25:ありがとう

モナシュ湖の森を出たフリックら一行は、新たに馬車にフィガロを加え、ハクラナン山脈へと向かった。

「リザードマンに頼んで、屈強な戦士を何人か借りられませんでしたかね?中にはとんでもなく強い奴もいるって話ですぜ」

御者ぎょしゃのガストンが荷台のフリックに話しかけた。

「彼らに魔人と戦う理由はないだろう」

フリックはそう簡潔に述べて、それ以上話題が広がるのを控えた。しかしアクラは敏感に反応してしまう。

「……そうだ、本当はこれは私とグラルド、それに父様とベリアだけの問題なのだ。なのに皆を巻き込んでしまって……」

アクラが悲しそうな顔をした。

「またアクラったら、そんなこと言って!」

ミーナが怒るように言った。

「友達が困ってたら、助けるのは当たり前でしょう?それに私だってあのグラルドって奴、許せないわ!」

そうアクラを励まし、ガストンをにらむ。

「ガストン、あなたちょっと配慮に欠ける一言が多いのよねえ。気が利かない男って、私好きじゃないわ!」

ミーナに言われてしまい、ガストンはおたおたと荷台を振り返った。

「いやねえさん、俺はそんなつもりで……」

「姐さんって呼ばないでって言ったでしょ!いいからちゃんと前を向いてなさい!」

子供を叱るようなミーナの剣幕が可笑おかしくて、アクラは思わず笑みをこぼした。

「……ありがとうミーナ。私ミーナと出会えて、友達になれて、本当に良かった」

アクラに泣き笑いのような顔で告げられ、ミーナは照れながらも嬉しそうな笑顔を返した。

「皆もありがとう。本当に……ありがとう……」

皆を見回しそう言って、アクラは目に涙を貯めた。改まって礼を言われ、ガストンもくすぐったそうな顔をしていた。フリックが優しく微笑み言った。

「礼を言うのはまだ早いぞ、アクラ。それはグラルドを倒し、ベリアを取り返してからだ」

「そうだな……」

ベリアはグラルドに酷いことをされてないだろうか。アクラはベリアの身を案じ、顔を曇らせた。ミーナがそんなアクラの肩を抱いた。

「……アクラって普段はきりっとしてるけど、案外泣き虫よね」

アクラの潤んだ瞳を見て、そうからかう。

「なっ、なんだと!」

アクラは恥ずかしそうに顔を赤くした。


高く昇った太陽の下、馬車は草原を北へと走る。向かう先にはハクラナン山脈が東西の地平まで遠く広がっていた。

不意に荷台のフィガロがほろからガストンの横に顔を出し、草原を流れる風に鼻を鳴らした。

「……血の臭いがするな。これは……オークかな」

王国の真西にあるオークの森からはだいぶ離れた所まで来ている。こんなところにオークの生息地はないはずだ。フリックは確かめることにする。

「行ってみよう。フィガロ、どっちだ?」

「西だ!」

フィガロが指を差す。ガストンは馬車を左に旋回させ、指の先、西の森を目指した。


森の入口に着くや、森の中から数人のオークが駆け出してきた。血まみれで肩を借され、体を引きずる者もいる。まるで何かから必死で逃げ延びてきたという感じだ。その中にオークの森のボス、ブルーゾの姿があった。フリックが駆け寄る。

「どうした、ブルーゾ!何があった!」

「金髪のガキじゃねえか!おめえ何でこんなところに……」

ブルーゾも頭から血を流していた。それを乱暴に拭う。

「お前たちこそ、何でここにいるんだ?」

「おめえに言われて魔人から姿を隠そうと思ってな、この先の岩場にある洞窟をねぐらにしようと思ったんだが……」

ブルーゾは森の奥をにらんだ。

「そこは大蛇の巣だった。でけえのが三匹、とんでもなく凶暴なやつだ。ワシらを打ち払い、はらわたを引きずり出して遊んでるみてえだった。もう何人もやられた」

ブルーゾは辺りの仲間たちを見回し声を上げた。

「おい!逃げ延びたのはこれだけか!クソッ!半分もいねえじゃねえか!」

ブルーゾは舌打ちすると、斧を片手に再び森の中へ向かった。

「アクラ!行くぞ!」

「ああ!」

その横をフリックとアクラが駆け抜け、森の奥へと向かっていく。

「お、おい!おめえら!」

ブルーゾが声を上げ、二人の後を追いかけていった。


フリックとアクラがブルーゾを置き去りに疾風のように駆けて行くと、森の奥の岩場に、確かに大蛇がいた。目に見えるのは二匹、一匹は口にずたずたになったオークをくわえ、もう一匹はオークに体を巻きつけ、すでに事切れたオークをぎりぎりと締め上げている。辺りには無残な姿のオークたちが何人も転がっていた。大蛇の向こう、岩場の奥を登った高いところに、生き残りのオークたちが身を寄せあってぶるぶると震えていた。

