第6話 穴を創る

 「―――あなた、今大丈夫?」

 書斎で医療雑誌に目を通していると控え目なノックと共に妻の声が聞こえてくる。「何

だ?」雑誌から目は離さずにぶっきらぼうに応える。

 「一泰から電話かかってきてて、あなたに話があるらしいんだけど―――」

 奥歯に物が挟まったかのような妻の物言い。一泰に何かあったんだろうか?

 「でるから、子機をここに持ってきてくれ」

 「分かった。ちょっと待ってて」

 少しの時間を置いて妻が子機を手に書斎へと入ってくる。妻から子機を受け取って電話にでる。

 「一泰か」

 「―――父さん」久しぶりに聞く一泰の声。前に聞いたのは勉強会出席のために東京に行った四月のことだったろうか?「久しぶり」

 そのまま傍に立っていた妻に向けて手を払う。一瞬何か言いたそうな顔をしたが、軽く一礼して書斎から出ていった。

 「電話してくるなんて珍しいな、どうした?」

 「ちょっとね。父さんは元気?体の方は変わりない?」

 「当たり前だ。医者の不養生じゃ話にならんからな」

 「よかった。一はどう?元気にやってる」

 一、か。その名前を聞くだけで苦々しい気持ちが蘇ってくる。

 「アイツはダメだ」吐き捨てるような口調に、息を呑む音が電話越しに伝わってくる。

構わずに続ける。「アイツは鳶だ。今日それがはっきりした。だからもう期待するのをやめた。鳶のことはいい、お前の方はどうなんだ?しっかり勉強してるか?」

 「―――うん」

 曖昧な返事にこめかみが疼く。

 「何だその返事は?」自然に口調が厳しくなっていく、「お前には何年か大学病院で勤めてもらって、俺の跡を継いでもらおうと思ってるんだぞ!医者は日々勉強だ!今からそんな調子でどうする?」

 沈黙、そして大きく息を吸って吐く音。

 「―――父さん」

 「何だ?」

 「俺、大学を辞めようと思ってる」

 ハッ?一泰は今、何と言った?

 「何だと?」

 「俺は大学を辞める」

 「お前は自分を何を言っているのか分かっているのか!」

 「分かってるよ」こちらの激情を孕んだ声とは打って変って静かな声。「俺は大学をやめて、医者になるレートから下りる。そう言っている」

 「―――分かった。お前は今、何かしらの事情により混乱しているんだ。だから自分が何を言っているのかよく分かっていないんだ。また後日落ち着いたら―――」

 「分かってるよ」必死に取り繕った言葉が断ち切られる。「俺は冷静だよ。大学を辞めるってことは医者になって後を継いでほしいという期待に背くこと、全て分かった上だよ」

 言葉が、でてこない。

 一泰はずっと優秀だった。アイツとは違って―――。小学、中学、高校と成績はずっと優秀で、進路も母校の医学部を希望し、それを叶えた。小さい頃から後を継いでほしいとはっきりと希望は伝えてきたが反発はなかった。同業者には会う度に息子が後を継ごうとしなくて困っていると愚痴をこぼすものがいたが、一泰はそんな素振りを全く見せなかったので、医者になり後を継ぐことをすっかり受け入れているものだと思っていた。なのに、何で今更?

 「やめて、どうする?」

 頭の中はぐちゃぐちゃに乱れ、思考がまとまらない中、しぼりだすようにかろうじてそれだけを口にする。

 「出家、しようと思ってる」

 出家?坊主になる?

 「何でだ?何で医者になる道を諦めて坊主になろうと思う?」

 「不安だったから」

 「不安?何に対しての不安だ?」

 「存在そのものに対しての不安。夜、目を閉じるたびに不安だった。このまま目を開けることはないんじゃないかと―――地球の重力に魂を引かれた存在。この言葉を聞いてどう思う?」

 「そんなことより―――」

 「大事なんだよ!」今日の会話で始めて一泰の感情が声にのる。「大事なことなんだよ。俺にとってすごく!」

 「神秘主義では……」一泰の剣幕におされて言葉を返す。「宇宙は地球を中心にした同心球的な構造で地球から遠ざかるほど位階は上がって一番外側には神がいると考えていた。そして、魂を肉体から離して上昇させ、神へ向かうことを目的としていた。

 つまり、地球の重力に魂を引かれた存在とは”神”という甘い毒に躍ろされていない地に足を付けた存在ということだ」

 「父さんらしい言い方だね」一泰が苦笑する。「俺には重力が働かなかったんだ」

 一泰が何を言いたいのかが分からなかった。

 「だったら、坊主じゃなく神父じゃないのか」

 「俺は神秘主義者じゅない。神も信じていない。ずっと不思議に思うことがあった。小学校のクラスメイトにプロのサッカー選手になりたいからと言って、毎日サッカーの練習に励んでいる子がいた。俺は彼に聞いてみた。『何でそんなに練習するの?誰かに言われてやってるの?』と。『誰かに言われてやっているわけじゃないよ。好きだから、もっと上手くなりたいんだ』と彼は答えた。『好きだともっと上手くなりたいと思うものなの?』

と聞いた俺を彼は不思議そうに見つめていた。

 中学校のクラスメイトに俺のことが好きだと告白してきた子がいた。なんでと聞いたら『かっこよくて、優しいから』と彼女は答えた。『かっこよくて、優しかったら好きになるものなの?』と聞いたら不思議そうに俺を見つめていた。

 好きだから、もっと上手くなりたい。

 かっこよくて優しいから、好き。

 多くの人にとっては理由と結論が繋がっているように感じられるらしい。俺にはその繋がりが分からなかった。

 父さん、前に話してくれたことがあったよね。勉強を頑張ることで、周りの目が変わっていって自信が持てるようになったって話」

 「―――ああ」

 「俺は”何か”が欠けているんだと思ってた。他のヒトには当然のようにある”何か”が俺にはないと。その”何か”がないからこそ他のヒトには分かる繋がりが分からず、存在そのものに不安を感じるだと。

 父さんが勉強を頑張ることによって欠けていた自信を持てるようになったように、俺も勉強を頑張ることによって欠けていた”何か”を手に入れられるんじゃないかと思ってた。だからこそ、勉強を頑張ってきた。そして、父さんの希望通りの成績を収め続けてきた。

