第五話:不動産に関わって

 出勤して業務の準備を行い、朝礼とスケジュールの読み合わせを行う。

 それは毎朝の習慣であり、会社の決まりでもある。優一は別の不動産業者からの転職組だが、朝礼があるのはどこの会社も然程変わらない。

「野辺山さん、お客様ですよ」

「うん? 来客のアポは午後だけだったはずだけど」


 受付と事務を兼ねたパートの女性が優一を呼びに来たが、心当たりは無かった。

「それが、あの矢野オーナーの事で、警察の方らしいんです」

「警察? わかった」

 来たか、と優一は立ち上がった。

 ちらりと店長を見るが、特に言うべき事は無いらしい。入居者の自殺や犯罪を犯して逮捕されるというのは稀にある事態だ。


「お待たせしました。矢野オーナーの件でお話があるという事ですが」

「お忙しいところ申し訳ない。県警の三上です。こっちは古谷。少しお話をよろしいかな?」

 二人の刑事に手帳を見せられ、優一は頷いた。

「テーブル席の方で話しましょう。申し訳ありませんが、カウンターはお客様の応対がありますので」


 優一が示したテーブルに向い合せで座ると、パートの女性がお茶を出してくれた。

「では、改めて。野辺山優一さんですね? 亡くなった矢野さんの奥さんから聞きまして、矢野さんの物件を担当されていたそうで」

「ええ。時々は別の者が対応する事もありましたが、基本的には私が担当させていただいております。先日奥様を訪ねて、とりあえずは継続して弊社で管理をさせていただく事になりました」


 古谷の質問に優一が答えると、三上はゆっくり頷いた。

「なんでも、例の事件があった目の前のマンションも管理するという話でしたね」

「はい。現在の入居者の方と話をして、契約を結び直して欲しいとも依頼を受けております」

 優一はすらすらと答えた。

 三上はそこに不自然さを感じなかったが、とにかく質問を続けようと古谷に目くばせする。


「マンションに訪問されたと聞きましたが」

「はい。まずはどういう方がお住まいか知っておきたかったのと、現状の説明をする必要がありましたので……と言っても、オーナーの状況は良くご存じでしたから大した時間はかかりませんでした」

「それで、どういう話になったのか教えてもらえるか?」


 古谷に代わって三上が口を開くと、優一は営業スマイルのまま頷いた。

「入居者の方は、家賃の支払いも苦しくなるので引っ越しを考えておられました。また数日開けて意思確認をしますが、恐らくは退去されるでしょう」

「家賃収入を考えたら、出て行かれるのは困るのでは?」

 古谷が素直な感想を口にすると、優一は否定する。


「必ずしもそうとは限りません。家賃が払えないままに居座られる方がずっと面倒ですし、矢野オーナーが知り合いの為にと購入された物件と聞きましたから、奥様は売却を希望される可能性があります。そうなると入居されているより空の方が売りやすいんです」

「そういうものか」

「確かに、誰かが住んでいると中が見られませんから、買いにくくはありますね」


 古谷は納得したが、三上は首を傾げている。

「でもな野辺山さん、入居者がいるなら賃貸物件オーナーとして欲しいって人もいるんじゃないか?」

「居られますが……分譲マンションを一部屋だけ賃貸物件として持っていても、利益としてはあまり良くありません。リフォームの費用が見積もれなければ、利益予測ができませんから普通のオーナーは手を出しません」


 慣れた口調で優一は説明を続けた。

「アパートなどは複数の部屋がありますから、一部屋空いても家賃収入はありますしローンの支払いもまず問題はありません。一部屋空いていれば他の部屋の内装も大体予想が出来ますから、中古で買う際にも経費計算が可能です」

