第2章 はったり
「二度と、へらず口がたたけねえようにしてやる」
猫背の男は、死神の眼窩のようにぽっかりと黒くあいた銃口を、おれに向けた。何度味わってもあまりいい気持ちのするものではない。ちょっと男の指に力がかかれば、あわれおれの頭は消し炭だ。わきの下にじっとりと冷たい汗が流れる。
「よさねえか」
と、片目の禿げ頭が冷静に口をひらいた。三人のなかでは、こいつがどうやら兄貴分らしい。でっぷりと太って、貫禄もじゅうぶんだ。ほかのふたりと違ってガンベルトは巻いていないが、上着の下にホルスターを吊っているようだ。左のわきに、剣呑なふくらみが見える。
猫背の男はちらりとそちらを見ると、あからさまに不満げな顔つきで、それでもしぶしぶ銃をおろした。
禿げ頭はなにごとか考えるように、たるんだあごをひとつおもむろになでると、
「おれたちゃ、よけいなもめごとはおこしたかねえんだ。おめえには関係のねえ話だ。おとなしくその女を渡してくれりゃ、それでいい。なにも、知らねえ女のために危ねえまねをすることもねえだろう。いきがったって、ひとつもいいこたあねえぜ」
「まったくだ」
おれは悠然とグラスをほすと、からになったグラスをとん、と磨きのたらないカウンターに置いた。
「しかしな、窮鳥ふところになんとやらって言葉もある。こう、たのみにされてるのをすげなくするのも、寝ざめが悪くていけない」
「じゃ、女を渡す気はないってのか」
「そいつは彼女しだいだな」
おれの肩口から、女が不安げな視線を投げてよこした。熟れた果物のような、甘い香りが胸いっぱいに広がる。いつまでもこうして、ひじにあたるやわらかな感触を堪能していたい気分だが、そういうわけにもいくまい。だいいち、これじゃ話しにくくていけない。
おれはしがみついている女の手をとってそっとひき離すと、ここ一番のときにしか見せない、とっておきの笑顔で、
「おたがい、自己紹介がまだだったな。おれはシルバー、探偵だ。相棒といっしょに事務所をやってる。で、きみの名前は?」
女がわずかに逡巡したのは、知力腕力権力いずれにも縁のなさそうな、おれの見た目に心細さを感じたせいではない、と思いたい。どのみち筋者を向こうにまわして、ひと肌脱ごうなんてもの好きは、ほかにいそうもなかった。すぐに低くあだっぽい声で、
「クロディーヌ」
「……いい名前だ。クロディーヌ、きみには選択肢がふたつある。この連中といっしょに行くか、さもなきゃおれに保護を依頼するか。どちらでもいい、選ぶのはきみだ」
クロディーヌはとまどったように、小首をかしげた。そんな表情をすると、一転、妙に幼い感じになる。そうでなくても女の歳はわからないものだが、医学やもろもろの美容技術が発達した現代ではなおさらだ。たぶん、おれより三つ四つ下といったところだろう。むろん、実年齢でだ。
おれは目をぱちくりさせているクロディーヌのほうに、ぐっと身をのりだすと、
「心配はいらない、さっきも言ったが、おれは探偵でね。きみがおれに護衛を頼むってんなら、責任を持ってひきうける。いますぐ
「あきれた野郎だ。こんなところで、商売をはじめる気か」
かたわらで聞いていた禿げ頭が、いっそ感心したように首をひねった。あやしむような目つきからして、やつがおれの脳みそのできに疑いを
「ニック、なにもこんなやつのおしゃべりにつきあってるこたあねえ」
そうとうな癇癪持ちらしい猫背の男が、こめかみに青筋をたてて、いらいらと口をはさんできた。
「探偵だかなんだか知らねえが、どうせたいした野郎じゃねえ。おおかた警官くずれの食いつめもんだ。こんな三流探偵、ちょっとこづいてやりゃ、おとなしく言うことをきくさ。そのほうが話が早えぜ」
聞き捨てならんことをいうやつだ。おれはいささか、かちんときた。
