられん人も多いから、やっぱり、相撲中継は残したほうが・・・せやけど、今の凋落ぶりを考えると、テレビ中継をなくして場所数を増やした方がええかもしれないですよね」

「今の相撲をわざわざ金を払って見に行く奴がいると思うか?

 それなら、年寄りのことを考えて残してあげたほうがいいだろう。

 どうせ、放映料も入らないから、そのうち、つぶれてなくなるよ」

「せやけど、一応、国技ですよ」

「いくら国技でも、駄目なものはいらないんだ。

 俺達が求めているのは“ほんまもん”だろ」

 室井のおかしな大阪弁に笑っていると「遅くなりました」と女性の声が二人の間に割って入った。

「おっ、めぐみちゃん」

 もらった名刺を見ると、“高見めぐみ”の名前の上に“取締役社長”と書かれていた。

「今色々とお願いしてるネット会社の社長さんだよ」

 めぐみちゃんは、店員にウーロン茶を頼んだ。

「初めまして、山田と申します」

「室井さんから、お話は伺っております。

 ブレーン、ということで・・・」

「いえいえ、そんな大したもんやないんですけど」

「いえいえ、切れ味の凄さはちゃんと伺っておりますので」

「室井さん、頼みますよ。そんな大袈裟に言わんといてくださいよ」

「だって、俺が総理大臣で、あんたが官房長官なんだから」

 めぐみちゃんはウーロン茶に少しだけ口をつけると、風が吹けば折れてしまいそうな細い手首にぶら下がっている時計を見た。

「あなた方のお考えには賛同いたします。

 資金の提供はいっさい惜しみませんので。

 それでは」と言って、めぐみちゃんは去っていった。

「すごい、忙しそうですよね」

「ああ。

 あんまり忙しいんで、見返りも惜しみません、て言うのを忘れていったよ」


             8

「樽井さん、なんとか頼むよ。この法案が通んないと、解散するしかないからね」

 日本国首相、岸本自由民権党総裁は、鍋の中から、鱧の白い身をとりながら、樽井創明党党首に言った。

「首相、もう限界ですよ。

 私の力だけでは、反対派を押さえ込むことはできません」

「導入の時もそうだったけど、政権はいったん取られはしたけど、結局は、今足下は5パーセントまできてるし、こうやって実際にお宅の党も与党でいられてるんだよ。

 国民もわかってるんだよ。いずれは上げなくちゃいけないってことは。

 どんどん高齢化社会は進む、それに反比例して子供の数は減っていく、労働者人口が右肩下がりになっていくのは一目瞭然、経済だって、現状維持が精一杯。みんなわかってるんだ。どこからか取ってこなくちゃいけないってことは。

 でも、とりあえずは反対しておこう。そらそうだよ。現実に生活は苦しくなるからな。

 でも、ちゃんとわかってるんだよ、今のこの国の現実を」

「それはそうなんですけど・・・」

「じゃあ、他に何か良い代案でもあるの?」

 岸本は手酌で酒を注ぎながら樽井に聞いた。

「い、いえ・・」

「そうだろ。

 君たちはいつもそうだよ。

 反対するのは結構だけど、何か、こっちが驚くくらいの代案を一度でもいいから出してくれよ」

 言い捨てると、岸本は大きく二度手を叩いた。

 すると、打ち合わせでもしていたかのように、するりと、襖子が開いて、女将らしき和服姿の女性が現れた。

「女将、やっぱりうまいよ。

 鱧はもちろん、出汁も最高だねえ。

 この、玉葱を入れるってのは誰が考えたんだろうねえ、ほんと尊敬しちゃうよ」

「先生、そんなに美味しいんでしたら、もっとちょくちょく大阪にも来てくださいよ」

「引退したら毎日でも来るよ。

 そう遠くないかも知れないけどな」

「また、ご冗談言いはって」

 言いながら女将は、全く箸をつけていなかった樽井の器に鱧の白い身を二切れ入れた。 「先生、お口に合いませんか?」

「いえいえ、これからいただこうと思ってましたので・・」

 樽井は無理矢理器にかぶりつき、眼鏡のレンズを湯気で曇らせた。

「女将、鱧の追加もらおうかなあ」

「二人前ぐらいでよろしいですかねえ」

「そうだな。

 それと、あのいつももらう冷酒持ってきて」

「二合くらいでよろしいですか?」

「二合でも、十合でもいいからすぐに持ってきてくれ。

 こちらの先生、まだ、酔いが足りないようだから」

 女将が部屋を出ていくと、岸本は持っていた箸と器をテーブルの上に下ろした。

「樽井さん、なんとか頑張って貰えんかな。 もう、野党には戻りたくないだろ?」

「ええ、もちろんそうなんですけど、ただ・・・」

「ただ、なんなんですか?」

「首相、本当に申し訳ないですが・・・」

 岸本は、恐縮する樽井を見下すような目でしばらく見ていたが、やがてまた手を大きく二度叩いた。

「まあ、お互い次の選挙は頑張ろう。

 うちも、もう背に腹はかえられないからね」

 襖が開いた。

「先生急用ができてお帰りだから、お送りして」

 樽井は額の汗を拭いながらのそっと立ち上がった。

「樽井さん。

 坊主丸儲け。

 この言葉に案外国民は敏感だよ」

 樽井は一瞬眉を引きつらせたが、軽く岸本に一礼すると、女将と一緒に部屋を出ていった。

 暫くすると、岸本の秘書の内村がやってきた。

「樽井先生えらく早いですねえ」

「内村君、すぐに官房長官に電話してくれ」

 岸本の表情を見て、内村はすぐに携帯電話を取り出した。

「先生」

 内村は釦を押しながら一枚の紙を岸本に渡した。

 岸本は紙に視線を落とし、そして内村に聞いた。

「これはいつなんだ?」

「明後日の夕方五時からです」

「場所は?」

「東京ドームです」


            9

「かなんなあ、こんなときに解散されたら。

 話題が全部そっちに持っていかれるがな」

 峰社長は苦々しそうに机の上に並べた新聞を見た。

「ジャンク、せやけど心配すんなよ。

 デイリーとサンスポの、明日と明後日の裏表紙は押さえたからな」

 ジャンクは何も言わず、ペットボトルのスポーツドリンクに口をつけた。

「なんや、まだ怒ってんのか?

 しゃあないやんけ。

 去年は、渡辺さんとこがやって、今年は俺んとこの番やってんから。

 それに周り見てみい、おまえみたいに全国ネットで売れる可能性があって、なおかつ百キロ走れる人間なんかおれへんやろ?」

「社長、正直、話もろた時は、腹立ちましたよ」

 頬が痩け、黒く日焼けし、すっかり精悍な顔つきになったジャンクは足元を見つめながら言った。

「仕事終わってね、くそ暑い中走らされたときはほんまにやめたろ思たんですよ。

 いやいややるから、よけしんどいんですよ。

 それがね、教えてくれるコーチとか、番組のスタッフとかがね、むちゃくちゃ頑張ってくれるんですよ。

 僕が苦しい思ったら、一緒に苦しんでくれるんですよ。うれしいときには、一緒に喜んでくれるんですよ。

 僕ね、周りの人にこんなにあんじょうしてもろたん初めてなんですよ。

 どんなことがあってもね、絶対にゴールしたろ、僕の為やない、みんなの為に、そ、そう、み、みんなの為に、うーっ」

「お、おいっ、何も泣かんでもええがな」

「スタートまでまだ時間あるんで、ちょっと、その辺ジョグしてきます」

 涙を拭うと、ジャンクは、ほっほっほっ、と、膝を高く上げて、控室から出ていった。

「おいっ、町田っ」

 峰社長は、部屋の隅で、スポーツ新聞を読みながらにやにや笑っているジャンクのマネージャーを呼んだ。

「おまえ、あのホームページ見たか?」

「例の、テレビをこの世の中から無くそう云々ていうやつですよね?」

「ああ」

「見ましたよ。

 僕ね、ああいうの大好きなんすよ。

 週刊誌も毎週読んでますから」

「あほんだらっ!!」

 峰社長は町田の頭を叩いた。

「おまえ、何考えとんねん。

 わしらの敵やぞっ。

 もしなんかあってテレビがなくなったらわしら全員おまんまの食い上げやねんぞっ!」

「すんません」

 町田は申し訳なそうに頭を下げた。

「ええか、町田。

 何がなんでも、ジャンクの奴、ゴールさせろよ。

 どんな手使うてもかまわん。全ておまえに任せるから」

「は、はい」

 そう言って町田が部屋の隅に戻りスポーツ新聞の続きを読み始めたとき、峰社長はもう一度町田の顔を見た。

「それとな、あいつ一生懸命やってくれんのはええんやけど、あいつの売りはあくまでもあの軽薄短小さや。

 あんまりストイックなイメージついたらこれから仕事やりぬくなるから、今回のマラソン終わったら、一カ月くらい休ませて新喜劇にでも出してリハビリさせろ」 


              10

「よう寝れました?」

「さあ、酔ってたからいつ寝たか覚えてないよ」

「私も寝しなにビール飲んだんですけど、なんか遠足の前の日のような気持ちで、なかなか寝つかれんで」

「しょうがないよ、今日から本当のスタートなんだから」

 扉が開くと、白人客の団体が乗ってきて、酒くさかったエレベーター内が、一気にオー・デ・コロンと体臭に占拠された。

「おえーーっ」

 エレベーターから降りた室井は、何食わぬ顔でルームキーをフロントへ返しに行く白人達の横で激しく嗚咽した。

「二日酔いの人間のことも考えろってんだよ」


 外の空気を吸ったせいか、駅の近くのセルフサービスでコーヒーを飲む店に入った時には、室井の顔色はすっかり良くなっていた。

「ホテルのスクランブルエッグもたいがい飽きたよな」

 コーヒーと一緒に買ったマフィンの袋を破りながら、室井は店の奥をあごで差した。

 そこには液晶テレビがあり、額から汗をしたたらせながら走るジャンクの姿が映っていた。

「このくそ暑いのに、よくやるよな」

 ジャンクの両足はテーピングでぐるぐる巻にされ、黒く焼けているであろう肌はほとんど露出されていなかった。

「まあ、今年で最後だから、奴もある意味メモリアルランナーになるんだからな」

 そうですよね、と一男はコーヒーに口をつけた。

「で、山田さん、今日の段取りだけど・・・」

「はい」

「四時までにはドームに入ってくれるか。

 あとは、控室でゆっくり休んでもらっていて、まあ、たまに人の入り具合でも見に行ってもらって、そうだなあ、一応始まりは五時だってことになってるけど、登場は三十分くらい遅れてからでいいだろう。もったいぶって出ないと効果が出ないだろうから」

「わかりました。

 そしたら、このあとホテルに戻って、ちょっと休憩してから、三時過ぎに一緒に出ましょか」

「いや、俺は岬の家へ行ってくる。

 今日が本当の始まりだから、奥さんに報告してくるよ」

「じゃあ、ドームで待ち合わせっていうことで」

「いや。

 その後、奥さんと娘さんとで食事に行く」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。

 そしたら、誰が、演説するんですか?」

「山田さんだよ。

 俺は総理大臣。

 あんたは官房長官。

 こういう仕事は官房長官の仕事だよ。

 俺は、政見放送担当だから」

 室井はマフィンの残りを口に放り込むと、コップの水に口をつけ、腰を上げた。

「手土産買わないといけないから、先に行くよ」

「ちょ、ちょっと、わ、わたし、何を話したらいいんですか?」

「思っていることを正直にぶちまけてくれればいい。熱き思い、熱き思い・・・昔そんな歌あったよな、その熱き思いを思う存分語ってくれ。それだけだ。じゃあ」

 室井は行ってしまった。

“岸本総理大臣は、昨日の記者団との会見の中で、今度の衆議院解散総選挙において、創明党との連立は難しいだろうと述べました”

 液晶テレビの中で、餌を待つ鯉のようにぱくぱくと口を動かすキャスターに、一男は全く気がつかなかった。

 頭の中は、五万の人で埋まる東京ドームのど真ん中で、何もしゃべれずに脂汗を流しながら固まっている自分の姿が占拠していた。

 ギュルルルルルル

 一男は極度の緊張を強いられるとクダしてしまう、そんな体質だった。


           жжжжжжжжж

 一男がマツモトキヨシの大きなレジ袋を持って水道橋の駅に降り立ったとき、ホームの天井にぶら下がっている時計は、四時を三十分回っていた。

 ホテルを出て新宿駅に着いた途端に駅の便器を跨ぎ、マツモトキヨシに入って、なかなか紳士用おむつを持ってレジに行く勇気が持てなかった。

 駅前の信号を渡り、東京ドームにつながる橋を上っていると、ちょうど、最終レースが終わったのか、専門誌やスポーツ新聞を手に持ったWINSからの帰りの客がたくさん向こうから下りてきて、有り難いことに、橋を上っているのは自分以外ほとんどいなかった。

 今朝、室井と会うまでは、一人でも多くの参加者が来てほしいと願っていたのが、今は、一人でも少なく、ただそう願うだけだった。

「山田さんですか?」

 ドームの入り口で、首からIDカードをぶら下げた男性が声を掛けてきた。

「室井から話は伺っております」

 通路を歩いている間、二人に会話はなかった。というか、一男に人と話す余裕などなかったのだ。

「五時半過ぎに迎えに上がりますので、それまでごゆっくりとお休み下さい。

 トイレは、出られて左側すぐにございますので」

 控室の鏡に映った顔は青白く、少し頬が痩けてみえた。

 部屋の隅の十四インチのテレビをつけると、ジャンクが、歩いていた。

〈さあ、残り時間があと三時間とわずかだっ。

 ゴールに間に合うのかっ〉

 スタジオの黄色いTシャツを着た女性タレントは、泣きながら、ジャンクに声援を送っていた。

「拷問やなあ・・・」

 一男はテレビを消した。

 部屋を出ると、トイレの前を通りすぎ、突き当たりを何も考えずに左に曲がった。

 通路の幅が急に狭くなり、螢光燈は全て消え、先のほうに小さな明かりが見えた。

 壁伝いに歩いていくと“関係者以外立入禁止”と書かれた扉にたどり着いた。

 ゆっくりと扉を押すと、視界をまぶしい緑色が占拠した。

 足を踏み出した一男は、柔らかい芝生の感触を足の裏に感じながら、目の前に拡がった光景に唖然とした。

 誰もいないグランドを取り囲む観客席に、立錐の余地がないほど人が埋まっていた。

 ギュルルルルルル

 一男は踵を返した。


 何度呼びだし音を鳴らしても、室井は出てこなかった。

「弱ったなあ・・・」

 一男は諦めて携帯電話を切り、トイレットペーパーに手を掛けようとしたとき、入り口の扉が開く音がした。

「すげえ人だよなあ」

 一男はそっとトイレットペーパーを回した。

「まだ入り切れない人がいっぱい待っているみたいだぞ」

 違う声が言った。

「外野の芝生を開放するみたいだぞ。優に五万人は超えてるよ」

 ギュルルルルルル

 一男はトイレットペーパーから手を離すと、額に滲んできた脂汗を肘で拭った。


 控室に案内してくれた男性から少し遅れて通路を歩く一男のへそから下には全く力が入っていなかった。

「すごい数の人です。

 室井に報告を入れると『あとは山田さんに任したよ』と言っておりました」

 一男の耳には全く入らなかった。

「こちらです」

 招かれたところは、一塁側のベンチだった。

「もう少しすると、照明が全て消え、スポットライトがグラウンドに落ちますので、その輪の中に入って、ピッチャーマウンドまでゆっくりと歩いていってください」

 トイレの中の男性達の会話に偽りはなく、内野のダイヤモンドの形に沿って、外野は人で埋め尽くされていた。

 その最前列には、テレビカメラを持ったクルーが何組かいたが、全て外国人だった。

 と、突然、全ての照明が消え、場内が少しざわついた。

 ギュルルルルルル

「さっ、どうぞ」

 どこから落ちてきたのかわからないスポットライトの輪の中に一男が一歩踏み出すと、場内には割れんばかりの拍手が起こった。

 しかし、右手と右足、左手と左足を一緒に動かし、操り人形の様に歩きながらピッチャーマウンドへ向かう一男の耳には、紳士用おむつとズボンが擦れあう、カサカサ、という音しか耳に入らなかった。

 ピッチャーマウンドに着いた。

 拍手の渦はさらに大きくなった。

「ほ、本日は、お、お暑い中、お、お忙しい中を、ご、ご参加頂きまして、ま、誠にありがとうございます」

 蚊の泣くような一男の声は、あっという間に拍手の渦に飲み込まれた。

「わ、私、な、永年勤めました会社を、わ、わけあって、た、退職いたしまして・・・」

 ここまで話すと、一男は、演台におかれたペットボトルの水をぐいと飲んだ。

 すると、これまでの緊張が嘘のように胃の奥底へと流れて行き、肛門がキュッと締まった。

「初めのうちは、朝からパチンコへ行って、昼間から、定食家で、皆さんが日替定食を食べてる横で、ビール呑みながら冷や奴をつついていました」

 拍手が笑いに変わった。

「せやけど、そんなん、一週間で飽きました。

 皆さんと同じく、私も無趣味な人間です」

 小さな笑いが起こった。

「そのうち、家でおる時間が増え、嫌でも、テレビを見る時間が増えていったんです。

 最初の頃は久しぶりに見るワイドショーだとか、三十分枠の連続ドラマとか、あと、情報化番組って言うんですかね、そんなんが凄く新鮮に感じたんですよ。

 ところが、さきほどの昼間のビールやないですけど、一週間で飽きてしまったんです。

 どこのチャンネルひねっても、同じ様な内容で、出演者も同じ様な、さっき他の局で出てたのに、っていう顔ぶれで、私、言葉でお分かりだと思うんですけど、大阪の人間でして、向こうでは、皆さんご存じだと思いますけど、ヨシモトの独壇場なんです。

 ゴールデンタイムもそうなんですけど、それ以外の時間帯いうたら、どこのチャンネルひねっても、金太郎飴みたいにヨシモトのタレントが出てくるんです。完全に持ち回りなんですよ。だから、とっくに旬の過ぎたタレントや芸人でも細々と食べていけるんです。

 新しいものが生まれない土壌になっているんですよね。今の大阪という街の元気のなさにつながってるかも知れません」

 一男はミネラルウォーターを口に含んだ。

 観衆は、じっと聞き入っている。

「ゴールデンタイムも同じようなもんです。

 視聴率の取れるタレントを呼んできて、その周りに何の芸もない芸能人を並べるんです。 ちなみに、ここで言う芸能人の“能”は英語の“NO”ですから」

 また、笑いが起こった。

「彼らは白いボードを持ってくだらないアドリブをしゃべり、視聴率の取れるタレントにいじくられて、ただ笑われてるだけなんです。

 決して、人を笑かせてるわけやないんです。

 そんな似たような番組ばっかりなんですよ。

 視聴率取れるんやったら、おんなじ様な内容でもかまへんからとりあえずやっとけ、そんな感じなんでしょうね。うちの局はどんなことがあってもこれでやっていく、という信念がないんです。

 確かに、スポンサーから高額なお金を受け取ってるから、それなりの視聴率は取らなあかんのはわかりますけど、余りにもそれだけやったら、オリジナリティーな番組なんか全く作れないと思んです。流す番組が作れないんだったら、電波を一時的に止めればいいんですよ。無理して、くだらない番組を作る必要ないんですよ。

 現に、皆さんご存じかどうか、各テレビ局とも、昼間に二時間ドラマの再放送を毎日流しているんです。

 ほんと、テレビなんかいらんな。

 私はつくづく思いました」

 プロ野球の日本シリーズの勝利監督インタビューのコメントに反応するかのように観衆は声援と拍手を一男に送った。

「ところがですね、そんな、くだらないテレビに出演しているそんな奴ら、・・いや、そんな人達が、毎年、高額納税者に名前を連ねているんです。

 誰が彼らの給料を払ってるんですか?

