シルバー&グレイ FILE-1 ハーヴェスト・ムーン

あしもりのぞみ

FILE-1 ハーヴェスト・ムーン

第1章 火星の貧乏探偵

 探偵という商売は因果なもので、いざ仕事となると不眠不休、夜も昼もない生活なんてのはごく当たり前の話だ。いつどこでなにがおこるかわからないのがこの稼業だから、神経の休まる暇なんて薬にしたくもない。

 そのくせいったん仕事の依頼がない、となると、これくらい手持ち無沙汰な商売もない。

 なにせ、おたくの奥さんの浮気調査いかがですか、なんて営業にまわるわけにもいかないから、陰気で狭くてむさくるしくて、おまけになにかちょっと臭う――ような気さえしてくる事務所で、相棒と男ふたり、おもしろくもない顔をつきあわせてひたすら待ちぼうけることになる。

 実際、現場の調査員を何十人もかかえているような大手なら格別、経理からお茶出しまですべてふたりっきりでこなしているうちのような零細事務所の場合、その内情はいたってわびしくもあさましい。

 日がなニュースを眺め暮らして、さて一日が無事平和に終わったとなるや、天の思し召しにありがたく感謝するどころか、がっくりと肩を落とすという有り様だ。事件のひとつでもおきてくれれば、もしや稼ぎ口になったかもしれないのに、というわけだ。

 正直な話、依頼される仕事だけでは、とてもじゃないがやってはいけないのだ。他人の不幸を願うわけじゃない。とはいえ、人間こう不景気がつづくと、自然、おこるのを待つ心境になる。三月みつきもためこんだあげくに、いっこう払うあてのない、家賃の期限があすに迫っているような土壇場にはなおさらだ。

 どんな厄介ごとでも――金にさえなるなら――どんどん飛びこんできてくれという気分になる。そんなときに、もめごとにでもでくわそうものなら――こいつはもう天祐というほかない。呼ばれてもいないのに、さっそくさもしい顔をして、のこのこしゃしゃりでるというていたらく。まったくもって、背に腹はかえられない。あさましいかぎり。

 たとえば夜ふけのバーのカウンターで、気持ちよく一杯ひっかけているときに、不粋なけんか騒ぎがおこったりした場合も例外ではない。

 ましてや、そのトラブルの当事者がうれいをおびた翡翠色グリーンの瞳の美女で、すこし低めなセクシーボイスで助けをもとめられたりしては、いや、声をかけられなくても、自分からすすんで巻きこまれる気になったって不思議はない。

 その店の名は、《クラッグオン》といった。どういういわれがあるんだか、名前の由来までは知らない。なにしろはじめての店だ。とにかくバーテンに聞いたところでは、すべての願いがかなう場所――とかいう意味らしい。

 あやかりたいものだ。おれは三杯めを注文しながら、ひとりごちた。すべての願いどころか、こっちは財布の底をはたいた金で、目の前のちっぽけな幸せを、ささやかにあがなっているさいちゅうだった。

 どうせふところには、家賃の払いにはとうていたりないくらいの額しかない。それならいっそ楽しく飲んで、いっときだけでも明日のことは忘れちまおうというわけだ。

 すでに時刻はかなり遅くなっていたが、夜はまだこれからだった。火星きっての大都会エルバストンでも、この界隈は指折りの繁華街として知られている。店の雰囲気も悪くない。しかしまあ貧乏探偵のおれがこうして飲んでいるくらいだから、それほど上等な店でもないのはご賢察のとおりだ。

 店内はそこそこの広さで、カウンターのほかにはテーブル席が五つ六つ。客もそれなりにはいって、まず繁盛している。バーテンのうしろ、カウンターのなかに展覧会のポスターが貼ってあるのは、せめても文化的な香りをただよわせようとしてのことだろうか。大彫刻展――リチャード・ジェイドの芸術、エルバストン近代美術館にて、十一月二十日まで。

 たぶん、壁のしみを隠してるんだと思う。

「悪いことは言わねえ。おとなしくその女を渡しな」

 古き良き時代の音楽をさかなに、カウンターでひとりおとなしく飲んでいたおれは、文化とはまるで無縁のがさつなもの言いに眉をひそめた。すがりつく女の、あでやかな美貌から視線をそらし、目をあげる。

 状況はかなり切迫していた。しなだれかかるようにして、おびえたまなざしでおれの目を見つめる女の肩ごしに、三人の大男がつったっているのが見えた。

 ひとりはみごとな禿げ頭で、右の目はむごたらしい傷痕にふさがれている。

 まともな医療技術のなかった古い時代ならいざ知らず、外星系にまで人間の住まういまのご時世、人工臓器なんか珍しくもない。眼球の入れ換えくらいなら、そこいらの町医者でだってやってくれる。

 治そうと思えば、いくばくかの金と暇で簡単にもとどおりにできるのに、あえて不自由なままでいるのは、よほど忙しいか、よほど貧乏なのか、さもなければその傷痕で凄みをきかせたいかのいずれかだ。

