24:母の形見

アクラは着ているものを脱ぐと、躊躇ちゅうちょなくざぶざぶと湖へと入っていった。

続いてミーナが水に足をつけるが、ひんやりとした感覚にたまらず歯を食いしばる。

「んん~っ、冷たい~」

アクラを見ると、彼女は水中に手足を投げ出し、仰向けになって平気で浮かんでいる。

「アクラは寒さに強いんだったわね……」

ミーナはつぶやくと、意を決して、えいっと水の中に飛び込んだ。しばらくぶるぶる震えていたが、次第に体が水温に慣れてゆく。

「うん、慣れちゃえば気持ちいいわね。……アクラーっ、髪の毛洗ってあげるー!」

そう言ってミーナは、ばしゃばしゃとアクラに向かって泳いでいった。


水に浮かびながら、ミーナがアクラの髪をすいた。

「まったくフロウといい、フィガロといい、男はみんな助平だ!」

アクラがむくれて言い放った。

「みんながそうじゃないわ、フリック様とか……」

「フリックのやつだって私の乳を気にしておるぞ!ガストンだってミーナに鼻を伸ばしておる!」

「フリック様が?まさか……」

「ミーナは何もわかっとらん!」

そう語気を強めるアクラに、ミーナはちょっとむっとして耳元でささやく。

「じゃあ、フリック様に胸を触られたことはある?」

「いや……まだないが……」

アクラはそう言って自分のその豊満な胸に手をやった。

「……フロウ様には、揉まれちゃったの?」

意地悪くそう訊いた。

「なっ!?も、揉まれとらんわ!」

アクラがびっくりして顔を赤くする。

「ふ~ん、じゃあ私が一番乗りしちゃおうかしら」

ミーナは顔の横でいやらしく手を動かすと、アクラに飛びかかった。

「ばっ、ばか、やめんか!ミーナ!」

「おとなしくしなさーいっ!」

「やっ、やめろ、くすぐったい、あはははは」

静かな湖畔に、水音と二人のじゃれ合う声が響いた。


はしゃぎ疲れて、二人は並んでぷかぷかと水に浮かんでいた。

こんなに笑ったのは久しぶりだな、とアクラは考えた。思えば母がさらわれてから、こんな風に声を上げて笑ったことはなかったかもしれない。

「そろそろ上がりましょうか、アクラ」

ミーナが声をかけ、二人は岸へと向かった。

「あら?服が……」

確かに服を脱いで置いていた場所に、それは見当たらなかった。アクラの顔がさっと青ざめる。

「母様の形見のペンダントが!」

アクラが悲痛な声で叫んだ。二人は辺りを見回すが、服も、誰の人影もなかった。

「フリック様ーっ!ガストーン!」

ミーナは森に向かって叫んだ。その声に、フィガロを連れて二人がやって来た。

「どうした……!な、何があった!」

「うわわっ!ミ、ミーナさん!」

「うひょーっ!」

水中で裸体を隠すアクラとミーナに、彼らは三様に声を上げた。

「水浴び中に服を盗まれてしまったみたいなの!その中に、アクラの大事なペンダントが……!」

ミーナが説明した。アクラは不安そうな顔でフリックを見つめている。

「なるほど状況は分かった。ここは俺の出番てわけだ。お嬢様がた、ちょっと失礼して匂いを嗅がせてもらうぜ」

フィガロが言った。

「でも私たち、今水浴びしてしまって……」

そう言うミーナに、フィガロはちっちっと舌を鳴らして指を振った。

「俺様の嗅覚を舐めちゃあいけねえよ。こんなの魔人探しの前の、ちょっとした腕試し、いや試しだぜ」

アクラとミーナは上半身を水から出し、岸にいるフィガロに頭を差し出した。二人の頭をフィガロがふんふんと嗅ぐ。両腕で胸を隠す二人の様子を、フリックとガストンがちらちら盗み見ていた。なるほど男はみんな助平だ、ミーナは冷ややかにそう思った。


フィガロは四つん這いになり、辺りに残った匂いを探した。やがてぴくんと耳を立て、湖に沿って横に走った。男二人が後に続く。アクラとミーナは水の中を泳いでついて行った。