 そう、テレビのスポンサーです。

 そのスポンサーの企業で働いているのは誰ですか?」

 小さなざわめきが起こっただけだった。

「えっ?

 聞こえませんよ。

 あの、なんの芸も持たないくせに、芸能人気取りして、いい気になっている奴らにベンツを買ってあげたり、フェラーリを買ってあげてるのは誰ですか?」

 一男は、サッカー選手がゴールを決めた後に観客に向かって、誰がゴールを決めたんだ?と耳に手をあてて聞くポーズを、ドームの中の参加者に向けた。

「俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、 

俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、  俺達だ

 俺達だ、   俺達だ、   俺達だ

俺達だ、  俺達だ、  俺達だ 」


 一男は、甲子園球場で聞いたことのある、地の底から沸き上がってくるような阪神タイガースの応援を思い出すと、止まっていた足の震えが再び起こり始めたのを確認した。


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 典子は、ユニットバスでシャワーを浴びて出てくると、一人暮しを始めてから覚えたビールの缶を開けた。

 テレビの電源を入れると、ジャンクが画面に登場した。

「やあ、頑張ってるやんか」

 ジャンクは、鬼気迫る形相で、足を引き摺りながら、前に進んでいた。

 番組終了までの時間が、三十分を切ったことを、画面隅の数字は示していた。

「ほら、もうちょっとや」


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「出版社に勤めたいって言っているんです」

 岬の妻、和枝は、娘の里見がトイレに立った隙に室井に口を開いた。

「やめたほうがいいですよ、こんなヤクザな世界。

 奥さんだって散々苦労されて、わかってらっしゃると思いますけど」

「ええ。

 だけど聞かないんですよ、いくら言っても。

 あの人の意志を受け継ぐんだって」

「じゃあ、あの時のことは大体娘さんにはお話されたんですか?」

「いえ、聞かれれば答える程度だったんですけど、あの子なりに周りの雰囲気からいろいろと感じとったみたいで。この間、やっちゃダメなんですけど、そっと机の引きだしを開けたら、あの時のことを書いた本がたくさん出てきて」

「娘さんだってわかってたんですよ、自分のお父さんが自ら命を絶つような人間じゃないことくらい。

 私も、岬は絶対に誰かに葬られたといまだに確信しています。そして、誰が葬ったのかも、大体は検討がついています」

 里見が戻ってきた。

「里見ちゃんさあ、お父さんの跡を継ぐんだって」

 和枝は、えっ、と言う顔を室井に向け、里見は、お母さん言ったのね、と言う抗議の目を和枝に投げかけた。

「ええ、一応・・」

「じゃあ、俺も協力するよ。社長じゃないから、よしっ俺んとこへ来いっては言えないけど、出来るだけのことはするよ。だから、それまでに大学へ行ってしっかりと勉強して、いろんな人と出会って、いろんなものの考え方を聞いてくるように。経験に勝るもの無し、俺の格言だから」

「わかりました」

「よしっ、じゃあ乾杯しよう。

 今日は、みんなの本当のスタートの日だから」

 言うと、室井は、食後のコーヒーを持ってきたウェイターに、ワインとグラス三つを頼み、最後に、今日車で来たんで、明日必ず取りに来るから一晩ここの駐車場で預かっておいてくれとそのウェイターにお願いし、無理矢理イエスと言わせた。

「室井さんは普段はテレビは全然見ないんですか?」

 ワインに口をつけ、この世の終わりのような顔をして苦さを表現した里見が室井に聞いた。

「見ないことはないよ」

「何見てるんですか?」

「スポーツ番組と、ドキュメンタリーくらいかな。

 スポーツ番組っていっても、訳のわかんない芸能人が応援団みたいなことをしてはしゃぎ回ったり、元OBが何も知らないくせに解説者ぶってうんちくを垂れているようなやつは見ないよ。

 WOWOWのような、ただ黙ってプレイだけを見せてくれるようなやつだけだよ。

 里見ちゃんは?」

「ほとんど見ません」

「この子ったら、意地張っちゃって」

 和枝がちゃちゃを入れた。

「だって、本当に見たい番組なんかないんだから」

 里見は、顔を少し赤くして反論した。

「別に見たっていいんだよ。

 俺達だって、みんな、“テレビっ子”だったんだから。

 ドリフターズだ、欽ちゃんだ、ひょうきん族だ、てね。

 昔は今と違って、たいていテレビは一家に一台しかなかったから、毎月一回、みんなであみだくじで、自分がチャンネル権を持てる曜日を決めるんだ。自分が見たい番組の曜日に当たればいいんだけど、そうじゃない曜日が当たると、後で返すからって言って、一時間だけ枠を借りたりして、ワイワイガヤガヤと楽しくやってたんだよ。

 それが、この国も変に豊かになっちゃったから、子供たちもみんな自分の部屋を持つようになり、テレビも一人一台の時代になった。

 結果、テレビへの依存が異常に高くなってしまった。

 そのうち、俺達は、学校を出て働くようになると、仕事だ付き合いだって、テレビなんか見る時間に家に帰らなくなる。たまの休みに見ると、くだらない番組の多さに驚く。おそらく、自分たちが世の中の流れの外にいるってこともあるし、出ているタレントの半分以上は名前も知らないってのもあると思うんだ。

 だけど、どう見ても、絶対的にその番組がおもしろいとは思えないんだ」

 室井の声の大きさに、周りのテーブルの人のナイフとフォークを持つ手が止まった。

「民放だって、特に地方局なんかいいドキュメンタリーを作ったりしているんだ。

 だけど、そんないい番組を掻き消してしまうくらいたくさんのくだらない番組があるんだ。

 そんな番組に出ている、いわゆる“タレント”という言葉で一括りできる連中。あっ、そうだ、里見ちゃん、英語のtalentの単語の意味ってわかる? 元もと『才能』もしくは『才能のある人』って言う意味なんだって。誰が付けたのか厭みだよな。才能の欠片もない人間達をそんなふうに呼ぶんだから。で、そんな、タレントの皆様が、毎年高額納税者に名前を連ねてるんだ。そら、中には、充分、金の取れる人もいるよ。ああ、この人だったらこれだけ稼いでも納得できるなってのが。でも、そんなのは、ほんの一握りだよ」

「うまくいきそうなんですか?」

 里見が、指先にでも乗りそうな小さなケーキを口に運びながら室井に聞いた。

「ああ、きっと、同じ思いの人がたくさんいるはずだ。里見ちゃんのお父さんのような人が」

「もう一人の、山田さんって言ったかしら?」

 和枝がお付き合いで飲んでいるワインで頬を赤く染めながら聞いた。

「大阪の人で、日本で一番の商事会社で営業部長をやっていたんだ。それが少し分け合って会社を辞めて、家でぶらぶらしていたんだ、そしたら、さっきの話じゃないけど、久しぶりに見たテレビの余りの惨状ぶりにこれではいけないと思って」

「やっぱり、いるんですね、そういう人が」

 里見が二つ目のケーキをフォークに乗せて言った。

「山田さんにも、生きてれば里見ちゃんと同じ位の娘さんがいたんだ」

「生きてれば?」

「大きな病を患っていたらしい。

 それ以上は詳しいことは知らない。

 いい親父だよ、山田のおっさんは。

 頭が無茶苦茶いい。

 ああいうのを本当の“タレント”って言うんだよ」

「今日は?」

「今頃、東京ドームで雄叫びを上げてるよ」


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「私は、この国から、テレビを無くさなければいけない、ほんまにそう思いました」

 地鳴りのような歓声は鳴り止まなかった。

 すると、突然、バックスクリーン上のオーロラビジョンに、必死の形相で走るジャンクの姿が映り出された。

〈さあ、いよいよ日本武道館が見えてきました。長かった、本当に長かった100キロのドラマがまもなく終焉を迎えようとしています〉

 いつもの曲をBGMに、一男も観衆もオーロラビジョンに見入った。

 やがて、ジャンクは日本武道館に入った。

「みなさんっ!!」

 一男の声がドームの中に響き渡った。

「今、彼は、・・・正に、ゴールを迎えようとしています。そして、戦後のお茶の間に娯楽を提供し、今や完全に私達の生活の一部になった“テレビ”が、今、任務を終え、彼と肩を並べゴールを迎えようとしています」

 ジャンクが白いテープをきり、多くの出演者に迎えられた。

「彼のゴール、そして、“テレビ”のゴールは、私達のスタートですっ!!」

 オーロラビジョンから泣きじゃくっているジャンクの姿が消え、額に汗の雫を浮かべ、口の周りに白い泡を付けた一男の顔のアップが映し出された。

「みなさんっ、・・・、本当にすばらしい、ほんまもんだけが評価されるような国に私はこの国がなってほしいと切に願います。もうこれ以上、安直な、見せかけだけのまやかしはいりません。

どんなことがあろうと、絶対に政権を取ってみせます。絶対にっ!!」

 観衆はみな立ち上がり、一男に割れんばかりの拍手を送った。

 拍手は、やがて、「やまだーっ」の歓声に代わり、最後には「やーまーだっ!!」のシュプレヒコールとなってドームの中を席巻した。

 そして、一男は、頬に涙を伝えながら、マツモトキヨシで買った成人用おむつに、わずかな暖かみを感じた。


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「あら、もうこんな時間やわ」

 二本の缶ビールで顔を真赤にした典子は一人ごちると、部屋の隅に置いてある小物入れから爪切りを取り出した。

 畳の上に腰を下ろすと、新聞紙を拡げ、プチンプチンと指の爪を飛ばし始めた。

〈十一時のニュースです〉

 テレビには髪を七三に分けたNHKのアナウンサーが映っていた。

〈今日、衆議院の解散総選挙が9月25日に行なわれることが決定しました〉

「そんなん、誰がやったって一緒やって。選挙やるだけ税金の無駄遣いやねんから、何もやらん方がよっぽど国民の為やわ」

 典子は手の指の爪を切り終え、足の指に移った。

〈今日、テレビなんかいらないキャンペーンと称した催しが東京都内の会場で行なわれ、多くの参加者が集まりました〉

「物好きなもんがおんねんなあ。テレビ見たなかったら、切っといたらええねん」

 画面には、額に汗して唾を飛ばしながら喋る一男の姿が映っていた。

「あ痛っ、また、深爪してもうたがな」

 最後の親指の爪を切り終えた典子が顔を上げると、画面には一男の姿はなく、代わりに気象予報士が、近づきつつある季節はずれの台風の進路予想を説明していた。


             11

〈ピザ買ってきたんだ〉

 室井の大きな声が受話器の向こうから聞こえた。

「朝から結構ハードですね?」

〈何が朝だよ、時計見てみろよ。〉

 眠い目を擦って見ると、備え付けの小さな時計の短針はじっとこっちを見るように、

11と12の間で止まっていた。

 カーテンを開けると、大きな窓には叩き付けるようにして雨が降り注いでいた。

 すぐに乱暴なノックの音が聞こえた。

「おいおい、昨日の英雄も台無しだな」

 部屋に入ってきた室井は、一男の顔を見るなり言った。

「それになんだよ、この汚い部屋は。

 俺が持っていた山田さんのイメージが壊れちゃったよ」

 テーブルの上には、握り潰したビールの缶や、食べ散らかした寿司の折、そして、横に寝転がったグラスの縁には、漫画の吹き出しのように茶色い水溜りができていた。

「男寡夫ってこのことを言うんだよな」

 洗面台へいって一男は自分の顔を映した。

 寝癖のついた髪、腫れた瞼、口元にはよだれの痕跡と見られる白い筋が付着していた。

「室井さん、シャワーだけ浴びるんで少し待ってて頂けますか?」

「ああ、いいよ。

 私も下着着替えて待ってるから早く出てきてね」

 室井の笑い声を遮るようにバスルームの扉を閉めると、シャワーの栓をひねった。

 熱い湯を頭から浴びながら、一男は昨日の夜のことを思い出した。

 演台から降りた後、スタッフの人に打ち上げに行きましょうと誘われたが、どうしても一人で飲みたかったので、丁寧に断り、差し出してくれたタクシーチケットも受け取らず、水道橋の駅から電車に乗った。

 新宿で降りると、駅の構内にあるコンビニで缶ビールと乾きものとアーリー・タイムスのハーフボトルを買い、ホテルへ戻る途中にある寿司屋で、にぎり一合半を買った。

 二本目の缶ビールを開けたところでやっと体の震えが止まり、腹が減ったからと蛸の寿司を摘みながら、今典子はどこで何をしているのかなと思い、アーリー・タイムスの最後の一滴をグラスに注いだとき、思い出したかのように鞄の中から千代美の位牌を取りだしたところで記憶は止まっていた。

 シャワーから出ると、テーブルの上が片づいていた。

「俺は正義感が強いし、きれい好きでもあるんだ」

 室井が、どこで借りてきたのか、ほうきと塵取りを手にしながら言った。

「ところで、これは一体なんなんだ?」

 マツモトキヨシのレジ袋を室井は指さした。

「ちょっ、そ、それは・・・・」と言ったがすでに遅く、室井は袋を持ち上げると、中から成人用おむつをつまみ出した。


 二人で散々笑った後、「じゃあ今から、昨日の成功と山田さんのご苦労を労って乾杯だ」と言って、テーブルの上にピザの入った四角い箱を置き、室井は部屋の冷蔵庫から缶ビールを取ってきた。

「ここのは高いから、私、外で買ってきますよ」

「いいじゃないか、今日はお祝いなんだから」

 景気よく二本の缶ビールのプルトップを開けた室井は「乾杯ーっ」と言って、一男に渡した缶ビールに自分のアルミ缶をぶつけた。

 二日酔いでからからに乾いた肝臓に、また新しい酒が染みていくのがわかった。

「笑いすぎて腹減っちゃったよ」

 室井がピザの蓋を開けると、酒臭かった部屋に、チーズの焼けた匂いが拡がった。

「しかし、山田さん、あんたは役者だよ」

「何がですか?」

「昨日の演説、今朝、スタッフから画像を送ってもらって早速見させてもらったけど、最高だったよ。台本無しであれだけできるんだから。特に、大阪弁で訴えるとこなんかすごく説得力があったよ。

 もし、今回の件がぽしゃっても、俳優か、新興宗教の教祖様で食べていけるよ」

「無理ですよ。

 私はほんまに、自分の思っていることを観衆の方に伝えたい、ただ、それだけを思て喋っただけですから。

 せやけど、変な話、確かにあれは一回やったら病みつきになりますわ。

 ロック歌手が、みんな乗ってるかっ!て言う気持ち何となくわかりましたわ」

「そしたら、街頭演説なんかは全部山田さんに任せるよ」

「や、やめてくださいよ。

 もう、おむつしながら人前で話すのだけはこりごりですわ」

 二人は、ピザを口から離すと部屋の天上に向かって大笑いした。

「で、反響はどんなもんですか?」

 一男は缶ビールを傾けながら聞いた。

「すごいよ。

 世界中のメディアからアクセスがあった。

 本当に政権を取るつもりか、って言う質問があったから、取るつもりがなかったらこんなことはしないよと答えておいたよ」

「NHKだけは来てましたよね」

「一応、国営放送だからな」

「日本のメディアからは?」

「全部見たわけじゃないけど、アクセスはなかった。

 新聞も各紙、スポーツ新聞も全部見たけど、東京ドームの“と”の字もなかったよ。

 その代わり、国内からのアクセスは十万件を超えている。それもほとんどが、俺達の考え方に賛同するってやつだ」

「すごいやないですか」

「ああ、思っていた以上の反響だ。

 中におもしろい書き込みがあってな、静岡の中学生からで“すごく感動しました。あなた達の考えもよくわかりました。でも、テレビを無くすのだけはなんとかしてもらえないでしょうか。僕達、急に明日からテレビがなくなると言われるとどうしていいのかわかりません。なんとか考え直してください。お願いします”だって」

「もう私らが政権取るもんやと思ってるみたいですね」

「可哀想だから、どこかの社長の受け売りで返事を打ってやったんだ。

“これは、破壊と創造です。本当にいいものを新しく造り出すための破壊です。始めはいろいろと不便なこともあるでしょうけど、きっと、今以上にすばらしいもの、それを文化と言うのは少し大袈裟かも知れませんけど、必ず生まれてくるものと信じております。どうか御理解ください”ってね」

 一男は、グリーンペッパーの袋を切りながら笑った。

「あの子らにとったら切実な問題ですからね。

 せやけど、私らの考えに興味を持つだけでも大したもんちゃいます」

「子供たちだって、何かを感じてるんだよ。

 今のままじゃダメだって。

 だけど、俺達と違って、それを言葉にできないから、こっちまで聞こえてこないだけで、その辺のバカな大人よりはよっぽど考えてるんだよ」

「ワインでも飲みましょうか?」

「いいねえ。あと、ピザだけじゃ何だから何か取ろうよ」

「今日はお祝いですからね」

 一男は少し頬に火照りを感じながら受話器をとった。


 チーズクラッカーをかじりながら一本一万円のワインをのみ、一男は、昨日の夜の室井の話に耳を傾けた。

「泣かせますよね。

 こうなったら、何がなんでも実現させなあきませんね」

「ああ、頑張らなきゃな」

 台風がかなり接近してきたのか、窓を叩く雨の音が部屋の中にまで聞こえてきた。

「政見放送で話すことは大体まとまりました?」

「昨日山田さんが話したこととほとんど同じだ。

 ただし、興奮せずに、泣かずに、標準語で、そして、一番大事なことだけど、おむつは履かずに話す」

 一男はクラッカーの粉を口から噴き出させながら「もう、勘弁してくださいよ」と言った。

「冗談だよ、冗談。

 でも、基本的にはほとんど変わらないよ。 テレビをこの国から無くしたら、企業にはこんないいことがありますよ、奥様方、化粧品もぐんとお求めやすくなりますよ、おまけに、インターネットも国が一元管理しますから、お子さんが自分の部屋で一人変なネットを見なくなり、人を傷つける子どもなんかいなくなりますよ、あっそうだ、お年寄りの方、NHKはこれまで通り残します、おまけに無料です、相撲もちゃんと見れますから、ってみんなにとっていいことばかり喋るつもりだ」

「党員は?」

「公募する。明日ネットで流すよ」

「集まりますかね。なんだかんだ言ったって、私らの考えに賛同してくれる人ってほとんどがサラリーマンでしょ。立候補するとなったら、会社によっては応援している党との兼ね合いから退職してくれと言われる可能性もあるし、退職してもし当選せえへんかったらって考えたら、躊躇しませんかね。党の考え方には賛成、もちろん応援します、せやけど立候補までは、ってことに」

「最悪集まらなかったときは、めぐみちゃんにお願いして、名前だけ借りることにしている。

 そもそも俺は、比例区で稼ごうと思っている。

 個人ももちろん大事だけど、党に投票してもらう、というイメージを持っているんだ。

 だから、そんなに全国を走り回って選挙運動をしようとは思っていない。

 ここと思う比例区でがっぽり稼いで、小選挙区は絶対に勝てそうな地区以外には立候補者は立てないつもりだ。

 自由民権党が地盤の地方都市へ行っても、何しに来たんだってお年寄りに言われるだけだよ。俺達の考えを理解してもらうにはもう少し時間が掛かる。

 その代わり、都市部では、全ての選挙区に立候補者を立てるつもりだし、立てた立候補者は必ず当選させるつもりだ。絶対にやれると思っている」

「わかりました。で、党の名前はなんか考えました?」

「それが、いろいろ考えたんだけど、なかなかいいのがないんだ。

 テレビなんかいらない党、小学生が立候補してるわけじゃあるまいし、NO(ノー) TELEVISION(テレビジョン)の頭を取って、ノッテレ党なんかどうだ。言いやすくていいだろう。今、ノッテレ党が乗ってれとう、なんて、しゃれも言いやすいだろう。でも、あれだな、日テレ(ニッテレ)が怒ってきそうだな、真似するなって・・・」

 一男は何も言わず、クラッカーを赤ワインに浸して口に運んだ。

「こんなのはどうだ?