でもそれはあくまでおまけで、欲しかったものは別だった。そして、分かった。この道を歩き続けても”何か”が見つかることはないんだろうなと」

 「それで、坊主なのか」

 「うん。出家して自分には何が欠けているのか考えてみようと思ったんだ」

 「お前は出家というものに夢を見ているんだ。現実から隔離されたしがらみのない清浄な世界で各々、修行に打ち込む。お前が想像している出家とはそういうものだろう。俺は医者をやめて出家し、戻ってきた奴がいるから知っている。確かに清らかなものであったり、普段感じることのない霊的な体験をすることもあるだろう。だが、現実と同じようにその世界ならではのしがらみや不浄なるものが絶体にある。ヒトがいるところには絶体にあるんだ!そんな甘い毒に逃げるな!地に足をつけるんだ!欠けている何かがあるなら医

者をやりながら考えればいいだろ」

 「医者という仕事が他にやりたいことを抱えながらできる仕事じゃないのは父さんよく知っているはずだろ?さっきも日々勉強と言ったばかりだし……」

 「それはそうだが……」

 「『人は自分で生まれてこようと思ったわけでもないし、自分の名前を自分で決めるわけでもない。この事実からして、”自己”であるということは最初から根拠が欠けていると思うのです。誰も、始めたくて始めた私ではない。つまり、”自己”もあるいは他者との関係も、一方的に背負わされるわけです。だから、”自分が自分である”ということを肯定するためには、その一方的に背負わされるもの”ひっくるめえて”肯定しないことには始まらない。

 つまり、今ここにいる自己を受け入れられるか、受け入れられないか、という問題だと思うんですよ』」

 「何だ、その言葉は?」

 「あるお坊さんの話。仏門は清浄な世界ではないっていうのはそのお坊さんも言っていた。この言葉を聞いた時に気がすごく楽になった。自分が存在することの不安を抱えているのは自分だけじゃないんだって。そのお坊さんと同じように俺も仏教に賭けてみようと思ったんだ」

 「と、とにかく俺は大学をやめて出家するなんて絶対に認めないし、許さないからな!」

 「父さん」こちらの怒号にも揺るがない、強い意志を感じさせる声。「これは相談ではなく、報告なんだ。父さんがどう思おうともう決めたことだから」

 「一泰!」

 口調に自然と懇願の色が混じる。

 「―――ごめんなさい。最初で最後のわがまま、許してください」

 電話が、途切れた。


 父さんの書斎の前に立つ。大きく息を吸って、吐き出す。ドアを三回ノックする。する

とすぐ「何だ?」と父さんの声が返ってくる。

 「父さん、一だけど……話があるんだけどいいかな?」

 少しの間を置いて「入れ」と声が返ってくる。

 ドアノブへと手を伸ばしてゆっくりと回す。書斎へと入り、父さんを見やるとグラスを片手に何かに目を落としていた。ゆっくりと父さんへと近づいていく。父さんは変わらず何かを見続けている。近くまで来てそれがアルバムだと分かる。

 「アルバム、見てたんだ」

 「ああ」

 大きく、まるで魂を吐き出すかのように大きく息を吐き出す。アルバムを机へと置いて背もたれに身体を預ける。

 「よく見るの?」

 「たまにはな」

 何と切り出していいか悩んでいると「オイ」と父さんから声をかけられる。

 「サッカーが好きだからもっと上手くなりたい。この言葉にどこかおかしいところがあると思うか?」

 サッカーが好きだからもっと上手くなりたい―――頭の中で反芻する。特におかしいようには感じられなかった。

 「別におかしくはないと思うけど……」

 「一泰には、この言葉の理由と結論が繋がっていないように感じられるんだそうだ」

 「そう、なんだ」

 「ああ」

 父さんがウイスキーの入ったグラスを手にとって、一気に喉に流し込む。

 「一泰は……」唇をなめて静かにグラスを置く。「出家したいんだそうだ」

 「出家って、お坊さんになるってこと?」

 「そうだ」

 お坊さん―――おじいちゃんの葬式でしか見たことがなく、兄さんがお坊さんになるということがどういうことなのかうまくイメージできなかった。

 「その、大学は?」

 「やめるんだそうだ。医者にはならないんだと」

 余程ショックだったのだろう、父さんの口調の端々には投げやりな響きがあった。僕と違って、兄さんは父さんの期待に応え続けてきたのだから無理もないか。

 「その、父さんは許したの?兄さんが医者になることを」

 「許すわけないだろう。何のために東京の大学にやったと思っているんだ。が、どうしようもない。恐らくアイツはもう俺の前には姿を見せないだろうさ。まさしく家を出たわけだ」

 ウイスキーをグラスへと注いで一気に煽る。

 「弟のお前の目から見て、そういう兆候とかはあったか?」

 「僕はお坊さんのことをよく知らないので、兄さんがお坊さんになりそうだったかは分からないです。すいません」

 「まっ、そうだよな。坊主なんて俺らからしたら遠い世界の住人だしな」

 「―――ただ」

 「ただ、何だ?」

 「兄さんのことを思い返すと、とても印象に残っている出来事があります。その、兄さんがお坊さんになろうとしていることと繋がっているかは分からないですけど……」

 「何だ、言ってみろ?」

 「まだ小さい頃、多分僕が幼稚園で兄さんが小学校の低学年くらいの時に、泥をボール状に固めて坂から転がして遊んでいたことがありました。そこで兄さんが『なんでこの泥でできたボールは坂を転がるんだろう?』と本当に不思議そうに言いました。僕はまだ重力なんて言葉知らなかったので、何でだろうねって一緒になって不思議な顔をしていました。その後に本で重力があることを知って兄さんに報告しに行ったんだ。ボールが坂を転がるのは重力が働いているからだよって。そしたら兄さんは『重力が働いているから、坂をボールが転がるのは知ってる。僕が知りたいのはなんで重力が働いていれば坂を転がるのかってことなんだよ』って心の底から不思議そうに言いました。

僕には、兄さんが何を疑問に持っているかが分からなかった」

 「そうか、アイツはな」父さんは兄さんのことを名前で呼ばずに”アイツ”と呼んだ。

今までの僕と同じように。「自分には”何か”が、他のヒトが当然にように持っている”何か”が欠けていると思っているんだそうだ。だから、出家して自分には何が欠けているのか考えたいんだそうだ」

 兄さんの言うことの話の繋がりがよく分からなかった。兄さんはいつもヒトの話を聞いてこんな気持ちを抱えていたんだろうか?

