第2話

 ――ヴェント大森林――




 ヴェント大森林は〝グランヴェルン〟北西部に位置する森林地帯の名称だ。ヴェント大森林の範囲は広く、一部は北と西の〝四大国〟の国境線にも重なっている。

 

 その広さはしっかりと計測されたわけではないが、一昔前の国家に匹敵すると言われている。もっとも、その情報は間違っているとはいえないだろう。

 

 なぜなら、現在進行形でこの大森林を探索するレーヴがそう思うほどの広さを体感しているからだ。


「聞いてはいたが実際に自分が入るとホントに深い森だな。木々は大きいうえ、地形は劣悪――中々にハードな状況だな」

 

 レーヴは自身のAAFのコックピットの中で、シートに背を預けながらぼやいていた。

 

 頭部に取り付けられたカメラアイからは周囲の様子がハッキリと映し出されている。

 

 行く手を遮るかのように生い茂る木々に、太い根ごと隆起している地面。さながら、大自然が生み出したトラップといったところか。

 

 こういった有様からわかるとおり、ヴェント大森林には道などというものはない。ここを探索するには、ほぼ手探り状態で進むしかないのだ。

 

 そのせいか、少し進めば木々の先端が装甲にふれ、カリカリと嫌な音を立てている有様だ。たまに太い枝に当たっているのかガリッという音も聞こえる。


「完全にこすれているな。装甲も気になるけど、後で間接部の様子を見た方がいいか? 木の枝や葉っぱが入っていたら動作不良になるぞ」

 

 AAFは戦闘用に作られた機械である以上、ちょっとやそっとでは壊れることはない。

 しかしながら、何をしてもいいというわけではない。間接部はある程度は装甲で覆われているが、可動域を確保する関係上多少の隙間が生まれる。


 レーヴが懸念するような木の枝や葉がそこに入り、マニピュレーターと噛んだ場合反応が鈍くなったり、動作不良に陥ったりするかもしれない。

 

 まあ、その可能性は万が一とつくくらい低いものだが、この有様では気にするなというほうが無理なのかもしれない。


「もう、レーヴさん。今はそんなこと気にしている場合じゃないと思いますよ?」

 

 その時、母親が子供を優しくたしなめるように、少女特有の耳を甘く震わせる心地よい声がコックピット内に響く。映像が見えていたら人差し指を口に当て『めっ』とでもしていそうだった。


「わかってるって、ミーリ。そっちはどうなってる?」


「こっちはですね……今、警察の方が到着したところです。会場が封鎖されてしまい誰も出られな状態です。追撃部隊が出るかどうかはちょっとわかりませんね」


「なるほど。つまり、援軍はすぐに来そうにないってことでいい?」


「はい。つまり、今回の事件が丸く収まるかはレーヴさんにかかっているというわけです!」

 

 興奮しているのか通信から鼻息が聞こえてきた。


「あまり期待するのは勘弁してほしいんだけど……」

 

 やれるだけのことはやるつもりだが、過剰な期待はかけないで欲しいとレーヴは保険をかける。


「そんな弱気でどうするんですか! ファイトですレーヴさん!」


「あはは……」

 

 これは何を言っても駄目っぽいなと結論づけたレーヴは曖昧に笑うことで誤魔化す。


「じゃあ、一端これで通信を終えるよ。大丈夫だとは思うけどミーリも気をつけて、あと何か追加の情報とかあれば連絡して。戦闘中の場合はでられないかもしれないけど」


「はい、わかりました。レーヴさんも――きゃっ!? 何を――……」


「ミーリ!?」

 

 ミーリの短い悲鳴と誰かを咎めるような声が聞こえたかと思ったら、ミーリの声が聞こえなくなってしまった。通信自体は生きているので、通信機が壊されたり、通信がきられたりしたわけではないようだ。

 

 レーヴが何回か呼びかけて見るも、ミーリが出る気配はない。

 警察が来ているうえに封鎖された会場で何かあるとも思えないのだが、『何かあったのだろうか?』、『今からでも会場に戻った方がいいのではないだろうか』とレーヴ思っていると、


「久しぶり……でもないな。レーヴォルス・アシュトン?」

 

 通信機から聞こえていたミーリの声が若い男の声へと変わる。これが意味するのはミーリが持つ通信機が何者かに奪われ、この声の主に使われているということだ。

 