 山田さんがよく言う“ほんまもん”をそのまま使って、ほんまもん党ってどうだ。ストレートでいいと思うんだけど」

「やめてくださいよ、そんな、大阪市の職員が考え出しそうなキャッチフレーズみたいなのは」

「じゃあ、これはどうだ?

 本当の“当”と“党”をかけて“本党”ってのは。シンプルでいいと思うんだけど」

「室井さん、こんなん言うたらなんですけど、余りにもセンスがなさ過ぎますよ」

「そうかなあ、他になにかいいのあるか?」

「岬党、ってどうです?

 岬さんの意志を継いでやるわけですから、漢字じゃちょっと固いイメージがするんでひらがなで“みさき党”ってのは。

 ちょうど岬に立って日の出を見るように、これから開けてゆく新しい時代を見守る、というイメージで」

「それいいよ。

 よしっ、それで決定だ。みさき党。いいよ。最高だ。

 山田さん、あんた本当に頭がいいって言うかセンスがいいよ、本物のタレント(素質のある人)だよ」

 室井は嬉しそうに一男を讃えると、チーズを赤ワインに浸して口に放り込んだ。


               12

 9月に入って初めての月曜日、みさき党は正式に旗揚げをした。

 さすがに各紙も取り上げないことにはいかず、政治面の片隅にそっと記事を載せた。

 しかし、テレビのワイドショーやニュースでは一切取り上げられず、“完全無視”の暗黙の了解は守られていた。

 そして、その日から三日後の各紙に“一万人に聞きました、あなたはどの政党を支持しますか? ”の結果が円グラフで掲載され、みさき党は、ケーキセットのショートケーキのような扇形を描き、自由民権党、民正党に次いで第三党に指示された。もちろん、そのことに対するコメントは何も書かれていなかった。


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「来週、NHKが取材に来るってさ」

 室井は、滅多に着ないスーツを着て少し落ち着きなさそうに一男に言った。

「HPへのアクセスも五百万件を超えたよ」

「と言うことは、今日の室井さんの政見放送にかかっているということですよね」

「やめてくれよ、山田さん。

 久しぶりに緊張してんだから、これ以上プレッシャーかけないでくれよ」

「せやけど、予想以上に自由民権党への支持が高いですよね」

「みんなこれまで、宗教団体だけがどうして税金を払わなくていいんだっていう思いがくすぶっていたとこにぽっと火が点いちゃったからな。

 でも、考えてみれば当然だけどな。

 坊主って言いながらさ、保育園を経営したり、ベンツを乗り回してみたり。

 宗教法人の代表だっていいながら、どう見ても、その辺の街金の社長にしか見えないやつばっかりだからな。宗教に従事しているとはとても思えない奴ばかりだよ」

「自由民権党との一騎討ちですかね?」

「たぶんな。

 まあ、今日の俺の政見放送で、やつらへの挑戦権を獲得してみせるよ」


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〈我々みさき党が、政権を取った暁には、この国からテレビを無くします〉

「えらいこと言うてるなあ。そんなんほんまにできんのんかいな」

 リンゴの皮を剥きながら、典子のパート仲間の満代が、休憩室の隅に置かれてある十四インチのテレビを顎で差した。

「せやけど、この前、NHKでなんか決起集会の模様流してたけどえらいようさんの人集まってたで。

 それに、新聞に載ってたけど、街頭のアンケートで、自由民権党、民正党に次いで支持率は三位やねんて」

〈そうです、彼らのギャラを払っているのは私達なのです。そのお金が、テレビを無くすことで全て浮いてくるんです。企業は、その浮いたお金で設備投資を行ないます。景気が良くなりますよね。商品の販価に反映させます。化粧品なんかすごく安くなります〉

「えーっ、ほんまに?」

 満代は口の端にリンゴをくわえながら言った。

「せやけどやっぱりあかんわ、韓国ドラマが見られへんようになんねんから」

〈お年寄りの皆さん、ご安心ください。NHKは残します。それも、受信料は無料です。これまで通り、ゆっくりと相撲中継を見てください〉

「いやーっ、それやったら問題ないわ。私この党応援するわ」

 満代は、ちょっと見て見て、と言わんばかりに典子の肩を何度も叩いた。

〈そして、現在、無法地帯になっているインターネットも、テレビ同様、国が一元管理いたします。子どもさんが黙って自分の部屋でアダルトサイトを見たり、一握りの大人が、幼児ポルノを見て良からぬことを企んだり、未来ある若者が、顔も見たこともない、もちろん、話したこともない人間と、レンタカーを借り、ホームセンターで練炭を買う。そういったことは無くなります〉

「決めたっ、私は決めたで、今度の選挙はまじめに行くわ。この党、なんて言うんやったっけ?」

「みさき党」

「そう、そのみさき党に絶対投票するわ」

 昼休みの終わりを告げるブザーがなった。

「典ちゃん、選挙っていつやったっけ?」

 席を立ちながら、満代は典子に聞いた。

「確か、九月最後の日曜日やったと思うよ」

「あっ、そう。そしたら、その日は休ましてもらうようチーフに言うとこ」

 扉を開けて部屋から出ていこうとした満代が、まだテレビを見て立ち止まっている典子に声をかけた。

「どしたん?」

「いや、なんか、この喋ってる人、どっかで見たことあんねん」


           13

 公示日を翌日に控え、世論調査による、みさき党の支持率はついに40%を超え、45%の自由民権党に次いで2位になった。

 海外メディアは、みさき党を“KAMIKAZE”と呼び、さすがの民放各社もこれ以上無視することは不可能と判断し、各局がこぞって特番を組んだ。


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「しかし、つぶれたファミレスを改装して選挙事務所にするとはなあ」

 室井は、机の上に直に置かれた達磨の頭を撫でながら一男に言った。

「ちょっと縁起は悪いですけど、家賃は安いし、それに厨房が残ってますから、ここで料理したら、毎日弁当ばっかり食べんでいいでしょ」

「まあ、あんたが考えてやったんだから、間違いはないんだろうけどな」

 室井は持っていたサインペンで、達磨の片目を黒く塗りつぶした。

「せやけど、予想以上に集まりましたよね」

「さすがに若いのは来なかったけど、それにしても半分以上が無職だぜ。定年退職してリタイアした人を差し引いてもすごい数だよ」

「景気なんか、一つも良くなってないんですよ。

 政治家は、踊り場から脱却した言うてますけど、実は、まだ、階段を降りてるんですよ。

 どこの企業も過去最高利益や言うて嬉しそうに報告してますけど、あれだけ、必要な人間まで切ってリストラしたんですから、利益でて当然なんですわ。今、利益のでない企業なんかは正直言うてバツですわ。

 人間のモラルも下がってますけど、この国が造ってるモノ自体の品質も間違いなく下がっていますから。

 それを食い止めるためにも、絶対に今度の選挙は勝たなダメなんですけどね」

「あんたが言うと妙に説得力があるなあ」

「いやいや、そんなことないですよ。

 室井さんの政見放送もなかなかのもんでしたよ。

 すごくわかりやすかったし、あれやったら地方のお年寄りでも、私らがやろうとしてることをわかってくれたんちゃいますかねぇ」

「そうかな、それならいいんだけどな」

「だって、このデータ見てくださいよ」

 一男は室井に一枚の紙を渡した。

「都市部の支持率は、元もと高かったんでそんなに伸びてないんですわ。

 せやけど、地方の支持率が、急激に上がったんですよ。

 こんなことやったら、地方にも候補者を立てといたら良かったですね」

「いや、なんだかんだ言ったって、まだ、地方では自民党には勝てないよ。

 もう少し時間をかけて、この次の選挙くらいで考えればいいよ。

 それより、山田さんさあ、このデータなんだけど、あんたの地元の近畿地区があまり良くないよな」

「それはね、たぶん、タイガースとヨシモトが原因やと思います。

 室井さんね、関西には、ご存知かも知れませんけど、サンテレビと京都テレビいう放送局があるんですわ。

 ここが、タイガースの試合のほとんどを放送していて、特に甲子園での試合なんかはどんなに試合時間が長くなってもプレーボールからゲームセットまで見せてくれるんですわ。

 関西の親父にとって、それを見ながらビールを飲むのが最高の娯楽、大袈裟に言うたら関西人としてのステイタスなんですよ。

 それと、あとは、なんやかんや言うてもヨシモト新喜劇やと思います。

 あれはなんて言うか、私ら関西人の遺伝子に組み込まれてるんでしょうね、たぶん。

 私も、見ていてそんなにたまらんほどおもしろいとは思わないんですけど、ついついチャンネルを合わしてしまうんですよね」

「へー、そんなものなのか」

「ですから、その二つが無くなってしまういうことで、抵抗感があるんやと思いますよ」

 室井の携帯が鳴った。

「はいーっ・・・・あっ、どうも、ご無沙汰しています」

 室井は一男の顔を見て舌を出した。

「あっ、そうですか。

 えっ、これからですか?

 いえ、無理ではないですけど・・・」

室井は苦虫をつぶしたような顔をした。

「わかりました、じゃあ、伺います。

 えっ、山田もですか? わかりました」

 室井は携帯を切ると大きく溜め息を吐いた。

「誰ですか?」

「噂をすれば影だよ」


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 指定された店は、表の看板に“本格関西風”と書かれた、小さなお好み焼き屋だった。

「こっちやこっちや」

 カウンター席と、机の真中に鉄板が備え付けてある四人掛けのテーブル席の間を、おまえ達誰だ、と客の視線を浴びながら歩いていくと、声の主にたどり着いた。

「すまんな、無理言うて」

 ビールの入ったグラスを手に、峰社長は脂ぎった顔を二人に向けた。

「悪いけど先よばれてるで」

 鉄板の上には焼きそばが湯気を立てて盛られており、細かく刻んだ紅しょうがと黒いソースのコントラストが鮮やかだった。

 すぐに、店員がやってきて、グラスと皿と箸をテーブルの上に置いた。

「にいちゃん、ビール二本とお好み焼き二枚ほど焼いてきて、特急やで特急。

 あっ、それと、お好み焼きにケチャップとかマスタードかけたらあかんで」

 峰の大阪弁に弾き飛ばされるように店員は戻っていった。

「こっちの奴ら、お好み焼きにケチャップとかマスタードかけよるんや。それで“本格関西風”言うてんねん。ええ加減なもんやで」

 さっきの店員がビールを持ってきた。

「ほなとりあえず乾杯しましょか」

 峰社長は一男と室井のグラスにビールを注いだ。

「お二人の、未来ある将来に、乾杯っ」

 グラスを軽くぶつけ、一息でグラスを空にした峰社長は、一瞬、ちらっと二人を見て不適な笑みを浮かべた。

「すんまへんな、今や話題のお二人に、こんな店に来てもうて。それでも一応、この店唯一の個室なんですわ」

 確かに、通ってきたほかの席からは少し離れていて、後や隣の席の人と肩や背中が触れないように、跳ねたソースでてかてかになった形だけの仕切りがあった。

「いや、山田さんかて、こっちへ来てから、美味しいお好みなんか食べてへんと思て。こっちでは私もいろいろ行きましたけど、ここのお好みがまだ一番ましですわ。そら、大阪に比べたら負けますけどね。

 あ、そやそや、紹介遅れました、もう室井さんから聞いてはると思いますけど、ヨシモトの峰言います。一応社長やらせてもらってます」

 一男は、焼きそばの湯気の向うから名刺を受け取り、「私、山田と・・・」と席を立ちかけたとき、峰が手で制した。

「山田さんのことはよう存じています。

 この間の東京ドーム、私もあとで見させてもらいましたけど、さすが元三友商事の部長さんでんなあ。

 なんであんな大会社辞めはったんですか、もったいない。なんか理由でもあったんですか?」

 峰社長は厭みな笑いを一男に向けた。

「いただきます」

 室井が無表情で焼きそばを皿に盛った。

「なんや、室井ちゃん、おったんかいな」

 室井は、峰社長の顔を見ず「どうもご無沙汰しています」と言って、次々と麺を口の中に運んだ。

「室井ちゃんに聞きたいことは今日は一つだけや。

 みさき党の“みさき”は、あの岬さんから取ったんやな」

 お好み焼きが運ばれてきた。

 室井は焼きそばを食べていた箸を止めると、目の前のてこで、二枚のお好み焼きを一口サイズに切り分け、青海苔をかけると、最後に鰹節を満遍なく振りかけた。

「さっ、いただきましょ」

 室井はグラスに残っていたビールを飲み干すと、海の中の海草のように揺れている鰹節が乗ったお好み焼きに箸を伸ばした。

「相変わらずやな、室井ちゃん」

「山田さん、ここのお好み焼きうまいよ、食べてみて」

 室井は峰社長を無視して一男に言った。

「室井ちゃんな、そらあんたらが言うてるように、俺が見ても、確かにひどい番組はある。それは俺も認める。せやけどやな、いきなりテレビ無くす言うたって、これまでの歴史があるやないか。あんたはテレビのことを日本国民の敵のように言うけど、戦争で負けて、何にもない焼け野原の中で必死に這いつくばって生きる国民の憩いになったのはテレビやないか」

「それは俺もわかってますよ」

「わかってるんやったら、考え直してくれや。

 テレビで食ってる人間がどれだけおるか俺は詳しい数は知らんけど、千や二千ではすまんやろ。

 その人間がいっぺんに職を失って、家族が路頭に迷うんやで」

「これまで、安直に生きてきたツケが回ってきただけですよ」

 室井はさらりと言った。

「せやけどな、室井ちゃん、テレビ局もいつまでも黙ってへんぞ。

 労働組合が支持してる政党を通して圧力をかけてくるかもしれんし、その前に、自由民権党が黙ってへんやろ。明らかに接戦になるのは目に見えてるし、おそらく、自由民権党に振られた創明党含めて、何かしら近寄ってくるはずや」

「連立はしません。あくまで、単独での政権奪取を目指します」

 室井は店員に日本酒を頼んだ。

「室井ちゃんな、まだ、俺らみたいなんとな、ああでもないこうでもないってやってるうちはええんや。相手が政治家になったら、話は全く別もんになるぞ。

 問題を起こした議員の秘書とかがよう首吊りよるやろ。

 あれは、俺は前から思ってんねんけど、絶対にプロの殺し屋の仕業やぞ」

「じゃあ、岬もそうだって言うんですか?」

「いや、あれは違う」

「じゃあ、おたくが手を回したんですか?」

「あほんだらっ!!」

 店の客全員が、立ち上がった峰に顔を向けた。

「まあまあ、社長、落ち着いて、落ち着いて」

 営業部長の時の癖が出た一男は、峰社長をなだめ、座らせた。

「俺は、人の命にまで手掛けることはせえへんわい」

「まあまあ、社長、ビールでも飲んで落ち着いてくださいよ」

 一男の注いだビールを峰社長は一気に飲み干した。

「社長、なにも社長に嫌がらせをしようと思ってやっているんじゃないんですよ。

 社長のところにも、舞台じゃすごいおもしろい漫才や落語するのに、テレビに出ていないというだけで日の目を見ていない芸人さんていますよね。

 私が言いたいのはそれなんですよ。

 本当にいいものをいいと言える国に私はしたいんですよ。

 確かにテレビがなくなると、社長のところへの影響はすごいと思います。社長だって会社の長ですから、従業員の方の生活を守る義務もあると思います。

 だけど、人様に見せる芸なんか何もないくせに、芸能人だと言ってでかい面をして、普通のサラリーマンじゃとても稼げない額の金を稼いで、また、そんな輩を見てきゃーきゃーと歓声を上げている女子供がいる。

 そんな世の中から、何か新しいものが生まれますか? 後世に何か残せますか?

