27:魔人アヴェイロ

アクラが水浴びを終えた頃、ミーナとガストンも目を覚ました。一行は朝食をとりながらフィガロの帰りを待つ。町から持ってきた肉と芋を焚き火で焼き、それを食べた。ミーナはフィガロの分にと新たに肉を焼いた。

「肉は少しあぶる程度でいいぞ。フィガロは普段は生食だからな」

フリックが言った。ガストンは馬車馬に牧草を与え、馬に馴染みのないアクラはその食事を興味深そうに眺めた。

「おとなしいし、賢い獣だな」

そう言って草をむ馬のたてがみを撫でる。馬は顔を上げると、アクラの赤い髪の毛を咥えた。

「こら!やめんか!」

アクラが身をよじって口から髪を抜く。

「もう!洗ったばかりだというのに」

アクラは笑いながら馬のよだれが付いた髪を撫で、それを見て皆も笑った。


「おう!いい匂いがするねえ!」

そこにフィガロが顔を出した。

「フィガロ!無事だったか!」

皆が一斉に駆け寄る。フィガロはさすがに疲れた様子だった。

「それで、どうだ首尾は?」

フリックが尋ねた。

「おう、ばっちり見つけてきたぜ」

その言葉に皆が顔を明るくする。

「ただなあ……魔人の居場所は見つけたんだが、アヴェイロかどうかはちゃんと確認出来なかった。洞窟の奥にひそんでいるのは分かったんだが、なんというかその……ビビっちまってな。本能がどうしても、魔人のもとに行くのを拒否したんだ」

申し訳なさそうにうなだれるフィガロの肩をフリックが叩いた。

「上出来さ。ウェアウルフの野生の本能が、人間より強く、絶対なのは知っているよ」

「面目ねえ。そう、俺らは本能にはどうしても逆らえないように出来てんだ」

フィガロはミーナが差し出した肉にかじりついて答えた。

「それで、ボスの女にも手を?」

ミーナが冗談めかして言った。

ちげえねえ、がっはっはっは」

フィガロが声を上げて笑い、ミーナはやれやれといった風にアクラと顔を見合わせた。

「じゃあ、少し休んだら案内してくれるか?」

「いや、食ったらすぐ行くよ。大丈夫だ。ああ、酒はねえのかい?」

フィガロが肉を頬張りながら言った。


「結構歩くぜ」

食事を終えたフィガロが告げ、一行は彼の案内で山へと入っていった。開けた森はすぐに深くなり、鬱蒼うっそうとした木々の間を上へ上へと登っていく。ときにはかなりの急斜面もあったが、木に手をかけながら、または地面の岩を掴みながら、皆は一歩一歩力強く登っていった。