 「お坊さんになるってそういうことなの?」

 「さあな。だが、アイツはそう考えている」再度の大きなため息。「で、お前の話というのは何だ?」

 「あっ、うん」いきなり話を戻されて戸惑うも、息を吸い込み覚悟を決める。「父さんにきちんと言っておきたいことがあって―――」

 姿勢を正して、真っ直ぐに父さんを見つめる。

 「僕は鳶。父さんの言うように鳶だと思う。だから、父さんの期待する道は歩けない」

 「―――そうか」

 独り言のような、短い呟き。

 「―――僕も兄さんと同じように自分には欠けていて、ずっと欲しいと思っていたことがあったんだ。何だか分かる?」

 天井を眺め、そのまま「分からん」と短く答えた。

 「それは、父さんに認めてもらうこと。僕は、ずっと父さんに認めてもらいたくて頑張ってきたんだよ」

 天井を眺めたまま、返事はない。

 「父さんが勉強で自信が持てるようになったように、僕は僕なりの”武器”を見つけて、

いつか父さんに認められるようになるよ。今日は、それだけ伝えておきたかったから。それじゃあ」

 言いたいことを吐き出して、父さんへと背を向ける。歩き出しドアノブへと手を伸ばしたところで「一」と父さんの声。振り返る。

 「悪かったな」痛み、哀しみ、申し訳なさ―――様々なものが宿った目をこちらへ向ける。「自分のやり方しか知らず、一泰の抱えているものにも気付かずに、上手くいったと、自分は正しいと疑いもせずに思い込み。押し付けてしまった。その結果がコレだ。父親失格だな」

 「そんなことはないよ。父さんは、父さんだよ」

 驚きで目が見開かれ、安堵の表情で「ありがとう」と呟いた。


 自室へ戻ると、真っ先にスマホへと手を伸ばしてドールズマスターにアクセスする。ギルドのチャットページに『今までありがとうございました』と短く書き残してドールズマスターのアイコンを削除する。

 さて、と。現実世界で自分の武器を見つける冒険を始めるとしますか。


 パアン!

 澄み切った青い空の下に号砲が響く。それを合図にして筋肉が一瞬にして弛緩から緊張へとチェンジする。思いっきり地面を蹴りだして、できるだけ低い姿勢を維持したまま駆け出していく。

 速く、もっと速く。本能のままに蹴って、踏みしめては蹴ってを繰り返していく。このままトップでゴールへ。そんな淡い期待をあざ笑うかのように影が並び、そして追い越していく。

 最初少しだった差はゴールが近づくにつれて、少しずつ確実に距離が広がっていく。

 一秒に満たない時間。わずかな時間。そして、決して埋めることのできなかった時間。

 今まで何キロ走ったんだろう?何回筋トレでもう辞めよう、限界だと思ったんだろう?何回まずいプロテインに顔を歪ませてきたんだろう?全てはその僅かな時間を埋めるためだった。

 先頭の選手から少し遅れて、ゴールへと辿りつく。膝に手を付き、荒い息を吐きながら先頭でゴールした選手の背中を見つめる。

 いつも僕は一番だった。いつも誰よりも速くゴールへと駆け抜けてきた。そう誰よりも速く。

なのに―――。

 腹の底、体の中心からどす黒いものが込み上げてくる。

 なんでだよ!

 それは怒りだった。自分以外の何かに向けた確かな怒りだった。

 僕は頑張った。誰よりも頑張ったはずだ。あの選手が僕より頑張ってきたとでも言うのか?そんなはずはない!僕より頑張っていない選手が僕より速くゴールする……おかしい!そんなことは許されない!

 「人生は不平等だ!」

 心の底から絞りだした叫びと共に世界が暗転した。


 「ナンバー五七七三‐七五五三」

 次の瞬間には教室にいた。右手にシャーペンを持ち、左手で頬杖をついている自分にハッとする。

 「ナンバー五七七三‐七五五三!」

 白い天井、掲示物一つない白い壁、そしてスキンヘッドにしたクラスメイト達。目の前にはSF映画のような光景が繰り広げられていた。

 「ナンバー五七七三‐七五五三!なぜ返事をしない!」

 呼びかけが怒号へと変わる。スキンヘッドのクラスメイトの視線が自分に注がれる。ようやく今までの呼びかけが自分へ向けられていることに気付く。

 ナンバー五七七三‐七五五三。僕が?疑問への答えとして自分の名前を思い浮かべようとしたが、何も思い浮かばなかった。僕は、誰だ?

 「ハイ」

 思索を止めて、視線を声の主―多分講師だろう―に向けると、スキンヘッドの男が目を吊り上げていた。僕はいつからお坊さんの養成学校―そんなものがあるのかは知らないがーには入ったんだろうか?

 「何故返事をしなかった?」

 「すいません」

 未だに状況が飲み込めていないので、一番無難な選択、謝罪の言葉を口にする。

 「いいか」大きな嘆息。「生まれた時はみんな同じスタートラインに立っている。その中で成功するにはどうしたらいいか?持っているものが同じなら、どれだけ努力したかが差になって現れてくる」

 スタートラインが同じ?持っているものが同じ?ソレハイイセカイデスネ。

 「じゃあ、その努力をいつするのか?それをよく考えるんだな」

 「―――ハイ」

 同意の言葉とは逆に、心の中で反論が膨らんでいく。

 努力すれば必ず報われる世界なら、誰だって努力する。努力したって届かない壁がある。それを知っているからこそ揺らぐ。ぐらつく。そして止まる。

 神様のいないこの世界は努力した者が必ず報われるほど優しくなんかない。


 「ハイ、では今日はここまで」

 お経、では数学の授業が終わり、教室が一気に騒がしくなる。教室を見渡し、思わず唾を飲み込んでいた。誰も彼もスキンヘッドなのは百歩譲っていいとしよう。だけど、みんな同じ顔をしているのはどういうことだ?思えば講師の顔もそうだ。目の前のクラスメイトらの親が講師だと言われたら疑うのは難しく、成長したら講師のような顔になることが容易に想像できた。