 社長、絶対にお茶の間の皆さんは劇場に足を運ぶはずです。そして、生の舞台を見て、きっと感動するはずです。

 何の芸もできない芸人は消えていくでしょう。

 芸能人もたぶん今の半分くらいになると思います。

 本物だけが残るんです。

 目の肥えたお客さんは、ますます生の舞台にはまっていきます。

 そうなれば、今より収容人員の大きな劇場を造ればいいんですよ。

 一万人、いや、五万人入る東京ドームみたいな劇場を造ればいいんですよ。それも日本全国に」

「もうええ。

 今日はおまえと話しに来たんとちゃうんや。 山田さん、あんたに用があるんや」

「わ、私にですか?」

 一男はごくりと喉を鳴らした。

「うちの事務所の若いもんにな、けったいやけど、週刊文衆の愛読者がおるんや。

 この間マラソン走ったジャンク言う奴のマネージャーなんやけど、そいつが家の中に溜まった週刊文衆を片づけとったんや。そしたらな、おもしろい記事見つけました言うて、俺にこの切り抜きくれたんや」

 峰社長は胸ポケットから二つに折った紙を取りだし、一男に差し出した。

“超有名商社 営業部長

  電車内で女子校生にわいせつ行為

   問われる 従業員のモラル”

「山田さん、世の中には同姓同名って言うのが、結構おるもんなんですな」

 峰社長は、にやっ、と不敵な笑みを浮かべると、室井に向き直った。

「室井ちゃん。

 なんやったら、二人まとめて面倒見たってもええで。

“元世の中を変えようとした男”って言うキャッチフレーズで、まあ全国ネットはあんたらの努力次第やけど、大阪のローカル局やったら週に二、三本レギュラー持たせてやって、年収、二、三千万てとこや。

 よう考えといて」

「結構です」

 間髪入れずに室井は答えた。

「室井ちゃん。

 あんまり肩に力入れんほうがええて。

 へたしたら、何年後かに、室井党いうて、誰かがあんたの遺志を継いで、同じ様なことしてるかもしれんねんで」

 言うと、峰社長は立ち上がった。

「あ、それと山田さん、知ってはると思うけど、お好み焼きは焦げたら美味しいないから、早よう食べてくださいよ。

 ほな、失礼します」


 14

 典子は目を疑った。

 休憩室の隅におかれている十四インチのテレビに、自分の夫の顔が映っているのだ。

「タイミングが良過ぎるわな。公示日に合わせてこんなスキャンダルが出てくんねんから。

 きっと自由民権党が、負けそうやからって探偵でも雇ってなんでもええから誰かのすねの傷探させてんで」

 満代は言うと、煙草に火を付けた。

「せやけど、よう見たら、この人スケベそうな顔してるわ。なあ、そう思えへん?」

「そ、そやねえ」

「ど、どしたん、誰か知ってる人?」

「違う違う」

 旧姓の田中を名乗っていなかったら、満代はきっと「ひょっとして旦那さん違うの?同じ山田やし」とくだらない冗談を言うんだろうなと思っていると、テレビの画面に室井が現れ、記者会見が始まった。

〈わたくしどもとしましては、今回の件は正に寝耳に水の出来事でして、事実関係を確認しましてから、なんらかの対応をとりたいと思います〉

「ああっ!」

 典子の声が狭い休憩室に響いた。

「びっくりしたなあ、どしたんよ」

「あ、ご、ごめん、何にもないよ」

 今、目の前で喋っている、みさき党党首の室井という男は、一男をJRの京橋駅に引き取りに行ったとき、「俺は絶対にやっていない」と言って、JRの職員に食ってかかる一男の横で、冷静に座っていた男で、後で、一男を捕まえた張本人でどこかの出版社で働いていると聞いた、その男に間違いなかった。

「満代さん、ちょっと、私、急用思い出したから、先帰るわ、お疲れ様」


 途中コンビニで買ってきた夕刊を典子は拡げた。

“みさき党NO2 痴漢疑惑”

“みさき党激震 ブレーンに痴漢の前科”

“自由民権党に追い風 みさき党大失態”

 中には、一男との別居までスクープしている新聞もあったが、一男を取り押さえたのが、党首の室井であることをスクープできた紙はさすがになかった。

 テレビの電源を入れた。

〈こんなことをする党員のいる党を支持することは、選挙民としての、いや、一人間としてのモラルが疑われますねえ〉

 ジャンクのマラソン中継を流したテレビ局のニュース番組の中で、ヨシモトの峰社長が、きれいな標準語で語っていた。

 チャンネルを変えたが、どの局も、鬼の首を取ったかのように同じニュースを流していた。

 典子は、掛けることはないだろうと、財布のキャッシュカード入れの底に入れたままにしておいた、しわくちゃになったメモを取り出した。

「あっ、すいません。

 そちらに山田一男さんという方がお泊まりになっていると思うんですけど、ちょっと繋いでいただきたいんですけど」

〈失礼ですけど、お名前のほうを頂戴頂けますでしょうか〉

「田中典子と申します」

〈暫くお待ちくださいませ〉


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 お通夜のようだとはこのことを言うのだろう。

 本来なら、街頭演説を終えて帰ってきた候補者や、運動員でごった返した事務所には、人の熱気が充満し「いやあ、お疲れ様」「どうだった感触は?」という声が飛び交うのだが、今日のみさき党選挙事務所には、人の熱気どころか、会話すら聞こえてこなかった。

 落選が決まった候補者の事務所・・・そんな感じだった。

 一男を励まそうと、運動員の中に一人だけいた大阪出身の学生がたこ焼きパーティを開いたが、メリケン粉をといている間に一男は先に帰ってしまった。


「ちょっと待てよ。」

 街中を急ぐ一男に室井はやっと追いついた。

「山田さんさあ、気持ちはわかるけど」

「室井さん、ほんまに申し訳ないです」

「俺もなんて言っていいのかわかんねえよ。

 こういうの、なんて言うんだ?

 ミイラ取りがミイラになる、ちょっと違うなあ。因果は巡る、これも違うなあ。自分で自分の首を絞める・・・これだな」

「室井さん、今日一晩だけ考えさせてください」

「いいよ。

 一晩でも二晩でも考えてくれ。

 それより、ビール一本だけ飲んでいこ、そこにいいが店あるんだ」

 まだ会社員の退社時間には早く、二人の両脇には誰も立っていなかった。

「大丈夫ですかね、こんなとこで飲んでて。

 またスクープされませんかね」

「“みさき党トップ、屋台で苦汁の作戦会議”てか。

 どうせなら、もう少しいい店で撮られたいよな。

 おやじ、スジの煮込みとトマトスライスくれ。あと、酒、冷やで」

 少し膝からしたがだるくなりかけてきた頃、スーツ姿の会社員が周りを囲み始めた。

 ついこの間までの自分の姿を一男は懐かしく眺めた。

「で、山田さんさあ、本当のところはどうなんだよ。やったの? やらなかったの?」

「やってません。

 あっ、おやじさん、俺も、酒、冷やでちょうだい」

「それ、誰か証明できる奴いる?」

 スライスされたトマトを口に運びながら室井は一男に聞いた。

「いません・・・・本人しか。

 私思うんですけど、前にテレビでやってたんですけど、女子高生とかが、ふざけて、やってもいない男の人の手を捕まえて、この人痴漢ですっ、て大声を挙げるらしいんですけどどうもそれやないかなと。

 まあ、あの子らも実際に痴漢にあってて、その腹いせにやってるって言うてましたけど、何も罪を犯していない人間になすりつけることないと思うんですよ。

 それに、もし、罪が晴れても、やっぱり一回付いたイメージいうのはなかなか取れへんと思うんですよ。

 室井さん、最悪の場合、離党させてください。

 今日一晩考えて、明日返事しますんで」

「そんなこと言うなよ、あんた俺のブレーンだろ、ずっと一緒にいてくれよっ、てそんなことは俺は言わないよ。

 あんたの好きなようにしてくれ。

 あんたの判断は、いつも正しいから。

 さっ、もう一杯飲んで終わりにしよう」


 フロントはチェックインの客で混雑していた。

 室井は、「ちょっと寄っていくとこがあるから」と言って、新宿駅が見えた途端に無理矢理タクシーを止め、暗い闇に溶けていった。

「山田様、何度かお電話が入っておりましたが」

 酒臭い息を少しも不快がらずに、さわやかな笑顔でフロントマンは小さなメモとルームキーを一男に渡した。

“また八時頃掛けます 田中典子”

 上昇するエレベーターに急ブレーキがかかり、チーマー風の男とキャバ嬢っぽい女が乗り込んできた。

 田中典子?

 一男は再び上昇し始めたエレベーターの中で考え始めたが、すぐに、自分の女房だということがわかった。

「あっ、山田さんじゃないですか?」

 キャバ嬢が一男に声を掛けた。

「本当に痴漢したんですか?」

 キャバ嬢の手首に絡みついている腕時計の短針は今まさに8の字に重なり合おうとしていた。

「まいどっ!!」

 目を丸くした二人をエレベーターに残して、一男は部屋のドアに向かって駆け出した。

 ツゥルッツゥルッツゥルッ

 呼びだし音が扉の向うで鳴っている。

 ルームキーを差し込むが、焦ってうまく噛み合わない。

 ツゥルッツゥルッツゥルッ

 なんとかドアを開けた一男は、鳴り続ける電話に飛びついた。

〈山田様、田中典子様よりお電話が入っております。お繋ぎいたしましょうか?〉

「は、はい、お願いします」

 ゴクリと喉が鳴る。

〈もしもし〉

 妻の声だった。

「あっ、俺や」という声が出てこない。

〈もしもし〉

「もっ、もしもし」

〈あっ、私、典子です〉

「お、おう、久しぶりやなあ」

 大根役者が売れない脚本家の台本を読んでいるようだった。

〈えらい、有名人になって〉

 少し笑いを含んだこの典子の一言で肩の力が抜けた。

「もう辞めるんや。器の小さい俺には荷が重すぎたわ。分相応ってこういうことやわ」

〈辞めてどうすんのん?〉

「ヨシモトでも行こかなと思ってんねん」

 妻との会話で冗談を言ったことなどほとんど無かった。

「年収二、三千万は保証するって言うてくれてんねん」

〈ほんまにそんなん出来る?〉

「割り切ったらな」

〈あんたの大嫌いなタレントになって、司会者にいじくられて、お茶の間の女子供に笑われて、それでも割り切ってやれんのん?〉

「ま、まあな・・・」

〈あんたのことやから、信念持ってやってんやろ。そんな簡単に諦めれんのん?〉

「・・・・・・・」

〈ほんまにやったん?〉

「いや・・・やってへん」

〈女の子の学校と名前覚えてる?〉

「確か、京橋バルナバ女学院、名前は井手上琉奈っていうたはずや」

〈なんか特徴あった?〉

「すぐにでも夜の街へ行けそうな子やったわ」

〈うーん・・・わかったわ。なんかあったらまた連絡するわ〉

 元気にしてんのか?と一男が聞く前に、電話は切れた。


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 典子は、次々と生徒が吐き出される校門を遠くから凝視した。

『学校法人 京橋バルナバ女学院』

 門柱に彫られた文字は、間違いなくその建て屋は“学校”であることを示していた。

 しかし、出てくる女子生徒を見ていると、どう見ても、お水の女養成専門学校だった。

 校門から出るやいなや、示し合わせたかのように鞄から手鏡を出し、目をぱちくりさせながら次々と顔を塗りたくっていき、学校の目の前にある小さな交差点にたどり着いたときには、みな見事に化け終えていた。

 信号が青に変わると、何も入っていない鞄の中から携帯電話を取りだし、餌を待つ雛鳥のように皆一斉に口をぱくぱくし始める。

 あまりの知性の無さに、典子は気分が悪くなり、道端でもどしてしまった。

 人を外見で判断するのは良くない。しかし、この子達も将来大きくなって結婚して子供を産む。

 考えれば考えるほど、典子は背筋に寒気を感じた。

 そして、一男がやろうとしていることが本当に、これからのこの国のためになるのか分からなかったが、とにかく応援してあげたい、そう思った。

 とは言うものの、目の前を通り過ぎていく女の子の顔が皆同じに見えた。

「井手上琉奈さんって知りませんか?」

 比較的薄化粧で、髪の色も、黒と茶色どちらかに分類しろと言われれば、暫く考えてから、黒、と答えられる、女の子を捕まえて聞いてみた。

「なんか聞いたことはあるけど、うちの学校生徒の数多いからわからへんわ」

 プスーッ、と空気の抜けるような声を出して、その女子高生は去っていった。

 結局、人の流れが途切れるまで、井手上琉奈を見つけることは出来なかった。

 途方に暮れて、閉ざされた校門の向うでたたずむ煉瓦造りの校舎を見上げていると「すいません、アジア生命の益田と申します」と大きな、女性の声が聞こえてきた。

「辻先生様と四時半でアポイントを取らせていただいているんですけど」

 インターホンに噛りつくようにして喋っている女性は、カチャン、と自動ロックが外れる音がすると、校門の脇にある、人一人が通れるくらいの小さな鉄格子の扉をくぐった。


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 生まれて初めて作った名刺を、典子はまじまじと眺めていた。

 まさかゲームセンターにこんな便利な機械があるとは思わなかった。

 印刷屋に入って「最低三日はかかります」と言われ、残念そうに店を出ようとした時、「安っぽいので良ければ」、と断って、ここの場所を教えてくれた。

“大阪府警 メンタルサポートチーム

  チームリーダー

   田  中  典 子   ”


「井手上琉奈さん、いらっしゃいますでしょうか?」

 名刺を受け取った教務課の職員は、典子の頭のてっぺんから足の爪先までを嘗めるようにして見た。

「今日は全校生徒下校致しましたが」

「そうですか。

 いえ、実はですね、御校の井手上琉奈さんがですね、半年ほど前に電車の中で痴漢にあいまして、犯人はその場で取り押さえたんですけど、まあ、年頃の女の子のことですから、その後の心のケアと申しましょうか、そういったことで今日参った次第なんです」

「そうなんですか」

 職員は、もう一度、名刺と典子を見比べた。

「ご住所を教えていただくことなんかは出来ますでしょうか?」

「いえ、基本的には出来ないんですけど・・・まあ、警察の方ということですから・・・これからすぐに向かわれますか?」

「はい」

「では、先にこちらから電話を入れますので、暫くお待ちいただけますか」


 教務課の親切な職員に書いてもらったメモを頼りにたどり着いた井手上琉奈の自宅は、北大阪の千里中央と言う駅から歩いて五分くらいの上品な住宅街の真中にあった。

 だいたい大阪というところは、南へ行けば行くほどガラと言葉づかいが悪くなり、北へ行けば行くほど、上品でお淑やかになる、そんな街だった。

 如実にわかるのが、大阪から神戸にかけて、海側から山側にかけて、阪神電車、JR、阪急電車が平行に走っているが、乗っている乗客の質が明らかに違っていた。

 普段、阪急電車に乗っている人が阪神電車に乗ると、そこいらで寝ている酔っ払いに驚き、逆に、いつも阪神電車に乗っている人が阪急電車に乗ると、座席に横になって寝ている乗客が一人もいないことに驚く。

 阪神競馬場で馬券を握っている客と、尼崎競艇場で舟券を握っている客との違いだった。

「どうぞお上がりください」

 最近めっきり見かけなくなった“上品なお母さん”だった。

 居間に通されると、井手上琉奈が、テーブルの向うで仏頂面をさげて座っていた。

 この母親から、どうしたらこんな小娘が生まれるんだろう、出された水羊羹をつつきながら典子は思った。

「私、誠にお恥ずかしい話なんですけど、先ほど学校からお電話をいただくまで、琉奈がそんな目に遭っていたとはまったく知らなかったもので・・・」

「あらそうなんですか」と、典子が言い掛けたとき、

「そんなん毎日のことやから、いちいち親に言うのも阿呆らしいやんか」と琉奈が気だるそうに話した。

「えっ、そんなこと毎日あるの?」

“上品なお母さん”が驚いて聞いた。

「あたりまえやんか。

 そんなん、触られへん日なんか一日もないんやで」

 アラーっ、と言って“上品なお母さん”は卒倒しそうになった。

「お母様、今の琉奈ちゃんのお話、残念ながら本当なんです。

 私たちも鉄道警備隊と連携を取って警備は強化しているつもりなんですけど、正直今のところイタチごっこでして」

「ほら、私の言うた通りやんか」

「で、大概のケースは、被害者の方が泣き寝入りする形で、今回のように現行犯で犯人が捕まるのは本当に希なことでして」

「捕まった人は刑務所に?」

「いえいえ、残念ながら、警察できついお灸を据えられて、まあ、悪質な常習犯になりますとそういったこともありますけど、ほとんどの場合は、釈放されまして、また、そ知らぬ顔をして次の日にまた同じ電車に乗っています」

「そ、そんなことって・・・」

“上品なお母さん”は、口から泡を吹いて倒れてしまった。

「そこで、今日お邪魔しましたのは・・・」

 典子は、テーブルに片肘を付いてみず羊羹を食べている琉奈に顔を向けた。

「明日、東京で、『被害者の会』と言う、これまで、琉奈さんのように痴漢の被害に遭った女性が全国から集まりまして、お互いが今抱えている心の傷や苦悩を打ち明けてもらって、少しでもこれからの生活を快いものにして頂く、もちろんその為には私達が全面バックアップ致しますが、そういった会が・・・」

「うざったいわ、そんなん。

 それに、私、痴漢に遭ったことなんか全然気にしてへんし、心になんか一つも傷あらへんねんけど」

「いえいえ、そういった方に限って、あるとき、何かの拍子で、自分が痴漢に遭った重大性と言うか、自分が被害者であることを初めて認識して、突然深く考え込んでしまい、電車に乗るのが恐くなり、延いては家を出ることさえ恐くて出来なくなる、そういったケースが多々あるんです」

「そんなん私はなれへんて」

 琉奈はおもむろにテーブルの下からマニキュアの瓶を取り出すと、一本一本爪に塗り始めた。

 自分の娘だったら左フックが飛んでいるなと思いながら、典子は小さな封筒を琉奈に差し出した。

「これは新幹線のチケットです。

 学校には許可をもらってきてますから」

「私行かへんよ」

“上品なお母さん”が口の周りの泡を拭いながら起き上がってきた。

「ど、どうしたの、結局どういうことになったのかしら?」

「お母様、ご心配はいりませんので。お話は娘さんからお聞きになってください。それでは、お忙しいところお邪魔いたしました」

 典子が立ち上がると「私、ほんまに行かへんからね」と、琉奈は典子を睨んだ。

「琉奈ちゃん、ディズニーランド行ったことある?」

 典子はスーツのポケットから一枚の細長いチケットを取り出した。

「明日朝は早いけど、午前中には会は終わるし、それに、平日だから、ディズニーランドも空いてると思うわよ」

 琉奈は爪に吹きかけていた息を止めた。

「学校には一泊二日で許可を取ってあるから。

 じゃあ、明日遅刻しないでね」

 言うと、典子は、颯爽と、シンナー臭い部屋を後にした。


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〈確保したで〉

 一男は、一瞬“確保”の言葉の意味が分からなかった。

〈井手上琉奈のことやんか〉

「あっ、そうかそうか、すまんすまん」

〈明日の午前中にはそっちへ連れていけると思うわ〉

「自供っていうか、俺がやってへんて認めたわけ?」

〈まだ、これから〉

「間に合うんか?」

〈なんとかするわ。

 そっちはどうなん?〉

「室井さんには一応話はしといた。

 あかんかったときは離党させてくださいって言うといた。

 もう、遅いかもしれんけどな。

 党全体の支持率は民正党に抜かれたし、近畿地区に限ったら10パーセント切ってうたし」

〈そうなん。

 まあ、とりあえず、明日もう一回連絡入れるわ。

 行くとしたら、やっぱりNHKやんなん?〉

「そうなると思うで」


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 井手上琉奈は新幹線に乗り込んできたとき、「おはようございます」とだるそうな声で言ったきり、今はかわいい顔をして典子の横で眠っていた。