元警察官てのはそのとおり――四年前まで殺人課の刑事だった――金に困ってるのもそのとおりだが、当たってるだけによけい腹が立つ。裏稼業で楽してあぶく銭を稼いでるやつが、ひとさまの涙ぐましい営業努力にけちをつけやがって。こっちの身にもなってみろ。やくざより怖い因業大家と、からっけつで対決する瀬戸際なんだぞ。
やれやれ、しかたあるまい。おれは心のなかで嘆息した。滞納した家賃どころか今月ぶんにもほど遠いが、大家に頭をさげに行くときの手みやげ代くらいにはなるだろう。
「クロディーヌ、料金は半額だ。ここまで言われちゃおれもあとにはひけない。押し売りみたいですまんが、それでかまわないか」
きなくさい雰囲気におされるように、われ知らずうなずくクロディーヌを背後に隠すようにして、おれは一歩前に進み出た。
「契約成立だ。三流には三流の意地がある。渡せといわれて渡したんじゃ、信用問題だ。今後の商売にもさしさわりが出るんでね。どうでも、彼女は渡せない」
禿げ頭は珍しい生き物を見るような、なんともいえない顔をした。
「じゃ、やるってんだな」
と、心から残念そうに首をふり、
「しようがねえ。なにしろおれは文明人だからな。野蛮なまねは大きらいなんだが――」
言いながら、銃があるとおぼしきふところに、無造作に右手をのばす。いくらもったいをつけようと、根はしょせん猫背の男と同じだ。ひとの命を奪うことに、なんらの禁忌も感じないやつばらである。
その様子をひとごとのように眺めながら、おれはすこしもあわてず、
「まあ待ちな」
禿げ頭は、上着の内側にのばしかけた手をとめた。
「なんだ――気が変わるにしちゃ早すぎねえか」
おれは芝居がかったしぐさで、ゆっくりと
「言ったろ、おれは気が小さいんだ。おたくご同様、おれも荒事はきらいでね」
禿げ頭がなにか言うまえに、おれは、すっ――とかたわらの丸テーブルに歩み寄った。
ここが勘どころだ。あわてちゃいけない。はったりがうまくいくかどうか、すべてはタイミングにかかってる。
おれの一挙一動を、店じゅうの耳目が見守っている。それをたっぷりと意識しながら、おれはあくまで落ち着きはらった様子で、あいた椅子をひいてどっかと腰かけた。向かいの席の男性客が、なにごとかと目を丸くする。
おれはにやりと片頰に笑みを浮かべると、
「腕力には自信がある。やるんなら、こいつできめようぜ」
テーブルのうえにひじをついて、右手をさしだした。アーム・レスリングで勝負しよう、というわけだ。
一瞬、店のなかはしんと静まりかえった。猫背の男が長い顔をさらに長くして、ぽかんと口を開けた。バーテンやほかの客、三人の大男はもちろん、クロディーヌまでが、おれの背後で呆気にとられているのがわかる。
こんなに大勢の、こいつはなにを言っているんだ、という顔を見るのは、じつのところおれもはじめてだった。一世一代の大ばくちだ。正直、内心冷や汗ものだったことは認めなくちゃならない。
と、禿げ頭がくつくつとふくみ笑いをもらしたかと思うと、じきにはじかれたように笑いだした。
「おもしれえやつだ」
心底おかしそうに、つきだした腹をゆすって笑う。右目の傷痕がひきつれて、さらにすごいご面相になった。酒場の黄色みがかった照明を映して、毛のない頭がてらてらと光る。
「どうで、ばかには違いねえが、なかなか根性のすわったばかだ」
禿げ頭は大股にのっしのっしと歩み寄ると、男性客が座ったままの椅子を、片手で力まかせに引き寄せた。目立たぬように小さくなっていた客が、あわてて逃げ出す。そのあとへどさりと腰をおろすと、禿げ頭はテーブルのうえのグラスを無造作になぎはらった。床に落ちたグラスがけたたましい音をたてて割れ、こぼれた酒が床を濡らす。
「いいだろう、つきあってやる」
禿げ頭は窮屈そうに上着を脱ぐと、すぐそばにひかえていた陰険な目つきの男に、押しつけるように乱暴に手渡した。しめた、銃で頭に風穴をあけられちゃ万事休すだが、これならまだ成算がある。