 すくなくとも金に困っているとは思えなかった。必要とあれば、赤ん坊のおしめまでむしりとって金にしようとするような手合いだ。

 禿げ頭は威圧するように、無事なほうの片目を細めてめつけると、

「痛い思いをしたんじゃつまらねえ。いいか、おれは親切で言ってやってんだぜ」

 やれやれ、せっかくの酒がだいなしだ。店の雰囲気は悪くないと言ったが、取り消す。こいつらが女のあとを追ってはいってくるまでは、悪くなかった――に訂正する。暴力の臭いをぷんぷんさせた、こわもてやくざ三人と同席では、楽しい酒になるはずがない。雰囲気もぶちこわしだ。

 とはいうものの――おれは心のなかで、借金の残額を計算した。トラブルこそは飯の種、「わが赴くは死の曠野あらの」……どうやら、ひと稼ぎできそうだ。

 おれはちらりと女に目をやった。身なりはなかなか上等だ。白絹のミニワンピに瞳の色とよくあった深緑のストール――たぶんミンクだ。着ているものもそうだが、内心の緊張をあらわすようにぎゅっと握りしめているハンドバッグも、いずれ名のあるブランド品だろう。

 おれは、金の匂いに鼻がひくつきそうになるのをぐっとこらえて、

「月夜の晩でもないのに、おかしなやつが出てきたな」

 表向き、ほとほとうんざりしたような顔で言った。あのバッグのなかには、さぞかし札束がうなっているに違いない。

「ばかいうな」

 禿げ頭はでかい口を開けてせせら笑うと、

「火星に月夜があって、たまるもんか」

 そりゃそうだ。火星の月――フォボスとダイモスは、どちらもちっぽけな岩の塊にすぎない。地球の月とはわけが違う。地上を睥睨へいげいして、中天にあかあかと輝くには、あまりにも小さくて暗すぎるのだ。たしかに火星に「衛星」はある。だが「月」は、火星の夜空には無縁のものだ。

「なんなら、おめえを火星の新しい月にしてやってもいいぜ」

 禿げ頭は、じつにアナクロな脅し文句を並べて歯をむいた。

「まあ、そう脅かすなよ。こう見えても、おれは気が小さいんだ」

 おれは輝くばかりの銀髪を揺らすと、優雅に椅子スツールをまわして、男たちに向きなおった。もったいぶったしぐさで、マルガリータのグラスを顔の前にさしあげてみせ、

「あんたみたいにおっかない顔で凄まれたら、手が震えちまう。うっかり鼻の穴にでも飲ましちまったら、大変だ」

「……ふざけた野郎だ」

 禿げ頭のうしろから、長い顔をした猫背の男が押しつぶしたような声音で言った。前かがみになっていてさえ、上背は二メートル以上ある。

「かまわねえ、四の五の言ってないでやっちまおうぜ。どうもこいつは、むしが好かねえ」

「そいつは残念だ」

「なに?」

「おれの片思いだ、と言ったんだよ。あんたみたいなタイプは、きらいじゃない。なにしろ銃がへたくそなもんでね、は大きいほうがいい」

 猫背の男は、長い顔をみるみる紅潮させた。

「やってみるか」

 おれのもの言いが、よほど気にくわなかったらしい。どうもずいぶん短気なやつだ。猫背の男は乱暴に上着のすそをはらうと、ガンベルトにぶっさした拳銃レイガンのグリップに手をかけた。三人目の、陰険な目つきをした男も、すかさずそれにならう。

 猫背の男はいっそう声をしわがらせて、

「あたるかどうか、試してみろ」

 と、激昂のあまり唇を震わせながら言った。血なまぐさいことが大好きでたまらないのだ。機会があれば射ちたくて、うずうずしているのだろう。もちろんこういった手合いが持つ銃は、市販の麻痺銃なんかじゃない。殺傷キルモードつきのすこぶる危険なやつだ。

 猫背の男は、しまりなくゆるんだ口のはたにあぶくを浮かべて、

「抜きな。おめえの顔の真ん中に、酒瓶がはいるくらいの穴をあけてやる」

 店のなかはとっくに静まりかえっている。どうなることかとなりゆきを野次馬根性で見守っている者、とばっちりを食うまいと、あえてそ知らぬ顔をきめこむ者――いずれにせよ、助け舟が出そうな気配はない。

 おれはグラスを置くと、やたら背の高いスツールをしなやかな身ごなしですべりおりた。余裕たっぷりに、いたずらっぽく片目をつぶり、

「あいにくと丸腰でね」

 すっかり頭に血がのぼっちまってる猫背の男が早とちりしないよう、注意深い手つきで、左右交互に上着の前をひらいて見せる。

「銃は借金のかたに取られちまったんだ。商売道具をふんだくるなんて、ひどい大家だろ。なけなしの金も、悲しいかなこいつで最後――」

 と、おれは悠揚迫らぬ態度で、ふたたびグラスを取りあげた。いくらも残っていない中身に慎重に口をつけ、

「そういうわけだから、落ち着いて飲ませちゃもらえないかね。大事な酒だ」

 ばかにされた、と思ったのか、せっかくおれが丸腰なところを見せてやったのに、猫背の男はかえって興奮したように、

「野郎、おちょくりやがって」

 腰の銃を引き抜くと、じりっと一歩おれのほうににじり寄った。

 どこかのテーブルで女客が悲鳴をあげた。グラスの割れる音が響く。翡翠の瞳の美女が、おれの腕にしがみついた。その手に力がこもる。

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