 よく見ると、化粧を施していないその顔には、まだ、あどけなさというものが残っていた。


「富士山よ」

 琉奈は目を擦りながら、面倒くさそうに、車窓の向うで悠然とそびえ立つ富士山に顔を向けた。

「初めて?」

「中学校の修学旅行で来たことあんねんけど、そんときは曇ってたからあんまりはっきりと見えへんかってん」

 車内販売が近づいてきたことを告げる電子音の音楽が聞こえてきた。

「お腹減ってない?」

「ちょっとだけ」

 典子は、横に来たワゴンを止め、紙パックのオレンジジュース二つと、プラスチックのボックスに入ったサンドウィッチ一つを買った。

「朝御飯は毎日食べてる?」

「たまあに」

 琉奈はハムを挟んだサンドウィッチからレタスを抜き取り、ボックスの蓋にぺたりとおいた。

「野菜も食べないと駄目よ」

「はぁーい」

 前歯でサンドウィッチを噛りながら、琉奈は紙パックのオレンジジュースにストローを突き刺した。

「琉奈ちゃんさあ、あなた、本当に触られたの?」

「えっ?」

 琉奈は豆鉄砲を食らった鳩になった。

「今、やってもいない人の手を取って“この人痴漢ですっ”ていうのが流行っているんでしょ?」

「うん。

 でも、私はほんまに触られたよ」

「間違いない?」

「だって、捕まえてくれた人がいたってことは、その人も私が触られてたんを見てたってことやんか」

 なんだ、ちゃんと論理的にものを考えられるんじゃない、と典子は感心してハムカツのサンドウィッチを口に運んだ。

「だけど、あなたが手を掴んで叫んだから、その正義感の強い人が、取り押さえてくれたんじゃないの?」

「そんなんわからへん」

「わからないって、触られたのはあなたでしょ。あなたしかわかんないんだから」

 典子の上擦った声に、ずっと眠っていた隣の席の会社員風の男性が倒したシートから体を起こし二人を不思議そうに見た。

「そんなんどっちだっていいやん。

 私ら毎朝触られてんねんから、ささやかな抵抗っていうことで」

「ダメよ。

 そんな罪のない人を巻き添えにしちゃあ」

「そんな罪やとかなんやとか難しいこと言われたら、私アホやからわからへん」

「わからないことないでしょ。

 もし本当に、その人があなたのことを触ってなかったらどうするのよ。

 何の罪も犯してないのに罰せられてるのよ。

 おそらく会社もクビになって家族が途方に暮れているはずよ」

「いいやん、どうせあのおっさんも国会議員になろうとするぐらいやねんからお金持ちなん違うの」

 典子は、琉奈の小さな顎に右アッパーをぶち込んでやろうと思ったが「ちょっと化粧してこう」と琉奈は突然立ち上がると、網棚においてあった自分の鞄から小さなポーチを取り出し、そそくさと通路を進行方向に向かって歩いていった。

 右の拳を握り締めワナワナと肩を震わせる典子を、隣の男は、さっきよりもっと不思議なものを見るような眼差しで見た。

 自動ドアの向うに琉奈が消えると、暫くして、壁にあるトイレのマークが黄色く点った。

〈ただいま定刻通り熱海駅を通過いたしました〉

 典子は立ち上がった。

 トイレの前に順番待ちをしている人は一人もいなかった。

 カチャッ。

 トイレのドアが開き、出てきた琉奈は典子の顔を見ると、一瞬、あっ、と言う顔をしたが、首根っ子を典子に掴まれると、あっと言う間に、向かいにある洗面台に連れ込まれた。

 典子は空いている左手でカーテンを引くと右手に力を込めた。

「痛いっ、何すんのよっ!」

「大声だしたら怪我するで」

 典子の重く低くドスの効いた声に琉奈は体を震わせて口をつぐんだ。

「あんた、黙って聞いとったら調子にのって。

 大人なめとったらあかんでえ」

 鏡に映る琉奈の目は、驚きと恐怖で歪んでいた。

「これから言うことに、イエスかノーで答えなさい」

 琉奈は震えながら小さく頷いた。

「ほんまにあんたは捕まったあの男に触られたんか」

「ノ、ノー」

「遊び半分で、あの罪のない男の人を罠に陥れたんやな」

「イ、イエス」

「間違いないな」

「イ、イエス」

「そのことをちゃんと人前で喋れるか」

「イ、イエス」

 床に座り込んでしまった琉奈を洗面台に残し、典子はデッキへ行き携帯電話を取り出した。

〈あっ、俺やけど〉

「落ちたわ」

〈ほんまか。

 そしたらとりあえずホテルに来てくれ。

 民放の奴らが張り付いてるから、駅に着いたらもう一回電話くれ、頼むわ〉

 典子は洗面台に戻ると、まだへたり込んでいた琉奈を抱え起こし「琉奈ちゃん、もうちょっとやから、頑張ろね」と優しく囁き、琉奈の胸ポケットにディズニーランドのチケットを入れた。


  15

 井手上琉奈の会見はNHKのお昼のニュースで流された。

 目にモザイクのかかった琉奈は、流暢な標準語で事の全てを静かに語った。

 民放は、しょうがない、といった感じで、お昼のワイドショーでその模様を流した。

 次の日に発表された街角でのアンケートで、みさき党の支持率は40パーセントの自由民権党に次いで30パーセントを超えた。

 そして、その二日後、週刊文衆に“浪花女の意地 執念の追跡 夫の冤罪晴らす”という大きな文字が踊り、みさき党の伸び悩んでいた近畿地区での支持率は自由民権党に並び、党全体の支持率は、ついに自民党を超える45パーセントに達した。

 典子が身分を偽っていたことに井手上親子は気づかなかった。

 琉奈はディズニーランドへ行ったことで舞い上がってしまい、“上品なお母さん”は週刊文衆のような一般大衆誌を読む習慣がなかったからだった。


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「いよいよですね」

「そうだな。

 いろいろあったけど、あっという間だったよな」

「前祝いで、なんかぱーっとやりましょか?」

「やりたいけど、ルームサービスは大概飽きたしなあ」

「そうですよね。

 ホテルを出るときは護衛の車に守られて、逃げるようにして選挙事務所に向かい、一日が終わると、また、逃げるようにしてここに戻ってくる、その繰り返しですからね」

 民放各社は、なんとかみさき党、強いて言えば、室井と一男の揚げ足を取ろうと、滞在しているホテルのフロントのロビーに取材陣を張り込ませるなどして、二人の行動を二十四時間監視していた。

「立ち食いうどんで、素うどんと安もんのちらし寿司が食べたいですわ」

「今日で最後だよ。

 明日からは堂々とどこへでも行けるんだから」

「そうですよね。

 じゃあ、いつものルームサービス頼みましょうか」

「ああ」

「適当に頼みますよ」

「山田さんのセンスに任せるよ。

 でも、ちらし寿司だけはやめてくれよ」

「どうしてなんですか?」

「こっちのちらし寿司なら食べたいくらいだけど、山田さんが食べたいと思っているちらし寿司はなあ・・・」

「いやなんですか?」

「俺も一回だけ食べたことあるんだ、向うのちらし寿司を」

「美味しかったでしょ?」

「いや、まずくはないんだよ。だけど、高野豆腐だとか椎茸だとか蒲鉾を小さく刻んだやつだとか、その上から錦糸玉子を掛けた姿が何か貧相でさあ」

「それがいいんですよ、あっさりとしてて」

「わかるんだけどさあ、俺達がちらし寿司って言うとさあ」

「わかりますよ。

 あの、お造りがいっぱいのったやつでしょ。

 私も、会社に入った頃、こっちへ出張に来たとき初めて食べたんですよ。

 出てきた瞬間、目が点になりましてね、こんなんちらし寿司ちゃうやろって。

 食べ方がわからへんから、周りの人見てたら、いきなり上からばーっと醤油をかける人もおれば、いったん小皿に醤油を入れてわさびを溶いてから掛ける人もおるし、中には、お造り定食を食べるように、お造りはお造り、ご飯はご飯、ときちんと分けて食べる人もおって、もうわけわからんかったんで、わさびをお造りに塗りたくって、その上から醤油をばーっと掛けて、牛丼食べるみたいに掻き込みましたわ」

「ちらし寿司って言うから、あくまでも“鮨”なんだよ。山田さんとこのは“鮨”じゃないよ」

「それは違いますよ。

 あくまで文化の違いです」

「あっ、山田さん、初めて、俺の言ったことに意見したな」

「食い道楽の街で生まれ育った人間ですから、これだけは譲ることは出来ませんよ。

 私もね、大阪よりこっちのほうが美味しいと思ったのは、鰻と蕎麦と枝豆です。

 これだけは正直負けを認めます。

 せやけど、その他は、誠に申し訳ないですけど、大阪のほうが美味しいです」

「だけど、にぎり鮨と天ぷらはこっちも負けていないだろ?」

「美味しいんですけど、値段が高すぎますわ。

 上天丼が三千五百円て、大阪やったら暴動起きますよ」

「そんなもんなのかなあ。

 でも、山田さんさあ、俺達が政権取ったら、あんたもずっとこっちで暮らしていかなきゃダメなんだからさ、そろそろこっちの食文化を認めてさあ、朱に交わればじゃないけど、早いとこ染まっておいたほうがいいんじゃない」

「いや、だめです。

 だいたい、うどんにコロッケを沈めるような食文化を認めるわけにはいきません」

「わかったよ、もう山田さんのうんちくはいいから、早く何か頼んでくれよ。腹減っちゃったよ」

 大きなメニューを持って電話を掛けに行った一男を目で見送りながら、室井はテレビをつけた。

 画面には、土曜日のゴールデンタイムらしく、何人かの若手のお笑いタレントが、いろんな格好に変装して、うれしそうにスタジオのセットの中を飛び回っていた。

「こいつら明日の選挙のことなんか考えてんのかな?」

 缶ビールを二本持って一男が戻ってきた。

「そら、ちょっとは気にしてるんちゃいますか。

 こいつらだって、たくさんいるお笑いタレントの中から選ばれてきた者なんですから、決してアホではないでしょ。なんらか考えてると思いますよ。

 電波に自分たちが乗らなくなる、生の舞台だけでほんまにやっていけんのかな、あかんかったら干されんねやろな。どうしよ、いまさらサラリーマンなんかようせんしっ、て」

「だけど、実際に残れるのは、二人か三人、そういうことだよな」

「おそらくそうでしょうね」

 二人は缶ビールのプルトップを開けながら頷いた。

「で、山田さんさぁ、大きなお世話かも知れないけど、奥さんとはどうすんだよ?」

「さあ、どうしましょ。

 こいつらより、もっと深刻な問題なんですけどね」

 一男は笑いながらテレビの画面を指さした。

「いい奥さんじゃないかよ。

 あの女子高性を引き摺ってきてくれたときも、俺のほうを見て深々と頭を下げてくれてさ、本当なら二言三言自分の手柄を俺やあんたに話したっていいのにさあ、黙って事の成り行きを見てさ、そっと帰っていっただろ。なんて言うか、決してでしゃばらず、そっと影で旦那を支える、俺は感激したよ。まだ、こんな女性がこの国に残ってたんだなって。自分の権利ばかり主張する、でしゃばりな、髪の茶色いブスな女どもに聞かせてやりたいよ」

「ありがとうございます。

 まあ、確かに自分で言うのも何ですけど、出来た女房やと思います」

「俺も、嫁さんてもらったことがないから想像でしか喋れないけど、山田さんにはあの人が必要だと思うよ。冗談抜きで」

 呼び鈴が鳴った。

「おう、来た来た、腹減ってたまんないよ」

 ボーイが金色のカートを押して入ってきた。

「で、山田さん、何頼んだんだよ?」

「明日の選挙に勝つどん、と言うことでカツ丼を頼もうと思ったんですけどなかったんで、カツサンドにしときました」


  16

「いやあ、最高の天気だよな、正にゴルフ日和だよ」

 九月二十五日 日曜日、衆議院総選挙当日、日本全国は、暑い夏がやっと過ぎ去り、さわやかな初秋の風がそよぐ好天に恵まれた。

「でも、選挙日和じゃないよな」

 大山巌はティーにゴルフボールを乗せながら言った。

「ナイスショット!」

 大山の打ったボールはハーフトップとなり、百ヤードも行かないうちに、一週間前に猛威を振るった大型台風が運んできた雨をたっぷり吸ってすくすくと成長したラフの中に吸い込まれた。

「うちは、土砂降りのほうが良かったんだよ。結束力が強いから。なっ、先生」

 大山はキャディーにクラブを渡しながら、創明党党首の樽井を見た。

「いえいえ、それは昔の話でしょ。天気なんて関係ありませんよ、先生」

 先生と呼びかえされた大山のなりは、スキンヘッドに黒いサンバイザー、胸をはだけた黒のゴルフシャツに突き出た腹に乗ったスリータックの黒のパンツ、どう見ても“先生”ではなく、“組長”だった。

「ファーッ」

 樽井の打ったボールは大山よりは高く天に舞ったものの、途中から大きく右にスライスし始め、やがて大きな林の中に飲み込まれてしまった。

「樽井先生、肩に力が入ってますよ。リラックス、リラックス」

 プロレスラーのようなボディーガード二人と、大山、樽井、を乗せた乗用カートは、地獄へ落ちていくようにして、打ち下ろしコースのカート道を下っていった。


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「おい、町田、酒買うてきてくれ。

 退屈でしゃあないわ」

「ワンカップでいいですか?」

「もっと大きなん売ってないかのう、一升瓶とかで」

「そら無理でしょ」

「せやけど、ちょっと酔っぱらわんと間が持たんわ。

 見てみい、この閑散とした国技館を。

 中入り後やいうのに、序の口の取り組みから全然人が増えてへんやないか。

 まあ、これだけ外国人力士ばっかりになってもうたらしゃあないけどな」

〈東方 東龍王 東前頭四枚目 中国福建省出身 高殿部屋〉

〈西方 千代牛 西前頭六枚目 米国ユタ州出身 八重部屋〉

「言うてるしりからこれや。

 ところで、町田、ジャンクはどうしてんねん?」

「あきません。

 すっかりマラソンにはまってもうて。

 社長に言われた通り、あの後、別府温泉へリフレッシュしに行ったんですわ。

 それが、前の晩遅うまで酒飲んでても、朝起きたらあいついないんですわ。

 暫くしたら、汗まみれになって帰ってきて『町田さん、体を動かすことがこんなにいいとは思わんかったですわ』言うて、一週間ずっとその調子ですわ。

 おかげで、戻ってきてから出る番組がことごとく不評で、昔の面白味がなくなったって、プロデューサーみんなから総スカンですわ。

 唯一、健康食品のコマーシャルが回ってきたのが救いですけど」

「そうか。

 マラソンを走ったのがあいつにとって良かったんか悪かったんかわからんなぁ」


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〈投票率は70%を超える見込みです〉

「無党派層が、うちか自由民権党に入れるかですね」

 一男は、おにぎりをぱくつきながらテレビに見入っていた。

「そうだな。

 政治に関心を持たない若い奴らはどっちに入れると思う?」

「まだまだ、テレビが好きって言うか、なくなったら困る世代やと思うんです。

 せやけどあの子らはデフレの中、全てが小さくなろう小さくなろうとする社会の中で育った。景気が良くなる、世の中に活気が戻るって言う言葉には一番敏感なはずです。

 あとは神のみぞ知るでしょ」

「そうだよな、こんなこと神にしかわかんないよな」

 室井は指に付いた米粒を舐りながらテレビのリモコンを手にした。

「まだまだ先は長いんだから、あんまりこんな番組見るのはやめようや。体が持たねえよ」

 ニュースキャスターが消えると、円い土俵が画面に映った。

「相撲ってまだやってたのか。

 てっきり、もうこの国からなくなったと思ってたよ」

 自由民権党総裁、岸本日本国首相が、満面に笑みを浮かべて、青い目の力士に自分の体くらいある優勝杯を渡していた。

「せやけど、相撲ってどうなると思います?」

「なくなるんじゃないか。

 週刊誌に載ってたけど、NHKが相撲協会に払っている放映料は年間30億らしいよ。

 単純に計算して、一場所十五日間、年間六場所で九十日、一日にして三千万。

 放映料がゼロになるんだから、今よりそのぶん売り上げを増やさないといけない。

 入場料を平均五千円とすると六千人だ。一万円としても三千人だ。

 今の状況で毎場所毎日三千人だ六千人だって、入場客が増えると思うか」

「無理でしょうね」

「力士の数を今の半分以下にするか、それか、年六場所を毎月の十二場所にして、全国を回るんだ。今月は北海道場所、来月は東北場所ってな。それで十二月に東京ドームでも借りて、“年間王者決定場所”と銘打って、各場所の優勝力士で年間王者を競わせるんだ。

 それでもだめなら、外国人力士が増えたことだから、日本、アメリカ、モンゴル、ヨーロッパに分けて各国総当りのリーグ戦をやって優勝国を決めるんだ。ほとんどこうなったらプロレスのノリだけどな。

 だけどそうなったら、テレビでやらないほうがいいよな。

 プロレスがテレビでほとんど中継されなくなってかなりたつけど、東京ドームだ横浜アリーナだ大阪城ホールだっていろいろ興業をうってるけど、どれも満員札止めの超満員だからな。

 ある程度もったいぶったほうがいいかもしれないな」

「マニフェスト変更しますか?」

「そうだなあ、選挙に勝ってから考えるか」


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「樽井先生、今日はちょっと調子が悪かったですな」

「いえいえ、いつもあんなものです」

 すっかり日が落ちたゴルフ場の、誰もいないレストランで二人は向かい合ってウィスキーの水割りを嘗めていた。

「それにしてもなんですなあ・・」

 大山は、縁にぎざぎざを付けた正方形のクラッカーに乗ったチーズを太い指で摘んだ。

「何でもかんでも法律で雁字搦めにするのも考えもんですなあ。

 見てくださいよ、樽井先生」

 大山はチーズを噛りながら、だれ一人座っていないテーブルの群れを目で指した。

「昔のゴルフ場じゃ考えられないじゃないですか。

 みんなプレイも楽しみにしていたけど、風呂から出て飲むこの一杯を本当は一番楽しみにしていたかも知れない。だから、本当はあまりゴルフが得意でもないし好きでもない人間でも、このためだけに来たりしていたんだ。