禿げ頭はにらんだとおり、まがまがしく黒光りする拳銃を、左のわきに吊っていた。おれよりたっぷりふたまわりは太そうな腕を、どんとテーブルに置き、
「そんかわり、腕を折られてもあとで泣き言を言うなよ」
「おい、兄貴!」
と、渡された上着をかかえたまま、陰険野郎があわてたふうに言った。
「てめえは黙ってろ。このちびすけがどんだけ力持ちか、見てやろうじゃねえか」
禿げ頭はうしろも見ずに言うと、にたりと凄惨な笑顔をおれに向けた。だが目は笑っていない。爬虫類のように、冷たく無表情な目だ。
「おれが勝ったら、その女はもらっていくぞ」
「好きにしな」
おれは片方の眉をあげると、いたってあっさりと答えた。おれの背後で椅子の背に手をかけたクロディーヌが、そっと息をのむ。
禿げ頭は
猫背の男と陰険野郎はしかたなくホルスターに銃をもどすと、腕組みをして禿げ頭のうしろに仁王立ちになった。そろいもそろってむだに図体がでかいから、ばかでかいついたてが目の前に立ってるようで、うっとうしいことこのうえない。
よもやこんなちびに――連中がでかすぎるだけだ――腕力で負けるとは、思ってもいないのだろう。禿げ頭は余裕しゃくしゃくの表情だった。いずれにせよ銃も持っていない相手だ、いざとなればどうとでもなる――抜け目なく、腹のなかでそう計算している顔だ。
禿げ頭はナイフを並べて植えたような、鋭く尖った歯をがちがちと嚙み鳴らすと、
「お見合いしててもはじまらねえ。さあ、やろうぜ」
おれは無言で、ミットのような禿げ頭の手をぐっと握った。見た目どおりやわらかいかと思ったら、案外にしっかりと中身のつまった感触だ。力もさぞかしあるだろう。
むくつけき男とスキンシップをはかる趣味はないのだが、いたしかたない。鋼鉄の扉ごしにだって向きあいたくない危険きわまりない相手だが、ふたりのあいだを隔てるのは、安酒場の小さな丸テーブルひとつだけだ。あばたを数えられそうなほど、すぐ目の前に、歯をむきだした禿げ頭の顔がある。生臭い口臭が鼻孔をうった。
店内にいるすべての人間の視線が、かたく握りあわされたおれと禿げ頭の拳一点に集中している。
「クロディーヌ、合図はきみにたのむ」
おれは背中でクロディーヌに言った。
きゅうに神経が冴えてきた。店内に低く流れるBGMは、じいさんたちの世代の古くさいマーシャン・スウィングだ。バンドがはいるような店でなし、むろん生演奏じゃない。
クロディーヌは、ためらうようにテーブルのかたわらに進み出ると、がっちりと組まれたおれと禿げ頭の手のうえに、みずからの繊手をかさねた。ほんのりと冷たい。服とそろいの白絹の手袋が、ひじの上までをおおっている。
ちらりとおれを見やると、切れ長の瞳を不安げにしばたたかせる。口には出さずとも、その瞳が負けないで――とすがるような気持ちをつたえていた。お願い、あたしのために。いかん「また幻聴癖ですか」と冷たくさげすむ
おれたちのいるテーブルを中心にして、店内の空気がぴんとはりつめた。
クロディーヌは覚悟をきめたように、その空気を揺らして、
「レディー……」
成熟した女性の魅力たっぷりの、なまめかしいクロディーヌの声が天井に昇っていく。聞きおさめにならなきゃいいが。
猫背の男がごくりと唾を飲みこんだ。
「ゴー!」
試合開始を告げると同時に、クロディーヌはさっとみずからの手をひいた。
禿げ頭の二の腕がぐっともりあがる。手かげん抜きだ。渾身の力でおれの腕を倒しにかかっている。へし折れたって自分の腕じゃない、かまうもんかという勢いだ。
「――!」
猫背の男がぐっと拳を握った。だれかが小さく声をあげた。
拍子抜けするほどあっさりと、おれの右手の甲がテーブルについた。
クロディーヌが口もとを押さえてへなへなと座りこむのが、目のすみに映った。……
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