28:仇を前に
「では父様、
話を終え立ち去ろうとしたアクラたちに、アヴェイロが声をかけた。
「そちらのお嬢さん、ミーナ……といったな。少し二人で話がしたい」
アクラは心配そうな顔をしたが、アヴェイロは大丈夫だと無言で頷く。ガストンもそんな顔でミーナを見たが、ミーナに目で
洞窟の奥にはミーナとアヴェイロだけが残った。
「なんでしょうか?二人きりで話って」
「アクラの前では気を使うと思ってな……。これなら本心で語れよう」
アヴェイロは重そうに、岩に預けていた背中を起こした。
「……母の
そう問うたアヴェイロの顔を、ミーナは厳しい顔でじっと見つめた。
「そうね。今はいい人みたいだけど、やっぱり私はあなたが憎いわ」
そう、きっぱりと告げた。
「そうか……では私の首をやろう。二十年越しの思いを果たすがいい」
「嫌よ。そんなことしたら、アクラが悲しむもの」
ミーナは即座に拒否した。
「私はあなたを殺さない。だけど許しもしない。あなたが悔いてくれるなら、私はそれでいいわ」
ミーナの歯切れのいい物言いに、アヴェイロは思わず笑みをこぼした。
「フフフ……
アヴェイロはそう言うと、
「復活した魔王を打ち倒した英雄として、それを証拠に名声を得るがいい。せめてもの詫びだ……」
ミーナは足元に転がった角を拾い上げた。それはアクラの繊細な工芸品の様な角とは違い、無骨で、
ミーナはそれをしげしげと見つめると、ぽいとアヴェイロに投げて返した。
「そんな気持ち悪いもの、いらないわ」
冷めた顔でそう告げた。
「おいおい、魔人の角は再生しないのだぞ。せっかく折ったのに……」
「ふふっ……いい気味だわ」
その顔は、どこか晴れやかだった。
洞窟から出て来たミーナにガストンが声をかけた。
「ミーナさん!話って何でした?」
「なんかお土産をくれるって話だったけど、断ってきたわ」
ミーナは角のことを言ったのだが、皆はアヴェイロが首を差し出し、ミーナが断ったのだろうと思った。ほっとしたような、悪いような、そんな複雑な顔をするアクラに、ミーナは飛びつくように抱きついた。
「はあ、なんかすっきりしたわ。歌でも歌いたい気分」
「おっ、いいですねえ!どうぞ、一曲」
ガストンが言った。
「ええっ、冗談よ!歌わないわよ?」
笑顔のミーナに、アクラも釣られて微笑んだ。
「さて、明日に備えて、日没まではアクラの家を目指そう」
フリックが言った。明日、グラルドの待つアクラの昔の家までは、ここから半日はかかる。少しでも近付いておこうという算段だ。
「フィガロとはここでお別れだ。世話になった、ありがとう」
フリックはフィガロと握手を交わす。
「なに、恩を返したまでよ。死ぬなよ、フリック」
一行は山を下りるフィガロを見送ると、決戦の地に向けて歩を進めた。
やがて陽は尾根に近くなり、辺りは薄暗くなっていった。
四人が黄昏に染まる山中を長い影を引きずるように歩いて行く。
「ここから、ルルワの部族の集落が近いな。あの
アクラが向こうに見える切り立った岩肌を指差した。
「へえ、そこで一晩泊めてもらえないかね?」
ガストンが疲労に顔をしかめて言った。
「崖の途中だぞ?翼がないと、辿り着くのにも一苦労だ」
アクラが答えると、ガストンは冗談だよといった具合に手を振った。
「本当ね!ほら、ハーピーが飛んでる!」
ミーナが岩肌を飛ぶハーピーを見つけて声を上げた。
「あっ、また一人!……あら、なんだか騒がしそうね」
ミーナの視線の先に、数人のハーピーがなにか慌ただしい様子で飛び回っていた。
「何かあったのかしら……」
ミーナが心配そうにつぶやくと、アクラは近くの岩に登り、長い口笛を吹いた。それはルルワへの合図だ。口笛を聞いたルルワがアクラの姿を見つけ、飛来してきた。
「ルルワ!何かあったのか?」
「アクラちゃん!なんか下でトロルが暴れてるの!凄く怒ってるみたい」
トロル(鬼人)は巨人族の一種で、その体は魔人よりもさらに大きく、巨体に見合った怪力を持つ。知能は低く凶暴な性格をしており、動きは鈍いので出会ったら逃げるのが常套だ。
「でもうちら、怒らせるようなこと何もしてないんだよう?」
ルルワは困った顔をした。
「行ってみよう」