 ただ、この神経質そうな声の主にレーヴは心当たりがあった。というか、よく知っている人物だ。


「レナード・ノイマン捜査官じゃないですか。警察官ともあろう人が市民の持ち物を勝手に拝借してもよろしいので?」


「安心しろ、封鎖した会場で怪しげな行動をとる女から一時的に没収しただけだ。つまり、これは捜査の一環というわけだ。心配させて申し訳ないが、法令上も問題ない」

 

 レナード・ノイマン――グランヴェルン警察捜査一課に所属する刑事だ。さらに現場での実働人員のトップ(取りまとめ役)でもある。


 そんな彼には優秀な捜査官という言葉が似合う。

 今回、彼が来たということは、それだけこの事件が重要視されたということだろう。

 

 だが、レーヴとレナード。この二人は仲がよくない……というよりも、仲が悪い。

両者ともに丁寧な言葉遣いとは裏腹に、口調から漂う不愉快さがそれを証明している。


「へえー。ではこうして私が出た時点で、彼女が怪しくないと理解されたと思います。ですので、彼女に貴方が今手にしている通信機を返してもらってもよろしいですか?」


「貴様が今回の件に関わっていないとはかぎらんだろうが。なあ、何でも屋?」


「何でも屋ではなく〝探偵事務所〟です。物覚えが悪いのは警察官としてよくないのでは?」


「すまんなあ。こちらは忙しいのでな、暇をもてあましているどこぞとは違って、記憶にとどめておかなければならないことが山ほどあるのだからな……」

 

 両者の間で見えない火花が散っていそうなほどのやりとりだった。

 この二人がこんな関係になったのは理由がある。


「全く貴様はどうしてこうも厄介事を持ち込むのだ……。ただでさえ、国自体が不安定にも関わらず、事件が起きれば行く先々で貴様がいる。しかも、ほぼ必ず捜査に関わる。私としては貴様を捕まえたい気分だ」

 

 そう。レナードが言ったとおり、ここ〝グランヴェルン〟は《四大国》との微妙なバランスの上で成り立っている国家だ。小さな事件一つとってもバックに《四大国》のいずれかの存在が匂わせられれば慎重にならざるを得ない。

 

 にもかかわらず、レーヴが事件に関わればそんなことはお構いなしに関わってくる。レナードがレーヴに対して強く当たるのも理解できるというもの。


「ただの一市民を逮捕すると不良警官になりますよ? それと、私が厄介事を持ち込んだのではなく、厄介事が向こうからやってきたんですよ。勝手に生まれたと言っても過言ではないですね」

 

 とはいえ、レーヴもレナードの言葉を素直に認めることはない。

 

 レナードの言うことは正しい。

 確かにレーヴはよく事件へ遭遇する。

 

 レーヴ自身も探偵事務所を名乗っている〝リアレンティオ〟に所属(?)している以上、ある程度事件に巻き込まれることは想定している。

 しかしながら、本来探偵というのは事件現場に向かって謎解きをする職業ではない。

 

 レーヴとしても事件に関わるのは不本意なのだ。

 

 なぜ、迷子の猫を探しに行った先で、違法薬物の取引現場に関わるのか?

 なぜ、依頼主の夫の浮気調査をしていたら、会社の横領が発覚するのか?

 等々、何の事件性もないはずの依頼が大事に発展していくのだ。事実こういった事件の中で、レーヴ自身が依頼されて自ら警察が介入しそうな事件に関わりに行ったのは一割にも満たない。

 

 非科学的なことだが、〝呪われているのではないか?〟と自分で思うほどには事件に遭遇している。

 そのおかげで、依頼報酬が上がったり、〝リアレンティオ〟の名前が売れたりしているのだから悪いことではないのだろうが……。


「いいから貴様はおとなしくしていろ。我々が行くまでな」


「こちらも仕事ですから依頼主から取り消されない限り、やめる気はありませんよ。そもそもそう言うならはやく来てくださいよ。急がないと私が解決しちゃいますよ?」

 

 ここでレーヴは疑問に思った。

 

 なぜ、警察がこうも動いていない? と。

 

 厳密には動いてはいるのだ。

 

 ミーリがいる会場捜査官であるレナードがいるのがいい証拠だ。

 だが、その先がない。

 

 会場で何をしているのかはミーリの話からしかわからないが、会場の封鎖のみのようだ。レーヴ以外はそとに出ていないだろうから、関係者の拘束も兼ねていると思われた。本来なら直接拘束というか聴取したいのだろうがそれは難しいはずだ。