 「よう、七五五三。どしたん?」

 声がした方に視線を向ける。スキンヘッドで同じ顔……とよく見ると右目の上に数字が刻まれていた。ナンバー五五七三‐六〇一二。それが声の主の番号らしい。

 「えっと……六〇一二」

 恐る恐る相手の番号を口にする。

 「そうです、私が六〇一二って、何で疑問系?アレか?お前は疑問系男子か、断定できない男なのか?それともソレか?同じ釜の飯を食い、一つ屋根の下で寝たこの俺の顔を忘れたとでも言うのか?」

 みんな同じ顔じゃないか、という反論は口に出さないでおく。

 「あっ、いや、急に話しかけられたから……」

 「ふーーーん」色のない、平坦な声。「ま、いっか。で、話し戻すけど、どしたん?授業中ぼぉーっとして」

 「ちょっと考え事してて」

 「考え事、ねえ。人生のかかった中間テストが一週間後に控えているってのに余裕しゃくしゃくじゃないか」

 人生のかかったテスト?言葉の意味がよく飲み込めない。中間テストに人生がかかっているってどういうことだ?

 「おいおいホントにどうしたんだよ」こちらの呆然とした表情に気付いたのか呆れた声をあげる。

 「テストがあることも考え事してて忘れたってのか?」

 「テストの日程じゃなくて……中間テストに人生がかかっているってどういうこと?」

 六〇一二が目を見開く。

 自分の額に手を当て、こちらの額にも手を当ててくる。

 「熱はある。けど、特別高いわけでもない」

 次に右目の上の刻印を指でなぞってくる。

 「刻印は五七七三‐七五五三で間違いない」

 腕を組んで何やら考え込んでいる。

 「―――頭でも打ったか?」

 「そう言えば打ったかも……」

 話をあわせると、大きなため息と共に六〇一二が前の席に腰を下ろす。

 「しゃーない。親切で心優しく前向きなあの六〇一二がなぜ中間テストに人生がかかっているのか教えて進ぜよう」

 前向き?あの?と何点か引っかかるところがあったけど、これから聞く話の重要さに比べたら小さなことなので、言葉にせずに意識を集中させる。

 「七五五三が企業の面接官になった気持ちで考えてみよう。一人はずっと努力し続けてきた人間。もう一人はずっと怠惰に過ごしてきた人間。面接してみた結果、人柄とか目の輝きとは変わらないものとします。どっちを採用する?」

 「そりゃ、ずっと努力し続けてきた人間」

 「そういうことだ」

 「どういうこと?」

 親切に説明役を買ってくれた六〇一二には悪いけど、さっぱり意味が分からなかった。

 努力し続けた人間とさぼり続けた人間。他の項目に差がないなら、誰だって努力し続けた人間を採りたいと思うだろう。でも、それと中間テストに人生がかかっているっていうのとどう繋がるんだ?中間テストの点数が努力の量を表しているとでもいうんだろうか?そんな馬鹿な!

 「こりゃ重症だな」深いため息。「俺たちのテストの結果はずっと国によって記録されて、学校や企業は自由に見ることができる。学校や企業は当然そのテスト結果を参考にする。成績が右肩下がりだったら、『ああ、こいつはもうダメなんだな』と烙印を押されて真っ先に落とされるだろう。俺らは常に自分はこれだけ頑張ってきた人間なんだと証明し続けなきゃいけないんだよ。上に行きたきゃな」

 「ちゃ、ちょっと待ってよ!テストの点数が努力の量を表しているとは限らないじゃん!」

 「お前、何言って……」

 「だって、僕たちは一人一人違うんだから!」

 その台詞を発した瞬間に教室の空気が動から静へと凍りついた。クラスの誰もが固唾をのんで、僕に視線を注いでいるのがはっきりと感じられた。

 唾を飲み込む。何だ?僕は何をやらかしたんだ?

 「―――お前」今までとは打って変わって冷たい六〇一二の声。「“私たちは天使の卵”に入れ込んでいるんじゃないだろうな?」

 “私たちは天使の卵”。その名で再度教室の空気が凍りつく。

 「誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、正気になれよ。アイツらは『私たちはユニークな魂が閉じ込められた卵なんです』なんで世迷い事を本気で信じているイカレタ連中だぞ」

 「で、でも……」

 六〇一二が立ち上がって、こちらの手を取って無理やり引っ張っていく。

 「こい!」

 「ちょ、ちょっと……」

 「いいからこい!お前の目を覚ましてやる!」

 グイグイと引っ張られていき、洗面所の鏡の前に立たされる。鏡には同じ顔が二つ並んでいた。

 「これが現実だ」

 鏡に映った二つの顔を凝視する。右目の上の刻印意外は全く同じ二つの顔。これが、僕?みんなと同じ顔をした僕―――僕って、何だ?

 「現実を受け止められない連中が何と言おうと、俺たちは同じ顔で同じ“もの”を持って生まれてきたんだ。だからこそ、どれだけ努力したかが差となって現れる。それを忘れちゃいけないんだよ、俺たちは」

 六〇一二の言葉が重く重く響いていった。


 「努力すれば報われる世界、か」

 寮の自室―寮は学校のすぐ横に建てられており、生徒は全てその寮で生活しているようだった―で一人ベッドに寝転がって見知らぬ白い天井を眺める。

 みんな同じ顔をし、男も女もなく、生まれもなく、持って生まれた才能は全て同じ。それがこの世界。

 最初は冗談かと思った。そんな訳がないと。でも―――。

 街ですれ違う人が全て同じ顔をしていた。トイレには男性用、女性用といった区別はなく、身体にはおっぱいもちんちんもついていなかった。親、と呼ぶべき存在はなく、みんな施設で生まれ、施設で育てられる。本屋で立ち読みした野球の個人成績は同じような成績で溢れかえっていた。

 一日過ごしただけで信じないわけにはいかなかった。この世界は完璧な“機会の平等”が実現された世界なんだと。

 「よし!」とかけ声と共に勢いよく体を起こす。

 なぜ、どうしてこの世界に飛ばされたのか?前の世界はどうなっているのか?分からないことばかりだったけど、考えても分かりそうになかったので考えないことにした。

 机に向かう。

 僕は今、頑張れば報われる世界にいる。だったら―――努力するだけだろ。


 朝早くおきて予習をし、集中して授業を受け、寮に帰って一日の復習をする。来る中間テストに向けて勉強漬けの日々を過ごした。努力すれば報われる。その事実が勉強へと駆り立て続けた。疲れも感じずに何時間でも机に向かうことができた。

 そして、迎えた中間テスト当日。

 目を覚ました時から身体に違和感があった。頭はぼぉっーとし、身体の節々が痛む。風邪を引いた?