 それが今や、ウーロン茶一杯飲んで『じゃあ、お疲れ』でしょ。

 確かに、飲酒運転は減って、交通事故で亡くなる人の数も大きく減りましたよ。

 だけど、何て言うのかな、何か、みんな元気がなくなってしまったでしょ。

 ゴルフ場なんかただでさえどこも経営が苦しいのに、更に飲食の売り上げが大幅に落ちてしまったんだからたまんないと思いますよ」

 大山はボトルの底に残ったウィスキーを樽井のグラスに注ぐと、遠くにいるウェイトレスに空になったボトルを翳してみせた。

「昔、何かで読んだんだけど、儒教ってあるよね、あの孔子が説いたやつ、その中の言葉で、あまり規則や法律で組織を縛ってしまうと、その組織は活気を失ってしまうといったような話があったんだ。まさしく今のこの国の現状だよな。

 だからだねえ、樽井先生」

 大山は、チーズの乗っていないクラッカーを手に取るとテーブルの上に直に置いた。

「岸本が造ろうとしているクソくだらない法律は絶対に阻止してくれよ。

 あの野郎、これまでの恩をなんだと思ってやがんだっ!」

 大山は、おもむろに、テーブルの上に置いたクラッカーに右の拳を叩き付けた。

 ウィスキーのボトルを持ってテーブルに近づいてきたウェイトレスが驚いて後ろ退ってしまった。

「樽井先生、どっちが勝つんだ?」

「なんとも言えませんが、どちらも過半数には届かないと思います」

「じゃあ、キャスチング・ボートを握るのは我々じゃないか。

 民正党なんてほっといても分裂するだろうし、ほかの党も今まで通りだろ」

「ま、まあ、そうなんですが。

 但、みさきは、絶対に連立はしないと公言しておりますので」

「そんなの、奴らだって、どうしても政権が取りたいと思ったら考え方を変えざるを得ないよ」

「まあ、それならいいんですけど」

「とにかく、なんとか君の力で説き伏せてくれ。

 やっと与党になれたんだ、また野党に戻るのは君もいやだろ。それこそ本当に元気がなくなっちゃうよ」

 大山のそのセリフを待っていたかのように、レストランの入り口に置かれた大きな柱時計が、投票の終わりを告げる午後八時の鐘を鳴らした。


           17

 自由民権党、みさき党共に過半数に満たないことが判明したのは、月曜日の明け方だった。

「すいません、油断してしまって。もう少し遊説に行くべきでした」

 みさき党は、近畿ブロックで思わぬ取りこぼしをしてしまった。

 比例区では自由民権党と星を分け合ったが、小選挙区、それも一男の地元の大阪で、十九ある選挙区のうち、十三を自由民権党と接戦の末、落としてしまった。

「やっぱり、私の悪いイメージがまだ残ってたんですわ」

「そんなことないって。

 大阪の人はやっぱり、目の前からタイガースとヨシモトがなくなることにどうしても耐えられなかったんだよ。

 いいんだよ、それで。

 選挙ってのは本来、国民の声の反映なんだから」

 お通夜のように静まり返る選挙事務所に、自転車のブレーキ音が響き渡った。

「朝刊です」

 額にタオルを巻いた配達員が、ドサッと新聞の束を入り口のテーブルの上に置いた。

「お兄ちゃん、もう明日からいらないから、戻ったら所長さんにでも言っといてくれ」

 室井が言うと、配達員は少し残念そうな顔をして「わかりました、またお願いします」と言って出ていった。

「惜しかったですよね、あと五つで過半数だったのに」

 若い運動員がため息と思われるような声を出して新聞を持ってきた。

“大激戦 自由民権 みさき 共に過半数とどかず”

 特別国会までの熱い30日始まる”

 一面に大きな文字が踊っていた。

 一男はコーヒーに一口だけ口をつけると、新聞を捲った。

“みさき 236  自由民権 215

 創明   10  民正  10

 社友    2  共平   2

 無所属   5 ”

「もっと差がついてもいいと思うんですけどね。

 比例の得票率じゃあうちが48%で自由民権党が40%ですからね」

「小選挙区制の文だよ」

 室井は、ページを捲らずに新聞を置いた。

「山田官房長官さあ、これからどうする?」

「さあ、どうしましょ。

 とりあえず、眠たいから寝ましょか」

「そうだ、それが一番いいよ。

 あんたの言うことはやっぱり正しいよ。

 おい、悪いけど誰かタクシー呼んでくれないか」

 室井が事務所の奥に声を掛けたとき、わかりました、の代わりに「代表、お電話が入っております」と言う声が帰ってきた。

「さっそくか・・・」

 電子音が鳴って、テーブルの上の電話に振られてくると、室井は受話器を取った。

「室井ですが、・・・・・あっ、どうも、・・・・・ええかまいませんけど・・・・・あっ、出来れば滞在しているホテルに来ていただけませんか、・・・・あっそうです・・・そうです・・・わかりました、じゃあフロントで私の名前を言ってください、・・・・はい、ではお待ちしておりますので」

 受話器を置いた室井はフーッと大きな溜め息を吐いてコーヒーの入ったカップに手を伸ばした。

「誰からですか?」

「岸本首相の秘書からだ。

 すぐにでも会いたいって」


 高層ビルの隙間から、また新しい陽が上り始めた。

 歩く人は背を丸めて、皆、一目散に職場へ向かう。

 昨日の夜、この国の行方を左右する戦いがあったことなど、その姿からは想像できなかった。

「山田さんさあ、たまには大阪へ帰ってこいよ」

 眠っていたと思っていた室井が突然体を起こして言った。

「せやけど、今日からいろいろと忙しくなるし・・・」

「一日や二日くらい大丈夫だよ。

 奥さんと会ってさ、ちゃんと話してきたら。

 あんたはもう国会議員なんだから、奥さん呼んで議員宿舎で暮らせよ。

 党のトップがチョンガーで、NO,2が奥さんと別居中じゃあカッコがつかねえだろ」

「でも、今日は岸本首相と・・・」

「俺一人で会うよ。

 どっちみち話は決まってんだから。

 なんとか連立を・・・、断るだけだからな」

「一人で大丈夫ですか?」

「岬みたいにならないか心配してくれてるのか?」

「いえ、そ、そういう意味やないんですけど・・」

「あいつが飛び降りたのも、ホテルだったんだ。

 誰にも言わず、誰かと会っていたんだ。だけどそれが誰なのか警察は調べなかった。ただの自殺だろって。

 山田さん、俺に何かあったら、ちゃんと証言してくれよ、自殺するような人間じゃないって」

「ほんまに何も悩み事ありませんか?

 実は、日に日にプレッシャーが大きくなっていて、酒で紛らわせているものの、もうそれもそろそろ限界で、何かのきっかけできゃーーーって発狂してしまうかもしれない・・・そんな状態やないでしょうね」

「山田さん、大阪の人間はみんな持ち回りでヨシモト新喜劇の脚本を書いてんのか」

「やっとわかって頂けました」

「ああ、大いにわかったよ。

 だから、その大阪へ帰ってこいよ」

「ほんまにかまいませんか?」

「いいよ。

 そのかわり、ちゃんと奥さんを口説いてくるんだぞ」

「わかりました。明日の夜には戻ってきますんで」


 結局、一男はほとんど眠れなかった。

 部屋のテレビをつけると、ちょうどNHKの正午のニュースが流れていた。

 自由民権党とみさき党を中心にした、政権獲得への水面下での動きが活発になるでしょうと、つるりとした顔のアナウンサーが他人事のように喋っていた。

 シャワーから出ると、典子のアパートへ電話を入れようと思ったがやめて、財布だけをズボンのポケットに入れ、一男は部屋を出た。

 フロントでキーを渡しながら、室井さんは?と聞くと「まだおやすみのようです。ルームメイクの人間がずっと部屋の前で待ってるんですけどね」と自分の言ったくだらない冗談にフロントマンは笑った。

 エントランスの自動扉を出ようとしたときいつもの条件反射で周りに目を配ったが、あれだけいた民放の報道陣は何か大きな竜巻にでも吹き飛ばされたみたいに、人っ子一人いなかった。

 止まっていたタクシーに手を挙げ乗り込もうとした時、車止めに止まったシルバーのベンツが目に映った。

 よく見ると、助手席で峰社長が携帯電話を耳にあてていた。

「東京駅まで」

 ホテルから離れていくタクシーの中からシルバーのベンツを見ると、峰社長が、いつもと違った神妙な顔つきで口をパクパクと動かしていた。


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〈お見えになりましたけど〉

 シェイビングクリームが付かないように受話器を口から離しながら「えっ!? もう来たの? 早えよなあ。ちょっと十分だけ待ってて貰える」と室井は言った。

 そして、十分たって部屋に入ってきたのは、岸本首相ではなく、創明党の樽井党首だった。

「申し訳ないです、アポイントも取らずに」

 ルームサービスのコーヒーが来る間、樽井は、なんとか連立で政権を取れないものかと、何度もテーブルに頭を擦り付けた。

「うちはあくまで単独での政権獲得を考えていますので」

 室井は、コーヒーカップの中に白い渦巻きを造りながら答えた。

「そこをなんとかお考え直していただけないでしょうか?」

「樽井先生、お立場はよくわかります。ですけど、私ども党は旗揚げの時に何がなんでも単独で政権を取ると誓いました」

「それは重々承知しております。

 閣僚に名前を連ねさせてくれとかそんな下らないことは言いません。やろうとなさっていることに一切口は挟みません。とにかく、一緒に名前を連ねさせてください。それだけでいいんです。なんとか・・・」

 テーブルに擦り付けた樽井の額から煙が出てきたとき部屋の電話が鳴った。

「はい、わかりました、じゃあお通ししてください」

 樽井はテーブルに額を付けて今にも逆立ちでもしそうな勢いだった。

「樽井先生、申し訳ないですけど、次の方が見えたましたので今日はこのあたりで・・」

 樽井は真っ赤になった額を室井に向けた。

「どなた様で?」

「岸本首相ですよ」

「連立のお話ですか?」

「たぶんそうでしょう。

 だけど、樽井先生、さっき言いましたように、イエスとは言いませんのでご安心ください。

 但し、自由民権党が唱っている課税の話には私も賛成です」

 樽井は、初めて、獲物に食らいつく鮫のように、どこを見ているかわからないが、何かの強い意志を表わしている、そんな目をした。


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 新幹線が京都駅に着いたとき、一男は降りようかどうか迷った。

 しかし、疲れと寝不足と空き腹の胃に流し込んだ350ミリリットルの缶ビール一本で赤くなった顔で典子に会いに行くのには抵抗があった。

 飲んだ勢いで、と思われるのが嫌だった。


 新大阪駅のホームに降り立つと、初老の女性が「あれ、この間選挙に出てた、何とか、あっそうや、山田さんや、ほら、痴漢かなんかして騒がれてんけど奥さんが・・・・」と甲高い声で話し、周りにいた人が「ほんまや」と騒ぎ出したので、どうも、と苦笑いを浮かべながら階段を駆け降り、小走りでタクシー乗場に向かった。


「里帰りですか?」

 信号で止まった途端、タイガースのナイター中継の声を絞って運転手は一男に聞いた。

「まあ、そんなもんです」

 一男は、一刻も早くこの国からテレビを無くそう、真剣にそう思った。

 マンションの三つ手前の信号でタクシーを降り、久しぶりの町をゆっくりと歩くと、人の顔のポスターがたくさん貼られた木のパネルが立てかけられていた。

 昨日終わったばかりなのに、遠い昔の出来事のように感じられた。

 一つ手前の信号を渡り、背広の内ポケットから鍵を取り出すと、何気なく十二階建てのマンションを見上げた。

 真中あたりの、道路沿いと反対側の角部屋から明かりが漏れているのを見て、一男は、マンションの一階から、一、二、三、四、五と階を数えていったが、明かりが漏れている部屋は、間違いなく、二十年住み慣れた、五階の我が家だった。


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「すいません、わざわざお越し頂きまして」

 室井が頭を上げると、耳からイヤホンをたらした、鉄仮面のような男二人を従えた岸本が笑いながら右手を差し出した。

「はじめまして」

 握った手が熱い。

 ソファーに腰掛けた岸本は「早速ですが」と言って足を組んだ。

「どうですか、室井先生。うちと大連立を組みませんか」

「総理大臣、私は、貴党が提唱している税制には賛成です。

 消費税は一番平等な税だと思うんです。

 年金生活者や低所得者層に対しては酷な税に映りますが、誰からも徴収できる、言ってみれば、税金を納めていない連中、もしくは納めようとしない連中からも徴収できますからね。

 それを国民はNOと言った。

 じゃあ、もっと平等な税を導入しましょう。

 明らかに、莫大な収入があり、宗教に携わっていると言いながら、ベンツを乗り回し、夜の町を闊歩している、一切税金を納めていない連中からも徴収しましょう。

 もちろん国民はYESと言いました」

「いやあ、そこまで理解していただいてるんなら話しは早いですよ」

「だけどね、総理大臣、先程もある党の代表が来られたんですよ。どこの党かは言いませんけど」

「で、NOと答えられた」

「おっしゃるとおりです」

「わかりますよ、室井先生は意志が強いですから、一度決めたことは絶対に曲げられない。

 だけどね、先生、法律を新しく創るってことは大変なことなんですよ。今回の選挙も結局はそれが発端ですからね。それに、お分かりだと思いますけど、先生のところは参議院に議席を持っていませんよね。もし、政権を取って法案が衆議院を通っても参議院じゃうちの協力がないとダメなんですよ。衆議院に差戻されたら、今度は三分の二の賛成が必要ですよね。となると、またうちの協力が不可欠になってくるんですよね」

「参議院で賛成を得られないのなら、衆議院をまた解散しますよ。

 今度は三分の二の議席を取る自信がありますから」

「室井先生、昨日終わったばかりなんですよ。

 それをまた一年以内にやるなんて、もっと現実味のある話をしてくださいよ」

「じゃあ、うちの法案が通るよう協力してくださいよ」

「ですから、大連立を組もうとお話をしているんじゃないですか」

「いえ、私が協力してくださいと言っているのは、野党として、という意味です」

 岸本は一瞬、えっ、と言う顔をして足を組み直した。

「何度も申しますけど、うちは単独での政権奪取しか考えておりません。

 但し、みんな、政治だとか経済、あと外交や税制、なにもかも素人です。ですからそこのあたりは是非ご協力を頂こうと思っております」

「それなら一緒に手を取り合ってやっていこうじゃないですか」

「いえ、あくまで、主導権はうちが握ります。

 連立でやるとなると、どうしても、自分たちの考えが百パーセント通るとは思えません。

 そのうち、目標がぼやけてきて、自分たちがやろうとしていたことはいったいなんだったんだ?

 そんな状況になるのを恐れているんです」

「長い時間と、国民の大事な税金を使って、またあの面倒くさい選挙をやるんですか?」

「ええ」

「うちと組めば、まあ、この国からテレビを無くすというのも、私もいろいろとテレビ関係の人との付き合いもありますので、今すぐにっていうわけにはいきませんけど、段階的にはやっていけるはずです。それに、先程、先生にご賞賛頂いた税制の件も一緒に推し進めていけば、この国の未来は大きく変わっていきますよ」

「総理大臣、誠に申し訳ないですが、今おっしゃられた“段階的に”、この言葉が私は信用できないんですよ。

 その段階を踏んでいるうちにきっといろいろな横やりが入り、そのうち、先程も言いましたが、話が有耶無耶になってしまう。

 私はそれが嫌なんです。

 ですから、あくまで、単独で政権を取ります。

 今日のところは誠に申し訳ないですが、お引き取り願います」

 岸本は暫くの間腕を組んで目を瞑っていたが、大きくため息のような息をつくと目を開け、突然怒鳴り声を発した。

「秘書の内村を呼んでくれっ!!」

 内村は飛んでやって来た。

「明日の午前中の予定はどうなっている?」

「午前九時から、民放各社会長様との懇談会、その後午前十一時半から、ヨシモトの峰社長様とご会談の後ご会食となっています」

「すまないが、全部キャンセルしてくれ。

 あとの指示はすぐに出すから、とりあえず、すぐに連絡を取ってくれ、頼む」

 内村は、入ってきたときより更にスピードをあげて部屋を出ていった。

「じゃあ、室井先生、お互いがんばりましょう」

 岸本は立ち上がると、右手を室井に差し出し、二人は、固く握手をした。

「だけど、選挙だけはもう辞めにしときましょうよ。また日本中を走り回るのかと思うと気が重いですよ」

 言い残すと、岸本は、二人の鉄火面に守られるようにして、部屋を出ていった。


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 樽井は走る車の中で夕刊を拡げていた。

“自由民権 みさき 今夕トップ会談 大連立へ”

 本当に室井は自由民権党の誘いを突っぱねるのだろうか、だけどあの党が掲げる税制には賛成だと言っていた、結局は旨く首相に言いくるめられてYESと言ってしまうんじゃないのか。

 大山先生には何て言おう。俺はこの先いったいどうなるんだろう?