フィガロの向かった先、湖の横に小さな洞窟の入口があった。

「盗人はこの中みたいだぜ」

「よし、二人はそこで待っていてくれ」

フリックはそう告げ、フィガロとガストンとそこへ入っていった。

しばらくして、アクラはざばんと水から上がると、洞窟の入口をくぐった。

「ちょっと、アクラ!」

「ミーナはそこに居て」

そう言って裸のまま三人の後を追った。あのペンダントは、恥ずかしさより大切なものだったから。


洞窟は入り口は小さかったが、中は広く複雑に分岐していた。フィガロに従って進んでいく彼らを、アクラは少し離れてついて行った。

「かぁ~っ、蜥蜴とかげ臭え。ここはどうやらリザードマンの巣だな」

フィガロが鼻を曲げて言った。

「服を盗んだのはリザードマンってことかな」

フリックが言った。リザードマンは蜥蜴とかげのような姿をした亜人種だ。人間ぐらいの背丈で、体はうろこに覆われている。頑強な体を持ち、武器や防具を扱うので、その戦闘力は高い。一般的には好戦的な種族とされているが、モナシュ湖に住む彼らは比較的温厚だ。

「この湖のリザードマンは人間と友好関係にあるんだけどな」

「どこにだって手癖の悪い奴はいるもんさ。俺が言えた義理じゃあないがね」

「下着泥棒め!許さねえぞ!」

「下着泥棒って……そういう目的じゃないだろう」

ガストンの言葉に、フリックが吹き出した。リザードマンが人間相手に性的興奮を覚えるなんて聞いたことがない。フィガロを見るに、ウェアウルフは満更まんざらでもないようだが、どこまで本気かは測りかねた。


「近いぞ、もうすぐそこだ」

フィガロが鼻を鳴らした。そっと洞窟の奥に近づくと、三人のリザードマンが盗んだ服を手に談笑していた。一人の手にはアクラの赤いペンダントが握られている。奥は行き止まりで逃げ道はない。フリックは通りを塞いでリザードマンの前に立った。

「おい!盗んだものを返してもらうぞ!」

フリックが声を上げた。リザードマンたちはぎょっとして慌てふためいたが、退路がないことを悟ると、三人まとめてフリックらに突っ込んできた。二人をフリックとガストンが逃すまいとそれぞれ体で止めた。ペンダントを持った残りの一人が、フィガロの脇をすり抜け、来た道へと逃げて行く。

「おい、そっちは危ねえぞ……」

フィガロがそう声をかけた瞬間、岩陰から飛び出したアクラがそのリザードマンの腕を取り、投げを打った。岩の地面に勢い良く叩きつけられ、さしもの硬い鱗を持つリザードマンも、潰れた蛙のようなうめき声を上げてのたうち回った。

「言わんこっちゃねえ……」

フィガロがおっかなそうにつぶやいた。

赤い長髪をさらりと流し、背中を向けたアクラが言った。

「なんだ、私に気付いていたのか」

「まあな」

フィガロはそう言って自分の鼻を指でとんとんと叩いた。

アクラは床に転がったペンダントを拾い上げ、ほっとした顔で大事そうにクリスタルを撫でた。


捕まったリザードマンたちは抵抗を諦め、おとなしくフリックらに連行された。洞窟を出て、ミーナとも合流する。

「で、こいつらどうするよ」

ぼりぼりと顎を掻き、フィガロが盗人たちをにらんだ。

「人間からの盗難は、王国との友好条約違反ってことになるな。まあそこまで問題にする気はないから、族長に引き渡して後は任せよう」

フリックが答えた。

リザードマンの衛兵に事情を話し、族長の元へと案内してもらう。族長の住む洞窟は、岩の床も壁も綺麗に削られ、まるで地下神殿のようだ。ベルモナ王国の王宮にも引けを取らぬその荘厳な雰囲気に、その中を歩くミーナは驚嘆のため息をもらした。

「はあ……凄いわ。私リザードマンはもっと、その……原始的な生活をしていると思っていたわ」

洞窟を見回しながら、ミーナが言った。思えば国の皆はリザードマンのことを詳しく知らないのだ。フリックは思った。友好条約にかまけて、お互いへの興味をなくしてしまったら、それは真の友好たりえないだろう。損得のみで結んだ友好など、破られるときはあっさりだ。そう考えを巡らせているうちに、族長の元へと着いた。

族長は立派なローブに身を包み、おさたる威厳を示しながらも、礼を尽くした物言いでフリックらを迎えた。これもミーナを驚かせた。もっと粗野で、荒々しい種族だと思っていたからだ。

フリックは族長に、三人のリザードマンがしたことを説明し、彼らを引き渡した。王国に報告する気はないから、処罰はお任せすると伝える。族長は謝罪と感謝の意を述べ、今後も変わらぬ友好を約束してくれた。

「しかしあのやんちゃな男の子が、立派になられましたな。フリック様」

族長がにっこりと微笑んだ。

「そんなにやんちゃだったかな」

フリックが苦笑する。

「その言葉、バージルさんの前で言えますか?」

ミーナがあきれるように言った。バージルはフリックの母が他界してから、フリックが警備隊長の責任を負うまで、一番「大変な」時期の世話係だった。冒険と称し勝手に国を飛び出していたあの頃、彼の心労は察するに余りあった。





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