 荒い息を吐きながら、やっとの思いで身体を起こす。中間テストは一日で全教科が行われ、欠席は〇点として扱われる。休むわけにはいかない。何とかして着替え、重い体を引きずるようにして学校へと向かった。


 一九六人中一九〇位。それが中間テストの結果だった。

 職員室の前に貼り出された結果を前に拳を握り締め、唇を噛み締める。なんでだよ!体中に怒りが広がっていく。

 「五〇位か。まあまあかな」

 まあまあ?五〇位でまあまあ?ふざけるな!僕は一九〇位だぞ!あんなに頑張ったのに、下に六人しかいないんだぞ。風邪さえ引かなければ、こんな成績のはずがないのに。そうだ、風邪だ、風邪が悪いんだ。

 職員室のドアが開いて、講師の姿が見える。すぐさま講師へと詰め寄っていく。

 「先生!」

 「ナンバー五七七三‐七五五三。どうした?」

 「すいません、僕テストの時に風邪を引いていて調子が悪くて……だからテストをやり直させてもらえませんか?」

 「ナンバー五七七三‐七五五三」

 「ハイ」

 「お前は何、馬鹿なことを言っているんだ?」

 「えっ……」

 冷たい目に見下ろされて身体がすくむ。

 「風邪を引いて調子が悪かった?それがどうした。みんなが風邪を引いたわけじゃない。風邪を引いたのは、お前のせいだろ?」

 「で、でも……」

 「じゃあ聞くがお前は風邪の予防に有効とされる手洗い、うがいを欠かさず行ったか?」

 反論の言葉が思いついあずに俯く。

 「やってないだろ?同じ身体、同じ環境でお前だけが風邪を引いた。その結果、テストの点数が悪かった。それは誰のせいだ?」

 僕は悪くない。気を付けていたって体調を崩すことは誰にだってあるじゃないか、と口に出す勇気はなかった。

 「お前が風邪を引いたのはお前のせいだ。やり直したいなどと甘ったれたこと言ってないで、よく考えることだな。致命的な失敗をどう挽回するかを」

 「致命的な失敗って、どういうことですか?」

 「持っているものも同じ、環境も同じ。差などそうそう付くもんじゃない。少なくとも努力するものの間ではな。ということは、だ。失敗を取り返すことは容易ではないということだ。そして、テストの結果をずっとついて回る。さて、どうやって挽回する?」

 口の端が吊りあがり、渇いた笑いが漏れ、いつしか涙へと変わっていた。

 「そんなたった一度の失敗がずっと、ついて回る世界だなんて……そんなの辛すぎるじゃないか」

 その言葉と共に世界が黒く染まって、意識が途切れた。


 「被疑者は前に」

 その声を合図にして前へと進み出る。動くたびに手にはめられた手錠がカチャカチャと音をたてる。周囲に視線を走らせる。中央の高くなっているところに黒い衣装に身を包んだ老齢の男が腰掛けており、左右には様々な人々が好奇な視線でこちらを見つめていた。

 「では、これより被疑者七五五三の国家反逆罪についての審査を開始する」

 男の重々しい声が頭に響く。国家反逆罪?僕が?冗談キツイよと笑い飛ばしたかったが、手にはめられた手錠の感触は間違いなく現実だった。

 どうしてこんなことになった?


 荒い息を吐きながら、グラウンドに大の字になって寝転がる。グラウンドには他に誰もいない。視線の先ではあの日と同じようにオレンジが燃えていた。

 大会へと出場する選手を決める選考会。百メートルの代表選手は一人のみ。今までのベスト記録では選手に選ばれないことは分かっていた。だから、死に物狂いで練習した。くる日もくる日も、もういいだろ、お前は充分やったよという声を押し殺して練習に明け暮れた。もっと速く走れるようになること、大会出場選手に選ばれることをひらすら願って。

 そして迎えた選考会。ベスト記録は更新することができた。ただ、他の選手との差はもっと広がっていた。大会へと補欠として参加し、出番は訪れなかった。

 以前は練習することに疑問を持たなかった。走りたいから走る。それだけで十分だった。なのに、今は何で練習するんだという疑問が頭から離れない。身体を動かしていれば、一時的には疑問は消えてくれる。けれど、始まる前、休憩中などには必ず浮かび上がってくるようになった。

 『好きなことだけをして食べていくことが出来るのは、一握りの好運な人だけなんだよ。そして、父さんはその一握りの人じゃなかったんだ』

 ギターを手に無邪気な笑顔を見せる昔の父さんが写った写真を見せてもらったことがある。その写真の父さんと今の父さんー父さんは酒屋を営んでおり、お客さんの前では笑顔を見せるものの、お客さんがいないところではつまらなそうな顔を浮かべていたーの姿がうまく結びつかず、尋ねてみたことがあった。どうしてギター辞めちゃったの?と。父さんは寂しそうにそう呟いた。

 努力は必ず報われるわけじゃない。でも成功の確率を少しでもあげるためには努力するしかない。要は報われる保証がない中で努力し続けることができるかどうかなんだろう。

 大きく大きく息を吸い込んで、吐き出す。心の中に積み重なったものも一緒に吐き出されればと願ったが、それは叶わなかった。

 走って、走って、力の限り走って―――それでも望んだゴールに辿りつくことができなかったとしたら僕の手の中には何が残るんだろうか?