「すまないが、次の信号で降ろしてくれないか。急用を思い出したんで。大山先生のところへはタクシーで行くから、事故渋滞に巻き込まれたので少し遅くなると先生には伝えておいてくれ」

運転手に伝えると樽井は車を降りた。

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 岸本首相を送り出し少し一息ついたたフロントマンの金井は、身長百八十五センチ、体重百三十キロは下らない、髪をポマードで後ろになでつけた男がフロントの前を通り過ぎるのを見て、どこかで見たことがあるなあ、それもつい最近に、と思った。


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「家は住めへんかったら傷むって言うけどほんまやわ。

 クモの巣なんか張ったことなかったのに」

 典子はホットプレートの中で沸騰する湯の中に白菜を放り込みながら言った。

「そうやなぁ。

 で、な、典子さぁ、突然やねんけど、もう一回一緒に住んでくれへんか」

 少し間を置いて、典子は「ええけど」と言った。

「そうか。

 東京やけど大丈夫か。

 あいつら、うどんの中に、コロッケ入れて食べるんやで。そんな変なとこやけど」

「私も、向こうのこと片づけてこなあかんからすぐには無理やけど、なるべく早よう行くようにするわ」

「すまんなあ、無理ばっかり言うて」

「かまへんよ、一応夫婦やねんから」

 典子は笑いながらうどんの玉をホットプレートに落としこんだ。

「せやけど、えらいもんやなあ。

 ちょっとの間、大阪離れてただけで、このうどんすきから出汁の香りを感じ取ることが出来るんやから。

 これまで、そんなこと感じたこと一回もなかったもんな」

「向こうでは何食べてたん?」

「ルームサービスばっかり。

 変に有名人になってもうたから、のこのこと定食屋に出かけられへんかったんや」

「せやけど、もし政権取れたらあんたもなんとか大臣になるんやろ。そしたら今よりもっと行動が制約されるんちゃうの」

「間違っても、ガード下で安酒は飲まれへんやろな」

「そしたら、明日はお好み焼きでも焼こか?」

「いや、昼過ぎにはこっち出るからまた今度向こうで焼いてくれ」

「忙しいんやな」

「今日も、室井さんは岸本首相と会ってるわ」

「政権は取れそうなん?」

「何とも言えん。

 お互い過半数に届いてへんから、よその党とどう組むかやな。室井さんはあくまで単独でいくって言うてるけど、自由民権党も必死やから、何してくるかわからんからな。あくまで数の勝負やから、どう転ぶかわからんわ」

「そうなん」と言った典子は席を立つと、テレビの電源を入れた。

「また、しょうもないのん見るんか?」

「ひょっとしたら、もう見られへんようになるかも知れんから」と言って、典子は大きな旅行鞄の中からDVDを取り出した。

「今、DVDがどこ行っても売ってないんやで。みんな、最後になるかもしれんテレビを片っ端から録画してんねんて」


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 部屋の電話が鳴った。

 樽井は出ようかどうか迷った。

 音は鳴り止まなかった。

 どうか止んでくれ、樽井の願いは聞き入れられず、電話は更に鳴り続けた。

 大山先生が、ドタキャンを怒って掛けてきたのか、それとも夜のニュースで、みさき党を説得できなかったことを知ったのか。

「先生、夜分遅くにすいません、岸本です」

恐る恐る取り上げた受話器からは、信じられない声が飛び込んできた。

「明日の午前中のご予定は如何ですか?」

 樽井はクローゼットに跳んで行き、背広の内ポケットから、よれよれになった手帳を取り出した。

「大丈夫です」

「じゃあ、赤坂のいつもの所で十一時にお待ちしておりますので」

「私でいいんですか?」

「ええ。

 まあ、朝刊読んで頂ければわかると思いますので。

 じゃあ、夜も遅いので、失礼いたします」

 岸本は一方的に電話を切った。

 樽井は掌を大きく目の前で拡げ、暫くの間じっと見つめていた。


             18

「ちょっとあんた見てみい」

 典子は、眠い目を擦りながらリビングに入ってきた一男に朝刊を渡した。

“みさき党  自由民権、創明との連立拒否”

「創明党とも会ってたんか」

 一男はコーヒーの入ったマグカップを口に運んだ。

「いったいどうなるん?」

 典子はトーストにマーガリンを塗りながら聞いた。

「社友党と民正党は自由民権党に付くやろな。共平党は相変わらず独自路線やし、創明がどう出るかやな」

「せやけど、自由民権党のあの税法案に従うわけいかへんやろ」

「たぶんな。

 そうなったら首班指名で室井さんが指名されて晴れて総理大臣になるんやけどな。

 ただし、まだ過半数にまではいかへんし、うちは参議院に議席を持ってへんから、何をするにも大変やけどな」

「そしたら、まだ、テレビがなくなるのはちょっと先やね」

「俺は一日も早くなくしたいんやけどな」


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 樽井は食い入るように新聞を見ていた。

 掌にじわっと汗がにじんだ。

 迎えの車が来たことを告げるチャイムが鳴った。

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 ルームメイキング歴十五年の高田チレは、もうすぐ十二時になるにもかかわらず、唯一ドアのノブに「起こさないでください」の札の掛かった部屋の前で腕を組んで立っていた。

 確か、半年以上の長期滞在者の部屋のはずだった。

 永年の勘から、チレはフロントへ電話を入れることにした。


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 ビールが喉を流れていかなかった。

「樽井先生、お互いいろいろと大変ですよね」

 岸本が差し出したビールにグラスを傾けたが、半分も飲むことが出来なかった。

「ちょっとお疲れのようですね」

 岸本はビールをテーブルに置くと、グラスに残っていた自分のビールを一気に飲み干した。

「樽井先生、酔っ払わないうちにお話ししておきましょう。

 朝刊は読まれましたか?」

「ええ」

「あの通りなんですよ。

 室井先生も、志を持ったすばらしい方なんですよ。だけど、政治家としては如何せん経験がないせいか、遊びの部分がないんですよね。

 遊びってのは、昔自動車教習所で習いましたよね、ブレーキの遊び、その遊びです。

 自分の考えだけで百パーセントぱつぱつに自分を支配しちゃあダメなんですよ。 わずかだけでも他人の考えを聞き入れる遊びの部分がないとね。

 で、樽井先生、あなたもお立場上大変なのは察します。

 民正と社友は連立にイエスと言っています。

 私も政権は維持したい。

 樽井先生、もう一度一緒にやりませんか?」

 樽井は室井と大山の顔を思い浮かべた。

「うちも公約に掲げた以上、やっぱりやーめたって言うわけにはいかないので、段階を踏んで、徐々に緩めていきますよ。影響はゼロではないですけど、それに近いものにします。そうすれば大山先生も納得していただけるでしょう」

「ええ」

 樽井は力なく言葉を吐いた。

「段階的じゃあダメですか?」

「え?」

「室井先生は、その、段階的、が信用ならないと強くおっしゃられましてね」

「そうなんですか」

「じゃあ、樽井先生、イエスと理解してよろしいんですね」

「は、はい」

「ありがとうございます。

 また、与党ですよ、お互い頑張りましょう」

 差し出した岸本の手を樽井は力なく握った。


           19

 一男が室井の死を知ったのは、東京へ向かう新幹線の中だった。

 自動ドアの上で流れたテロップに、乗客の大半を占めるスーツ姿のサラリーマンからどよめきの声が上がった。

 携帯が震えた。

 本当なのかともう一度テロップを見ながら通路を歩きデッキに出た。

「室井さんが・・・」

 典子だった。

「わかってる。

 それより今どこや?」

「まだ家やけど」

「とりあえず、すぐ出ろ。

 それで、どこでもええからホテル借りろ。

 名前は偽名を使うんやぞ」

「なんでそんなこと・・・」

「室井さんは殺されたんや」

 えっ!と言う典子の声を聞く前に一男は携帯を切った。

 デッキを出ると、どよめきはまだ続いていた。

 振り向きざまにテロップを見ると“自創民社連立へ”と言う文字が左から右へ流れていた。


 ホテルに着くと鈴生りになった報道陣が一男にフラッシュを浴びせかけた。

〈いつお知りになりましたか?〉

〈党首に何かひどく悩んでいる様子はあったのですか?〉

「自殺とちゃうわいっ!!」

 言いたかったが言えずにエレベーターに乗り込んだ。

 室井の部屋の前には、立入禁止、と書かれた黄色いテープが張られ、白い手袋をした刑事と思しき男や鑑識の人間が忙しそうに立ち回っていた。

「山田さんっ」

 一昨日まで一緒に声を枯らしていた運動員が、みんな目を真っ赤にして一男に駆け寄ってきた。

「どうしてなんですかっ!!」

「俺にもわからへん」

「なんで室井さんが自殺なんかするんですかっ!」

「せやから俺にもわからへんて言うてるやろっ!」

 怒鳴り声に涙が交じった。


 山崎という刑事が状況を説明してくれた。

 死因は首吊りによる窒息死、死亡時刻は昨日の深夜から今日の朝に掛けて、「ここにバスローブの紐を掛けられて」と部屋の通気孔を指した。

「昨日はお会いには?」

「朝、一緒に選挙事務所から戻ってきまして、それぞれの部屋に入りました。自由民権党の岸本首相と部屋で会うとは言ってました。創明党と会うとは聞いてなかったです。それで私は午後から大阪に戻りました。出るときに部屋に電話を入れようと思ったんですが、疲れて寝入っていると思いやめました」

「創明党の方とは、岸本首相の前に会われています。ご本人にまだ確認は取れていませんが、フロントマンが部屋に通したことを認めています。

 岸本首相が帰られてからは来客はありません。これもフロントマンが認めています。

 聞くと、室井さんは、ルームメイクですらも必ずフロントを通していたということですから、知らない人間がフロントを通らず部屋のチャイムを鳴らしても、室井さんは出なかったと思います」

「遺書は?」

「遺書のない自殺なんていくらでもありますから。

 検死解剖の結果を見てからですけど、自殺に間違いありません。

 いろいろなプレッシャーから発作的に、と言うところでしょう」

「事件性は?」

「今の所なにも」

「誰かの指示を受けた男がなんらかの手段で部屋に侵入して、もちろん一人じゃないですよ、嫌がる室井さんの首に無理矢理紐を掛けて、自殺に見せかけた」

「山田さん、サスペンスドラマの見過ぎですよ」

 言うと山崎は、室井が首を吊った通気孔の下にできた黒い染みを跨いで部屋を出ていった。


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 室井のお通夜はしめやかに行なわれるはずだったが、テレビ局各局はそれを許さなかった。

 余計なことするからだよ、芸能レポーターと称する不思議な職業の人達の繕った暗い顔の頬にはそう書かれていた。

 町の小さなセレモニーホールは、みさき党員、運動員、集談社の社員、そして僅かだが他党のトップの人間達で溢れ返った。

 岬の妻の和枝と娘の里見も、一度だけだが一男と目が合い頭を下げた。

 典子も、行きたい、と言ったが、一男は止めた。

 東北から出てきた室井の年老いた両親の手を引き、人垣を掻き分け祭壇にたどり着いたとき「えらいことでしたな」と一男の肩越しから声がした。

 ヨシモトの峰社長だった。

「ご両親さんですか。

 このたびは御愁傷さまで。

 ほんまにええ息子さんやったんですけどねえ」

 峰社長の関西弁と声の大きさに圧倒されぽかんとしている二人を一男は遺族席に座らせた。

「昔の人はよう言うたもんですなあ“出る杭は打たれる”まさにその通りでんなあ」

 周りの人間が一斉に峰社長を見た。

「社長さん、ちょっと」

 一男は室井の両親に頭を下げると、峰社長を連れてホールを出た。

 一斉にフラッシュがたかれ、芸能レポーターがあっと言う間に二人を囲んだが、プロレスラーのような峰のボディーガードが簡単に蹴散らしてしまった。

「社長、もう少し場所をわきまえて話してくださいよ」

「何がやねん。

 俺は事実を述べただけやないか」

「ご両親が来てはるんですから」

「そんなもん関係あるか。

 あんたらがしょうもないことするからやないか」

「何がしょうもないことなんですか」

「室井はんも死なずにすんだんや。

 結局はあかんかってんから」

「まだわかりませんよ」

「何言うてまんねん。

 創明党が妥協して、自創民社で連立が決まったいうて、ニュース見てないんでっか」

「まだ過半数には届いてないでしょ」

「総理大臣には岸本はんが指名されるのは間違いないんでっせ。 そしたら、あとの無所属の人間も何やかんや言うて説得されて自由民権党に入りまっせ。確か、あの無所属の五人は、あんたの大嫌いなタレント議員のはずでっせ」

「タレント議員?」

 その時「社長、焼香始まりましたわ」と男が峰社長を呼びに来た。

「ほな、山田先生、私はこれで失礼しますわ。

 あっそや、先生、党の名前はやっぱり室井党に変えまんのか、はっはっはっはっ」

 峰社長はボディーガードに包まれるようにしてホールへと消えた。

 そして、その後ろを、背中を丸めた樽井が同じように大柄な男に包まれるようにしてと歩いていったことに一男は気がつかなかった。


            20

 結局、室井の死は自殺ということで片づけられた。  

 一男は、絶対に室井は殺されたと確信して、誰か怪しい人間を見なかったかと、ホテルの全てのフロントマンに尋ねたが、答えはいずれもNOだった。

 岸本首相が帰った後、誰かが部屋に入ったのは間違いない。しかし、室井はああ見えても用心深いところがあるから、フロントを通していない知らない人間には絶対に扉を開けないはずだ。すると、室井の知っている人間、一度は会ったことのある人間だ。じゃあ、いったい誰だ。誰が、室井を殺す必要があったんだ。室井に連立を断られた岸本首相が、見せしめとして殺し屋を雇ったのか。あっ! 峰社長だ。あの日、大阪に帰るとき、ホテルの前に止めた車の中にいた。岸本からの依頼を受けて、そういえばあの男もそうだが、いつも周りに付いているボディーガードはどう見ても堅気ではない、あいつらが部屋に入って抵抗する室井を担ぎ上げ、吊るしたひもで・・・しかし、峰社長は口は悪いが、自分でも言っていたように、人の命に手を掛けるようなことはしないように思える。じゃあ一体誰なんだ? 創明党の樽井党首か? 確かに立場的には完全に板挟み状態だ。室井に連立を断られ、どうしようもなくなって発作的に・・・

 電話が鳴った。

「もしもし」

〈・・・・・・・・・・・〉

 受話器を置いてカーテンを捲ると、新宿の空が白み始めていた。


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「先生、くれぐれもお願いしますね」

 岸本の声が耳について離れなかった。

 止めていたビデオの再生ボタンを押した。

 岬和枝と娘の里見がインタビューを受けていた。

〈あの人の遺志を継いで出版社で働くと言っているんです〉

 和枝が笑いながら話す横で、少し照れくさそうな里見の表情が映し出されていた。

 早送りボタンを押す。

 室井の両親が出てきたところで再生ボタンを押す。

〈正義感の強い子でした。

 それに、自分が決めたことは絶対に曲げなかった。頑固だった〉

 そうですとも、と夫の言葉に頷く母親。

〈自殺なんか絶対にする子じゃないです。私たちは誰かに殺されたと思っています〉

 樽井は停止ボタンを押した。


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 眠い目を擦って一男が登院すると多くの報道陣が待ち構えていた。

「党首、首班指名では岸本前首相の指名が確実視されていますが・・」

 一男は室井の死後、みさき党党首の座に着いた。

「今後、第一党の野党としてみさき党はどういった行動を・・・」

「この国からテレビを無くすというマニフェストは引き続き掲げていくのですか・・・」

 一男は、言葉の代わりに、ファースト・フード店のマニュアルに書かれてあるような笑顔を報道陣に返した。


 一男は、まだ座り慣れない席から周りを見渡した。

 創明党、民正党、社友党、共平党の僅かの党員が、自由民権党の大きな塊の後ろでいじけるように座っていた。

 そしてそのまだ後ろに、傍観者のような形で、五人の無所属の議員達が座っていた。

 投票が始まった。

 先に行なわれた参議院の首班指名では、自由民権党党首の岸本が指名されていた。

 紙に自分の名前を書くだけなのに少し違和感を感じた。


 手が震えていた。

 脂汗が額から頬に伝い、机の上にぽとんと落ちた。

 周りを見ながら必死でペンを滑らせる。

 “山・・・田・・・一・・・男・・・”


 215に創明党の10民正党の10社友党の2、全部足して、えーっと237。間違いない。みさき党の236より1票多い。

 岸本は投票用紙を持って行進する人の連なりを見ながら、同じ計算を何度も繰り返した。

 おっ、樽井さんじゃないか、何か顔色が悪いなあ、大丈夫かな、だけど、ちゃんと考えてあげないとダメだよな、あんな適当なこと言っといたけど、室井さんだったらもっと食らいついてきたはずなのに、まあ、そこが樽井さんの悪いとこであっていいとこなんだけど、政治家としては少し優しすぎるよな、まあ、段階的にとは言っといたけど、低い階段を何段も作って適当にお茶を濁しておこうか、おっ、議長がでてきたぞ、発表だ発表、指名されたときは笑顔で答えないとな、おいっ、早くやれよっ、早く。

「首班指名、開票結果を報告致します。

 山田一男君」

 236だな、よしっ。

「237票」

 えっ!? なんでだよっ、236だろっ! 誰だ、無所属の奴が誰か1票入れたのかっ、これじゃあ同点じゃねえか、また話がややこしくなるぞっ。どうなってんだっ!!