 メモ用の紙を出してきて、優一はワイシャツの胸ポケットからボールペンを取り出した。


 簡単な建物の絵を描き、壁面を十字で区切って五万という文字を全てのマスに書き入れると、一つをバツ印で消した。

「一戸五万の家賃で四戸のアパートなら、一つ相手も十五万入ります。でも、一戸しかない建物はそうはいかない」

 マンションのような長方形を書き、十二万と書き入れる。


「あの部屋なら十二万程度の家賃が相場です。確かに建物の費用に比べれば家賃は割高になりますが……」

 十二万にバツを付ける。

「退去されると収入ゼロです。家賃が入らなくてもローンの支払いは続きます。他に物件を複数お持ちなら良いですが、そうで無ければまずオススメはしませんね」


 また、分譲マンションに使われている設備などはアパートのものに比べるとグレードが高い場合が多く、リフォーム費用も高額になりやすい、と説明した。

「家賃が高いのは、そういう理由もある訳です」

「なるほど。良くわかった」

 三上と古谷が揃って納得した顔をすると、優一もにっこりと微笑み、ボールペンのノックを押してポケットへ戻す。


「それじゃあ、今度また入居者の結城征子と話をするわけだな。出て行かないと言ったら、追い出しにかかるのか?」

「それは無理な話です」

 三上の質問に、優一は困ったように眉を顰めた。

「居住権がある以上、貸主が裁判でもしない限りは強制執行はできません。裁判費用を考えると負担も大きいので、地道に説得する形になりますね」


「そうか。大変な仕事だな」

「私からも質問を良いですか?」

 三上は古谷に視線を投げた。

「答えられる範囲であれば」

「奥さんからや報道で矢野オーナーは事故死などではなく殺されたと聞きました」


「ええ。ほぼそうだろうと想定して捜査を進めています。何か心当たりでも?」

「いや、そういうわけではありません。実際に矢野オーナーが殺されたのは、室内ですか? それとも外で?」

 どうしてそんな事を聞くのか、と三上は訝しむ目を向けた。

「割と重要な事ですよ」


 再びボールペンを出した優一は、先ほど書いたマンションの建物の中と外に丸を付けた。

「中なら事故物件。外なら問題無し、というわけです。冷たいようですが、奥様の為に少しでも高く売る必要がありますので」

「……外だよ。おそらくな」

 死体が見つかった川で殺害された可能性が高い、と三上は話した。


「ありがとうございます。助かります」

「あんた、人が一人死んだっていうのに随分と冷静だな」

「不動産に関わって、もう七年です。色々見てきましたし、色々経験しました」

 優一は、死体を見た事もあれば遺品の整理に関わる事もあると言う。

「人が住む場所を扱っています。……自殺もありますが、ご高齢の方が孤独死されることだって少なくないんです」


 単身世帯のマンションやアパートで誰かが死んだなら、外から見えない限り最初に発見するのは鍵を持っている家族か、警察に立会を依頼して鍵を開ける管理業者か大家だ。

「生きている方としか契約はできませんが、亡くなった方の後処理に関わる事は意外に多い。そういう職業なんですよ」

「……わかった。色々聞かせてもらって助かったよ。後は、矢野が清掃やら修理やらを依頼していた業者を知っていれば教えてくれないか」


 三上の依頼に、優一はすぐにリストを作ると言って立ち上がり、奥にある自分のデスクへ向かった。

「結構協力的ですね」

 話の内容は生々しいものでしたが、と古谷が囁く声を聞きながら、三上は手帳を取り出して先ほどまでの話をメモしていく。

「話しは聞いておけ。だが真正面から受け取る必要は無い。誰も彼も同じ考え方をするわけじゃないからな」


 ふと見ると、ガラス面になっているテーブルの上、優一が描いた紙の上にボールペンが残されていた。

「ボールペン、か」

 視線をずらすと、優一が渡した名刺がある。宏美から借りたものとまったく同じものだ。

「結城征子について突っ込んで聞きますか?」


「いや、やめておこう」

 それよりも、と三上は優一の名刺を拾い上げた。

「野辺山の経歴を調べておいてくれ」

「えっ? ……わかりました」

 やや老眼の兆候が出てきた三上は、名刺を遠くに離しながら見る。


 町アパ不動産の会社名と支店名が書かれ、そこには『不動産営業歴六年!』とポップ調の文字で印字されていた。

「さっきは七年不動産をやってきた、と言っていたな」

 小さな嘘。もしくは名刺が去年に刷られたものなのか、あるいは勘違いか。

 三上は、野辺山が持つ奇妙に達観した雰囲気に対して興味を持ち始めていた。


「あいつ、何かがずれているように感じるな」

 名刺を手帳に挟み、音を立てて閉じた。

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