 人生って。しんどいな。

 『―――なら、変えてやろうか?』

 頭の中に無機質な声が響いてくる。慌てて体を起こして周囲を見渡す。変わらずにグラウンドには誰も見当たらなかった。

 『しんどい人生が嫌なんだろ?だったら、そうならないように世界を変えてやろうか?』

 再度頭に声が響いてくる。

 「な、何…僕に話しかけてくるアナタは一体……」

 『僕は悪くない。悪いのは世界の方だ。そう言い訳をする“ヒト”がいたらお前はどう思う?』

 こちらの質問には答えずに、さらに質問を重ねてくる。

 「間違ってる、と思うけど……」

 でも、そう言いたい気持ちはよく分かる。この世界には思い通りにならないことが多過ぎるから。

 『我輩はそうは思わん。そいつは正しい。なぜならこの世界は出来損ないに創られた出来損ないが管理する出来損ないの世界だからだ』声の主は“出来損ない”という言葉に力を込めてより強く響かせた。『そんな世界で生きていかなくちゃいけないお前らはホント大変だよな』

 初めて声に色、憐れみが灯る。

 唾を飲み込む。

 決して縮まることのない距離、遠ざかっていく背中。それを見続けるのは……もう嫌だ!

 「本当に……世界を変えられるの?」

 そう質問した瞬間―――世界が暗転した。

 「太陽ー!」声がした方を見やる。幼なじみの舞が少し離れた所からこちらへと手を振っている。

 「一緒に帰ろう」

 「あっ……うん」

 辺りを見渡す。世界は、変わったようには見えなかった。


 舞と並んで家路を歩く。放課後、僕は陸上の練習をし、舞は図書室で読書。図書室の閉館タイミングにあわせて一緒に帰るのが当たり前となっていた。

 「今日も図書室で読書?」

 「うん」

 『太陽はいいよね。目指すものがあって。アタシには何もないからなぁ』

 舞はよくそう口にした。本があるじゃんと返しても『いくら本を読んでもどこにも行けそうにないからなぁ』と寂しげに笑うだけ。

 好きだからする。それでいいじゃんと思ってた。だから、舞の気持ちがよく分からなかった。でも今はどこにも行けそうにないと言った舞の気持ちがよく分かる。

 「今日読んだのは“検索はするな”って本。図書室のパソコンで検索してその本を見つけたんだけど、“検索はするな”って本を検索して見つけるのって何かおかしいよね」

 舞が楽しげに笑う。今日は何やら機嫌がいいみたいだ。

 「ふーん、その本はよっぽど面白かったみたいだね」

 「えッ…どうして?」

 「何か機嫌いいみたいだから……」

 「そりゃあ、明日は待ちに待った適性試験の日だからね。アタシに相応しい職業は何て診断されるんだろう。あー、ワクワクし過ぎて今日ちゃんと眠れるかなぁ」

 適性、試験?

 「どうしたの、太陽?鳩が鉄砲玉くらったような顔して」

 「適性試験って……?」

 「鉄砲玉はスルーですか、そうですか。あっ……」舞がニヤリと笑って顔を近づけてくる。「さては太陽、ホームルームの時間に寝てて先生の話、聞いてなかったんでしょ?」

 「う、うん」

 曖昧に返事をする。

 「ダメだよ、朝から練習して眠いのかもしれないけど、先生の話しはちゃんと聞かないと。アタシは何で診断されるか分からないけど、太陽はアスリートだよね、きっと」

 「―――そうだね」

 適性試験、それは世界が変わったということなんだろうか?


 適性診断試験。全国の中学二年生を対象にどの職業に向いているのか、適性を測るために実施される。生徒は以下の四種類に分類される。

 様々な競技で活躍するアスリート。

 工業、芸術等創作分野で活躍するクリエイター。

 様々な分野の実務を司るオペレーター。

 オペレーターを管理するコントローラー。

 適性ごとにクラス分けが行われ、詳細な適性診断を繰り返して職業が決定される。適性診断で決定された職業以外に就くことは許されておらず、守らない者は国から罰せられる。

 「自分が何に向いているかを診断しれくれる、か」

 自室で適性診断の概要が記載されたプリントを眺める。ご親切に自分以外のナニモノかが適性を見極めてくれる世界。新しい世界。

 プリントを机に置いて、ベッドへと寝っ転がる。

 ポーカーというトランプゲームがある。カードが五枚配られて、決められたカードの組み合わせの優劣を競うゲーム。最初に配られたカードが気に入らなければ、ルールに従ってカードを取り替えることができる。でも、この世界ではそれがない。配られたカードで勝負するしかない。

 受け入れることを強要された世界。迷うことがない世界。

 大きく息を吐いて、目を閉じる。

 この世界では父さんは酒屋ではないようだった。

 なれる職業が決まっているのなら、父さんのように昔のことを引きずることはないんだろうか?

 なれる職業が決まっているのなら、父さんは前向きに仕事をしているんだろうか?

 なれる職業が決まっている世界なら、人生はしんどくないんだろうか?

 答えはでないまま、睡魔へと飲み込まれていった。


 オペレーター。一時間の筆記テスト、一時間のスポーツテスト、一時間の面接の計三時間の適性診断で下された診断結果だった。

 唇をなめる。これが適性試験?たったの三時間で僕の人生が決まった?これから先、僕はずっとオペレーターとしての人生を歩まなくちゃいけないのか?僕の意志とは関係なく?

 「何か質問はありますか?」

 適性試験の試験管が事務的な口調で告げる。

 「アスリートは…」努めて平静な声を出す。「アスリートと診断されたのは誰なんですか?」

 「本来は診断結果を口外したりはしないんですが……まあ、どうせすぐ分かることだからいいでしょう。松坂英俊、中田大輔、田口健太、朝日健太郎、福原忍……」

 野球部、サッカー部、バスケットボール部、陸上部、卓球部と各部のエースの名前が読み上げられていき―――

 「そして、矢吹真。アスリートと診断されたのはこの六名になります」

 最後に意外な名前が読み上げられた。

 「な、何で矢吹君が!彼は何のスポーツもしてこなかったはずですよ」

 矢吹真。スポーツはおろか学校にもずっと来ておらず、適性試験に顔を見せていたこと自体が驚きだった。

 男がため息をついて、眼鏡をクイと持ち上げる。

 「いいですか、適性試験は持って生まれた素質が何に向いているかを測るためのものです。今まで何をしてきたかは適性試験には関係ありません」

 関係……ない?じゃあ、今までの僕の努力は何だったって言うんだ?