「岸本武三郎君」

 237だよなっ、絶対に・・・。

「236票」

 ・・・・・・・・・。

「竹田宗雄君 2票。

 白票 5票。

 よって、山田一男君を内閣総理大臣に指名します」

 一男はきょとんとした顔をして立ち上がり、ぜんまい仕掛けの人形のようにゆっくりと頭を下げた。

 そして、岸本は、口から泡をとばし、壇上に駆け上がっていこうとするところを、周りの自由民権党の議員に押さえつけられた。


              21

「首相、いいお住まいですね」

 元Jリーガーの浜中玄議員は、散らかし放題になっている一男の部屋を見回して言った。

「首相ってのはやめてくださいよ。なんか、背中がむず痒くなりますよ」

「ずっとここで?」

 元プロ野球選手の江島拓郎議員が聞いた。

「もう食べ飽きましたけど、御飯も食べられるし、部屋の掃除もお願いすればすぐしてくれるし、道楽もんにはいいですよ」

「だけど、もう首相官邸に住めるんですからね」

 元俳優の城俊彦議員が、現役時代から全く衰えを見せないバスを響かせた。

「せやけど、男一人で住むのもどうかなと思ってるんですけどね。ちゃんと部屋の掃除とか誰かしてくれんのかなあと心配してるんですけど」

「なんやったら、一緒に住みましょか。あっちの趣味はないですけど、部屋の片づけくらいやったらやらしてもらいまっせ」

 元漫才師の島田貴彦議員が身振り手振りを交えて言った。

「お気持ちだけ頂いときます。

 ちなみに私もあっちのほうの趣味はありませんので」

 六人声を上げて笑った。

「で、皆さん、お忙しいところ集まっていただいて恐縮なんですけど」

「今日の投票の件ですよね」

 城がバスを響かせた。

「大丈夫ですよ。

 僕達は、どこかの党みたいに、何の信念も持たずに、とりあえず長いものに巻かれておけ、とは違いますから。自分たちが、これは、と思ったものに賛成の手を上げるようにしているんです。だからどこの党にも属さないんですよ」

 江島が自信ありげに話した。

「今頃血眼になって自由民権党は犯人捜しをしてるんちゃいますか」

 島田が、コーヒーに口をつけながら言った。

「そうなんかあ・・」

 一男は腕を組んだ。

「江島さん、じゃあ、皆さんが今日の投票で誰の名前も書かへんかったと言うことは、言うてみれば、うちの党の考えにも賛成しかねるっていうことなんですよねえ」

「みんな迷っているんです」

 ずっと黙っていた、元女子バレー五輪代表の白田貴美議員が口を開いた。

「プロ野球界にとってはいいことだと思いますよ。

 今のままじゃあジリ貧だし、まあ、組合なんか作って、余りにもファンを無視して選手達が金金金と言いすぎた結果ですからね。自分たちで自分たちの首を絞めただけなんですよ。

 口では、ファンの為、と言いながら一番ファンを無視していたのは選手達ですからね。ちょっと三割を打ったり、二桁勝ったからと言って、過去に何の実績もないのにやれ一億よこせだ二億よこせだ。長島さんや王さんなんてお金のことなんて一言も言わなかったですから。

 一時大リーグが、年棒の件でもめてストをうったりして、ファンにそっぽを向かれた時期がありましたよね。ちょうどそれと同じですよ。ちょっとは頭を打っていいんですよ」

「江島さん、厳しいですよね」

 元Jリーガーの浜中が言った。

「真剣にプロ野球界の将来を心配しているんですよ。

 でも、首相のおっしゃる通り、人気のないチームにとっては、どこのチームだとは言いませんけど、すごくいいことだと思うんです、テレビがなくなるっていうのは。

 もともとテレビ中継なんかほとんどなかったですから、年間の放映料なんて僅かだと思うんです。

 観客動員数は間違いなく増えますから、鉢を大きくすればいいんですよ。

 五万人も十万人も入るスタジアムを作って」

「それは、うちも一緒ですよ。

 余りにもスタートが華々しすぎたんで今の落ちぶれ度が余計に悲惨に見えるんですよね。

 一万人入る試合なんて滅多にないし、人気のないチーム同士でしたら三千人程度のお客さんしか入らないのはざらですから。

 テレビ中継だって、NHKだけで、民放はせいぜい開幕戦くらいしか中継しないですから。

 但、鉢だけは大きなところを持っていますんで、今より試合数を増やせば充分にやっていけると思うんです」

 言い終えると浜中は満足そうな笑みを浮かべた。

「私たちはオリンピックの予選とか何年に一回の大きな大会しかテレビ中継がなかったですから」

「でも、いつ見ても会場は満杯やないですか」

 一男が言った。

「そうなんです。

 声援なんかすごくて、あの雰囲気でプレーをすると癖になっちゃうんですよ」

「プロにすればいいんですよ。

 もっと試合数を増やして、全国をサーキットすればいいんですよ。絶対にお客さんは入りますよ。バレーにしたってラグビーにしたってファンの数は野球やサッカーに負けないはずですから、冬のスポーツだって決めつけないで一年中やったらいいんですよ」

「なんか景気のええ話ばっかりしてまんなあ」

 島田が白田と一男の間に割って入り、そして続けた。

「私はもうええんですよ、引退しているから。

 せやけど、残された後輩には、テレビがなくなる言うのは酷やと思いますよ。劇場だけで食べていける芸人言うたら一握りのそのまた一握りやと思います。とくに、首相もご存じやと思いますけど、大阪なんかヨシモトの独壇場でしょ。テレビがなくなったら峰社長は黙ってないでしょう。とんでもない額のお金が入ってこなくなるんですから」

「確かに黙ってないですけどね。

 でも、さっきのバレーの話やないですけど、鉢を大きくしたらいいんですよ。一万人二万人入る劇場を造ったらええんですよ。

 ヨシモトさんやったらそれくらいできるでしょ。

 それで食べていかれへん芸人は辞めたらええんですよ。

 今の大阪の芸人は甘やかされています。

 ちょっと売れてきて、関西のローカル局のレギュラーでも持つようになったら、収入が安定してくんのか、舞台に立てへんようになる。立っても、全然力が入ってないのがわかります。

 そらテレビのほうが、顔も売れるし、収入も多なるから気持ちはわかるんです。

 舞台やったらなかなかお客さんも笑ってくれへん、特に大阪のお客さんはべたですから。

 テレビやったら、おもしろくなくても、番組のスタッフとかが無理矢理笑うから、本人らは自分たちがおもしろいいうて勘違いするんですわ。

 あれは笑わせてるんじゃなくて、笑われてるんですわ。こいつ何してんねん、いうて」

「えらい、首相、大阪の芸人には厳しいですな」

「愛の鞭ですよ。

 安直なことばっかりやってたらほんまもんは作れませんから」

「でもね・・・」

 城のバスが響いた。

「俳優ってのは、聞こえはいいですけど、案外収入は良くないんですよ。

 昔の高倉健さんや渥美清さんみたいに映画一本で食っていけるってのは本当に例外ですから。

 だから、テレビドラマに出たり、つまらないと思っていてもバラエティー番組に出て自分より一周りも若いお笑いタレントにいじくられてもじっと我慢しているんですよ。

 そのテレビがなくなっちゃうと、本当にきついと思いますよ。

 食べていくネタが映画と舞台に限られますから」

「せやけど、まともに演技できるっていうか、ちゃんと演技の勉強している人なんかほんの一握りでしょ。すぐに淘汰されて、今よりはすっきりとしていいんやないですかね。わけのわからんタレントやアイドルの映画なんかもなくなると思いますから」

「それだったらいいんですけどね」

「大丈夫ですよ。

 本物だけがきちんと評価される、そういう世の中にきっとなるはずです。

 それと、わたしは、もっとこの国を明るくしたいと思っているんです。

 今はなんか、一億総ひきこもり時代って言うか、まあ、インターネットの発達もあって、みんなが家の中でなんでも済ませてしまえるんですよね。せやけど、インターネットいうのは、本当は、過疎地で住んだり、体がもうあまり動かずなかなか外に出られへんお年よりが使うもんやと思うんです。

 どんどんみんなが外へ出るようになったら、室井さんも言うてましたけど、いろんなとこでお金が落ちて、景気も良くなると思うんです。

 今はネット関連の所へお金が集中してしまってますから、政府がいくら景気が上向いてきた言うてもみんな実感がないんですよ」

 部屋のチャイムが鳴った。

「皆さん、お呼び出しして申し訳なかったです。

 時間が来ましたんで、このあたりで」

「首相」

 島田が立ち上がりながら言った。

「結論はすぐに出さな・・・」

「いいです、いいです。

 あくまで私の考えを話させてもらっただけですから。

 皆さんも、それぞれお考えやお立場があると思いますんで、無理強いはしません。

 今日はどうもありがとうございました」

 言うと一男は部屋を出ていった。


 翌日の朝刊の表紙には、

“前代未聞!  連立崩れる

   みさき党 山田新首相誕生”

 という大きな文字が踊り、その文字の十分の一くらいの文字で、前首相の岸本の「信じたくはないが、どこからか造反議員が出たようだ。調査の上、それなりの対処をしたい」と言ったコメントが載り、それよりさらに小さな文字で、「我が党から造反議員が出なかったことを信じています」とのコメントを残して、創明党党首の樽井が国会議員を辞職したことを伝える記事が載せられていた。

 テレビ欄のゴールデンタイムには“緊急特番”の文字が横に並び、社会面には、在京のテレビ局の社員が国会議事堂前でデモを行なうとの記事が載せられていた。

 そして、そのデモの様子の写真が載ったその日の夕刊に、テレビがなくなることへの抗議からか、全国の小学校で授業ボイコットが起きていることが伝えられていた。

「大変なことになりましたよね」

 岸本前日本国首相が、どうしても一度食べてみたかったと言ってとったルームサービスのチーズクラッカーをかじりながら一男に言った。

「どうしても新しいことが始まるときはこうなりますよ。

 消費税が始まったときもそうやったでしょ。

 それに、まだ、この国からテレビがなくなるって決まったわけやないんですから。

 岸本先生がご協力いただけるんやったら別ですけど」

「いえいえ、私も亡くなられた室井先生と同じで、信念を貫く男ですから」

「先生、私たちは、世の中を本当に良くしたい。いいものをきちんと評価できる世の中にしたい。ただその為だけにやっているんです。

 どこの党の人間であろうが、どこの派閥の人間であろうが、そんなん関係ないんです」

「室井先生とはえらく違いますねえ。

 あの方は、何がなんでも自分の党がイニシアチブを握ってやるっておっしゃってましたから」

「いえ、私もその考えと同じなんです。

 但、現実を見ますと、法案が衆議院を通過したとしても、参議院では議席がありません。

 それに、今、どうしてもこの時期に決めておきたいんです。

 この国は熱しやすく冷めやすい、時が立って、風化されるのが一番恐いんですわ。

 それに、私たちは、政治に関しては素人の集団ですから、お力をお借りできればと」

「山田さん、いえ、失礼しました、総理。

 私はまだ諦めていません」

 暫くの沈黙のあと、岸本は一口ワインを嘗め、立ち上がった。

「総理、官邸は結構きれいに使ってきたつもりです。

 奥様は?」

「呼ぼうと思ってます。

 もう、こっちのほうが安全やと思いますんで」

「そうでしょう。

 もう大丈夫ですよ」

 岸本は一男と握手を交わすと、部屋を後にした。


            22

 一男は、首相官邸に移り住んで一週間後にテレビ廃止法案を衆議院に提出した。

 無所属の五人が、考えを理解してくれ、無事衆議院を通過したが、三日後に提出した参議院では、見事賛成票ゼロ票で否決され、一男は衆議院を解散した。

 税金の無駄遣いだと、テレビ局をグループに持つ各新聞社は社説の中で強く批判した。

 そして、今年二回目の衆議院選挙は十二月最後の日曜日、クリスマスの二十五日に行なわれることが決まった。


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「奥さんに追い出されたんですか?」

 フロントマンの金井が一男に聞いた。

「そうやねん、誰にも言わんといてな」

 鬼のような顔をして仁王立ちするSPに挟まれて一男は笑い声を上げた。

「まじめな話、ここから僕らは始めたんやからね。なんか向こうにおってもどうも落ちつかへんし、もう一回、原点に戻ろうと思ってな。嫁はんは向こうに置いてきた、何かあったらまずいからな」

 一男の言う通り、選挙戦の火蓋が切って落とされてから、みさき党候補者への嫌がらせが相次いだ。

 ある選挙事務所に、猫の尻尾が送り付けられたり、街頭演説中の候補者に生卵が投げつけられたり、そしてとうとう二日前の夜、選挙活動を終えて自宅に戻る候補者が二人組の少年に襲われ怪我を負った。

 幸い怪我は軽く、捕まった二人の十六歳の少年は、警察の取り調べに対して、テレビがもう見れなくなるのが嫌だった、と供述した。

「悪いけど、前使わしてもらってた長机あったでしょ。あれ、また使わしてもらわれへんかな。すごい便利いいんよ」

「わかりました。すぐにお持ちします」

 しばらくすると、金井は長机を持って部屋にやってきた。

「いやあ、ボディーチェックされちゃいましたよ」

「悪いなあ、無理ばっかり言うて。ほんまは官邸におったらええんやけど、さっきも言うたけどなんかこう落ちつかへんねや」

 一男はテレビを点けた。

「相撲ってまだやってたんですよね」

 金井が部屋の隅に長机を備えながら言った。

「また外人力士の優勝か」

 白い肌に青い目の力士が優勝杯を受け取っていた。

「今時相撲なんか見るっていったら年寄りだけでしょ。

 そのうち無くなっちゃうんでしょうね」

「多分そうやろな」

「でも、相撲はテレビ中継を続けるんですよね」

「ああ。

 若いもんみたいにお年寄りがあっちこっち出歩くいうたら大変やからな。

 せやけど、君が言うように、今のままやったらいずれはなくなるかもしれんなぁ」

 カメラが引くと、テレビ画面の半分を、誰も座っていない枡席が占めた。

「若くてイケメンの日本人力士でも出てこないと無理でしょうね」

「たぶん、そうやろなぁ・・・」

「首相、お待たせいたしました。

 パソコンも立上げられますので」

 金井は満面の笑みを浮かべ一男に言った。

「おっ、すまんなぁ、ありがとう」

 一男は早速ノートブックパソコンを開け、電源を入れると、パコ、といういつもの電子音が鳴った。

「あっ!」

 突然、金井が声を上げた。

「どしたん?」

「いえ、この人、前にフロントで見かけたんですけど、ずっと誰だか分からなかったんですよ。やっとすっきりしました」

 見ると、オールバックに髪をなで付け、優勝力士に負けないくらいの体格の、元横綱、現日本相撲協会理事長、雲海親方が映し出されていた。

            23

 クリスマスに行なわれた今年二回目の衆議院選挙はみさき党の大勝利で終わった。

 議席数は、無所属のタレント議員五名を含め、全議席数の三分の二を超えた。

 自由民権党党首の岸本は、惨敗の責任を取って、党首の座を辞した。

 年明けの特別国会で、一男は再び内閣総理大臣に指名され、一週間後にテレビ廃止法案を衆議院で通過させ、岸本の意志か、参議院で賛成票ゼロ票で否決され再び戻ってきた法案を衆議院で三分の二以上の賛成をもって再可決させ、、日本から、テレビが無くなることが決まった。

 そして、二月に公布されたテレビ廃止法案は、三月の春分の日に、晴れて施行された。

 日本人の民族性からか、それまで全国の小中学校で起こっていた授業ボイコットや、テレビ局の社員が国会議事堂や首相官邸を取り囲んで行なったデモ活動は嘘のように止んだ。

 日本国民全員が、テレビのない生活を受け入れたのだった。

 施行から三カ月後、鉄道各社の売り上げは前年比20%増となり、各百貨店の売り上げも前年比30%増となった。

 そして、法律施行前にテレビ番組を録画した“裏DVD”が闇市場で出回った。

 大幅な売上減が懸念された家電メーカーは、国が、過疎地や、体が不自由で外出するのが困難な一人暮らしの老人の家庭に無償で支給するため、大量のパソコンを購入した結果、大きな売上減とはならなかった。第一、それまで掛かっていた莫大な宣伝広告料が半減したため、原価が大幅に下がり、各社とも減収・増益となった。

 化粧品などは法律施行前の約半分の価格になり、気のせいか、街を歩く女性の化粧が濃くなった。

 そんなことから、日本全体の失業率が1%改善された。

 プロ野球は、開幕から、セ・リーグ、パ・リーグを問わず全試合が満員札止めとなり、タイガースに限っては、すでに一年間の甲子園の前売りチケットは完売していた。一方久しぶりの盛況に沸くジャイアンツのオーナーは気を良くして、二年後のシーズンの開幕までに、収容人員十万人の新しい東京ドームを建てると新聞発表した。

 Jリーグは、全試合満員とまではいかなくとも、観衆が三万人を下る試合はなく、シーズン途中にして、週に二回の試合を三回に増やすと発表した。

 ラグビーとバレーボールはプロリーグがスタートし、一年を通じて、全国の体育館と競技場を回ることになった。

「これ、ジャンクとか言うヨシモトの、前にあのマラソン走ったやつちゃうんか?」

 一男は、NHKのスポーツニュースに映るジャンクを指さした。

「そうや。

 この子、あのマラソン走った後しばらくしてからヨシモト辞めたんやで」

「ほんまに?

 なんか開眼したんかな」

「多分そうやろな」

「で、今はなにしてんのん?」

「プロのマラソン選手。

 来年から始まるマラソンリーグのイメージキャラクターになったんやで。まあ、広告塔みたいなもんやけどな」

「あっそう。

 まあ、彼にとったら良かったんか悪かったんかようわからんけどな」

 そのヨシモトは、法律施行後、所属していた芸人は半数に減った、というか、解雇されてしまった。

 テレビ局からの莫大な放映料が無くなり経営を圧迫していたのも事実だったが、それ以前に、舞台に上がってまともな芸をできる芸人が思った以上に少なかったのだ。解雇された中には、それまで週に何本ものテレビのレギュラーを持っていた若手の売れっ子芸人も多数含まれていた。

 しかし、プロスポーツ同様、劇場は平日週末問わず連日超満員だった。それに、商売上手なヨシモトのこと、舞台の模様を録ったDVDを昔の人気漫才師のものと抱き合わせ、自社の直営のショップで廉価で売り出し、大きな利益を上げていた。

 峰社長は、二年以内に、北は北海道から南は沖縄まで全国十カ所に、一万人を収容できる劇場を建設すると発表した。

 一方、何の芸も持たない芸NO人=タレント達は、運の良いわずかなものがラジオ番組に拾われたり、演歌歌手が座長を努める舞台公演のちょい役をもらったりしていたが、そのうち、春を迎えた雪のように、徐々に消えてなくなっていった。

 一部のタレント達は、国内に見切りをつけ世界で勝負だ、と言ってアメリカのテレビ界に乗り込んだが、元もと何の芸も持ち合わせていない連中だけに、アメリカの文化を嘗めているのかと、タイムズ誌の一面で大きく叩かれただけに終わった。その後彼らが、アメリカに残ったのか日本へ帰ってきたのかは定かではなかった。

 テレビ局の社員や、テレビに携わっていた人達は、生前の室井が、資金面でみさき党をバックアップしてくれていたネット会社社長のめぐみちゃんに根回ししていたため、関連先の会社に入ることができた。

 但し、“女子アナ”だけは、それまでのプライドが邪魔をしたのか、余りにもちやほやされすぎた環境に慣れすぎてしまっていたのか、会社の中のただの一社員に成り下がるのを嫌い、女優に転進しようとしたものもいたが、ニュース原稿すらろくに読めない彼女達に、舞台の上で腹の底からせりふを搾り出すことなどできるはずはなく、すぐに姿を消した。

 それでも、どうしてもスポットライトを浴びていたいと、数人のものは“元女子アナ”を売りに、AV女優へと転進した。

「明日はオバマやったわね」

「そうや。

 晩餐会やから奥さんも来るで」

「うそっ」

「ほんまや、嘘なんかついてどうすんねん」

「いやあ、どんな恰好していこ。何も用意してへんかったわ」

「そのままでええやんか。

 オバマに教えたれよ、日本の女性は家の中ではこんな恰好してますねんいうて」

 典子は、スエットの上下に身を包み、目尻にキュウリのスライスを貼り、ふかふかの絨毯の上を素足で歩いていた。

「あんたも人のこと言われへんやんか」

 一男は、上半身裸にすててこをはいて、絨毯の上で胡座をかきながらワンカップを飲み、ちゃぶ台の上の、爪楊枝の刺さったチーちくを口に運んでいた。

「長年染みついた癖とか生活習慣なんかそう簡単に変えられるわけないやんか。

 それより、この間の続き見せてくれよ」

 典子がリモコンのボタンを押してDVDを取り出すと、また別のDVDを挿入した。

すると、さっきまで、ランニング姿で額に汗を滲ませ駆けていたジャンクが、「きつねうどん二杯で二百万円になります」と言った役者のボケに、うどんの鉢を持ったまま椅子から転げ落ちていた。

            

                了







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vsヨシモト @miura

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