フリックとアクラの姿に気付いた大蛇が彼らに向き、鎌首をもたげた。フリックのゆうに三倍はあろうかという高さから、金色に輝く目で二人を見下ろす。体は青白い鱗に覆われ、口からは真っ赤な舌をちろちろとのぞかせている。二匹はもてあそんでいたオークを離すと、剣を抜く二人に向かってずるずると這い寄ってきた。

一匹が体をじり、その太い尻尾でなぎ払いを放った。二人はそれを跳躍してかわす。着地際のアクラにもう一匹が口を開けて襲いかかる。アクラはそれを横に躱し大蛇の首に剣を振り下ろすが、硬い鱗に弾かれキィンと高い金属音を鳴らすだけだった。もう一方はなぎ払った尻尾を持ち上げ、フリックの頭上にそれを振り下ろした。フリックは横に飛び退いて躱し、地面を一回転してすぐに体勢を立て直す。そこに再び尻尾が振り落とされ、フリックはさらに飛び退いて躱す。上から横から襲い来る尻尾を、フリックは素早い身のこなしで躱し続けた。れた大蛇が大口を開けて頭からフリックに飛びかかると、彼は待っていたとばかりにその牙を紙一重で躱すと、大蛇の喉元に下から剣を払った。フロウに託された銀雪の剣が大蛇の鱗を切り裂き、その首を半分ばかり切断する。返す刀でもう半分を叩き斬り、フリックは見事に大蛇の首を両断した。

アクラは襲い来る大蛇の口を躱すと、その顎を膝で蹴り上げた。続けて剣を握っていない左の拳を横面に叩き込む。ぐらりと動きを止めた大蛇の喉元目掛けて、すかさず剣を突き立てた。体重を乗せたその一撃は大蛇の硬い鱗を破り、切っ先が喉に食い込む。アクラは剣から手を離すと、その刺さった剣の柄を思い切り蹴り込んだ。ずぶりと剣は根本まで深く刺さり、切っ先が大蛇の頭から飛び出した。大蛇は天を仰ぐように体をくねらせたのち、ドスンと地面に頭を落とし、動かなくなった。

「もう一匹は?」

二人が辺りを見回すと、岩の陰に青白い体が見えた。ずるりと顔を出した三匹目の口には、若いオークが下半身を呑まれる形で咥えられていた。

「ベンゾ!」

二人に遅れ到着したブルーゾが、そのオークの名を叫んだ。彼はブルーゾの息子だった。


大蛇は討たれた二匹を無表情に見ると、ベンゾを口の中に収め、身をひねって岩場の奥へと逃げていった。

「ちきしょう!待ちやがれ!」

ブルーゾが叫んだ。フリックとアクラが素早く追いかける。しかし大蛇は起伏のある岩場を滑らかに這って行くと、奥にあった岩の裂け目に潜っていった。隙間に完全に潜られたら見失い、逃げられてしまうだろう。

「ああっ!ベンゾ!」

ブルーゾが悲痛な叫びを上げたその時、魔人化したアクラが矢のような速さで潜りかけた大蛇の尻尾を捕まえた。爪を尻尾に食い込ませ、そのまま裂け目から引きずり出す。そして全身を晒した大蛇の素っ首を、一撃のもとに叩き落とした。

落ちた大蛇の頭から、ベンゾが這い出してきた。

「ああ……!ベンゾ!」

ブルーゾは安堵に表情を崩すと、ベンゾに駆け寄り、彼をひしと抱いた。


大蛇三匹を討ち果たし、フリックたちは他の皆と森の外で合流した。

「酷い災難だったが、息子が助かって良かったな、ブルーゾ」

フリックが声をかけた。

「フン、ワシらオークは子沢山こだくさんだし、一族みんなが家族だ。人間みたいに自分の子供だけを特別扱いはしねえよ」

ブルーゾはぶっきらぼうにそう返した。

「その割には、随分嬉しそうだったけどな」

「う、うるせえぞ!」

照れ臭そうにするブルーゾに、フリックは吹き出すように笑った。

「貴重な魔人化を使っちまって、よかったのか?」

アクラの白くなった髪を見て、ガストンが言った。

「ブルーゾはフリックの友達だろう?ならばそれを助けるのは当たり前だ。そうだよな、ミーナ」

アクラはそう言ってにこりと微笑んだ。

「誰が友達だって!?」

ブルーゾが声を上げた。

「……だがまあ、礼は言っとくぜ。ありがとよ、

ブルーゾはそう言うとベンゾの肩を抱き、オークの群れの中へと去っていった。



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