「この数日で、山歩きにもだいぶ慣れちまったよ」

ガストンがふうふうと息を切らせて言った。

「警備隊でも、登山訓練を行おうかな」

フリックがそう言うと、ガストンは「うへえ」と顔をしかめて声を上げた。

「あら、いいじゃない。いい鍛錬になるし、山の上は凄く気持ちが良いわ」

ミーナの言葉に、ガストンは途端に調子を合わせてうんうんと頷いた。

休憩を挟みながらも、ひたすらに山を登り、陽が真上に昇った頃、一行は遂にアヴェイロが居るであろう洞窟へと辿り着いた。


「中から魔人の血の臭いがぷんぷんするぜ」

洞窟の入口でフィガロが言った。

「間違いない、父様の気配だ!」

アクラが声を上げた。やっぱり父は生きていた。アクラは喜びの色を隠せなかった。

「俺はここで待ってるぜ。どうにも鳥肌が止まんねえや」

フィガロは本当にぶるぶると震えていた。

「行こう、アクラ」

フリックにうながされ、アクラは小走りで洞窟へと入っていった。フィガロを残し、皆もその後に続いた。


「父様!アクラだ!父様!」

アクラは声を上げ、段々と歩調を早めていく。次第に強くなる父の気配に、アクラは胸を弾ませた。そして洞窟の奥に、アクラは父の姿を見た。

「……アクラ、無事であったか。また……お前に会えるとはな」

アヴェイロは岩に体を預けて座り、苦しそうな呼吸をしていた。

「グラルドにやられたのだな」

アクラは父のもとに駆け寄り、その体にそっと手を触れた。

「ああ……胸を貫かれて、このざまだ」

胸の表面の傷口は既に塞がっていたが、内臓の損傷はまだ酷いようだ。足元には大量に流れた血が、岩を赤く染め固まっていた。

「父様、ベリアに、ベリアに会った。でも、ベリアはグラルドに……!」

「落ち着けアクラ。何があったか、落ち着いて話してみろ」

アヴェイロは思わず泣き崩れたアクラの頭に優しく手を置いた。


「アクラの父上、アヴェイロですね」

アクラに遅れてやって来たフリックが言った。

「そなたらは……」

「私たちはアクラの友人です」

フリックはそう告げると、これまでの経緯いきさつをアヴェイロに話した。

「なんと……あの時の生き残りの息子か……」

「ええ、フリックといいます。父もまだ健在ですよ」

「そうか……。そなたらの国には、すまぬことをしたな……。詫びて許されることではないが……」

アヴェイロが長く、息を吐いた。

「ミーナの……彼女の母は、その時に魔王に……父様に殺されたんだ……」

アクラが苦渋くじゅうの表情でそう告げた。アヴェイロは言葉に詰まり、ミーナもまた無言でアヴェイロを見つめた。

「昔のことです。それにあなたはオリビア様に出会って、心を入れ替えた」

フリックがそう言うと、アヴェイロはオリビアの名をつぶやき、穏やかな表情を見せた。

「心を入れ替えた、か……。そうだな、私はオリビアと出会い、本当の愛情というものを教えてもらった……。人間の持つ愛の深さを、魔人は知らなんだ……」

アヴェイロはオリビアに思いを馳せ、遠い目をした。たわむれと信念にもとづき始まった夫婦の関係は、いつしか本物の愛へと変わった。それは二十年前に始まった、ひとつの奇跡に違いなかった。


「グラルドと戦う気か、アクラ……」

アヴェイロが言った。

「ああ。ベリアは私の妹だ。必ず助けると約束した」

「お前だけでも逃げてはくれぬか……。魔人のことなど忘れ、人として幸せに生きて欲しいと、私はずっと願っていたのだ……」

「すまない、父様。それは出来ない」

決意を込めたアクラの瞳に、アヴェイロは避けられぬ運命かと覚悟するしかなかった。

「アクラ、母様のペンダントを……」

アヴェイロはそう言うと、アクラが胸にかけた赤いクリスタルに手を添えた。そしてそこに込められた母オリビアの思いを語った。


「……それが、母様ののこしたもの……」

アクラはクリスタルを手に取り、それを見つめた。赤く映る自分の顔に、記憶にある母の顔が重なる。

アヴェイロは苦しそうに一息つくと、フリックに向かい言った。

「フリックとやら……グラルドを討ち果たしたのちは、どうかこの子を人間として生きさせてやってくれ。私ももうアクラには会わぬ。父のことは忘れて……」

「いや、アクラは魔人の子だ」

アヴェイロの言葉を、フリックがさえぎった。

「フリック様……?」

ミーナが心配そうに彼を見た。

「確かに人の中で、魔人として生きるのは難しいだろう。常に人として振る舞った方が楽なのかもしれない。だがアクラ自身が魔人の血を忘れる必要なんてない。魔人の血を恐れ、しいたげる者はいるだろう。だがアクラ自身は、魔人アヴェイロの娘として、そのことに誇りを持って生きればいい。それを受け入れる者だっている。ここにいる、皆のように。人であっても、魔人であっても、アクラはアクラであることに、変わりはないのだから」

そう語ったフリックを、アクラはじっと見つめていた。今まで曖昧だった自分のあり方が、はっきりと分かった気持ちだった。ただ、あるがままに。それで良いのだと。


――たとえ種族が違えども、私たちは分かり合える――


アヴェイロはフリックの言葉に、オリビアと同じ想いを見て、ただ静かに微笑んでいた。この若者となら、アクラは自分の生き方を自分で決められるだろう。もう父親がどうこう言う必要などないのだ。そう悟った。

「アクラを頼む」フリックにそう言おうとして、アヴェイロは口をつぐんだ。それだって、彼らが自分で決めることなのだから。


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