 「他に質問はありますか?」

 「―――ざけるな」

 「ハイ?」

 「ふざけるな!たったの三時間で僕の過去と未来、全て否定されてたまるか!」

 叫び、男に掴みかかろうと地面を蹴り、次の瞬間には床へと押し付けれれていた。

 「アナタもですか」再度のため息。「必ずいるんですよね。現実を受け入れないアナタみたいな人が」

 何とか首を持ち上げて男を睨む。すると、モノを見るような冷たい眼で見つめ返される。

 「アナタを国家反逆罪で連行します」


 「これより被疑者七五五三の審査を開始します。

 では、まず事実の確認から。被疑者七五五三.アナタは適性試験の診断結果に不満を抱き、試験管に暴行を加えようとした。間違いありませんか?」

 「―――ハイ」

 「ハイ、では被疑者七五五三に審査の結果を通達します。被疑者七五五三は適性試験の診断結果に不服を申し立てようとした国家反逆の罪により、終身レベルE施設での勤務を言い渡します」

 「ちょ、ちょっと待ってください。審査って事実確認しかしてないじゃないですか?僕の弁護人はいないんですか?」

 「そういうルールです。弁護人はいません。他には?」

 冷たく一言で返される。左右に視線を向けるも、この審査の流れと結論に疑問を思っていそうな人は見当たらなかった。拳を握り締める。

 「―――レベルE施設って何ですか?」

 「産業廃棄物を扱う施設の中でも特に危険なもの、一歩間違えば命を落とす可能性があるものを扱っている施設になります。アナタはそこで一生働き続けることになります」

 「いい加減にしろ!」台を力一杯叩く。「勝手に職業決めて、それが気に入らなければヤバイ施設で一生働けだ?いつの時代の話だよ。時代錯誤もいい加減にしろよ!」

 場が一気にざわめき始める。

 「なるほど。どうやらアナタは旧人類のようですね」

 「旧人類?僕が?」思わず笑い出していた。「じゃあ、マジメに時代錯誤なことをしているアナタ達は新人類ってわけですね」

 怒りが落ち付いて対応せよ、という声を押し殺す。

 「共有地の悲劇と呼ばれるエピソードがあります。

 『ある村の中心に、広い共有地がありました。村人はその土地を羊や牛を放牧するために利用し、その家畜の毛を刈り、乳を絞って生計を立てていました。

共有地には管理人はいないので、誰もが自由に利用でき、放牧する羊や牛を増やしたことによって得られる利益はすべてその飼い主のものになりました。共有地の草はタダなので、羊を増やせば利益が増える。共有地の草は全て食い尽くされ、家畜は一頭も育たなくなり、村人の生活は損なわれました。

村人がせめて分別をもって行動していれば、こうはならなかったのに』

自由意志の名のもとに旧人類は個人の裁量を増やしていき、それに反比例するように管理するものの権限を削っていきました。人は自らを律することができるという甘い毒に侵されながらね。そして地球を食い潰していきました。

誰の目にもこのままではいけないということが明らかになった時にヒトはようやく気付いたんです。ヒトは自らを律することなどできない。自らを縛るものが必要だということに。そして辿りついた答えが適性試験による職業決定なんです。“システム”により決定された職業に就き、得られた果実はみんなで同じだけ分け合う。

私たちは過去へ戻っているのではなく、未来へと進んだのです。しっかりと自分を見つめた上でね」

人は、自分でなりたいものを見つけて、それを目指すことができる。僕は、僕たちはそれが当たり前のことだと思ってきた。それは、悪いことなのか?

「それじゃ、まるで、機械じゃないか」

「私たちは“地球”という大きな歯車の部品なんです。適切な箇所に適切な人材を配置して歯車を適切に回す義務があります。いいですか?適切に回すことは義務なんです。やらなくてはいけないことなんです。

何故か?次の世代にうまく引き継ぐ必要があるからです。もし私たちが受け継いだものを悪化させて次の世代に引き継いだらそれは不公平でしょう?」

自分の土台が根元から音を立てて崩れていくように感じた。

「自分の意志が…全く反映されない世界なんて……辛すぎるよ」


 「皆様、大変長らくお待たせいたしました!今年最も輝いた人に贈られる、シャイニング・ノヴァの受賞者を発表したいと思います。この最も栄えある賞に選ばれたのはーーーーーーーーーーーーーーー渡辺太陽です!」

 自分の名前が読み上げられたのを聞いて小さく息を吐いて立ち上がる。溢れんばかりの歓声と拍手に包まれながら、壇上へと進んでいく。

 壇上の中央まで進んでいき、ゆっくりとターンして聴衆を見渡す。この場所、ここシャイニング・ノヴァの受賞式に辿りつくまで幾多の困難と障害を乗り越えて、きたわけではなかった。なぜならこのシャイニング・ノヴァとは世界一幸運な人間に与えられる賞だからだ。

一二六七六五〇六〇〇二二八二三八九九三〇三七五六六四一〇七五二分の一の確立のことを成し遂げたと聞いたら、みんながすごいと賞賛してくれることだろう。では、コインを百回投げて百回連続で表を出したら同じように賞賛してくれるんだろうか?多分、運がよかったねの一言で片付けられることだろう。

プレゼンターより水晶で作られたトロフィーを受け取る。が、胸に込み上げてくるものは何もなく、冷たい目で熱心に手を叩いている聴衆を見つめていた。

素質も、努力も関係なく全ては運次第。完全なる平等な世界で世界一幸運な男として、今その果実を手にしている。喜びも誇りもなく、ただ空しかった。

「―――誰が得するんだろう、こんな世界で」

誰に向けたわけでもない小さな呟き。

『―――だって』呟きへの返答が頭に直接届く。『君が望んだんじゃないか?』

「えっ?」

『君は世界が不平等だと嘆いた。そして平等な世界を望んだ。だから色んな形の平等な世界を用意してあげたんじゃないか。なのに君ときたら。

みんなが同じものをもって同じ場所からスタートする世界では、誰のせいにもできずに一度の失敗がずっとついて回ることを嘆いた。

就く職業が自動で決められ、みんなが同じ果実を手にする世界では、自分の意志が全く反映されないことを嘆いた。

そして、運で全てが決めるこの世界では喜びも誇りもないことを嘆いた』

 「それは……」

 僕は、一体何を望んでいたんだだろうか?認められること?だったら、運で全てが決まる世界でみんなからこうして認められているのに空しいのは何故だ?