 

 あの会場には〝シェプファー社〟とつながりの深い〝フェスティマ共和国〟の政治的関係者や共和国寄りの〝グランヴェルン〟議員や会社の役人もいたはずだ。

 

 拘束そんなことをすれば文句を言う人間が出てくる。そうなれば〝フェスティマ共和国〟からの抗議すら飛んでくる可能性が生まれてしまう。〝四大国〟の介入は極力避けるべきだ。

 まあもしかしたら、会場の封鎖にさえも怒っている人間がいるかもしれないが。

 

 おそらく、会場の封鎖をしたのはレナード捜査官の指示だろう。これならば周りが危険とでも言って関係者を押しとどめつつ、現場の検証が可能になる。

 

 それはともかく、レーヴが気になるのは警察が未だにAAFを出撃させていないことだ。


 警察だって軍ほどの装備はないだろうがAAFが配備されている。今回のようなAAFがらみの事件であればすでに出撃されていてもおかしくない。

 なのにそれがない。


「ひょっとして動けない理由でもありますか?」


「………………何もない」

 

 レナードが答えるまで随分と間があった。これでは何かあったと答えているようなものだろう。

 

 そう判断したレーヴはレナードへと探りを入れる。


「いつかのように上からなにか言われましたか?」


「……何もないと言っているだろう!」

 

 小さな声だが、レナードの声に含まれる明確な怒りをレーヴは感じとった。

 そして、たぶん自分の考えがそれほど間違っていないだろうということも。

 

 だから、


「そうですかー。じゃあ、こっちは仕事をするだけなので気にしないでください。レナード捜査官は捜査官でやることをやればいいと思いますよ」


「……後で事情聴取はさせてもらおう」

 

 それだけ言い残すと、レナードの声は聞こえなくなり、変わりに通信機から聞こえてきたのはミーリの声だった。


「もしもし、レーヴさん?」


「大丈夫、聞こえてるよ。ミーリも無事?」


「はい。あの捜査官の方にちょっと通信機を取り上げられてしまいましたが、それ以外はなにも。強いて言うなら、レーヴさんとのあの人が話している間は、部下の方達に離されてしまい会話が聞けなかったことぐらいでしょうか?」


「聞かないでよかったんじゃないかな……」

 

 レーヴはそう言って言葉を濁す。言葉遣いはともかく話していた内容は男と男の醜い言い争いだ。しかも、わりと皮肉多めの。

 少なくともわざわざ好き好んで聞くようなものではないだろう。


「そうなんですか? 随分と仲良く話しているように感じたので、あれがレーヴさんの言うレナードさんかと思ったのですが?」


「……あれがレナード捜査官であってるよ。でもあまり仲はよくないから」

 

 たまにレーヴが〝リアレンティオ〟で仕事の結果を伝えているとき、レナードの名前を出したとことをミーリは覚えていたようだ。

 話した内容の殆どが半ば愚痴に近い話だったはずだが、協力(というか協力せざるを得ない状況)のことも話したのでそう捉えられたのだろうか。

 

 若干、真剣に悩むレーヴ。

 

 しかしながら、ミーリの考え方とか物事のとらえ方はレーヴには読み切れないものがあるので、ひとまずおいておくことにした。少なくともこの状況で真面目に考えることではないだろう。

 

 レーヴは首を軽く横に振って邪魔な思考を追い出すと、


「どうやら本格的に頑張らなきゃいけなくなったみたいかな」

 

 顔の表情を引き締めた。

 

 援軍は本気で期待できない状況になった。

 

 自然とAAFを操る腕にも力が入る。


「気をつけてくださいね、レーヴさん」


「わかってるよ。傍受されても危険だからそろそろ切るね」


「はい!」

 

 通信は暗号通信を用いて行っているが完璧に聞かれないわけではない。相手がそこまで高性能の解析機器を持っているとも思えないが、距離のある通信を長時間続けるのは得策ではないだろう。

 それに、大体の情報は入手できた。


 そう結論づけたレーヴはミーリの明るい声を聞きつつ、モニターを操作して通信を切った。

 

 通信が切れたコックピット内には自分のAAFの駆動音だけが聞こえてくるだけになった。


(それにしても、なんでこんなことになったのか……)

 

 注意深くAAFを進ませながら、レーヴは自身が今いる場所――ヴェント大森林へと来る必要になった今回の事件を想起するのであった。



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