フリックが言うが、ルルワが心配そうにそれを止める。
「危ないよう!それに崖は登れないみたいだから、うちらは平気だよ」
そう言っているうちに、下からトロルが投げつけたであろう大きな石が、崖にあたって砕けた。飛んでいたハーピーたちが慌てて身を隠す。
「トロル一人ぐらい大丈夫さ。みんな、行こう!」
フリックの言葉に皆は頷き、崖の下へと走って行った。
ルルワの集落のある岩肌の下へと着くと、そこに一体のトロルの姿が見えた。
手に持った巨大な棍棒で崖を叩き、辺りの石を拾い上に向かって投げつけている。トロルはフリックたちを見つけると、手に持った大きな石を問答無用に投げつけてきた。
「うわっ!」
フリックたちは散り散りに飛び退いてそれを
「待て!何をそんなに怒っている!」
フリックが叫ぶが、耳を貸す様子はない。見るとトロルは明らかに正気を失っているようだった。通常は青か緑に近いはずの肌の色が赤黒く染まり、みみずのように浮き出た血管がびくびくと
「なんだあ、あいつ!病気か?変なもんでも食ったか?」
ガストンが声を上げた。
「幻覚作用のある茸でも食べたのかもな。気絶させて、胃の中の物を吐かせるか」
フリックが答えた。
「でも、もともと凶暴なトロルですよ?やっちまってもいいんじゃないですかね?」
「悪いやつじゃないかもしれない。むやみに殺すわけにはいかないよ」
アクラと出会う前のフリックだったら、相手が亜人なら仕方なしに手に掛けたかもしれない。だがフリックは今、たとえトロルが相手でも、人間と同じ基準で考えていた。
トロルは興奮状態のままドスドスと地を駆け、フリックたちに向かってきた。
「動きを止めるぞ!」
フリックが迎え撃ちに走る。
「アクラ!俺達に任せて、魔人化はするなよ!」
ガストンはアクラにそう告げると、フリックについてトロルに向かっていった。
トロルは手に持った棍棒を振り上げると、二人の頭上に振り下ろした。二人は左右に跳んでそれを躱す。トロルの一撃は地面を割り、砂が高く舞い上がった。その振動はアクラたちまで届くほどだ。フリックはトロルの足元に潜り込むと、膝をつかせようとトロルの脚を剣で斬った。しかしトロルは意に介さず、ぎょろりとガストンの方を向くと、棍棒を横から振り回した。その一撃をガストンは剣で受け止めようとしたが、想定以上の力に、受けきれず体を吹き飛ばされた。
「うおおっ!何だと!」
おかしい、トロルが怪力といってもここまでの力じゃないはずだ。ガストンは宙を飛びながら思い、体を崖に叩きつけた。
「こいつ、痛みが鈍ってるのか!?」
フリックは背を向けるトロルに再び斬りかかろうとするが、トロルはそれより早くガストンに向かって跳躍した。巨体が宙を舞い、崖を背にしたガストンの頭上から棍棒が振り下ろされる。
「うわああああっ!」
空から降ってくるトロルに、ガストンは歯を食いしばり必死に剣をかざした。
ズドーンと辺りに衝撃が走るが、ガストンの剣に手応えはなかった。おや、とガストンが顔を上げると、魔人化したアクラが両手を上げてトロルの棍棒を受け止めていた。爪が食い込み、丸太のような棍棒にビシビシとひびが入る。
「ガアッ!」
アクラが短く吠え、棍棒が粉々に砕け散った。続けてアクラは大きく一歩踏み込むと、トロルの腹を
「きゃーっ!アクラちゃん素敵ーーっ!!」
ルルワの黄色い声援が飛んだ。トロルは白目をむいてぐらりと傾くと、そのまま巨体を地面に倒した。
魔人化を解き、ふらりとよろめいたアクラの背中をガストンが支えた。
「そうやってバテちまうんだから、魔人化するなって言っただろ!」
そう憎まれ口を叩く。
「おぬしも大事な戦力だ。こんなところで怪我されるわけにいかんからな」
アクラに「大事な戦力」と言われて、ガストンは照れくさそうに口をつぐんだ。
ミーナは今のは「友達としてじゃなく戦力として助けたのだ」とアクラにしたら憎まれ口を返したつもりだと分かっていたが、言われた本人が嬉しそうなのでまあいいかと黙っていた。アクラがガストンを大事な戦力だと思っていることは、本心には違いない。
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