 『三つ、いや前の世界を含めて四つ―――いずれの世界でも君は満足することができなかった。だったら、変えるべきなのは、世界じゃなくて君自身なんじゃないか?』


 届かなかった、な。

 二番手でゴールし、真っ先に思ったことは事実の確認だった。大会へと出場する選手を決めるための選考会。百メートルの代表選手は一人のみ。大会に出場するという目標は達成することは出来なかった。

 小学校では学年で一番速かった。学年で一番速く走れることに誇りを持っていて、自分はこのまま駆け上がっていくんだと信じて疑わなかった。その誇りと自信は中学へと進学してあっけなく打ち砕かれた。

 同じ年齢で僕よりも早く走れる人がいた。

 今までは何も考えずにただ走ってきただけだった。それを変えた。どうすればタイミングよくスタートを切れるのか?どうすればスムーズに加速していくことができるのか?腕の振りは?足の運び方は?くる日もくる日も試行錯誤の日々。上手くいくこともあった。上手くいかないこともあった。上手くいった日はどうすればそれが維持できるのかを考えた。上手くいかなかった日は何がダメだったのかを考えた。

最初は同じ年齢で僕よりも 早く走れる人がいる。その事実を認めることが辛かった。自信も揺らいだ。でも、いつからか試行錯誤の日々が、とても楽しくなっていった。

大きく息を吸って吸って、色んな想いと共に吐き出す。一番でゴールした選手へと近づいていき―――

「おめでとう」

賞賛の言葉と共に手を差し出す。少しの間を置いて「あ、ありがとう」と手が握られる。

「大会頑張ってね」

「う、うん」

素直に相手を称えられたことに自分でも驚いていた。グッドルーザー、か。

手を離して部室へと歩いていく。と、「あ、あの」と後ろから声をかけられる。振り向くと、知らない女の子が立っていた。

「渡辺君の走っている姿、とってもとってもカッコ良かったです。代表選手になれなかったのは残念だったけど……これからも頑張ってください」

早口で一気に喋り。それが終わると「そ、それじゃ」と深々と礼をして去っていった。突然の出来事にしばらくの間呆然とし、二つの予期しなかった出来事―一つは悲しいこと、もう一つは嬉しいことーに自然と笑みがこぼれた。

 また試行錯誤の日々といきますか!


 「部長!すいません、遅くなりました」

 勢いよく屋上へと続くドアを開け放って、何よりも先に謝罪の言葉を口にする。

 「遅いぞ、一部員」

 膝に手をあて、荒い息を必死に落ち着かせながら見つめた先では、部長が腰に手をあてて、頬を膨らませていた。

 「ホッント、すいません!」

 手を目の前で合わせて、とにかく平謝りを繰り返す。

 「自分から提案し、かつこの日にしか見ることのできないペルセウス座流星群より優先することがあるのか?」

 部長が屋上の床に敷いたビニールシートを指さす。

 「ゆっくり座って言い訳を聞きましようか?」

 部長の真ん丸い目がスゥーっと細められる。あの目で見つめられると蛇に睨まれた蛙のように体が動かなくなる。

 「ヤ、ヤダナー。そんな目で睨まなくても……」

 油が切れたブリキ人形のような動きでビニールシートに腰を下ろす。それを見て部長も腰を下ろす。

 「言・い・訳」一言ずつ区切ってはっきりと力強く発音する。「を聞きましょうか?」

 「―――小説書いてたら、家をでなくちゃいけない時間を過ぎておりました。誠に申し訳御座いません」

 「まっ、星降る夜には間に合ったからいいか」表情を戻す。「で、何でまた小説?」

 「部長を見習ってみようと思って」

 「えっ、アタシ!?」

 部長が真ん丸い目をさらに見開いて自分を指さす。

 「そっ。部長、前小説書いて見せたくれたじゃん。それを見習って僕も小説書いてみようと思って。まだ頭の中整理できてないから整理する意味でもちょうどいいかなって思って」

 「ふーん。で、完成したの?」

 「まだまだ書いている途中で御座います」

 「完成したら読ませてね」

 「いつ完成するか分からないけどね。あっ、流れた!」

 夜空を見上げると、一筋の光が闇を疾る。あまたの光がその後に続く。無言で星の軌跡を追う。

 星が途切れたタイミングで部長の様子を伺う。目を細めてじっと空を眺めていた。

 「部長はさ」視線を同じように空へと向けて言葉をかける。「星を見るようになったきっかけとかあるの?」

 「ん、どうして?」

 「いや、天体観測って中学生にしては珍しい趣味だなと思って」

 お互い空を眺めたまま言葉を重ねていく。

 「やっぱり、”あの日”のことがあったからかな。叔父さんも叔母さんも優しく受け入れてくれたけど、やっぱりどうしようもなく寂しくなる時があって……。そんな時に星を見てたら自然と心が落ち着いたんだよね」

 「―――そう、なんだ」

 マズイことを聞いてしまったと言葉が沈んでいく。

 「そんな声出さないでよ」柔らかい声。「新しい環境でいろいろある中で星を眺めていると昔の自分と今の自分がちゃんと繋がっているように思えて……ね」

 「そっか」同じように柔らかな声を返す。「ドーナッツがドーナッツの穴を作る。父母の記憶、友人の優しさがあって、ヒトが形作られていく。

 きっと繋がってるよ」

 「そうだね、きっと繋がってるよね」

 「うん」

 一條一が一條一であるということに根拠はない。今の両親のもとに産まれ、一という名前を与えられたに過ぎない。だからこそ、それを自覚して、周りに目を向けて自分を作っていくしかない。しかも、一度作ったら終わりではなく、何度も何度も作っていかなくてはいけない。

 生きるって大変だ。

 「どうしたの、大きなため息ついちゃって」

 部長の言葉で自分が知らずのうちにため息をついていたことに気付く。

 「いや、生きるって大変なことなんだなって思って」

 「そうだね」部長も大きく息を吐く。「毎日、世界のどこかで悲しい事件や事故が起こっている。何気なく生きているけど、生きているってすごく大変なことだよね」

 「自ら死を選ぼうとするヒトもいるしね」はっきりと告げる。「だからこそ、生きるということは尊い」

 「おっ、断言したね」

 「経験者は語るってやつだよ」

 昔の自分が言ったことを思い出したからか部長笑い、それにつられて笑う。

 「また一緒に星、見ようね」

 「そうだね」

 二人、星が駆けていくのをじっと見つめ続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドーナツの穴はどこにある? @frontriver

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